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2011年1月30日 (日)

大河ドラマで「馬揃え」再現

本日放送の大河ドラマ「江」第4回は、戦国時代の軍事パレードである「馬揃え」のシーンを見せてくれた。マンガでは「へうげもの」が描いているけど、映像で「馬揃え」の再現を過去に見た覚えは無いので、もちろんTVドラマだから規模的には限界があるにしても、NHK、なかなか意欲的だなという感じがした。まあ、お話の筋については最近の大河ドラマの傾向、要するに戦国ホームドラマ的な展開ではありますが。

「馬揃え」というと、自分が思い出すのは、若桑みどりの大著『クアトロ・ラガッツィ』の記述。同書によれば、この一大イベントによって、信長は自らが日本の国王だと示したのである。同書第三章「信長と世界帝国」からメモ。

フロイスはその『日本史』でくわしくその盛況を書いている。
「信長はその栄光を示すために、きわめて気品のある有名なある行事を開催した。装飾された競技場には飾り具をつけた馬にまたがり、できるかぎり華美ないでたちの700人の武将と、諸国から見物に来た20万人に近い群集が集まった。見物人のなかには、高貴な男女や僧侶たちとともに内裏(天皇)も姿を見せていた。信長は、巡察師、司祭、修道士を招き、よく見物できる高台に設備した桟敷をわざわざ提供した。司祭らはかねてこの目的のために、金
の装飾をした濃紅色のビロードの椅子を信長に贈呈していた。信長はこの椅子をことのほか喜び、自分の入場に勢威と華麗さとを加えるために、それを4人の男に肩の高さに持ち上げさせてみずからの前を歩かせた。そして信長は行事の最中、彼の身分を誇り、その偉大さを誇示するために、一度馬から降りて椅子に座ってみせ、ほかの人間とは異なった人間であることを示した」

このときの信長のいでたちはたいへん変わっていて、『信長記』巻十四には、信長は眉を描き、「金紗」という唐・天竺では天子や帝王の用いるという唐織物を身に着け、「後ろに花を挿した帽子」をかぶり、紅梅に白の模様の豪華な小袖をまとっていた。その華やかないでたちは、神のようだったという。

こういう記述に照らしてみても、今回の大河ドラマの「馬揃え」、信長周りは椅子や衣装など結構頑張って作っていたと思う。信長の後ろには、黒人の家来(ヤスケ)も控えていたようだったし。(ヤスケがいると、個人的にはポイント高いぞ)

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2011年1月29日 (土)

基礎研究を支援するのだ

科学を役に立つ、立たないで「仕分け」するのは愚かな行い。ノーベル賞科学者の益川敏英先生と、iPS細胞を発明した山中伸弥先生の対談本、『「大発見」の思考法』(文春新書)からメモ。

山中:事業仕分けによって、科学予算はますます圧迫されています。たしかに最初からピントの外れている研究にお金を出すのは全くのムダです。しかし、科学研究の場合、どこから科学の芽が出てくるかわからないし、偶然にすごく貴重な芽が出てくることもある。これは私自身の実感からなのです。
1999年から4年間、私は奈良先端科学技術大学院大学で、誰にも注目されずに「細胞の初期化」の研究を細々としていました。もちろん研究費はほとんど出ていませんでした。
その状況が大きく変わったのは2003年のことです。科学技術振興機構のプロジェクトに応募して、必死のプレゼンをした結果、年間5000万円の研究費が5年間支給されることになったのです。このときの審査で、海のものとも山のものともしれない私の研究を評価して頂いたことに、心から感謝しています。

益川:事業仕分けの時に、「この研究は具体的に何の役に立ちますか?」という質問がよく出てきました。
色々な補助金や政府からの予算をいただく時にも、「この研究は具体的に何の役に立ちますか?」という言い方がよくされるのですが、科学の世界では、学問の必然性に従った地道な研究を続けて、はじめて何かを発見することが多い。目先の利益ばかり追求して「早く成果を出せ」というようなことばかり言っては、きちんとした研究にならないのです。「日本人よ、やっぱり一番を目指せ」と僕は言いたいですね。

