2017年2月25日 (土)

エゴン・シーレの映画

映画「エゴン・シーレ 死と乙女」を観た。20世紀初頭のウィーンを舞台に、28歳で夭折した天才画家の生涯を描く作品。
 
その昔、「エゴン・シーレ」という映画を観たことがある。1983年公開だから34年前か。大昔だな(苦笑)。もう内容なんか殆ど覚えていないけど、世紀末的退廃ムードの強い映画だったような。シーレを演じた男優(マチュー・カリエール)もちょっとニヒルな感じの美青年。
それに比べると新作の主演俳優ノア・サーベトラは爽やかさも感じられる美男子で、ちょっとディーン・フジオカ入ってるような。(苦笑)
 
物語はシーレと女性たちの関わりを軸に展開していく。男女関係に近い親密さを見せる妹のゲルティ、タヒチの娘で踊り子のモア、師であるクリムトのモデルだった赤毛のヴァリ、結婚相手となるエディット・ハルムス、その姉のアデーレの5人。
このうちシーレにとって最も大きな存在だったのはヴァリ。彼女をモデルにした傑作を、シーレは次々に生み出していく。飛び切りの美人とはいえないが、画家に霊感を与える女神的存在であるヴァリを、ヴァレリー・パハナーという女優さんが表情豊かにチャーミングに演じていて、画家との愛の生活、そして破局に至るドラマが心を打つ。
 
第一次世界大戦の戦火がヨーロッパに広がる中、若き才能ある画家として注目されつつあったシーレはヴァリと別れ、中産階級の娘であるエディットと結婚する。ヴァリは従軍看護婦となり、1917年12月戦地で病死する。その知らせを受けたシーレは、完成させた大作の題名を「男と乙女」から「死と乙女」に変更する。ヴァリへの追悼の気持ちの現れだったのだろう。
 
1918年10月、大流行したスペイン風邪にかかりシーレは死去。その3日前に妻エディットも同じ病で死亡していた。だが、一組の男女の運命的な繋がりの強さを見出すべきなのは、一年足らずの間にヴァリとシーレが相次いで世を去ったという事実だろう。
 
この映画を観て感じたのは、芸術至上主義を信じる芸術家がまさにリアルに生きていた、そういう時代がかつてあったということ。そしてエゴン・シーレは、その時代の最後に彗星のように現れて、妖しい輝きを放ちながら消えていった天才だったのだ。

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2016年12月30日 (金)

のんインタビュー記事

アニメ映画「この世界の片隅に」で声優として主人公「すず」役を演じた女優のん(能年玲奈)。彼女のインタビュー記事が、なぜか「週刊エコノミスト」(1/3・10合併号)に(笑)載っているので、以下に一部をメモする。
 
「すずさんと一緒に生きたような気がした」という感想を聞くことが多く、とてもうれしいです。日常が積み重なっていき、映画の中の世界を自分に引き付けて感じられると思います。素直にすずさんや風景を受け入れられるリアルさがあります。
 
(戦争や戦時下の暮らしは)自分のいる場所とはまったくの別世界だと思っていました。知りたくないという気持ちがあり、目を背けていたのですが、自分が住んでいるこの世界の中にすずさんたちの時間があって、それが続いていて、私たちの過ごす今がある。すずさんのような力強い人たちの後を継ぎ、これからも毎日をつなげていくのだと思いました。
 
(役作りで心がけたことは)すずさんのおとぼけたところとか、ぼーっとしていると言われるけど、力強いところを出せればいいなという思いがありました。すずさんのイメージからあまり想像できないようなセリフは、監督に「どういう意図があるのでしょうか」と何度も聞きました。
 
完成した作品を試写で見たときは、もっとこうすればよかったという反省、役者としての欲が出てしまって、冷静に見られなかった。でも先日プライベートで見たら、「案外いいな」って思っちゃいました(笑)。
 
・・・コメディーが大好きで渥美清を研究しているという彼女の今後の活躍を期待しよう。
 
「この世界の片隅に」について言えば、大変丁寧に作られている作品だとは思う。ただ登場人物の行動や言動にやや不可解というか違和感を抱く場面もある。それ以上に、主人公が過酷な目に遭うのは嫌な感じがした。お話の作り方として、そこまでやる必要があるのか疑問。

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2016年12月11日 (日)

