2024年3月 9日 (土)

幸福感について(山崎元氏)

経済評論家の父から息子への手紙』(Gakken発行)は、今年1月1日に亡くなった山崎元氏の最後の書下ろし。本の終章「小さな幸福論」からメモする。

幸せを感じる「要素」、あるいは「尺度」は何か。父はこの問題に暫定的な結論を得た。人の幸福感はほとんど100%が「自分が承認されているという感覚」でできている。

思うに、幸福は、人生の全体を評価・採点して通算成績に対して感じるようなものではなくて、日常の折々に感じるものだ。日常の一日一日、一時一時を大切にしよう。幸福感は「その時に感じるもの」だ。そして、自分にとって、どのようなことが嬉しくて幸福に感じるのかに気づくといい。できたら、それを言語化しておこう。

父は、自分を顧みて、何か新しい「いいこと」を思いついて、これを人に伝えて感心された時に自分が嬉しいことに気がついた。そこで、これをキャッチフレーズ的に言語化してみた。「私のモットーは、(1)正しくて、(2)できれば面白いことを、(3)たくさんの人に伝えることです」。シンプルで気に入っている。

・・・幸福感は日常の中で感じるもの、という山崎氏の考えに同感する。自分も、幸福とは、最終的に実現するべき人生の最良の状態というようなものではなく、日常の中で感じるものだと、最近思うようになった。で、山崎氏のいう「言語化」、つまり自分なりの幸福感の定義は必要なので、誰かと何かを共有できたと感じた時が幸福、とした。共有感=幸福感である。ただ、これを日常の中で実現しようと思うと、「ぼっち」がデフォルト設定の自分には、結構ハードル高いんだけどね。(苦笑)

「息子への手紙」の「結論」は、「モテる男になれ。友達を大切にせよ。上機嫌で暮らせ!」。(三つ目の上機嫌でいろというのは、山崎氏の「母の教え」であるらしい。ゲーテがそういうことを言ってるそうだ。)

そして「あとがき」は、「息子本人と、すべての読者の幸せを祈ります。どうもありがとうございました!」と結ばれる。辞世の挨拶のように思われて、ただただ悲しい。

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2023年9月25日 (月)

『関ヶ原合戦を復元する』

関ヶ原合戦を復元する』(星海新書、水野伍貴・著)の終章から、以下にメモする。

慶長5年(1600)9月14日の午後7~8時ごろ、大垣城およびその周辺に布陣していた西軍の石田三成、宇喜多秀家、小西行長、島津惟新は、関ヶ原へ移動を開始した。三成ら西軍主力が関ヶ原へ移動したのは、同日に徳川家康が赤坂に着陣した点が大きい。これにより、南宮山の毛利勢を殲滅して大垣城を孤立させる戦略や、抑えの部隊を残して上方を目指す戦略が可能となった。そのため三成らは、大垣城孤立の回避と、家康の西上阻止の二つの理由から関ヶ原へ移動を余儀なくされたのである。

石田三成は小関の笹尾に布陣した。島津惟新、小西行長も小関に、宇喜多秀家は天満山に布陣した。西軍諸隊は午前7時までには布陣を完了させた。山中・藤下の一帯に布陣していた大谷吉継、平塚為広、戸田勝成、脇坂安治、小川祐忠、朽木元綱、赤座直保も兵を進め、藤古川を越えて大関に布陣した。そして、城として整備された松尾山には、小早川秀秋が入っていた。西軍は、東山道と北国脇往還を塞ぐように布陣した。

東軍も、大垣城の西軍が関ヶ原へ移動したのを受けて15日未明に関ヶ原へ移動を開始。家康は桃配山に本陣を定めた。午前8時~9時頃、未だに霧が晴れぬ中、東軍の松平忠吉が井伊直政の補佐のもと宇喜多秀家隊に攻撃を仕掛けて戦端を開いた。福島正則も東山道を進んで宇喜多隊を攻撃した。黒田長政、細川忠興、加藤嘉明らは北国脇往還を進軍して石田隊を攻撃した。藤堂高虎、京極高知は、東山道の南を進軍し、不破の関跡周辺に布陣する大谷吉継らと交戦した。

