科学信仰、「ニュートン教」の限界
生物学者の本川達雄は、自然科学を「ニュートン教」と呼んで批判する。以下に『池上彰の教養のススメ』(日経BP社発行)から、本川先生の述べるところをメモする。
生物にとっては常に現実だけが正しい。理想は存在しない。なにせ生物の都合と関係なく、環境は変化し得るわけですから。そんな環境=現実に、自らを合わせることで生物は生き残ってきた。それが進化です。進化とは、理想へ向かっての進歩とは、まったく違うものです。ところが生きものの中で人間だけは違う道筋を辿りました。古代ギリシャ以来、現実じゃない、脳内でつくりあげた理想こそが正しいとした。究極のイデアの世界を追い求め、宗教をつくって神の世界を想像した。対する現実は、理想に届かぬできそこないのような扱いを受けています。マルクス主義もそうでしたね。
宗教が理想とする「あの世」だけを考えて、「この世=現実」をないがしろにするのは本末転倒でしょう。
ところが文明が進んでいくと、旧来の宗教とは全く別の、新しい「宗教」を人間はつくり上げてしまった。宗教的な「あの世」に対する、「この世」の真理を記す宗教。それが自然科学です。自然科学の代表が古典物理学で、大成したのがニュートンですから、私はこの宗教を「ニュートン教」と呼んでいます。
ニュートン教に入信すると、科学の理論を疑いのない「真実」として受け止めてしまう。根本的な「なぜ」を問わなくなる。科学ばかりを見て「現実」を見なくなる。
ニュートン教では、科学はいつも進歩し、右肩上がりに進行していきます。元には戻りません。資源が無限にあればこれでよいかもしれませんが、有限な世界では、このやり方では、いつか破滅するしかありません。地球が保ちませんから。
・・・「あの世」と「この世」という言葉を使って、自分なりに言い直すと、西欧形而上学(キリスト教とプラトン哲学の合体)とは、「あの世」に「この世」を動かす原理があるとする思考だ。つまり「あの世」は絶対的で完全、「この世」は相対的で不完全。「あの世」は「この世」に対して優位にある。という思考。
しかし科学は、「この世」の中に「この世」を動かす原理を発見した。物理法則だ。科学はその原理を応用した技術を進歩させて、文明を大いに発展させた。
生物は環境=現実に自らを合わせる。ところが人間という生き物は、自分の望むように現実を作り変えてきた。その活動は科学の発展と共に加速し、いまや自らの生存基盤である地球環境の破壊につながりつつある。宗教や形而上学は「この世」を観念的に蔑ろにしたが、「ニュートン教」は「この世」をまさに物理的に脅かしつつあるのだ。
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