2009年9月23日 (水)

はりまや橋

P1030263 先日、高知に行って「はりまや橋」を見た。何しろはりまや橋といえば、いわゆる「がっかり観光名所」の首位を札幌時計台と争う場所。もともと期待値が低かったせいか、なるほどこんなもんね、という感想です。
20数年前に札幌時計台を見た時は、確かにイメージ壊れた。何しろビルの谷間にあるんだもんね。どっか郊外に移しちゃった方がいいかもしんない。
2大「がっかり観光名所」に次ぐ3番目は諸説あるらしい。長崎のオランダ坂(確かにただの坂道)が有力みたいだけど。でもイメージとの落差というか、マイナスのインパクトで時計台、はりまや橋に匹敵する観光名所を探すのは容易でないぞ。

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内子を歩く

P1030202 先日、四国の現存天守4城巡りの途中で内子に立ち寄り、古い町並みを歩いた。町並み保存地区である内子町八日市・護国地区は、内子駅から徒歩20分のところにある。途中には大正時代の歌舞伎劇場・内子座もある。

同地区の町並みは、3つの性格を持っている。市(商業)の町、大洲街道沿いの宿場的な町、そして製蝋業(産業)の町である。同地区は、昭和57年4月に全国で18番目の重要伝統的建造物群保存地区に選定された。この、いわゆる町並み保存地区は、指定された物件を伝統的な工法で維持修復していかなければならない。一方、建物の外観を維持しながらも、内部は現代的な生活ができるように改造することなどにより、住民参加型の保存活動をサポートしている。

我々が目にする「古い町並み」というのも、保存維持に向けた地元の意識的継続的な努力の賜物であります。

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2009年9月22日 (火)

四国・現存天守4城巡り

四国の現存天守である松山城、宇和島城、丸亀城、高知城に行ってきた。秋の大型連休を利用した四国半周の旅、春から始めた現存天守12城巡りの総仕上げである。

19日(土)快晴
P1030136 羽田発9時45分の飛行機に乗って11時に高松空港に到着。バスを使ってJR高松駅へ(運賃740円)。12時13分の列車に乗って12時37分に丸亀駅着(運賃540円)。最初の目的地丸亀城が駅から見える。徒歩15分程で入口(大手門)に到着。高くて大きい、とにかく立派な石垣が積み重ねられた上に、小さな天守がちょこんと乗ってる。高さ60メートルという石垣の山を10分程上り天守に到着。内部をざっと見学した後は本丸の周囲を回る。やっぱりここは天守よりは石垣を見るお城だ。15時18分丸亀発の特急に乗って松山に移動(運賃5180円)。2時間余りで到着、当地で一泊。

20日(日)快晴
P1030153 朝一番で松山城へ。9時に開門の太鼓が打ち鳴らされて、観光客がぞろぞろと入城。天守はもともと5重であったものが3重に改築された。地盤を考慮したとも幕府への遠慮ともいわれる。一度落雷で焼失、幕末の頃に再建がなされた。天守最上階にはなぜか床の間があったりする。上りは東側からリフトを使ったが、帰りは登山道を辿って西側に出てみた。下りの所要時間15分程度。路面電車に乗って松山駅に戻る。

次に目指すは宇和島城。でもその前に内子で途中下車。古い町並みを散策してから目的地へ。14時42分に宇和島駅到着(特急利用の運賃、松山―内子1250円、内子―宇和島2210円。松山―宇和島ならば2900円)。

P1030220 駅から徒歩15分程で登城口に着く。ここからさらに、大きくごっつい石段を上っていくのは想定外だった。道中には結構大きな石垣も残っている。15分程かけて天守に上り着く。戦乱の世が終わった後の城とはいえ、大きな玄関が作られて「いらっしゃ~い」という感じなのが何だかユルい。全体的なデザインもかなりベタな「お城」って感じで、ちょっと復元天守的かも。入場は午後4時までと早目の店じまいだけど、時間を過ぎても来訪者を入れていた。まあ実感的にはまだ夏場で明るいし。この日の予定はこれで終了。夜はホテルの部屋でNHK「天地人」関ヶ原を見る。石田三成、悔しかっただろうな。

21日(月・祝日「敬老の日」)晴れ
今回の旅の計画で一番のハードル?朝5時半起きで宇和島駅6時11分発の列車に乗る。山間を走る単線、1両列車に揺られること2時間余り、8時34分窪川駅着。そこから8時53分発の特急に乗り換えて高知へ。10時ちょうどに高知駅着(宇和島から高知まで乗車券2860円、窪川から高知まで特急券1150円)。

P1030237 駅から徒歩約20分で高知城入口(追手門)。そこから天守まで10分程上っていく。来てみたら何と天守最上階や石垣などが工事中なのだった。むむむ。目隠し城?バンソーコ城?・・・とにかく天守に着くと、御殿がくっついているのが面白いと思った。そういえば、ここと同じ山内一豊が城主だった掛川城にも、城内に立派な御殿が残されていたっけ。正直、建物の内部は、天守よりも御殿の方が見所が多いと思う。熊本城も本丸御殿を復元して訪問客が増えたみたいだし、日本建築の伝統を集大成したような御殿を見ると、「和」の心を感じられるような気がする。天守内部の展示物や説明板の内容は、やはり大河ドラマなどで割と馴染みがあるという感じ。それにしても土佐は、江戸時代の始めから終りまで山内家が治めていたのだな。最後の藩主は16代、将軍家の15代とほぼ同じ。転封や断絶もなくずっと続いたのは大したもんだ。

お城見学後は、アーケード商店街の店で、おそばとカツオのたたきセットを食した。今回の旅では丸亀で讃岐うどん、宇和島で鯛めしと、どれも目に付いた店でだけど、それっぽいものを食しました。アーケード商店街(というのも昭和っぽいけどな)は松山、宇和島、高知と歩いたけど、一番賑わっていたのは松山で、宇和島はちょっと寂れていたな。食後はとりあえずはりまや橋を見て、今回のスケジュールを終了。駅から高知龍馬空港行きのバスに乗り(運賃700円)、17時発の飛行機で帰京した。
(旅行費用:上記現地での交通費に加えて、往復の航空運賃約4万円、ビジネスホテル2泊約1万円、その他で合計ざっと7万円程使いました。)

〈現存天守12城巡り過去記事〉
国宝4城
弘前城
松江城、備中松山城
丸岡城

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2009年6月28日 (日)

安土を歩く

今日のJR東海さわやかウォーキングは、滋賀県安土で開催。これまでも長浜、近江八幡、多賀大社など、しばしば近江地域でも開催されていたさわやかウォーキングだが、安土は初めて。新コースに参加しなければと、東京から遠征しちゃいました。

今回、JR東海ツアーズがおそらく初めて企画した、さわやかウォーキングを組み込んだ日帰りツアー商品を利用した。4月~6月の開催地の中から、東京出発の商品が設定されたのは佐久間レールパーク、豊橋・葦毛湿原、近江長岡の三島池、そして安土の4つのイベント。安土は往復新幹線+在来線そしてドリンク引換券のセットで13,400円である。偉いぞJR東海ツアーズ。(ただし申し込みはあんまり無かったみたいだけど・・・)

P1030070 さて米原まで新幹線、そして在来線に乗り換えて午前10時半頃に安土着。当地の天気は曇り。いつもと変わらない中高年の大群。皆さん熱心です。駅前では地元関係者と思しき人たちの歓迎を受ける。今秋公開予定の映画「火天の城」のパンフや、JR東海と西日本の合同製作らしき記念バッジなど諸々の配布物を受け取った後、まずは観音寺山のふもとにある信長の館、安土城考古学博物館を目指してウォーキングスタート。