午前10時頃には天候が好転し、霧も晴れてゆき視界が良くなっていった。ここから総力を挙げた衝突がおこなわれた。松尾山の小早川秀秋は、東軍としての参戦を決めているが、関ヶ原の状況をつかみかねていた。ところが、霧が晴れて山頂から関ヶ原が一望できるようになり、大谷吉継の陣を背後から攻撃することに決めて出撃命令を出した。小早川隊が大谷隊と交戦したのは、午前11時頃である。これと前後して脇坂、小川、朽木、赤座も大谷隊を攻撃した。この戦闘で大谷、平塚、戸田が戦死している。

大谷隊が壊滅したことで、大谷隊と戦っていた東軍諸隊は、二手に分かれて宇喜多隊と石田隊の攻撃に加わった。そして、正午頃に宇喜多隊と石田隊は敗走した。小西隊もこの頃に崩れたと推測する。さらに東軍諸隊は、島津勢を攻撃した。前衛の島津豊久隊が破られ、東軍は島津惟新隊に迫る。惟新は、敵中突破を命じた。一方、家康本隊は正午頃に関ヶ原に到着した。そして、敵中突破をおこなう惟新隊と家康本体が東山道で遭遇した。

惟新隊が関ヶ原を離脱したことで、関ヶ原から西軍は全ていなくなった。12時半~13時頃のことである。こうして約5時間に及んだ本戦は、徳川家康が率いる東軍の勝利で幕を下ろした。

・・・関ヶ原合戦に係る様々な「新説」登場を受けて、あらためて各種史料の手堅い検討により提示された本書の合戦復元ストーリーは、結果的に大枠で従来説に寄せた形となっているが、大谷隊の陣取りの動き(山中から関ヶ原に前進)や、小早川の参戦のタイミング(霧が晴れた後に西軍攻撃を決断)についての説明も明快で、関ヶ原合戦に関心のある向きは必読と言える。

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2023年8月20日 (日)

『資本とイデオロギー』邦訳刊行

今月、経済学者トマ・ピケティの著作『資本とイデオロギー』の邦訳が出る。原著の発行は2019年9月。1000ページを超える大著であり、邦訳本の税込み価格もベストセラー『21世紀の資本』の6,050円を上回る、6,930円だあ。おそらく解説本や早わかり本も出るとは思うが、とりあえず3年前のインタビュー記事(仏ロブス紙、雑誌「クーリエ・ジャポン」掲載)からメモする。

格差を作るのは、政治です。経済やテクノロジーが「自然」に格差を作りだすわけではありません。だから、どの社会にも「なぜ格差があるのか」を説明する物語が必要になってきます。

(フランス)革命後に成立した「有産者の社会」では、従来の宗教に代わって、私有財産が神聖不可侵なものとして尊重されました。ただ、私有財産の神聖化が行き過ぎると、問題が始まります。そろそろ財産権の神聖化のステージを抜け出すときです。資本主義を乗り越えていくときが来ているのです。

新著では「参加型の社会主義」の構想を描いてみました。これは労使共同決定を通して実現可能なものです。ドイツでは大企業の場合、従業員の代表が取締役会で議決権の半分を持ちます。私の提案では、この路線をさらに押し進めて、大株主が持てる議決権を、たとえば「10%まで」と上限を定めるべきだとしています。

(私有財産制の否定ではなく、)目標は、財産権の「社会化」や「時限化」を通して、私有財産制を乗り越えていくことです。私有財産制は、それが度を越さないかぎり、正当なものです。しかし政治や経済の権力が一部の人に過剰に集中したり、その権力の集中が長期化したりすることは、避けなければなりません。

私の提案は、毎年、資産に対して累進課税をすることです。フランスの場合、累進資産課税ができれば、現行の不動産税や不動産富裕税はいらなくなります。資産に対する課税では、不動産だけでなく、金融資産にも税をかけます。

