2016年3月22日 (火)

「回天」基地の島

年度末。まず休暇の消化を決めて、さて何をするかと考えた。で、前から何となく気になっていた場所に行ってみるかと、瀬戸内海の大津島(おおづしま)にある回天記念館を訪ねた。

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太平洋戦争末期の特攻兵器である人間魚雷「回天」。大津島は、その訓練基地のあった場所。徳山駅前のフェリー乗り場から船に乗って、大津島の「馬島」まで40分(直行便なら20分)で到着。そこから10分程歩いた高台に回天記念館がある。建物の入り口横には、回天の模型が展示されている。全長約15メートル、直径1メートル。「人間魚雷」回天、その姿はとりあえず一人乗り型の潜水艦というところ。

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大津島の海岸に残るこの構築物は、もともとは九三式魚雷の発射試験場として昭和14年に作られた施設。回天が九三式魚雷をベースに開発されたこともあり、この施設を利用して回天の操縦訓練が行われ、島に基地も建設されたということである。

ここに来るまでの自分の回天に対するイメージは、敗色濃厚な戦争末期に現われた苦し紛れの兵器というものだったが、記念館の展示を見ると、かなり大規模な組織的プロジェクトだったんだなあとちょっとびっくり。回天の基地は大津島の他に山口県の光(ひかり)と平生(ひらお)、大分県の大神(おおが)の合計4ヵ所あり、いずれも工場や兵舎などの施設が整えられていた。全国から集められた志願兵約1,400名は、昭和19年9月から「新兵器」の運用をマスターする特訓開始。一日のカリキュラムを見ると、予定がびっしりなのにまた驚く。訓練中の事故死もあったとのことだが、とにかく2ヵ月の猛訓練を経て11月から実戦に投入。翌年昭和20年8月までの出撃回数は約30回。大型潜水艦に目標近くまで運ばれる形で出撃するのだが、諸々の条件や事態に左右されて、攻撃にまで至らず帰還する場合もあり、空母や戦艦など大物の敵艦を沈めたという戦果は皆無。やはり相当運用の難しい兵器だったのは否めない感じだ。なお回天に係わる戦没者は搭乗員に整備員他も含めて145名、没時平均年齢21.1歳とのこと。

強い使命感があれば、人は死ねるのかも知れない。あるいは、死を納得するために使命感を湧き立たせるのか。そこは分からないにしても、戦争についていつも思うのは、時代が違えば人の運命は恐ろしい程に違うという残酷な現実だ。

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2015年4月19日 (日)

三春滝桜

広告に影響されることは結構あるもので、JRのポスターで見た福島県三春の滝桜の見事な美しさに「こりゃすごい」と圧倒されて、「じゃ、行ってみるか」と決めた。

三春滝桜は日本三大桜のひとつ。あと二つは岐阜県の根尾谷淡墨桜と山梨県の山高神代桜。滝桜は大正11年に、桜の木としては初めて天然記念物に指定された。エドヒガン系ベニシダレザクラで高さ13.5メートル、推定樹齢は1000年を超える。

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郡山まで新幹線、そこから磐越東線に乗り換えて2つ目の三春駅下車。桜の時期に出ている臨時バスに乗り、20分程で観桜コースの入り口に到着。5分程緩やかな上り坂を歩くと、目指す滝桜が現れる。この時期は老若男女、団体さんも含めて、たくさんの人がやって来る一大観光地なわけですね。

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三春は江戸時代には秋田氏5万石の城下町だったとのことだが、それより前に人はどれくらいいたのだろうか。滝桜の樹齢1000年と聞いて、今は大勢の人が見に来るけれど、過去には人知れず花を咲かせて散らせていた時もあったのかなぁと考えたりした。

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2015年3月 1日 (日)

鯖街道熊川宿に行く

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ふと思い立って、鯖街道熊川宿を訪ねた。

2月27日金曜日の夜に京都に入り、翌28日土曜日の訪問。京都からJR湖西線近江今津駅まで約50分。そこからバスに約30分乗って「若狭熊川」で下車した。が、ひとつ手前の「橘町」で降りて、そこから戻る格好で歩いて「道の駅」からスタートするのがベターかも。

しかし殆ど人がいない。まだ冬場だから?

