2021年10月20日 (水)

秋の土用

ただ今、牛丼「松屋」が「うな丼」を販売中。10月20日と11月1日は土用丑の日、と謳うポスターを店頭に貼り出して、アピールに余念がない。

土用丑の日というと夏のイメージ。しかし土用とは季節の変わり目の期間、すなわち立春、立夏、立秋、立冬の前の18日間をいう。とのことなので、実は年に4回ある。なので土用の丑の日も、各土用に1~2回、年で4~8回あることになる。松屋は春にも、土用丑の日を広告してうな丼を販売していた。で、夏は当然として、秋にもうな丼を登場させたということは、うなぎをオールシーズンの商品にする積りのように思える。(さすがに冬のうな丼販売は想像しにくいけど)

夏の土用丑の日のうなぎは本来、夏の終わりの体力が落ちてきた時に食べるものなんだろうけど、今は梅雨明けの夏真っ盛りに食べるタイミングになるので、ちょっとズレた感じになっている。土用の意味する本来の季節感、つまり季節の変わり目をより意識しながら、松屋の提案に乗って夏に限らず、うなぎを味わってみるかな。

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2021年10月13日 (水)

関西弁「知らんけど」活用

関西人は、話の最後に「知らんけど」と付け足すことが多いらしい。そしてこれが今、全国的な流行りの言い方にもなっているとか。日経新聞電子版10/12発信記事(関西弁、最後に「知らんけど 笑い絡ませ表現に奥行き)からメモする。

関西の人々は実際、どれだけ「知らんけど」という言葉を使うのか。天神橋筋商店街(大阪市北区)で聞いてみた。「毎日使う」と答えたのは8割以上。60代以上は使わない人が多かったが、若い世代では大半の人が日常的に口にしているようだ。伝聞に基づく話だったり個人的な見解だったり、曖昧さを含む内容の場合に、責任回避や照れ隠しの意味合いで用いるようだ。会話の面白さを優先して持ちネタを披露し、最後に「知らんけど」とオチをつけるパターンも。相手から「知らんのかーい」とツッコミが入ることもあるという。

多分にお笑いの世界にも通じる要素を含むようだが、いわゆるバズワード(はやり言葉)化したのはいつ頃か。大阪大大学院文学研究科の金水敏教授が調べたところ、ツイッターでは2012年に「知らんけど」の用法に言及した投稿が登場。本格的に流行したのは最近3~4年だ。

「江戸(東京)は武士の社会で、責任のある言動が何よりも大事だった」。金水教授はこう指摘する一方、大阪は昔も今も商都で「相手を楽しませる会話は、新たなビジネスの創出につながる。日ごろから笑いを重視するのはそのためではないか」と語る。実際に、関西ではビジネスの場でも笑いが重視されるという。相手がつっこまずにはいられない笑い話をあえて盛り込み、取引先との距離を縮めるのも商談のテクニックなのだ。

「知らん」は語尾で意味が変わる。「知らん」は「本当に知らない」で、「知らんわ」は「私も知らない」という相づち。「知らんねん」は「知らなくて申し訳ない」という意味を含み、「知らんし」や「知らんがな」は「どうでもいい」「興味ない」。言葉の表情の豊かさに関西弁らしさが漂い、SNS上でも話題だ。

・・・いかにも関西弁らしい「知らんけど」活用。覚えておいて損はないぞ。知らんけど。

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2021年9月13日 (月)

「させていただく」敬語

「させていただきます」というのは、聞いた時にどうも居心地の悪い感じがする言い方だと思うのだが、使う人は何とも思わないで使っているのかな。いるんだろうな。そんな「させていただく敬語」の裏にある無意識を、コラムニストの小田嶋隆が大批判。日経ビジネス電子版9/10付コラム記事(「させていただく敬語」に抱く敵意の正体)から以下にメモ。

いったいに21世紀の日本人は、させていただきすぎる。この言い方を用いる人々は、自分が主体的に行動したことを表現しているはずの動詞語尾を「させていただく」「引き受けさせていただく」「お知らせさせていただく」てな調子の使役+謙譲語の疑似敬語に変換することで、危険回避をはかっている。

思うに、「させていただく」敬語は、行為者を曖昧化する(というよりも、これは、自分が主体的に為していることを、誰かの許可ないし命令に従って実施している事柄であるかのように偽装した表現だと思う)ことで、責任を回避する話法だ。これを多用する人間を私は信用しない。

