2023年3月12日 (日)

映画『アンノウン・ソルジャー』

フィンランドの戦争映画『アンノウン・ソルジャー』。2019年の日本公開作品だが、昨年の夏、新宿の映画館で「戦争映画特集」の一本として、3時間のディレクターズ・カット版が公開された。ウクライナ戦争で、ロシアとフィンランドの関係にも注目が集まっていたこともあり、自分も新宿まで観に行った。先頃この3時間版がDVD化されていたことを知り、もう一度観てみたという次第。

1939年11月末から1940年3月まで、フィンランドは侵攻してきたソ連と戦った。これが「冬戦争」。次に独ソ戦の開始と共に1941年7月、フィンランドは領土奪還のため再びソ連と戦争を始める。これが、映画で描かれる「継続戦争」で、1944年9月まで続く。当時フィンランドは、ナチスドイツと組むしかなかった。「敵の敵は味方」でやってきたのが、ヨーロッパ。地続きで多くの国が隣り合わせになっている国々の意識は、島国日本とは当然のように違う。

アンノウン・ソルジャー、つまり無名戦士の日常生活は戦闘が中心だ。戦闘準備、戦地に向けて行軍、戦闘、休息、そしてまた行軍。森の中を歩き、山を越え、川を渡り、原野を進む。たまに一時帰休はあるにしても、一度家を離れたら、簡単には戻れないハードな生活だ。

フィンランドは森の国。森の中の戦闘は、敵の居場所が見えにくいだけに、恐怖は倍増し、勇気も一層必要になる。主要人物は何人かいるが、主人公と言える古参兵ロッカ伍長は、上官から「勇敢だな」と称えられると、「俺たちはただ、死にたくないから敵を殺してるだけです」と答える。若い新兵にはこうも言う。「人でなく敵を撃つ。賢い連中は言ってる、❝敵は人間じゃない❞って。割り切って敵を殺せ」と。まさに人ではなく、敵を殺すのだと思わなければ、戦争などやれないだろう。ロッカは、自分の振る舞いを上官たちに咎められても、「お偉方のために戦ってない。家族のために戦ってる」と言い返し、最後の場面では銃弾の飛び交う中、負傷した相棒を背負って川を渡るなど、男気のある人物として描かれている。

映画の後半はフィンランド軍の撤退戦。戦果も無いまま負傷者が増えるばかりの撤退戦の行軍は悲惨だ。「体に悪いからタバコはやめろ」と人に言っていたロッカも、撤退戦の過酷さからなのか、たびたびタバコを口にする。上官が現場の状況を無視した「死守」命令を叫んでも、疲れ切って行軍する兵士たちからは「何言ってんだコイツ」的ムードが漂う。負け戦の軍隊が惨めで気違いじみているのは、洋の東西を問わないようだ。

映画の原作小説は、フィンランドでは知らない人はいない作品だという。どのような形であれ、戦争に係る国民的記憶は残しておかなければならないと、つくづく思う。

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2022年6月12日 (日)

「メフィラス構文」

公開中の映画「シン・ウルトラマン」観客動員200万人突破を記念して、ただ今入場者に「メフィラス構文ポストカード」配布中(全国合計50万枚限定)。3種類あるとのことだが、とりあえず自分の貰ったカードには、「千客万来。私の好きな言葉です。」とあります(笑)。既にヤフオクには3種セットなるものが出品されていて、あと2つは「ポップコーンは割り勘でいいか?ウルトラマン。」「そうか。映画を観に来たのか。賢しい選択だ。」というもの。3種いずれもメフィラスのセリフをベースに、映画興行の宣伝フレーズとしている。

「メフィラス構文」とは、映画に登場する山本耕史演じる外星人メフィラスが、格言などを引用した後に「私の好きな言葉です」、または「私の苦手な言葉です」を付け加える言い回しを指している。今や特に格言に限らず、「好きな言葉です」を付け加える「用法」として、SNSやネットで認知されている感じだ。

メフィラスが「私の好きな言葉です」として挙げるのは4つ。
・郷に入っては郷に従う
・善は急げ
・備えあれば憂いなし
・呉越同舟
同じく「私の苦手な言葉です」として挙げるのは2つ。
・目的のためには手段を選ばず
・捲土重来