P1030080_2 信長の館の入口には長蛇の列が出来ていた。館内では安土城の天守最上階部分の復元を展示している。が、今回はウォーキングコースを歩くことに専念するつもりだったので、信長の館も博物館も通過。次はJR線路を挟んで向かい側にある安土城跡へ。久しぶりに来たら有料となっていた。史跡を維持保存するためには仕方ないかな。今回はとりあえず入口で大手道の石段を写すだけで先に進む。後は常浜水辺公園、浄厳院、沙沙貴神社と回って、午後1時に安土駅に戻った。コース距離約8.8㎞。

P1030082 特に寄り道はしないで午後4時過ぎには東京駅着。安土は昼頃には陽射しが出て暑くなったが、東京に帰ったら結構まともに雨が降っていた。場所が変われば天気も変わる、日本は広いよ。

もう少しJR東海ツアーズ商品について書くと、新幹線はこだま自由席を利用せよとの事だったけど、貰った切符には「新幹線自由席」と記されていたので、ひかりにも乗ってしまいました。もしまた企画する時があれば、少し値段を高くしても構わないから、東京出発の商品は、こだま・ひかり利用可にしてもらいたいね。

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2009年6月20日 (土)

石垣山一夜城に行く

天正18年(1590)、豊臣秀吉が小田原城包囲の際に築いた石垣山一夜城。関東初の本格的な織豊系城郭、つまり城といえば土の城が作られる地域に初めて登場した石垣の城を訪ねた。
今回は近ツリ系の旅行会社が主催するバスツアーを利用。豊臣軍の北条征伐における2つのポイント、関東防衛線の激戦地となった箱根山中城と石垣山一夜城を回る歴史ツアー。参加者17名、中高年中心、です、やっぱり。
新宿を朝7時30分に出発して、10時過ぎに山中城に到着。日本100名城にも選定された城とは知らなんだ。山の地形を利用した曲輪の配置や特徴のある堀など、史跡として良く整備復元されている遺構を、歴史ガイドさんの話を聞きながら、3時間かけてほぼ端から端まで歩いて回った。

P1030055 昼食後、小田原に移動して石垣山一夜城へ。1時間程で二の丸、井戸曲輪、本丸などを見て歩く。写真は二の丸から見た本丸の石垣。山城ではよく見る眺めとはいえ、結構高い山の上に大きな石が大量に積んであるのは、やっぱり驚き。小田原城を見下ろす標高約260メートルの笠懸山に、将兵約4万人を使って天守と石垣のある城を2ヵ月半程で作り上げ、完成と同時に周囲の木を切り払い、一夜で出来たように見せたことから、俗に「一夜城」といわれる。本丸の天守台からは、現在の小田原城(復興天守)が望める。背景の市街地に埋もれるような感じだけど。(下の写真)

P1030060 この城のデモンストレーション効果は大きく、小田原本城が包囲されている間に関東の各支城が次々に落とされていたこともあり、北条氏は戦意を喪失。6月26日の一夜城出現から2週間程で降伏した。関東の制圧からほどなく東北も平定されて、ここに秀吉は天下統一を達成した。
ところで石垣山一夜城の縄張りは、肥前名護屋城と似ている、らしい。小田原攻めの兵20万人と物資の大量動員も、朝鮮出兵の「演習」だったとも考えられる、らしい。既に秀吉の野望は「天下統一後」に向けられていた。

まあとにかく石垣山一夜城、関東における「石垣の山城」として貴重な城跡と実感。

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2009年6月14日 (日)

丸岡城に行く

現存天守を巡る(その四)は、丸岡城。福井県にあるこの城は、現存12天守の中ではロケーション的に、弘前城と同じくピンポイントで行くしかないお城。

P1030009 夏場の朝は早くから明るい。5時台に目が覚めたので、眠気の残る身体を何とか動かして6時26分東京発のひかりに乗車。米原に8時49分着。特急しらさぎ(自由席、運賃2770円)に乗り換えて、ほぼ10時に福井着。駅の西口を出て少し歩き、京福バス11番乗り場から「本丸岡」行きに乗る(10番乗り場からもバスがある。土休日は各コース一時間に1本)。とにかく45分前後乗って「本丸岡」の次に「丸岡城」バス停に止まる(運賃640円)ので、そこで降りれば小高い丘の上にある天守が目に入る。

P1030014 日本最古の天守、丸岡城。天正4年(1576)に作られたとのこと。築城の際に人柱となった女の墓を立てて霊を慰めたとか、井戸の中に住む大蛇が霞を吐いて城を隠したとか、ちょいとおどろおどろしい言い伝えが残る。2層3階と小ぶりな望楼型天守の佇まいは何とも渋い。内部に入ると、例によってめっちゃ急な階段。ぱっと見、傾斜70度はありそうな。階段付近の天井からは、上り下りの助けに太いロープも垂らされている。

P1030029 400年以上もよくぞ残ったと言いたいところだが、戦後に地震で一度倒壊してしまった過去を持つ。天守内部及び近接する資料館に、倒壊時の写真が掲げられている。説明文には「昭和23年6月28日の福井大震災により、天守閣は西北隅に転落散乱し、その上に三階の屋根の一部がわずかに原型を留めるに過ぎない悲惨な状態に陥った。天守閣復興事業は、23年暮より解体作業に入り古材を活用して時代色保持を方針として、30年3月に完成した。」とある。6年以上かけて再建した訳で、戦前に「国宝」指定を受けていた(現在は重文)こともあるのだろうが、「残った」というよりは「残した」、地元の人々の尽力の賜物であると感じる。

帰りのバスは福井市内の「田原町」という所で降りて、えちぜん鉄道に乗り、アテンダントさんの夏の制服をチェックして(3年ぶりに色デザインを変えたと聞いたもので)、福井駅に戻った。って何なんだ、それ。

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2009年5月25日 (月)

松江城から備中松山城へ

先週末、中国地方の現存天守、松江城と備中松山城を訪ねた。現存天守12城を巡る、(その三)である。行きは寝台特急サンライズ出雲(B寝台シングル、運賃22,160円)を利用。22日の金曜日、夜10時東京駅発。何とホームのコンビニに石破大臣現る。もちろんお供のSP付。地元に帰る時はサンライズ利用と聞いていたが本当だった。大臣は11号車(A寝台車両)にお乗りになりましたです。

23日(土)晴れのち曇り
名古屋付近で踏切故障に遭遇(もちろん真夜中なので後で知ったこと)して、列車は1時間以上の遅れで午前10時40分、松江に到着。当地では、12年に一度のお祭り「ホーランエンヤ」の期間中(でも特に興味なし)。駅前で昼食を取った後、20分おきに来る観光巡回バス「レイクライン」でお城に向かう。10分程で松江城の入口前に着く。

P1020842 松江城の天守閣、黒塗りでどっしりとしており、なかなか重厚な印象である。城の実物を見るといつも感じるのだが、写真や映像では木や石の風雪を耐えてきた質感は伝わりにくいものだなと思う。内部も意外と広くてかなりの量の展示物が置いてある。人もそんなに多くないので、並んで階段を上り下りすることもなく助かった。最上階は戸板?がすべて開け放たれていて、見晴らしも風通しも非常に良い。これまで見た現存天守最上階の中で開放感は一番。ここで宴会をやったら最高だろうなと思ってしまった。城を見学した後は、武家屋敷や小泉八雲記念館などが並ぶ通りなどを散策。・・・後で思ったことだけど、なぜ犬山城(の規模)が国宝で松江城が重要文化財なのか。重文も実質的には国宝、らしいのだが、何か釈然としない。
夕方、米子まで移動して一泊。

