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2013年2月27日 (水)

単なる「歴史好き」が楽しい

日本人のための世界史入門』(新潮新書)の中で、小谷野敦先生がこんなことを書いているのが目に付いた。

講談社現代新書『神聖ローマ帝国』の著者・菊池良生も、同『ハプスブルク家』以下のハプスブルク・シリーズを書いた江村洋も、歴史学者ではなくドイツ文学者である。なぜかというと、現在の歴史学者は、普通は皇帝や王の研究などしないからである。日本史でも同じことだが、いわゆる歴史に関心を持って歴史学科へ行っても、古文書を読まされるのはもちろん、基本的には民衆史的な、裁判記録などから見る無名の人々の生活の研究をさせられるのだ。

・・・歴史の専門家、研究者のやることは、主に史料の読解である。仕事としては辛気臭い感じだし、職業として取り組める人は限られていると思う。歴史が好きでも、専門家や研究者を目指すのは止めておいた方が無難と言うか、歴史ファンのままでいる方が楽しいんじゃないかな。

例えば、自分の場合は、十字軍の時代に神聖ローマ皇帝フリードリヒ2世という人がいたということを、10年前にNHKの番組で教えられてから、世界史というか主に西洋史への関心が盛り上がっていった。つまり「こんな凄い人がいたんだ」という素朴な驚きが、歴史を学ぶ始まりで、これは割とありがちなパターンじゃないかと思う。歴史ファンならば、専門家の書いた本をいろいろ読みながら、自分が凄いと思った歴史上の人物の「追っかけ」をしてればいいので、それは単純に楽しい。

この本の最初の部分で小谷野先生は、歴史の勉強は「役に立つから」やるというより、「面白いから勉強する、でいいではないか」と言う。そして本の最後に、「一般読書人の歴史の知識はだいたいでいいのである」と述べている。自分も、そういうことだと思う。

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2013年2月26日 (火)

夜寝る前に考えると怖いこと

日本人のための世界史入門』(新潮新書)の中で、小谷野敦先生がこんなことを書いているのが目に付いた。

人類の、有史というものは、どうやら地球という惑星の、ほぼ終末期に近いところに位置するらしく、つまり知的生命体が生まれたこと自体、かなり低い確率の偶然であって、宇宙にはほかにそういうものは存在しないようである。

こういうことは、誰しも子供の頃、夜寝る前に考えると、怖くて涙ぐんだりしたものだが、私ももちろんそうである。特に、宇宙が発生する前は、時間も空間も存在しなかった、と思うと実にぞっとしたものである。

・・・そうそうそう、全くそう。自分も子供の頃、宇宙には始まりがあって終わりもあるというのも、宇宙には始まりも終わりも無いというのも、どっちも怖い、と思った。

しかし子供心に、もっと端的に怖かったのは、死ぬこと。夜、寝る前に布団の中で考える。死ぬってどういうこと? こうして眠ってそのまま目が覚めないのと同じ?・・・怖い! やっぱり涙ぐんじゃうのである。

最近、全身麻酔の手術を経験した。眠りから覚めたのは14時間後だったが、自分には15分程度しか時間が経ってない感覚だった。なるほど人は目覚めるから、今まで眠っていたのだと分かるのだな。目覚めなければ、何も分からない。やはり子供心に抱いた死のイメージは、おそらくそんなに外れているものでもないなと感じた。

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2013年2月25日 (月)

「パットン将軍」の記憶

日本人のための世界史入門』(新潮新書)の中で、小谷野敦先生がこんなことを書いているのが目に付いた。

『パットン大戦車軍団』という映画で、ヨーロッパ方面の米軍司令官パットンは、最後に「われわれは戦う相手を間違えた」と叫ぶのだが、実際そうで、本当に戦うべきなのはソ連だったのである。