中高年の観た「君の名は。」

主人公が高校生の恋愛ものアニメか・・・いくら大ヒット映画でも、自分のような中高年には関係ないな――というのが、「君の名は。」に対する印象。だったのに、公開から3ヵ月を過ぎた先日、とうとう観てしまった。
きっかけはNHK「クローズアップ現代+」(11/28放送)。「君の名は。」の大ヒットの秘密を探るという内容の番組の中で、当初は10代、20代の観客が大多数だったものが、直近は30代以上の人が半数を占めることが紹介された。さらに番組で中高年向け試写会を行ったところ、観客53人中36人、約7割の人が自分の経験した過去の出会いや別れの記憶が甦り、心を動かされたというのである。ならば自分も観ておくべきかな、と意を決して映画館に足を運んだ次第。(正直個人的には、そもそも出会いや別れの記憶に乏しいんだけど。苦笑)
 
で、観終わって最初に思ったのは、「フシギな話だな~」と我ながらマヌケな感想。ただ観る前に抱いていた印象とは大きく違った物語だったのは確か。何というのか、死者と生者が出会い、変えられないはずの過去を変えてしまうことで、死者の死は無かったことになる物語とでもいおうか――これを恋愛ものというのは違うな、とまで感じた。
 
大体、基本的に男の子と女の子の体と心が入れ替わるという、フィクションとしてはありがちな、しかし現実には絶対にありえない設定であるところに、プチ・タイムスリップというか3年のタイムラグというヒネリが加えられて、最後に彼と彼女は偶然に「再会」するという、徹頭徹尾ありえない話になっている・・・けど、それ自体はもう「奇跡」のファンタジーと言われれば、「フシギな話」をそのまま受け入れるほかないな~という感じである。
 
この映画のクライマックスは、カルデラ状の山の上の彼と彼女の出会いだろう。ラストに置かれた東京での「再会」は「おまけ」みたいなものだ。山の上の御神体のある場所、あの世とこの世の境目というか、あの世の入り口のある場所に立つ彼と彼女。最初は見えなかったお互いの姿が黄昏時(誰そ彼時、逢魔が時)の中で現われて、彼は3年前に死んだはずの彼女と出会いを果たす・・・様々な暗示に満ちたこの場面から思い起こされるのは、ギリシャ神話にも日本神話にもある、死んだ妻を冥界から連れ戻そうとする話。いずれの神話でも夫は目的を果たすことはできないのだが、この映画では過去を変えることで、彼女はこの世に戻ってくるし、多くの人が命を救われることになる。
 
彼女を救おうとする彼を突き動かす力の源は、恋愛感情というよりは、「忘れたくない人。忘れちゃダメな人」に対する強い愛惜の気持ちではないかと思える。死者も含めてもう会えない人、会うことはないかもしれない人に対する愛惜の念。その記憶は、若者よりも中高年の方が当然多く抱えている。だからこそ、この映画は中高年の心にも届くものになっている、のではないか。
 
結局、今年の東宝の2大ヒット作品「君の名は。」「シン・ゴジラ」を、自分も繰り返し見ちゃったぞ。両作品に共通するのは、3.11の記憶が色濃く反映されていること。あの大災害から5年を経て、カタストロフィの意識を見事に作品化して世に送り出したクリエーターたちには賞賛あるのみだ。

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2016年8月31日 (水)

