2016年7月 7日 (木)

下蒲刈島の文化的取り組み

今日の日経新聞「広島経済特集」の紙面、下蒲刈島の蘭島閣美術館の写真が目に付いて、去年の秋にこの場所に行ったものだから「へぇ~」って感じがした。

記事によると何でも、下蒲刈島から東に向かって上蒲刈島、豊島、大崎下島、平羅島、中ノ島、岡村島に至る7つの島が橋で結ばれており、地元では7つの島の周遊ルートを「とびしま海道」と名付けて、共同でウオーキングやサイクリングなどのイベントを企画しているとのこと。

2_4自分が下蒲刈を訪ねた時の目当てだった「朝鮮通信使」行列(写真、背景の建物が蘭島閣美術館)については紹介されていない(ちょっとマイナーなイベントだからかな)けど、日経記事から下蒲刈島の文化的な取り組みについて、以下にメモする。

下蒲刈島では1991年から、旧下蒲刈町(現呉市、03年に合併)が「ガーデンアイランド構想」を推進。町の活性化のために文化と歴史の掘り起こしが重要と考え、島全体を庭園に見立てた施設整備に乗り出した。目抜き通りに石畳を敷き、山口県や富山県にあった築100~200年の旧家を移築して歴史資料館にした。
そのうちの一つ、蘭島閣美術館では毎月「ギャラリーコンサート」を開催。NHK交響楽団やウィーン・フィルハーモニー管弦楽団の演奏者が出演するなど、出演者の知名度や質の高さで音楽ファンに注目されるイベントになっている。一連の取り組みが評価され、同島は昨年「サントリー地域文化賞」を受賞するに至った。

・・・このほか、記事によれば大崎下島・御手洗地区の伝統的町並みも観光客を集めているとのことで、またここら辺の島々を訪ねる機会を作ってみようかなと思ったりする。

ところで、瀬戸内海県民は太平洋や日本海は波が高くて怖いと感じるそうだ。最近の「ケンミンショー」でやってた。太平洋となると、何にもなくて水平線が見えるのが不安になるとか。その感覚は自分も何となく共有できる。東京生まれ・育ちの自分も、大小の島々の浮かぶ穏やかな瀬戸内海を見ると、なぜか「懐かしい」と感じてしまう。その昔、「瀬戸の花嫁」という歌が大ヒットしたのも、分かるような気がするのだ。

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2016年4月30日 (土)

怪獣酒場

川崎駅前のとあるビルの地下に店を出す、一風変わった居酒屋。

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その名も「怪獣酒場」。祝日午後3時開店の20分前に着いたら、10数人の行列が出来ていたのにちょっとびっくりした。

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とりあえずビールを頼むと、出てきたのはジャミラ「ドライ」なる生ビール。

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席や部屋などの空間、フードやドリンク、要するにすべてが怪獣コンセプトで満たされているお店。出来たのは二年前、当初は一年間の期間限定営業としてスタートしたものが、概ねそのまま継続しているとのこと。

まあでも酒場というのは基本的にしゃべったり騒いだりの場所だよな。思ったんだけど、怪獣カフェというのがあったらいいなと。怪獣の資料が置いてあって、怪獣の世界にひたすら浸れる空間になってるみたいな。商売的には成り立たないだろうけど。

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2015年11月22日 (日)

美濃市うだつの町を歩く

昨日に続き美濃地域に滞在、美濃市「うだつの上がる町並み」を訪ねた。前から何となく気になっていて行きそびれていた場所に、やっと来たという感じ。長良川鉄道の美濃市駅から徒歩10分程で、町並みのエリアに着く。

とりあえず「一番町通り」と「二番町通り」があって、全体的な雰囲気は「一番町通り」の方がより良い感じかな。

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自分の気になったのは大石家住宅。屋根の上に小さい祠がある。いわゆる「屋根神」様だな。うだつに加えて、屋根神様付きなのが地元っぽいというか地域っぽいというか。

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旧武藤家住宅は、「幸来家」という手打ちそばのお店になっている。ここで天ぷら付かけそば定食をいただきました。

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宿場町とはまた少し違う趣の商人の町もなかなか良い感じで満足しました。

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2015年11月21日 (土)

鵜沼宿を訪ねる

本日のJR東海さわやかウォーキング、各務ヶ原駅スタート、鵜沼駅ゴール約11.6㎞のコースを歩いた。コースのポイントの一つになっていた鵜沼宿は行ったことがなかったのが、参加の理由。
鵜沼宿の今残る町並みの規模は小振りである。市街地の中にあるので、町並みの真ん中を通る道は自動車が結構走る。だから歩行者がうろうろ散策するという感じでもない。観光地的にはあんまりよろしくない。という気がする。