単なる言葉づかいの問題としては、「人前でものを言う時には、とりあえず敬語っぽく響く日本語を使っておくことにしよう」「断定的な語尾は避けておいたほうが無難かな」という程度の気分なのかもしれない。

しかし、この言い方が野放図に蔓延したことで、結果として、万事に安全第一を旨とする腰の引けた責任回避思考が国民のデフォルト設定になってしまった気味は否めない。

・・・こんな風に分析されると、なるほどねって思うわけです。要するに何か「ズルい」感じがするわけね。

司馬遼太郎が書いていたのは、「させて頂きます」という語法は、浄土真宗の教義から出たものだ、という話(『街道をゆく』近江散歩)。真宗では、すべて阿弥陀如来によって生かしていただいている。そういう絶対他力を前提に成立する語法が「させて頂きます」。もっとも今は他力への信仰は消滅して、語法だけになっている、ということだけど。

自分の記憶では、かつての鳩山由紀夫首相が「させていただきます」を多用していたような気がする。やっぱり印象は良くない・・・。(苦笑)

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2021年8月 7日 (土)

日経新聞に「ちくさ正文館」の話

本日付日経新聞「交遊抄」の執筆者は、ブックデザイナーの祖父江慎さん。以下にメモする。

大学受験に失敗して予備校に通っていた頃、昼休みの時間は必ず近くの書店に立ち読みに通っていた。ちくさ正文館書店本店(名古屋市)だ。毎日同じ時間に立ち読みに行く。お店の人(店長の古田一晴さん)がときどき僕の様子を見に来る。注意されることは一度もなかった。
ある日、読み続けている本の隣に新しい本が並んでいた。新刊ではなく、ちょうど立ち読みしてる内容とリンクした気がかりな本だ。読みたい本が増えてしまった。しばらくして気がついた。古田さんからの君への次のお薦めの本はこれです、というメッセージだった。

・・・その後も祖父江さんは古田さんと話すことはないまま、大学合格後は東京に出てきたのだが、浪人時代の古田さんとの出会いに感謝している、という。祖父江さんは1959年生まれなので、おそらく約40年前の、本屋さんを巡るちょっと良い話。

ちくさ正文館が売る本のメインは人文・アートの書籍だ。古田さんは今では業界の名物店長として知られる人物。店舗は以前、千種駅周辺に2店舗あったのだが、最近駅前のターミナル店を閉めて、そこに置いてあった参考書やコミックが本店に入ってきた。ので、人文書メインの書籍フロアは以前の半分になってしまった。昨今の書店経営の厳しさを感じると共に、読者としては何となく困った気分になるのだが、結局時々本を買うくらいしか応援できないので、どうにももどかしい思いがある。

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2021年8月 2日 (月)

京急「北品川」駅名の謎

京浜急行の品川駅から横浜に向かうと、最初に北品川駅を通る。つまり北品川駅は、品川駅の南にある。何でかなあと思っていたのだが、この「品川」は、かつての宿場町である品川宿を指しているとのこと。日経新聞電子版8月1日発信記事(品川駅の南になぜ北品川駅?)からメモする。

「名前の由来は東海道の品川宿です。品川宿の北側にあるから北品川、となったんです」(京浜急行電鉄株式会社営業企画課)

品川宿は、東海道五十三次の宿の一つで、日本橋から出て最初の宿場町だ。現在の京急北品川駅から青物横丁駅にかけて続いていて、東海道の玄関口として栄えた。江戸時代はむしろこちらが本家本元の「品川」だったのだ。
古地図を見てみると、「北品川」という地名が確かにあった。北品川は古くからの地名でもあった。ちなみに現在、北品川のほかに「南品川」「東品川」「西品川」も存在する。いずれも品川宿を中心に配置されていた。

・・・品川駅の所在地は品川区ではなく港区、ということを知ってる人は少なくないと思うけど、北品川駅の由来についても知っておいた方がいいかもね。

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2021年3月 2日 (火)

ドリアは日本で発案

ドリアって日本で考え出されたのか!日経電子版2/28発信記事「ドリアは日本発」を読んで知る驚きの事実。言われてみれば、ごはんの料理ではあるけれど・・・よもやよもやの日本生まれとは。同記事から以下にメモ。