「郷に入っては郷に従う」「呉越同舟」が好きというのは、物事を進める際のメフィラスの現実主義的な姿勢を示しているように思う。「備えあれば憂いなし」が好きというのは、物事を進める際のメフィラスの用意周到な姿勢を示しているように思う。「善は急げ」が好きで「捲土重来」が苦手というのは、メフィラスが物事を進める際には、タイミングを捉えて一発必中で決めたいという意思を表しているように思う。そして「目的のためには手段を選ばず」が苦手というのは、なりふり構わず物事を進めることはしたくないという、メフィラスの美意識を示しているように思う。

好きな言葉と苦手な言葉で、自分のポリシーを示すメフィラス。さすがウルトラマンの強敵という感じ。

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2022年6月 5日 (日)

映画「ドンバス」

ウクライナ東部のルハンシク州とドネツク州、合わせてドンバス地方でのロシア軍とウクライナ軍の戦闘激化が伝えられる中、その地名をタイトルとした映画「ドンバス」が公開中。ウクライナのセルゲイ・ロズニツァ監督、2018年の作品である。

舞台は分離派(親ロシア派)の支配する2014年以降のドンバス地方。主人公がいてストーリーがある、という映画ではなく、戦時下の日常生活で起きる人々の英雄的でも何でもない行動の数々を、13のエピソードでオムニバス的に描いていく作品。ロズニツァ監督は、ドキュメンタリーを多く手掛けている映像作家ということで、この映画も手持ちカメラによる長回し撮影を中心とする、ドキュメンタリーチックな作り方である。見ていると、本当に現地で撮影しているような錯覚に陥るが、実際の撮影地はドネツク州の西の隣にある州とのこと。

13のエピソードは実際の出来事を元にしており、「どんなに信じがたくても全て実際に起きた出来事」(ロズニツァ監督)だという。確かに登場人物の行動は、戦時下という混沌の中で生きる人間としては、「普通」の行動なのだろうという感じがする。要するにリアルなのだ。例えば、戦場に取材に来たドイツ人ジャーナリストを見て、分離派兵士が「ファシストだ」とワーワー騒いだり、カメラに向かって楽し気にポーズを取る場面とか。あるいは、街角で見世物にされた捕虜の兵士に対して、市民がリンチを仕掛ける場面。抵抗できない「敵」に対する、人々の情け容赦ない有り様が、酷く生々しいのである。

戦争は、戦場で戦う兵士を恐怖と憎悪の中に叩き込むだけでなく、戦場以外の場所で何とか生活を続けている人々の間にも、分断と対立を生む。そして暴力性を孕んだ日常生活の中で、人々は正常なメンタルを維持できなくなっていく。戦時下で露になる人間の姿こそが人間の本性だとは思いたくないが、人間の卑小で愚かな本性を見せつけられるとすれば、やはり戦争は忌まわしいものだと思う。

この映画で起こることはほぼ「事実」なのだろうが、最後の出来事だけは本当にあったこととは思いたくない。ここは全くのフィクションであることを願いたいのだが、淡々と映し出され続けるラストシーンにエンドロールが被せられていくのを眺めながら、暗澹たる思いに気分が沈み込んでいくのを止めようもない。

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2022年5月28日 (土)

映画「シン・ウルトラマン」

映画「シン・ウルトラマン」が公開中。言わずと知れた、鬼才・庵野秀明が手掛ける「シン」作品である。この「シン」の意味するところはとりあえず、「新」および「真」であると見ていいと思うのだが、「新」はもちろん新しい、そして「真」はオリジナルを超える、くらいの意味合いか。この了解を元に考えると、セルフカバー的な「シン・エヴァンゲリオン」は置いといて、「シン・ゴジラ」は「シン」と呼べる凄い作品だと思うが、「シン・ウルトラマン」の出来はオマージュ作品の性格を大きく超えるものではない、というのが自分の感想。

ウルトラマンの姿で、オリジナルと一番異なるのは、カラータイマーが無いところ。もともと成田亨のデザイン原案にはカラータイマーは無く、いわば原点回帰の姿。カラータイマーは、テレビ番組の演出上付け加えられたものであり、しかも当時カラーテレビの普及が道半ばだったため、青色から赤色の変化を点滅で示す仕掛けも作られた。「シン」ではその代わり(なのか)、エネルギーが減少するとウルトラマンの体色の赤が緑に変化する。その他は、おなじみのスペシウム光線や八つ裂き光輪が、必殺の武器として繰り出されるのは変わらない。