・・・この映画は自分も少年の頃に見た。まあその時は、戦車がたくさん登場するのを期待して、父親と共に映画館に出向いたのだが、実際にはパットン将軍の人物像を描いた人間ドラマだったから、少々当てが外れたわけなんだけど。そして映画を見た帰り道、父親が「ソ連なんかやっつけちゃえば良かったんだよなぁ」と言ったのを聞いて、自分も(そうか、ソ連という国が残っちゃったのが、いけなかったのか)と、子供心にも漠然とした怖れを感じた覚えがある。

当時、1970年頃はまだ、第三次世界大戦はアメリカとソ連が核ミサイルを撃ち合って決着を付ける、みたいな話が当たり前のようにあったから、子供だった自分でもソ連は恐い国、そんな風に感じる時代だった。

しかし人間、50年以上も生きると、歴史を生きてきたような感じになってくるもんだね。(苦笑)

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2013年2月24日 (日)

キリスト教もイスラムも謎

日本人のための世界史入門』(小谷野敦・著、新潮新書)を読んだ。書き方はエッセイに近く、映画や小説などの話もあるので読みやすくてタメになる、という感じ。小谷野先生はやっぱり学があるし、意外と素人目線に立った素朴な感想・疑問も吐露されているのが面白い。たとえばキリスト教について。以下にメモしてみる。

私にはキリスト教というのがよく分からない。なぜその原点は磔になったイエスでなければならないのか。またユダヤ教の経典である旧約聖書が、なぜキリスト教の経典でもあるのか。あるいは新約聖書の福音書にしても、なぜイエスの生涯を4人でよってたかって書かなければならないのか、分からない。そもそも聖書は全体として、ギリシア神話のような、物語としての面白さというものがない。

ローマ帝国の成立とほぼ同じ頃にキリスト教が生まれるわけだが、いったいなぜ、イスラエルという、アジアの一地域で、ユダヤ教を母体としてキリスト教が生まれ、それが次第にヨーロッパ世界に浸透して国教にまでなり、それ以後のヨーロッパ人を支配したのか、またキリスト教徒がなぜユダヤ教をあれほど憎んだのか、ということは、ストンと腑に落ちる説明がない。

キリスト教徒でない人間にとっては、キリスト教なんておかしなことだらけである。

・・・全く同感でございます。イスラムの開祖ムハンマドについての疑問もメモしてみる。

いったい、ムハンマドというのは何者だったのか。
『クルアーン』を読んで驚くのは、それが『旧約聖書』とほとんど内容が同じだということで、アダムとかイヴとか、モーゼとかソロモンとか、要するに書き直しなのである。ユダヤ、キリスト、イスラムの三つの宗教は、根が同じであって、ただキリスト教はイエスを預言者であり神の子だとし、イスラムはムハンマドをより上位の預言者とするという違いがあるだけなのである。

イエスの前にバプテスマのヨハネがいたように、恐らくムハンマドのほかにも、啓示を受けた預言者というのはいたのだろう。しかしムハンマドだけが、これを発展させることに成功し、その後もうまく行ったということであろう。自ら国家を作り、政治・軍事を行ったという点では、イエスとは違い、むしろチンギス・ハーンに似ている。

・・・4世紀にキリスト教がローマ帝国の国教になり、7世紀にイスラムがアラビア半島から急速に広まった。どちらの教えも最初は迫害されたのに。なぜそうなったのか、正直よく分からない。広まったという結果、現在に至るまで影響を及ぼしている、その世界史的事実だけがある。謎だよ。

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2013年2月23日 (土)

キリスト教と利子、そして法人

資本主義という謎』(NHK出版新書)は、『ふしぎなキリスト教』(講談社現代新書)の姉妹編という印象。先にキリスト教そのものについて、社会学者橋本大三郎と語り合った大澤真幸が、今度はキリスト教社会から生まれた「ふしぎな資本主義」について、歴史的視野を持つエコノミスト水野和夫と語る。本書第1章「なぜ資本主義は普遍化したのか?」からメモする。