24日(日)曇り一時雨
P1020883 翌朝、米子駅へ。最近の米子の観光資源は水木しげるワールド。ホームには境港行き「ねずみ男電車」が止まっていた。7時25分発の特急やくもに乗り、9時過ぎに備中高梁着(自由席特急、運賃3,670円)。備中松山城は去年7月に訪問済。前回は「三大山城」、今回は「現存天守」・・・こちらの「積もり」が違っても、お城が変わる訳ではないけどね。前回同様、駅前の観光案内所で乗合タクシーを頼み(9時50分発の客は自分一人だった)、出発。車が走り出した途端に雨が降り出す。いやはや。停車場がある「ふいご峠」から、雨の中、傘を片手に徒歩で上っていく。約20分後に天守閣に到着した頃には雨は上がった。やれやれ。写真は二の丸跡の広場から見た天守閣と周辺の櫓。天守の内部には、明治維新後荒れ放題だった山城が、昭和に入り修理保存されてきた経緯が展示されている。古い建物が「残った」のではなく「残した」ということ。地元の人々の意志と情熱には敬意を表したい。天守見学後は、ふいご峠まで下り、予約したタクシーで駅まで戻る。時間ギリギリだったが、11時52分発・岡山行き普通電車にアタフタと乗り込む。今回はホントに「立ち寄る」という感じで備中高梁を後にした。

岡山から新幹線に乗る。インフルエンザ・ゾーンの兵庫、大阪を通過(汗)。この日は全国的に天候が不安定。晴れたり曇ったり雨が降ったり、天気がくるくる変わるのを眺めながら帰京した。

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2009年5月10日 (日)

軍艦島に行く

長崎県の端島、通称軍艦島に行ってきた。先月4月下旬から上陸が可能になっている。むかし炭鉱の島、いま観光の島である。(オヤジ駄洒落)

連休が概ね一段落した後の8日金曜日に休暇を取って、長崎に飛ぶ。朝9時35分の羽田発スカイネットアジア航空の飛行機に乗って、11時30分長崎空港着。空港からはバスに40分程乗って、長崎市街に入る。その日の午後は長崎歴史文化博物館を見学するなどして過ぎた。

翌9日土曜日の朝、長崎港に向かう。「やまさ海運」運行の軍艦島上陸クルーズに予約済み。参加人数はざっと100人を少し超えるくらいか。朝9時に出発、戦艦武蔵が建造された三菱重工の造船所や、2005年末に開通した女神大橋などを眺めなP1020821_2がら、細長い長崎の港を外海に向けて進んでいく。港から出た後は伊王島、高島、中ノ島の沖を進み出発から約1時間、目指す軍艦島が近付いてくる。海上に浮かぶ高層ビルが視界に入ると、「ああ、あれ!」と声にならない声が心の中に漏れた。実際に見てみるとやはり何ともインパクトのある光景だ。島の南東側にある桟橋に接岸して上陸した。

見学通路は島の南側に作られていて、ビューポイントとなる広場が3つある。コンクリート製の集合住宅や学校など構築物の大半は島の西側、北側にあるのだが、もP1020806ちろん危険なのでそちらの方には入れない。
第1見学広場付近から島の北側を望む。一番奥にある建物が端島小中学校。(上の写真)
第2見学広場は総合事務所(レンガが残る)の前にある。(右の写真)
第3見学広場からは日本最古の鉄筋コンクリート製高層住宅を近くに見ることができる。

P1020825 それぞれの広場でガイドさんのお話を聞いて、1時間で船に戻る。その後遊覧船は島の南側から西側を周遊。
島の南側から見るとまさに「軍艦」島。今にも動き出しそうだ。昔、テレビで「ひょっこりひょうたん島」という人形劇があったけど、軍艦島も動く海上都市だったら凄いだろうなと夢想というか妄想した。

P1020832_2 西側は高層住宅が積み重なるように建てられている。その重厚なありさまからは、廃墟の迫力というか、遺跡の風格すら漂う。島の頂には神社があったということだが、今は祠だけがちょこんと残っているのが何だか妙な感じがしておかしい。

島の周りを一周した後、遊覧船は島から離れ再び港に向かって北上。たった1時間しかいなかったが、なぜか名残惜しい場所だった。なので、島が見えなくなるまで船の後方から海を眺めていた。12時頃に長崎港着。

前日に長崎歴史文化博物館で、『軍艦島の遺産』(長崎新聞新書)という、いかにも地元っぽい本を買ったので、またゆっくり読んでみようと思う。

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2009年4月26日 (日)

弘前城へ行く

「現存12天守」を訪ねる、(その二)に選んだのは弘前城。弘前といえば桜。遠い弘前にどうせ行くなら、やはり桜の季節。ということで24日金曜日の夜10時前、夜行バスで東京駅前(八重洲口側)から弘前に向けて出発。

25日土曜日の朝7時30分に弘前駅前に到着。バスが市内に入る頃に、ずーんP1020718と聳える岩木山が現れて、目を奪われた。それにしても10時間近くバスに乗る長旅。やはり弘前は遠い。天気は曇。週末に低気圧が日本列島を通過するということで、いずれ雨が降り出す予報。とにかく駅前から路線バスで弘前公園へ。

弘前公園の桜は、ど満開だった。目に入るものは桜の花、花、花、まさに桜で満ち溢れている。しかしながら、やはり桜には青空が欲しい。天気が良くないと桜の輝きは半減してしまう感じ。まあとにかく城と桜をデジカメに収める。

P1020767_2 天守の内部を見学(例によって行列)し、公園内を散策した後は、さらに周辺の街歩き。弘前には洋館もちらほらある、というのは今回初めて知った。洋館があると言えば、函館や神戸といった港町のイメージなので、弘前に洋館、というのは意外感あり。藤田記念庭園洋館、旧弘前市立図書館、青森銀行記念館(写真)などを見て回る。このほか弘前市立郷土文学館では「太宰治・生誕100年展」の展示も見学。

P1020773 今日26日の朝は角館に寄ってみたのだが、9時頃から雨がまともに降り出してきたので、予定を切り上げて早々に撤退、帰路に着く。田沢湖線では特急並みの走りだった「こまち」も、盛岡で「はやて」と連結して東北新幹線に入るとスピードアップ、俄然超特急らしくなった。仙台の辺りで雨は止み、福島の辺りから青空に。移動すれば天気も違う、日本は広い。傘に付いた角館の桜の花びら三つ四つを旅のみやげに帰京。

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2009年4月12日 (日)

竹田城に行く

やっと竹田城に来た。
一年前、雑誌「歴史読本」(特集「織田・豊臣の城を歩く」2008年5月号)掲載の関連記事を読んだ時から、行かなきゃなあと思いつつ、自分の身体の事情(入院治療後の足の具合)もあって延び延びになっていたが、週末の天気が良いとの予報で、とうとう意を決して昨日土曜日の昼過ぎに出発。のぞみで3時間余り走って姫路へ、そこから播但線で1時間半、和田山で一泊。

P1020701 今日の朝9時前に宿を出て、和田山の隣の駅である竹田に9時15分頃到着。小さな駅舎内に置かれた観光案内所で地図をもらって、駅の改札口とは反対側にある登山道から「日本一の山城」目指して上り始める。

天気は良すぎるくらいで少し暑いし、かなり急な道が続いてしんどい思いをしながら30分後に城の入口に到着。地図にも30分と記されていたので、まあまあのペースではあった。

P1020689 さて目に入るものといえば、石垣、石垣、石垣だ。段々畑ならぬ段々石垣。北千畳、三の丸、二の丸、本丸、天守台、南二の丸、南千畳そして花屋敷と各スペースを回っていく。移動しながら石垣群を見下ろしたり見上げたり、自分の立つポイントによって、巨大な構築物は多様な眺めを見せる。そこかしこに植えられた桜も、まだ散り始めの頃合で文字通り花を添えている。

帰りは、駅から少し外れた地点(竹田小学校)に出る道を辿ってみた。地図に40分と記された観音寺山登山道で、行きよりも緩やかな道を期待していたのだが、結構急な道が多くて、慎重に下って行ったら結局50分もかかってしまった。足が悪いと、下りの山道は難儀だな。

