2017年9月 2日 (土)

米朝の「冷戦」状況

アメリカの識者は、米朝は「冷戦」状態にあるとの認識を示している。本日付日経新聞国際面記事(止まるか挑発・北朝鮮情勢を聞く)から以下にメモ。
 
北朝鮮は世界、特に日米韓が核兵器保有国と認めることを要求している。
米政府はまず朝鮮半島の非核化という考えを捨てる必要がある。実現の見込みがなく、交渉戦略や目標にはなり得ないからだ。次に北朝鮮が核保有国だと認めなくてはならない。さらに対北朝鮮政策が抑止と封じ込めだと明確に表明すべきだ。
トランプ政権はいまだに非核化に固執しているが、これまでにあらゆる政権が失敗してきた。現実を受け入れなくてはならない。これは北朝鮮との新たな冷戦なのだ。
(マイケル・オースリン氏、米スタンフォード大フーバー研究所フェロー)
 
制裁などの圧力によって北朝鮮に完全で検証可能な核放棄に向けた交渉に応じさせる、という従来の政策は土台が崩れている。北朝鮮が交渉に興味がないのは明白だ。
我々は北朝鮮の技術的能力と政権の寿命を過小評価していた。米韓同盟を強化し、必要なら朝鮮半島に軍事力を追加配備しなければならない。また中ロから北朝鮮に対し、攻撃は容認しないという明確なメッセージを送らせる必要がある。
長期的には、北朝鮮の内側からの平和的な政権の変革を目指す。いずれも困難で時間がかかるが、最善の道だろう。冷戦時に近い状況といえる。
(マイケル・メイザー氏、米ランド研究所上級研究員)
 
・・・自分が子供の頃、第三次世界大戦はアメリカとソ連が核ミサイルを撃ち合って決着を付ける、というイメージが流布していたと思う。冷戦の終結と共に、その「悪夢」も過去のものになった。はずだったのに、冷戦終結後四半世紀を経て、その可能性が「縮小再生産」された形で復活するとは想像もできなかった。
冷戦時のソ連解体を思えば、北朝鮮も内部崩壊を待つしかないのかも知れないが、そこに至る具体的な道筋は今のところ見えない。緊張を孕んだ困難な状況が長期化してしまうのか。

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2017年8月11日 (金)

アメリカ大統領は「外弁慶」

アメリカ大統領というと強大な権力を持っている。ように思えるけど、実はできることは極めて限られている、らしい。「日経おとなのOFF」9月号特集「日本と世界の大問題なるほど!講座」の中の解説を、以下にメモする。
 
アメリカ大統領が強い権限を持つのは、外交と軍事だけ。外交では条約を締結する権限を持ち、軍事では軍の最高司令官となっている。
アメリカから見て外国にいる人々(例えば日本人)が、アメリカ大統領のニュースに接するのは、まさにその外交と軍事の場面だろう。
 
だが、その外交と軍事に対してさえ、権限は絶大とはいえない。例えば外交だと、条約の締結はできるが、上院で3分の2以上の賛成による批准が必要。
また軍事でも、大統領は軍の最高司令官なのに、宣戦布告する権限を持っていない(議会が持っている)ため、戦争を始めるときには、事前に議会の同意を得るようにしている。
 
国内政治に至っては、できないことばかりだ。まず予算の編成ができない。予算編成権は議会が持っている。法案を議会に提出できない。アメリカではすべて議員が法案を発議する議員立法である。
 
では、国内でできることは何か。まず、一般教書や予算教書という形で、議会に対して勧告すること。ただ、あくまで勧告なので、議会にとっては参考意見の扱いだ。次に、議会が作った法案を拒否すること。3つ目は大統領令を出すこと。ただし、これは行政部門に対する命令でしかない。
 
こうして見ると、アメリカ大統領は、外国では華々しく活躍する、内弁慶ならぬ"外弁慶"と評するのがぴったりのようだ。
 
・・・ということでアメリカ大統領は、とりあえず外交と軍事では充分圧倒的な権力を行使する姿を演出できる。とすれば、内政面に停滞感が強いトランプ大統領が外交面に突破口を見出そうとする、つまり北朝鮮攻撃に踏み切る可能性も低いとは言い切れないだろうなあ。

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2017年7月 9日 (日)

都民ファーストの勝利に思う

今日の中京テレビ「そこまで言って委員会」で、都議選の自民党惨敗の原因について、司会の辛坊治郎が叫んでいた。「選挙結果について東京でやってる分析は全部間違ってる。森友も加計も稲田も豊田も全く関係ない。都民ファーストという自民党に代わる受け皿にみんなが投票しただけなんだ。それはかつて大阪維新の会がやったことが東京で起きただけなんだ」と。同感する。

