2009年12月14日 (月)

能力+努力≠結果

佐々木常夫・東レ経営研究所社長は、勝間和代の考え方には共感するところが多いとしながらも、「起きていることはすべて正しい」という主張には違和感を覚えるとのこと。今週の「週刊東洋経済」(12/19号)連載「ワークライフバランスを実現する仕事術」からメモする。

この考え方は、世の中にはいろいろなことがあるが、起きていることはその人の能力や努力の結果であるから、いわば起こるべくして起きたことで、それはすべて正しいというのである。
しかし本当にそうだろうか。
私は自閉症の長男と、肝硬変とうつ病を患った妻のために、必死で仕事と家族の両立を図り、どちらもそこそこの結果を出したが、それはたまたま幸運に恵まれていたからだと思っている。

人は誰もが家族や仕事に対し責任を果したいと思っているし、懸命にその努力もしている。しかし、そのような中で壁にぶつかり、もがき、苦しみ、愛し、喜び、悲しみ、疲れていく。私自身もそうであった。どんなに頑張っても満足する結果につながらないことが多いのだ。

少し間違えばわが家は家族崩壊の道をたどっていただろう。さまざまな人の支援や思いやり、そしてさまざまな偶然で私の家族は何とか再生しつつある。
だから私には到底「起きていることはすべて正しい」とは思えない。勝間さんのような特別に優れた人で華麗に成功した人が一般の人に向かって「起きていることはすべて正しい」というのは少し言い過ぎのような気がする。

それぞれの人生は努力や意欲でつかみ取っていかねばならないのだろう。だが、多くの場合、そばにどんな人がいたか、そのとき何が起こったかなど、さまざまな運、不運も大きく影響していると思う。私は自分自身以外の大きな力を感じている。

・・・佐々木社長の言葉には経験から来る重みがある。香山リカの「勝間批判」が軽い感じに思えてしまう。

頑張っても結果が出ないことはあるのが現実。全く、「起きていることはすべて正しい」などと言えるのは「成功者」のみである。要するに結果論。まあ超ポジティブなのは、勝間さんの「営業戦略」だと思いたい。しかし本気だったらキモいぞ。

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2009年12月13日 (日)

雇用拡大にはデフレ脱却

元「現代思想」青年の僕は、浅田彰と蓮實重彦(対談)、三浦雅士(エッセイ)の名前を見つけて、「中央公論」1月号を購入し該当記事を読んでみたのだが、あまり心に引っかかる言葉が無かったものだから、同じ雑誌の中で人文から経済へと目を転じて、原田泰エコノミストの論文「格差是正で成長を目指せ」から以下にメモすることにした。

日本の本当の問題は、所得が伸びていないこと、すなわち成長率が低下していることだ。しかし、成長率を引き上げるのは難しい。規制緩和、民営化などの構造改革は成長率を引き上げるはずだが、効果はそれほど明白ではない。

成長産業を選ぼうという発想もある。政府が成長力の大きい産業に資金を投下して、成長産業を育成しようというのだ。しかし、これは社会主義の発想であり、社会主義が失敗したように、成長産業を選ぶという試みも失敗している。一橋大学の竹内弘高教授は、過去の20の成功産業(半導体、VTR、ファクシミリ、家庭用オーディオ機器、カーオーディオ、産業用ロボット、家庭用エアコン、炭素繊維、カメラ、テレビゲーム、自動車・・・)において、政府の役割はまったく存在しなかったと書いている。

結局のところ、どうやったら成長率を高めることができるのかは実はよく分かっていない。ポール・クルーグマン教授は、生産性が「長期的には・・・・・・ほとんどすべてだ」が、できることは生産性が上昇するように「せいぜいが祈るくらい」と書いている。
ただし、中期であれば、かなり確実に成長率を引き上げることができる。それは雇用を拡大することだ。

(そのためには、)まず(実質賃金を上昇させて労働投入を減少させる)デフレから脱却することが重要である。最低賃金の引き上げ、派遣労働の禁止、正社員での雇用を義務付けることなど、無理やり賃金を引き上げることになる政策は雇用を縮小させる可能性が高い。むしろ、デフレから脱却することによって、雇用を拡大することができる。

