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2011年6月27日 (月)

素晴らしきウルトラQの世界

雑誌「FJ」(フィナンシャルジャパン)8月号の特集は「ウルトラQ」。先ごろカラー化プロジェクトが完了。「総天然色ウルトラQ」として、8月にブルーレイ及びDVD商品の第1弾が発売の運びとなっている。

ウルトラQ、これはもう特撮の、というか日本のテレビ映画の金字塔といえる作品。自分もウルトラQは手元に置きたくてDVD持ってる。ウルトラマンも良いけど、そこまでの気持ちにはならない。素晴らしき哉、ウルトラQの世界。

怪獣はもう、ペギラやガラモンがフツーに好き。成田亨、高山良策バンザーイ!
ラゴンは白黒だと怖い。こんなの夜に出てきたら、やだあ~って叫んじゃうよ。カネゴンも意外と怖く感じたのは、変身するっていうのが、子供心に不安な気持ちを呼び起こしたんだと思う。ラストでお父さんお母さんもカネゴンになっちゃう、それも何だか怖かった。

好きな話はバルンガ、トドラ、ゴーガ。バルンガはラストがいい。明日の朝、空を見上げるとそこにあるのは太陽ではなくバルンガかも知れない、ってもう、ぞくぞくした。トドラの話は時代を感じさせる。飛行機や船が異次元空間に迷い込んで遭難する、バミューダ・トライアングルに代表されるミステリー・ゾーンが少年雑誌を賑わせていた時代だ。ゴーガ、これもウルトラ・シリーズで度々出てくる古代文明もので、ロマンと恐怖を感じさせる話。

FJ誌(しかしこの雑誌、ビジネス誌からカルチャー誌に、コンセプトがガラリと変わったな)の特集の中で、社会学者の宮台真司(自分と同い年だ)が、「あえて言うと、津波や原発の映像見ていると、すごく『ウルトラQ』や初期円谷作品の記憶がフラッシュバックするんですよ」と述べている。実は、自分もねえ、町が津波に飲み込まれる映像を見た時に、ウルトラQの緊迫した場面に流れる音楽が頭の中に鳴り響いていた。こりゃあ申し訳ないって気持ちもあるけど、こうなっちゃうのはもう、良い悪いじゃないな、自分にとっては。円谷の圧倒的なチカラだよ。自然界のバランスが崩れた!

「総天然色ウルトラQ」について、アマゾンのレビューを見ると、カラー化そのものの是非もあるけど、カラー版とモノクロ版のセット販売の評判が悪い。それは無理もない。モノクロ版を持ってる自分も、カラーだけなら買うだろうけど、セット売りは敬遠というか、買わない理由を探してしまう。カラーと言っても所詮着色、「第二次世界大戦カラー版」程度かなとか、怪獣がカラーなのはいいけど、怪獣の出ない話のカラーってどうなんだろう(「悪魔ッ子」はかえってよくないかも)とか、思い始めるよ。

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2011年6月25日 (土)

切実なる哲学

まずは『ウィトゲンシュタイン』(河出書房新社)の中の、鬼界彰夫先生の文章からメモ。

ウィトゲンシュタインは、一度読むとそこに特別な意味や、その存在を必要であると感じる人が多い哲学者の一人でしょう。

彼の場合、様々な理由から自らの生そのものが危機に陥り、そのなかで考えて生まれたものが彼の哲学ですから、中身、主題は直接関係なくても、そういう状況で発せられた言葉の真剣さや重さが、たぶん、今、私たちに大きな意味を持つことになるのだと思います。

哲学者とは、いかに体系的な哲学書を書くかということを問題とする者ではないでしょう。それよりももっと、これがないと自分は生きられないという問題こそが本当の哲学の問題のはずです。
今、哲学者や思想家と言われている人よりも、もう少し何かの事情で真剣に悩んでいる人、悩まざるをえない人のほうがむしろウィトゲンシュタインを理解できる素地があると言えるでしょう。

・・・ウィトゲンシュタイン、自分は読んでないに等しい。でも昔、いくつかの文章に目が覚めるようなインパクトを受けた。「私の言語の限界が私の世界の限界である」「哲学的命題は誤りではない。無意味なのだ」「語りえないものについては沈黙しなければならない」、どれもこれも叫びたくなるほどカッコイーではないか。