この番組は東京では放送してない。自分は春から名古屋にいるので、この番組を見ているわけだが、もし転勤しないで東京にいて選挙の日を迎えていたら、候補者の情報を眺めながら、もう自民党のオヤジ政治も嫌だし、今回は若い人や女性に入れとくか、何か素人くさいし少々頼りないけどな・・・と思いつつ、都民ファーストに投票したのではないかと思う。

国政の問題、森友学園や加計学園が地方選の投票行動を大きく左右するとは思えないし、稲田大臣はまたかという感じだし、 豊田議員に至っては言及するのもバカバカしいというか。これらの問題が自民党惨敗の要因とか言われると苦笑するばかりだ。

結局自分のような消去法的な「今回はこっちでいいや」という態度の人も含めた票の積み重ねが、結果的に都民ファーストの大勝につながったという印象。だからとにかく急ごしらえながら、「受け皿」を作って用意した小池都知事の作戦勝ちであり、その実行力はやはり大したもんだとあらためて感じる。

ちらほら指摘されてるように、都民ファースト圧勝は、フランスのマクロン大統領率いる政党の大勝利と、確かによく似ている。その意味するところは、既成政党への不信感はどうしようもなく強いということ。そしてまた、とにかく既成政党ではない新しい「受け皿」が出てくれば、とりあえず任せてみる、という度量も先進国有権者にはある、ということなんだろうと思う。

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2017年6月20日 (火)

フェイクニュースの「思想」

世界に拡散するフェイク(偽)ニュース。その背景にあるのは、いかなる思想はたまた感情なのか。本日付日経新聞オピニオン面「偽ニュースどう戦う」から、神学者森本あんり氏のインタビュー記事を以下にメモする。
 
「ポスト真実(Post-truth)」は、客観的な事実よりも感情や個人の信条に訴える方が影響力を持つ社会状況を意味する。まさにフェイクニュースが作る世界、あるいはフェイクニュースを生み出す世界のことだ。
 
フェイクニュースの問題が猛威を振るっている背景には、「物事は見方によって変わる」という、現代社会に特有のリベラルな相対主義があるのだろう。最近の学生は「絶対」や「真理」を信じていない。ポストモダンの哲学もこうした考え方を裏打ちする。
 
フェイクニュース問題が特にアメリカで深刻なのは注目に値する。これにはアメリカに特有の精神的な土壌が絡んでいる。アメリカを貫くプラグマティズム(実用主義)は「何が真実か」という哲学的な議論より「それは実践でうまく機能するか」を重んじるからだ。
 
またアメリカは特殊なキリスト教原理主義が根強い。「神は6日間で天地を創造した」という聖書の言葉を字義通りに受け入れ、進化論を否定する人は国民の4割にも及ぶ。彼らはいったんそう信じれば、いかなる科学的な説明も受け入れない。例えば天地創造の時とされる6000年前よりも古い化石が発見されれば、神が創造の時に化石をそこに置いたと考える。これはポスト真実に共通する態度といえる。
 
フェイクニュースはこうした土壌に、誰もが情報を発信・拡散できるソーシャルメディアというツールを得て増殖した。
 
フェイクニュース問題の底には、自分たちは権力者にだまされているという陰謀論的な感情がある。疎外されていると感じる人にとり、体制側と見なす既存メディアの情報は受け入れられない。実際、大手メディアで活躍する人々は、アメリカでも日本でも一握りのエリートだ。反発には、権威ある人の言うことが正しいわけではないという平等意識がある。
 
・・・こうして見ると、一見アホらしいとも思えるフェイクニュースの「流行」には、意外と複雑な「思想的」背景があるようだ。ポピュリズムと合わせて、結構厄介な事象なのかも。それにしてもこのままいくと、見たいものだけ見る、信じたいものだけ信じる、そんな人ばっかりになるような。それも何だかなぁ~である。

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2017年6月12日 (月)