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この道を車が結構通行しているので歩行者は気を付けよう。

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宿場町の風情が感じられる建物を見ることができます。

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2015年11月 1日 (日)

吉川広家陣跡

今秋のJR東海さわやかウォーキングは、「家康公400年」ということで関連コースを多数設定。本日開催の「家康」ウォーキングは、関ヶ原駅を出発して古戦場の中心から東に向かい、中山道を進んで地元の市民まつり「ふれあい垂井ピア」にも立ち寄りながら、垂井駅に至る約12.1㎞のコース。

関ヶ原の西軍陣地、東軍陣地は何度か歩いたことがあるけど、今回のコースに含まれていた徳川家康の桃配山陣地のほか、山内一豊、浅野幸長(よしなが)、池田輝政、吉川広家の各陣跡は、いずれも自分は初めて訪問する場所でした。

特にどんな場所なのか興味を持っていたのは吉川広家の陣地。まあ実際の現地は空き地に看板と旗が立っているだけなんですが。

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西軍に属する毛利陣営の吉川広家は、親しい間柄の黒田長政を通じて東軍との和睦を画策。戦闘不参加も約束して、これで毛利家は安泰と信じていた。
決戦当日、家康の背後を突くこともできる場所に毛利軍は布陣していたが、最前列の広家の部隊が何のかんのと理由を付けて動かなかったため、毛利軍は陣地に釘付けにされたまま、戦いは東軍勝利に終わった。
戦後、西軍の「総大将」毛利輝元の責任を重く見た家康は、いったんは毛利家取り潰しの方針を打ち出す。広家は愕然としただろう。本家存続を必死に訴える。家康も考え直して、広家に与えるはずだった周防・長門2ヵ国を毛利の所領とすることに決着。毛利家は120万石から30万石の大名に成り下がり、広家は岩国3万石の領主に収まった。

凋落はしたが、とにかく存続した毛利の長州が、260年後には徳川幕府打倒に向けて走り出すのだから、何にせよ吉川広家の行動は後世に大きな影響を及ぼした、と思うと歴史の妙を感じる。

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2015年10月25日 (日)

飛騨古川を歩く

本日のJR東海さわやかウォーキング、飛騨古川駅開催コースに参加。東京から日帰りするのは少々キツい感じなので、前日に飛騨高山まで行き当地で一泊。高山には10年くらい前、名古屋に住んでた時に一度来たことがある。

さて飛騨古川といえば白壁土蔵街。コースのポイントにも当然入ってる。当日は「飛騨新そば祭り」も開催。コース距離約5.6㎞は、さわやかウォーキングとしては短め。

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名古屋からでも特急で2時間半かかる場所だし、ウォーキング参加者はいつもより少い感じ。観光客は普通にうろうろしてます。

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今回の旅行では、JR東海ツアーズ「ひとり旅」プランを利用。宿泊した「高山桜庵」は和風モダンをコンセプトにしたホテル。畳マットが敷かれた館内の移動は履物不要。朝食バイキングも充実してる。飛騨高山の町も久しぶりに見て歩いたが、欧米人の旅行者がかなり目に付いて、「インバウンド」実感しました。

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2015年10月18日 (日)

「朝鮮通信使」行列 in 下蒲刈

先月(9月)、朝鮮通信使パレードを出し物の一つにしたイベントが2つ、目に付いた。「駿府天下泰平まつり」(静岡・駿府城公園)、「日韓交流おまつり」(東京・日比谷公園)である。朝鮮通信使メインのイベントというと、対馬でやるのは何となく記憶してたけど、他にどっかそういうのないかなと調べると、広島県呉市の下蒲刈でやることを発見。しかし下蒲刈という場所、初めて知った。広島かぁ、東京からは遠いな・・・でもこういうのがあると分かれば、見に行くのを先送りする理由もないので、本日がんばって見てきました、下蒲刈の第13回朝鮮通信使再現行列。

広島から呉線に乗り換えて小一時間、広駅で降りる。駅前からバスに乗り、瀬戸内海の下蒲刈島に向かう。20分程で島の東側に位置する「三之瀬」に到着。

当地にある朝鮮通信使資料館の名称は「御馳走一番館」。瀬戸内海や東海道を経て江戸に至るまでに、各地の饗応を受けた通信使の人たちから、下蒲刈の料理が一番と評価されたのが、その名の由来とか。ちなみに、景色の一番は鞆の浦だという。自分が訪ねた記憶でも、確かに朝鮮や中国の人が好みそうな東洋的な景色という印象。

