2009年11月 9日 (月)

朝鮮出兵と石田三成

文禄・慶長の役 空虚なる御陣』(上垣外憲一・著、講談社学術文庫)の第四章(陶工と朱子学)から、朝鮮出兵における石田三成の立場と思想についてメモ。

石田三成は奉行として全軍を督励する立場にあったから、その指揮を受けることを不快に思う者たちは多かった。一方、三成は徳川家康、前田利家が一兵も渡海させないことを不快に思っていた。彼が島津に対して「国家」の軍役ということを強調していることからも、三成がこれを日本国全体の戦争と考え、それに対する負担は公平であるべきだと考えていたことが知られる。いうなれば彼は、戦争をてことした日本全国の中央集権的な支配をもくろんでいた。
三成は文禄・慶長の役を日本の戦争という形にしようとしたが、それは結局、秀吉の戦争に終わった。

・・・かつて司馬遼太郎は「三成には近代人のにおいがする」と述べた。まあ近代人だから良いってわけでもないけれど、朝鮮出兵における三成の構想が現実化していたら、明治維新よりはるか以前に、日本は「近代国家」へと変貌したのかも知れない。

なお、家康と利家の兵が動かなかったことについて、最初の時点で朝鮮攻撃への賛同を取り付けるため、秀吉が両者に特別の配慮を約束したのではないか、と上垣外先生は推測している。

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2009年11月 8日 (日)

秀吉「唐入り」の時代背景

P1030326 去る11月3日(文化の日)、2年半ぶりに肥前名護屋城を訪ねた。写真は本丸・天守台。秋晴れの下で、玄界灘は遠くの壱岐まではっきりと見渡せた。今回のメインの目的は名護屋城博物館の企画展(肥前名護屋城と「天下人」秀吉の城)。図録も購入。全く知らないで日程を立てたのだが、当地は「唐津くんち」開催中で、唐津駅には祭り見物に繰り出す人々がうじゃーといた。(汗)

無謀とも思える「唐入り」を企てて、豊臣秀吉は朝鮮攻撃に踏み切った。その時代背景について、『文禄・慶長の役 空虚なる御陣』(上垣外憲一・著、講談社学術文庫)の第一章(開戦前夜)から要点を拾ってみる。

中国・朝鮮の官僚制・国家体制は極めて安定的に存続していたため、伝統的な東アジアの国際秩序に関する観念も保持し続けていた。これに対して日本では応仁の乱以後、従来の政治支配関係が一気に解体。戦国時代に登場してきた群雄は、伝統的な国際秩序など理解もできなければ理解しようもなかった。

中国・朝鮮が海外との交渉に消極的だったのに対し、日本は統制力ある中央政権の欠如という状態にも助けられて、海外に対してはるかに開かれていた。キリシタンの急激な増加と、鉄砲の急速な普及はその典型的な例である。当時の日本は、いわば「意図せざる脱亜入欧」の状態にあった。

豊臣秀吉は「太陽神の子」を自称し、日本は「神国」であるとして、中国皇帝を最高の支配者とする伝統的な東アジアの国際秩序を否定する。秀吉は、日本において自分が中心であるように、世界においても自分が中心でなければならないと夢想した。秀吉にとって、朝鮮や中国は、四国や九州と同様に服属させる対象であり、そこには日本とは民族的にも文化的にも異なった人々が住んでいるという意識は欠如していた。秀吉の要求は屈服か戦争であり、そこに交渉というものが入り込む余地は無かったのだ。

・・・今月最後の日曜日には、秀吉の朝鮮攻撃についてのNHK番組(シリーズ日本と朝鮮半島2000年)も放送予定だし、この近代以前に日本が起こした最大の戦争について、ぼちぼち学んでいこうかと。

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2009年10月30日 (金)

内田樹の「婚活」批判

「チームを作れない若者よ、結婚して修行せよ」と唱えるのは、内田樹・神戸女学院大学教授。しかし内田先生は「婚活」には批判的。雑誌「SIGHT」秋季号掲載のインタビューからメモ。

僕は婚活なんて推奨してませんよ。婚活っていうのは、世界のどこかにベスト・パートナーがいるから一生懸命探しましょうっていうイデオロギーでしょ。僕はそれとは違うもの。誰と結婚しても同じですよって言ってるんです。目の前にいる異性10人のうち7人とだったら「まあ、結婚できるかな」と思えるようになれたら「人生の達人」だって(笑)。

婚活というのは就活と同じなんですよ。「適職」っていう言い方があるじゃないですか。要するに、「世界中であなただけにしかできない仕事がどこかにあるから、それを求めて探し続けなさい」っていう。この「適職イデオロギー」と、婚活の「ベストパートナー・イデオロギー」って、実は同じロジックでできているんです。「この世界にあなただけの、赤い糸で結ばれた宿命のパートナーがいます」と。就活と同じでしょ。

それに対して、僕は「誰と結婚してもあまり変わらないんだから、いいから早く結婚しなさい」って言っているわけです。全然、悲観的じゃないですよ。むしろ楽観的なんです。どんな人にもみんなそれぞれ「いいところ」があるんだから、「いいところ」を見つけて、そこを軸に共同生活してゆけば、まあなんとかなるんじゃないのって。

・・・なるほど、これはなかなかリアリズムというか、ポジティブな智恵ですな。

「適職」にせよ「ベストパートナー」にせよ、人生における最高最適を目指す理念は、その現実性が低い場合には往々にして、人生に対して抑圧的なものとして働く・・・そんな逆説を孕んでしまう理念が、「イデオロギー」と呼ばれてしまうのだろう。

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2009年10月25日 (日)

秀吉、ザ・グレート!

歴史上の人物に対する「世評」は果たして妥当か。『本当は偉くない?歴史人物』(八幡和郎・著、ソフトバンク新書)は、古代から昭和・平成に至るまで70人の人物を取り上げて考察。とりあえず戦国時代の三英傑を見ると、織田信長の「世評」は「やや過大評価」。徳川家康も「過大評価」で、「過小評価」されているのは豊臣秀吉。著者の見るところ、秀吉は「ナポレオンに比肩する近世社会建設者」なのだ。以下にメモ。

近年、橋下大阪府知事や河村名古屋市長、あるいは小泉元首相が典型的だが、「破壊者」であることが人気を博しており、だから織田信長の人気がある。

だが、当たり前のことながら、破壊は建設のための手段にすぎない。そういう観点からすれば、秀吉は戦国の諸大名や信長の事業を「いいとこ取り」するかたちで、法令の整備、兵農分離など身分制度の整理、権威としての朝廷の尊重、通貨制度の確立、統一税制の樹立、度量衡の統一、交通インフラ、江戸や大坂といった拠点都市の選定や整備などをすべて一人で成し遂げた。それはナポレオンに匹敵するものだ。

ナポレオンの業績も、アンシャン・レジームに萌芽があったり、ジャコバン政府によって開始されたものがほとんどだが、それを国家や社会の仕組みとして体系的なものに仕上げたのは彼であり、秀吉の仕事もそれに似たものだ。

秀吉の死によって、家康が天下を取ったことから、秀吉による近代化政策は後退し、日本が国際舞台で一流国として振る舞えるのは明治維新を待たなければならなかった。

そもそも、秀吉人気は江戸時代ですら抜群のものであった。幕府の禁圧にもかかわらず、『太閤記』は人々に愛された。戦後は、高度成長時代のサラリーマンにとって憧れの的だった。それが、日本人が後ろ向きになったのと軌を一にして人気が低下したのである。もし、秀吉人気が信長や家康を上回るようになれば、それが日本復活のときだろう。

・・・戦国という永い混乱の時代の果てに現れた「織豊政権」は、驚異的な牽引力でポスト戦国の新しい日本国を建設した。冷戦終焉とバブル崩壊の混乱が続いた後の日本が本当に復活するためには、織豊政権並かそれ以上のパワーと勢いが欲しいものだ。

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2009年10月20日 (火)

カツマVSカヤマ

勝間和代と香山リカ、この間「アエラ」で対談してたよなと思ったら、今度は「週刊現代」にも対談記事。こういうのって珍しいんじゃない?って感じ。それだけ今話題の「対決」ということか。「週刊現代」では、二人はお互いの違いについてこう発言している。

香山 私と勝間さんの最大の違いは、一日8時間、月曜から金曜まで働いて、あるいはそれにプラスして自分を向上させる努力ができる人が、人間の標準モデルと捉えるのかどうか、だと考えているんです。私は、違うと思う。
勝間 でも、そうしないと、単純に社会がサステイナブル(持続可能)ではないですよね。
香山 私は、もう少しばらけていてもいいと思います。
勝間 私は、人間はみんなすごい能力を持っている、と思っています。私と香山さんの発想の違いは、そこにあると思うんです。自分の能力を開発したり、他人に喜ばれる仕事をすることが、もっとも幸せを感じる瞬間なんではないか、という強い哲学を私は持っています。

「人間はみんなすごい能力を持っている」というのは、才能のある勝間だから言えること。強い向上心を持って努力し続けるのが、人間の「標準モデル」であるはずもない。それは香山の言う通りだろう。みんながみんな自己啓発に励まなければ社会は持続できない、とも思えない。結局は向上心の強い少数の人間がいれば社会は回っていく。要するにエリートと普通の人という在り来たりの図式になる。エリートを目指す人は「カツマー」になって頑張ればいいし、頑張らない人は「カヤマー」でいい。それだけの話だ。

でも、そこに「幸せ」という言葉が投げ込まれたために、話は妙にややこしくなっている印象がある。幸福というのは所詮、個人の価値判断。「頑張る」「頑張らない」、どっちが「幸せ」かいうのは、結局それぞれの人が考えること。「決着」が付くような話でもない。

とはいえ、「カツマー」大量発生の背景には、今の世の中が「競争社会」「能力主義社会」だということはあるのかも知れない。特にエリートを目指さなくても、頑張らないと脱落するという一種の強迫観念が社会を薄く覆っているとしたら、異様にポジティブな「カツマー」も社会的病理の現れと見えないこともない。

まあ正直、余りにもポジティブで向上心の固まりみたいな人は苦手だよ。(苦笑)

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2009年10月16日 (金)

言語と自己と神と貨幣と

資本主義はニヒリズムか』(新書館)は佐伯啓思と三浦雅士の論考・対談本。書名と同じ「資本主義はニヒリズムか」と題された対談から、「言語」に関する三浦雅士の発言をメモしてみる。

もともと言語は超越論的なものです。というより、言語が超越論的な次元をつくったと言ったほうがいい。自分の生き方を決める自分は自分に属しているのではなく、自分を超えた超越論的な次元、生死を超えた次元に属している。だからこそ人間は自分の生死を、まるで他者の生死を決めるように、決めることができるわけです。

言語がもたらしたこの超越論的な次元というのは、要するに神が存在する次元がなければならないということです。私という現象は言語によって成立する、そして成立したときにすでにその私というのは超越論的な構造になってしまっている。自己意識と言っても同じですが、この仕組みは自分で自分を評価する仕組みです。

自己処罰であれ、自己犠牲であれ、自分から離れている自分、自分を外側から見ている自分がいなければできない、それが超越論的であるということだ。つまり、言葉をもってしまったものは最初から超越論的であるほかなくなったわけです。それができた以上、お墓もできるし、貯金もできる。貨幣は、いずれ使える、使う可能性をとっておくということですから、それ自体が貯金であり投資である。つまり、それが将来とか未来とかの実質であって、死後の観念と最初から連動しているわけです。言語の必然として貨幣があり蓄財がある。言語をもった以上、人間は必ず神にかかわり、死後にかかわり、つまり自分を超えた自分にかかわることになってしまった。

・・・自己、神、死後(未来)、貨幣はすべて連なる観念だ。言語を持ってしまった人間というヤツは、まっこと奇々怪々な存在であることよ。

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2009年10月13日 (火)

力石の死とジョーの「死」

12日に福岡・宗像市で行われたプロボクシングスーパーバンタム級10回戦で、サーカイ・ジョッキージム選手(タイ)がTKO負け後に急性硬膜下血腫のため死去した。19歳だった。(スポーツ報知)

「ボクシング試合後の急死」といえば、すぐ思い出されるのが力石徹。名作マンガ「あしたのジョー」の主人公・矢吹丈のライバルだ。フィクションの世界の人物ながら、その死が世間に与えた衝撃は大きく、「葬儀」まで執り行われた事はよく知られている。死因については、作中で「過酷な減量、ジョーが放ったテンプルへの一撃、ダウンの際ロープで後頭部を強打したことによる脳内出血」と説明されているのだが、「死体の巨匠」上野正彦先生の分析によれば、「脳内出血」ではなく、脳外の血腫による死亡である。上野先生の『死体を科学する』(アスキー新書、2008年)からメモ。

力石の死因が脳内出血とは考えがたい。一般に、脳内出血は外傷によっては引き起こされないものであり、この場合の力石の死に方には当てはまらない。
では、力石の死因はなんだったのか。
ここで浮上してくるのが、脳硬膜下血腫という症状である。力石は、脳「内」ではなく、脳「外」の出血で倒れたのではないか。
硬膜下出血の特徴は、外傷を負った後も意識状態は良好なまま、しばらくは活動できる点である。脳自体に傷がついているわけではないから、正常に活動ができるのだ。
ところが、時間が経つにつれ、硬膜と脳の間に血液がたまってくる。この血液が50mlを超えると脳が圧迫されはじめ、足もとがおぼつかなくなり、ちょうど酒に酔ったときのように千鳥足になる。
さらに時間が経過し、血液が150mlを超えると、脳は圧迫の極限に達する。脳は豆腐のような柔軟性のあるものだから、圧迫されれば死に至るのである。

・・・として上野先生は、力石の死は硬膜下出血が主因と推測する。今回起きたタイ人ボクサーの不幸は、この説を裏付けているように思われる。

ついでながら、真っ白に燃え尽きた矢吹丈は生きている、と同じ本で上野先生は書いている。以下にメモ。

人が意識を失った場合、身体のあらゆる筋肉が弛緩する。したがって、ジョーが死んでいるとするならば、この状態で椅子に座っていることができるはずはないのだ。腰は椅子からずり落ち、腕などをロープに引っかけてでもおかないかぎり、リングに倒れ伏してしまうだろう。同じように顔面の筋肉もゆるむので、このように柔和な笑顔を浮かべていることも不可能だ。ジョーは生きて、しかも意識を正常に保っているからこそ、椅子に座り、笑顔を浮かべていることができるのである。

・・・ジョーは生きている。ラストシーンのジョーは、自らの「ボクシング人生」を燃やし尽くして満足している、ということのようです。

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2009年10月 6日 (火)

