2021年1月16日 (土)

米共和党、無惨なり

ニューズウィーク日本版1/19号記事「トランプの乱とファシズム的未来」から以下にメモする。

共和党はこの60~80年ほどの間、右傾化し続けてきた。これは、圧倒的に白人中心だったアメリカ社会が多民族社会へ移行し、あらゆるグループに平等な権利を認めるようになり始めたことへの反発が生み出した結果だった。

共和党は白人の既得権、大企業の利益、一部の人への富の集中を擁護する政党に変貌している。今日の共和党的発想によれば、連邦政府の政策はほぼ全て、「昔ながらの生き方」と「自由」を否定し、白人に犠牲を強いてマイノリティーを「不公正」に(とこの勢力は考えている)優遇するものに見えている。

共和党は、異人種に対して被害者意識を抱く人々の政党と化していて、政府の機能を有用なものと考えず、自分たちの「リーダー」を祭り上げることにより、民主政治の「抑制と均衡」の仕組みを弱体化させようとしている。これは、もはやファシズム以外の何物でもない。問題は、そのような政党がアメリカの2大政党の一つであることだ。

トランプ支持派の議事堂乱入は、アメリカにとって19世紀半ばの南北戦争以降で最悪の危機と言っていい。しかし、アメリカの民主主義に対してそれ以上に大きな危険の種は、昨年11月の大統領選でトランプに投票した膨大な数の有権者の思考の中に潜んでいる。それにより、アメリカは、トランプが去った後も長期にわたり、社会的・政治的な分断と衝突に苦しめられるだろう。

・・・大統領選でトランプが獲得した票は7400万票という。無論その全ての投票者が、議事堂に突入した暴徒と同じ考え方を持っているわけではないにしても、議事堂占拠の様子を見せられると、かなりヤバイ感じがする。あれではトランプは「ヒトラー」だし、暴徒はまさに「突撃隊」か、と言いたくもなる。そうなると、トランプ色に染まりつつある共和党は「ナチス」ということになる。

一方で、アメリカでは社会主義に好意的な若者が多くなっているらしい。民主党では極左勢力の影響も無視できないという。思い起こされるのは100年前、1920年代のドイツだ。当時のワイマル共和国では、社民政権の下でナチスと共産党が勢力を伸ばした。ということで、アメリカは「ワイマル共和国」になりつつある・・・と言っていいのかどうか、でもそんな感じ。

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2020年12月 9日 (水)

米国の経済格差と政治的分断

本日付日経新聞総合面コラム記事「真相深層」(米、経済格差で思想極端に)から、以下にメモ。

米国の分断をあらわにした大統領選から1カ月あまり。
大統領選の一般投票でバイデン氏は初の8000万票を集めたが、トランプ票も約7400万票と歴史的な水準だ。
政敵を露骨に罵るトランプ大統領。これに乗る左右のメディア、そしてSNS(交流サイト)。分断の原因はさまざまだが、構造的な要因は経済の格差だ。

最近ではダラス連銀の研究者らが「経済格差と政治の分断には明確な因果関係がある」と結論。そこでは以下のような力学が働いたという。
▶格差で米国の共同体としての意識が低下し、政治の分断が加速
▶政治の分断で政策が停滞し、格差に拍車
▶力をもつ富裕層が自らに有利な制度変更を働きかけ、格差を増幅

一方、格差そのものより格差が心理に及ぼす影響に注目するのが、ノースカロライナ大のキース・ペイン教授だ。人は常に自分と他者を比べ、下位に置かれると憤り、極端な考えを宿す。疎外感を抱く人々は、人生に意味を見いだそうと宗教や政治信条に深入りする。保守、リベラルの人とも元の立場がより極端になり、反対側の人々への敵対心を強めるという。
まさに米政治の縮図。トランプ大統領は格差が生んだこうした社会心理に便乗し、旋風を巻き起こしたともいえる。
「青い州(民主党支持)も赤い州(共和党支持)もない。われわれは合衆国だ」。バイデン氏はそう融和を呼びかけるが、それには経済格差と国民の意識の両面で対応が求められる。

