2009年12月20日 (日)

駿府を歩く

今日は駿府、要するに静岡、を歩いた。例によって「JR東海さわやかウォーキング」である。

静岡駅の隣の東静岡駅からスタート。護国神社から谷津山を上って下りて、市街地を通って、駿府公園に至る。そこから北に向かい、臨済寺から折り返して南下、浅間神社を通って、静岡駅にゴールする、というコース。天気はよく晴れてたけど、いやもう風は冷たいし、鼻水たらしながら歩いてた。(苦笑)

駿府公園は、駿府城の跡地。駿府城といえばもちろん、将軍職を退いた徳川家康が大御所として居住した隠居城。今はもう、城跡の風情も余り残っていない、だだっ広い公園だけど、東御門・隅櫓など一部の建物が復元されている。

P1030376 臨済寺は、今川氏の人質となった少年・家康(竹千代)が、勉学した寺とのこと。お寺の門のところにある説明板には、概略以下のように書かれている。
「臨済寺は、今川義元の軍師太原雪斉が開山した。この時代が今川家の最盛期でもあった。徳川家康は竹千代時代、今川家の人質として、この太原雪斉から文武両道を学んだ。雪斉は弘治元年(1555年)10月10日、60歳でこの世を去った。雪斉の没後5年の永禄3年5月、桶狭間の合戦で義元が敗死。今川家は雪斉によって興り雪斉を失って衰亡したといえる。」

織田が今川を滅ぼした後、豊臣を経て、今川のもとで学んだ家康が天下を取る・・・何となく因果は巡る風車という感じ。

P1030380 浅間神社から静岡駅に向かう浅間通りの中程に、山田長政の生家跡という説明板があった。江戸時代初めに、タイの日本人町で活躍した、そういう人いましたねえ。駿府の出身ですか。胸像も置かれていたけど、商店街という環境の中で、そこはかとなく場違い感を醸し出していた。しかし、こういう胸像を見ると、「新春かくし芸大会」のハナ肇を思い出してしまう。(刷り込みだよ。笑)

家康の駿府入りからその死まで(1607~1616)、大御所時代は10年にも満たないけれど、確かにその時、駿府(静岡)は日本の「中心」だったと言えるのだろう。

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2009年10月18日 (日)

小田原一夜城まつり

P1030276 今年6月に石垣山一夜城に行ったが、「一夜城まつり」が毎年秋に催されているとのことを知り、どんなもんかと祭りの当日である今日、石垣山を再訪した。

会場の石垣山一夜城歴史公園には、結構多くの人が集まってそれなりの賑わいだった。二の丸広場には模擬店が出されていたほか、ステージが設けられて太鼓演奏や踊りなどがプログラムされていた。写真は「小田原評定」の様子・・・とのことであります。

まあ戦国時代系のお祭りは大概、地元のイベントという性格のもので、県外から観光客を多数呼び込むという大それたものではないです。関ヶ原や長篠など古戦場で行われるまつり、安土や岐阜の信長まつりもそうだし、規模は大きくても名古屋まつり(三英傑行列)も基本的に地元のお祭りだなあという感じです。

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2008年4月 6日 (日)

佐倉城址公園へ行く

雑誌「歴史読本」5月号(特集:織田・豊臣の城を歩く)を読んで、何となく城跡に行きたくなったのだが、織豊系の城跡はどっちかといえば西日本に多い訳で、その点ではやはり名古屋にいた時は便利だったよなと思いつつ、どっか手頃な所に織豊の城は無いものかとネットを眺めていたら、佐倉城(千葉県)というのが目に付き、その城跡は公園になっていて博物館もあるというので、ちょっと行ってみますかという気になって出かけた。

ウチのある葛西から電車を乗り継ぎ1時間程で京成佐倉駅に到着。目指す国立歴史民俗博物館までは駅からバスも出ているが、歩いても15分~20分というところ。

P1020341 博物館の展示は予想以上に充実。古代の前方後円墳、平安の王朝文化、中世の民衆生活、大名と一揆、印刷や鉄砲などの技術、近世の海外交流(オランダ、朝鮮、台湾、アイヌ)、都市社会と文化等々、日本の歴史にどっぷり浸かってしまった。江戸時代までの展示で充分に、過去の日本人の営みの多様さと変転を改めて思い知らされた感じになり(要するに疲れた)、続く近・現代史の部屋は流して見たものの、それでも展示を一通り見学するのに2時間を費やしたのだった。展示室外のフロアには、ミュージアムショップがあるほか、注目したいのは全国の歴史博物館の図録コーナー。各地で催された企画展の図録などがたっぷり揃えられているので、歴史ファンには利用価値高いんじゃないかと。(ちなみにワタシは安土城考古博物館発行の図録を一部購入しました)