進撃の「庵野ゴジラ」

庵野秀明の脚本・総監督による映画「シン・ゴジラ」。最初あんまり観る気がしなかった。だって「エヴァンゲリオン」の庵野だろ~。キモチワルイ出来になってるんじゃないか。実際、新ゴジラのビジュアルは自分には気持ち悪かったし。
ところが興行収入・評価共に良いという話を聞いて、いちおう見ておきますか、くらいの気持ちで先日映画館に足を運んだ。
そしたら、意外と面白かった。というか凄い映画だと思った。とにかく演出テンポが良い。そしてフルCGのゴジラ。東京に進撃して、自衛隊のヘリコプターや戦車からの攻撃をものともせずに、凄まじい破壊を続けるゴジラの姿を見ると、もう映画って、何でもCGで出来ちゃう時代なんだと思える。
これまでのゴジラ映画というと、人間の側は主人公たちの他は自衛隊と博士、みたいな感じだったと思うけど、「シン・ゴジラ」では政府関係者が大量に登場。勢い会議シーンも多くなるけど、演出テンポが良いこともあり飽きさせない。
そしてすでに多く語られていると思うけど、この映画はまさに「3.11」後のゴジラ映画だと言える。最初のゴジラ(昭29)はまさに原水爆、戦争の記憶を背負った怪獣として現われた。その30年後に復活したゴジラ(昭59)も、冷戦終盤の核戦争勃発の恐れを背景としており、核兵器と重なる大怪獣のイメージを大きく変えるものではなかった。ところが「シン・ゴジラ」がイメージさせるものは、制御不能状態の原子力発電所だ。最後のクライマックスであるゴジラ凍結作戦の場面も、福島原発事故の際の原子炉を冷やすための必死の放水作業を思い起こさせる。(最近のNHK原発事故の再現ドラマで所長を演じていた大杉漣が、この作品では総理大臣役で妙な既視感 苦笑)
「3.11」という未曽有の災害の経験の後に登場した「シン・ゴジラ」は、ゴジラの体現するものを「原爆・戦争」から「原発・災害」に転換してみせたのだ。同時に危機に立ち向かい対処しようとする人間、というか日本人の組織的な努力を描くことで、単なる怪獣映画を超えたリアリティを獲得していると思える。
「シン・ゴジラ」は公開1ヵ月で観客360万人を動員、興行収入は50億円を超えたという。この映画を見に行く理由は人それぞれだろうけど、この現象そのものが、日本人の「危機」に対する意識や感覚が、かつてよりも鋭敏になっていることを示しているのではないか。そんな感じがしてくる。

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2015年8月15日 (土)

映画「天皇と軍隊」

映画「天皇と軍隊」は、パリ在住の渡辺謙一監督が手がけたドキュメンタリー。元々はフランスの放送番組(90分)として2009年に制作されたもので、日本公開は想定していなかったが、配給者側の働きかけにより今回の上映が実現したらしい。と言っても、今月中の上映スケジュールは東京(終了)、横浜、名古屋それぞれ一館、一週間、一日一回のみという超限定公開。とりあえず土日に行くしかない自分は、終戦記念日でもある本日、「横浜ニューテアトル」の公開初日(監督挨拶あり)の上映を観た。なお、東京「ポレポレ東中野」は10月の再上映を予定している。

映画は冒頭、ロラン・バルトの「この都市には空虚な中心がある」という言葉から始まり、過去と現在の映像、そして政治家や学者などのインタビューを織り交ぜながら、マッカーサーと昭和天皇、憲法第1条と第9条、東京裁判、日米安保、靖国参拝などのテーマが次々に語られていく。そして最後に置かれるのは、終戦直後の広島における天皇巡幸の場面。監督が、小熊英二の著作『〈民主〉と〈愛国〉』表紙カバーにインスパイアされて探し出したという映像だ。(天皇を大歓迎する群衆、遠くに見える原爆ドームという構図には、微かな困惑にも似た何となく落ち着きの悪い微妙な気持ちになる)

上映終了後の監督のスピーチでは、東京裁判は天皇免責を抜きにしては語れない、との話があった。この作品は、もともとの制作意図から「教科書的」に作られているわけだが、もし監督の作家性を押し出したならば、より「天皇免責」を強調した作品になったのではないかと思われた。

さて作品タイトルである「天皇と軍隊」が意味するのは、憲法1条と9条である。「天皇制の存続は戦争の放棄を代償として保障された。憲法1条と9条はコインの表と裏だ」とナレーションされるように、おそらく本来は1条と9条はセットで考えるべきものなのだろう。作られた当初の憲法は、映画の中で政治家の中川昭一(故人)が述べる「占領軍が作った占領下における、憲法という名の占領のためのルール」という性格を負わされていたのは否定できないと感じる。そう考えれば、サンフランシスコ講和条約後も日本は「準占領体制の継続」(樋口陽一・法学者)を受け入れたのであり、憲法と自衛隊及び安保条約との齟齬を抱えたままやってきた「戦後体制というのは欺瞞」(木村三浩・右翼団体代表)だという見方も、頷けるものがある。

しかし戦後70年という時間が過ぎて、今では憲法1条も9条も殆ど形骸化している感じはあるけどね。

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2015年2月11日 (水)

映画「おみおくりの作法」

TBS「王様のブランチ」で紹介されていた映画「おみおくりの作法」を観た(銀座シネスイッチ)。
一時間半、今時としては短めの映画を観終わった後、なぜかこれは日本人の感覚に合った作品だなと思った。イギリスの映画(監督はイタリア人)なのにね。