水野:16世紀にイタリアのジェノバで、金利2%を下回る時代が11年続きました。この時期を通常歴史学者は「利子率革命」と言っています。この利子率革命が何を意味するかというと、超低金利のもとで投資機会がもはやないということです。利子率革命は、「長い16世紀」(15世紀後半から17世紀前半まで)を通じて中世の荘園制・封建制社会から近代資本主義・主権国家へとシステムを一変させた。中世社会の飽和状態を打ち破る新たなシステムとして、近代の資本主義と国民国家が登場したのです。

大澤:ヨーロッパの中世においては、利子というのは相当悪い物ですよね。

水野:禁止されていますね。ところが、12世紀を通じて貨幣経済が社会生活全般に浸透してくる。資本家が登場し、貨幣流通が大規模に拡張し、金融が発達し始めます。イタリアのメディチ家のような「銀行」は外貨に金利をこっそり上乗せするなどしていました。結局中世後期になって、建前として「不当に高い」利息を禁止することで、事実上現実を追認せざるをえず、金利を受け取ることが正当化されたのです。

大澤:利子が、スキャンダラスなものから、正当な報酬へと転換したのはいつかと言うと、それこそ、まさに「長い16世紀」なのです。そして、利子というものを徴収するのが当たり前になっているかどうかが、資本主義の成立の指標だとすれば、まさにこのとき資本主義は成立している。

水野:利子が晴れて天下国家公認のものとなる時点を重視すれば、時間が神のものだという中世の概念が宗教改革で打破された「長い16世紀」が資本主義の成立期だと言えます。

大澤:キリスト教と資本主義の結びつきをより深く考えるために、会社=法人という制度が、ヨーロッパから生まれてきたのはなぜか、という点を考えてみたい。イスラム法は、法人という概念をまったく認めることができないのです。法人というものの本質とは何かというと、永続性です。ここがイスラムにとっては躓きの石となる。神は永続します。しかし、神以外の被造物は、すべて刹那的な存在だというのが、イスラムの考えです。
キリスト教とイスラムの最大の違いは、まさにキリストにある。キリスト教には、教会はキリストの身体である、という考え方があるのです。パウロに由来するものです。キリスト教徒の観点では、教会とは結局、人類共同体のことです。すると、どうですか。キリストというのは個人でありかつ集合である。個人でありつつ類であり、特殊でありつつ普遍である、という二重性がある。よく考えてみると、これこそ、法人の原型ではないですか。集団に、個人と同じ主体性・人格性を認めるのが法人ですから。
法人は、資本主義には絶対に不可欠です。資本というものは、無限に循環しないといけませんよね。資本が途中で消費され尽くさずに循環し続けるためには、資本が、個人以外の何かに、つまり法人に所属している、という感覚が不可欠だと思うのです。

・・・ヨーロッパ・キリスト教社会における利子と法人の全面展開が、資本主義を世界規模に拡大させた。「資本主義という謎」の核心には、やはり「ふしぎなキリスト教」がある。

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2013年2月17日 (日)

エル・グレコ展

先日、上野の東京都美術館でエル・グレコ展を見た。(4月7日まで開催)

一年前のスペイン旅行ではトレドにも行き、サント・トメ教会で「オルガス伯の埋葬」を見てきたということもあり、今回の展覧会に足を運んだわけだが、じゃあ素晴らしいとか好きだとか言える画家かというと、そこまではいかないかなぁと思う。

大体エル・グレコって、絵画というより劇画みたいだな。タッチや色使いの感じとか。何で宗教画に赤や青、黄色といった原色系が使われているんだろう。感覚的に何か落ち着かない。過去には下品な絵と見なされた時期もあったらしいが、そんな評価も分からなくもない。

今回の展覧会の目玉は、「無原罪のお宿り」をテーマにした高さ3メートルを超える大作。要するに聖母マリアと天使たちの図像だが、画家晩年の作というから、やはり芸術家の創作エネルギーの大きさ強さは桁違いだなと。