13時1分竹田発の列車に乗って姫路まで戻り、新幹線で帰京。竹田城、東京から行くのは遠いけど、やはり見ておかなければならない山城であり織豊系城郭であります。

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2009年3月24日 (火)

国宝4城を巡る旅

先週末、国宝4城を少々駆け足ながら2日間で回ってきた。今年秋までの達成を目指す現存12天守訪問、(その一)です。

20日(金・春分の日)
P1020597 まずは4城の中で最も西にある姫路城目指して、朝6時50分東京発のぞみに乗り込む。乗車中の天気は概ね曇または雨。しかし東に向かう雨雲とは逆方向に進んで、10時に姫路に着いた頃は晴れに。駅から見えるお城を目指して真っ直ぐ北上。徒歩20分程で着く。自分が訪ねたのは10年以上も前なので、初めてに近い感覚。やはり天守は非常にデカい。さすが世界遺産、登城者多数。大天守に上った後は、西の丸にある長い櫓の中にも入ってみた。

P1020631 見学後、12時51分姫路発のひかりに乗車。新大阪でこだまに乗り換え、午後2時25分米原着(駅が改造されてた)。在来線で駅を一つ戻る格好で彦根へ向かい、駅から20分程歩いて3時前に彦根城に到着。入場券売り場に隣接する博物館の前で、「ひこにゃん」が愛嬌を振りまいていた。彦根城に来るのは3年ぶり。ここでも天守見学に並ぶ。播州は暖かく感じたが、近江は寒い。天守から下りてきた後は、お城の出入り口にある多聞櫓の内部も公開されていたので、ざっと見る。5時過ぎに彦根駅に戻り、JRに乗って東へ。岐阜で降りて夕食後、名鉄を使って夜8時過ぎに犬山着。当地で一泊。

21日(土)
P1020641 天気は晴れ。朝一番で犬山城へ。午前9時の開城時間前でも入れてくれた。ここに来たのは5年前。「JR東海さわやかウォーキング」のコースだった。さすがに姫路や彦根に比べたら人は少ないが、それでも朝から訪問者は途切れることなく続く。人が少ないと、天守内で行列しなくていいので有り難い。天守の最上階では外に出て回廊を歩けるので眺めは良いが、ちとコワくもある。

お城を後にして、古い町並みの風情が残る本町通り(道路の整備工事中だった)から犬山駅に向かう。20分程歩いて10時頃駅に着く。ここから名古屋に出るのもあるが、今回は新可児に向かい、隣接している太多線可児駅からJRに乗り換え。中央線の多治見まで行き、特急しなの号に乗車した。約1時間40分後の午後1時過ぎに松本に着く。

P1020646 駅から市内を20分程歩いて、目指す松本城に到着。ここは自分は全く初めてのお城。これまでの3城が平山城だったせいか、お堀と天守閣の取り合わせが新鮮な感じ。しかしここも登城者多数。行列して進み、急な階段を上り下りする。天守内部には鉄砲の歴史が展示されていて、これはなかなか面白いんじゃないかと思った。

帰り道は、お店が並ぶ「なわて通り」「中町通り」を回って駅に戻り、夕方4時58分松本発の特急「スーパーあずさ」で帰京。以上、国宝4城を巡る旅でした。移動は新幹線と特急が大部分だったので、交通費結構使ったなあ。(概算3万4千円)

しかし有名城に行くなら、平日に休暇を取る方が良いのかなと思う。お城見学の記憶が、行列して上り下り、というのはちと味気ない感じなので・・・。

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2008年11月24日 (月)

高取城へ行く

日本三大山城を称している岩村城、備中松山城、高取城。その理由は、岩村城(岐阜県)は標高が一番高い721m、備中松山城(岡山県)は天守閣の現存する山城、高取城(奈良県)は比高(麓と頂上の高低差)が一番高い(約400m)とのこと。選定基準には異論もありそうだけど、ひとまずこれらが「三大山城」としてアピールされている。

自分は名古屋に居た時に岩村城に行き、今年の夏に備中松山城に行った。残るは高取城ということで、この3連休の二日目、昨23日に現地を訪ねた。

当日は「たかとり城まつり」を開催。朝9時40分頃に近鉄の壺阪山駅に降りると、「近鉄ハイキング」のマップも配られていたりして、結構たくさんの人が来ていたのだった。駅から町に入ると出店が並び、武者行列や火縄銃実演などのイベントがスケジュールに組まれ、城下町~城跡周辺を巡るウォークラリーも行われていた。当地には「土佐街道」などの地名が残るのだが、これは古代に都の造営のため土佐の国から労役に駆り出された人たちが、この辺に住み着いたことに由来するらしい。

P1020574山城歩きって、要するにハイキング。町中を通り抜けてから、山道を歩くこと1時間余り。11時半頃に城跡に辿り着くと、お昼時でもあり、お弁当を広げる人多数。何しろ紅葉の季節だし、「城まつり」の日でもあるとはいえ、ぎょうさん人がおるやないか。草深い山上に打ち捨てられた城跡の風情、とは違うぞ。地理的には飛鳥にも近いし、どうも高取城というのは日帰りのお出かけスポットとして、関西の人には認知されている感じだな。

P1020577 まあそれはそれとして、石垣だ。本丸天守台の石垣のデカイこと。高さ10mは超えるだろう。何でこんな山の上にこんなデカイ石垣があるのだろう。と、山城ではいつも思う。

これで三大山城は全て探訪。が、それとは別に竹田城にも行かないといかんのだ(「歴史読本」本年5月号参照)。まあ何しろハイキングですから、冬はお休みしてまた来年のことになりますけどね。

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2008年11月 1日 (土)

「木曽馬の里」へ行く

名古屋には3年半いたのだが、近県も含めて行ってみたいと思いながら行かなかった所もある。長野県の「木曽馬の里」もそのひとつ。今回行くことにしたのは、例によってJR東海さわやかウォーキングのコースとして設定されたから。前日の夜に名古屋に入り、今日の朝8時発の特急しなの号に乗るため、発車15分前に名古屋駅のホームに上がると、既に自由席車両の乗車位置には長蛇の列。指定席も売り切れとのこと。3連休の初日、甘く見ていた~。どうしようもなく立ったまま1時間半後に木曽福島駅到着。今回のコースはP1020492駅から臨時バスで開田高原まで移動して、そこからウォーキングを始めるのだが、駅前には大量の人(200人位か?)がバスを待っていたので、また参った。結局バス待ちに30分、乗車時間30分で、開田高原からのウォーキングスタートは10時半頃となった。 写真は開田高原から見た木曽御嶽山。こういう風景に出くわすとは思ってなかった。普段自然の風景に心動かされる事の少ない自分だが、これには感嘆する他なし。

P1020512_2 そして木曽馬の里。木曽馬は日本の在来馬で、サラブレッドに比べて身体は小さく、足も短い。たぶん戦国時代の馬もこんな感じだったんでしょう。現代の映画やテレビで描かれる戦国時代は馬がサラブレッドなんで、例えば武田の騎馬隊なんか迫力ありすぎの感じですが。でも多少乗馬を経験をした身としては、サラブレッドは大きすぎてあんまり生き物という感じがしない。ので、木曽馬のスケールくらいが扱いやすそうな気がする。

しばらく馬を眺め、引き馬に乗せてもらったりして1時間程過ごした後、本格的に歩き始めて地蔵峠、唐沢の滝を通り、二本木の湯に着いたのが午後2時半。スタートからゴールまで(コース距離約9.3㎞)、4時間かかりました。帰りは二本木の湯から再び臨時バスにて木曽福島駅に戻り、今回のウォーキング全行程終了。

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2008年7月21日 (月)

