私はシャルリではない
もちろんテロは許せない。が、「表現の自由」も濫用気味だな。と、クリスチャンでもムスリムでもない自分は思う。以下に本日付日経新聞コラム「春秋」からメモする。
おもに欧米の話だが、これほどまでに広く使われたフランス語のスローガンが近ごろあっただろうか。Je suis Charlie(私はシャルリ)。イスラム過激派に襲われた週刊紙「シャルリエブド」に自らを重ねたものである。
一節に人は何を託しているのだろう。犠牲者への弔意。テロへの憎しみ。暴力に屈せぬ姿勢への共感。表現の自由や寛容な社会を守る決意と連帯。それは分かる。
(しかし)風刺の毒が無辜の人の心の底をえぐる凶器になってはいないか。
シャルリは普段2万~3万の発行部数を今週は500万にまで増やし、それが飛ぶように売れている。銃で新聞を潰すことはできないことの証明、それは何より、シャルリに携わる人々の勇気の賜物である。そのことを重々承知したうえで、シャルリの中身を批判する自由にも目を向ける。私はシャルリではないのだから。
・・・風刺の対象となる権力には、宗教的権威も含まれるらしい。が、イスラムの普通の人々を傷つけ不快にする表現は控えるべきだと思う。デモのスローガンも、単に「テロ撲滅」を掲げてくれれば違和感は無かったろうに、「表現の自由」を前面に押し出すものだから、フランスの国威発揚に向けた演出という感が無きにしも非ず、なのである。
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