ひとことで言えば、この世からビリオネアをなくす仕組みです。

・・・かつて社会主義は「資本家を打倒せよ」と訴えたが、今の社会主義は「ビリオネアの消滅」を目標とする、というところか。

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2023年8月12日 (土)

「明智光秀家中軍法」の「瓦礫沈淪」

本能寺の変の丁度一年前の天正9年6月2日、明智光秀は家中の軍法(軍制)を定めた。その中で光秀は、石ころのような者であった自分は莫大な軍勢を預けられるようになったと述べて、主君織田信長への感謝を示しているとされているのだが、在野の研究者である乃至政彦はその見方を否定する。戦国武将をテーマとするコラム集『戦国大変』から、氏の考察をメモする。

(「家中軍法」の中にある)「瓦礫沈淪」の字句は、光秀研究において有名だ。通説はこれを「私光秀は石ころのような身分でいたのを(信長様に)拾われました」、「だからお前たちの活躍もしっかり報告して出世できるぞ」と言いきかせるための前置きのように説明してきたが、そうではないだろう。

ここにあるテキストは「軍役(動員の制度)」に関する内容である。自分の部下たちに読んで従わせる公式の軍制に、私的な情緒や体験を述べるのは不自然だ。ここは「わが軍が、バラバラになった瓦礫みたいになってみっともないのはよろしくない」という文意で読み、あくまで軍制に関する内容を記しているとするのがよいのではないだろうか。

そもそも「瓦礫沈淪」を説かれているのは誰であろう、光秀の家中に入ったばかりの新参者たちである。光秀は天正8年(1580)に信長から丹波一国を与えられた。光秀の兵員はここで爆増した。光秀が苦楽を共にした古参の者たちに「俺は若い頃から苦労したけれど、信長さまのおかげでここまで大きくなったよ」というなら感涙されるかもしれないが、征服されてその麾下に入ることになったばかりの丹波の侍たちにすれば、「あー、そうですか、よかったですねー」と呆れる思いがするだけだ。甘い昔話をして情緒に訴えるより、「お前たちが石ころみたいにバラバラでいたら、恥ずかしいことになるんだぞ」と厳しく言い聞かせる方が現実的である。

・・・通説的解釈だと、「家中軍法」の中で光秀は信長への感謝を述べていたことになり、一年後の本能寺の変に至る光秀の心変わりが余計に謎めいたものに思えたわけだが、そうではないという話なら、「そっかあ」という感じになる。本能寺の変について、乃至先生は「(光秀は)何の理想もなく、ただ勝算の有無だけによって挙兵した」と見ている。結局、そんなもんかもしれないなあ。

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2023年8月11日 (金)

「天下布武」印判の謎

織田信長の「天下布武」印判は、天下統一の意思を示したものとして知られている。でも本当にそうなの?と疑問を示すのは在野の研究者、乃至政彦。戦国武将をテーマとするコラム集『戦国大変』から、氏の考察をメモする。

織田信長の印判《天下布武》の解釈が揺れている。これまでこの印判は「天下に武を布く」と読まれ、「日本を武力で統一する意思表示だ」と評価されてきた。

だが、従来説だとおかしいことがある。信長はこの《天下布武》の印判を、上杉輝虎や小早川隆景など、ほかの群雄への書状にも使っているのだ。これだと受け取った大名が警戒する恐れがある。多くの識者が頭を悩ませてきた。そこからひとつ有力な説が生まれた。「《天下布武》とは、信長が五畿内(天下)に幕府を再興する(布武)という表明だ」という新解釈である。

そもそもの話をしよう。「みんな信長の印判の意味を、そこまで深刻に考えてどうするの?」と思っている。まず信長時代における戦国大名の印判をよく見渡してほしい。そこに自分の政治目的または公約をはっきりと言葉にして書き記した大名が、ひとりでもいるだろうか? 私は思い浮かばない。(武田信玄の「龍のイラスト」、上杉謙信の「軍神の名前」等々)