怪獣は「禍威獣」と称されて、ネロンガとガボラが登場。宇宙人は「外星人」と称されて、ザラブとメフィラスが登場。デザインはオリジナルにまあまあ近いものもあれば、かなり異なる印象のものもある(ネットには「エヴァ」の「使途」を想い出すとのレビューが目につく)。映画冒頭にウルトラQ怪獣のパゴスもちょっとだけ登場するが、パゴスの頭部はガボラと同じに見えるし、パゴスの胴体はネロンガとほぼ同様の形状で、これはオリジナルでも着ぐるみの使いまわし(頭部を改造)していたことをベースにしているのだろう。

ストーリーでは、オリジナルの「にせウルトラマン」「巨大フジ隊員」が取り入れられているし、最後にゼットンが登場するのもオリジナルをなぞった展開。ただしゼットンは怪獣ではなく、全人類抹殺のための巨大な最終兵器という形で、しかもウルトラマンと同じ光の星からやってきたゾーフィ(ゾフィーではない)が持ってきた兵器という、かなり捻った設定である。

映画の結末では、ウルトラマンは死んだ・・・と思われる(セリフによる説明から推測するしかないけど)。これがオリジナルだと、ゾフィーが「命を二つ持ってきた」(!)と言って、ウルトラマンもハヤタ隊員も生き続けるわけだが。「シン」では、人間の自己犠牲的行動に強い関心を持ったウルトラマンが、最後には自分も自己犠牲の道を選んだ・・・ようにも見えるが、どうなんだろう。

まあ結局自分は、ウルトラマンよりも怪獣が好き。なぜ当時の(自分も含む)子供たちが怪獣に熱狂したのか。今から思えば成田亨という芸術家がデザインし、高山良策という芸術家が造型したからだよ、つまり僕たちは芸術を愛好していたのだと、何の迷いもなく言うことができる。

だから映画の冒頭を見た時に、庵野氏は先に「シン・ウルトラQ」を作るべきだった、と強く感じた。今からでも遅くない、怪獣だらけの「シン・ウルトラQ」が観たい!

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2022年5月 3日 (火)

映画「気狂いピエロ」

ジャン=リュック・ゴダール監督の「気狂いピエロ」が、リバイバル上映中。主演はジャン=ポール・ベルモンド。なので、昨年死去したベルモンドの追悼上映、らしい。自分がこの映画を観たのは1983年のリバイバル上映。ラストシーンが強烈だった。それ以外は覚えていない(苦笑)。今回、39年ぶりに鑑賞。

お話は掴みどころのない、とりとめのない展開だし、リアリズムで映像を作っているわけでもなく、基本、引用だらけの独白小説ならぬ独白的映画。とりあえずベルモンドのしなやかな身のこなしと、アンナ・カリーナの思わせぶりな眼差しにより、映画として成立している。のか。
結局やっぱりラストシーンが強烈。しかし最後のランボーの詩の訳が昔と違うような・・・「太陽と共に去った海」?・・・記憶にあったのは小林秀雄訳の「海と溶け合う太陽」なのだが・・・。900円を出して買ったパンフレットに、その辺の事情が書いてあった。やっぱりお金を出さないと得られない情報もある。

パンフレットに載っていたのは、翻訳字幕を作った寺尾次郎氏(1955-2018)が書き遺した話。それによれば、ラストシーンで語られるランボーの詩は「地獄の季節」の一節ではない。新訳を手掛けた時に、寺尾氏は「発見」したという。以下にパンフレット掲載文からメモする。

『気狂いピエロ』の、あまりにも有名なラストシーンに2人が語るランボーの「地獄の季節」の一節、「また見つかった/何が/永遠が/太陽と共に去った海が」。映画で引用されたこの詩が、「地獄の季節」(1873年)の中の「ことばの錬金術」とは異なる異句(題名は「飢餓」)であることを、恥ずかしながら初めて気づいた。僕が当時見た字幕の記憶では「海と溶け合う太陽」という「地獄の季節」の小林秀雄訳に近いものだったと思うのだが、今回、翻訳し始めて原文が違うので調べたところ、なんとランボーがその1年前の1872年に書いた「永遠」という詩のほうだった。

・・・うーん、そうなのか。しかし「地獄の季節」ではないと言われても、何かビミョーな気分。小林秀雄訳がカッコイイせいからか。やっぱり「海と溶け合う太陽」で良いような気がしてしまう。(苦笑)

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2022年4月25日 (月)