個人的に興味深く感じたのは「受胎告知」。会場では1576年頃と1600年頃、制作時の異なる2つの作品が並べて展示されている。同じテーマなのに、同じ画家が描いたとは思えない程、両者の印象は違う。ギリシャに生まれ、イタリアで修業した35歳の画家は、スペインに移り住んだ後、急激な変貌を遂げて60歳に達する頃には、「エル・グレコ」という独自の個性を完成させていたのだと実感する。(2作品のポストカードを並べてみました。左が1576年の、右が1600年の「受胎告知」)

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ある作品の説明文中には「対抗宗教改革期」という言葉も目に付いて、1600年前後のスペイン・カトリックで活動した画家の時代背景を改めて感じるし、主題的にはキリスト教の聖人や聖書に関わるものが多いわけだから、もともと日本人には簡単に馴染めない類の画家だとは思う・・・んだけど、来場者多数の状況を見ると、分かっても分からなくても(自分のことです)、とにかく西洋絵画を見に来る日本人って凄いよな、と感心する。

とりあえず自分は、去年の旅行でトレドの町は気に入ったので、トレドに縁の深いエル・グレコにも、ちょっとは関心持っておくかという感じです。

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2013年2月16日 (土)

二人の「ロバート・キャパ」

今月初めの日曜日の夜、7時のニュースからNHKをだらだらと眺めていたら、9時にロバート・キャパの特集番組が始まり、そのまま見ていたら、これは驚き、そうなのか、という思いに包まれた。

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番組の内容は、あの有名なスペイン内戦時の写真「崩れ落ちる兵士」の真実について、作家・写真家の沢木耕太郎が推理するというもの。結論的には、あの写真はキャパが撮ったものではなくて、その場に同行していた恋人のゲルダ・タローが撮ったものだという。

キャパの本名はアンドレ・フリードマンだが、何でも当初は、公私ともにパートナーだったタロー(本名ゲルタ・ポホリレ)と二人で撮った写真を一緒に、「ロバート・キャパ」の写真として売り込んでいたという。藤子不二雄みたいなもんか。違うだろ。

あの写真を、キャパじゃなくて別の人が撮ったというのは驚くばかりだが、当時の二人の事情を知れば、まあそれはそれでもいいか、と思える。

ところが、もっと驚いたのは、あの写真は戦闘中のものではなくて、訓練中のものであり、あの兵士は撃たれたんじゃなくて、転んだところだったのだという話。何それ。

番組では、問題の写真と共に残されていた、キャパとタローの撮影した一連の写真からの推理、及びCGによる再現検討が示されて、もう説得力が余りにも強いというか、そうとしか思えなくなってしまった。

1936年9月の「崩れ落ちる兵士」撮影から一年も経たないうちに、タローは戦場で亡くなる。パートナーの死がキャパに与えた衝撃は計り知れない。

この番組を見たのがきっかけで先日、「ロバート・キャパ/ゲルダ・タロー 二人の写真家」と題された展覧会(横浜美術館、3月24日まで)も見学してきた。今年はキャパ生誕100年という機会に、横浜美術館が所蔵するキャパの写真193点すべてを展示。合わせてタローの写真83点も、日本初公開されている。

タローの展示写真の説明文に、「1936年のタローの写真のほとんどは、ローライフレックスで撮影されている。このカメラ特有の正方形のフレームの特性を生かし、空を画面にたっぷりと写し込んだショットが多く見られる」とか書いてあったので、ますます「崩れ落ちる兵士」はタローが撮ったのだという思いが強まった。

しかし最近は「戦場カメラマン」というと、あの渡部陽一さんのイメージが頭の中に出てきてしまうので、ちょっと困る。(苦笑)

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2013年2月14日 (木)

くまモン、東京出張中

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今日の昼ごろ東京駅近くに、くまモンが現われた!