備中高梁へ行く

昨日20日、備中高梁へ出かけた。とりあえず目指すは備中松山城。現存する天守を持つ山城としては最も高い所(標高約430m)にある。

P1020427 前日19日の夕方岡山に入り、翌朝8時18分の列車で出発。倉敷を経由して伯備線の備中高梁駅に9時11分到着。駅近くの観光案内所で、お城までの乗合タクシー(片道420円)を申し込む。9時50分に出発、約15分で山頂に近い「ふいご峠」に着く(山の麓の駐車場からシャトルバスも運行)。そこから山道を歩いて20分程でお城に到着。

P1020408 天守の完成は300年以上前と伝えられているが、昭和14年に「解体修理」を行っているということで、地元の人々の熱意と努力なしには現存することは無かったと思われる。大手門跡付近の積み重ねられた様な高石垣は圧倒的。ピラミッドの建設方法は不思議であると言われるけど、山城の石垣もどうやって作り上げたんだか、充分謎だあ。

P1020445 城を見た後は市街に戻って、武家屋敷や頼久寺などを見て回る。写真は頼久寺の庭園で小堀遠州の作。近江に生まれた遠州は、千利休、古田織部と続いた茶の湯の本流を受け継ぎ、徳川将軍家の茶道指南役となる。1604年から1617年まで備中国奉行を務めた。

・・・何しろ暑かったので少々へたりました。

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2007年5月 9日 (水)

名護屋城跡を訪ねる

先週5月3日、肥前名護屋城跡を訪ねた。豊臣秀吉の築いた朝鮮攻撃基地である。

名古屋生活の間に城よりも城跡が好きになったみたいで、春先に出た『信長・秀吉・家康の城』(別冊歴史読本)の中で紹介されていた名護屋城跡を見て、ゴールデンウィークの旅行先はほぼ決まり。去年の島原に続き、再び九州へ。

飛行機は好きではないけれど、東京からでは止むを得ず、前日に空路で博多に入る。当日朝7時半頃、地下鉄中州川端駅から電車に乗って出発。そのままJR筑肥線に入り、筑前前原駅で唐津行き列車に乗り換える。余計なことだけど、「ちくぜんまえばる」と読むので、宮崎県の東国原知事を思い出しながら、九州では別に変わった読み方ではなP1010829いのかな、と。車窓には所々で玄界灘の海が広がり、海を見るのは久しぶりだなと思いつつ8時50分、唐津着(運賃1,110円)。駅を降り、近くの商店街を通り抜けてバスセンターへ。名護屋城跡を通るのは「波戸岬」行きバスとのことだが本数が少なく、とりあえず「呼子」行きに乗る。9時45分に呼子着(運賃730円)、そこからはタクシーを使って5分程(運賃1,040円)で、名護屋城跡に隣接する佐賀県立名護屋城博物館に到着。

名護屋城博物館(入場無料)は、文禄・慶長の役を中心に、日本と朝鮮の歴史的関わりを展示している。1時間半程かけてじっくり見学、「総合案内」冊子(800円)も購入。その後城跡へ。遺構の規模はかなり大きく、整備も進められている(上の写真は本丸、天守台跡)。2時間程ブラブラ。さらに、この城の周囲には、出兵のため全国から集めP1010846られた大名たちの陣屋跡(その数130以上)も残っているということで、各陣屋の場所のビューポイントを示す案内板巡りをする。いくつかコースもあるのだが、時間も考慮して適当に取捨選択しつつ1時間半程ウォーキング、その後「名護屋城博物館入口」バス停前の道の駅「桃山天下市」で休憩。午後3時48分発の唐津駅行きバスで帰路に着いた。

博物館では今秋、特別企画展「秀吉と文禄・慶長の役」(10月12日~11月25日)を予定、10月28日の日曜日には記念シンポジウムも開かれるとのこと。

城跡ファン(って、どれくらいいるのか)は是非行ってみてください。さすがは天下人の城、信長の安土城跡に匹敵する程の構築物です。
秀吉ファンの方にもオススメ、大阪城だけでは秀吉の凄さは分からないぞ~。

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2006年8月27日 (日)

那智勝浦へ行く

昨日今日と、土日の2日間を使って那智勝浦に行った。JRで特急に乗っても、名古屋駅から紀伊勝浦駅まで3時間半と結構時間がかかる。3時間半あれば、のぞみで名古屋から博多まで行けるのに、と思ったりするのだが、とにかく出かけた。

P1010516 1日目は紀伊勝浦からさらに2つ先の太地(たいじ)へ。ここは捕鯨の歴史のある町。お昼前に現地に着いて、昼食はもちろん鯨料理。刺身と竜田揚げを食する。むかし給食に出たせいか、鯨というと竜田揚げと条件反射的に思う。その後、くじら博物館へ。鯨の生物学的解剖学的展示と、捕鯨の歴史が展示されている(写真はセミクジラの実物大模型など)。近辺は太地くじら浜公園として、博物館のほか、海洋水族館、実物の捕鯨船をそのまま流用した捕鯨船資料館などの施設が置かれている。散策後、くじら浜公園から宿泊地である勝浦まで、観光船を利用して海を渡っていく。夜、かなり雨が降った。

P1010554 2日目は那智大社へ。天候は曇り。朝、紀伊勝浦駅前からバスに乗り、那智駅経由で那智山に向かう。自分は途中でバスを降りて、大門坂などいわゆる熊野古道を歩いた。雨が降り出してきて、いささか難儀な思いをしながら辿り着いた那智大社は、建物の朱色が鮮やか。そして、いた、いた、ヤタガラス(写真左)。後は那智の滝(写真下)などを見て、帰りは滝前の停留所からバスで紀伊勝浦まで直行。12時過ぎには戻る。雨は上がっていた。

P1010559 早めに帰ろうと思って昼過ぎの特急を指定したというのに、列車の出発が遅れたのに加えて、尾鷲の辺り、三重南部の大雨のため列車が一時運転を見合わせるなど、アクシデント続き。結局5時間かけて名古屋に戻った。特急券の払い戻しはあったけど、くたびれ儲けもしました。

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2006年5月 4日 (木)

天草四郎像

P1010183 原城の本丸跡には天草四郎の像がある(写真上)。これは地元出身の彫刻家・北村西望の作品。島原城内には、西望の作品を集めて展示している西望記念館があるのだが、そこにも天草四郎像が立っている。原城のものとは色違いバージョンですが。そしてその隣には、何と岐阜公園内にある「若き織田信長」像が並んで置かれている。こちらも西望作品だったんですね。というわけで、とりあえず天草四郎と織田信長のツーショットです(写真下)。何かP1010194 ビミョーな感じもしますが。 ま、とにかく岐阜と島原には縁があったってことで。

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島原へ行く

5月3日、九州旅行の2日目は島原半島を回る。天候は晴。諫早から島原鉄道に乗って、まず原城跡へ。その後そこから戻って島原城に立ち寄る。

昨秋『島原の乱』(中公新書)を購入し、さらに昨年12月10日付日経新聞文化面(ブログ内過去記事)を見て、島原に行かなきゃ~と思いながら、結局ゴールデンウィークまで来てしまった。ま、とにかく今回の旅行の主目的は島原ということで、前日から車中では『島原の乱』を読み進める。

P1010171 朝7時45分諫早発の列車に乗って、雲仙普賢岳を眺めながら2時間後、原城駅に着く(・・・遠い)。城跡の入口は駅から徒歩10分程。そこから三の丸、二の丸という具合に辿って本丸まで、また10分程歩く。城の規模は結構大きいと思われるが、今は城跡のかなりの部分が畑になっていたりして、景色的には穏やか。写真は本丸跡の石垣。海側に面した本丸跡には天草四郎の石像と墓、大きな白い十字架の塔(写真の左の方にちょこっと見えます)などがある。有馬氏の築いた原城は、1637年の乱の当時は廃城になっていたとはいえ、ここに3万人以上の一揆軍が立て篭もり、山側には幕府軍12万人が展開していたというから、総人数は関ヶ原の戦い(西軍8万人、東軍7万人)に匹敵、こりゃもう大戦争だったのだとあらためて感じる。