へドラ・日本沈没・大予言

先日、「生誕100年特撮美術監督井上泰幸」展(東京都現代美術館)を観た。

井上泰幸(1922-2012)は、円谷英二特技監督の下で特撮美術を担当し、精巧なミニチュア作りで東宝特撮映画の全盛期を支えた人物。ゴジラシリーズを中心とする怪獣映画、「日本沈没」などSF映画、「連合艦隊」など戦争映画、それらの特撮場面に登場する都会、山や海、熱帯のジャングルや氷に覆われた極地等々、あらゆる情景を精密なミニチュアで再現し、迫力ある映画作りに貢献した。

会場を歩くと、まず大量の絵コンテ、設計図が展示されていることに息を呑む。あらためて認識したのだが、自分が子供の頃に観た怪獣映画の殆どは井上さんが関わるものだった。自分は大体、昭和40年頃から映画館で怪獣映画を見始めたので、ゴジラだと「南海の大決闘」「ゴジラの息子」「怪獣総進撃」、ゴジラ以外だと「フランケンシュタイン対バラゴン」「サンダ対ガイラ」(怖かったぁ)の辺り。加えて春休み、夏休み、冬休みの「東宝チャンピオン祭り」で、「キングコング対ゴジラ」以降の作品を観た。これらの作品の殆どに井上さんは関わっている。このほかテレビ「ウルトラQ」の「ゴメスを倒せ!」は、重厚な画面そのものがドキュメンタリー的かつドラマティックだ。そして展示順路の最後に置かれているのは、「空の大怪獣ラドン」の名場面、井上特撮美術の最高傑作とも言えるであろう岩田屋百貨店のミニチュア。復元されたセットの出来栄えは圧巻で、深く静かな興奮を覚える。

井上さんは「ゴジラ対へドラ」では、へドラの造形も担当。下はデザイン画。

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そして「へドラ」を最後に、東宝から独立してフリーの特撮美術監督になるが、東宝作品にも引き続き参加。展覧会では、独立前後の東宝作品である「ゴジラ対へドラ」「日本沈没」「ノストラダムスの大予言」がまとめて展示されているスペースがある。これらの作品の公開時期は「へドラ」が1971年夏、「日本沈没」が73年末、「大予言」が74年夏。石油ショックが起きたのが73年秋。公害やら人類滅亡やらが取り沙汰されて、何しろ暗い世相で、74年の世の中は終末観のピークに達したという感じではなかったか。異色のゴジラ映画と評価される「ヘドラ」、「マントル対流」を学んだ「日本沈没」、何故か現在「封印」作品扱いの「大予言」。この3作品を、自分は小学校6年生から中学生の間に観てしまったわけで、人格形成に良くない影響があったかも知れない。(苦笑)

それはともかく井上泰幸展、興味深い展示内容でありました。CG全盛の現代から見ると、ミニチュア特撮はまさに職人芸、アナログの極致となるのだろうが、だからこそアナログの凄みを感じることができる展覧会だと思う。

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2022年4月17日 (日)

映画「ゴッドファーザー」50周年

気が付けば、「ゴッドファーザー」というのは50年も前の映画なのだな。そして自分は50年前に映画館で観ている。そんなに長い時間が経ったのか。どうにも信じられない。
先月、特集が組まれていた雑誌「kotoba」(集英社)を買い、今月は名画の劇場上映企画「午前10時の映画祭」で、「ゴッドファーザー」「ゴッドファーザーPARTⅡ」「ゴッドファーザー〈最終章〉:マイケル・コルレオーネの最期」3作品を続けて観た。「最終章」は、「ゴッドファーザーPARTⅢ」の2020年再編集版で、今回初の全国上映。

「ゴッドファーザー」の日本公開は1972年。自分が観たのは翌年春、中学1年生の終わりの頃だ。「PARTⅡ」公開は1975年、高校1年生の時。そして「PARTⅢ」公開は1991年で(16年経って続編が出来た時はさすがに驚いた)、自分は31歳になっていた。こうして振り返ると、自分の人生は「ゴッドファーザー」と共にあったような気がしてくる。

自分は1959年生まれだが、「ゴッドファーザー」は、おそらく自分以降の世代はかなり影響を受けている映画だと思う。直近雑誌等で知った「ゴッドファーザー」好き有名人は、オバマ元大統領、落語家の立川志らく。オバマは61年生まれ、志らくは63年生まれなので、やっぱりモロに影響受けた世代という感じだ。自分も、人生で大事なことは全て「ゴッドファーザー」から学んだ、と言ってもいいくらいの思いがある。