やはり木曾の妻籠や奈良井に比べたら、全体的に物足りない感じではありますが。

戦国時代好きに面白い史実は、細川藤孝の妻が熊川出身とのこと。
「室町時代末期から江戸時代初期の武将であり優れた歌人として有名な幽斎(玄旨)細川藤孝(1534~1610)の妻は、実は熊川城主沼田光兼の娘麝香(じゃこう、受洗名マリア)でありました。幽斎も光兼も足利将軍直属の家臣でありましたから、二人は浅からぬ縁に結ばれていたようです」(当地の資料館で購入したパンフレットより)

帰りの新幹線の車中では、ビールを飲みながら焼き鯖寿司をつまむ。充分贅沢だよな、という気分になりました。

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2014年4月 6日 (日)

平等院を見に行く

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大修理のほぼ終了した平等院を見に行った。
鳳凰堂は赤味の強い朱色に塗りなおされて面目を一新。

天気は曇り一時雨、時に晴れ間も出るという不安定な気候。それでも修理が終わり内部拝観も再開したばかりということで、多くの人が訪れていた。自分が入ったのは朝9時半頃だったが、拝観は既に2時間待ちの状況。内部拝観はまたの機会にして、ここに来れば当然のように、隣接しているミュージアムに入り、雲中供養菩薩像を見る。

雲中供養菩薩像。今年の1月も、サントリー美術館の展覧会で間近に目にする機会があった。なぜか僕は雲中供養菩薩像がとても好きで。11年前に、この平等院のミュージアムで初めて見た時は、彼らの奏でる音楽が聞こえてきたような気がした。日本人の繊細かつ洗練された感性が作り出した本当に素晴らしい彫刻作品だと思う。

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2013年5月 5日 (日)

ドイツ(東部~北部)のお城

4月24日から5月1日の日程でドイツを旅行した。例によって団体ツアー参加。フランクフルトからいわゆるゲーテ街道を東に向かい、ドレスデンから北上、ベルリン等を経てハンブルクに至る。今回のツアーでは、お城を見ることが多かったので、紹介してみる。

Photoヴァルトブルク城(2013年4月25日撮影)

Photo_2ワイマール城(2013年4月25日撮影)

Photo_3モーリッツブルク城(2013年4月26日撮影)

Photo_4ドレスデン城(2013年4月26日撮影)

Photo_5シュヴェリーン城(2013年4月28日撮影)

まあとにかく、今回の旅行では、世界遺産ヴァルトブルク城に行くのが一番の目的だったので、他のお城は、こういうところがあるのね、という感じで見て回りました。

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2013年5月 4日 (土)

ヴァルトブルク城に行く

4月25日、ドイツにあるヴァルトブルク城を訪ねた。

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どんなところか。以下はNHK「世界遺産」のサイトにある解説から。

ヴァルトブルク城は、ドイツ中央部の古都アイゼナハにある。ドイツの精神史、文化史上の重要な舞台となり、ドイツ人の心のふるさとだといわれている。

ワーグナーは、城内の歌合戦の間を舞台に、歌劇『タンホイザー』を書き上げた。城の美しさに感動した文豪ゲーテは、ワイマール公国の宰相になってから城の修復を命じている。聖エリザベートは、ドイツ人が最も敬愛する聖人の一人。この城に連れてこられて王妃となるが、華美な生活を好まず、恵まれない人々のためにその身をささげた生涯は、慈愛の見本とされた。

16世紀初頭のヨーロッパでは、教会が免罪符を販売。これを買えば罪を免れると言われ、市民はこぞって買い求めた。この動きに激怒したのがマルティン・ルター。1517年10月31日、教会への質問状を出して、救いが金で買えることは間違っている、と訴えた。ローマ教皇に破門されたルターは、ヴァルトブルク城にかくまわれる。城の一室で、ルターは新約聖書のドイツ語訳に取りかかる。聖職者や貴族にしか分からなかった聖書の言葉を、誰にでも分かりやすい言葉に翻訳し、宗教を民衆のものにした。

・・・で、下の写真がその、ルターが10ヵ月間カンヅメになって聖書を翻訳した部屋。この場所で、その後の歴史を変える作業が行われたのだなあ。

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上記の人物中、聖エリザベートは13世紀の人。その夫のテューリンゲン方伯ルートヴィヒ4世は1227年、あの皇帝フリードリヒ2世の十字軍に参加。その遠征途上、27年間の生涯を閉じる。エリザベートもその4年後、24歳で死去。

もうひとつ付け加えると、あのバイエルン王ルートヴィヒ2世は、この城の祝宴の間(下の写真)を模倣した部屋を、自分のノイシュヴァンシュタイン城内部に造った、とのこと。