P1010193 列車の本数が少ないため急ぎ足で駅に戻り、11時過ぎの列車に乗って12時過ぎに島原到着。島原城(写真)は駅から見えるくらい近いが、天守閣への入口は駅から歩いて裏側へ回る格好になる。天守閣の内部にはキリシタン史料館などがあり、城の敷地内には他に、普賢岳噴火関連の展示を行っている観光復興記念館、地元出身の彫刻家・北村西望の作品を展示した西望記念館がある。北村西望の代表的作品は、長崎・平和祈念像。原城跡にある天草四郎像も西望の作品である。

城内の売店でキリシタン史料館展示物のパンフレットを買った後、城の近くにある武家屋敷跡を歩き、遅い昼食に郷土料理の具雑煮をいただいて、午後3時過ぎに島原駅から列車に乗る。午後4時過ぎに諫早到着。さらに特急で博多まで行き、夜は中州界隈を歩いて那珂川沿いの屋台を見学。これにて今回の九州旅行は終了。

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門司、小倉に行く

5月2日、休暇を取って九州に出かけた。最近JRが宣伝に努めている「のぞみ早特割引」で名古屋~博多・小倉往復25,000円を使う。まずは新幹線で小倉まで行き、そこから門司港に向かう。小倉から15分程電車に乗って、お昼前に門司港駅に到着。天候は曇。

P1010132 門司港駅(写真)の建物は、ネオ・ルネッサンス様式の木造建築で、1988年12月に駅舎として初めて国の重要文化財に指定された。駅から徒歩圏内には、旧大阪商船、旧門司三井倶楽部、旧門司税関などの歴史的建造物、さらに大型商業施設「海峡プラザ」、門司港ホテルなどが集まり、「門司港レトロ」地区として観光の中心になっている。

P1010134 旧大阪商船(写真)の内部には、「わたせせいぞうと海のギャラリー」(観覧料100円)が設けられている。わたせせいぞう、というと80年代って感じがするよなあ。年表を見ると、代表作「ハートカクテル」の連載が1983年から1989年だと。やっぱモロに80年代。なんかオッシャレーって感じ。神戸で生まれて小倉で育ったんだって。知らなかった。

P1010157 1時間半程の散策の後、小倉に戻る。小倉ではとりあえず小倉城(写真)を見る。駅から歩いて20分程のところにある小倉城は、細川忠興の築いた城。関ヶ原の戦いの後、細川氏は丹後から小倉に移り、当地を30年間治めた(その後熊本へ)。現在の天守閣は1959年に再建されたもの。お城の見学等に2時間程費やして、午後3時半過ぎに小倉を出発、宿泊予定地の長崎県諫早へ向かう。小倉から博多まで快速列車で約1時間、さらに博多からは特急を使って約2時間の移動で、午後7時過ぎに諫早到着。

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2006年3月26日 (日)

福井・東尋坊に行く

「青春18きっぷ」を使う日帰りの旅、今日は福井県の東尋坊に行ってみた。朝7時すぎにウチを出て、名古屋から米原まではとりあえず普通列車。で、米原から福井までの区間も普通列車を使うと、途中待ち合わせも含めてかなり時間がかかる。で、あまり時間を無駄にもできないし、ここは特急列車を使うことにした。「青春18きっぷ」は普通列車専用の乗り放題切符だから、特急に乗る場合は特急券はもちろん乗車券も必要になるのだが、これも若者のビンボー旅行とは違う、お金で解決できる中年の強みと思うことにしよう。米原から福井まで特急運賃2,770円也。

P1010012 10時すぎに福井に到着。次に乗るのは、えちぜん鉄道。去年の夏、福井県立恐竜博物館(勝山市)に行った時も利用したが、この電車にはなぜか「アテンダント」と称する若い女性の車掌さんがいて、その制服も去年見たのとは違うものだったから(後で調べたら夏服と冬服があるらしい)、ローカル線でそんなにコストかけて大丈夫なのかと要らぬ心配をしてしまう。それはさておき、1日フリーきっぷ800円を購入して、三国駅まで45分のローカル線の旅。そして三国駅からバスに乗り(運賃270円)、10分程で目指す東尋坊に到着。天気は曇りだったが、結構人が来ていて、食い物屋もたくさんあって、東尋坊タワーなるものもそびえ立ち、それなりに観光地然としているのだった。

P1010006 さて、東尋坊。大きな岩山がいきなり海から突き出ているような地形だ(写真上)。溶岩が固まってできたもので、地質学的には「柱状節理」と呼ぶ(写真右は現地の説明板)。「断崖絶壁」と聞いていたので、目も眩むような高さを想像していたのだが、思っていた程ではなかった。それでも荒々しい自然の造形はまさしく奇観と呼ぶにふさわしい。「自殺の名所」でもあるということで、観光のメインスポットから少し外れた場所に立っていた四角い木の柱には、「粗末にするな親からもらったその命」等の言葉と共に、某お寺の電話番号も書かれていた。

午後は福井市内に戻り、郷土歴史博物館で「柴田勝家」展を見る。帰りは福井から敦賀まで特急(運賃2,100円)を使った後は、普通列車で敦賀から長浜、長浜から米原、米原から大垣、大垣から名古屋と小刻みに乗り換え、合計3時間半以上かけて夜8時前に千種駅に戻った。

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2005年9月19日 (月)

備中高松城跡へ行く

きのう18日は尾道観光が午前中で終わったため、名古屋に帰る途中でどこか行ける所はないかと、ガイドブックの中を探した。すると、備中高松城跡が、岡山から電車で20分の備中高松駅から徒歩10分、と行きやすい感じだったので、午後に立ち寄りしてきたのだった。

P1000546 備中高松城は、羽柴秀吉の水攻め(天正10年)で知られるところ。現在城跡は公園として整備され、城主・清水宗治の首塚(写真)があるほか、小さいながら資料館も置かれている。周囲はかなり宅地化されているが、田んぼも広がる平地で、秀吉が堤防を築いて川の水を流し込むことを決めたのも頷けたし、相当スケールの大きい作戦だったということも感じられた。実際、1985年に豪雨でこのあたり一帯が浸水したことがあるそうで、充分理に適った「奇策」だったようだ。

高松城攻めの最中に本能寺の変が勃発。秀吉は敵方の毛利と急ぎ講和を結び、宗治の切腹を見届けると、明智光秀を討つため京都に向けて取って返した。世に言う「中国大返し」である。

天正10年6月2日本能寺の変、4日講和、5日高松から撤退開始、7日姫路着、8日休息、9日姫路出発、11日尼崎着。2万5000の大軍が、1日で50kmを駆け抜けた日もあったという。そして13日の山崎の戦いで秀吉は光秀を打ち破り、天下人へと大きく前進したのだった。

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2005年9月18日 (日)

福山、鞆、尾道の旅

17日(土)
午前11時前に福山到着。駅の北側すぐの所にある福山城へ。建物の中は資料館になっていてざっと見学。ペリー来航時の筆頭家老だった阿部正弘が、ここ福山藩の出であることを知る。昼食後、駅南側のバスターミナルからバスに乗り、30分程で鞆の浦(とものうら)に着く。瀬戸内海のほぼ真ん中に位置する鞆は、潮の流れの分岐点にある港町として栄えた。鞆城という城が築かれていた高台に歴史民族資料館があるほか、坂本竜馬が「いろは丸」沈没事件の際に鞆に上陸したということで、港には「いろは丸展示館」なんてのもある。

が、戦国オタクの関心は、織田信長によって京都を追われた将軍・足利義昭が拠点とした場所が鞆だ、ということにある。足利義昭は、鞆の浦とその近辺に御所を構えるなど「鞆幕府」とも呼べる体制を築いて、毛利氏や大坂本願寺、上杉謙信らと連携しながら「打倒信長」の画策を続けたという(その辺については、藤田達生氏の講談社現代新書「謎とき本能寺の変」を参照のこと)。

