国民の「総意」とは
憲法第1条には、天皇の地位は主権の存する日本国民の総意に基づく、とある。国民の「総意」が意味するものとは何か。9月25日付朝日新聞、憲法学者・西村裕一氏のインタビュー記事からメモする。
憲法学の通説によれば、天皇の地位が国民の「総意」に基づくとする1条の趣旨は、天皇の地位の根拠は神勅ではなく国民の意思にあり、天皇制を維持するか廃止するかも、国民の意思にかかっているという点にあります。
国民の「総意」に問われているのは、女性差別をはじめとする様々な差別を内包させた天皇制というシステムを、これ以上存続させるかどうかのはずです。
日本国憲法は、「戦争の惨禍」を引き起こした旧支配者に対して、新しい主権者となった国民が「押しつけた」文書であるという側面を持っています。憲法の冒頭に天皇と戦争放棄が置かれたのは、そのような憲法の性格を示しているとも言えるでしょう。
憲法第1条が、天皇に象徴として生きることを強いているのも、昭和天皇の戦争責任が免責された代償であると考えれば理解できます。しかし、昭和天皇が非人間的な生を強いられるのはいざ知らず、その孫やそれ以降の世代にまで、そのような犠牲を「押しつける」ことが許されるのかどうか。「日本国民の総意」に問われているのは、この点なのではないでしょうか。
・・・日本国憲法は、主権者である国民が、旧支配者に「押しつけた」憲法である、という理屈は初めて目にした。そういうロジックも成り立つのかもしれないが、ふつうはアメリカが押しつけた憲法として理解されているように思う。
それはともかくとして、象徴天皇制は、昭和天皇が戦争責任を免責された代償、という見方にはちょっと考えさせられた。嫌な言い方をすれば、戦争責任を問われない代わりに、昭和天皇は不自由な生という罰を与えられたのではないか。象徴という役割の裏側に、戦争責任の免罪符が張り付いている感じ。しかしそう考えると、昭和天皇の死と共に、象徴天皇制も実質的に終わったことになる。
昭和天皇の次の天皇は、自らが信じる「象徴」の役割を、皇后と共に実行した。戦没者慰霊の旅を続け、大きな災害が起きれば、現地に赴き被災者に寄り添い励ました。そして自ら作り上げた象徴の内実、その勤めを果たせなくなったと自覚した時に退位した。さて今後も、戦没者慰霊や被災者に寄り添い続けることが、象徴天皇の勤めなのか? 象徴以外に天皇の役割はあるのか? 無いとしたら?
今も天皇家は存続している。しかし皇室のことは、国民にとってほぼ他人事である。象徴天皇制は形骸化して無いに近い。しかしこちらは他人事であってはならない。憲法に、天皇の地位は「国民の総意」に基づくと書いてあるのだから。天皇制を止めるなら止めると、はっきり決めないといけない。それが主権者である、ということなのだから。
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