・・・メディアでは「成長戦略」とか簡単に言うけど、じゃあ政策で何をやれば良いのかというと難しい。何しろ「産業政策」はほぼ無効だし、生産性を高めるには「祈るくらい」しかない(苦笑)。デフレを止めるのは中央銀行に頼むとして、国の借金を増やす公共投資には限界があるから、結局政府にできるのは制度改革だけだろう。おとなしく「構造改革」を継続するしかないと思う。

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2009年11月24日 (火)

「現場の人」秀吉

秀吉は現場の人であり、一段の高みから統治を試みる人ではなかった、と言うのは本郷和人・東京大学史料編纂所准教授。『センゴク合戦読本』(講談社文庫)の第6章(「現場の人」としての秀吉)からメモ。

信長の命令を期待以上にこなすことこそが長い間の彼の生きる目的であり、日本全国の行政とか統治のありかたなどを常日頃から熟慮していたなどとは、到底思えない。信長の意を汲むことに向けて、秀吉の頭脳はフル回転していた。つまりは根っからの「部下」なのであって、小なりとはいえ領土を守り治めることを若年から意識していた信長・家康ら戦国大名とは、明らかに性質が異なっている。

信長が一部地域(越前など)で刀狩りや検地に着手していたことはよく知られるが、私は後の秀吉の政策は、日本の統一事業も含めて、あくまでも信長の政治方針の継承として捉えたい。企画・立案=織田信長、現場監督=豊臣秀吉、である。

・・・その秀吉がオリジナリティを発揮して大失敗したのが朝鮮出兵ではないか、と本郷先生は書いている。でも、海を渡って中国を征服するというのも、信長の考えだったという話もあるので、どの辺を指して「オリジナリティ」と言ってるのかはよく分からない。まあどっちにしても、刀狩りや検地、唐入り、そして大坂城の建設も、信長が構想していたことで、それを秀吉が本格的に展開し実行したという捉え方で良いのだろう。まさに「織豊政権」と呼ばれる通りだな。

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2009年11月 9日 (月)

朝鮮出兵と石田三成

文禄・慶長の役 空虚なる御陣』(上垣外憲一・著、講談社学術文庫)の第四章(陶工と朱子学)から、朝鮮出兵における石田三成の立場と思想についてメモ。

石田三成は奉行として全軍を督励する立場にあったから、その指揮を受けることを不快に思う者たちは多かった。一方、三成は徳川家康、前田利家が一兵も渡海させないことを不快に思っていた。彼が島津に対して「国家」の軍役ということを強調していることからも、三成がこれを日本国全体の戦争と考え、それに対する負担は公平であるべきだと考えていたことが知られる。いうなれば彼は、戦争をてことした日本全国の中央集権的な支配をもくろんでいた。
三成は文禄・慶長の役を日本の戦争という形にしようとしたが、それは結局、秀吉の戦争に終わった。

・・・かつて司馬遼太郎は「三成には近代人のにおいがする」と述べた。まあ近代人だから良いってわけでもないけれど、朝鮮出兵における三成の構想が現実化していたら、明治維新よりはるか以前に、日本は「近代国家」へと変貌したのかも知れない。

なお、家康と利家の兵が動かなかったことについて、最初の時点で朝鮮攻撃への賛同を取り付けるため、秀吉が両者に特別の配慮を約束したのではないか、と上垣外先生は推測している。

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2009年11月 8日 (日)

秀吉「唐入り」の時代背景

P1030326 去る11月3日(文化の日)、2年半ぶりに肥前名護屋城を訪ねた。写真は本丸・天守台。秋晴れの下で、玄界灘は遠くの壱岐まではっきりと見渡せた。今回のメインの目的は名護屋城博物館の企画展(肥前名護屋城と「天下人」秀吉の城)。図録も購入。全く知らないで日程を立てたのだが、当地は「唐津くんち」開催中で、唐津駅には祭り見物に繰り出す人々がうじゃーといた。(汗)

無謀とも思える「唐入り」を企てて、豊臣秀吉は朝鮮攻撃に踏み切った。その時代背景について、『文禄・慶長の役 空虚なる御陣』(上垣外憲一・著、講談社学術文庫)の第一章(開戦前夜)から要点を拾ってみる。