・・・コラム記事は最後に、米国社会には深い亀裂が残っているだけに、再び「トランプ的」なポピュリズムが勢いづかないとも限らない、と結んでいる。今の世界では米国に限らず、あちこちの国で経済的格差が政治的分断を増幅し、ポピュリズムが跋扈している。この状況を克服するためには、良くも悪くも「社会主義」的な発想や政策が、改めて強く求められるのかもしれない。

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2020年12月 1日 (火)

EU危機とポピュリズム台頭

民間エコノミスト出身の浜矩子・同志社大学大学院教授。新刊『統合欧州の危うい「いま」』(詩想社)では、EU各国の政治状況を分析。同書第1章から、ポピュリズムとナショナリズムについて、以下にまとめてみる。

ポピュリズムは「大衆迎合」。ナショナリズムは「国家主義」とするのが定番の訳し方。この二つは混同されたりするが、もちろん同じものではない。ただ両者に共通点はある。それが二分法。世の中を「我ら」と「やつら」に二分割して、「やつら」を敵視する。ポピュリズムもナショナリズムも、このやり方で人々に働きかける。ただし誰が「我ら」で誰が「やつら」なのかは、両者で異なる。

ポピュリズムの場合、「我ら」が「大衆」で、「やつら」は「エリート」。大物政治家や高級官僚、ビッグビジネス経営者、富裕層、インテリ層等々。ポピュリストはエリートの差別から大衆を守る。ポピュリストは人々の意思の代弁者である。これがポピュリズムの論理だ。

ナショナリズムにおける「我ら」は「身内」、「やつら」は「よそ者」である。移民、難民、異教徒、異民族等々。それに加えて、国家の存立を脅かす者たち。人権活動家、市民運動家、労働運動家、反体制ジャーナリスト等々。

ポピュリズムとナショナリズムが重なり合う領域は「ポピュリズム型ナショナリズム」と呼べるだろう。ここは、ナショナリストたちがポピュリストに変装している領域だ。大衆の味方というポーズを前面に打ち出しながら、人々を国家主義の世界に引きずり込んでいく。これがポピュリズム型ナショナリズムの手口だ。

ナショナリズムと合体していないポピュリズムの領域は「反体制型ポピュリズム」と呼べるだろう。反体制は、英語の「アンチ・エスタブリッシュメント」のイメージ。(確立された権力または統治機構に異を唱えて改変を迫る)

・・・このポピュリズムとナショナリズムの台頭は、政治的中道を支えてきた中間所得層の衰退と表裏一体の動きであり、ここから中道右派の極右接近、中道左派の消滅という現象も現われてきている。というのが浜先生の見立ての概略。特に中間所得層の衰退傾向は、日本も同様であろうから、EU各国の政治状況を他人事として見るわけにはいかないと考える次第です。

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2020年11月16日 (月)

押井監督の憲法論

コアなファンが多い(のではないかと思う)アニメ映画の監督、押井守がインタビュー形式で日本社会・文化を縦横無尽に語る。新刊『押井守のニッポン人って誰だ!?』(東京ニュース通信社・発行)は、一見雑談風ながら、時たま放たれるラジカルな認識が痛快。以下に、憲法を語る部分からメモする。

民主憲法、平和憲法、いろんな呼び方があるけど、わたしに言わせればマッカーサーを略してマック憲法。
国の交戦権を否定している憲法なんて、わたしに言わせれば反近代です。前近代どころか反近代。近代国家というのはみんな自衛権を認めていて、交戦権もあれば戦争する権利もある。ただし、侵略戦争をしちゃあダメという申し合わせはあるけどね。
どの国の憲法にも独自のスタイルがある。独自の歴史的背景を背負って存在している。ところが、マック憲法だけは歴史的根拠もへちまもない。一種の理想だけで作られているんです。集団的自衛権にしろ、日米安保条約にしろ、戦後の日本史はことごとく、この憲法を拡大解釈して裏切ってきた歴史なんですよ。

日本の歴史は小さなタブーを潰していく一方で、大きなタブーをスルーし続けてきた。その大きなタブーこそが、マック憲法と天皇制。

わたしは改憲派じゃないし、改憲するべきだと思っていない。廃棄するべきだと思っている。(聞き手から「過激ですね」との反応)
だってそうでしょ。あれは占領軍が作った憲法なんだから、本来なら講和条約を結んで独立したときに、日本人の手によってもう一度作り直すべきだったんですよ。民主主義から天皇制に至るまで、全部もう一度、考え直して新しく作る、それがわたしの考えです。