八重洲ブックセンターで営業活動するくまモンをひと目見ようと、女性ファン多数が集まる人気ぶり。公式サイトのスケジュールを見ると、結構東京に出張してるらしい。

ブックセンター店頭で、くまモンは熊本県を大いにアピール! ゆるキャラにしては意外とシュッシュッとした動きを見せて、みんなの笑いを誘っていた。何というのか、ひこにゃんの和む佇まい、カツオ人間のインパクトとはまた違った個性の強さを発揮してます。

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2013年2月 9日 (土)

人生をサバイバルするために

自由とは、選び取ること』(青春出版社)は、雑誌に連載された村上龍の人生相談を纏めたもの。人々の切実な悩みから、現代の日本人が置かれた状況が見えてくる。以下に、作家の回答からメモする。

孤独というのは、喜びや楽しみ、悲しみや苦しみを共有する他人が誰もいなくて、また不安や心配事を相談する人も誰もいなくて、さらに病気になったときなどに元気づけてくれたり看病してくれる人が誰もいないというような状態です。

昔、日本社会に「世間」という共同体があったころは、孤独は大した問題ではありませんでした。今、都市部ではもちろんのこと、地方でも世間は消失しつつあります。だから、個人の孤独が突然浮かび上がってくるのは当然と言えば当然のことです。

友人や恋人は、作ろうと思って作れるものではないし、探そうと思って探せるものでもありません。「出会う」ものです。

男にとって、女性とちゃんとつき合うのは、楽しいことではありますが、面倒なことも多いです。それでは何のために女性とつき合うのかと言えば、わたしたちが生きていくときに、「信頼できるパートナーがいること」がとても重要だからです。しかし、信頼するパートナーと出会うのは簡単ではないし、信頼を維持するには努力が必要です。

信頼できる家族、あるいは友人たち、というのは、どんなときでも助けになってくれます。ただし、信頼できる人間関係の構築は非常にむずかしいです。こうすれば信頼できる人間関係を作れるというような、手軽なコツはありません。信頼を維持すべく、自分で考えて、努力することが必要です。考えてみれば、人間にとってもっともむずかしいことなのかも知れません。

・・・現在の「生きづらい」日本で生き延びるためには、信頼できる人間関係を作ることが大事。しかしそれは簡単ではないというのが、また悩ましいところ。個別の「悩み」では、「マイナス思考」「グチの聞き役」「人目を気にする性格」は悪いことではない、という回答は相談者(と同じタイプの読者)を安心させるだろう。本書を通して作家は、とにかく現実を直視して、解決すべき課題の優先順位を付けて、人生をサバイバルせよ、というメッセージを送っている。

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2013年2月 8日 (金)

「がん放置」という「反医療」

近藤誠先生のがん治療についての考え方を、『医者に殺されない47の心得』(アスコム)からメモする。

日本人の3分の1はがんで亡くなりますが、実は、がんほどまぎらわしく、誤診の多い病気はありません。細胞の顔つきはがんであっても、粘膜の中にとどまって浸潤も転移もしない「潜在がん」「がんもどき」がとても多いので、きちんと検査しても誤診が起きる。検診で症状もないのにがんが見つかると「早めに切除すればほぼ100%治る」と医者が言いますが、それは「がんもどき」で、切らなくても何の問題もありません。

がん死はまったく減っていません。なぜなのか。検診が、何の役にも立っていないからです。詳しく検査するほど、最新鋭機を使うほど、がんはいくらでも見つかります。しかし、そのほとんどは「もどき」で、手術などの治療は体を痛めるだけです。

がん手術の問題点として「がんは切除できても(つまり手術は成功しても)、術後の障害で死亡するリスクが非常に高い」ということもあります。

抗がん剤は、猛毒です。抗がん剤が「効く」というのは、単に「がんのしこりを一時的に小さくする」という意味です。つまり「効く」というのは、治すとか延命につながるという話ではないんです。