・・・アメリカの研究環境と日本のそれとは相当の落差があるらしく、山中先生はアメリカ留学から帰国後、奈良に職を得るまでの時期に、「うつ」状態にまでなったと告白。すぐに成果が見込めないからといって、闇雲に基礎研究の予算を削るのも、将来的に日本の科学を貧しくする恐れがある。細かい「仕分け」のためには、山中先生の研究に可能性を認めた審査官のような、「目利き」を増やす必要もあるとは思われるが、とりあえず自分の納める税金はすべて基礎研究分野にと、使い道を指定したい気分。

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2011年1月25日 (火)

クイーン後期を聴き直す

先日、銀座山野楽器のCDフロアで、なかなかカッコ良いロックの曲を耳にして、しかしボーカルやらギターやら何か聞き覚えがあるなあと思っていたら、それがクイーンであることに気が付いて、ちょっと意外な感じがした。実は自分的には、クイーンは初期が好き、というのは斬新なハードロックという感じだったからで、その後次第にポップになっていくと共に、まともに聞かなくなったという経緯があるんだけど、でもその場で聞いた曲は明らかに80年代以降の曲だったのに、音が良いこともあったせいか、へえ、クイーンも結構ロックしているではないか、と思ったわけです。

そこでCDの棚を眺めていくと、クイーン「グレイテスト・ヒッツVOL.2」のリマスター盤が新たに発売されたばかりであることが分かった。今年はクイーン結成40周年、フレディ・マーキュリー死去20周年、だそうです。で、結局購入。

なるほどあらためて聴いてみると、クイーンは80年代後半にはポップソングのステージから抜け出して、洗練されたハードロックという境地に進んでいたのだなと今頃思い至りました。ライナーノートにも、「前期と後期のサウンドがひとつの大きなサークルとして完結」とか「前期の作品に通じるナンバーばかりが集められている」と解説されていて、非常に納得。ベスト盤だからどの曲も良いけど、自分の好みは、コーラスで盛り上げるハードな「アイウォントイットオール」、ヘヴィで荘厳な「イニュエンドゥ」・・・そして「ザショーマストゴーオン」。どうしても、結果的にフレディの絶唱という感じで聴いてしまうので、悲壮というか凄絶というか鬼気迫るというか、そんな形容をしたくなるのであった。

ロックは他のジャンルを何でも取り込める融通無碍な音楽なので、グレートなロックバンドは、バンドそのものが一つの音楽ジャンルになると言っても良い感じ。ということで、クイーンもまた、クイーンというジャンルだったな、と。

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2011年1月24日 (月)

「シチリア」の映画

シチリアに行く前の予習?のつもりで、映画「シチリア!シチリア!」を先日見に行った。原題は「バーリア」。シチリアの州都パレルモ、その東にあるバゲリーアという町の方言名だそうだ。時代は戦中戦後、そのバーリアを舞台に、主人公の少年時代から初老の頃まで、家族の物語が叙事詩的に描かれている。しかしファシズム、コミュニズムそしてマフィアと、イタリアの戦後史が背景にあるせいか、イタリア人以外には感情移入がしにくいと思われる話の展開で、上映時間2時間半は少々しんどい感じもありました。

監督はシチリア出身のジュゼッペ・トルナトーレ。といえば有名なのは「ニュー・シネマ・パラダイス」。これもシチリアを舞台にした作品。実はこの正月休み、暇つぶしに「ニュー・シネマ・パラダイス」をDVDで観た。劇場公開版よりも50分も長いディレクターズ・カット、完全版というやつだ。泣ける「感動名作」という触れ込みではあったが、正直ただのメロドラマだった。もっと若い時に観たら、また違ったのかも知れないが。アマゾンのレビューを見ると、完全版よりも劇場版の方が好きだという人が多いけど、まあ~どっちにしてもそれ程の名作という感じはしなかったな。

どうも自分は、シチリアあるいはシチリア人を描いた映画といえば、「ゴッドファーザー」(PARTⅡ)ってことになっちゃうな。ま~基本的にはマフィアだから、これでシチリアのイメージを持たれたらシチリアの人は迷惑だろうけど。

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2011年1月23日 (日)

『小栗上野介』(平凡社新書)