トムラウシの教訓

7月16日に北海道・トムラウシ山で起きた遭難事故。登山客15人とガイド3人のツアーパーティのうち8人が死亡するという大惨事について、雑誌「山と渓谷」10月号が検証を行っている(この雑誌買ったの初めて)。気象的な要因を中心にメモ。

低気圧通過後の7月16日、大雪山系一帯では天候の回復が遅れると同時に、激しい強風に見舞われた。この強風は台風の暴風域レベルの厳しいもので、たまたま北海道中央部の一帯の、しかも標高2000メートルから3000メートルぐらいの狭い範囲が強風域になっていた。

悪天候というと、だれしも雨や雪を最初にイメージするのだが、本当に怖いのは「風」だ。雨が強い、雪がたくさん降るというだけで遭難することは、じつはそんなに多くない。悪天候で遭難するのは、ほとんどが強風をともなう場合だ。風でバランスを失い転倒、滑落する。風は体を冷やし、筋肉を固くする。風が強いときの山は本当に恐ろしいものだ。

トムラウシ山のあたりで20~25メートルの強風が吹いていた。その強風のなかを歩いたというのが一番の問題。かんたんに言えば、台風の暴風域のなかを歩いていたようなもの。夏山では考えにくい季節はずれの強風、予測することが難しい強風であった。

気象的には難しい判断だったかもしれないが、しかし最後に行動を決めるのは人間である。ツアーグループの場合は、ガイドがその場の状況を見て判断しなければならない。60代中心、男女の登山客15人が安全に歩ける気象状況だったのか、ガイドの判断が問われなくてはならない。

・・・ガイドの判断については気象要因のほか、体調不良気味のメンバーに登山を続行させた事の是非も問われる。とはいえ、体調・体力の把握・管理は個々人の責任という部分もあるとは思う。それにしても山は怖いとあらためて思わせる悲惨な事故だった。

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2009年9月30日 (水)

『ニッポンの思想』

先週末の日経新聞(26日付)紙上で、20代の批評家(の卵)について紹介されていて(連載記事「U-29」)、東浩紀の「ゼロアカ道場」の話も目に付いたものだから、『ニッポンの思想』(佐々木敦・著、講談社現代新書)を購入していたのを思い出し、ざっと目を通してみた。

この本は1980年代、いわゆる「ポストモダン」「ニューアカ」以降の思想の流れをまとめているが、その理由として、「80年代」が、それ以前までの「日本の思想」の流れに、ある紛れもない「切断」を成した時代だったとの認識を示している。

この認識は著者より5歳年上の自分も共有する。80年代より前の日本の思想を概観するには、昨年「新版」として復刊された『戦後思潮』(粕谷一希・著)を参照するのが良いと思う。大雑把に言えば、戦後思想は「革命」と「戦争」について論じてきた。しかしそれらの問題は、日本の経済大国化と共に消えた。そこに現れたのが「ニューアカ」だった。彼らの纏っていた「現代フランス思想」という意匠は、それまでの日本の思想の流れとは無関係に登場してきたように見えた。つまりそこに「切断」が起きた、という印象だ。

そして本書の中で指摘されているように、浅田彰と中沢新一の唱えた「差異化」という概念は、結果として当時の消費社会を肯定する論理として受け取られたことにより、一大ブームを巻き起こした。それは「思想」と「カッコよさ」が結びついた時代だった、というのもその通りだったと思う。

これに対して、「90年代」に登場した福田和也、大塚英志、宮台真司は、旺盛な活動を見せたものの、「ニューアカ」のようなブームを作り出すことはなかった。それは彼らの才能や努力の問題というより、「思想市場」の縮小が影響していたと著者は見ている。まあこの辺は、上記の言い方を使えば、彼らの「思想」はそれ程「カッコよく」なかった、というのが自分の実感ではある。本書の中の扱いは小さいが、「90年代」は小林よしのり「ゴーマニズム宣言」の時代だったかな、と思ってる。ポストモダンが招いた「価値相対主義」と闘うよしりん。

そして現在のゼロ年代は、東浩紀のひとり勝ち、なんだそうである。ていうか、東浩紀の他に誰もいなくなった、という感じもするが。

自分の実感でいえば、ポストモダンの後の80年代後半から90年代は、バブルとその崩壊を背景に、日本経済の改革を論じたエコノミストたちが「思想家」になったのだと思う。冷戦が終わったという要因もあり、そこでまた「世界認識の方法」が変わったのだ。経済を語れる者こそが現実認識を語れる、という感じになった。

日経記事によれば、現在の批評が対象にするのはネット、ゲーム、アニメだとか。こうなると、まあ私のようなオジサンには全く分からない世界ではある。けれども、たぶん世の中に与える影響も限定的ではないかなあと感じる。かつて批評は思想たりえた。しかしもはやそうではないな、とオジサンは思わざるを得ないのだ。

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2009年9月27日 (日)

『もういちど読む山川世界史』

去年の春、1ヵ月入院した時に、丁度改訂版が出たところだった『詳説世界史研究』(山川出版社)を病室に持ち込み、アタマっから遮二無二読み進めていった。で、西洋人の掠奪と征服が世界史の原動力だなあとあらためて感じ入った。そして次は、ノートを取りながら「世界史」の本を少しずつでも読みたいものだとは思ったものの、やっぱり入院生活から通常の生活に戻ると、そんな余裕ないなあという感じだった。

そしたら今度は『もういちど読む山川世界史』という本が出た。むむむ。山川出版社、あなどれない。「高校の教科書を、一般読者のために書き改めた通史。社会人のための教科書」との触れ込みで、『もういちど読む山川日本史』も同時に出てる。日経新聞紙上でも「大好評!忽ち増刷」と広告されていた。やっぱりこういう需要ってあるんだな。作家の佐藤優も「週刊東洋経済」の連載で、ビジネスパースンよ、高校教科書で学べ、みたいなこと書いてたし。

というわけで購入して読んでおります。もちろん『詳説世界史研究』に比べれば、ボリュームは少ないけど、かなり圧縮された記述なので内容が薄いということは全然なくて、それなりに気張って読み進める・・・と、すぐに「近代」に入っちゃいましたが。とりあえず世界史の基本的な流れを押さえるのには便利、っていうのは間違いない。

世界史の流れ、人間の文明は、キリスト教世界、イスラーム世界、そして中国を中心とするアジアが相互交流する中で積み上げられてきたのだが、こと近代化に関しては、資本主義を生み出したキリスト教世界が主導してきたってことで、それは今も大枠としてはそうなんだけど、それもどうやら曲がり角かなという感覚もあるわけで。

なぜ歴史を学ぶのかというと、自分たちがジタバタしている世の中は、先人がジタバタした結果として今このようにあるのだから、その過去のジタバタについて知っておく必要があるということです。

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2009年9月15日 (火)

「カツマー病」!?

香山リカの『しがみつかない生き方』(幻冬舎新書)が売れているとのこと。本文に「〈勝間和代〉を目指さない」というタイトルの章があることも話題になっているようだ。今週の「週刊朝日」(9/25号)に香山に取材した記事があるのでメモ。

「『頑張ってもうまくいかない』『頑張れない自分はダメだ』・・・・・・こう訴える30代、40代の女性の患者さんが増えています」と、香山氏は言う。
「『頑張ってもうまくいかない』と訴えてくる女性たちの多くが、勝間さんの本の愛読者なのです。彼女たちの特徴は一言でいえば優等生。向上心の強い女性たちです」

勝間本の愛読者である「カツマー」たちは、勝間和代を目指してスキルアップに励むが、成果が出ないと落ち込む人も出てくる。この「カツマー病」のタイプには2つあるという。

ひとつは「成長し続けなければ」という成功願望を強迫観念のように持ち、失敗すると「なぜこんなに努力したのに報われないのか」と考える自己愛タイプ。もうひとつは「勝間さんの言うことが実行できない私はダメな人間だ」という自己否定タイプ。

そして、こうした「カツマー病」が増える背景には、米国型の自由競争と自己責任の社会を目指した構造改革の影響がある、というのだが・・・。まあそれはともかく、自分が思うには、結局のところ勝間和代は才能にも運にも恵まれた特別な人である、そーゆー認識で最初に心得ておけば「カツマー病」を予防できるんじゃないかと。つまり普通の人が努力しても「勝間和代」になれるとは限らないし、「勝間和代」になる努力ができなくてもそれで普通なんだよと。だから何も「勝間和代」を目指さなくてもいい、「ふつうの幸せ」で充分なんですよと香山も言ってる、のだろう。

まあ正直言えばワタシは、勝間和代でもカツマーでも、向上心の固まりみたいな人は苦手だ。(社会的)「成功」なんてどうでもいいと思ってるし。(苦笑)

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2009年9月13日 (日)

生産性向上と失業者の発生

高校生からわかる「資本論」』(集英社)は池上彰の力作。さすが「解説のプロ」。

何というのか、大体の印象としては「資本論」的な「資本家」と「労働者」の対立は既に主要な問題ではないよなって感じ。資本主義は進化したというか洗練されたというか。

とはいえ、「失業者」の発生は、資本主義において最後まで残る問題かも知れない。本書の第14講(失業者を作り出す)からメモしてみる。

資本主義経済においては次第に生産性が高まってくる。機械を導入することによって、働く労働者の数は少なくて済むようになる。相対的に少なくなる。

経済がどんどん発展し、資本それ自体が大きくなっているときには、労働者が必要な比率は減っていても、全体のパイが大きくなっていれば、労働者はどんどん雇える。
しかし、比率が減
ってくるっていうことは、資本があまり拡大しなくなると、働ける労働者の数は減ってしまうんだ。つまり景気が悪くなると失業者がすごく増えてくるということになるわけです。

労働者が一生懸命働いて資本を生み出し、この資本が大きくなったことによって、逆に労働者はあまり要らなくなってきてしまう。
つまり資本主義がどんどん発展していくと相対的な過剰人口、つまり失業者を必然的に生み出してしまうんだ。
景気がよくなれば失業者は減る、景気が悪くなれば失業者が増えるというのは当たり前なんだけど、長期的には相対的な余剰労働者が、増えてきてしまうということなんです。

ここで経済学者・飯田泰之の2%成長論を思い出した。『脱貧困の経済学』からメモ。

僕が推している説に「2%仮説」というのがあります。どうも人間って、ほうっておくと毎年平均2%ずつくらい、賢くなるらしいんです。たとえば工場で同じ作業をずっとくり返していると、年に2%くらい効率がよくなっていく。効率化の原因って機械だけじゃないんです。知識や思考法も生産性を向上させる。そうやって2%ずつ効率がよくなっていくのに対して、現実の成長が0%だとどうなるかというと、2%ずつ労働力が要らなくなってくるんですね。

だから2%の経済成長が必要だ、と飯田先生は主張する。まあ、失業者を生み出す資本主義を否定して社会主義革命が起きるというのは最早あり得ないので、失業者を減らすためにも、何とか経済成長の手立てを考えなければいかんのかな。

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2009年9月10日 (木)

宇宙のはじまり

人類が生まれるための12の偶然』(眞淳平・著、岩波ジュニア新書)の第1章「この宇宙が誕生した不思議」からメモ。

今から約137億年前。より正確にいうと、137億年プラスマイナス2億年の昔。私たちの住むこの宇宙が誕生しました。想像するのがとても難しいところですが、それまでは文字通り何もありませんでした。そこに突然、極微の大きさの宇宙が生まれたのです。

宇宙誕生から10の33乗分の一秒前後に、ビッグバンが起きました。

現在の宇宙物理学では、まず宇宙の誕生があり、その後のインフレーションによる宇宙の転移相(物理的・化学的な条件の変化によって、物質などの形態が変わること)から、ビッグバンが起きたと考えられています。

その後も、宇宙の膨張は続きます。それと並行して、この宇宙のあり方を決定する重要なできごとがありました。「基本の四つの力」と呼ばれる力(「重力」「電磁気力」「強い相互作用」「弱い相互作用」)が生まれたのです。ここでいう「力」とは、物体に加速度を与えるもののことです。

もしも力が存在しなかったり、存在しても力の作用の仕方に一定の法則がなかったりした場合、物質は存在できず、宇宙自体も崩壊していたでしょう。宇宙は無秩序を好まず、誕生後すぐに秩序をつくりだしました。なぜかはわかりませんが、これは驚くべきことなのです。

宇宙を生み出す際には、重力や電磁気力など四つの力の値、中性子や陽子の質量といったさまざまな「自然定数」が重要な役割を果しています。多くの自然定数が現在の数値と少し違っていただけで、今の宇宙は存在しませんでした。そして、今の宇宙が存在するような自然定数が決まる確立は、ほとんどゼロに等しいのです。

現在の自然定数がなぜ決まったのか。この問題は今も多くの物理学者を悩ませています。

・・・およそ140億年前のある時点に宇宙が誕生し、その10の33乗分の一秒後にビッグバンが起きた。気が遠くなるような膨大な時間を遡った果てにある過去の極小の瞬間の出来事の結果、今この世界がこのようにある・・・もはや驚きを通り越して呆然とするほかない。この理論的現実は、これ以上「なぜ」と問う言葉を寄せ付けない感覚がする。

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2009年9月 7日 (月)

「自己啓発本」と「哲学」

今の日本では、自己啓発本が哲学書の代用品ということらしい。今週の「週刊東洋経済」(9/12号)連載「知の技法・出世の作法」(佐藤優)からメモしてみる。

筆者の理解では、日本で流行している自己啓発セミナーや自己啓発本は、少し形を変えた教養の方法論である。
実は、哲学を系統的に学んだ人は自己啓発セミナーに通ったり、自己啓発本を読むことはない。それは、哲学自体が方法論を備えているからで、(中略)哲学的な基礎固めがしっかりなされた自己啓発セミナーに参加したり、自己啓発本を読むと、仕事の能力を向上させるうえで役に立つ。

優れた自己啓発本の著者として佐藤氏が挙げるのは勝間和代。具体例として引用されるのは、『断る力』(文春新書)の中で勝間が以下の様に述べる箇所。

(『史上最強の人生戦略マニュアル』という本の中で)私がもっとも影響を受けて、かつ、いつも忘れずに心に抱いている法則は「事実なんてない。あるのは認識だけだ」ということです。私たちが、自分が正しくて相手が間違っている、というのはあくまで、私たちの認識です。どちらが正しいか、間違っているかは問題ではないのです。問題は、互いの認識が異なっているということ、それによって上手な意思疎通ができていないということなのです。