政治理念を明確に主張するものは見当たらない。戦国大名には、印判をそんなことに使う発想自体がなかったといっていいだろう。それなのになぜ信長の印判だけ、そのように解釈するのだろうか。

信長の《天下布武》は、信玄の龍朱印と同じく、カッコいいから選んだのだろう。印判にスローガンが刻まれることはない。原則、デザインが優先である。たしかに当時の信長には幕府再興の志があった。しかしそんなものがなくてもこの印判を使っただろう。

・・・印判を使い始めた後の信長の行動から見て、「天下布武」もスローガンであると捉えられてきただけで、実はたまたまデザイン的に採用しただけだった、ということかと思う。この観点から考えると、歴史博物館等で販売されている「天下布武」Tシャツも、信長の意図に適ったアイテムなんだろうな。

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2023年6月24日 (土)

人生は楽しまなければ損?

無敵の老後』(勢古浩爾・著、大和書房)から、以下にメモする。

なぜ生きているのか。楽しい人生をおくるために、という答えをわたしは否定しない。けれどこの答えは、口に出した途端、じつに愚劣極まる答えにしか思えないのである。なぜ生きるのか、という問いがそもそも愚劣である。「さあ?」というしかない。

人生は楽しいか楽しくないか、で測る以外に、損か得かを基準にする考えも執拗に存在する。楽しいと損得を合体させて、「人生は楽しまなければ損だ」という人がいる。大概、枕詞としてその前に「人生は一回限りなんだから」というのがつく。わたしが最も嫌いな考え方である。

楽しまなければ「損」? なにを「損」したのというのか。人生は損得勘定ではない。

・・・確かに「楽しく生きたい」とか言われても、全面的に賛成するのは躊躇いがある。楽しむことに文句は言わないが、それだけだとちょっとどうかなという感じ。「幸せになるために生きる」という人もいる。これも分かるけど、それでも何というか単純明快すぎると感じる。幸せとは、おそらく人生の目標とするべき或る状態ではなく、誰かと何かを共有できたという実感、それを日々の中で感じる時間が少しでもあれば幸せ、という程度の話ではなかろうか。

人生は損得ではない。これも、もっともだと思う。しかし、人生は楽しまなければ損だ、という言い方は半分シャレみたいなもので、目の敵のようにして噛みつく程のものでもないような。たぶん、もう少し正確に言い直せば、人生は楽しまなければ勿体ない、ということではなかろうか。そう考えれば「人生は一回限り」という「枕詞」も、より切実に響いてくる。

まさに人生は一回限りの機会である。おそらく人は心の奥底で、人生は稀なる機会であることを、よくよく了解しているのではないか。だからこそ人生に意味が無いとしても、ただ生きるよりは、やはり意味のある人生を送りたい、よく生きたいと、ジタバタするのだろう。

ところで私にとって、勢古さんは「毎日21世紀賞」受賞者の「先輩」である(お会いしたことはないけれど)。受賞後の勢古さんは、この30年間に次々本を出して大活躍である(よくそんなに言いたいことがあるなあ)。年齢は丁度一回り上の亥年なので、秘かに人生の「先行指標」にさせてもらってます。

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2023年5月28日 (日)

『ニーチェのふんどし』

近未来の社会は、ますます弱者救済が大義となる社会。だからニーチェの思想を知っておく必要があるのです、と言うのは藤森かよこ先生。新著『ニーチェのふんどし』(秀和システム発行)から、以下にメモする。

歴史は、「弱者救済」と「ユートピア構築(この世に天国を作ること)」を大義にして進んできた。「弱者救済」と「ユートピア構築」が人類の大義となったのは、キリスト教組織が生まれたからだ。

キリスト教組織の大義である「弱者救済」と「ユートピア構築」は、キリスト教の分派のイスラム教は言うまでもなく、根本的にキリスト教の発想から離れられない西洋のさまざまな思想に浸透し、今日にいたっている。社会主義も共産主義も人権思想も、みんなキリスト教の亜流だ。