歴史とは勝者の歴史だ。周知のことである。しかし仮に勝者が正しいとしても、いつも敗者がアホバカマヌケだったとは限らない。多くの場合、能力の優劣にはそれ程差はなく、いわゆる時代の流れ、勢いに乗った側が勝者と成りおおせた。源平合戦、南北朝、関ヶ原、そして明治維新でも。倒幕側の薩長には先見の明があり英傑が数多く現れたのに対し、幕府側の意識は遅れていて人材にも乏しかった、という印象があるかも知れない。しかし実際には倒幕佐幕を問わず、世界に目を向けようとしていた有能な人はいて、勢いのある倒幕側にいた人が多く目立っただけだろう。

近年、幕府側の有能な人材として名前の挙げられることの多い、小栗上野介忠順(おぐりこうずけのすけただまさ)。江戸幕府の高官として、幕末の近代化政策を提言し推進したこの人物について、『小栗上野介』(村上泰賢・著、平凡社新書)は、その生涯と業績の概要を教えてくれる。

この本の内容の半分近くは、小栗も参加した幕府の遣米使節についての記述が占めている。使節は1860年1月に出発して9月に帰国。小栗は、初めて世界一周を果たした日本人の一人となった。訪問先の米国ではあちこちの都市で大歓迎を受けたという。何だか天正の少年遣欧使節に似ている。出発直後に最高権力者(幕末は井伊直弼、天正は織田信長)が暗殺されて、帰国してみたら世情は大きく変わっていたというのもおんなじだ。まあ似てるなと思っただけで、だからどうだこうだというのもないんだけど。

帰国後の小栗は、その経験と能力を買われて外国奉行、勘定奉行、陸軍奉行、軍艦奉行などを歴任する。実務能力に長けた人物であったことは間違いない。小栗の業績の第一として挙げられるのが横須賀造船所の建設。他にフランス語学校の設立、日本初の株式会社の提案、あるいは米国側との銀の交換レートの共同検証など。しかし大政奉還と共に失脚し、上州に隠遁した小栗は、それから間もなく、官軍に捕らわれ、ただ殺すことが目的であるかのように処刑されてしまう。享年42歳。日本の近代化の種を多く撒いたと思われる有能な人物の最期は無残なものだった。こういう類の事例の少なくないのが、明治維新という時代の嫌なところだ。

小栗は、「幕府の運命に限りがあるとも、日本の運命には限りがない」と語って、横須賀造船所の建設に取り組んだという。自分の立場がどうなろうとも、国の将来のためにやるべきことはやるという気概。これはもちろん、今の政治家にも求められているものだ。

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2011年1月18日 (火)

雑感・抗がん剤の是非

近藤誠論文「抗がん剤は効かない」に対する専門家の批判が、週刊文春(1/20号)に掲載されている。反論記事では、10項目の論点を取り上げて、6つは誤りだという。ただ、専門家が近藤説を「暴論」とする論拠の多くは、テクニカルな印象で素人的には判断が難しい。そこで、抗がん剤の延命効果について述べている部分からメモしてみる。

近藤氏の論文は、抗がん剤に「延命させる力はない」と断言していますが、これは間違いにしても、延命効果が短いという指摘ならば、場合によっては当たっています。統計的に見ると、抗がん剤の延命効果は、ものによっては数ヵ月です。これを長いと見るか、短いと見るかは人それぞれでしょう。その程度の延命のために副作用で苦しい思いをするならば、治療をしないという選択をする患者さんがいても不思議はありません。

たしかに、抗がん剤が効くどころか、そのおかげで命を縮めてしまったとしか思えない患者さんがいるのもまた事実です。抗がん剤を投与する医師は、専門知識を備えたプロでなければならず、また医師も患者も「薬が合わないようなら、いつでも抗がん剤治療剤をやめる」選択をする勇気を持っていなければならないのですが、その考え方はまだ十分に広まっていません。ただし、これは抗がん剤自体の問題ではなく、日本のがん医療体制の問題です。

・・・この辺は、反論記事としてはビミョーな感じ。もう一つ、素人的に気になる経済的観点、要するにがん治療費は高額であることについて、週刊現代(1/29号)記事からメモ。