中国・朝鮮の官僚制・国家体制は極めて安定的に存続していたため、伝統的な東アジアの国際秩序に関する観念も保持し続けていた。これに対して日本では応仁の乱以後、従来の政治支配関係が一気に解体。戦国時代に登場してきた群雄は、伝統的な国際秩序など理解もできなければ理解しようもなかった。

中国・朝鮮が海外との交渉に消極的だったのに対し、日本は統制力ある中央政権の欠如という状態にも助けられて、海外に対してはるかに開かれていた。キリシタンの急激な増加と、鉄砲の急速な普及はその典型的な例である。当時の日本は、いわば「意図せざる脱亜入欧」の状態にあった。

豊臣秀吉は「太陽神の子」を自称し、日本は「神国」であるとして、中国皇帝を最高の支配者とする伝統的な東アジアの国際秩序を否定する。秀吉は、日本において自分が中心であるように、世界においても自分が中心でなければならないと夢想した。秀吉にとって、朝鮮や中国は、四国や九州と同様に服属させる対象であり、そこには日本とは民族的にも文化的にも異なった人々が住んでいるという意識は欠如していた。秀吉の要求は屈服か戦争であり、そこに交渉というものが入り込む余地は無かったのだ。

・・・今月最後の日曜日には、秀吉の朝鮮攻撃についてのNHK番組(シリーズ日本と朝鮮半島2000年)も放送予定だし、この近代以前に日本が起こした最大の戦争について、ぼちぼち学んでいこうかと。

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2009年10月30日 (金)

内田樹の「婚活」批判

「チームを作れない若者よ、結婚して修行せよ」と唱えるのは、内田樹・神戸女学院大学教授。しかし内田先生は「婚活」には批判的。雑誌「SIGHT」秋季号掲載のインタビューからメモ。

僕は婚活なんて推奨してませんよ。婚活っていうのは、世界のどこかにベスト・パートナーがいるから一生懸命探しましょうっていうイデオロギーでしょ。僕はそれとは違うもの。誰と結婚しても同じですよって言ってるんです。目の前にいる異性10人のうち7人とだったら「まあ、結婚できるかな」と思えるようになれたら「人生の達人」だって(笑)。

婚活というのは就活と同じなんですよ。「適職」っていう言い方があるじゃないですか。要するに、「世界中であなただけにしかできない仕事がどこかにあるから、それを求めて探し続けなさい」っていう。この「適職イデオロギー」と、婚活の「ベストパートナー・イデオロギー」って、実は同じロジックでできているんです。「この世界にあなただけの、赤い糸で結ばれた宿命のパートナーがいます」と。就活と同じでしょ。

それに対して、僕は「誰と結婚してもあまり変わらないんだから、いいから早く結婚しなさい」って言っているわけです。全然、悲観的じゃないですよ。むしろ楽観的なんです。どんな人にもみんなそれぞれ「いいところ」があるんだから、「いいところ」を見つけて、そこを軸に共同生活してゆけば、まあなんとかなるんじゃないのって。

・・・なるほど、これはなかなかリアリズムというか、ポジティブな智恵ですな。

「適職」にせよ「ベストパートナー」にせよ、人生における最高最適を目指す理念は、その現実性が低い場合には往々にして、人生に対して抑圧的なものとして働く・・・そんな逆説を孕んでしまう理念が、「イデオロギー」と呼ばれてしまうのだろう。

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2009年10月25日 (日)

秀吉、ザ・グレート!

歴史上の人物に対する「世評」は果たして妥当か。『本当は偉くない?歴史人物』(八幡和郎・著、ソフトバンク新書)は、古代から昭和・平成に至るまで70人の人物を取り上げて考察。とりあえず戦国時代の三英傑を見ると、織田信長の「世評」は「やや過大評価」。徳川家康も「過大評価」で、「過小評価」されているのは豊臣秀吉。著者の見るところ、秀吉は「ナポレオンに比肩する近世社会建設者」なのだ。以下にメモ。