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ドイツの歴史の要所要所に関わるヴァルトブルク城。まあとにかく自分にとっては、ヴァルトブルク城といえばルターだな。

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2012年8月 6日 (月)

ノイシュバンシュタイン城

7月21日、ドイツのノイシュバンシュタイン城を訪ねた。

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行く前は、ベタな観光地となっているお城に、特に期待もしていなかったのだが、実際に見たら感心してしまった。単純なワタシ。

やっぱりね、絵ハガキみたいなキレイな写真で見ても「ふ~ん」みたいな感じなのだが、実際にその大きさや質感を自分の目で見ると、「ほぉ~」という感じになるのだな、これが。かなりのもんだよ、ホントに。東に姫路城(白鷺城)あれば、西に白鳥城あり、なんて思ってしまう。

しかし我が姫路城は世界遺産だが、ノイシュバンシュタイン城は世界遺産でも何でもない。ノイシュバンは19世紀の、歴史上はごく最近の新しい城。しかも殆ど王様の趣味で作っちゃってるし。考えてみれば、19世紀後半にこんな大きな城を建てるなんて、日本でいえば明治維新の後に姫路城を建てるようなものなので、かなりアナクロ、時代錯誤の振る舞いであることは間違いない。まあ後の世に観光資源を残したとは言えるけど・・・この城を建てたルートヴィヒ2世は「狂気」に陥ったとされて、逮捕・幽閉されたのも分かるような気がする。そして直後に王は謎の死を遂げてしまう。

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実は30年以上も前、ヴィスコンティの映画「ルートヴィヒ」を見てたんだな、ワタシは。当時の邦題は「ルードウィヒ・神々の黄昏」だったけど。それは別にルートヴィヒ2世に興味があったわけじゃなくて、岩波ホールにかかる小難しい映画を、若気の至りで見ていた時期だったということで、その証拠に映画の内容は殆ど覚えていない(苦笑)。当時の映画パンフを見直しても、エリザベートの「あなたは私に叶わぬ恋という夢を見ているのだわ、ルートヴィヒ」なんてセリフの記憶を確かめるくらい。

DVD商品は「完全版」との触れ込みで、何と4時間。日本公開版の映画は3時間だったので、そりゃ長すぎるだろうと思っちゃいます。しかもアマゾンに気になるレビューがあって、死亡したエリザベートが眠るように横たわるシーンがDVDではカットされてるらしい。何しろ自分の殆ど唯一印象に残ってるシーンが無いというなら、また見ようという気も無くなるよ。(苦笑)

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2012年8月 5日 (日)

ローテンブルク

7月20日から23日までドイツを観光していた。ロマンティック街道を中心とする旅である。我ながら何でこんなベタなコースの団体ツアーに一人参加してるんだろ、とか思うのだが、その理由はアーヘンがコースに入っていたから。アーヘンを訪ねる団体ツアーは珍しい。こういうのも機会だよなと思って、とにかくアーヘンに行くのだと参加した次第。それから、ちょっと面白いと思ったのは、羽田から夜中にANAのフランクフルト直行便で出発し、当地の早朝に着いてそのまま観光開始、帰りも羽田に早朝に着くという、やや弾丸ツアーっぽいところ。この羽田―フランクフルト便(ボーイング787型機)は、どっちかというとビジネス向けの飛行機らしいが、確かに観光に使うのも合理的な感じはある。

さて、実際に観光してみると、意外と良かったというか、ベタなコースも行ってみるものだなという感じがした。ロマンティック街道の町ではローテンブルクに宿泊したほか、ビュルツブルクとネルトリンゲンに下車観光。

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何しろ「弾丸ツアー」なので、ローテンブルクは夕方に着いて短時間散策したのみだけど、なるほどチャーミングな街並み。日本人の好みに合う感じの場所である。しかしガイドブックで撮影ポイントとして紹介される「プレーンライン」と呼ばれる場所(写真上)は、実際に見てみると何だかあんまりピンとこなかった。町の中心地であるマルクト広場周辺(写真下)がフツーにキレイだと思う。

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当地では、夜警姿のガイドさんが町を案内する場面に出くわした。話は英語なので正直何言ってるのか分からない。ドイツ語のガイドさんもいるとのことだが、どっちにしても分からないね。ところでこのガイドツアーが始まったのは何時かというと、夜の8時。全然明るい。緯度の高いドイツでは夏場は本当に日が長くて、日没は9時過ぎになる。観光的には日が長い方が良いですね。

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2012年8月 4日 (土)