最近、あらためて哲学が気になっている。そのきっかけは昨年9月、日経新聞「私の履歴書」に木田元先生が登場したこと。いわゆる哲学、西欧形而上学とは、ニーチェ的観点から、キリスト教とプラトン主義がないまぜになったものであり、それは西欧に特異な知の在り方である。ということは重々承知ではありましたが、その内実についてあらためて勉強しなおすかという気分になって、この春、衝動的に朝日カルチャーセンターの「西洋哲学史」の講義を申し込んで、ただ今受講中です。

木田元=ハイデガー的に形而上学を相対化するとか、ツチヤ教授=ウィトゲンシュタイン的に形而上学の不可能性を意識するとか、ややテクニカルな話に見えるかもしれないけど、明治維新から140年、西欧近代化がほぼ「完成」した日本において、あらためてヨーロッパの根本にある考え方を反省してみるのも、無駄ではないだろうと。

とはいえ、哲学イコール形而上学でもないわけで、木田元やツチヤ教授も大事だけど、もっと切実なところで哲学したい時には、西研先生の本を読むのがよろしいかと思う。哲学っていうのは基本的に切実に考えるってことだろう。切実さの欠けた哲学は哲学じゃない、くらいの気持ちはある。そんな思いから、上記の鬼界先生の文章をメモしました。

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2011年6月24日 (金)

不幸について

小谷野敦が近著で以下のように書いている。

私はかつて、「彼の人生は悲劇に終った」とか、不幸な人生だったとか、失敗に終った人生とかいうのはない、と考え、そう書いたことがある。
だが、他人がそう言うのは不都合だとしても、当人が、俺の人生は不幸だった、と思ったら、それは動かしがたい事実ではないのか。(『友だちがいないということ』終章)

・・・本のテーマは書名通りであるから、不幸=一人ぽっち、という意味で言われているが、とりあえずその文脈からは離れて、不幸について少し考えた。

人は誰でも若い頃、「世界で一番不幸なのはこのワタシ」と自己憐憫に浸ったことがあるんじゃないだろうか。ええ、とりあえずワタシはありました、そういうの。しかし不幸っていっても、戦争の時代に巻き込まれた人々のことを考えれば、ワタシの不幸なんてちゃんちゃら可笑しいというか、不幸と呼ぶのも申し訳ない、そういうレベルだろう。

なので、あまり個別の事情がどうこうよりも抽象的に考えてみると、結局、不幸というのは、自分自身に対してポジティブになれない、ということかと思う。そう考えれば当然、幸福というのは自分自身に対してポジティブになれる、ということになるだろう。いるでしょ、何かこの人自分のことが好きなんだな~と思われる人。ワタシはもちろんそういう人じゃなくて、根本的に自分自身にはポジティブになれない人。

だからまあ抽象的には自分は「不幸」だな、という結論にはなるんだけど、しかしね、生まれてから死ぬまでずっと自分自身に対してポジティブ、という人は考えられない。逆に自分は自分自身に対して根本的にポジティブになれないと思っても、生きている過程においては、夢幻のようではあってもポジティブになれる瞬間もあることはあると。結局のところ、人生にはポジティブになれる時間帯となれない時間帯があって、なれる時間帯が半分よりも多ければ、「幸福」であると考えて満足しないといかんかなと思いました。以上。

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2011年6月23日 (木)

看護師か看護婦か

小谷野敦が近著で以下のように書いている。

近ごろ「看護師」と書かなければいけないと思っている人が多いようだが、女の看護師を看護婦と書くのは自然なことだし、男女を同じ名称にしなければいけいない理由などないし、誰からもその理由を聞いたことはない。単にマスコミが過剰な自主規制をしているだけであり、それをあたかも国が規制しているかのように思うのは、言論の自由を理解しないものである。(『友だちがいないということ』あとがき)

オイラも「看護師」に対する違和感がある。女の看護師さんはやっぱり看護婦さんだよな~と思う。ついでにウィキペディアから。

(看護婦を看護師とするのは)法律上、行政上の名称変更であり、「看護婦」という慣用的な呼称の使用を、一般市民生活の場において制限されるものではない(女性警察官を「婦警」と呼ぶように)。

ま、そんなことで、とりあえず看護師は職業名であり、実存的には看護婦さんだよな~と思う。

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2011年6月22日 (水)

杉田玄白と平賀源内

杉田玄白と平賀源内、って親友だったんだなあ。タイプがまるで違う人のように思えるけど、だからこそお互い自分にないものに魅かれたという感じもする。

週刊「新マンガ日本史」の今週号は「平賀源内」、昨日水曜日のNHK歴史番組も平賀源内、今週は「平賀源内ウィーク」ですな。ひと月前には、マンガ日本史と民放番組の組み合わせによる「天草四郎ウィーク」があったっけ。