P1020358 佐倉城はいちおう織豊系の城郭とされるが、石垣は無い。石材の入手しにくい関東では、江戸時代でも土作りの城が作られていたらしいのだが、石垣の無い城跡はやっぱり物足りないよ~。(もしかして石垣フェチになりつつある?)
とりあえず上の写真は博物館(白い建物)の横にある大きな空堀(綺麗すぎるけど)。「馬出し空壕」と称されている。下の写真は天守閣跡から見た本丸跡。お花見の人出が多くて、思いっきり公園。(笑)

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2008年3月22日 (土)

広島城に行く

春分の日20日の柳井に続き、休暇を取った21日は広島城を訪ねた。

P1020327 毛利輝元(元就の孫)が築いた広島城。その天守閣は国宝に指定されていたが、原爆により倒壊。現在の天守閣は昭和33年(1958)に再建されたもので、今年は再建50周年に当たる。写真は天守閣、手前に並べられている石の列は天守閣の礎石で、再建時に移設されたもの。

毛利氏の後、二代目城主は福島正則。言うまでもなく、豊臣秀吉子飼いの武将。関ヶ原の戦いで徳川家康に味方し勝利に貢献した正則は、安芸備後49万石を与えられ、広島城に入り城下町の整備を図った。しかし元和5年(1619)、広島城の「無断修復」を咎められる形で改易、領地没収の憂き目にあう。以降は浅野氏が歴代城主となった。

先月2月13日に放映されたNHK「その時歴史が動いた」で、福島正則改易の経緯が描かれていた。
関ヶ原の戦いの後、秀吉の遺児・秀頼を守る同志・加藤清正が世を去り、豊臣と徳川の関係も方広寺鐘銘事件をきっかけに急速に悪化。正則は秀頼・淀殿を諫めるなど事態改善のために動くものの、結局大坂夏の陣で豊臣氏は滅亡する。おそらくは深い失望を味わったであろう正則に対して、追い打ちをかけるかのように下された改易命令。これは2代将軍徳川秀忠が、自らの権勢を示すために豊臣恩顧・外様の大大名・福島正則を狙い撃ちしたという面もあるようだが、反乱を招きかねない危険な賭けでもあった。しかし正則は、もはや平和を破り秩序を乱す時代ではないことを悟ったのか、潔く改易処分を受け入れる。関ヶ原から19年後、豊臣氏滅亡から4年後のことだった。

福島正則というと武闘派というか、石田三成という理知派と対比されて余計に強面イメージだけど、平家納経の修理という文化的事業も手がけているし、酒好きで義理人情に厚いという、いかにも豪傑な感じで憎めない面もあったようだ。そんな人物が時代の大きな流れの中で没落してしまう姿に、悲哀を感じずにはいられない。

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柳井を歩く

20日の春分の日、山口県の柳井を歩いた。古い商家が残る瀬戸内の小さな町。

P1020305 広島から更に西に向かって快速電車に乗ること1時間15分。目指す「白壁の町並み」は柳井駅から歩いて5、6分程の所にある。およそ200mにわたって江戸時代の商家の町並みが続くこの場所は、昭和59年に国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されている。国森家住宅、商家博物館むろやの園、甘露醤油資料館、しらかべ学遊館などの入場見学可能な建築や施設があるほか、三角餅(みかどもち)、金魚ちょうちん、柳井縞の木綿織物を扱うお店などが並ぶ。

こじんまりした感じで悪くはないです。しかし「白壁の町並み」と言えば、やはり倉敷が観光地としては圧倒的なのは間違いないのだな・・・。

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2007年10月20日 (土)

松尾山に上る(2度目)

おお! JR東海さわやかウォーキング定番コースの関ヶ原に松尾山が組み込まれた! これは事件だ!(大げさやな)

という訳で本日開催のウォーキングに参加するため、朝7時前の新幹線に乗って東京から西に向かって進軍した。(物好きやな)

名古屋から東海道本線に乗り換え、9時半に関ヶ原到着。いつも通り中高年の大群。皆さん熱心だ。まずは駅から西に向かって歩く。不破の関、常盤御前の墓を通過して、ぐるっと南側に回り込む格好で聖蓮寺の裏手から松尾山に上っていく。