理想の薬とされる分子標的薬だが、「費用」の問題がある。旧来型の抗がん剤の数倍、十数倍という具合に、値段がべらぼうに高いのだ。1ヵ月に20万~30万円くらいかかるのは当たり前。問題は、その高額に見合うだけの効果があるかという点だ。薬剤費が月に60万円かかるが延命効果は3ヵ月という分子標的薬や、二度目の抗がん剤治療だと、やはり月60万円で1.5ヵ月の延命効果しかないものもある。

・・・費用対効果的にどうかという面もあるけど、結局、投与してみないと抗がん剤の効果や副作用の程度は分からないのが現実だろう。それだけに、「個々の患者に合わせた細やかなオーダーメイド的な治療ができるかどうかが重要」だと記事は結んでいる。

自分には、抗がん剤の恐ろしさに無知だったという後悔にも似た思いがある。18年前のこと、抗がん剤治療を受けていた母の容態が急激に悪化した時、医者から「薬ががんの進行を止めた可能性はある」と説明されて唖然とした。「手術は成功したが患者は死んだ」というブラック・ジョークは、真実を言い当てていたのだ。抗がん剤が「効く」としてもその程度の話で、抗がん剤でがんが「治る」などと思っちゃいけない。そして、できれば医者とは関わりにならない方がよろしい。(でも自分も最近手術入院しちゃったけどさ)

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2011年1月16日 (日)

抗がん剤は効かない

がん治療のあり方に一石を投じた『患者よ、がんと闘うな』から15年、近藤誠先生があらためて自らのがん治療に関する「最終見解」を世に問うている。「文藝春秋」2月号掲載の立花隆・近藤誠対談からメモ。

立花:最近著(『あなたの癌は、がんもどき』)は、ほとんど抗がん剤を全面否定しているかのように読める。近藤さんの最終見解は、全面否定なんですか?
近藤:誤解がないように言っておきますと、急性白血病や悪性リンパ腫などの「血液のがん」の大部分と、固形がんの中の子宮のじゅう毛がんと睾丸のがん、そして子供のがんなどでは、抗がん剤が第一に選ばれるべき治療法です。しかし、これらを除くがんは、抗がん剤ではまず治らない。それが最終見解です。
治らなくても寿命が延びればいいのではないか、という考え方も当然あります。これに対しては、寿命は延びない、あるいは寿命が延びたという証拠はない、という言い方ができると思います。

立花:先生のところでは、無治療でウォッチするだけ、みたいなオプションがあって、それを選択する患者が結構いらっしゃいますよね。
近藤:そうです。何か症状が出るまで様子を見ようというのは必ずオプションに入れていて、例えば胃がんとか肺がんで、治療の選択肢が抗がん剤しかないということになると、「じゃ、様子を見ます」という人が、僕の患者ではむしろ多数派ですね。

立花:今後の抗がん剤の可能性についてはどうお考えですか。
近藤:旧来の殺細胞毒としての抗がん剤は、ほぼ先行きはないでしょう。分子標的薬については、うまく働く、つまり効く抗がん剤が生まれる可能性はあると思います。しかし、少なくともこれまでの固形がんに対する分子標的薬は副作用も強く、うまく働いているとは言いがたい。すべて落第と言わざるを得ないと思います。

・・・近藤先生の主張というか、がん治療に対する基本姿勢は以前と同じみたい。てことは逆にいえば、がん治療を巡る状況もあんまり変わってないってことらしい。

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2011年1月12日 (水)

「トイレの神様」は沖縄伝来?

植村花菜の歌う「トイレの神様」を、年末にたまたま聞いた。曲名は何となく知っていたが、歌手自身のおばあちゃんのことを歌っていたというのは、その時初めて分かった。

特にどうということもない歌なんだけど、なぜだか訴えかけるものがある。それはやっぱり、それだけ歌い手の思いが強いってことなんだろう。

雑誌「ダ・ヴィンチ」2月号に、植村花菜のインタビュー記事がある。その中で、取材記者が「トイレの神様」について以下のように述べている。

トイレ掃除をすると美人になるという俗信は、関西でよくいわれる。植村さんのおばあちゃんは鹿児島県の沖永良部島から、若くして関西に出てきたそうなので、どこかでそうした俗信を耳にしていたのだろうか。あるいは、沖永良部島は沖縄文化圏にあることから、おばあちゃんがいうトイレの神様はフールヌカンの可能性もある。沖縄のトイレの神様で、他の神様では無理な願い事を聞いてくれる美人の神様。