ドリアはファミリーレストランでも人気のメニューであり、西洋の料理のようにも思えるが、実は日本生まれ。

これが誕生したのは横浜市にある老舗のホテルだ。
「ドリアはホテルニューグランド発祥のメニューでございます。誕生した年度は定かではございません。開業が1927年で、1935年のメニューには記載がございますので、おそらく1930年ごろではないかと推測しております」(ホテルニューグランド営業企画部)

生みの親は初代総料理長のサリー・ワイル氏。同ホテル開業時にパリから招へいされたスイス人シェフで、フランス料理が専門だが、普段から国籍も多様な客からのリクエストに応え、さまざまな料理を作っては提供していたそうだ。あるとき、外国人客からの「体調が良くないので、のど越しの良いものを」との要望を受け、即興で作ったものがドリア。バターライスにエビのクリーム煮をのせ、グラタンソースにチーズをかけてオーブンで焼いたものだった。これが好評を博し、ホテルのレギュラーメニューに。さらにワイル氏の弟子たちによってほかのホテルや街の洋食店でも提供されるようになり、全国に広まっていった。今ではファミレスやコンビニ弁当のメニューにもなるほど一般的なメニューである。この「元祖ドリア」、今でもホテルニューグランドで当時のままの味をいただける。

・・・ごはんの国ニッポンでスイス人シェフが発明したドリア。食の和洋折衷と思えば、カレーライスに近いかも。「洋食」という名の日本食、その革新性に改めて感心してしまう。
記事によれば、レストランチェーン「サイゼリヤ」の提供する「ミラノ風ドリア」も、お店の「賄い料理」が1983年にメニュー化されたものだという。なのでミラノにミラノ風ドリアは無い。イタリアにスパゲッティナポリタンが無いのは知っていたが、ミラノ風ドリアも無いのだな。(笑)

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2020年12月19日 (土)

欧米人の「マスク拒否症」

日本の新型コロナウイルス感染者数が比較的少ないのは結局、みんな大人しくマスクをしてるから、ということになるのかな。『世界のニュースを日本人は何も知らない2』(谷本真由美・著、ワニブックスPLUS新書)から以下にメモ。

日本人にはもともと「マスクをする」という習慣があり、インフルエンザが流行る時期や花粉症の季節にはマスクをする人が街中に溢れます。
ところが海外は違います。台湾や中国では、マスクはめずらしくありませんが、アメリカや欧州、オセアニアでは、マスクは真っ向から否定されていて、身につける習慣があるのは医療関係者だけでした。
彼らにはもともとマスクをつける習慣がありませんから、新型コロナで死者が大量に出ても、マスク着用を頑固に否定する国が多かったのです。

そもそも、彼らはマスクに対して大変な抵抗感があるのです。なぜかというと、「マスクをする人=異常な病気にかかった人」というイメージがあるからです。
さらに、マスクは弱者は病気の象徴であり、目にするだけで不気味だという考え方もあります。
英語圏の映画やドラマなどを観ると、口元を隠しているのは悪役や異常な行動をする人など、要するにヤバいキャラばかりです。
なぜ口元を隠すことがヤバい人の象徴なのか? それは他人と話すとき、英語圏の人々は相手の口元を見て、その人の感情や心を読みとっているからです。ですから口を隠すということは「自分の本心を隠す」ということ。

マスク騒動でわかるのが、一見合理的にみえる欧米の人々でも、実は日本人以上に科学を軽視し習慣や因習にとらわれる側面がある、ということです。

・・・自分も、マスク好きなど日本人の清潔感覚は度を過ぎていると思うこともあるのだが、その感覚が有利に働いたということであれば、今回のコロナ騒動では日本人でよかったという感じだ。

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2020年11月30日 (月)

ポテサラはロシア生まれ

日経新聞電子版(日経スタイル)の11月29日付記事から以下にメモ。

日本人なら誰でも好きなポテトサラダ。そのポテトサラダの起源はいかに? 日本では「ポテトサラダ」といえば、一般的にゆでてつぶしたジャガイモに野菜やハムなどの具材を合わせて、マヨネーズであえたものをいう。ということで、1925年に日本初のマヨネーズを発売し、ポテトサラダに関しても長年にわたり研究を重ねてきたキユーピーにうかがった。

「ポテトサラダの起源は、諸説ある中でも、19世紀にモスクワのレストラン『エルミタージュ』のシェフ、リュシアン・オリヴィエが考案したオリヴィエ・サラダ説が有力です」(キユーピー広報・グループコミュニケーション室)
FAOSTAT(国際連合食糧農業機関統計データベース)によると、2018年度のジャガイモの世界生産量は、1位中国、2位インド、3位ウクライナで、ロシアはそれに続く世界第4位のジャガイモ大国だ。