そして、佐藤氏は「事実はない。あるのは認識だけだ」という言葉に着目して、これは新カント派に典型的な認識論だ、と指摘するのだが、似たような言い方で自分が思い出したのは、「真理はない。あるのは解釈だけだ」というニーチェの言葉。まあカントでもニーチェでも、哲学を少しでも齧っていれば、自己啓発本は不要だと言える。でも、哲学書を読めば仕事の能力が向上する、ってことはないだろうけど。(苦笑)

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2009年9月 5日 (土)

「再分配」政策の失敗

雨宮処凛という書き手は所詮イロモノだよな、と思う。でも、専門家が雨宮と対談すると、「格差社会」についてより分かりやすく語ってくれるような印象があって、それはそれで我々読者のためになる(例えば萱野稔人との対談『「生きづらさ」について』)。しかし「格差」問題と無縁の勝間和代との対談では、勝間の方が「お話伺います」という姿勢になっていて、苦笑モノであったが・・・。新刊の『脱貧困の経済学』(自由国民社)で雨宮の対談相手になっているのは、売り出し中の経済学者・飯田泰之。「再分配」政策についての飯田先生の発言をメモ。

裕福な人から貧乏な人へ「富」を移動して不平等度を下げるのが「再分配」なんですが、日本は「再分配する前」、つまり単純な収入の不平等度と、どこかからお金をとってどこかに渡した「再分配の後」の不平等度がほとんど変わらない、という変な国なんです。どこの国でも、ふつうは不平等度を改善するために再分配をやっているのに。
でも、日本の財政が動かす額は、GDP比でいうとアメリカよりも全然多いんですよ。イギリスよりやや低いくらい。この予算を振り替えるだけで、財源なんかなくたって、けっこうな問題が解決すると僕は思うんです。

(いまの再分配はどこに配っているかというと)実質的には「東京から地方へ」と「若者から高齢者へ」。つまり東京の貧乏人からとって田舎の金持ちに配り、若い貧乏人からとって金持ちのお年寄りに配っているんです。

実は日本はすごく減税をやっています。だけど、大幅な減税になっているのは事実上年収1000万円以上の人だけ。いま財政がものすごくやばい、破産する、とか言っていますけど、あれもバカな話で、たくさんお金を納めてくれるお金持ちだけを、これだけどんどん減税して、それで財政収支が悪くならないわけがない。

「なぜこんなに貧富の差が広がったんですか」と問われたら、僕はいつも「金持ちを減税して貧乏人に増税しているんだから当たり前です」と言います。なんだかね。

・・・確かに、「新自由主義的」政策ではお金持ちに減税してお金を使ってもらえば、やがて全体も潤う、みたいな話だったと思う。結局、お金を使ってないではないか、だったら取っちまえよ、って感じにはなるよな。

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2009年8月29日 (土)

資本主義とどう向き合うか

雑誌「大航海」の休刊と入れ替えの様に?「思想と活動」の雑誌として、「atプラス」(太田出版)が新たに創刊された。第1号の特集は「資本主義の限界と経済学の限界」。岩井克人(経済学者)、水野和夫(エコノミスト)、各氏のインタビュー記事からメモ。

水野:利子率革命とは、具体的には2%以下の超低金利が長期間続く状況を意味しますが、10年以上に渡ってそれが続くと現在の経済・社会システムが崩壊してしまうという点で、まさに「革命」なのです。
利子率革命のもとではどんなことが生じるかというと、投資家が満足するようなリターンを得られる投資機会がもはや存在しないということです。投資機会が消滅し、資本の行き先がなくなり、金余り現象が起きることになります。

岩井:金融市場がうまく働くためには投機家が必要です。でも、プロの投機家がおたがいに競走し始めると、不安定が生まれてくる。これは、「ケインズの美人投票」と呼ばれるプロセスです。結局、他人が値段が上がると予想していると予想すると、買いを入れるので、さらに値段が上がる。バブルです。他人が値段が下がると予想していると予想すると、売り浴びせるので、さらに値段が下がってしまう。バブルの崩壊です。投機家たちがしのぎを削り始めるとそういう人たちの行動が必然的に不安定を生み出し、資本主義の本質的な不安定性の一つとなるのです。

・・・金は余っているというのに、もはや世界に投資機会は乏しい。少ない投資対象にみんなが争うように資金を注ぎ込めば、当然のようにバブルが生まれる。そしてバブルが崩壊すれば、その後始末をするのは国家しかない。ただし国家に対する二人の見方のニュアンスはかなり異なる。

岩井:今回の金融危機で、大きな教訓が得られました。今までグローバル化とは、資本主義が国家の上位に立って国家を支配するプロセスというように言われてきたけれど、少なくともこういう危機に際しては、主権を持つ国家しか頼れる存在がないということが示されたということです。

水野:私は、国家が資本家の使用人に成り下がってしまったのではとさえ思えてなりません。金融資産が140兆ドルまで膨らみ、実体経済の2倍以上の規模になると、それに対して国家はマイナスなことはできないわけです。とにかくあの手この手を使って、金融資本を減らさないようにせざるを得ない。現在、ケインズ主義が復活していますが、やむを得ないとはいえ、資本の使用人に甘んじる政策に終始しているように思います。

・・・金余りの中で、資本主義の不安定性を克服するにはどうすればよいか。

水野:利子率が最低になったということは、資本が行き渡ったということですから、欲を出さなければいいんです。成長ではなく、定常になるという認識をみんなが持てればいいと思います。

岩井:国家がさまざまな規制をし、危なくなると介入していきながら、そして望ましくは市民社会的な動きからの助けを借りながら、資本主義をその都度修正してゆくという方法しかないと思います。

・・・水野氏の「禁欲論」に対し、岩井氏はプラグマティズムというべきか。

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2009年6月27日 (土)

ケインジアン対新古典派?

ニューケインジアンと新古典派は「対立」している、という訳ではない。『経済成長って何で必要なんだろう?』(光文社)の「序章」から、飯田泰之・駒澤大学准教授の発言をメモ。

ニューケインジアンというグループが生まれたのが80年代、そして90年代末には主流派のなかの主流派になります。ちなみにもう一つの主流派は新古典派、または新新古典派です。しかし、現在ではニューケインジアンと新古典派では分析手法はまったく同じなんです。

いずれのグループも景気変動はショックに対する経済システムのリアクションであると考えます。違いは景気を動かす最大のショックは何かという点ですね。新古典派は生産効率の変化が最大の源泉だと考える。生産技術が変わったり、労働者の能力が変化したことによって効率が変化し、その結果景気がよくなったり悪くなったりすると考えます。一方、ニューケインジアンは生産効率の変化は景気変動の「結果」だと考える傾向があります。むしろ景気変動を起こすショックは需要や政策によって生じていると考える。この両者は排他的なものではなくて、どちらが量的に重要かで意見が分かれているんです。

その結果、新古典派はあくまで生産側の効率やシステムなどが変動の原因だから、さらなる市場システムの純化によって経済問題は改善すると考える。一方のニューケインジアンは問題解決のためには市場システムがしっかり稼動することが重要で、そのためにはちょっと手を加えなければいけないと考える。あくまで市場システムが回ることが重要だという点については両者に違いはありません。

・・・どっちにしても、経済学は「市場が基本」ってこと。当たり前っちゃ当たり前ですが。

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2009年6月22日 (月)

バラバラ殺人と「責任能力」

2006年末に東京・渋谷区で起きた2つの「バラバラ」殺人事件の裁判では、いずれも被告人の「責任能力」が争点になった。『あなたが猟奇殺人犯を裁く日~裁判員なりきり傍聴記~』(扶桑社新書)からメモしてみる。まずは兄が妹を殺害した事件。

(被告人に対する精神鑑定結果では)殺害行為の精神状態と遺体解体時の精神状態は違うとし、解体のときまでは解離性障害、解体時は強迫性障害であると述べていました。素人には何がなんだかさっぱりです。結局、鑑定医の結論としては、遺体損壊時は責任のない状態(心神喪失)、殺害時はある程度の判断能力を有しており責任能力は限定的だけどあった(心神耗弱)とのことでした。

後日行われた論告求刑。ここで検察側は鑑定人が出した結果を完全否定し、被告人には犯行当時、全ての場面において完全責任能力があるとしたうえで懲役17年を求刑。対する弁護側は鑑定結果に乗っかって、責任能力はないとし、強気に無罪を主張して結審しました。

判決は懲役7年でした。裁判所は、殺害時の被告人は完全責任能力があったものの、遺体を損壊しているときには責任能力がなかったと結論付けました。
検察側も弁護側も控訴。09年4月28日現在、東京高裁にて言い渡された判決は一審破棄、懲役12年。死体損壊時も責任能力があると認定されました。

次に妻が夫を殺害した事件。

弁護側の鑑定人は「犯行時、死体遺棄時には短期精神病障害に罹患しており、責任能力が欠如していた、心神喪失状態と推認できる」と結論付け、同様に検察側の鑑定人も「責任能力を喪失していたことは十分想定できる」と結論付けました。弁護側の鑑定人がこのような結論を出すことは想定できますが、まさか検察側の鑑定人まで。驚きです。

そして論告求刑。やはり鑑定人がこのような結果を出しても、検察は「被告人には完全責任能力があった」として、懲役20年を求刑。対する弁論。改めて被告人に責任能力がないと主張し、結審しました。

判決は懲役15年でした。(裁判所は被告人に完全責任能力を認めた)
被告は控訴。09年4月現在、東京高裁は三度目の精神鑑定を行う方針です。

・・・事件が「猟奇的」な様相を呈しているからといって、犯行者が「異常な」精神状態の中で判断能力を失っていた、とはいえないだろうなあ。殺害後の遺体の分断・分解は、死体を運ぶとか捨てるとかしやすくするためにポータブルにするってことで相当「合理的な」行動であり、当人としては「証拠隠滅」という「目的」のために、なりふり構わず「意思的」に進めているはずだから、当然責任能力は認められるだろうなと思う。この本にはより最近のバラバラ殺人、08年4月東京・江東区で起きたOL殺害事件の裁判も取り上げられているけど、こちらは別に「精神鑑定」はしてないみたいなので、06年末の2つの事件で「責任能力」が問われたのは、「猟奇的」であるってことよりも、「家庭内殺人」というのか、兄と妹、夫と妻という当事者の関係性から見て「異常」ってことなのかも知れない。でも夫婦も元は他人だし、きょうだいは「他人の始まり」だったりするが(苦笑)。まあ何にせよ「責任能力」を問うというのは、裁判をややこしくするだけのような気がしてしまうのだ。

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2009年6月 8日 (月)

雑誌「大航海」終了

人文思想誌「大航海」が、この5日発行号で終刊となった。いわば「ニューアカ」系の最後の砦?が消えたことになる。当初隔月刊で出発、その後季刊に移行して通算14年以上続いてきた、この雑誌の終了は何を意味するのか。昨日7日付日経新聞の読書欄コラム記事(雑誌休刊が物語る虚無)からメモしてみる。

新書館の編集主幹として「大航海」に携わる文芸評論家の三浦雅士は「人文関係の雑誌で『売れないからやめる』という考え方は本来、ありえない」と打ち明ける。

だとすれば、深層には何があるのか。三浦は端的に「世界の変容」と語る。「経済が文化の下部構造という位置づけを超えて全面化し、文化は顧みられなくなった。この地殻変動の衝撃はあまりにも大きく、あまりにも深刻」

三浦の見方によれば、人が生き方の規範や価値、知的な楽しみを活字メディアに求める時代は過ぎ去った。かつて「現代思想」や「ユリイカ」といった雑誌の編集長として「ニューアカデミズム」ブームをけん引した手応えと現在の感覚はかけ離れている。「以前は浅薄だったかもしれないが、うねりを起こすことはできた。今はどんな特集を仕掛けても反応が薄い」という。

・・・「経済の全面化」という言い方は、自分にも実感がある。80年代中頃のポストモダン、ニューアカデミズム・ブームの後、バブル経済が出現し、エコノミストの語る言葉に多くの人が耳を傾けるようになった。いわばエコノミストが「思想家」と化したのであり、「世界認識の方法」の中心は人文知から経済的な知へと移った。その傾向はバブル崩壊後の90年代も続き、日本型経済システムの見直しについて、エコノミスト中心に百花繚乱の議論が繰り広げられた。それは金融危機でピークを迎え、その後世の中の動きは、いわゆる「新自由主義」的な経済政策や企業経営へと舵を切っていくことになる。

一方で人文知自体も、既にかつての「教養」の主役の座を失っている。教養とはほぼイコール「古典」と言えるだろうが、次から次へと新たな「知識」が生産されて「情報」として流通し処理される昨今では、そもそも「教養」自体が成り立たなくなっている。むしろ人は実用的知識を仕入れることに日々追われている。「脳」や「DNA」についての知見が幅を利かす世の中で、いわば「(近代的主体としての)人間は死んだ」(フーコーの言葉)のであれば、その人間観に基づいた人文知もまた衰退していくのは避けられないだろうという感覚はある。良し悪しではなく。

ただ今回の不況で「新自由主義」的な経済の考え方が曲がり角を迎えたのならば、そこに人文知による社会批判が拠って立つ場所が出来たのかも知れない、という気は(少しだけど)する。

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2009年6月 6日 (土)

ナンバー2武将に学ぶ

雑誌サピオ(6/24号)で、童門冬二と松平定知が「ナンバー2戦国武将」をテーマに対談。黒田官兵衛と直江兼続の部分からメモ。

松平:私はナンバー2の武将のなかでも黒田官兵衛の生き方が好きなんです。副官として主君を動かし、日本を動かしたナンバー2の武将としては戦国最強だった。
童門:官兵衛は信長や家康からも日本一頭脳の鋭い男だと警戒されています。秀吉にしても同様です。あまりに優秀過ぎる部下は警戒されますからね。大坂城でたわむれに、「俺が死んだら、次に天下を狙うのはだれか」と周りに聞くと、「徳川だ」「いや、前田利家だ」とみんな言うわけですが、秀吉は「違う」。「九州にいる、頭のはげた足の悪いヤツだ(官兵衛のこと)」と言う。それほど警戒していた。
松平:官兵衛はその話を聞いて秀吉の思いを察知し、すぐに家督を息子の長政に譲り、頭を剃って出家し、如水と名前を変えて隠居しましたね。しかし、いざ関ヶ原となったら、彼は立つんです。如水はナンバー2に徹して主君に仕えただけでなく、ことあらば、ナンバー1にもなろうぞという男の野心も見せた。