今の私たちが生きている世界が表層で謳う共通善は「弱者救済」であり、大義は「弱者を大事にするユートピア構築」である。それらの道徳や大義の底にあるのは、自己の力で生きることを引き受けることができる真の高貴な者や強者に対する弱者の嫉妬や恨みの気持ち(ルサンチマン)であると、ニーチェは示唆する。

ルサンチマンから生まれた道徳は、強い者への復讐心なのだ。ニーチェによると、この奴隷道徳こそが、近代精神の賤民主義、民主主義を生み出した。弱者救済とか、弱い者も生きて行けるこの世のユートピア構築という大義は、この奴隷道徳の産物だ。それが、ヨーロッパを席巻し、非ヨーロッパ世界に拡大されたのが近代以降の歴史だった。

・・・昔、少しだけ読んだ『道徳の系譜学』で覚えているのは、強者の観点は「優良」(グート)対「劣悪」(シュレヒト)だが、弱者はそれを引っ繰り返して、劣悪が「善」(グート)で、優良が「悪」(ベーゼ)とする。端的に言って、弱者が善で強者が悪だとする。これが奴隷道徳、強者に対する弱者のルサンチマンの現れだ。

弱者救済やら平等実現やらが、もともとはキリスト教的価値観に根差すものであるならば、アンチクリストを標榜したニーチェの思想は、現代世界の「弱者のユートピア」を目指す動きが行き過ぎた時には、「解毒」作用をもたらすものになり得るだろう。

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2023年5月 7日 (日)

カミュ=サルトル論争と『転落』

書店で、カミュの『転落』の新訳が出ていたのを見つけた時は「へぇ~」って感じがした。例の、ドストエフスキー作品の新訳とか出してる、光文社古典新訳文庫だ。最近のコロナ禍で読まれたという『ペスト』の新訳が出るのは、まだ分かる気もするが・・・それでもそんなに長くない小説だし、読んでみる気になった。解説によると、『転落』には、サルトルとの論争を巡るカミュの経験が色濃く反映されているとのこと。以下に、訳者である前山悠氏の解説からメモする。

『転落』から遡ること5年前、1951年、カミュは哲学的エッセイ『反抗的人間』を発表した。この一冊は、サルトルとの間に、終生の絶交にまで至る大論争を巻き起こすことになる。

この通称カミュ=サルトル論争(あるいはサルトル=カミュ論争)は、ごく端的に言えば、冷戦時において、社会主義勢力なかんずくスターリン統治下のソ連に対して、どのような態度を取るかをめぐる決裂だった。スターリンを恐怖政治の独裁者として告発するカミュは、『反抗的人間』において、社会主義そのものを危険視し、理想社会の達成という歴史的大義を謳って、個人の生命と自由を犠牲にすることは許されないと訴えた。これに対し猛反発したのが、社会主義寄りのサルトルおよびその一派、いわゆる「実存主義者」たちだった。

カミュは手帖にこう書いている。「実存主義。彼らが自分の罪を告白するのは、常に他人をこきおろすためであると考えて間違いない。告解者にして裁判官ども」。

かくしてサルトルら実存主義一派との論争をめぐるカミュの実体験は、のちの『転落』に様々に反映されることになる。

・・・のではあるのだが訳者は、論争を背景とした理解が、この作品を読む唯一の手段ではない、とも断っている。この作品は、かつての実存主義一派に限らず、現代人の多くが「告解者にして裁判官」であることを描き出しているのであり、要するに論争と関係なく、優れた小説として読まれうる、と。

『カミュの手帖』(大久保敏彦訳、新潮社、1992年)を久々に開いてみた。「実存主義」の記述の日付は1954年12月14日。大久保訳は「改悛者たる判事」で、前山訳との違いは正直良く分からない。告白者とか懺悔者だと、日本人にはもっと分かりやすい気がするが、専門的な何かしらの理由はあるのだろう。

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2023年1月22日 (日)