「貿易問題」=「円買い」ではない

米国トランプ政権が「貿易不均衡」を訴えるわりには、円高が進まない。なぜか・・・日経新聞電子版の本日付発信記事(「貿易摩擦=円高」の誤解)からメモする。
 
なぜ「貿易摩擦=円高」の構図が生じないのか。この解を導くには、この構図が顕在化した95年の円急騰局面を振り返ってみる必要がある。
 
94年6月、円相場が1ドル=100円の節目を突破。95年に入ると、当時の米クリントン政権が日米包括経済協議の自動車・同部品交渉で対日圧力を強め、歩調を合わせるように円高が加速する。95年4月にはブラウン米商務長官(当時)による「ドルが対円で下落しても米政府の日米自動車協議への強い姿勢は変わらない」との発言を受け、一気に当時の最高値79円75銭を記録した。
 
重要なのは円急騰を招いた仕組みだ。当時の円買いを主導したのはヘッジファンドでなく、日本の輸出企業だった。90年代前半、日本の貿易黒字は10兆円を大きく上回り、企業は輸出で得た膨大なドルを円に替える必要に迫られていた。
為替対策が未成熟だった企業は90円や85円といった節目の水準に円買い注文を置く。それを見越してファンドが節目の水準を狙って円買いを仕掛けると、一気に膨大な円買い注文が成立し、円高が加速する仕組みだ。ファンドは円急騰の媒介で、主役は日本の輸出企業だったわけだ。
 
これを現在に当てはめると「貿易摩擦=円急騰」の構図が成り立たないことがよく分かる。
 
2011年3月の東日本大震災で日本のサプライチェーン(部品供給網)が寸断されて以降、日本は貿易赤字に転じた。急激な原油安が生じた16年こそ貿易黒字になったが、90年代前半とは比べものにならない規模にとどまる。トランプ政権が日米の貿易摩擦をあおってファンドが円買いを仕掛けても、主役である輸出企業の円買いは限られ、円高が加速しない。
しかも大震災を機に、生産体制は大きく変わった。日本企業が部品供給網を海外に求めた結果、製造業の海外生産比率は急上昇し、一気に20%を突破。10%にも満たなかった90年代前半と比べ、海外で得たドルを円に戻さず、海外での再投資に振り向けるケースが急増している。
 
過去の経験則を頼りに貿易摩擦が浮上すると、ヘッジファンドや機械取引による短期的な円買いは出てくる。だが中長期的な円相場は需給要因に依拠する面が大きい。「貿易摩擦=円急騰」の構図が現実にならないのは異変でなく、当然のことになりつつある。
 
・・・「貿易摩擦」は、もはや円買い材料にならない。そもそもグローバル経済の構造が出来上がっている現在、個別の国との貿易不均衡を問題視する意味があるとも思えない。トランプ政権はホントに不可解だ。

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2017年2月12日 (日)

『1984年』、米国で再読気運

新宿の書店「ブック・ファースト」で、最近アメリカで売れている小説として、ジョージ・オーウェルの『1984年』がディスプレイされているのを見て「へぇ」と思っていたら、今朝のTBS「サンデーモーニング」でも、その話が取り上げられていて、ますます「へぇ~」という感じだった。
 
1949年に出たというこの小説を、自分は読んでないけど、とりあえず鮎川信夫の晩年の名コラム「時代を読む」から1983年末に書かれた文章(「オーウェル『一九八四年』」)の一部をメモしてみる。
 
(『一九八四年』は)六十二ヵ国に訳され、何千万の人に読まれたというから、迫りくる全体主義国家の恐怖のイメージは、世界じゅうの人たちに悪夢を植えつづけてきたといってよいだろう。
オーウェルの描いた全体主義国家の像は、明らかにスターリン体制をモデルにしている。偉大な兄弟(ビッグ・ブラザー)はスターリンだし、人民の敵ゴールドスタインは、トロツキーである。党の三大スローガンは、戦争は平和である、自由は屈従である、無知は力であるだが、一党独裁の国家なら、これぐらいの詭弁は朝飯前のことだろう。党員は、テレスクリーンや隠しマイクで看視されていて、偉大な兄弟や党に反逆すれば、容赦なく粛清される。
完全な虚構(フィクション)であり、極度に劇画化されているが、これはどうみてもスターリン体制以外のものではない。
歴史も、現実も、人間も、スターリン体制下では、いかようにも変造可能である。こうしたオーウェルの認識は、きわめてペシミスティックで、暗い。洗脳されて、考えることをやめた主人公は、最後には偉大な兄弟を、本当に愛するようになってしまうのである。
 
・・・『1984年』は概ね、超管理社会、全体主義、国家による洗脳を描いた物語だと思われるが、アメリカにおける関心の高まりは、「オルタナティブ・ファクト」(もう一つの事実)や「ポスト・トゥルース」(脱真実)という言葉が流通する昨今の社会状況が背景にあるんだろうから、ひとまず「洗脳」に対する理解の手がかりとして注目されているような感じ。
 
