宗教戦争と国家体制
昨夜テレビの歴史バラエティ番組で、島原の乱を取り上げていた。まあ特に変わった話もなかったんだけど、あらためて戦国時代にキリスト教が伝わったのは妙な巡り合わせだなと思う。日本の新たな秩序が生まれようとする時に、キリスト教への態度決定が国の在り方を決める一つのファクターになったわけだから。既に豊臣秀吉がバテレン追放令を出して、キリスト教を拒絶する国家の意思を示していたわけだが、江戸時代に入ると西洋との貿易・交流の途も閉ざす方向に進んでいく。島原の乱の終結は1638年。その翌年39年にポルトガル船の入港が禁止されて、いわゆる「鎖国」が完成する。
一方、その頃のヨーロッパでは30年戦争(1618~1648)の真っ最中。始まりは新教と旧教の紛争、それがさらに国際戦争に発展し、戦後のウェストファリア条約で主権国家体制が確立された。つまり、この時代にヨーロッパでも日本でも、宗教戦争の直後に新たな国家体制が定まった、という見方もできるのが面白いところだ。
もう少し時代を遡って1500年代を見る。1517年ルターの95ヵ条の論題に始まる宗教改革の波、そしてカトリック側の対抗宗教改革の動き。1534年のイエズス会設立から15年後の49年にはザビエルが日本の鹿児島に上陸する。宗教改革が起きて、危機意識を持ったカトリックが地球の裏側まで営業活動、もとい布教活動に励んだ結果、日本にキリスト教が伝わった。すでに1400年代の末から大航海時代が幕を開けていたとはいえ、ヨーロッパの動きが日本に波及するまで意外と時間はかからなかったと思えるし、とにかく宗教改革が無かったら、日本にキリスト教は来てないと思うと不思議な感じがする。
その辺は、日本史も世界の動きとの兼ね合いで変化する、それはもう昔からそうなのだと確認する思いだ。最近は、「鎖国」というのも体制としては無かったという話になってるみたいだけど、確かに外交というのも、相手のあることなので、自分の都合だけで付き合いを止められるというのも現実的ではなくて、17世紀当時はヨーロッパが停滞の時代に入ったこともあって、たまたま日本の「鎖国」が成立したという感じ。実際、欧米が再び極東までやってくるようになって「圧力」が強くなってきたら、開国しちゃったわけだし。
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