松平:童門先生は、おそらく日本で一番最初に直江兼続に注目なさった方なんですよ。
童門:私が直江について書いたのは20数年も前ですけどね。彼は26歳のときに石田三成と盟友の約定をしたんです。だから、義を重んじる立場から関ヶ原で石田に味方せざるを得なくなった。西軍が負け、会津120万石から米沢30万石に減らされた。
松平:収入が4分の1になるというのは大変なことですね。
童門:ええ。直江はまず給料を4分の1に減らすという原則を立てるんですが、上に行くほど減給率を高くし、下の者が生活できるように配慮した。次に、士農工商を身分制度ではなく職業区分にした。武士でも農業の技術や知識があるなら農業をやり、物作りが得意なら工の世界へ行けと。生活環境、企業環境が変わったら、意識改革をして新しい生き方をすることを求めたのです。私が直江兼続に見る非凡はそこなんです。

・・・黒田は野心を内に秘めていたし、直江の能力は主君を上回る印象もあるので、どちらも「ナンバー2」としては、やや出すぎた感のある人物。リーダーをフォローする役割に徹したという意味では、豊臣秀長(秀吉の弟)が「ナンバー2」のお手本かも知れないと思い浮かんだ。

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2009年5月30日 (土)

日本は独立国家なのか

先日、東京駅でサンライズ出雲に乗り込む石破大臣を目撃したからという訳ではないけれど、石破茂と小川和久の対談本である『日本の戦争と平和』(ビジネス社)から、日米同盟についての発言をメモ。

小川:20世紀に日本が結んだ主な同盟の三つめが、現在の日米同盟です。この同盟関係は45年8月15日に第二次世界大戦(太平洋戦争)に負けた日本が、アメリカに占領され、51年に独立を回復(講和条約に調印。発効は52年)していく流れのなかで結ばれました。これがそのまま今日に至り、結果として日本の国のあり方すべてを規定するようなかたちになっています。やはり私たちは、日本の国益から見て「同盟関係の選択」をどのように位置づけるかという地点に、立ち戻る必要があるのではないか。

石破:日本は同盟関係の選択というものを、国として、あるいは民族として、「これこれの理由で、日米同盟を選ぼう」と明確な意識を持って位置づけてきた、とはいえないのでは、というお話ですね。マッカーサーのアメリカに占領され、アメリカからさまざまな制度や仕組みを教わり、すっかり世話になった。その延長線上でというか、選択の余地もないままに、アメリカとの安全保障条約を結んだと。

小川:「まず最初に日米同盟ありき」という考え方はおかしいでしょう。日米同盟にはいくつか問題があるし、それをより健全化していく取り組みが必要です。アメリカとの同盟関係を日本国としてどう国益に生かすかという観点からは、同盟の中身を整理し、さまざまな取り組みをしなければならない。アメリカの利益も尊重しつつ、直すべきは直す方向に持っていかなければ独立国家ではない。戦勝国が、自分に都合のよい中身に持っていった同盟関係、具体的には日米安全保障条約や日米地位協定を、いまだに自分の国にとって望ましい方向に変えようとしない日本のあり方のほうが、歴史的にも例外に属することなのです。

石破:独立国でありながら、条約上の義務として他国の軍隊の基地を受け入れている。そして、その基地には治外法権のような部分もある、という国家は、日本以外にないはずなんです。それはアメリカにとってとても都合がいい。しかも、日本にとってもカンファタブル(心地よくて快適)で、とっても楽ちんなんです。防衛というものに正面から向き合わなくていいし、国の独立とは何だという問題にも正面から向き合わなくていいから。これは領土問題などにもすべて通じる話だと思います。日本人は竹島も北方四島もそうですが、不法に占拠されている状態に対して真剣に怒る人が少ない。自分の国によその国の軍隊を義務として受け入れていることに対する感覚のマヒと、領土意識の希薄さは、たぶん相通じるものなんでしょう。

・・・自衛隊の海外派遣や憲法改正を論議するよりもまずは、日本は独立国家としての在り方を確立すること。そのためには少なくとも、アメリカと対等のパートナーという立場でものを言える関係を築くことが大前提となるのだろう。

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2009年5月20日 (水)

石原都政って何なの?

石原慎太郎よ、退場せよ!』(洋泉社新書y)は,斎藤貴男と吉田司の対談本。斎藤の主張は、石原慎太郎は差別主義者、それを政治にしたのが石原都政、基本的にそれだけという印象。一方、吉田は「新自由主義」的な背景の中に石原都知事の在り方を位置づけようとする。吉田発言からメモ。

石原が再登場した時代の背景にある、新自由主義とは何かについて二点語りたいんです。ひとつは、小泉新自由主義の「痛みを伴う」構造改革で、地方経済は疲弊した。しかしその一方で、企業の不況脱出口としての東京だけは、一極集中の「一国主義」「単独主義」として肥大化。東京と名古屋のふたつが日本の中の「世界都市」です。愛知・名古屋はもちろんトヨタの拠点都市です。

それと二点目は、新自由主義であまり語られていないのは、コンピュータ文明時代の資本主義だという視点です。実は戦前の統制経済が始まる前の、1920年代、30年代、まさに『蟹工船』の時代、古典的な自由競争時代でしたね。20年代、30年代と現在の間には、アナログ的な資本主義とデジタル的な資本主義の違いがあると思います。自由競争の過酷さは変わらない。いや、むしろコンピュータ・スピード化し、過剰リスク化した。新自由主義こそが20年代、30年代に逆戻りしているというか、それをコンピュータ化しただけで、時代はむしろ20年代、30年代に起きたことと同じことが起きているのに、これを新しいことだと思っている。

世界体制の中での東京一国主義で、東京も日本において専制君主化していく。そのときの役者として彼が呼び出され、彼も専制君主化したんだと思います。大東京主義はこの世界恐慌的な経済の急失速で多かれ少なかれ破綻を抱え込んだし、東京も変質せざるをえない。そのときに専制君主としての役割をやってくださいという石原の役割は終わったと思う。

この言葉に斎藤も同意。新自由主義の露払い役という石原の役割は二期目までで終わっている、と述べる。

石原都知事がただの差別主義者なのか、新自由主義の専制君主なのかはさておき、都民である小生としては、新銀行東京は失敗を認めてさっさと潰してもらいたいし、オリンピック招致なんかにお金を使って欲しくはないのである。オリンピックは福岡に譲るべきだったし、住宅やら満員電車やら保育所やら、大都市には改善すべき問題がいくらでもあるんだからさ。2年前に石原は御用済みなのは明らかだったのに、民主党が現職に対抗できる候補者を出せなかったのは実に不甲斐無かった。最初は頼れる指導者に見えた石原都知事も、結局はただのマッチョイズムの人で、いまや意味も無くえばる人としか思えない。この秋に東京がオリンピック開催地に選ばれなかった場合でも、さらに一年半だらだら石原都政が続くのかいな。

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2009年5月12日 (火)

時価会計の落とし穴

「サブプライム・ローン問題」とは、金融商品の「ミスプライシング」から起きた技術的問題にすぎない、と強調するのは「伝説のディーラー」藤巻健史。著書である『100年に1度のチャンスを掴め!』(PHPビジネス新書)からメモする。

もともとサブプライム・ローン証券とは、低所得者層に対するローンを基にした、リスクの高い債券です。それにAAAなど高い信用度がついたことにより、高すぎる値段で売ってしまったのです。本来流動性のないサブプライム・ローン商品に関して誤った値付け(ミスプライシング)が行われてしまったのです。高すぎる商品が値崩れするのは世の常です。この値崩れの過程で、「時価会計」の弊害が現れてしまったのです。

取引が極めて少なくなった市場では「時価会計」が機能しません。明日お金が必要な人は、理論値よりもずっと低い価格で債券を売ってしまう可能性があります。バナナの叩き売りが始まるわけです。「バナナの叩き売り」が唯一の市場での取引だとすると、その価格が時価になってしまいます。高すぎた商品が、今度は安すぎる評価になってしまったのです。金融機関は、理論価格よりも大幅に低い「バナナの叩き売り価格」で保有証券を評価せざるをえなくなりました。その結果、巨額の評価損を計上。さらに、問題が「デリバティブ」という「世になじみの薄い商品がらみ」だったので、危機感があおられました。その恐怖感が事態を悪化させたのです。

今回の危機の本質は、流動性リスクの高い商品に深入りしすぎたせいだ、と思うのです。「流動性リスク」と「信用リスク」の問題であって、「レバレッジをかけすぎた」かどうかというような「マーケットリスク」の問題ではないと思うのです。

サブプライム・ローン問題は、あくまでもテクニカルな問題であり、それを人々の恐怖感が深刻にしてしまっただけ、と思うのです。そうであれば、そのテクニカルな問題を解決し、恐怖感を除けばよいのです。そうすれば株価は再度上昇し、資産効果によって、実体経済は急速に回復すると信じています。

・・・サブプライム問題に始まる今回の金融危機は、流動性の低い証券化商品のミスプライシングが修正されて異常値が発生し、それが時価評価として金融機関の財務に反映されるとの予想から、信用不安が拡大して深刻化したということになる。藤巻氏の景気回復シナリオは、「米国金融機関の株価上昇→米国一般株の上昇→日本株の上昇→円安ドル高による日本株のさらなる上昇→資産効果による実体経済の好転→さらなる日本株の上昇」とのこと。ここにきて最初の段階は実現したと思われる。今後の展開がシナリオ通りとなりますかどうか。

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2009年5月 6日 (水)

資本主義と歴史の「反復」

柄谷行人 政治を語る』(図書新聞)は書名が示すとおり、評論家柄谷行人へのインタビューをまとめた本。第三章「現状分析」からメモ。

僕がいう反復は、構造的なものです。資本主義には反復的な構造があります。景気循環がそうです。恐慌・不況・好況・恐慌――。なぜこのような循環があるのかといえば、資本主義経済は、その発展において、恐慌と不況を通して、暴力的な淘汰と整理をするほかないからです。だから、この反復はいわば反復強迫的なものです。

恐慌よりも大事なのは、そのあとの慢性不況です。
現在の事態は1929年に似ているというのは、さまざまな意味で、まちがっています。というのは、第一に、1930年代は、アメリカが没落するどころか、アメリカがイギリスに代わって、覇権を握ることがはっきりした時期だったからです。
第二に、1929年の時点では、自動車・電気製品などの耐久消費財への移行が起こりかけていた。大量生産・大量消費という時代がそこからはじまったのです。
しかし、今後の慢性不況にはそのような可能性がないのです。

レーニンは、帝国主義段階を歴史的に特徴づけることとして、「資本の輸出」をあげています。資本は、国内市場だけでやれなくなったために、グローバルな市場を求めて外に出る。ハンナ・アーレントは、1880年代に顕在化した帝国主義を、国家-資本がネーション(国民)の軛から解放されることだと述べています。つまり、国家はネーションの要求を斥け、自国の労働者を見捨てて海外に向かう資本を制度的・軍事的に支援したわけです。ネオ・リベラリズムに生じているのは、それと同じことです。

1990年以後、新自由主義というか、ネーションを犠牲にした資本と国家の運動が続いたわけですが、それが破綻したからといって、資本と国家が終わるわけではない。新自由主義がもたらした階級格差、さらに慢性不況という現実のなかで、結局、人が行き着くのは、国家によってそれを解消しようというものです。

慢性不況で、人が国家による援助や介入を求めるのは、ある意味で、当然です。しかし、僕は、それは真に社会主義的な方向には向かわないと思う。それは、実際は、国家資本主義です。

国家を抑え込むには、国家に対抗できるような「社会」が強くないとできません。僕が社会主義というのは、そういう意味ですね。

僕は80年代に、「単独者」というようなことをいっていました。単独者とは、他人と連帯できる個人をさすのです。単独者が創る共同体が、アソシエーションなのです。

アソシエーションを創ること。それがとくに日本では大事なんだと思います。個人(単独者)はその中で鍛えられるのです。日本では、もっと「社会」を強くする必要がありますね。そして、それは不可能ではない、と思います。

・・・このほか、「資源と市場をめぐる国家-資本間の対立が世界戦争につながる可能性がある」とか、「現在の日本は、国家官僚と資本によって完全にコントロールされている専制国家だ」という刺激的な発言も目に付く。その妥当性はともかく、今回の「経済危機」については、回復時期や対策など政治経済的に論じるのとは別に、「我々はどこにいて、どこに向かうのか」という歴史哲学的な事柄を考えるきっかけにもしたいものだ。

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2009年5月 3日 (日)

経済の変化をどう見るか

金融危機を背景に「構造変化論」が活発化しているが、変えるべき部分とそうでない部分を冷静に考える必要がある。「週刊エコノミスト」(5/5・12)掲載の「日本経済の転換期を生き抜くための4つの視点」(小峰隆夫・法政大学大学院教授)から、要点をメモ。

①マクロ経済の変化
今回の世界不況の震源地である米国よりも、その影響を受けた日本の成長率の方が大きく落ち込んだ。なぜこうした現象が起きたのか。米国での消費の減少に対応して日本国内で在庫調整と設備投資の加速度原理が作用したためだ。
一方、構造的変化も起きた。グローバルインバランスの是正である。米国への資本流入が減少し(経常収支赤字の縮小)、日本では輸出が減少し、企業業績が減少するという形で、国内貯蓄の減少(経常収支黒字の減少)が生じている。

②市場原理主義者批判
市場原理主義者批判は、本来存在しないような人(市場は万能だとか、すべての規制を撤廃すべきだと主張する人)を批判している。市場原理が本来持っている利点を発揮して、経済をより効率的にしていく必要がある。

③金融資本主義
金融制度の枠組みの再整備、金融工学の使い方の制御が必要である。

④輸出主導型経済
本当の問題は、輸出の増大によって生まれた経済的利益が内需の拡大につながらなかったことにある。今後世界経済が落ち着きを取り戻した時、日本は国際競争に打ち勝って、輸出を伸ばしていく必要がある。要は「輸出か内需か」ではなく「輸出も内需も」増やすべきなのである。

・・・今回の危機が発生して以来、「新自由主義」や「金融資本主義」、「輸出立国モデル」は終わった、という風な人目を引きやすい言葉が飛び交っている。大きな変化をきっかけに、物事を根本的に変えるべきだという話が出てくるのは勢いの赴くところだろうけど、実際には従前の物事をいきなり全否定できるはずもないので、まずは問題の在りかを認識したうえで、物事を地道に修正していくのが現実的な動きになるのだろう。

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2009年5月 2日 (土)