僕は30年間、「どうしたら、がん患者さんが最も苦しまず、最も長生きできるか」という観点から、無理や矛盾のない診療方針を考え抜きました。そして「がん放置療法」に到達しました。「がんもどき」なら転移の心配はなく、「本物のがん」なら治療をしてもしなくても死亡率に差がなく、延命期間も同じ。ならば、そのがんによる痛みや機能障害が出たときに初めて、痛み止めや放射線治療、場合によっては外科手術をすればいい。

医療が発達するとともに、自然死や老衰死を身の回りで見なくなって、忘れられてしまった。代わりに、医療による悲惨ながん死のことばかり見聞きするようになった。がんで自然に死ぬのは、すごくラク。検診などで無理やりがんを見つけ出さず、もし見つかっても治療しなければ、逆に長生きできる。

安らかに逝くとは「自然に死ねる」ということだと、僕は考えています。

・・・勘三郎もまさに「手術は成功したが患者は死んだ」という実例になってしまったように、がんよりもがん治療が怖い。医者も多かれ少なかれ変だ。自分は、20年前がんで母親が死んだ時、担当医に「(抗がん剤治療は)腫瘍の進行を止めた可能性はありますね!」と主張されて呆然とした。そして最近、自分も手術入院を経験したが、なるほど医者は彼らの手術や治療をやり遂げることに責任を持つのであって、その結果患者が治っても治らなくても知ったこっちゃないんだなと、改めて理解した。要するに医者は患者の味方ではない。病院に行く時は、そのことをよくよく念頭に置く必要がある。

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2013年2月 4日 (月)

「唐揚協会」の面白パワー

自分にとって「おふくろの味」と言えば、鳥の「唐揚げ」である。運動会や遠足など学校行事には、とりあえず唐揚げ弁当を持っていけば充分に満足できた。

そんな自分も、「一般社団法人日本唐揚協会」なる団体名が目に付いた時は、いささか面食らった。何でも数年前から活動していて、最近はテレビでも紹介されたりするらしいのだが、正直自分は先日、『日本唐揚協会のつくりかた』(メタモル出版)という本が出ているのを見つけるまで知らなかった。この本を書いたのは、その唐揚協会の会長を務める安久鉄兵氏。まだ30代、IT企業の若き経営者である。

始まりは、安久氏が同業の経営者と雑談する中で、お互いに無類の唐揚げ好きであると判明したこと。意気投合した二人は、唐揚げ好きの団体設立を即座に決心。「唐揚協会」の育成・展開に当たって安久氏は、自らが考え出した「ホームページにある仕掛けをすることで、雑誌、ラジオ、新聞の取材、最後はテレビ出演とわらしべ長者的に有名になる法則」を実践する。まずネット上で協会の存在をアピール、さらに唐揚げを巡る議論を起こしながら、短期間に会員1000人を達成。そこからリアル営業を本格的に開始して、大手企業を次々とスポンサーにすることに成功。ローソンの「からあげクン」ご当地味をはじめ、数々の企業とのコラボで実績を挙げると共に会員数も急増。いまや唐揚協会の下に集う「カラアゲニスト」は1万5000人を超える。これからも世界平和の実現に向けて、唐揚げの素晴らしさを発信していく、らしい。(拍手)

安久会長によれば、「好き」のパワーと「自分を信じる」ことが大事。会長自身も、とにかく自分を肯定する力が強いと自負する。では、自己肯定力を高めるためには何をすればいいか、何が必要か。まず、自分の得意な部分を伸ばす(安久会長は「面白いことを考える」のが得意とのこと)。その結果や実績、実感を基に自己を肯定できる。そして愛。誰か一人でもいいから、自分を無条件に愛してくれる人がいれば(通常は両親の愛があれば)、自己肯定力を強められる、とのこと。

このほかにも、人間関係は星座を知ることで8割方は対応できるとか、最高のパートナーは志や感性が近くて自分にできないことができる人だとか、特に会社やビジネスの局面に限らず、社会の中で人と関わりながら生きていくための実用的な洞察が、軽やかな語り口の中に示されていると感じた。

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