午後4時過ぎに鞆を離れて海路で尾道に入る。所要時間45分の船旅。夕食は「壱番館」という店で尾道ラーメン。割とうまいのだった。

18日(日)
今回の旅行の主要目的である、戦艦大和の実物大映画ロケセットを朝から見に行く。今年春に呉市の「大和ミュージアム」に行った過去記事こともあり、こっちも見ておきますかという感じ。7月から始まった一般公開は、来年3月末まで続けられる予定。見学料は大人500円、子供300円。尾道駅でもチケットを販売している。

P1000520 場所は尾道の南、尾道水道を挟んだ向かい側の島、その名も向島(むかいしま)にある日立造船の工場の一角。まず、尾道から小ぶりのフェリーに乗って対岸へ渡る。着くとすぐに工場入口があり、そこから更にシャトルバスに乗って、2、3分で現地到着。開始時間の午前9時を回った時点で、既に見学者多数である。写真は「乗艦」する際、受付にいた水兵さん(女子です)。日焼けした顔でポーズをとってくれました。

P1000518 実物大といっても、全部が何から何まで再現されている訳ではない。いちおう船体としては艦首から200メートル近く、実物の3分の2くらいの長さ。主要再現部分は2番主砲、前部副砲、それと艦中央部の高角砲、3連装機銃(ただし左舷側のみ、それも後部の装備は一部省略)といったところ。艦橋は無いし、1番主砲は砲塔はあるが砲身は無い(何かマヌケだ~)。鉄じゃなくて木製のようですし、映画になればそれなりに見えるんでしょうけど、実物を目の前にするとハリボテ感は拭えないのだった。で、思い出されたのが、35年前の米映画「トラトラトラ!」に登場する実物大の戦艦長門。海に浮かんでいるものと思ってしまうのは映像のマジックというか錯覚で、実際には船体の喫水線から上の部分を、陸上に作ったものだ(ということを、少年マガジンの大伴昌司大図解で見た覚えがある)。しかし「洋上模型」であるとしても、艦橋、主砲、煙突、マスト等々何から何まで実物大で作っているのだから、やっぱアメリカって凄いよ~ん。

ロケセット見学後は尾道観光。といっても大林宣彦映画のファンでもない自分に特に「思い入れ」はなく、とりあえず古寺めぐりの道を半分くらい歩き、千光寺山にロープウェイで上ったりして、観光終わり。

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2005年9月 6日 (火)

田辺城と細川幽斎

P1000424 先日訪れた舞鶴の田辺城は、細川藤孝(幽斎)が築いた城。現在は公園となっており、城門を模した資料館などがある(写真)。

「週刊日本の合戦」第2巻は、関ヶ原の戦い(1600年9月15日)に関連して、細川幽斎が田辺城で西軍を迎え撃った籠城戦を紹介している。

慶長5年(1600年)6月、丹後国主・細川忠興が家康に従って上杉攻めに赴くと、7月18日、石田三成は1万5000の軍勢を丹後に進撃させた。丹後で留守居をしていたのは忠興の父・幽斎。67歳、既に隠居の身ではあったが、手勢500人程を集めて田辺城に籠もった。海と川が天然の堀の役割をはたしていた田辺城を西軍は攻めあぐみ、9月上旬に戦況は膠着状態に陥った。

幽斎は歌道、有職故実、音曲、茶道などをきわめた当代きっての文化人。なかでも和歌は、中世歌道の最高権威とされた「古今伝授」(「古今和歌集」解釈秘伝の伝承者)であった。このため、京都の御所では幽斎の助命を求める声が高まり、後陽成天皇は西軍に対し、田辺城攻撃の中止と幽斎の助命を求めた。9月12日、停戦を通告する勅使が田辺城に到着。城は西軍に明け渡されたが、幽斎の身柄は安全を確保されて丹波・亀山城へと移されたのだった。

芸は身を助ける・・・か。足利将軍家に仕えた後は織田信長の配下となり、明智光秀とは親しい関係(忠興の妻は光秀の娘・玉、洗礼名ガラシャ)にあった。しかし本能寺の変では光秀への協力を拒否。やがて豊臣秀吉に従い小田原攻めの先陣を務め、そして関ヶ原の戦いでは徳川家康の東軍側に付く。・・・戦国時代の荒波を、細川幽斎ほど巧みに泳ぎきった武将を他に知らない。

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2005年9月 4日 (日)

天橋立、丹波篠山へ行く

聞くところによると、関西の人にとって天橋立・丹波篠山観光は、日帰りまたは一泊旅行の定番コースらしい。で、名古屋在住の自分も試してみようと、この土日に「青春18きっぷ」を活用して行ってみた。

3日(土)
千種から朝7時台の電車に乗り、普通・快速を乗り継いで、京都に到着したのは9時45分。そこから山陰本線に乗り換えるが、亀岡に途中下車。駅から歩いて10分程のところにある亀山城跡を見る。この城は明智光秀が築いたもので、ここから本能寺目指して出撃した。現在は某宗教法人の所有地。1時間の寄り道の後、時間を取り戻すため、特急を乗り継ぎ、天橋立に着いたのは13時23分。

P1000415 とりあえず駅の近くにある天橋立ビューランドへリフトで上り、日本三景の一つを眼下に眺める。いちおう「股のぞき」もやってみた。頭に血が回るせいなのか何なのか、風景の迫ってくる力が増す感じ。ビューランドはこじんまりした規模の遊園地で、いかにも観光地らしい?どうでもいいようなミュージックが流れていたりする。時間があれば、南側のビューランドと向き合う格好になる北側の傘松公園からも見ておいた方がいいのだろうな。

15時20分天橋立を発ち、今度は西舞鶴へ向かう。目的は駅の近くにある田辺城跡。光秀と親交のあった細川藤孝の作った城で、現在は公園である。城門を模した資料館をざっと見た後、再び西舞鶴駅に戻り、宿泊予定地である福知山に向けて出発、17時22分到着。ここにも、光秀が築いた福知山城がある。で、福知山観光協会のイメージキャラクターも「光秀くん」だったりする。それも、ギャグマンガにも出てくるような二頭身キャラ。おいおい。

4日(日)
9時17分福知山出発、10時23分篠山口到着。篠山城跡までバスで20分程度の道のり。

P1000451 関ヶ原の戦いの後、大阪や西国の抑えの拠点として、徳川家康が池田輝政らに築かせたのが篠山城で、非常に立派な石垣が残されている。東に少し離れた高城山にあったのが、波多野氏の八上城。明智光秀がここを攻める際、人質に差し出した「母」を殺されたともいわれる(たぶん事実ではない)。

篠山城の近くには、河原町妻入商家群という古い町並みもあるが、飲食店・土産物屋が集まる二階町から少し離れているせいか、余り人がいないのだった。全般的に見ても篠山は、たくさんの人で賑わうという程でもなく、観光地としては落ち着いた感じ。散策後は再びバスで篠山口駅に戻り、14時33分発の快速電車に乗る。15時36分大阪着、更にひたすら東に進み、18時55分に名古屋に帰ってきた。

・・・大阪に着く直前、例の脱線事故現場を通過。衝突の傷跡が残るマンションの1階部分が目に入り、胸苦しい気分になった。

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2005年8月20日 (土)

福井県立恐竜博物館に行く

P1000396_1 今日は、福井県立恐竜博物館(写真は建物入口)に出かけた。「青春18きっぷ」を使って名古屋から米原、敦賀、福井とJR普通列車を乗り継ぎ、さらに福井からローカル線の「えちぜん鉄道」に乗り、終点の勝山まで行く長旅である。