最近、目に付いた指摘によれば、SNSに熱心な人は自分の意見と同様の意見を集める傾向があるという。そうだとすると今は自分で自分を「洗脳」するような感じになるのかな。まあとにかく、いつでも自分とは異なる意見に接してものを考えないといかんね。

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2017年2月11日 (土)

大統領令の威力

TPP離脱、メキシコ国境に壁を建設、イスラム圏からの入国制限等々・・・トランプ大統領が次々に打ち出す大統領令の威力はどれほどのものなのか。本日付日経新聞の「親子スクール」(米国の大統領令って何?)から以下にメモする。
 
憲法は大統領の幅広い権限を認めている。大統領が出す命令、大統領令は法律と同じ力を持っている。
米国の議会は二院制で、法律は上院、下院の賛成を得て、大統領の署名によって成立する。でも、例えばオバマ前大統領は民主党だけど、議会は野党議員が過半数の「ねじれ」状態だった。法律が通りにくいから、オバマ前大統領も大統領令を出すことはあった。
トランプ大統領は共和党出身で、いまは議会も共和党が過半数を占めている。法律を通しにくい状況とも言えない中で、大統領令を出すのは、有権者へのアピールと見られている。大統領令を使って、公約を本当にやるという意志を見せているのだ。
そもそも、米国では法律をつくるのは議員の仕事で、大統領じゃない。だから法律をつくるには議会にお願いするしかない。「一般教書演説」は、大統領がこれからやりたい政策を挙げて、そのための法律をつくるよう議会に訴えかけているのだ。
議会は大統領令を覆す法律をつくれる。また、最高裁判所が「この大統領令は憲法違反」と判断すれば、無効となる。トランプ大統領の思い通りになるかは分からない。
 
・・・いちおう司法や立法のチェックも働く仕組みになっているから、大統領令がすべて完全に実現するとは限らないとはいえ、大統領が就任直後から選挙公約をすぐさま「実行」に移すことは、確かに支持者には大いに満足感を与えるだろうなと思う。

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2017年1月13日 (金)

グローバル経済か国内優先か

アメリカの経済学者ダニ・ロドリックは、グローバル化、国家主権、民主主義のトリレンマ(3つ同時に成り立たない)を唱えている。昨日12日付日経新聞「ニュース複眼」面掲載のインタビュー記事からメモする。
 
いま欧米で起きているのは、明らかにグローバル主義やグローバル化への反発といえる。
メッセージは「自分たちの問題に注意を払うリーダーが欲しい」ということだ。グローバルな組織や経済勢力を最重視せず、自国の問題に自国の政策で対応する。グローバル経済が自分たちを苦しめるのではなく、役に立つものになってほしい。言い換えれば、政策の優先順位の再調整だ。

具体的にはグローバルな組織や経済統治を改善する努力と、国内経済や社会を改善する努力を再調整することだ。摩擦を生むならグローバル化の優先順位を下げなければならない。
開かれたグローバル経済を繁栄させる最善の道は、国内経済を繁栄させることだ。国内経済がうまく機能しないのなら、健全なグローバル経済など望めない。その状況で自由貿易協定を締結し、より良い国際経済の協調体制をつくっても国内経済の助けにはならない。

市場がトランプ氏の政策に対する期待に沸いたことは意外ではない。選挙でたくさんの約束をするポピュリストが経済刺激への期待を生むことはよくある。

トランプ氏は国内政策の余地をつくろうとしているが、国内優先がすべて正しいわけではない。彼は権威を攻撃し中間層に寄り添うとアピールしながら、政権中枢に金融専門家や大富豪を据え、富裕層の減税を口にしている。(米国で進む)脱工業化の問題も、単にメキシコや中国からの輸入品に高関税をかけても対処できない。彼の政策は目標を実現するようには設計されていない。

・・・経済政策においては、グローバル対応と国内対応のバランスが大事。と言葉では簡単に言えちゃうが、本質的かつ有効な政策を作って実行するのは難しいよなあ~と思う。「我が国に工場を作れ」と、次期大統領がツイッターで強権的に?つぶやくだけで上手くいくのかどうか。

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2017年1月12日 (木)

新たな保護主義の時代?