「脱成長」という価値転換

「週刊エコノミスト」(5/5・12合併号)掲載、佐伯啓思・京都大学大学院教授のインタビュー記事(日本を真に豊かにするために「脱成長社会」の道を探れ)からメモ。

危機の原因は、短期・中期・長期の3つの局面で考えるべきだ。
第1の短期的な要因は、金融緩和と住宅バブルを作り出した米ブッシュ政権の経済政策の失敗がある。
第2の少し長期的な問題は、米国の新自由主義政策と金融グローバル経済の行き過ぎだ。金融市場は本質的に何が起きるかわからない不確実性を持っているにもかかわらず、リスク管理ができると思っていた。
そして、第3の長期的な視点は、先進国がほぼ「需要の飽和」の状態に陥ったことだ。

類の歴史を長い目で見れば、経済の基本は、食べて生活を安定させて家族と暮らす土台を作ることだった。これが「生の経済」といわれるもので、現在でも、農業、医療、教育、地域に根付いた中小企業などはこのような面がある。市場経済の利潤原理が、この「生の経済」の隅々にまで浸透すると、人々の生活を支えている「社会」の基盤を掘り崩してしまう。

長期停滞は避けられないし、それは悪いものでもない。それを前提に、産業主義経済を支えてきた「近代主義」の価値判断を転換し、成長から別のものに関心を向け、「脱成長」の経済を目指すべきだ。私は「成長中心の考え方を変えよう」と言っているので、ゼロ成長を目指しているわけではない。

・・・「市場経済の行き過ぎが社会的基盤を壊す」という批判を、佐伯先生はそれこそ日本のバブルの頃から、倦むことなく展開してきた。(中谷巌よりもずっと前からだ)

インタビュー記事の中ではまた、日本人は、自分たちが本来持っていた豊かな価値観、自然観、死生観、歴史観などを世界に発信すべきだ、とも主張している。

まあ正直、日本人の価値観が世界に理解されるとは思えない(こういう考え方が日本人的?)ので、発信とか言われてもねぇ・・・。

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2009年4月29日 (水)

ある学徒出陣兵の死

日経新聞「私の履歴書」の今月連載(近藤道生・博報堂最高顧問)の前半は、主に筆者の戦争体験を中心に綴られていたが、何というのか、個人の力では抗い難い戦争という時代の荒波の中で、ほんの少しの偶然が人の生死を分けてしまう過酷な現実に胸苦しい思いを抱かされた。

病に倒れた筆者の代わりに、飛行機でシンガポールに向かった隊長は、敵に襲われ戦死。兄と慕った参謀も、内地に帰還する際、搭乗機が敵に撃墜された。前線で再会寸前だった幼なじみの同級生は、転戦先で散った。ベンガル湾のカーニコバル島で親しくなった学徒出陣兵は、上官の命令を拒否できないまま住民を殺害し、戦後、戦犯として処刑された。

ある本屋で、筆者の数年前の著書である『国を誤りたもうことなかれ』(角川ONEテーマ21新書)が、「私の履歴書に登場!」と記された帯を巻かれて置いてあったので購入。件の学徒出陣兵である木村久夫上等兵の遺書が、『きけわだつみのこえ』から引用されていたので、一部メモする。

私は死刑を宣告せられた。誰がこれを予測したであろう。年齢三十に至らず、かつ、学半ばにしてこの世を去る運命を誰が予知し得たであろう。

日本は負けたのである。全世界の憤怒と非難との真只中に負けたのである。

私は何ら死に値する悪をした事はない。悪を為したのは他の人々である。しかし今の場合弁解は成立しない。日本の軍隊のために犠牲になったと思えば死に切れないが、日本国民全体の罪と非難を一身に浴びて死ぬと思えば腹も立たない。笑って死んで行ける。

苦情をいうなら、敗戦と判っていながらこの戦を起した軍部に持って行くより仕方がない。しかしまた、更に考えを致せば、満州事変以来の軍部の行動を許して来た全日本国民にその遠い責任があることを知らねばならない。我が国民は今や大きな反省をなしつつあるだろうと思う。その反省が、今の逆境が、将来の明るい日本のために大きな役割を果すであろう。それを見得ずして死ぬのは残念であるが致し方ない。日本はあらゆる面において、社会的、歴史的、政治的、思想的、人道的の試練と発達とが足らなかった。

あらゆるものをその根底より再吟味する所に、日本国の再発展の余地がある。

・・・この木村上等兵も関わったとされる、カーニコバル島において日本軍が行った島民の虐殺事件とその裁判については、研究書も出ている。さすがにわざわざ読んでみようという気にはならないけど。

時に、自分の人生はつまらん人生だったと思ったりするのだが、そんなこと言ったら、戦争の中で生死を決められた人々に申し訳ないとあらためて思う、「昭和の日」。

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2009年4月19日 (日)

人間学と経済学

昨年のビジネス書ランキングでも評価の高かった『アダム・スミス』(中公新書)。その著者、堂目卓生・大阪大学大学院教授の論文(いま甦るアダム・スミスの思想、中央公論5月号)からメモ。本を読まずに雑誌論文で分かったつもりになろうという魂胆。(苦笑)

スミスは、市場経済が本格的に拡大する18世紀中頃のイギリスにおいて、いかにして人間の心に反しない市場が構築されうるかという問題に取り組み、「人間学」(人間本性に関する考察)にもとづく経済学の確立を構想したのであった。

(スミスの構想では)経済学は、「理論」の領域と「政策」の領域に分けられる。政策の領域においては、諸事実に対して、また諸理論にもとづいて、何らかの「目標」が設定される。それら(目標)は「立法者の規範原理」(政策当局が採用する善悪の判断基準)があってはじめて設定されうるのである。

人間学の目的は、他人の行為や自分の心の観察を通じて、「規範」の領域、すなわち個人の規範原理および立法者の規範原理を解明することである。したがって、経済学は、政策の領域をカバーしようとするかぎり、人間学的考察から独立であることはできない。

スミスの『道徳感情論』(1759)と『国富論』(1776)は、それぞれ人間学と経済学を扱う書物である。『道徳感情論』は、市場経済を人間の心に反しない制度として存続させるための条件を示す書物であり、『国富論』の人間学的基礎をなす。

スミスの人間学の中核となる概念は「同感」である。
私たちは、自分の感情や行為と、他人の感情や行為を比較し、それらが一致する場合には是認し、著しく異なる場合には否認する。

私たちは、一方で世間の是認や否認にさらされ、他方で胸中の公平な観察者の是認や否認にさらされる。スミスは、「賢人」は胸中の公平な観察者の評価を重視するが、「弱い人」は世間の評価を気にすると考える。スミスは、弱さと賢明さの両方をもつ諸個人を束ね、社会の秩序と繁栄を司る立法者がもつべき原理は、「賢人の原理」であると考えた。

・・・経済学は人間学に基づかなければならない、というのは真っ当な主張かも知れないが、いまや人間学なるものも相当壊れつつあるような気もするので、そう簡単に「アダム・スミス」が甦るのかどうかは分からない。

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2009年4月18日 (土)

恐慌と労働力商品化

「中央公論」5月号掲載の西部邁と柄谷行人の対談「恐慌・国家・資本主義」からメモ。

柄谷:一般にマルクス主義者は、恐慌は資本主義の崩壊、社会主義の到来をもたらすと考えましたが、宇野弘蔵は違った。彼は、『資本論』に書かれているのは、恐慌の必然性である、しかし、それは革命の必然性ではない、というのです。

西部:ぼくが宇野弘蔵を読んで非常に強く印象に残っているのは、「労働力商品化の無理」という論点です。労働力というのは資本主義的機構では再生産ができない。次世代の労働力は家族で男女が生み出すわけですから、それは資本主義のシステムの外部にある。
労働力供給も恐慌論と密接な関係があって、好景気が始まっても、労働力は景気に合わせて増えてくれないから、労賃がどんどん上がる。資本家が好景気に乗って投資を進めていく。そうすると、それに伴って労賃が上がり、労賃上昇ゆえに、ある段階から利益から損失に転換する。その途端に、資本主義的な再生産が障碍を起こす。これが宇野のいう恐慌の必然性の要点で、そういう意味で、労働力商品化の無理が資本主義のアキレス腱だといった。

柄谷:ポランニーは、近代資本主義経済は、本来商品にならない三つのものをフィクションとして商品化したところに成立したといいました。第一に、宇野弘蔵が強調した労働力の商品化です。第二に、土地の商品化、第三に、貨幣の商品化です。現在の信用危機は、第三の虚構から生まれたものです。

同じ雑誌の佐藤優の連載でも宇野弘蔵が取り上げられていて(「新・帝国主義の時代」)、そこでは「宇野は、恐慌の原因を生産過剰や過少消費に求めない。資本主義はあらゆるモノやサービスを商品にする傾向がある。しかし、資本主義を成り立たせる根本である労働力商品だけは、任意に作り出すことができない。好況期に労働賃金が上昇し、資本にとってこれでは生産をしても利潤が得られないという状況が生じ、これにより恐慌が生じると考える。資本が過剰になっているのだ」、と解説されている。

過去の知的遺産から学ぶことの重要性は認めるとしても、今回の金融危機から発した「恐慌」を考えるためには、バブル、証券化商品、レバレッジ、投資理論、投資家心理等へのテクニカルな考察も相当必要であり、人文社会科学系の原理論だけでは現実を捉えるのに不十分だと思える。

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2009年4月16日 (木)

食糧危機のウソ

最近も穀物価格高騰を背景に、「食糧危機」の到来がまことしやかに語られていたのは記憶に新しい。しかしながら危機を語る人々は結局のところ「狼少年」のようだ。『「食糧危機」をあおってはいけない』(川島博之・著、文春ペーパーバックス)からメモ。

開発途上国の経済の発展、中でも莫大な人口を抱える中国、インドを中心とするBRICs諸国の成長によって、世界的に食糧生産が足りなくなるという見方があります。経済成長によって人々の所得が向上し生活水準が上がると、動物性タンパク質、肉の需要が増える。食肉の生産には飼料としてたくさんの穀物を必要とするので、当然のように中国の食肉生産が穀物需要の拡大につながると考えられたわけです。しかしそこに食糧危機説の見当違いがありました。中国で実際に増える家畜の飼料の中心となったのは、小麦でもトウモロコシでもありませんでした。大豆なのです。それも油を絞った後の大豆の絞りかす、いわゆる「大豆ミール」でした。

中国の大豆の需要増加をまかなったのがブラジルでした。そして、食糧危機説の第二の間違いは、このブラジルでの大豆生産の増加を予測できなかったことでした。

食糧危機説の第三の間違いは、経済発展によって中国の人々が欧米人と同じ食生活に近づくと考えたことです。しかしアジアには欧米ほど強く肉食に偏重する嗜好はありません。文化には多様性があって、食文化はもっとも保守的な価値観に根ざすところです。食糧需給を予測するのにはそうした観点も重要です。(第一章「爆食中国」の幻想)

このほか、世界人口は増加率鈍化から今後は減少も視野に入ることや、農産物生産はまだまだ伸ばす余地があることなどが論証されて、「食糧危機」が現実になる可能性は小さいことが説得的に示されている。

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2009年3月29日 (日)

先進的大衆国家ニッポン

あらためて世界を見回してみれば、日本は特異な進化を遂げた社会なのかも知れない。『格差社会論はウソである』(増田悦佐・著、PHP研究所)からメモ。

世界中で約200の国や地域がある。そのうちで、人口が1億人を超えている国は、たった11ヵ国しかない。人口の多い順に列挙しておけば、以下の通りだ。中国、インド、アメリカ、インドネシア、ブラジル、パキスタン、ロシア、バングラデシュ、ナイジェリア、日本、メキシコ。この11ヵ国のうちで、日本とアメリカを除く9ヵ国は、国民一人当たりの国内総生産が日本よりはるかに低い。一億人クラブのメンバー諸国の中では、アメリカと日本だけがこれだけ大勢の国民が平和で豊かな暮らしをエンジョイし、ひとりひとりが持っている能力を目一杯発揮できるような社会を築いているのだ。

日本の大衆は、敗戦以降一貫して知的エリートの支配を脱却した真の大衆社会を構築してきた。日本人はすでに戦後60年あまりにわたってポストモダン社会を生きている。ポストモダン社会とは何か? 知的エリート支配という、あらゆる階級支配の中でもいちばん厄介な階級支配のくびきから大衆が解放された社会だ。

大衆が知的エリートから主導権を奪ったことによって欧米諸国が防げなかった排除型社会への転落を阻止した日本は、世界で唯一の包摂型社会を持つ先進国、つまり社会から、あれやこれやの少数派を切り捨てていくのではなく、みんな仲良く仲間に入れて、社会を形成していこうとする国だ。だからこそ、日本が直面する最も深刻な課題は、いじめ・自殺なのだ。包摂型社会の抱える「少数派」問題は、排除型社会の少数派問題より根が深い。知的エリートの支配を受けない本物の大衆社会に特有の問題を解決することは、世界でただ一国「現代史」に足を踏み入れてしまった日本だけが背負った課題でもある。

日本はまだ差別社会、偏見社会であって格差社会ではない。根拠のない差別、偏見であるうちに格差社会への芽を摘み取れば、一億人クラブの優等生日本はもっとすばらしい国になる。世界でただ一国すでに現代に突入している日本が、お手本のない課題を解決したあかつきには、前人未踏の豊かで共感に満ちた社会が待っている。

・・・かつての吉本隆明の「大衆」、飯田経夫の「ヒラの人たち」なんて言葉も頭の中をよぎるが、いすれにしても、意欲や能力の高いフツーの人がたくさんいる、ってことが日本の強さの基盤なんだろうから、それは何があっても維持していかないとまずいんじゃないかと思う。

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2009年3月28日 (土)

リスクヘッジという幻想

やっぱり、金融工学によるリスクヘッジは疑わしい。少なくとも過信は禁物。『リスクをヘッジできない本当の理由』(土方薫・著、日経プレミアシリーズ新書)からメモ。

金融工学では、価格変動も(サイコロの動きと)同じような規則性をもっていると考えている。すなわち、市場価格の変化率とその発生頻度をプロットすると、それが正規分布になるとしているのだ。

価格モデルはあくまでも理論上のモデルであるため、現実をそのまま反映するわけではない。つまり、価格モデルには限界がある。ひとつは、価格モデルによるシミュレーションによってできあがった価格分布が正規分布に従うと仮定していることである。

(実際の市場は)全体的には、それとなく正規分布に近似しているのだが、価格下落方向に正規分布から大きく外れた値が出現する。理論値には現れないような異常値が、もっとも用心しなければならない価格下落方向に多く発生している。しかし現実的には、私たちが日々経験するほとんどの価格変動が、正規分布の範囲内に収まってしまうため、市場が平常である限りにおいては、金融工学者が描いたとおりに価格は変動してしまう。しかし、市場が常に平常であるはずがない。