マンガの中で、源内は玄白に、というか半ば自分自身に向かって語りかける。

「私という人間は、いつも新しい物ばかり追い求めすぎる。蘭学に興味はあるが、玄白みたいに蘭語の本を翻訳してみたいとまでは思わない。これまで手がけた様々な事業も、思いついた時はきっとうまくいくと思うのだが、すぐに飽きて投げ出してしまう。いや、投げ出すというより時間がもったいなくなるんだ。次から次へと新しいことが思い浮かんで、そっちに夢中になってるうちに、昔やってたことなんてどうでもよくなってしまうんだ。だから、何をやっても成功しないんだろうな。きっと本当に才能がある人間というのは、玄白みたいに何かをやり遂げる努力ができる人のことをいうんだろう」

才人のユーウツを感じさせるセリフだ。源内に自分のひらめきを事業化し発展させる執念があればなあ、というか周りにそういう人がいればなあ、と思わせる。玄白はどっちかっていうと、ひとつのことを極めるタイプなんだろう。秀才型の玄白には、天才型の源内はまぶしく見える存在だったのではないか、と想像する。源内が無念の死を遂げた時、玄白は「非常の人よ、何で非常に死んだのか」と嘆き悲しんだのだった。

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2011年6月18日 (土)

日本における哲学の特殊事情

雑誌「男の隠れ家」7月号の特集は哲学について(大人の哲学入門 いま必要な「哲学者の言葉」)。東浩紀のインタビュー記事から以下にメモ。

哲学とは考えることですね。考えること全体が、哲学だと思います。

そもそも哲学と呼ばれている日本語は、フィロソフィという言葉の明治時代の訳語なんです。明治時代というと19世紀の真ん中ぐらいにやって来たわけですけど、この19世紀真ん中というのは、哲学の歴史のなかでも非常に特殊な時代だったのです。

日本の場合、哲学というとまずドイツ哲学をイメージするんですね。つまりカントとかヘーゲルです。

19世紀のドイツ哲学というのは、カントとヘーゲルという、とっても個性的なふたりがいたために、すごく体系立ったわけですよ。哲学が体系立ち、とても学問っぽく見えた特殊な時代なのです。でもそれは、19世紀にドイツでしか見られなかったことなんです。

例えばフランス哲学というのは、もっとゆるやかで文学と近いような、エッセイみたいな感じでした。イギリスはある種もっと功利的で実利的な哲学でした。

日本人がイメージする哲学は、(ドイツ観念論という)一時代にひとつの国で生まれた非常に特殊なものを代表にしています。それを明治維新の頃に輸入し、強力に推し進めてしまったために、今もそうしたイメージが残っているわけです。

日本の場合、西洋のように体系的哲学というより、文学のほうが強いですね。戦前にもその傾向はありましたが、戦後は文学に哲学が飲み込まれてしまった、という感じです。文芸批評が哲学を飲み込んだというのは、吉本隆明とか柄谷行人といった人たちがひとつの例です。

それと日本の場合、明治の初期に少しはあったかも知れませんが、哲学が社会運動と結びつくことが、あまりうまくいっていない感じがしますね。特に戦後は、全然ないと思います。諸外国では哲学と社会運動が結びついた例が見られます。フランス革命とかロシア革命とかはそうしたものですよね。しかし、日本ではそういう例はないですね。

・・・輸入学問である哲学の日本における特殊事情。実のところ、哲学は決して体系的学問というわけではない。さしあたり、物事を原理的に考えることを、哲学というかフィロソフィと呼んでいいだろう。そして日本では哲学の歴史そのものが浅いし、哲学というか思想と結びついた大きな社会運動の経験が無い、と言われればそうなのだろう。もちろん革命に代表されるような思想的社会運動には弊害もあるから、良し悪しをいうのは難しい。でも、失敗も含めて、そういう経験の乏しいことが、新たな社会を構想し実現しようとする意欲の弱さにつながっているとしたら、これはマズイよなあ~。

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2011年6月15日 (水)

「神聖ローマ帝国」は脱原発

先日のテレビ・ニュースで、ドイツ、スイスに続きイタリアも脱原発を決めたことが伝えられると共に、三国が色分けされたヨーロッパの地図が映し出されたのを見た時、「あっ、神聖ローマ帝国だ」と思ってしまった。