近年、橋下大阪府知事や河村名古屋市長、あるいは小泉元首相が典型的だが、「破壊者」であることが人気を博しており、だから織田信長の人気がある。

だが、当たり前のことながら、破壊は建設のための手段にすぎない。そういう観点からすれば、秀吉は戦国の諸大名や信長の事業を「いいとこ取り」するかたちで、法令の整備、兵農分離など身分制度の整理、権威としての朝廷の尊重、通貨制度の確立、統一税制の樹立、度量衡の統一、交通インフラ、江戸や大坂といった拠点都市の選定や整備などをすべて一人で成し遂げた。それはナポレオンに匹敵するものだ。

ナポレオンの業績も、アンシャン・レジームに萌芽があったり、ジャコバン政府によって開始されたものがほとんどだが、それを国家や社会の仕組みとして体系的なものに仕上げたのは彼であり、秀吉の仕事もそれに似たものだ。

秀吉の死によって、家康が天下を取ったことから、秀吉による近代化政策は後退し、日本が国際舞台で一流国として振る舞えるのは明治維新を待たなければならなかった。

そもそも、秀吉人気は江戸時代ですら抜群のものであった。幕府の禁圧にもかかわらず、『太閤記』は人々に愛された。戦後は、高度成長時代のサラリーマンにとって憧れの的だった。それが、日本人が後ろ向きになったのと軌を一にして人気が低下したのである。もし、秀吉人気が信長や家康を上回るようになれば、それが日本復活のときだろう。

・・・戦国という永い混乱の時代の果てに現れた「織豊政権」は、驚異的な牽引力でポスト戦国の新しい日本国を建設した。冷戦終焉とバブル崩壊の混乱が続いた後の日本が本当に復活するためには、織豊政権並かそれ以上のパワーと勢いが欲しいものだ。

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2009年10月20日 (火)

カツマVSカヤマ

勝間和代と香山リカ、この間「アエラ」で対談してたよなと思ったら、今度は「週刊現代」にも対談記事。こういうのって珍しいんじゃない?って感じ。それだけ今話題の「対決」ということか。「週刊現代」では、二人はお互いの違いについてこう発言している。

香山 私と勝間さんの最大の違いは、一日8時間、月曜から金曜まで働いて、あるいはそれにプラスして自分を向上させる努力ができる人が、人間の標準モデルと捉えるのかどうか、だと考えているんです。私は、違うと思う。
勝間 でも、そうしないと、単純に社会がサステイナブル(持続可能)ではないですよね。
香山 私は、もう少しばらけていてもいいと思います。
勝間 私は、人間はみんなすごい能力を持っている、と思っています。私と香山さんの発想の違いは、そこにあると思うんです。自分の能力を開発したり、他人に喜ばれる仕事をすることが、もっとも幸せを感じる瞬間なんではないか、という強い哲学を私は持っています。

「人間はみんなすごい能力を持っている」というのは、才能のある勝間だから言えること。強い向上心を持って努力し続けるのが、人間の「標準モデル」であるはずもない。それは香山の言う通りだろう。みんながみんな自己啓発に励まなければ社会は持続できない、とも思えない。結局は向上心の強い少数の人間がいれば社会は回っていく。要するにエリートと普通の人という在り来たりの図式になる。エリートを目指す人は「カツマー」になって頑張ればいいし、頑張らない人は「カヤマー」でいい。それだけの話だ。

でも、そこに「幸せ」という言葉が投げ込まれたために、話は妙にややこしくなっている印象がある。幸福というのは所詮、個人の価値判断。「頑張る」「頑張らない」、どっちが「幸せ」かいうのは、結局それぞれの人が考えること。「決着」が付くような話でもない。

とはいえ、「カツマー」大量発生の背景には、今の世の中が「競争社会」「能力主義社会」だということはあるのかも知れない。特にエリートを目指さなくても、頑張らないと脱落するという一種の強迫観念が社会を薄く覆っているとしたら、異様にポジティブな「カツマー」も社会的病理の現れと見えないこともない。

まあ正直、余りにもポジティブで向上心の固まりみたいな人は苦手だよ。(苦笑)

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2009年10月16日 (金)

言語と自己と神と貨幣と

資本主義はニヒリズムか』(新書館)は佐伯啓思と三浦雅士の論考・対談本。書名と同じ「資本主義はニヒリズムか」と題された対談から、「言語」に関する三浦雅士の発言をメモしてみる。