価格モデルに対する二つ目の問題は、過去のデータに基づき将来の価格のブレの大きさ(ボラティリティ)を見積もっていることである。過去の価格の値動きから、将来の値動きのブレを予想するのだ。

本当に、過去から将来が覗けるだろうか?
どう工夫しようが、熱しやすく冷めやすい非合理的な市場と、心理的バイアスに蹂躙されたトレーダーの行動と、そしてこれからの新たに発生する未体験の値動きを映し出すことなど、できやしないのである。

これまで市場から撤退を余儀なくされたトレーダーは口をそろえて、「予想外のことが起こった」といってきた。では、この予想外のこととは何なのか。それは「不確実性」のことだ。つまり、私たちが市場で相手にしているのは、リスクではなく不確実性であるということだ。リスクは将来の出来事に対してあらかじめ確率分布が与えられており、リスクはそのなかで収束する。一方、不確実性は確率分布の情報がないため、市場は常に不安定で、価格がどう動くかは約束されていない。もし市場にリスクしか存在しないのであれば、市場が崩壊することなどないだろう。

どうあがいても、私たちは市場のことを何もわかっていないようなものだし、市場のことを知る術もたいして持っていない。結局のところ、私たちは何ひとつわからないまま市場経済のなかに放り込まれている。

・・・結局、将来のことは分からない。ひとたび不確実性と異常値の支配する局面に巻き込まれてしまったら、いずれ物事は平常に戻ると腹を括るしかないんだろうな。

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2009年3月22日 (日)

「貧困」を生む社会

湯浅誠と堤未果の対談を中心にまとめられた『正社員が没落する』(角川ONEテーマ21新書)は、それぞれの著作である『反貧困』『ルポ 貧困大国アメリカ』のどちらも読んでないワタシにとっては、お得感のある一冊(苦笑)。以下に両者の発言からメモ。

湯浅:日本のすべり台社会はセーフティネットが崩壊しているので、いちど転落した人は、ホームレスのラインまで堕ちてしまう。
ヨーロッパの社会保障は公的セーフティネットがしっかりしている。アメリカの公的セーフティネットは日本以上にひどいですが、民間のセーフティネット(NPO、教会)がそれなりに頑張っている。
欧米では、失業してもセーフティネットがあるから、そのまま野宿に直結するなんてことはないんですね。でも日本では、失業=ホームレスになる。

:国が社会保障を削り、企業が労働者を人間ではなく低コスト労働力というモノ扱いして切り捨てる。それは国民を捨てていることと同じ。企業の生産性や国力を損なう大変なロスだということに、全ての人々が気づく必要がありますね。

湯浅:40代、50代になって賃金のピークに達する賃金体系は、子供が十代から十代後半にさしかかると家計負担がピークになる。日本の支出というのは、山型なんですね。それに対応してきたのが年功型賃金だと思うんです。年功型のカーブは下がってきている。しかも社会保険料は上がり続けていますから、支出の山型カーブはきつくなってきている。この異常な高コスト体質を、もうちょっと下げていかないと、「正規、非正規、どっちにしたって暮らせないよね」ということです。

:正規も非正規もバラバラに見てる場所をコストの高い部分に向けたら、支出の山型を減らすという同じ目標ができますね。

湯浅:「貧困」は、公的ネット、家族のネットと地域のネットの問題を考えるきっかけになります。また、日本の極端に低い政府の教育費負担の問題や、異様に高い公共事業費。この分配構造を見直す必要まで考えなければなりません。

:政治家には、何を芯にして国を作るのかというビジョンをまず示してほしい。日本という国が世界に向かって誇れるような価値観が、真ん中に一本通っているかどうか。それを見極めるために必要なものは、今起きていることについての正確な情報と、それを中立的な視点から報道するメディア、そして何よりも連携です。

・・・「人間に投資しない国は滅びる。人間への投資が社会の活力につながる」という見解で二人の認識は一致。また、アメリカの貧困問題について堤は、「最重要課題は医療改革」と指摘。「民営化/市場原理」の波に呑まれて日米両国の生み出した「貧困」は、それぞれの社会の構造問題の在りかを、グロテスクなまでに露にして解決を迫っているように見える。

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2009年3月17日 (火)

「貧困」を放置するな

今週の「週刊ダイヤモンド」(3/21号)の特集は「あなたの知らない貧困」。記事の中から識者のコメントをメモする。

経済学者の中谷巌は、貧困層切り捨ては日本企業の弱体化につながる、と指摘。

戦争を繰り返し、奴隷制度による階級社会を是としてきた欧米と違い、日本は歴史的に中流階級が国民の多くを占めてきた。企業でも一部のエリートが従業員をこき使うのではなく、社員は平等。だから、現場が強い。だが、「構造改革」「グローバルスタンダード」の名の下に貧困層を切り捨てれば、日本企業の強みである従業員の能力は大幅に低下していくことになる。

貧困を放置すれば日本経済を支える人材が劣化するという危機意識を、社会学者の萱野稔人も共有する。

貧困問題のなかで最も深刻なものの一つが、貧困の世代間連鎖だ。国民全体を底上げするような、平等な教育機会を整えることが、この問題の解決につながる。
日本経済の基礎にあるのは、ものづくりの技術とイノベーションを支える優秀な人材の層の厚さだ。日本の経済力を支えるためにも、教育格差を下から縮めるような貧困対策が必要だ。

作家の佐藤優も、貧困は労働者の質を低下させて資本主義を崩壊させると語る。

資本主義では、ある程度の格差が出るのは当然のこと。むしろ、それが活力の源泉になる。しかし、今の日本で問題になっているのは「絶対的貧困」だ。マルクスの『資本論』によると、①衣食住とレジャー費用、②家族を持って子ども(次世代の労働者となる)を産んで育てる費用、③技術革新に伴う自己教育費、の三つを賄えるだけの賃金がなければ、労働者の質が低下し、資本主義は崩壊してしまう。

・・・貧困の放置は人材を劣化させて経済社会基盤の毀損につながる。とすれば、貧困は当然のように政治が対処するべき社会的問題である。

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2009年3月16日 (月)

世界不況と日本の宿題

日本経済は、構造改革も株主資本主義もまだ足りない。「集中講義・金融危機と経済学」との副題が付いた『なぜ世界は不況に陥ったのか』(池尾和人、池田信夫の共著、日経BP社)から、まず「第6講 危機後の金融と経済の行く末」の池尾発言をメモ。

輸出型の製造業だけが生産性が高く、国内市場でのみ活動している産業については生産性の水準は高くないし、伸び率も低い。そうした構造は、80年代以降、何ら変わらない。われわれは何も問題を解決してこなかった、何の構造改革も実はやってこなかったということだと思います。

日本経済は深刻な体質改善を必要とするような疾患を抱えている。要するに投資機会不足病とでも言うべきものです。国内の貯蓄を国内での投資に使い切るだけの投資機会が不足しているために、貯蓄超過になって経常収支が黒字になっています。

それゆえ、今回の需要不足を解決するためにも、財政出動や金融緩和による需要喚起ではなくて、投資機会をいかにして増やすかを考えることの方が重要だと思っています。これは投資機会の拡大につながるような構造改革を進めるべきだというタイプの話になります。経済を実力通りの姿にもっていく(振れの縮小)のが、金融政策とかの役割です。しかし、経済の実力そのもの(水準)を向上させるのは、構造改革の課題です。

次に「エピローグ」(池田)からメモ。

現在の需要ショックには一時的な要因もあるでしょうが、基本的には円安バブルが突然終わったことによって日本企業の実力相応の水準に戻っただけでしょう。
こうした状況では、短期的な財政・金融政策に大した効果はありません。民間の経済主体が、自分のリスクでチャレンジするしかないでしょう。このようなチャレンジを可能にするためには、やはり資本市場の機能が重要です。

資本市場は撤退(イグジット)のメカニズムだと考えることができます。アメリカ経済を苦境から救ったのは、ジャンクボンドを使ったLBOによって企業を買収し、資本効率を高めて利益を上げる投資銀行や投資ファンドでした。LBOによってレバレッジを高めることは、資本効率を上げないと金利も払えなくなって倒産するという緊張感を作り出し、経営者を規律づけるメカニズムとして機能したのです。

客観的にみて、日本にはまだ株主資本主義が足りないと思います。産業間で物的・人的資本を移転するには、株主資本主義の原理で企業を売買する「企業コントロールの市場」が必要なのです。今回アメリカの投資銀行の教訓で、情報の非対称性などの欠陥を放置したまま市場が野放図に拡大すると深刻な問題が起こることが分かったので、そうしたルールを整備した上で資本市場を充実する必要があります。

・・・昨今「構造改革」批判の論調も見受けるが、改革修正を唱えるのはともかく、改革を否定するのは現実的とは思えない。「長期衰退をどう防ぐかという問題設定」(池田)を念頭に、構造改革で国内の投資機会を拡大し、株主資本主義で産業界の再編を進めるなど、やるべきことはやり続けなければならない、というほかない。

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2009年3月15日 (日)

カントとニーチェ

人生に生きる価値はない』(新潮社)と題された中島義道の哲学的エッセイ集を読む。なかなか面白い。書名もそうだが、とにかく実も蓋も無い書き方が中島先生の真骨頂。例えば、「すべての人は、ごまかし通すのでない限り、常に自分が死ぬことに怯え、何が正しいか悪いかもわからず、生きている意味も見出せず、虚しさを呑み込んで死ぬだけ」(「哲学と心の病」)、という按配だ。

そんな中島先生は最近、突如としてニーチェの思想が腑に落ちた、らしい。

私のニーチェとの「出会い」は、「永遠回帰」の思想がある時はっとわかったからである。それは、単純この上ない真理であって、この世の何ものもいかなる意味(目的)もない、ということ。すべては偶然である、いや偶然とは必然との関係においてある用語だから、すべてはただ生ずるだけなのだ。

だが、ほとんどの人はこのことを承認しようとしない。打ち消そうとしても、気がつくと人生に何かしらの意味=目的を求めてしまっている。そうした弱さを完全に拒否すること、それをニーチェは延々と言い続けているだけである。(「ニーチェの季節」)

そして中島先生によれば、カントはニーチェに近い、らしい。

カントが教えてくれることは、すべての「目的」は、人間理性が自然に持ち込んだものにすぎないということ。自然にも、歴史にも目的なんぞ片鱗も含まれていない。ただ、われわれ人間の眼にはあたかも目的があるかのように見えてしまうだけ。これは、もうほとんどニーチェである。

じつは、カントは一般に考えられているよりはるかにニーチェに近い。カントは神を半殺しにし、ニーチェは神を完全に殺した、とはよく言われることであるが、カントは神に致命傷を負わせ、「殺した」のではなく、「死ぬにまかせ」たのだ。

「明るいニヒリズム」は、カントとニーチェを結ぶところに発生する。それは、まずわれわれ人間に降りかかるこの世のあるいはこの世を越えるすべての事象が完全に無意味であることを認めること、とりわけわれわれが最も関心を持つ超越的対象(神、魂、自由)の意味の確定はわれわれ人間の能力を超えていることを潔く認めることなのだ。(「明るいニヒリズム」)

・・・昔、哲学を少し齧っていた頃、カント~ショーペンハウアー~キルケゴール~ウィトゲンシュタインという「系譜」説を何かで見た覚えがある。いずれも人間(理性)が確実に知ることができる限界を見定めようとした哲学者、という繋がりだ。ここでショーペンハウアー≒ニーチェとすれば、カント~ニーチェ~キルケゴール~ウィトゲンシュタインと並べるのもありかな、と思う。まあ何にしても、分かることと分からないことの境界すら分からないまま死んでいくのが人間なのかな、という気もするけど。

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2009年3月11日 (水)

お城と桜

P1020590 雑誌「旅の手帖」4月号(交通新聞社)の特集は「桜と城と春温泉」。

姫路城、犬山城、彦根城、松本城の国宝4城のほか、全国10ヶ所を超える桜名所のお城を写真入りで掲載。また、上田城、高田城、松江城、白石城は周辺の温泉街も合わせて紹介している。

(現存12天守の記事もあるけど、丸亀城と宇和島城の写真と文が入れ違ってるんでないかーい)

ところで正直な話、城と桜というのは個人的にはそれ程大きくは心を動かされない風景。特に立派な天守閣と桜の取り合わせは、主役がふたつあるような印象で、かえって落ち着きが悪い感じ。その点、表紙になっている弘前城はややしょぼいというか、厳密にはヤグラである「天守」の有り様が控え目なために、城が自ずと桜の引き立て役に回っている事が、調和的で穏やかな風景を形づくっているように思える。

自分の感覚では、「天守と桜」よりも「石垣と紅葉」の方が、風情としては上位にある取り合わせなんだよね。(それは去年秋に大和高取城に行った時に感じたことであったよ)

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2009年2月28日 (土)

「相場学」の心得

相場を経済学で語るのは無理があるとして、相場のことは相場に聞く「相場学」を提唱する若林栄四。その新著『2019年までの黄金の投資戦略』から、「実際に相場と対峙する際に役に立つと思われる」ポイントをいくつかメモしてみる。

半年先、1年先のマーケットを考える場合は、とにかくチャートがすべてであり、ファンダメンタルズはまったく無視する。見るのはあくまでもプライスアクションに一定の規則性があるのかどうか。そこが、相場学の第一歩である。

基本的にマーケットはシクリカル(循環的)なものである。それが、シクリカルで説明がつかないような状況になったとき、初めて構造論が浮上してくる。しかし、それは相場の最終局面であるのが普通だ。

相場をやろうと思ったら、日柄がわからないと儲からない。ところが、多くの人は「いくらになるか」ということばかりに心を砕き、「いつになるのか」ということには、ほとんど無関心である。

多くの人は、相場の予想をさせると意外に正しいことを考えるものだ。結果、予想そのものは結構当たったりするものだが、いざ相場を張ることになると、なかなか儲けることができない。これは、相場の見通しがはずれているのではなく、自分の思ったとおりに手が出ていないだけの話なのだ。

基本的に相場というものは、怖い思いをしなければ儲からないようにできている。そもそも相場などというものは、フィジカル(肉体的)な苦痛がない代わりに、精神的な苦痛を対価として儲けているものだ。怖い思いもまったくせずに儲けるということ自体が、思想的に間違っている。