最近のプチ・マイブームは神聖ローマ帝国。フリードリッヒ2世(フェデリコ2世)は、自分にとってカエサルやナポレオンに匹敵するスーパー・リーダー。ようやくこの2月に、皇帝の出身地シチリアのパレルモを訪ねる機会を得ることができたばかりで、『神聖ローマ帝国』『図説 神聖ローマ帝国』(共に菊池良生・著)も読んだし、気分は神聖ローマ帝国(って、どういう気分だ)が続いてる。上記書籍の中で、神聖ローマ皇帝は、ドイツ王とイタリア王を兼ねて教皇から冠を受ける、と説明されていたのが印象に残っていたこともあり、ドイツとイタリア、そしてハプスブルク家発祥の地スイスの三国がつながった地図を見て、すぐに神聖ローマのことが思い浮かんだ次第です。

しかし、神聖ローマというと、チェコとオーストリアも含めるべきだなと思って、ついでに両国の原発政策を見てみると、チェコは原発推進、オーストリアは反原発なのだった。うう残念。このエントリのタイトルも正確には、「神聖ローマ帝国」はほぼ脱原発、となります。(苦笑)

さらについでながら、オーストリアは筋金入りの反原発国であることを知って、ちょっと驚き。1978年11月、完成していた原発1号機の稼働開始の可否を問う国民投票で、反対票が50.47%と、ぎりぎり過半数を獲得した結果、稼働が見送られて以来、反原発政策が継続されているというから、「参りました」って感じだ。現在もオーストリアは、フクシマ以後の反原発論議をリードしているとのこと。

しかし脱原発国も原発国から電力を輸入しているし、原発国で事故が起これば被害が及ぶのは避けられない。兵器にしろ発電所にせよ、核は要らないとなったら、廃絶しかない。・・・っていうのも現実には難しいよなあ。

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2011年6月14日 (火)

「オスマントルコ」が甦る

本日付日経新聞記事「岐路のトルコ」(「EUより中東」鮮明に)からメモ。

好調な経済を背景に、12日のトルコ総選挙で与党・公正発展党(AKP)が大勝した。政権基盤を固めたエルドアン政権は、欧州連合(EU)から中東に軸足を移す独自外交を加速させる見込みで、その範囲は「オスマン帝国」の版図に重なる。

イスラム色が強いAKPは2002年の選挙で単独政権を樹立、03年にエルドアン首相が就任した。それまでの欧米一辺倒だった外交方針を刷新、中東のアラブ諸国との関係を再構築した。

一方で05年に始まったEU加盟交渉はフランスなどの反対で一向に進まず、国民の間に失望感が広がっている。EU加盟交渉をテコに軍や国内の改革を推し進めてきたエルドアン政権は「EU加盟」の旗は降ろさないが、国民感情の変化が「欧州離れ、中東接近」を後押しする。

欧米メディアはトルコの外交政策が旧オスマン帝国の領土に影響力を強めていることから「ネオ・オスマン主義」と警戒。外交政策を主導するダウトオール外相は「目指すのは周辺地域と問題ゼロの関係だ」と強調。

トルコ外交の独自性は一段と強まり、地域大国として注目を集めそうだ。

・・・中東の民主化運動の高まりを背景に、トルコの存在感は増している、という。かつてのトルコ中心の大帝国オスマンはヨーロッパ世界の脅威だったが、今度はイスラーム世界の民主国家として、新しいトルコ外交が中東地域で広範囲に展開されていく気配だ。

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2011年6月12日 (日)

キリスト教と理性

橋爪大三郎と大澤真幸の対談をまとめた『ふしぎなキリスト教』(講談社現代新書)の第3部(いかに「西洋」をつくったか)からメモ。

大澤:哲学の起源とされているのは、ふつう古代ギリシアです。しかし、ある時期から、つまり中世になると、哲学とキリスト教神学が不可分になった。ヨーロッパで哲学が発達し、精緻化していったのは、キリスト教神学と一体化したからだと思います。ここで疑問に思うのは、キリスト教とは無関係に生まれ、発達してきた哲学が、キリスト教とうまく噛み合い、合体したという事実をどう考えればよいか、ということです。