・・・押井監督の「過激」な意見に対し、自分的には異論はない。憲法のスクラップアンドビルド、やれるものならやりたいが、既に高齢社会に突入した日本では、憲法に限らず、何事かを変えようというエネルギーが失われつつあるように感じる。正直小生は悲観的です。

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2020年1月14日 (火)

「アンナ・カレーニナの原則」

『サピエンス全史』『ホモ・デウス』で、現代の「知の巨人」の地位を獲得したともいえるユヴァル・ノア・ハラリ。新著『21 Lessons』(河出書房新社)でハラリは、今日の主権国家が受け容れている単一の政治パラダイムとして、議会、人権、国際法などを挙げて、次のように述べる。(同書「文明」の章)

世界にはさまざまな種類の「機能不全国家」が散在しているかもしれないが、国家としてうまく機能するためのパラダイムは一つしかない。このようにグローバルな政治は、「アンナ・カレーニナの原則」に従っている。すなわち、機能している国家は互いにみなよく似ているが、機能不全の国家のそれぞれが、主要な政治パッケージの要素のどれかを欠いているために、独自の形で機能していないのだ。

・・・「アンナ・カレーニナの原則」というのは、トルストイの小説「アンナ・カレーニナ」に出てくる言葉、「幸福な家庭は似たり寄ったりだが、不幸な家庭はそれぞれに違う」を元にした半分洒落の造語かと思ったんだけど、検索してみると、ジャレド・ダイアモンドが『銃・病原菌・鉄』の中で書いているらしい。ただしそれは、家畜化できた動物には共通の特徴があり、家畜化できない動物はそうではない、ということを言い表すために使っているようだ。

ある程度の人生経験があれば、不幸な家庭における不幸の有り様や理由は実に様々であると推測できる。幸福な家庭の有り様は一般的にイメージしやすいのに対して、不幸な家庭の事情は外からは分かりづらい。それゆえ不幸な家庭は恐ろしく孤独だといえる。自分も、どちらかといえば不幸な家庭で育ったという記憶があるものだから、「アンナ・カレーニナ」の言葉は結構切実に感じられるのです。

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2019年11月22日 (金)

冷戦終結と「ハプスブルク」

ベルリンの壁崩壊から30年が過ぎたということで、最近の欧米における右傾化、ポピュリズムの席巻と絡めて状況の変化を論評する向きが、このところ目に付いたように思う。冷戦終結時にそこそこ流行った「歴史の終わり」(フランシス・フクヤマ)という思想は、自由な民主主義が社会主義やファシズムに勝利した、と考えていたが、30年後の現実は、その自由な民主主義が危機的な状況にあることを示している、というものだ。

30年前の当時について、少し別なことを思い出す。東西冷戦の終わりと共に「中欧」の復活が言われたことだ。それはかつて中欧を支配したハプスブルクの版図の記憶が浮上する、ということだ。実際、「冷戦の終結は、ハプスブルク史研究を大々的に活性化した」(『ハプスブルク帝国』岩﨑周一・著、講談社現代新書 2017年)のである。以下、同書からメモする。

「鉄のカーテン」の消滅は、旧ハプスブルク圏の全面的な交流を可能とした。またマルクス主義史学の影響力の減退により、王権、宮廷、そして貴族を扱った研究が活発になった。
ヨーロッパ統合の進展――とりわけEUの発足と(東方)拡大――は、ハプスブルク君主国をこれと関連づけて考察する動きをもたらした。
近代化と国民国家を理想ないし規範とする見方に疑問が呈され、複合的国制など、「前近代的」とされてきた事象に対する認識が刷新された。またこれに関連して、かつてはもっぱら否定的な概念として用いられてきた「帝国」を、多種多様な国・地域・民族を包含する超域的な政治的枠組みと意味づけ、その可能性を探る議論も、今日「連邦制」や「統合」などをキーワードとして、活況を呈している。