P1020259 自分が松尾山に上るのは2年ぶり2度目。初めての時は駅から南進して、山の北側から上ったので、南側からも上れるとは知らなかった。標高293mの山道だが、自然歩道として整備されているため、道幅も広く比較的歩きやすい。11時前に山頂の小早川秀秋陣跡に到着、再び関ヶ原方面を写真に撮る。中央白い建物が小学校。そのすぐ左の辺りが石田三成陣のあった笹尾山。かつての合戦場をしばし眺めた後は山を下って北に向かい、小西行長陣から島津義弘陣を経て、石田三成陣から南に折り返し、そのまま駅まで戻ってゴール。約13kmの道のりを3時間15分程で歩いた。これまでは、松尾山を「ウォーキング」コースにするのはちとしんどいのかなという印象を持っていたが、実際に歩いてみるとそれ程でもなかった。まあ奈良井宿のコースも鳥居峠を上り下りする訳だし、これ位の高さの山をウォーキングコースにしてもおかしくないか。今日のコースに大谷吉継陣が加われば、戦国オタクとしてはかなり満足するものになるぞ。

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2007年9月15日 (土)

甲府を歩く

今日、JR東海さわやかウォーキング(静岡地区)が開催されたのは身延線の金手(かねんて)。どこにある駅かというと甲府駅から一個目。要するにウォーキングin甲府。ということで、新宿から朝8時2分発の特急あずさ臨時列車に乗って1時間40分で甲府着。そこから身延線に乗り換えて、中央本線に平行して走る線路を戻る格好で金手駅へ。JR東海主催のイベントに参加するのに、電車賃の大部分をJR東日本に落としていることに多少の後ろめたさを感じつつ(ウソ)、駅から程近い場所にある愛宕園(ぶどう園)からウォーキングスタート。

P1020171 当初曇だった天気は、10時過ぎくらいから晴れて陽射しも強くなり気温上昇。真夏日の暑さの中、距離およそ12kmのコースを歩く。武田氏ゆかりのお寺、信玄の墓、愛宕山の自然公園などを巡るのだが、メインとしては、やはり観光地的にも盛り上がっている様子の武田神社(武田氏の居館である躑躅が崎館跡)なんだろう。宝物殿(入場料300円)を見学し、境内で行われた太鼓の実演(写真)も見る。太鼓は結婚をお祝いするものらしく、側には新婚カップル(新郎は外国人、ていうか白人だった)と近親者らしき人々が数名いて、太鼓演奏を見守っていた。

今回、JR東海は特急を金手駅に臨時停車させてはいたが、ウォーキング参加者は通常よりは少なかった。やはり特急で来なきゃならんとなると、参加者が減るのは仕方ないかも。しかしウォーキングイベントでは回りに歩いている人がいることで、自分の歩くペースもできるということはあるので、今日みたいに参加者の少ないウォーキングは、前進するのにいつもより根性がいるのだった。暑かったし。

武田神社でうろうろした分を含めて、3時間15分程でスタート地点のぶどう園まで戻ってゴール。帰りは甲府駅前の舞鶴城公園(甲府城跡)、武田信玄像をざっと見て、2時9分のあずさで帰京した。

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2007年8月22日 (水)

防衛省へ行く(市ヶ谷記念館)

P1020132_3 先週のNHK特集2本を見てから、『パール判事』読書、記録映画「東京裁判」を久々に鑑賞と、気分は軽く「東京裁判モード」に。で、NHK特集の番組冒頭で市ヶ谷見学ツアーの様子が映し出されていたのを見て、そういえばそんなのやってるって何かで見た覚えがあるなあと、あらためて調べてみると、月から金の平日、毎日午前と午後の2回、「市ヶ谷台ツアー」として案内しているとのこと。本日、休みを取って行ってみた。

ツアーは午前の部が9時30分から、午後の部は1時30分からで、所要時間は2時間余り。自分が申し込んだのは午後のツアーだが、集合場所である防衛省正門に行ってみると団体客(福島からという)も来ていて、総勢約50人と結構多数の参加。

P1020134_2 正門から出発して巨大庁舎群を眺めながら歩き、敷地内の奥まった場所にある市ヶ谷記念館まで移動。建物の内部に入り、極東国際軍事裁判(東京裁判)の法廷として使われた大講堂へ。最初にビデオで市ヶ谷の歴史をざっと見た後、各種展示物などを見学。上の写真は大講堂内の様子。今あるのは見学者用の座席だが、東京裁判時は判事席の置かれていた側。奥の2階席は裁判時に一般傍聴席として使用。下の写真は裁判で使われた太平洋地域の大き な地図。こちらの側には判事席と向き合う格好で被告席が置かれていた。映像で見ると広い法廷のように思えるが、実際に入ってみるとそれ程でもない。かつての判事席側の片隅には「パール判決書」も展示されていた。