舞台はロンドン。主人公は中年の公務員、ジョン・メイ。ひとりで淡々と仕事し、生活する。彼が担当するのは、ひとりで亡くなった人の調査。故人の親類縁者を探し出して葬儀も行う。誰も参列しない時は彼ひとりで故人を見送る。手がけた案件の故人の写真は、アルバムに貼って大切に保存している。そんな彼が解雇を言い渡されて、最後の案件に取り組むというのが、映画のストーリー。イギリス各地に出かけて故人の関係者に会って話をし、葬儀の日取りを決めるまで漕ぎ着けたジョン・メイだったが・・・ラスト直前の展開は、これだと余りに淋し過ぎると言うか、感心しない話の作り方だなと、やや失望していたら、ラストでは目にじわ~っと涙があふれてくるのをどうしようもなかった。

主演のエディ・マーサンの人物造形がパーフェクトな印象。監督のウベルト・パゾリーニは製作・脚本も手掛けているが、実際にこういう仕事をしている人たちについての新聞記事を読んで、心を動かされたことが作品を作るきっかけになったという。

この世界では、僕の知らないところで知らない人が知らない仕事をしているのだな、と感じ入る。そして、たとえ見送る人がひとりもいなくても、一つの役目を果たした人生は称えられて然るべきなのだと、しみじみ思う。

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2014年12月13日 (土)

ティーガー戦車なのだ。

戦車好きなら見るべし、という噂のアメリカ映画「フューリー」を見た。第二次世界大戦末期の1945年4月、降伏寸前のドイツ国内で戦うアメリカ戦車兵5人の物語なのだが、特筆するべきは、当時の戦車そのものが登場するということ。アメリカ軍のM4シャーマン戦車はもちろん、ドイツ軍の戦車も本物のティーガーⅠ型なのだ。これは世界で1台しかない走行可能な車両だという。

ところで、ティーガーって、昔はタイガー(英語)、ティーゲル(独語)と表記してた。同様に今パンターって呼んでる戦車はパンサー(英語)、パンテル(独語)だった。「ティーガー」は今時のドイツ語発音らしいんだが、自分のような昔の戦車少年には何となく違和感もある・・・のはさておき。

映画の主役はブラッド・ピット演じる、「ウォーダディー」(戦争オヤジ)とあだ名される軍曹、そして彼のチームが乗り込む、「フューリー」(激怒)と名付けられたM4A3E8戦車。映画が始まり、ティーガー戦車の登場を心待ちにすることおよそ一時間半、ようやく姿を現したティーガーはシャーマン戦車隊4台と対決。その88ミリ砲の圧倒的な威力で、シャーマン3台を次々に撃破するが、最後はブラッド・ピットの戦車に後方に回り込まれて、仕留められてしまうのだった。

この戦車戦の場面(5分程度か)だけを目当てにすると、全編135分の映画は長いなと感じる。この辺は要らないなと思える場面もあるし、ちょっとワザとらしい話の展開もある。何しろ最後、軍曹が絶望的な闘いを挑む気持ちがよく分からない。動けない戦車はまさに「鉄の棺桶」になるほかないし。300人と戦えば当然5人全滅すると思ったら、一人だけ生き残る。それも若いドイツ兵が気まぐれにも?見逃してくれたから・・・全体的にリアリティがあるようなそうでもないような、グダグダした気分が残る作品だった。

Photo_2
さて、上の画像は、高荷義之画伯のティーガー戦車。先日行った「高荷義之」展開催中の弥生美術館で購入したポスターの画像です。この美術館を訪れたのは「大伴昌司」展以来2年ぶり。どっちも、まさに「昭和の少年」のための展覧会でありました。

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2014年4月26日 (土)

「ウィーン包囲」の映画

映画「神聖ローマ、運命の日」は、17世紀のオスマン帝国のウィーン包囲を描いた作品。以下に、プログラムの解説コラムからメモする。(寄稿者は菊池良生・明治大学教授。ハプスブルク分野ではお馴染みの先生)

1683年のことである。
この時、トルコはバルカン半島を制圧し、さらにはハンガリーのほぼ3分の2を手中にしている。残るはいよいよウィーン。ルイ14世からフランスの中立の約束を取り付けたスルタンは、大宰相カラ・ムスタファに30万の軍隊を与えウィーンを包囲させた。7月早々のことだ。世に言う第二次ウィーン包囲である。(第一次は1529年)