自分は今回、「最終章」を初めて観た。そもそも「PARTⅢ」の評価は余り高くないのが通り相場ではあるが、それは前2作に比べてという話で、「ゴッドファーザー」ファンには十分心に響く作品だろう。少なくとも、歌劇「カヴァレリア・ルスティカーナ」の楽曲をバックに進行する、お約束の敵方一掃抹殺シーンは「PARTⅡ」より上だろう(というかⅡがショボい)。さて、「最終章」の内容は「PARTⅢ」と大きくは変わらないが、いくつかのシーンの順序の入れ替えや削除等の変更があり、いきなり冒頭から「PARTⅢ」と異なる場面、マイケルとギルディ大司教の「商談」シーンが置かれる。意外感ありだが、変更の是非はよく分からない。さらにマイケル叙勲式のシーンもカット。その後のパーティ・シーン以降は概ね「PRATⅢ」と同じ進行だが、最後にまた少々意外な変化が。マイケルが愛する妻や娘、アポロニア、ケイ、メアリーとダンスする回想シーンが、マイケルとメアリーのダンスだけになり、最後の最後、老いたるマイケルの姿が映し出され、そしてシチリアの「幸福」観が紹介されて終わる。つまり、「PARTⅢ」の最後に置かれたマイケルの斃れるシーンがないのだ。サブタイトルに「最期」(原語でもThe Death of Miceal Corleone)とあるのにも関わらず、である。これも何だか妙な感じだった。

コッポラ監督の再編集の意図は正直良く分からないので、自分の印象だけ述べれば、「最終章」は前2作とのつながりをやや薄めて相対的に独立性を高めた(ちょっとだけど)作品という感じがした。冒頭の叙勲式シーンがカットされたことによりフレド殺しの回想場面もなくなったが、正直、冷徹な人物としてのマイケルのファンから見れば、彼が兄弟殺しの罪の意識に苛まれるような人物には思えない。「PARTⅢ」は、マイケルの「罪と罰」(兄弟殺しと娘の死)の色が濃い何だか気の滅入る話になっているが、少なくとも罪の意識の強調はやりすぎだと思える。悲劇的要素は全く要らないとまでは言わないが、できることなら「最終章」は、マイケルが自らのビジネスの合法化を目指す「最後の戦い」中心で、押し切って欲しかったような気もする。しかし「PARTⅢ」からも、30年経ってるのか。いやもうびっくりです。

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2022年2月 5日 (土)

岩波ホール、終焉を迎える

先日、神田神保町の岩波ホールが7月に閉館することが伝えられた。日本のミニシアター文化の先駆けとなった映画館である。以下は、昨日4日付日経新聞文化面の記事内容の概略。

 岩波ホールのある岩波神保町ビルは、1968年に建設された。ビルの所有者である岩波不動産の岩波力社長は、「ホール部門の過去のトレンド、コロナ禍、将来性を考えて判断した」と語った。ビルの賃貸収入は安定しているものの、ホール部門は「50年間で黒字になった年は数回しかない」という。
 岩波ホールの総支配人は高野悦子氏(故人)。先代社長の縁者で、パリ高等映画学院に学んだ。74年から、名画上映運動「エキプ・ド・シネマ」を開始。以来岩波ホールでは、65ヵ国・地域の271作品を紹介してきた。
 80年代にミニシアターは全盛期を迎える。岩波ホールに限らず、地味な良作や野心作がじわじわと浸透し、時に半年近くもロングランした。
 2013年に高野氏が死去した後、岩波ホールは業務の見直しも徐々に進めていたが、コロナ禍の影響も大きく、今年1月11日に閉館発表。配給会社からは驚きや残念な思いが示される中、ホールの存続を願う声も上がっている。

・・・というようなことなのだが、ベタに言えば「一つの時代の終わり」的な感慨も、自分にはちょっとある。日経記事では、企業の文化事業支援の限界という指摘もされていたが、岩波社長の「将来性も考えた」という言葉からは、映画産業における娯楽性優先・文化性後退、映画作品に文学性を求める観客の減少、というような現状認識も、閉館決断を後押ししたのではないか、とも感じる。