福井県立恐竜博物館は、勝山で発掘されたフクイラプトルやフクイサウルスを初め、30体以上の恐竜骨格が展示されている、国内最大級の恐竜博物館。開館5周年記念として、「大空に羽ばたいた恐竜たち」と題された企画展も行われていた。「恐竜博2005」のテーマもそうだったが、恐竜の鳥への進化はもはや定説になりつつあるようだ。

常設展示が行われている建物は卵型の巨大なドーム。吹き抜けになった2つのフロアーに、3つのテーマ別ゾーン(恐竜の世界、地球の科学、生命の歴史)を配置して多くの資料が展示されており、見学者はコースに沿って回遊するように見ていくことができる。

見学を終えたあと、レストランで「プテラノ丼」と名付けられた焼き鳥丼(800円)を食べ、ミュージアムショップでフクイラプトルがプリントされたTシャツ(1785円)を買った。レストランのメニューには他に「恐竜のたまご」(ライスコロッケとの説明あり)、「恐竜カレー」、「ザウルス丼」(焼肉丼、肉食の方にオススメだそうです)など。

しかし、最近は新たな発見が行われ研究も進んでいることから、実にいろんな名前のいろんな恐竜を目にすることができるわけだが、恐竜といえば結局はティラノサウルス、ブロントサウルス(アパトサウルス)、トリケラトプス、ステゴサウルスに尽きるような気がするなあ。これらを個人的には恐竜四天王としておこう。

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2005年5月 5日 (木)

小谷城跡を歩く

P1000174 琵琶湖の近く、戦国大名の近江・浅井氏が築いた小谷城跡(写真は本丸跡)を歩いた。JR西日本の「ふれあいハイキング」の案内で、虎姫駅から出発して、虎御前山を歩き、そこから小谷山へ向かい、小谷城跡などを回りながら、河毛駅へと下るコース。朝10時過ぎに出発して、5時間余りかけて歩いた。良いハイキングコースではありましたが、山道を上り下りするわけですから、戦国オタクは体を鍛えておかないといけませんね。

小谷山の向かいにある虎御前山に、織田信長は浅井攻めの拠点となる砦を作り、天正元年(1573年)8月、越前・朝倉氏、そして浅井氏を一気に滅ぼした。この年は既に武田信玄の死、足利義昭の追放と、信長包囲網が綻び始めており、朝倉・浅井の滅亡で、信長の天下統一に向けた動きは加速していくことになる。

信長マンガの最高峰、池上遼一の「信長」では、朝倉・浅井氏殲滅戦の推移が割りと丁寧に描かれているので勉強になります。しかしこのマンガの信長は、マントやら帽子やらを身に着けた南蛮風の出で立ちが印象深いのだよなー。名古屋や岐阜、安土などで行われる武者行列の信長も、「南蛮バージョン」で見てみたい気がするなー。

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2005年4月30日 (土)

宮島、呉、倉敷の旅

P1000089 大型連休の初っ端2日間を使って、山陽方面へ一泊旅行。昨日29日は宮島、厳島神社へ。言わずと知れた松島、天橋立と並ぶ日本三景の一つだが、昨年9月の台風で被害を受けて、倒壊した左楽房は今も復旧工事中(写真)。
この復興支援として、東京・上野で開催中の厳島神社国宝展。この旅行に先立って見に行く機会があり、特に予備知識も無いまま、平家ゆかりのお宝とご対面したのだが、清盛はじめ一族が写経した「平家納経」は、なるほど精緻に作られた美術品という感じだった。とはいえ、栄華を誇った一族が現世の繁栄に加え、来世の極楽往生も願って豪華な経典を納めたと聞くと、少し切ない気分にもなる。

P1000124 今日30日は、一週間前の23日にオープンしたばかりの呉の「大和ミュージアム」へ。朝9時前に行くと、既に開館待ちの行列ができていた。呼び物は、実物の10分の1、全長26メートル余りの戦艦大和の模型(写真)。4階建ての建物は3階まで吹き抜けになっており、大和はその中央に置かれている。展示物はこのほか、ゼロ戦や人間魚雷「回天」、屋外には戦艦陸奥の砲身やスクリューなども。館内では「呉の歴史」「船をつくる技術」をテーマとした展示が行われ、大和関連のコーナーもある。
確かに、戦艦大和には当時の最高技術が結集されていた。しかし、その技術の結集は「大艦巨砲主義」という時代遅れの思想に基づいていたことが、大和の悲劇だった。最後は「特攻」作戦で沈んだ、この世界一の戦艦を思うと、いつも何となく複雑な気持ちになる。

11時過ぎにJR呉線に乗って東へ移動。車窓から見える島と海の風景がなぜか懐かしい。三原から山陽本線に乗り換え、午後2時に倉敷到着。駅から10分程歩き、江戸時代の町並みを残した美観地区へ。同地区にある大原美術館で絵を見たり、ビールを飲んで「ままかり」定食を頂くなどして過ごした。

ひたすら見聞を広める、中年単独者のひとり旅でした。しかし、この2日間はかなり暑かったな。

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2005年4月24日 (日)

賤ヶ岳を歩く

琵琶湖の北、賤ヶ岳を歩いた。本日参加したのはJR西日本「ふれあいハイキング」。JR東海「さわやかウォーキング」を愛用する拙者、とうとうJR西日本のイベントにも足をのばし始めたのだった。

「本能寺の変」の翌年天正11年(1583年)春に、余呉湖の一帯で行われた羽柴秀吉と柴田勝家の決戦が、いわゆる賤ヶ岳の戦い。この時、秀吉は15,000の兵を率いて、大垣から50km余りを5時間で駆け抜けて戦場に到着したという。その4日後には勝家を自刃に追い込んでいる。本能寺の変直後の「中国大返し」といい、秀吉のスピード重視の戦いぶりは信長譲りという感じがする。

今日歩いたのは余呉湖の周りの山道を一周するコース。快晴の空のもと午前11時から午後4時近くまで、途中1時間程休憩も入りましたが、結構アップダウンのある道のりを進み続けて、久々に山の中を歩いたあ~と感じた。

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2004年12月 5日 (日)

大井川鐵道に乗る

昨日来の雨も明け方には上がり、JR東海主催の「さわやかウォーキング」に参加するため、朝7時にウチを出て、途中ダイヤの乱れによる電車の遅れに遭いながらも、何とか目的地の金谷駅に辿り着くと、昨夜の大雨の影響でウォーキングは中止との事実を知る。ええーっ。電話で確認すれば良かった。これまでも少々の雨なら開催していたのに、同じJR東海でも名古屋地区と静岡地区の判断基準は別なのか? 当日の天気は晴れたというのに、ウォーキングは中止って言うじゃなーい・・・残念!まったくもーぶつぶつ・・・しかしこのままユーターンというのもバカらしい、どっか知らないところに行っとこう、どっか・・・と大井川鐵道金井駅の中の案内をいろいろ眺めながら、比較的手頃な時間でいける川根温泉に行くことにした。

かなりのオンボロ電車に揺られながら走ること約40分で川根温泉のある笹間渡に到着。駅のすぐそばにある「ふれあいの泉」という施設に入る。ここの露天風呂からは、大井川にかかる鉄橋を渡るSLを眺める(12時25分頃)ことができた。鉄橋にSL、やはり絵になります。ただし、最後尾に電気機関車が付いて、SLをサポートしていたようですが。入浴後は施設内の食堂で昼食をとったが、何気なく飲んだセルフサービスのお茶がはっとするほどおいしかったものだから、すぐに施設内の売店でお茶を購入。金谷からこの辺りは、お茶の産地として有名なのはダテじゃない、と感じた。

その後金谷駅まで戻ったが、強風のためJRのダイヤは乱れたままで、駅で30分程待った後、来た電車(定刻より50分遅れ)に乗って名古屋に帰った。電車に乗る時間の多い一日だった。

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