13世紀以来、ウィーンを城下町として膝下に押さえ、15世紀からは神聖ローマ皇帝(ドイツ王)位をほぼ独占してきたハプスブルク家はこの時、苦境にあった。
ドイツ
30年戦争(1618~48年)の敗北で、皇帝家ハプスブルク家の権威は地に落ちていた。神聖ローマ帝国(ドイツ王国)はドイツ諸侯の分権支配にあった。それをハプスブルク家は、この戦争を通じて一元的中央集権体制に衣替えしようとしたのである。しかしそれはものの見事に失敗し、ドイツのグロテスクなまでの分裂が固定化した。
戦後、フランスが超大国となり、ハプスブルクは今やトルコの脅威にさらされているのだ。

しかし、こうなると神の摂理が働くものである。神の見えざる手が、あまりにもフランスに振れすぎた振り子を少し戻すのだ。
まずはドイツ300諸侯。もともと分権支配なのだから、帝国には全国的徴税システムなどはありはしない。ところがプロテスタント諸侯も含めて、ドイツ諸侯はトルコ税(対トルコ戦軍事費)だけは徴収に応じるのだ。
次に超大国フランスを警戒するオランダ、イギリスらヨーロッパ各国の思惑があった。

こうしてハプスブルクは第二次ウィーン包囲を乗り切った。それだけではない。ハプスブルクの名将、プリンツ・オイゲンは1697年7月、ゼンタの戦いで自軍に倍する10万のトルコ軍を大破した。その2年後、トルコは屈辱的なカルロヴィッツ条約により、ヨーロッパへの領土的野心を放棄することになった。

・・・映画は、神聖ローマの話というより、オスマンのカラ・ムスタファの映画という感じ。(しかし修道士マルコって、結局この人何なんだかよく分からないっす)

プリンツ・オイゲンはチョイ役。この時がデビュー戦だから仕方ないですけど。

ポーランドはこの頃は強かったみたいだな。18世紀には国が無くなっちゃいますが。

最近の映像作品は肉弾戦の場面がリアルなので(「レッド・クリフ」とか「坂の上の雲」とか)、見るからに「痛い」し、何で人間はこんなことずっとやってきたのかと思っちゃう。

しかしイスラムのヨーロッパ攻撃を描いたこの映画の原題が「1683年9月11日」というのは、どういう意図があるのかね。実際には、決戦の日は9月12日だったみたいだし。

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2013年4月21日 (日)

リンカーンの「闘い」

映画「リンカーン」のプログラム掲載「リンカーンの光と影~奴隷制度完全撤廃までの道程」(土田宏・城西国際大学教授)からメモする。

元来、リンカーンは存在している奴隷制度は保持するしかないと考えていた。奴隷制度を持たない北部の人々が南部の奴隷制度を批判すれば、必ず大きな対立となり、それは究極的にアメリカ合衆国の分裂につながると信じていた。

皮肉なことに、そんなリンカーンの大統領当選直後にサウス・カロライナ州が合衆国から脱退し、これに続いた6州と共に、新しい憲法を持つ「南部連合」を組織。1861年4月12日、ついに戦争に突入してしまった。

戦争を出来るだけ早く終え、戦死者を増やさないようにしたい一心で、リンカーンは南部に対してある提案をした。1862年9月22日のことだ。その内容は100日後の「1863年1月1日に合衆国と戦っている州や地域の奴隷をすべて開放する」だった。つまり、奴隷制度を維持したかったら、翌年の元旦までに戦いを止めろ、というのだ。

だが、南部は拒否した。そのために、リンカーンは指定した元旦に「奴隷解放宣言」を出さなければならなかった。

歴史に残る解放宣言が、実は一部地域の奴隷のみの開放にすぎなかった。また同時に、この戦争終結を目的とした「軍事措置」(としての宣言)は終戦後には効力を失うという問題があった。それは解放された黒人をまた奴隷に戻すという、非人道的な政策を意味する。終戦後には、解放された黒人たちの自由を確保したまま、同時に解放宣言の適用範囲外の北部諸州の奴隷を解放しなければならなかった。こうした問題を解決するには、奴隷制度を暗黙のうちに認めていた合衆国憲法を変えるしかない。

リンカーンは1863年秋、ちょうどゲティスバーグの演説をする頃、戦争の勝利を確信するとこの作業に取りかかった。戦争が終わる前に、憲法改正の手続きを終えるためだった。上院は1864年4月に憲法修正13条案を可決した。合衆国内のすべての奴隷を解放するという条項だ。しかし、下院では必要な3分の2以上の賛成を得ることができなかった。