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当地に9時頃到着して資料館など見学、11時からのパレードを見て、12時にはバスに乗って帰路に着く。何しろ遠いので早めの撤収。写真の背景の建物は蘭島閣美術館。

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「豊臣の戦争」から「徳川の平和」に移行した当時の日朝関係の歴史。これを踏まえて自分は、倭城と朝鮮通信使はセットで関心を持ちたいと思う者であります。

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2015年10月10日 (土)

小田原城下を歩く

JR東海さわやかウォーキングが、箱根を越えて小田原駅で開催。ということで参加してみました城下町小田原コース。東京駅から在来線でも1時間20分程度の乗車時間。

今回のコースは小田原駅の西口からスタート、まず城山公園に向かう(上りの道とは知らなんだ、ちとしんどい)。小田原城の遺構の一部を歩いたりしながら市街へと下り、町中にも所々にある城下町や宿場町の痕跡を見て、最後は「おでん祭り」で賑わう小田原城址公園を散策。コース距離約7.5kmを歩いて小田原駅東口にゴールした。

Photo小田原城に来たのは実は初めて。どうも復元天守には、いまいち興味がわかないというか・・・復元天守よりは、往時の石垣が残る城跡の方に魅力を感じるので、豊臣秀吉の小田原攻めのハイライト、石垣山一夜城は過去に訪問済み。さて、写真は小田原城址公園の銅門(あかがねもん)の辺り。右奥に見える天守は現在、耐震工事の真っ最中。城のてっぺんまで足場がびっしり組まれていた。工事は来年4月まで続く予定です。

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2014年10月12日 (日)

きかんしゃトーマス

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この夏限定で、大井川鉄道を「きかんしゃトーマス」が走るというのは知っていたが、限定期間終了間際になって機会ができたというか作ったというか、自分も写真を撮ってみました。昨日11日午後2時47分頃、大井川鉄道の川根温泉笹間渡駅を通過するトーマスです。

昨日は午前中、JR東海さわやかウォーキングに参加。島田駅をスタートして、大井川を渡り、金谷駅にゴールする。途中、島田宿の大井川川越し遺跡と、新金谷駅のSLフェスタという、ポイントやイベントが織り込まれたコース。
昼からは川根温泉へ。温泉が目的、というよりは、川根茶を買いに行ったということで。川根茶大好き。
その後、帰りに駅で、走るリアルトーマスの写真を撮った。という一日でした。

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2014年7月25日 (金)

荒川は「ガンジス川」である!?

小生は東京都の東のはじっこ、江戸川区の葛西地区に住んでいる。おそらく今では知る人も多いと思うが、西葛西にはかなりの数のインド人が生活している。日経新聞電子版の本日付記事(なぜ東京・江戸川区にインド人村が誕生?)からメモする。

在日インド人数は全国で22984人(2012年時点)。その3割にあたる7902人(14年時点)が東京都内に住んでいる。
東京23区で最もインド人が多いのが江戸川区。1959人で都内全体の約25%を占める。次いで江東区の1187人。つまり、東京都の東部にある江戸川区と江東区の2区だけで、都内全体の4割を占めている計算になる。
 

もともと首都圏では横浜に住むインド人が多かったそうだ。ところが、状況が大きく変わったのが2000年直前のこと。コンピューターが誤作動する「2000年問題」に対応するため、優秀なIT技術者を多数輩出するインドから人材が来日するようになったのだ。こうして東京で働くインド人が飛躍的に増えることとなった。 

新たに来日したインド人の受け皿となったのが江戸川区だった。06年以降、江戸川区が都内首位だった港区を抜き去り、都内で最もインド人が多い区に浮上した。 

では、なぜインド人が江戸川区に住むようになったのだろうか?
「それは、西葛西にインド人が暮らすために必要な様々な要素がそろっているからですよ」(貿易会社を営むジャグモハン・チャンドラニさん)。
 

まずは交通の便の良さ。
大手町をはじめ日本橋、茅場町などのオフィス街に東京メトロ東西線で直結している。IT技術者にとっては、(金融街に)通勤しやすいのは大変に便利。しかも同じ東西線の九段下駅からインド大使館にも行ける。羽田空港や成田国際空港に行くのも交通の便がよい。
また家賃も都心に比べれば比較的安い。

もう一つ、大きな要因がある。西葛西の西側を流れる「荒川」の存在だ。
「土手から眺めていると、なんだか、故郷コルカタ(カルカッタ)を流れる聖なる川、ガンジスを思い出して、心が落ち着くんです。河口が近いから川幅が広いでしょう。よく似てるんですよ・・・・・・」。チャンドラニさんは遠い目をしながらしみじみとこう話す。

・・・「荒川はガンジス川」とか言われると、のけぞっちゃいます。(笑)

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