・・・冷戦終結後の経済のグローバル化及び国民国家の存在感の低下と共に、ハプスブルク帝国に新たな光が当てられたようにも見える。近年、グローバル化に対するポピュリズム的抵抗運動(右サイドからの疑似ナショナリズム、左サイドからの反資本主義的な格差是正の要求)が高まっているだけに、ハプスブルクの歴史に学ぶことで、多民族が共存する、多様性を活かす社会体制構築のヒントを得られる・・・かもしれないけど、岩﨑先生は、ハプスブルクを多民族共存のモデルケースとみるのは多分に美化され単純化された見方である、と釘を刺してもいる。

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2019年10月24日 (木)

日本が認める国の数は195

本日付日経新聞政治面記事からメモ。

天皇陛下が即位を国内外に宣明した22日の「即位礼正殿の儀」には186ヵ国の代表者が参列した。日本政府は国家として承認する195ヵ国のうちシリアを除いて招待し、9割超が出席した。国連加盟国は193ヵ国で、日本と日本が承認する国の計196ヵ国より3ヵ国少ない。

日本は国連未加盟のバチカンやコソボ、クック諸島、ニウエの4ヵ国を承認する。一方、91年に韓国と同時に国連に加盟した北朝鮮を国家とは認めていない。
国際法上では一般的「国家」は①領域②国民③主権――の3要素を満たすことが要件とされる。ただある国が別の国を国家として認めるかは、あくまでも各国個別の判断に委ねられる。
日本は国を承認する際、相手国に「国際法を順守する意思と能力」があるかも考慮に入れている。3要件を満たすと考えられる北朝鮮を承認しないのもそのためだ。

国家承認と密接に関わる概念に「国交」や「外交関係」がある。各国の判断に委ねられる国家承認とは異なり、外交関係をひらくには相手国との相互同意が必要だ。
かつて冷戦下では米ソが自らの陣営への囲い込みを進めた。冷戦が終わると日本なども承認する国の数を増やした。
承認する国家の数の変化は国際情勢と不可分な関係にある。

・・・グローバル化の中で国境の壁は低くなった――とはいえ、主権国家の相互承認で成り立つ国際社会の基本構造は、1648年のウェストファリア条約成立以来変わっていない。ということなんだろう。

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2019年7月20日 (土)

「日本青年党(仮)」を待望する

本日付日経新聞市況欄コラム「大機小機」(参議院は本当に必要か)から以下にメモする。

3年に1度の参院選は「政治の安定」を主張する与党と、「変化」を求めるだけの野党との間の不毛な論争で盛り上がりを欠いている。

二院制度はチェック・アンド・バランスのためと教科書にはある。しかし、衆参で過半数の政党が異なるねじれ国会では重要な政策は決められない。他方で同一政党が過半数を占めれば、同じ審議を繰り返すだけである。

本来は高齢化社会での社会保障のあり方など、長期的な課題を議論することが参院の役割にふさわしい。しかし、そのための大事な情報である年金の財政試算の公表は、従来の6月から選挙後に先送りされた。年金制度の問題点を明らかにして波風を立てたくない与党と、明確な改革案なしに批判するだけの野党との間で、参院選の意義はますます低下していく。

高齢化が進む日本では、投票率の低い若年層の声が軽視されるシルバー民主主義の弊害が深刻になる。

年金制度改革の争点の一つは世代間格差の是正である。仮にこれを訴える「青年党」が登場すれば選挙も活性化するだろう。

・・・二大政党制の元で、今の野党はバラバラで弱すぎる、与党に対抗できる大きな塊が必要、というのはよく聞く話。とはいえ今の野党が一緒になるのは、どうみても無理がある。しかし各野党から40代以下の人が集まって「日本青年党(仮)」を作り、与党からも参加者を募れば大きな塊を作ることは可能だろう。思うに、今の日本では政策やイデオロギーよりも、世代間の利害対立こそが最も大きな政治的争点になり得るからだ。

若年層の投票率が低いらしい。と言っても、票を入れたい人がいなければ、ましな人に入れよう、というのもやっぱり限界がある。とにかく今、政治の世界は需要と供給のミスマッチが甚だしい。若い世代の利害を代表する政党が登場すれば、当然ながら若年層の投票率も上がるだろう。