フランスの歴史人口学者、エマニュエル・トッドは、「先進世界では保護主義と開国、つまり自由貿易が代わる代わるやってきた。」「今始まろうとしているのは一つの時代だ」と指摘する。本日付日経新聞「ニュース複眼」面掲載のインタビュー記事から以下にメモ。
 
(米大統領選のトランプ氏勝利、英国のEU離脱決定について)これはポピュリズムではなく民主主義が正常に機能した結果だ。ポピュリズムから民主主義を守ると言っていたエスタブリッシュメントの人々は、実際は少数の権力者の代表としてみられるようになった。

私は資本主義に反対しない。大衆の利益を考慮したエリートが管理する合理的な資本主義に賛成だ。
 
グローバル化は特に英米で途方もない格差を生み、日仏独にもある。この格差は資本の移動の自由と、低賃金の労働力を使うことで生まれた。

自由貿易は絶対的な自由貿易しかない。しかし保護主義にはいくつもの種類がある。ばからしいものも節度あるものもあるのだ。
自由貿易が利益になる段階はあるが、行き過ぎると格差が生まれ、最先進国での工員の給与を抑制し、最終的に世界的な需要不足につながる。
行き過ぎた自由貿易は経済を停滞させる。ドイツや日本、韓国の低い出生率は自由貿易と関連がある。経済的な生き残りに必死になると、子供をつくる時間がない。

自由貿易は忘れねばならない。我々の前にあるのは良い保護主義と悪い保護主義の議論だ。給与水準を守ったり、内需を刺激したりする合理的な保護主義は貿易を活発にする。保護主義が国家間紛争になるというのは嘘だ。保護主義は協力的で敵対を意味しない。

・・・保護主義があれこれ取り沙汰される昨今。しかしグローバル化が進み相互依存が深まる世界の中で、そもそも保護主義なるものが可能なのか。何となく疑わしいんだけど。

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2017年1月 3日 (火)

「ポピュリズム」というレッテル

「週刊エコノミスト」(1/3・10合併号)掲載のコラム記事「リベラルの罪」(英国在住のブレイディみかこ執筆)から、以下にメモする。
 
現代のメディアや知識人、政治家などに使用されるときの「ポピュリズム」は、デマゴギー(虚偽宣伝)やレイシズム(人種差別)といったネガティブな要素を多分に含んだ「脅威」の同義語になっている。欧米のリベラルにとって、ポピュリストとは、洗練されていない低学歴の人々のことであり、メディア人や知識人、政治家は、こうしたポピュリストを諸悪の根源であるかのようにレッテル貼りする。
 
現代のメディアにおける「Pワード」(ポピュリズム)の氾濫を見ていると、それは「間違った考え方」を象徴する言葉になり、メディアも政治家もそれと戦うことに躍起になっているように見える。
これほど欧米がPワードを恐ろしがるのは、それが欧州におけるファシズムの台頭を思い起こさせるからだろう。1920年代と30年代の大恐慌の時代に、大衆を喜ばせる言葉を発し、広報による情報操作戦略で権力を握ったヒトラーやムソリーニの時代を彷彿とさせられるからだ。
 
キャメロン前首相とEU残留派を負かしたのは、すべての政党とエスタブリッシュメントたちに、自分のささやかな希望や不安を無視されてきたと感じている「取り残された人たち」だ。
欧米の民主主義は、国家の枠組みや帰属意識、共同体意識、安定した仕事を原則として築かれたものだ。だが、近年のエリートやリベラルは、時としてこれらの原則を痛烈に批判する。国境をなくし何ものにも帰属せず、コミュニティーに頼ったり、仕事に安定を求めたりせず、グローバルに生き抜くのが"プログレッシブ"(進歩的)な人間なのだと彼らは啓蒙する。
しかし、世の中にはそういう生き方をしたくない人々もいる。「取り残された人たち」は、リベラリズム(とそれを奉ずるエリートたち)こそが彼らを生きにくくした原因だと考えている。
 
欧州や米国で起きた出来事をPワードという言葉で切り捨てることは、実質賃金の低下や、記録的水準に達そうとしている格差への人々の怒りから目をそらすことにほかならない。
 
・・・このところメディアでは、「ポスト・トゥルース」という直輸入ワードを見たり聞いたりする。これは、客観的事実よりも感情へのアピールが世論形成に大きく影響する状況を指す言葉らしい。なので「ポピュリズム」の関連用語という感じではある。といってこれを、トゥルースはエリートの側にあり、大衆は感情的に動くだけ、という図式にしてしまうと、見逃してしまう事柄も多くなるのではないだろうか。結局はエリート層にも、「取り残された人たち」にも、それぞれの「トゥルース」があり、困難ではあっても両者の調停を図りながら、合意形成していくほかないように思われる。

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