1864年の大統領選挙で再選されたリンカーンは、いよいよ終戦が近づく状況のなかで、下院での可決を目指して必死の努力を続けた。この時の様子を忠実に描いたのが、このスピルバーグ監督の映画だ。

・・・この映画で、法案成立のため与党の票を固め野党の票も集める説得工作の展開を見ると、しょーもない感想ですが、「民主主義はめんどくさい」と改めて思いました。

個別の説得工作を担うのは大物議員やロビイストの役割。なので、大統領は「票を集めてこい!」と言うだけの立場。妻や息子との葛藤にも心を煩わされたりと、ヒーロー感は薄い。その辺が作品全体の評価にポジティブに働くのかネガティブに働くのか、ビミョーな感じでした。

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2013年3月 9日 (土)

1458年、コンクラーベの夏

先日、書店で塩野七生の初期作品集『神の代理人』(新潮文庫)を手に取った。カバー表紙が目に付くように置かれていたのは、ローマ教皇の生前退位という御時世からか。内容はルネサンス期の4人のローマ教皇の話で、冒頭の「最後の十字軍」をぱらぱらと見た時、ピッコロミニという名前に見覚えがあった。

朝日カルチャーセンターの「神聖ローマ帝国」講義で、ピッコロミニという人物を知ったのは昨年のこと。皇帝フリードリヒ3世の参謀役を務めた後、ローマ教皇の座に就いたこの人について、塩野七生も書いていたのか(しかも40年前に)と、今さらながら、へぇ~って感じがした。

さらに検索してみると、このピッコロミニが教皇に選ばれた1458年8月のコンクラーベを映画化した作品があることを知って、ますますへぇ~って感じがした。その「ザ・コンクラーベ」(2006年カナダ・ドイツ映画、DVDタイトル「コンクラーベ 天使と悪魔」)もツヤタ宅配レンタルで取り寄せて鑑賞。

しかし塩野作品を読んだ後で、この映画のピッコロミニ枢機卿を見ると、えっ、これ?とか思う。髭もじゃで体格もデカい熊みたいな人(苦笑)。言動も熱いというか少々荒っぽい。小説では教養溢れる大知識人、外交能力にも長け、人柄も清廉潔白、外見は痩せて小柄とされているので、大違い。たぶん小説の方が史実に沿っているとは思うのだが、映画では教皇の座を争うライバル、デストゥトヴィル枢機卿の静かに威圧するようなオレ様キャラとの違いを際立たせるために脚色されている感じ。このコンクラーベでは枢機卿18人が投票して、その3分の2を集めた人が教皇になる。という訳で、お話は概ね選挙における多数派工作の模様となるから、人目を引くような派手さは無いけれど、それなりに映画的クライマックスも用意されていて、そこそこ面白かった。

で、そのクライマックスは、投票を繰り返して9対9の同数の結果が出たところで、自分が投票しなかった候補を承認する、という表明が最後の決め手になる場面。その時、若きロドリーゴ・ボルジア(後の教皇アレクサンデル6世にしてチェーザレの父親)が、デストゥトヴィルからピッコロミニ支持に転じて、あと2人が同調、新教皇が決定する。

小説ではピッコロミニ9票、デストゥトヴィル6票、白紙3票の結果が出た時に、やはりロドリーゴが自分の白紙票をピッコロミニに投じることを表明。残りの白紙票2人もロドリーゴに続いた結果、ピッコロミニが教皇として選出されて、ピオ2世を名乗ることになった。

その後の話は小説に描かれているが、教皇ピオ2世は、トルコに占領されたコンスタンティノープル奪回を目指す十字軍を起こすことを宣言。しかし最後の十字軍からも既に200年の時が過ぎ、時代は大きく変わっていた。「盟友」であるはずの皇帝フリードリヒ3世を始め、各国の王や諸侯の反応は鈍く、十字軍は実現しないまま、病身の教皇は失意のうちに世を去る。教養人で知られたピッコロミニが、教皇ピオ2世となるやいなや時代錯誤的な十字軍派遣を唱える有り様は、組織の指導者という地位が人を変えてしまう、よくある悲喜劇の一つなのかとも思う。

(ところで現代のコンクラーベは投票者数が100人を超えるそうで、これは大変ですな)

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