映画「最初の人間」
フランスの作家アルベール・カミュの生年は1913年、没年は1960年。今年は生誕100年に当たる。そして今日1月4日は、カミュが自動車事故で死んだ命日でもある。ということで、公開中の映画「最初の人間」を観た。作家の「遺作」を映画化した作品である。
場所は岩波ホール、昨日1月3日の初回を鑑賞。もしかするとガラガラでゆったり見られるんじゃないかとも期待したのだが、年齢層はやや高めなのは当然としても、ざっと見た感じで客席の半分くらい埋まっていたのは結構意外だった。
原作の「最初の人間」は自伝的作品であることから、映画の主人公も、アルジェリアで生まれ育ったフランス人作家。時はアルジェリア独立紛争の頃、故郷を訪ねた主人公が母や叔父、恩師や同級生と再会していく流れに重ね合わせて、その少年時代も描き出していくという、文字通り作家の自己確認の物語となっている。
全体的に淡々とした描写が続くので、あんまり感想らしい感想もないのですが(苦笑)、とりあえず「作家の義務とは、歴史を作る側ではなく、歴史を生きる側に身を置くことです」という主人公の言葉が印象に残りました。
この作品は時代背景がビミョーなせいか、昨年末の週刊新潮の記事によると、フランスとアルジェリアでは公開されてないとのこと。旧植民地と旧宗主国との間の嫌な記憶が呼び起こされる、ということなんでしょうか。
で、そもそも「最初の人間」は遺作というか、創作の途中で作家が死去して残された草稿が、死後30年以上経過した1994年に出版されたものなので、完結してないのはもちろん、作品以前の資料と言ったほうが良さそうなものだと思われる。
でも、そういう「遺作」が敢えて出版され(フランスではベストセラーになったらしい)、さらに時間が経ってから映画化もされるという事態を生み出す作家というのは、あまり例を見ないような気がする。死後も長きに亘り人々の関心を集めるカミュの持つ力、それは一体どこから来ているのか?
しかし、いま日本でカミュを読む人っているのか?(とりあえず「異邦人」は、新潮文庫の売上上位にあるそうですが)
自分はというと、若い頃にカミュの作品に感動したという覚えはあまりなくて、もっぱら「カミュの手帖」(新潮文庫、絶版)と名付けられた創作ノートを眺めながら、太陽、海、死といったカミュ的ムード?に浸っていたような気がする。(苦笑)
もう一つ言うと、カミュという人はニーチェの影響を圧倒的に受けていて、それは個人的には凄く納得するものがあったのは確かだ。
どうもカミュは凄い作品を書く作家というよりも、その文学的キャラが凄く気になる作家だという感じがする。それが自分にとってのカミュの持つ力なんだろう。
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