次に2階にある旧陸軍大臣室と天皇の休憩所を見た後、再び徒歩で移動。隊舎の横を通って厚生棟2階にある広報展示室へ。ここで自衛隊のイラク・クウェートでの支援活動のビデオを見るなどして、1階の売店近辺で休憩。そこから正門まで戻りツアー終了。

市ヶ谷記念館の建物は移築・復元ということで、何から何まで昔と同じという訳ではないが、歴史的な空間を維持・保存しておくのは大事なことだなとあらためて思う。

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2007年6月24日 (日)

ウォーキングの旅(三河一宮、掛川)

この土日は、「JR東海さわやかウォーキング」に参加する一泊旅行に出かけた。

23日(土) 天気:曇
P1020078 まず「砥鹿神社と山本勘助ゆかりの地めぐり」に参加するため、豊橋駅に停車する「ひかり」に乗って朝9時に豊橋着。飯田線に乗り換えて20分程でスタート地点の三河一宮に着く。例によって中高年の大群が押し寄せて、小さな駅のホームには人が溢れて歩くのもままならない。砥鹿神社~賀茂神社~本願寺(山本家の菩提寺)~山本勘助生誕碑(写真)~玉林寺~三明寺を経てゴールの豊川駅に至る約11.8kmのコースを、3時間10分かけて歩いた。
午後はそのまま豊橋から掛川へ行き、当地で宿泊。

24日(日) 天気:曇のち雨
P1020087 「千代と一豊ゆかりの城下町ウォーキング」、このコースを歩くのは2回目。朝8時40分頃、掛川駅南口を出発。コース距離は約12km、キリシタン燈篭~資生堂アートハウス~十九首塚(平将門)~龍尾神社を経て2時間余りで掛川城に到達。ここで昨年は、特設会場でNHK大河ドラマ「功名が辻」関連の展示を行っていたが、今年も(しつこく?)「功名が辻」プラス「風林火山」関連の展示を行う「戦国の館・掛川」を開館しており、いちおう見学。展示を見ながら、武田と徳川の攻防が繰り広げられた高天神城を、次に訪れる目的にしようかと、城跡ファンになりつつあるワタシは思うのだった。木造再建が売りの天守閣は昨年一度上ったのでもう十分、むしろ国の重要文化財である御殿の方が何度も見るべき建物だろうと再訪する(写真は御殿の内部)。高い天井、畳と襖、板の間、日本建築のベーシックな感じを確認する思い。見学と食事などでお城周辺に1時間半ほどたむろしてから、駅へ向かう。10分程でゴールの掛川駅北口に到着。13時5分の「こだま」に乗って帰京した。

ところで、山本勘助誕生地の碑は、静岡県富士宮市にもあるそうだ。どっちやねん。

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2007年6月 8日 (金)

バブルの遠い約束

P1020037 東京駅大丸デパート屋上のビアガーデンは、今年の夏が最後。この秋には、八重洲口に新しく建てられたツインタワービルの一つにデパートが移り、現在店舗が入っているビルは取り壊される予定。
ということで、デパート屋上に上り、丸の内方面を記念撮影してみた。左が丸の内ビル、中央が新丸の内ビルだ。

時は1980年代終わり、いわゆるバブルの頃。「丸の内マンハッタン」計画という話があった。東京の国際都市化に伴いオフィスが足りなくなるということで、丸の内を再開発して高層ビルで埋め尽くそうとするものだった。
しかしバブルはあえなく弾け、そんな話はどこかへ消えたかと思われた。
ところが21世紀に入り、幻の計画が忽然と復活したかのように、丸の内はプチ・マンハッタンとも言えるような景観になっている。

最近、豊洲に行ってみたのだが、こちらも風景は一変していた。
かつての工場地帯は、いまやタワーマンションが建ち並び、大型商業施設にたくさんの人が集まる街に変貌していた。人口も急増し、学校が次々新設されているという。
やはりバブルの頃。東京湾岸の再開発構想、いわゆる「ウォーターフロント」開発という話があった。東京湾岸に土地を持つ鉄鋼、造船、電力などの株価が大きく上昇し、バブル相場の中心になった。しかし再開発そのものは長らく本格化することはなかった。
ところがそのウォーターフロントにもまた、忽然と新しい都市が出現したのである。

バブルの約束が、20年の時を経てようやく実現したという感じがする。
何とも妙な感慨がある。

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