相場をやるときには少数側に身を置くことが肝心だ。よく相場格言で「人の行く裏に道あり花の山」などと言われるように、少数派にいるからこそ儲けも大きくなる。

そもそも、相場はレベル感でやるものではない。大事なのはモメンタムだ。モメンタムとは「勢い」のことである。モメンタムが持続しているかどうかが、投資判断を下すうえでは重要になってくる。

ちなみに、当面の相場見通しはドル円は2009年上昇、その後アメリカの財政赤字問題の深刻化などから2013年までドルは売られる。日米株価も同様に09年は反騰、10年以降は下落局面、13年に底入れするとのこと。

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2009年1月26日 (月)

「こころ」と「無」

無宗教こそ日本人の宗教である』(島田裕巳・著、角川ONEテーマ21新書)の第四章(日本人はなぜ「無」に惹かれるのか?)からメモ。

日本人にとって、神という存在は必ずしも重要ではない。むしろ、私たちが重要だと感じているのは、「こころ」ではないだろうか。
ここで重要なことは、こころが個人のなかで完結していない点である。「こころを一つにする」という表現を思い浮かべてもらえばいい。
二人以上の人間が、同じ気持ちになって事にあたらなければ、こころは一つにならない。

こころを一つにするということは、個人と個人を隔てている壁をとっぱらうことを意味する。個人が自分だけの考えで行動していれば、とてもこころを一つにすることなどできない。

日本社会では、「利己主義(エゴイズム)」に否定的な価値が与えられてきた。自分だけの利益を考えて行動したり、自分の利害にこだわることは、間違ったこと、また卑しいことと考えられてきた。それは、村社会の原理と関連する。

まずは自分が所属する集団全体の利益を考える。それが共同体に属する人間に求められるもっとも好ましい姿勢である。共同体は一つのシステムである。そのシステムを担う人間たちが、それぞれ集団全体のことを視野に入れ、その上でこころを一つにして行動することで、システムは円滑に機能する。

こころを一つにすることを重視する日本社会では、「無私」ということが言われる。他に、「無我」や「無心」という表現もある。それぞれの意味するところは異なるが、どれも自分に対するこだわりを捨て、自分と他者を隔てていた壁を取り払う点では共通している。

一見すると、無私や無我になるということは、私を殺し、ひたすら公に奉仕する滅私奉公と同じように感じられることだろう。
自分を無にするとは、いったいどういうことなのだろうか。

日本人が無に求めてきたのは、私という小さな存在の限界を超えることである。もっと広い世界、もっと豊かな世界に出て行くことをなんとか可能にしようということのはずである。

・・・現実の生活において自分は限定されたもの、限界を持つものである。無私や無我とは、その自分を無にすることで、自分の限界を超えると共に、あわよくば自分を超えたものとつながろうとする願いを秘めた境地ということになるだろうか。そして、そのような自分を超えたものへの想いとは、宗教の根本にあるもののような気がする。

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2009年1月25日 (日)

「無宗教」という「宗教」

無宗教こそ日本人の宗教である』(島田裕巳・著、角川ONEテーマ21新書)の第二章(日本人はなぜ「無宗教」なのか?)、第三章(日本人はどうやって「無宗教」に至ったのか?)からメモ。

今日の日本人が知っている仏教信仰が確立されるまでには、密教や浄土教信仰、さらには禅などが取り入れられ、それが日本人の宗教生活に深く浸透しなければならなかったのだ。とくに密教と浄土教信仰は、当時の仏教界を席捲し、日本人の信仰生活を大きく変えていくのである。

密教の修法の実践は、国家鎮護や病いの治癒、あるいは願望の成就などに効果を発揮した。密教がもっぱら現実の世界、現世における救済を目的としているのに対して、浄土教信仰は来世における救済を目的としていた。浄土教信仰が広まっていくことで、仏教は死後の世界と密接な関係を持つようになり、やがては死者を「仏」と呼ぶ、日本独自の信仰が確立されるまでになる

仏教の世界に、密教、浄土教信仰、禅が取り入れられ、豊かな宗教世界、宗教文化が形成されていくのと併行して、土着の神道との融合も進んだ。こうして神仏習合という事態が生まれ、本地垂迹説などが深く浸透していくことになる。

日本で、宗派の教えという意味ではない、一つの独立した信仰世界の意味で宗教ということばが使われるようになるのは、明治に入り、近代化がはじまってからである。
(キリスト教をモデルとして)宗教を信じるということは、その宗教だけを選び、その宗教が説く教えを実践することだと考えられるようになった。

明治の時代になるまで、日本人は仏教と神道が習合した信仰を保持しており、まだ宗教として区別されていなかった二つの世界は、分かち難く結びついていた。
(近代化以降)一つの宗教を選ぶべきだという考え方が生まれたが、神道と仏教のどちらか一つを選ぶということは難しかった。
そこに一つの方針が持ち出された。神道は宗教にあらずと、宗教の枠から外し、それを国民全体の習俗、ないしは道徳に位置づける試みがされたのだった。
こうした体制は、戦後、「国家神道」と呼ばれることになるが、これによって、従来のように、両者を明確には区別しないまま、同時に信仰することが許容されたのである。

(日本人が結婚式は神道で行い、葬式は仏教で行う)慣習の背景には、神仏習合という、長い歴史を経て形成されてきた信仰のあり方がある。決してそれは、いいかげんなものでも無節操なものでもない。それは、日本人なりに、日常の生活に合う形で、独自に形作ってきた信仰のあり方である。

・・・宗教に限らず文化の在り方は、当然ながら今と同じものが昔からあったのではなくて、長い時間をかけて様々な考え方が、いわば地層のように積み重なって出来上がってきたものだ。日本人の信仰の在り方は、キリスト教的観点からは「無宗教」と見なされるかも知れないが、そこに歴史的背景を持つ「信仰心」があることは疑いない。とすれば、むしろキリスト教的「宗教」モデルを相対化しつつ、日本人の「信仰心」の歴史的背景を深く探ることで、日本的な「宗教」の在り方もよりはっきりと見えてくるのだろう。

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2009年1月13日 (火)

新自由主義的改革、是か非か

新刊『資本主義はなぜ自壊したのか』を自らの「懺悔の書」とする中谷巌・三菱UFJリサーチ&コンサルティング理事長。今週の「週刊東洋経済」(1/17号)掲載のインタビュー記事「中谷巌氏に聞く」からメモ。

短絡した軽薄なものの考え方がまずかった。新自由主義的な、市場至上主義的な、あるいは改革派の急先鋒的な自分の行動に対して、それは浅はかであり、社会全体、あるいは人間の幸せとはと、考慮すべきだった。
小さい政府や自己責任をただ求めれば、日本社会がうまくいく、さらに経済成長がうまくでき、国際競争力もつく、そういう考え方は間違い。そう考えるようになった。一方的な新自由主義信奉者ではなくなったという意味だ。

新自由主義でいちばんまずいと思うのは、とにかく個人が分断されること。あるのは国家とマーケットだけの世界。しかし、人間にとって必要なのはその間にある社会、あるいはコミュニティではないか。そこで温かい人間的なつながりを確認しながら人は孤独に陥らず、喜んだり悲しんだりする。その中で幸せをつかむ。新自由主義的発想は社会的動物である人間を全然考慮していない。

自由市場信奉者の「転向」という意味ではそれなりにインパクトはある。しかし、経済が社会を破壊する、という批判は目新しいものではない。同じ「東洋経済」の巻頭コラム「経済を見る目」では、八代尚宏・国際基督教大学教授が市場中心の経済改革継続を唱えているのでメモ。

今回の危機を、小泉政権以降の構造改革を否定する根拠に結び付ける論調がある。
規制緩和で非正社員が増え、財政改革で地域格差が拡大したといわれるが、構造改革のせいではなく、経済活動の国際化や情報化、人口の高齢化等、経済社会の大きな変化に対応できない旧来型の社会システムの下で、経済停滞が長期化し、国内投資の不足で正社員や地域の雇用機会が削減されたと考えるべきだろう。

野口悠紀雄のいう「1940年体制」は、半世紀を経て、もはや維持できなくなっている。これが社会主義体制の崩壊と時期を一にしたことは偶然ではなく、それゆえに構造改革が求められたのである。
先進国のモデルを翻訳してまねるという過去の手法では、今後の日本の社会問題には対応できない。多様な主体の試行錯誤の過程で、優れた仕組みが発見される地域間の制度競争を生み
出す地方分権や、情報の宝庫である市場の活用を目指した改革を進めるべきである。

・・・改革が必要なことは誰もが分かっているだろうし、不都合が出てくればその中身を問い直すことも当然のこと。この段階で新自由主義的改革に否定的な最終評価を下せるものなのかどうか。おそらく当面は修正の積み重ねで現実は進んでいくのだろう。

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2009年1月 9日 (金)

田村淳は歴史好き

NHK大河ドラマ「天地人」は順調な滑り出し、書店には主人公である直江兼続の関連本が積まれ、雑誌にも特集が組まれるという具合。その中から「歴史小僧」(白夜書房)なる新雑誌を手に取り開いてみたら、「田村淳流戦国時代の楽しみ方」とのインタビュー記事が目に止まった。田村淳?あのお笑いタレントの?・・・でも確かに3年前の大河ドラマ「功名が辻」に出演していたなあ。そんなことでメモ。

ものすごいベタですけど、歴史上の好きな人物をあげるとしたらまず羽柴秀吉。他の人が考えつかないことをやったり、ぞうりを懐で暖めるみたいな気の利いた行動で上司に信頼されたり、農民から天下人にまでのしあがったところに憧れますね。僕は「秀吉イズム」みたいなものは、今の時代にも通用すると思っているんです。芸能界の仕事でも、先輩の気づかないことをやって信頼されるとか、他の人が気づいていないものを仕掛けるとか、そういうのが大事。僕自身、秀吉のやり方をすごく参考にしていますね。

歴史が好きになってから、城も好きになったんですよ。今でもロケ地の近くに気になる城があって、ちょっと時間に余裕があったりすると、一人で城を見に行ったりします。僕が城に行ったら2~3時間かかるので、他の人は飽きちゃうんですよ。どうしてそんなに時間がかかるかってというと、城に行くと僕は(攻める側から守る側から)シミュレーションしながら城を見ているから。城を楽しめるかどうかは、そういう想像ができるかどうか。城の歴史をちょっと知っていると、石垣や堀を見ても楽しめるようになってくるんですよ。

女の子って歴史はあんまり好きじゃないですよね。女の子と歴史の話で盛り上がるっていうのはあまり期待できないかもしれない。でも、僕みたいにチャラそうな男が「家康の教訓が・・・」って言うと、「へー、この人そんなことも知ってるの?」って思ってもらえるわけです。女の子はギャップに惹かれるところがあるから。だからチャラいやつほど、歴史を好きになったほうがいいかもしれない。

・・・チャラい奴が熱心に歴史の話をする。このギャップは女の子だけでなく、自分のようなオヤジ世代にもかなり有効。テレビでいっつもくだらねーことやってる奴だと思ったら、意外と見所あるじゃねーか、と思ったもんね。

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2009年1月 4日 (日)

「経済ナショナリズム」

正月休みの読書は、さっと読める対談本。『金融危機の資本論』(本山美彦と萱野稔人の共著、青土社)からメモ。

萱野:おそらく国家と資本主義の関係は根本的に見直されなくてはなりません。これこそ、世界金融危機によって要請されている理論的課題です。
資本主義が国家の徴税機能や戦略に依存してしか展開されえないのであれば、資本主義のあり方をデザインしていくために国家を動かそうとすることは当然の選択になります。そして、国家を動かすためのもっとも強力な回路となるのはナショナリズムです。
とりわけ、アメリカのヘゲモニーに支えられたいまの金融中心の資本主義を何とかするためには、経済ナショナリズムがそれなりに有効です。

本山:私も同感です。金融中心のグローバルな経済に人びとが押しつぶされるのをやめさせ、ローカルな生活の温もりを守るためには、経済ナショナリズムが必要です。

萱野:ナショナリズムをあっさりと否定できる人というのは、どうやら強制力のない世界というものが実現しうるとナイーブに想定しているフシがある。しかしそんな世界はありえません。

本山:私は、経済ナショナリズムの要は「地域の自立」だと思っています。
なぜ日本は貿易依存だと言われるのでしょうか。それは、輸出で稼いでいる40社ほどの大企業に圧倒的多数の中小企業がぶら下がっているからです。私はこれを、大企業ではなく地元に依存する経済体制へ変えていかなければならないと思う。

萱野:アメリカに物を買ってもらわなければやっていけないという意識のもと、日本はドルを買い支えている。いまの経済の実態をふまえるなら、日本はもっとアジアへシフトしていくべきなんですが。

本山:アメリカから自立していくためには、貿易相手に円をもってもらうシステムをつくっていかなくてはならない。これがアジア共通通貨圏ということの意味です。

萱野:そうしてアメリカから自立してアジアの製造業にきちんとファイナンスできるようなシステムを構築できれば、今後のアジアの世紀において、日本は持続的にアジアの発展を支える役割を担うことができるでしょう。

・・・いよいよ日本も「脱米入亜」を真剣に考える時が来た、のか。

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2008年12月28日 (日)

2008年の経済書

「週刊東洋経済」と「週刊ダイヤモンド」の年末年始合併号に、今年2008年の経済書ランキングが掲載されている。ベスト10の書名と著者を以下に。

東洋経済
 1.資本主義は嫌いですか(竹森俊平)
 2.現代の金融政策(白川方明)
 3.大暴落1929(ジョン・K・ガルブレイス)
    なぜ、アメリカ経済は崩壊に向かうのか(チャールズ・R・モリス)
 5.すべての経済はバブルに通じる(小幡績)
 6.暴走する資本主義(ロバート・B・ライシュ)
 7.市場リスク 暴落は必然か(リチャード・ブックステーバー)
 8.なぜグローバリゼーションで豊かになれないのか(北野一)
     波乱の時代 特別版(アラン・グリーンスパン)
10.禁断の市場(マンデルブロ、ハドソン)

ダイヤモンド
 1.現代の金融政策(白川方明)
 2.暴走する資本主義(ロバート・B・ライシュ)
 3.アダム・スミス(堂目卓生)
 4.ルポ 貧困大国アメリカ(堤未果)
 5.経済は感情で動く(マッテオ・モッテルリーニ)
 6.雇用、利子および貨幣の一般理論(ケインズ)
 7.格差はつくられた(ポール・クルーグマン)
 8.現代税制改革史(石弘光)
 9.松下電器の経営改革(伊丹敬之ほか)
10.反貧困(湯浅誠)

