原発事故当時のドタバタ劇
本日付日経新聞の、国会の原発事故調査委員会関連記事からメモする。
(菅)首相が官邸屋上からヘリコプターで出発したのは3月12日午前6時14分。民間事故調の報告書によると、ヘリの中で首相は斑目春樹原子力安全委員長に「俺の質問にだけ答えろ」と一方的に質問。水素爆発の質問に斑目委員長は「爆発はしない」と答えたが、午後には実際に水素爆発が起き信頼を失った。
7時11分にヘリが原発に到着。免震重要棟の会議室で「早くベントをしてほしい」と迫る首相に、吉田昌郎・福島第1原発所長は「決死隊をつくってでもやります」と答えた。首相は「この所長ならしっかりやってくれる」という印象を持ち、8時に原発を離れた。9時過ぎにベントの作業が始まり、約1時間後にようやく成功した。
(3月12日)午後6時に海江田経産相が首相に対し、原子炉に海水を注入する方針を説明。首相は真水を海水に代えることで再臨界が起きる可能性について質問し、その場では海水注入は決まらなかった。
一方、現場ではすでに午後7時4分から海水注入が始まっていた。それを知った(東電の)武黒(一郎)フェローは吉田所長に「首相の了解がまだとれていない」と中止を要請。政府の事故調によると、吉田は担当者に小声で「これから海水注入中断を指示するが、絶対に注水を止めるな」と伝えたうえで、部屋全体に響き渡る声で中断を宣言した。
(3月15日未明に)東電が福島第1原発からの撤退を政府に申し出た問題を巡っては、やりとりをした政府関係者が一様に「全面撤退」だと受け止めており、「全面撤退は全く事実ではない」(勝俣恒久会長)と主張する東電と食い違う。
「清水社長から電話で全面撤退の趣旨の話があった。『どんどん事態が悪化して止めようがなくなる』と指摘したら口ごもった。部分的に残す趣旨でなかったのは明確だ」(枝野前官房長官)
「清水社長がわざわざ電話をしてきた意味を考えると(全面撤退という)重い決断だったろうと思う」(海江田元経産相)
・・・やっぱり、ニッポンは現場の人が頼りになる国だという感じ。吉田所長の肝の座りっぷりには、あらためて敬服する。一方、清水社長は見るからに「逃げます」って言いそうな人だよな。(苦笑)
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