約40年前の昔、自分が岩波ホールで観た映画は、ミニシアター的にはメジャーな監督作品であろう、ルキノ・ヴィスコンティの「家族の肖像」「ルードウィヒ」、アンジェイ・ワイダの「大理石の男」。同じ頃に、メインではないサブの上映で、ヴィスコンティの「異邦人」(原作は言わずと知れたカミュの小説)も観ていた。比較的最近では、ワイダの「カティンの森」を2009年末に観て、2013年初にはカミュの遺作「最初の人間」の映画化作品を観た。もう9年も前だな。おそらくこれが、岩波ホールで自分が観た最後の映画になるのだろう。

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2022年1月29日 (土)

映画「クナシリ」

映画「クナシリ」を観た。タイトル通り、国後島で暮らす人々を映したドキュメンタリー映画。監督はベラルーシ生まれ、フランスで活動するウラジミール・コズロフ。

島で生活するロシア人のおじちゃん、おばちゃんが何人か登場していろいろ語るという、それだけといえばそれだけの映画。上映時間も1時間10分程度と短めなので、見終わってずっしり残るものがある、という訳でもない。ラストに置かれるのは、公式サイトにも出ているじっちゃんの顔の大写し。これで映画としては何となく格好が付いてる感じはするが、全体的に散漫な印象。こういう「語り」の占める部分が大きいドキュメンタリーは、やはり言葉が分からないと、見ている側に直接響いてこないということもある。

レーニンの胸像が町中に置かれていて、なるほど確かに国後には「ソ連」が残っているなという感じはした。所々で、当時の島民だったと思われる日本人を映した写真のカットが挟み込まれるが、これがホントにもう古色蒼然というか、昔の日本というのは今の日本とは違う国だった、それくらいの印象すらあった。つまりロシアの辺境である国後島には、現在も「ソ連」の意識が残り、一方で日本の痕跡といえるものがあるとすれば、それは「戦前」の記憶ということになる。どちらにしても、そこに現代のロシアや日本と同じ時間が流れているとは思えない。結局のところ、国後島はじめ北方領土は、ロシアからも日本からも、置き去りにされた場所になっているのは確かであるようだ。

単純な話、1945年から100年も経ってしまえば(あと23年だ)、北方領土に何かしら具体的な縁のある日本人はいなくなってしまう。そうなれば、北方領土は日本固有の領土であるという言い分も内実を失ってしまうだろう。ソ連の「不法占拠」であるとしても、結局実質的に「時効」になってしまう。というか、現にそうなりつつある。

結局戦争は「何でもあり」だなと思う。国家が手段を選ばず力を行使するのが戦争。その戦争に日本は負けた。その結果が、現在の北方領土の現実だ。もちろん米軍基地がある沖縄の現実にも、同様のことが言えるだろう。そのような現実を直視することは、日本の過去の現実、要するに歴史を否応なく考えさせられることになる。

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2021年10月17日 (日)

「リリー・マルレーン」

『地図でスッと頭に入るヨーロッパ47ヵ国』(昭文社)の中で、ユーゴスラビアの戦中戦後、解体を背景とする映画『アンダーグラウンド』について紹介されている。そこで「この映画を観る者は最後に比類なく美しいシーンに涙することになる」と評されているのが気になり、もう随分前の作品(1995年製作)で2時間半の長い映画なんだけど、先日ディスクを買って見てみた。

で、ラストシーンが比類なく美しい・・・とまでは思えず、涙することもなく、ちょっと騙された気分になった。よく分からないところもあったので、さらに倍の長さの完全版も見たのだが、やっぱりそんなに印象は変わらなかった。何というのか、シリアスになりきれなかった歴史劇なのか、抑えめのドタバタコメディなのか、苦いファンタジーなのか、どうにも中途半端感が残った。一番不可解なのは、戦争が終わった後も、マルコがクロたちを自家の広い地下室に閉じ込めて武器を作らせ続ける、その動機がよく分からなかったこと。ヨーロッパの地下に各地を結ぶ大通路があるのも、これ何なの?って感じ。

それとは別に、マルコが地下室のクロたちにまだ戦争中であると思わせるため、「リリー・マルレーン」の歌を流すところは、妙にリアルな感じがした。

ドイツの歌である「リリー・マルレーン」は、第二次世界大戦中にドイツ軍・連合軍問わず兵士たちに大人気となった。流行の始まりは、1941年4月ドイツ軍のベオグラード占領後、当地の放送局が、毎日のラジオ放送時間終了間際の夜9時57分にこの歌を流し続けたことだというから、なるほどユーゴスラビアとの縁は深い曲なのだと改めて認識した次第。

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