もともと言語は超越論的なものです。というより、言語が超越論的な次元をつくったと言ったほうがいい。自分の生き方を決める自分は自分に属しているのではなく、自分を超えた超越論的な次元、生死を超えた次元に属している。だからこそ人間は自分の生死を、まるで他者の生死を決めるように、決めることができるわけです。

言語がもたらしたこの超越論的な次元というのは、要するに神が存在する次元がなければならないということです。私という現象は言語によって成立する、そして成立したときにすでにその私というのは超越論的な構造になってしまっている。自己意識と言っても同じですが、この仕組みは自分で自分を評価する仕組みです。

自己処罰であれ、自己犠牲であれ、自分から離れている自分、自分を外側から見ている自分がいなければできない、それが超越論的であるということだ。つまり、言葉をもってしまったものは最初から超越論的であるほかなくなったわけです。それができた以上、お墓もできるし、貯金もできる。貨幣は、いずれ使える、使う可能性をとっておくということですから、それ自体が貯金であり投資である。つまり、それが将来とか未来とかの実質であって、死後の観念と最初から連動しているわけです。言語の必然として貨幣があり蓄財がある。言語をもった以上、人間は必ず神にかかわり、死後にかかわり、つまり自分を超えた自分にかかわることになってしまった。

・・・自己、神、死後(未来)、貨幣はすべて連なる観念だ。言語を持ってしまった人間というヤツは、まっこと奇々怪々な存在であることよ。

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2009年10月13日 (火)

力石の死とジョーの「死」

12日に福岡・宗像市で行われたプロボクシングスーパーバンタム級10回戦で、サーカイ・ジョッキージム選手(タイ)がTKO負け後に急性硬膜下血腫のため死去した。19歳だった。(スポーツ報知)

「ボクシング試合後の急死」といえば、すぐ思い出されるのが力石徹。名作マンガ「あしたのジョー」の主人公・矢吹丈のライバルだ。フィクションの世界の人物ながら、その死が世間に与えた衝撃は大きく、「葬儀」まで執り行われた事はよく知られている。死因については、作中で「過酷な減量、ジョーが放ったテンプルへの一撃、ダウンの際ロープで後頭部を強打したことによる脳内出血」と説明されているのだが、「死体の巨匠」上野正彦先生の分析によれば、「脳内出血」ではなく、脳外の血腫による死亡である。上野先生の『死体を科学する』(アスキー新書、2008年)からメモ。

力石の死因が脳内出血とは考えがたい。一般に、脳内出血は外傷によっては引き起こされないものであり、この場合の力石の死に方には当てはまらない。
では、力石の死因はなんだったのか。
ここで浮上してくるのが、脳硬膜下血腫という症状である。力石は、脳「内」ではなく、脳「外」の出血で倒れたのではないか。
硬膜下出血の特徴は、外傷を負った後も意識状態は良好なまま、しばらくは活動できる点である。脳自体に傷がついているわけではないから、正常に活動ができるのだ。
ところが、時間が経つにつれ、硬膜と脳の間に血液がたまってくる。この血液が50mlを超えると脳が圧迫されはじめ、足もとがおぼつかなくなり、ちょうど酒に酔ったときのように千鳥足になる。
さらに時間が経過し、血液が150mlを超えると、脳は圧迫の極限に達する。脳は豆腐のような柔軟性のあるものだから、圧迫されれば死に至るのである。

・・・として上野先生は、力石の死は硬膜下出血が主因と推測する。今回起きたタイ人ボクサーの不幸は、この説を裏付けているように思われる。

ついでながら、真っ白に燃え尽きた矢吹丈は生きている、と同じ本で上野先生は書いている。以下にメモ。

人が意識を失った場合、身体のあらゆる筋肉が弛緩する。したがって、ジョーが死んでいるとするならば、この状態で椅子に座っていることができるはずはないのだ。腰は椅子からずり落ち、腕などをロープに引っかけてでもおかないかぎり、リングに倒れ伏してしまうだろう。同じように顔面の筋肉もゆるむので、このように柔和な笑顔を浮かべていることも不可能だ。ジョーは生きて、しかも意識を正常に保っているからこそ、椅子に座り、笑顔を浮かべていることができるのである。

・・・ジョーは生きている。ラストシーンのジョーは、自らの「ボクシング人生」を燃やし尽くして満足している、ということのようです。

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