・・・関西の俗信プラス沖縄の女神様が、「トイレの神様」ですか。日本にはいろんな神様がいるのですな。

(付記)フールヌカンについては、こちらのブログが参考になります。

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2011年1月11日 (火)

行け行けタイガーマスク

本日付日経新聞朝刊1面コラム「春秋」は、「50歳前後の男性の中には、胸が熱くなった人もいるのではなかろうか」という文章で始まり、例の「伊達直人」のプレゼントについて書いている。しかし50歳前後って俺だよ、俺。ずばり指名されたみたいな感じ。その俺、別に胸が熱くはならなかったが、「伊達直人」って若い人に分かるのか、「ちびっこハウス」とかさ、ってちょっと心配した。

まあ「タイガーマスク」について印象の強かったことを少々語ると、「虎の穴」から送り込まれた悪役レスラーで「ミスター・ノー」というのがいて、これが目、鼻、口を出していない、白いノッペラボーの覆面レスラーなのだ。で、実は全身着ぐるみ状態で頭の部分は鉄の球を乗っけていて相手に頭突きをくらわすという、とんでもないヤツなのだった。これはマンガだから成り立つので、実際にこんなことやったらバレバレである。しかしそのとんでもなさゆえに記憶に残ってしまった。(笑)

そしてタイガーマスク、虎の穴とくれば、やっぱりミスターX。何であんな魔術師みたいなカッコしてプロレス会場に出入りするのだ?(笑)
しかもとっても顔色が悪い。青白~くて大丈夫かと思ってしまう。「He looks pale」という英語の例文を見ると、ミスターXを思い浮かべてしまうのだ。(苦笑)

アニメのエンディングの歌は結構哀愁漂っていた。強ければそれでいいんだ~力さえあればいいんだ~で始まり、それだからみんなの幸せ願うのさ~で終わる。(という記憶)

日本のあちこちに現れた「伊達直人」も、みんなの幸せを願っている、はず?

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2011年1月 3日 (月)

特別展「江」を見る

正月休み最後の今日、両国にある江戸東京博物館の特別展「江 姫たちの戦国」を見てきた。もちろんNHK大河ドラマに足並み揃えた企画展だけど、内容はいろんなモノがいろんな所から集められて割と充実してる印象。じっくり見ると疲れる(苦笑)。2月20日まで開催。その後は春に福井、夏に長浜に巡回予定。

浅井三姉妹(茶々、初、江)の父は浅井長政、母はお市の方。小谷城、北庄城と2度の落城を経験した後、三姉妹はそれぞれの人生を歩む。茶々は豊臣秀吉の側室、淀殿となり、初は京極家に嫁ぐ。そして江は3度目の結婚で徳川秀忠の妻となった。

江は二人の男の子を生み、兄の竹千代(家光)よりも弟の国松(忠長)を愛していたという。しかし竹千代の乳母、春日局の後押しもあって、家光が秀忠の次、3代将軍となる。その後徳川忠長は駿河の領主になるのだが、結局若くして自害に追い込まれている。

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特別展には、忠長が作らせたという、崇源院(江の死後の贈り名)の位牌を収めるための宮殿が展示されている。
《 宮殿:くうでん。厨子の一種。宮殿形厨子とも。厨子は仏像、経典、位牌などを納める仏具 》
芝の増上寺とは別に、忠長が領内の駿府に崇源院の霊廟を造営し、この宮殿を安置したとされる。高さ2.38メートル。機能としては仏壇、見た目はプチお堂、ですかね。きらびやかで立派な作り、なるほど忠長の亡き母の極楽往生を願う気持ちが現れているようだ。母と子の情愛で結ばれた絆を感じさせます。

そういや、年末のテレビ番組で、家光は家康が春日局に生ませた子供だとかいう話をやってたな。どへー。

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