橋爪:哲学の中心には、理性があります。理性はもともと、ギリシアで発展した。キリスト教徒ははじめ、理性のことなんかあまり考えていなかったけれど、イスラム経由でアリストテレスをはじめギリシア哲学を受け入れてから、あらためて真剣に考えるようになった。キリスト教徒は、理性を、宗教的な意味で再解釈したんです。理性は、人間の精神能力のうち神と同型である部分、具体的には、数学・論理学のことなんです。理性は、神に由来し、神と協働するものなんです。理性は神が人間に与えた能力なので、その能力を使えば、神が確実に存在することを証明できるに違いない。これが神学の、最初のテーマだった(神学といっても、中身は哲学です)。やってみると、あまりうまく行かない。神は、理性によってその全貌がとらえられないのです。
しかし、逆に言えば、神が創造したこの世界(宇宙)は、神ではないから、人間の理性で残らず解明できるとも言える。宇宙に理性を適用したら、神の意図や設計図が読解できないか。こうして、自然科学を始める態勢が整ったことになります。

大澤:キリスト教の影響というのは、まったくキリスト教的ではないかたちで、あるいはキリスト教そのものを否定するようなかたちで発現することがよくあります。資本主義の精神はその一例ですが、もっと端的な例は自然科学ではないでしょうか?
その自然科学を生み出した科学革命は、実は時期的に宗教改革の時期とだいたい重なっています。科学革命の担い手は、むしろ熱心なキリスト教徒、しかもたいていプロテスタントでした。

橋爪:自然科学がなぜ、キリスト教、とくにプロテスタントのあいだから出てきたか。まず、人間の理性に対する信頼が育まれたから。そして、もうひとつ大事なことは、世界を神が創造したと固く信じたから。この二つが、自然科学の車の両輪になります。
世界は神がつくったのだけれども、そのあとは、ただのモノです。ただのモノである世界の中心で、人間が理性をもっている。この認識から自然科学が始まる。

大澤:社会的・政治的な概念に関しても同じようなことが言えるのではないか。たとえば、主権とか、人権とか、近代的な民主主義などは一般に、宗教から独立の、あるいは宗教色を脱した概念だと見なされている。しかし、こうした宗教色を脱した概念自体が、実はキリスト教という宗教の産物なのではないでしょうか?

橋爪:そのとおりです。いま言った、主権や国家の考え方はみな、神のアナロジーなんですね。

大澤:ぼくらは、自覚しているかいないかは別として、キリスト教的な世界観が深く浸透した社会を生きているわけです。

・・・キリスト教といえばクリスマスと結婚式、みたいな感じで、日本人の大部分はキリスト教と日常的に係っているとは感じていないだろう。しかし、西欧近代の価値観のベースにはキリスト教がある。大ざっぱに言って、資本主義も自然科学もキリスト教から生まれた。だから、既に近代化が終了して、このシステムに乗っかっている日本人は、まさに自覚していなくてもキリスト教的な価値観に多かれ少なかれ染まっている、はず。ゆえに、あらためてキリスト教的価値観の成り立ちを考えておくのは、日本人にとって重要なことだと思える。(理性については、木田元の「反哲学」という考え方からも学べる)

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2011年6月 8日 (水)

大連に行く

先週末、大連に行った。ほんとなら、まともに満州を訪ねたいところだが、ハルピンやら長春やらを回ると、やっぱり一週間は必要になるので、今回はとりあえず満州の「入り口」に立って、帝国主義の夢の跡でも見ておこうと、そんな旅のつもり・・・だったけど、行ってみたら大連は大都会なのだった。これじゃあ「ノスタルジー」を感じたくても感じられない。無理。

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泊まったホテルから見た大連市街。右下の辺りが中山広場(ちゅうざんひろば)。丸い広場の周りを囲むように、古い洋風建築が並んでいる。赤みを帯びた茶色の建物が旧ヤマトホテル、その左の尖った塔のある建物が旧大連市役所だが、今ではものの見事に高層ビルの谷間に沈んでいる。何というのか、20世紀が21世紀の中に埋もれている感じ。

Photo

中山広場から放射状に延びる道路の一つ、魯迅路を5分程歩いたところに、旧満鉄本社の建物がある。重厚です。

今の季節は「アカシアの大連」なんだけど、これも市街には見当たらなくて、ちょっと郊外に出たところでたくさんの白い花の房と甘い香りに遭遇することができました。

Photo_2

旅順も観光したのだが、203高地も今では草木の生い茂る普通の山。日露両軍の司令官が対面した水師営会見所(復元)の隣には、レストランとみやげもの屋があるし、まあやっぱり帝国主義の時代は遠くなりにけりだな、当たり前だけど。