ドイツにおける「普遍」と「固有」

昨年11月にサントリー学芸賞に選ばれた、今野元・愛知県立大教授の『ドイツ・ナショナリズム』(中公新書)。中日新聞1月18日付紹介記事からメモする。

ドイツ・ナショナリズムとは何か。今野さんは「ドイツへの帰属意識を前提に、ドイツ的なものの維持・発展を望む思想」と定義づける。十九世紀に成立したドイツ帝国や、第二次世界大戦へと突き進んだナチス・ドイツに限らない。古代から現代にかけて常に、西欧の価値観に基づく「普遍」と、民族の伝統や文化を重視した「固有」という二つの潮流のせめぎ合いがあったと考える。

例えば近世のドイツを支配した神聖ローマ帝国には、キリスト教の価値の担い手がドイツだという“普遍”への志向があった一方で、選挙で君主を選ぶのがドイツらしさだという“固有”への意識があった。

戦後、東西分裂をへて再統一されたドイツは今や、脱原発をはじめとする環境保護政策や難民の受け入れをめぐり、国際社会で強いリーダーシップを発揮している。

「現在のドイツは“普遍”の時代にあるといっていい」と今野さん。ただ、普遍的な価値を重視するあまりに異質な思想や意見を許さない「道徳主義」が強まり、その反動で、君主制の称揚などナチス以前の伝統への回帰もみられると分析する。

ドイツのナショナリズムは今後、どう振れていくのだろうか。今野さんは「戦争を機に、ドイツでは妥協を許さない道徳主義が強まり、軍事的にも欧州をけん引しようとする方向に進むのではないか。社会の緊張感は高まり、分断も深まるかもしれない」と話す。

・・・「普遍」と「固有」のせめぎ合いは、近代日本を説明する枠組みとして使うことも可能だろう。「西欧」、つまりおそらくはイギリスとフランスから生まれた「普遍」的な価値観に対して、世界の他の大部分の国が「固有」の価値観を持って対峙したというのが、近代以降の状況であるように思う。

ところでドイツは戦車「レオパルト2」のウクライナへの供与に逡巡している。ここで「道徳主義」の強まりに押されて、ウクライナに戦車を送り込むのは、傍から見ていてもさすがにリスクが高い。どうするドイツ?

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2023年1月21日 (土)

「アドラー」「こんまり」世界的ヒット

本日付日経新聞の読書面記事「活字の海で」からメモする。

アドラー心理学を開設する自己啓発書『嫌われる勇気』(岸見一郎・古賀史健著、ダイヤモンド社)が続編の『幸せになる勇気』(同)と合わせて世界累計1000万部を突破した。

『嫌われる勇気』シリーズは日本で369万部、中国296万部、韓国174万部、台湾97万部とアジアでよく読まれている。台湾の版元の担当者は「他者から嫌われるのは自由の対価だと直接的に伝える本は今までなかった」と衝撃を語る。韓国の担当者は「他人にどう見られるか敏感な韓国人にとって、突破口の役割を果たした」と指摘。

他方、中国での売れ行きには異なる理由があるようだ。中国文化に詳しいコラムニストの加藤嘉一氏は「過去がどうあろと今を一生懸命生きれば未来が開けると説くアドラー心理学は、日本人には新しい生き方と映ったが、中国人にとっては自らの生き方が間違っていないと確認させてくれるものだ」という。

23年1月時点で世界1400万部に達している近藤麻理恵著『人生がときめく片付けの魔法』(サンマーク出版、改訂版は河出書房新社)シリーズだ。米国で584万部と日本の288万部を上回る同書は、モノへ感謝する精神性が日本らしさと結びついて受け入れられ、本人が出演するネットフリックス番組が人気を博して幅広い層へ浸透した。

・・・『嫌われる勇気』が日本でヒットした時は、題名で売れたかなという気がした。やはり日本人は、他人から「嫌われたくない」人が多いんだなと。韓国も似た感じがある。でも、中国人は「我が道」を行く人が多いということなんだろうな。(苦笑)

「アドラー」本がアジアで売れているのに対して、「こんまり」本が売れているのはアメリカ。モノにキスして「グッバイ」する、モノを人格化するアニミズム的感覚が、キリスト教文化の社会で受け入れられているのは不思議に思う。

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