ついでに言えば、憲法改正は自衛隊の明記じゃなくて、それこそ参議院を廃止するための改正を掲げてくれれば、個人的にはポジティブに受け止められるんだけどね。

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2019年2月 8日 (金)

宗教と自由主義のせめぎ合い

日本人は、一神教の宗教観である法としての宗教、政治共同体の絆としての宗教という考え方を理解していないため、国際政治における宗教の影響をうまく捉えられていない――本日付日経新聞「経済教室」(宗教と国際政治、執筆者は池内 恵・東京大学教授)からメモ。

宗教信仰が個々人の内面に限定され、国家や政治への影響力を弱める世俗化と政教分離のプロセスこそが、近代化の主要で不可欠な要素という考え方は広く普及した。しかし現在、非西欧の諸地域が経済発展を成し遂げても、それが世俗化や政教分離に結びつかず、宗教が根強く人々の社会生活と政治を規定し続け、宗教原理主義の台頭を招く場合すらあることが目撃されている。

人間社会の規範は誰がどのように定めるのかという究極の問題に対し、人間を超越した絶対的な神が律法を啓示するのか、それとも個々の人間の理性が自由に思考・議論して規範を発見し合意するのか、すなわち「理性と啓示」の対立は、古代の中東と地中海世界で問題化され発展し、言語で理論化・体系化された。この対立の中でユダヤ教・キリスト教・イスラム教と連なる「セム的一神教」が生まれ、他方でギリシャ哲学を淵源とする科学が発展し、いずれも世界に広がった。

宗教と科学の対立は、中東と地中海世界の政治・社会・経済の発展の不可欠の要素と言ってよく、近代西欧文明もここに淵源を持つ。近代西欧の発展は、個々の人間が宗教規範の支配から脱し、自由に規範を選び作っていくという、人間主義と個人主義の優位に大きく振れた。

これは、近代国家の政治や経済の原則として広まったリベラリズムの根拠である。リベラリズムは、人間が自律した意志で自由に選択する能力を持つという人間観・世界観を前提にしており、宗教を時代遅れのものとみなす世俗主義を重要な要素とする。

米国でトランプ現象が、西欧諸国で移民への拒絶反応が起き、中東諸国で過激派組織「イスラム国」(IS)の台頭や宗派共同体間の紛争が生じるなど、様々な事象の根底には、リベラリズムへの信頼の低下あるいは明確な反発がある。これは宗教の政治への影響力の増大と軌を一にした、同根の現象と見るべきである。

・・・単なる世俗国家である日本は、一神教もリベラリズムも根本的には理解できないのかも知れない。とはいえ昨今の国際政治の様相は、日本人に一神教への理解を深めるよう求めているのは確かだろう。

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2018年7月 7日 (土)

「死刑あり」は日米中など56ヵ国

本日付日経新聞「きょうのことば」(死刑制度)からメモ。

死刑制度なし(106ヵ国)
オーストラリア、オーストリア、ベルギー、カナダ、デンマーク、フィンランド、フランス、ドイツ、アイスランド、イタリア、メキシコ、モンゴル、オランダ、スイス、英国など

通常犯罪で廃止(7ヵ国)
ブラジル、チリ、イスラエルなど

事実上廃止(29ヵ国)
ミャンマー、ロシア、韓国、スリランカなど

死刑制度あり(56ヵ国・地域)
日本、米国、中国、北朝鮮、台湾、ベトナム、タイ、アラブ首長国連邦、インド、イラン、イラク、シンガポールなど
(2017年12月末時点)

国際人権団体「アムネスティ・インターナショナル」によると、17年の死刑廃止国は00年に比べ1.4倍の106ヵ国に増えた。一方、17年に死刑を執行したのは23ヵ国にとどまる。主要国では日本や米国、中国などわずかだ。日本は国連から廃止勧告を受けるなど、国際社会から厳しい視線が注がれている。

・・・日本国内では、死刑制度について「やむを得ない」という意見が8割を占める(内閣府調査、14年)という。

6日にオウム死刑囚7人の死刑が執行された。ここまでくれば教祖はやむを得ないとしても、教団幹部6人を一度に処刑したことに対しては、すんなりとは受け入れがたい感覚がある。

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