ロシア発祥のポテトサラダは世界各国に広がり、国ごとに独自のレシピを発展させたという。日本ではどう発展したのだろう。「日本では、大正時代に帝国ホテルでポテトサラダが考案されました。当時はハイカラな高級料理だったと想像できますが、戦後日本人の食生活ががらりと変わるなかで、学校給食にもキャベツ入りポテトサラダが登場するにいたり、日本独自の味に進化していきます」。

・・・加えてキューピーマヨネーズのコクのある味も、日本人のポテサラ好きを後押ししたようなのだが、それはともかく、ポテサラがロシア生まれだったいう、そのことが一番へぇ~って感じだった。

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2020年10月13日 (火)

「人・本・旅」のススメ

世界史好きの経営者として知られる出口治明氏。これまで日本の会社員は長時間労働を強いられ、特に男性は「飯・風呂・寝る」の生活に追いやられ、「学び直し」の時間を作ることも難しかったが、テレワークの広がりを機に「人・本・旅」の生活に転換してほしい、という。今週の「週刊東洋経済」(10/17号)掲載のインタビュー記事からメモ。

おいしい人生は知識×考える力だ。よくどんな本を読めばいいかと聞かれるが、自分が好きな本に決まっている。
付き合う人についても同様だ。どういう人と付き合えばいいかと聞かれるが、相性がよければ付き合えばいい。
旅については、ただ遠くに行くだけが旅ではない。近所においしいパン屋ができたと聞いたら、実際に行って食べてみる。それこそが「旅」で、そうした行動の蓄積が人間を形づくっていく。

・・・「人・本・旅」は出口さんが常々言ってることで、自分も同感する。その生活を実践する方法も、好きな本を読む、相性の良い人と付き合う、知らない場所に行ってみる、と実にシンプルだ。結局人間のやっておくべきことは、仕事を除けば「人・本・旅」になると思う。「人・本・旅」から多くのことを、人は学ぶことができる。学ぶことにより、人は自らを変化させる。ということは、「人・本・旅」は、自分が昨日と違う自分になるための手段である。
仕事をやめてリタイアした後に、やりたいことが見つけられない時は、それこそ「人・本・旅」をやっときゃいいんだと思う。

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2020年10月12日 (月)

五木寛之の語る「苦」

仏教でいう「苦」とは何か。今週の「週刊東洋経済」(10/17号)掲載の、作家・五木寛之のインタビュー記事からメモする。

世の中というのは、不合理で、矛盾していて、努力しても必ずしも報われるとは限らない。そういうことが積み重なっていく不条理な状態をブッダは「苦」と表現しました。
「苦」というのは苦しいのではなく、思ったとおりにいかないということ。不条理という言葉がぴったりなんです。人生は不条理なものだと。その中で何とか生きていくためにはどうすればいいのかということを、論理的に教えたのがブッダという人物でした。
人間の一生というのはつらいことの連続です。そう思っていると、違うことに触れたときの喜びが大きい。虚無的というのか、不条理を肯定する。ブッダが言う「苦から出発する」「人が生きることは苦だ」「人間の世界は苦の世界だ」という考え方は、非常に合理的なのです。

・・・仏教でいう「苦」は、苦しみではない。そのとおりだと思う。例えば四苦八苦の四苦、生老病死は、一見「苦しみ」に見えるかもしれないが、むしろ自分の意志では変えることのできない、いわば純然たる身体的出来事である、と考える方が正確ではないだろうか。このほか、愛する人と別れてしまうこと、憎む人と出会ってしまうことも、四苦八苦に含まれている。これはいわば物理的な出来事だ。身体的物理的、つまりフィジカルな出来事は、自分の心ではどうすることもできない、ということを「苦」は意味しているのだと思う。そして、この世の根本は苦だと割り切れば、むしろ心は平安を得られるという、逆説的な認識を得ることも可能だろう。

付け加えると、昭和7年生まれの作家は、自分たちの親世代の人である。つまり少年少女時代の戦争の経験を記憶している。同じ記事の中で、作家はこう語っている。「僕は敗戦の年から、ずっと同じ考え方なんです。あの価値変動の中で、国も政府も全部ひっくるめて、すべて信用できない」。自分はいつも、作家の言葉を親世代の言葉として聞いている。

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