アーヘン大聖堂

ドイツのアーヘンは、神聖ローマ皇帝の戴冠式が行われた町。そもそも「ヨーロッパの父」カール大帝ゆかりの地である。

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アーヘンがコースに入ってる珍しい団体ツアーを見つけて参加。7月23日にアーヘン大聖堂(世界遺産)を訪ねた。以下は「週刊世界遺産」41号(講談社)からメモ。

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アーヘンの大聖堂は、フランク王国カロリング朝のカール大帝が785年頃に建設を命じた宮廷礼拝堂を起源とする。
カール大帝は、現在の独仏伊にまたがる大領土を統一し、800年にはローマ皇帝として戴冠。805年に完成した宮廷礼拝堂は、カロリング・ルネサンスの白眉といわれる。
大帝の死後、礼拝堂は神聖ローマ帝国歴代皇帝の戴冠式場となり、アーヘンの名は西欧世界に轟いた。
15世紀初頭、礼拝堂の東側にゴシック様式の内陣が加わり、17世紀半ばには礼拝堂にバロック様式のドーム天井が架けられた。増改築は繰り返されたが、礼拝堂の構造体はカロリング朝期の貴重な遺構として、今日までその形を保っている。

Photo_5写真は上から大聖堂外観、礼拝堂内部、玉座。自分の神聖ローマ皇帝二大アイドルであるフリードリヒ2世とカール5世も、戴冠式でこの玉座に座ったんでしょうか。

しかし海外旅行って、行く時は正直億劫なんだが、帰ってくると「ああ、行っといて良かった」と思う。それはいつものこと。で、帰国直後に聴講した朝日カルチャーセンター「西洋中世史」講座で、甚野尚志先生が参考図書として『地上の夢 キリスト教帝国――カール大帝の〈ヨーロッパ〉』を推薦したものだから、品切れ本のためアマゾンの中古で高値が付いていたにも係わらず、ほぼ衝動買い。こうして読みたいと思う本が、ただただ溜まっていくのであった。(苦笑)

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2012年2月27日 (月)

トレドのバルで

先日のスペイン旅行(2/18~24)における自分のメインはトレド。中世ヨーロッパにおける、イスラム学からラテン学への「翻訳センター」、12世紀ルネッサンスの発信地を訪ねる、そんな感じ。

トレドに着いたのは2月21日夕方。旧市街にあるホテルに泊まる。(団体ツアーでトレド泊があるのは珍しい。大概マドリッドから日帰りで行くパターン)

夜の町を歩くと、さすがに古都の雰囲気が濃厚にある。旧市街の東、アルカサル近くに位置するソコドベール広場から、お店の並ぶコメルシオ通りをぶらぶら歩いていく。すると、ある小さな飲食店の中で明らかに東洋人と思える黒髪の女性が店を切り盛りしているのが目に付いた。外に出されたメニュー板にはサンド類やプレートが並び、いわゆるバル(タパスと呼ばれる小皿料理を出す居酒屋)よりは、もう少し軽食屋さんに近い感じで、店名にもカフェテリアとある。非常に意外な光景で気になったのだが、もう少し周辺をぶらぶらする。

で、行きつ戻りつ、迷った挙句、意を決して件の店に踏み込んだ。小さいが明るい店内にはテーブル3つ、狭いカウンターがあり、何組かの客がいる。カウンターの端に座り、例の彼女にメニューを渡される。東洋人には見えるけど、いちおうスペイン語で「ウノセルベッサポルファボール」(ビールください)と言うと、「日本の方ですよね」と日本語が返ってきて、(ああ、そうか)という感じになり「はい」と答えた。

店を出る時に、自分の好奇心を満たす最低限の事柄を、30代後半と思しき彼女に尋ねてみた。20年以上前からあるこの店は2年前に改装。スペイン人の御主人と共に、彼女は11年前からここで働いているとのこと。

こんなところで、というほどトレドは辺鄙なところではないが、それでも地球の裏側のスペインで日本人女性ががんばっているのを見るのは、不思議な感慨があった。旅は予想外のことに出っくわすと、印象深いものになる。

お店の名前は「cafeteria ZOCODOVER」。トレドに夜滞在する機会がある日本人は、訪ねてみるとよいと思う。

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(写真は翌朝撮ったものです)

(追記)クチコミ情報のサイトを眺めていたら、この店を紹介した投稿を見つけた。店名の読み方は「ソコドベール」らしい。要するに広場の名前そのままでした。

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