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2011年6月 7日 (火)

欧州中道左派の苦戦

本日付日経新聞国際面のコラム記事「欧州中道左派 沈む」からメモ。

欧州で高福祉・高負担を掲げる社会民主主義の中道左派政党の退潮が鮮明になっている。5日投開票のポルトガル総選挙で与党、社会党は野党転落が決まった。スペイン、ギリシャの中道左派与党も緊縮財政で支持率が急低下、来年以降の総選挙で欧州の中道左派政権は存亡の機に直面する。

欧州主要国ではメルケル独首相、サルコジ仏大統領、キャメロン英首相など中道右派が並ぶ。一方、中道左派にとって南欧は「最後の牙城」だが、その基盤が崩壊の瀬戸際にある。

特に財政赤字や債務が巨額な南欧では、中道左派政権が増税や歳出削減、年金給付削減など厳しい財政赤字削減策を実施。これが労働組合を中核とする支持基盤を直撃し、支持者が離反する悪循環を招いている。

中道左派は欧州連合(EU)の欧州議会の第2勢力で、戦後欧州の福祉社会の基礎をつくった。1990年代後半から2000年代前半はブレア英首相、シュレーダー独首相らが従来の右派、左派と異なり、市場重視・福祉の両立をめざす「第3の道」を標榜した。

しかし、ここ数年で「脱・原発」や金融規制強化、雇用対策などメルケル首相らが左派寄りの政策を次々と取り込み、中道左派は存在感を発揮するのが難しくなった。

経済のグローバル化で福祉国家も財政規律を求められる一方、経済の競争力が伴わないと高福祉・高負担を維持しにくくなっている。

・・・漫然と高福祉を続けていけば、行き着く先は国家破綻であることを南欧危機は示した。振り返れば冷戦末期以後、先進国は政策の試行錯誤を続けてきた。1980年代英米のサッチャリズムやレーガノミクス、90年代の「第三の道」、あるいは北欧モデル。グローバリズムに軸足を置いた中道右派政権も、リーマンショック以降は左派寄りの政策を採用。このような欧米諸国の政策の変遷、その流れには興味深いものがある。先進国共通の課題である低成長経済&高齢化社会に対応するため、何らかの理念に基づいて政治が動いてきたことが見てとれる。

それに比べて、我が国の冷戦後の政治はどうだったか。いちおう理念らしきものを掲げていたのは、小泉純一郎だけだったな。大部分の年月は、もう理念もへったくれもない権力闘争に明け暮れた、要するに小沢一郎を巡って動いてきた、ってことだ。情けないとしか言いようがない。

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2011年6月 1日 (水)

日本の科学技術の強みとは

本日付日経新聞「経済教室」(異分野融合の強み生かせ)執筆者は、田中耕一・島津製作所田中最先端研究所所長。「ノーベルサラリーマン」田中さんの語る、日本の科学技術、ものづくりの強みについてメモ。

津波や地震のメカニズムはもちろんのこと、自然にはわからないことが数多くある。宇宙や地球の内部は当然、人間の内部ですら科学はその一部しか解き明かしていない。

にもかかわらず、我々にはもう学ぶべきことはないという過信や傲慢さがあったのではないか。

福島第1原発事故の背景には、技術への過信があったと思える。そもそも「絶対安全」な技術はあり得ない。

原発事故の拡大を防げなかった一因に、科学の異分野間コミュニケーション不足が挙げられる。歴史学者は約千年前に大津波があったことがわかっていた。異分野間の対話が十分であれば、少なくとも対策を考えていただろう。

今回の震災や原発事故を、科学技術が前に進むきっかけにすることが重要だ。そのときに強みになるのが異分野融合である。それはものづくりの現場で顕著である。
ものづくりの現場には、アイデアを出し合うという文化がある。様々な分野の人間が知恵を持ち寄ることで、新たな発想が生まれる。異分野の人々のチームワークから独創性が生まれるのである。(ノーベル化学賞を受賞したイオン化法は、電気の発想を化学に持ち込んだ成果である)

自然には未知の領域が限りなくある。化学は化学だけ、物理は物理だけというように各学術分野が研究するだけでは、未知の領域を解明しきれない。
裏返していうと、ものづくりの現場で異業種融合が進んでいる日本には強みがある。

今後、日本の科学技術にとって重要なのは、失敗を恐れないことだと考える。失敗しても挑戦し続けることが大切だ。

・・・いかにも「現場の人」らしい提言かと。

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