同じ「ベスト経済書」という企画ながら、かなり趣きの異なったランキングかと。両誌のベスト10に共通しているのは、『現代の金融政策』と『暴走する資本主義』の2冊のみ。また、東洋経済1位の『資本主義は嫌いですか』は、ダイヤモンドでは20位と、個別では評価の分かれる本もある。

アンケート対象者数は東洋経済が61人、ダイヤモンドが213人。回答者は学者、エコノミストなどだが、東洋経済の氏名一覧を見ると、実務家であるエコノミストの比率が高いことが影響して、金融市場関係の本が多く選ばれているのかなと思う。自分も証券会社勤めなので、東洋経済のランキングの方に馴染みがある。『資本主義は嫌いですか』『すべての経済はバブルに通じる』は、いちおうこのブログにもメモしてみたし。

いくらランキング上位でも、白川日銀総裁の本は、ワタシのような一般人は読まないし、多くランキング入りしている翻訳モノも、テーマには興味を持てるとしても、正直なかなか手が出ない。ダイヤモンドの6位は岩波文庫から出た新訳だけど、こういう古典は誰かに教えてもらいながら読む方が良いのかなと思ったり。貧困も重要な問題だけど、本を読むよりもテレビで関連モノを見てしまうという感じです。

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2008年12月27日 (土)

改革派経済学者の「懺悔」

最近、リチャード・クー、野口悠紀雄、中谷巌、紺谷典子など、90年代に活躍していたエコノミストの新刊が本屋で目に付く。なかでも中谷巌の『資本主義はなぜ自壊したのか』(集英社インターナショナル)は、構造改革派の「懺悔の書」との惹句が帯にあるものだから、何だか只事じゃないなあ、と思って読んでみた。

なぜ「懺悔の書」か。若い頃アメリカで経済学を学び、自由主義や市場原理の信奉者となった著者は、バブル崩壊後の日本において、改革派経済学者として規制緩和などの旗を振ることになったのだが、小泉改革以後の格差拡大などの事態に直面して、「構造改革やグローバル資本主義は日本人を幸福にしたのか」という疑問が生まれた。そこにアメリカ発の金融危機が起き、世界が不況へと突入する中で、自らの「転向」について書き上げたのがこの本ということだ。

グローバル資本主義が社会を破壊する、との問題意識から出発するこの本の内容は、経済学的というよりは多く文明評論的である。それは基本的なスタンスが、「グローバル資本主義が暗黙の前提としていたアメリカ的な価値観や思想のどこに問題があったかを検討する」、もっと言えば「そもそもアメリカ流資本主義、さらに近代西洋思想のどこが誤っていて、どのように修正をしていくべきかを、根本に遡って考える」、というものだからだ。

階級意識の残る欧米においては、新自由主義的経済学も結局はエリートが大衆を支配するための道具であった。今や、世界的な格差拡大や環境破壊をもたらしているグローバル資本主義、その根本にあるアメリカ流の近代西洋的、キリスト教的価値観の是正は急務である。そこで日本の価値観の出番となる。日本的な平等観や自然との共生感覚こそが、これからの世界に求められる・・・著者の危機意識は充分に伝わってくるものの、西欧的価値観が行き詰まったところに、日本的価値観を対置する著者の批判に特に目新しいものがある訳ではない。経済学者である著者には、やはり経済学の枠内で、グローバル資本主義を内在的に克服する道を示してもらうことを期待したい。

かつて、「世界で一番成功した社会主義国」と冗談交じりに語られた日本。だが冷戦終結で社会主義の敗北が明らかになると共に、バブル崩壊後の日本も自らの社会主義的部分の修正を迫られ、自由市場主導型の経済改革を進めた訳だが、今度はその大本であるアメリカ流の新自由主義が大きく躓いたために、次の改革の方向性を見失ってしまったように見える。振り返れば90年代は、日本経済システムあるいは日本的経営の建て直しが活発に議論された時期だった。その90年代に活躍したエコノミストたちが今、自らの意見を開陳しているのは偶然ではないと感じる。いずれにせよ、再び日本経済の在り方について幅広く議論を呼び起こす時が訪れたのは間違いない。

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2008年12月25日 (木)

「おひとりさま」の老後

上野千鶴子の『おひとりさまの老後』が75万部売れたという。驚異。その上野千鶴子「責任編集」と銘打たれた『おひとりさまマガジン』(文藝春秋12月臨時増刊号)の巻頭に、上野、香山リカ、酒井順子の鼎談がある。おひとりさまの損得、親の介護、男の「負け犬」など、様々な話題が語られるが、やはり老後については、上野先生に一日の長があるというのか、その言葉には経験と思考に裏打ちされた確信が込められていると感じられたので、ポイント的にメモ。

上野:ご自分の老後についてはどう思っておられますか?
酒井:それがこわいので、飛行機事故とかに遭わないかなあ、と思っているんですけど。
上野:突然死願望ですね。
香山:私は北海道に帰省しているときに、大地震が起きて、両親もろとも死ぬのが一番かな、と(笑)。そうすれば、介護問題も、自分の問題も一気に全部片づく。
上野:今のおふたりの反応で、ご自分の老後にまだリアリティがないということが、逆によく分かりますね(笑)。
私はこう思いますよ。国が滅びようが、焼け野原になろうが、人間というものはなかなか死ねないもんだ、と。高齢者施設へ行くと、生気を失った人がそれでも死なないで生きている。それを見ると、ああ、人間というのは死にきれんもんやなあ、と思います。脳梗塞で後遺症が残っても、生き延びる人もいます。人間は、そんなに簡単に死ねません。死ねない、っていうのをしみじみ味わうのが老化ってものです。だからこそ、死にきれない老後をどうやって過ごそうか、っていうのをマジメに考えるようになるんですよ。
おふたりとも、地震だの、事故死だの、そんなに突然死願望があるとは思わなかった。みんながみんな認知症になるわけでもないし、老化ってゆっくり進んでいくものなので、考える時間は十分にありますから大丈夫です(笑)。

・・・多分、当たり前だけど「老後」というのは全くの身体問題なので、現実に身体の不自由を少しでも感じるようになるまでは、リアルに考えられないと思う。身体の自由がきかなくなる状態になりつつも、簡単には死ねないのだなあと感じながら生きる時間が「老後」ってことですかね。それはそれで味わい深い・・・ような、そうでないような。

(自分も今年入院を経験したので、身体が思い通りに動かなくなるのはある程度までで食い止めないと、老後を味わう気分的な余裕も持てないのは想像できるようになった)

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2008年12月20日 (土)

「現代思想」の時代

80年代ポストモダン、ニューアカデミズムのブームを準備した雑誌『現代思想』。70年代の『現代思想』のスタンスについて、当時の編集長である三浦雅士が語る。以下は、『戦後日本スタディーズ3 80・90年代』(紀伊国屋書店)に収められたインタビュー「現代思想の時代」からのメモ。

1970年代の一番大きな問題は、その段階では漠然としたままであったにせよ、マルクス主義は終わったということ、そしてポストマルクス主義といったときに何がありうるかということだったと思います。

趨勢としては構造主義だということははっきりしていた。構造主義というのは、バルトでありフーコーでありラカンであり、そして中心はもちろんレヴィ=ストロースだというふうになっていた。それで人類学も脚光を浴びたわけですが、それは実存主義に対するアンチテーゼだったわけで、その場合の実存主義というのはサルトル的な実存主義、つまり実存主義的マルクス主義だった。それが終焉を迎えていたわけです。

思想の全体を眺めた場合、19世紀が自然科学においても人文科学においても実体的なものを追究したとすれば、20世紀は関係的なものを追究してきたわけです。現象学、解釈学、言語論、記号論、科学史、美術史、もっとも典型的なものは動物行動学ですね。動物行動学というのは動物とともに生きてみる、動物の眼で世界を見てみるというもので、明らかに意味の科学であり、関係をめぐる理論なわけで、実体をめぐる理論ではない。現象学の親類みたいなものだ。一方ではどんなふうにマルクス主義は終わろうとしているのか、マルクス主義が終わった後にはどうなるのかを考えていくこと、それが、70年代にしなければならないと思っていたことだったと思います。

・・・戦後から間もない社会全般が貧しく荒々しい時期は、革命を意識するマルクス主義と、ニヒリスティックな実存主義が人々を惹きつけたが、その後経済的豊かさと産業社会的秩序の確立がある程度実現された段階で、構造主義が登場してきたという印象はある。さらに西洋哲学史的に見れば、マルクス主義と実存主義が共有していた主体概念(まさにサルトル)を、否定してみせた(ニーチェの「神は死んだ」に倣って、フーコーは「人間は死んだ」と告げる)のが構造主義・・・なのだろう。さらにポスト構造主義というと、構造主義と別物という訳でもなく、構造主義の新たな展開という感じ。まあ何にせよ、レヴィ=ストロース100歳は凄いとしても、フーコーもドゥルーズもデリダも既に亡く、やっぱり「現代思想」の時代は遠くなりにけり、だなあ。

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2008年12月14日 (日)

グローバル経済と中小企業

エコノミストの水野和夫の新刊『金融大崩壊 「アメリカ金融帝国」の終焉』(NHK出版生活人新書)を読んだら、書名のイメージとは違うけど、中小企業について述べた部分が印象に残ったのでメモ(第6章 日本経済の生き残る道はどこか)。

これから日本が本当に成熟した形で輸出株式会社を続けようと思うなら、これまでの経済の常識は捨てて、知恵を絞る必要があります。
世界金融危機によって、日本の輸出数量は08年6月にマイナスに転じ、8、9月もマイナスになっているのは、輸出先の好景気が、金融資産バブルに依存した消費によるものだったからです。今度は実体経済の成長に基づいて、1人当たり実質GDP、すなわち生活水準が上がっていく新興国の中産階級を相手に据えるべきでしょう。新興国に暮らす人々の1人当たりGDPが1000ドルから1万ドルに成長することは、バブルではありません。そうした実質成長に基づいた地域と一体化すること。それが真のグローバル化です。世界はこれからが本当のグローバル時代、グローバル競争に入っていきます。

(国内の経済)格差あるいは二極化は、グローバル経済にリンクしているか、それとも遮断されているかの違いから現れます。
企業規模の大小を問わず、海外とどうやってつながっていくかが鍵となるのです。新興国の人たちが中産階級になっていくプロセスで、自分たちがどう手伝えるのかを考えない限り、経済格差はなくならないのです。

グローバル時代には、内に閉じこもっていることは停滞を意味します。中小企業が明日から単独で海外進出というのも非現実的です。そこで国の役割が必要となってきます。
中小企業向け金融を拡充し、海外での事業ノウハウを伝授する体制も必要でしょう。「中小企業海外進出庁」といった省庁をつくるのもアイデアの一つです。いずれにせよ、中小企業の海外進出を全面的に支援するシステムをつくることが重要です。

・・・冷戦終了後、金融資本主導でバブルを伴いつつ進行した「派手な」グローバル化はひとまず限界に達し、今後は新興国の人々が生活水準を切り上げていく「地道な」グローバル化が進んでいく。アメリカのバブル的消費を受けて、日本の大企業が輸出を拡大させた時代がいったん終わり、今後は新興国の中産階級をターゲットに、日本の中小企業が事業を海外にリンクさせることが求められる。そのことを踏まえたうえで企業は行動し、政策も実行されなければならない、ということ。耳を傾けるべき提言だと思う。

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2008年12月 7日 (日)

『ナチスと映画』

今年の夏に、ナチスの記録映画「意志の勝利」をDVDで観たんだけど、中公新書の新刊『ナチスと映画』(飯田道子・著)は書名がモロに来たので、読んでみた。

この本は前半で、ナチスのプロパガンダとしての映画政策(記録映画、ニュース映画、劇映画)を、後半で戦後の映画におけるナチス像の変遷を見ていくのだが、全体的に踏み込み不足の感あり(後半の映画紹介及び巻末の映画リストに、ソ連映画「ヨーロッパの解放」が入っていないのは、自分的には何とも不可解)。とりあえずレニ・リーフェンシュタール絡みの部分をメモする。

政治も経済も壊滅的だったが、文化的にはヴァイマル(共和国)時代は、「黄金の1920年代」と呼ばれるほどに爛熟を極めた時代だった。なかでもひときわ輝いていたのが、映画だった。綺羅星のごとき才能がベルリンへ結集し、さまざまな実験を繰り広げた。

ナチスはプロパガンダとして映画を利用したが、同時に映画から学び、自らのスタイルとして定着させてきた。ヒトラーとゲッベルスは、政権獲得以前から映画の大衆への影響力を評価していた。それが政権獲得後、映画を統制し、積極的にプロパガンダ利用することにつながったのは言うまでもない。
だが、ナチ時代の映画の技術・手法・ジャンルは、ほとんどがヴァイマル時代にすでに基盤が築かれていたものである。ナチ時代の映画は、その遺産を踏襲したに過ぎない。

ナチ党大会を記録した『意志の勝利』、ベルリン・オリンピックを撮影した『オリンピア』は、リーフェンシュタールの独自の美的視点から作られたものだった。
いま目にすることができるのは、リーフェンシュタールによって再構築された映像である。それは彼女の「作品」であって、もはや純粋な記録ではない。
リーフェンシュタールは、無意識のうちにナチスの持つスペクタクル性の真の効果がどこにあるかを読み取り、最も魅力的に見えるように、党大会を、オリンピックを、つまり「素材」を作り変えたのである。

映画を作る過程で彼女が重視したのは、彼女なりの美意識だった。だが、その美意識は、ナチスの思惑と重なってしまっていた。
党大会の「魅力」と熱狂をあますところなく伝えた映像は、ナチスにとってこのうえない宣伝効果があったことは疑いの余地はない。
リーフェンシュタールは『意志の勝利』と『オリンピア』の二本の作品によって、映画監督としての名声を不動のものにしたが、同時にヒトラーの協力者としても、歴史に名を残すことになった。

・・・効果という面から考えてみると、プロパガンダ映画の在り方は、何とも逆説的であるように思う。というのは、プロパガンダの効果が最も期待できるのは、観る者にプロパガンダと意識されない時であろうし、逆に言えば、観る者が「これはプロパガンダである」と認めてしまえば、その効果も大きく損なわれるだろうから。ナチスは紛れも無くプロパガンダの手段となる映画を望んだのに対し、リーフェンシュタールはあくまで自らの美意識を表現するために、膨大な撮影フィルムを編集して映像作品を構成した。彼女の生み出した質の高い「記録映画」は、時代の文脈の中で、やはり逆説的に、効果的なプロパガンダ映画として成立したように思われる。

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2008年12月 1日 (月)

『戦後思潮』(新版)

戦後思潮 知識人たちの肖像』(粕谷一希・著)の新版(藤原書店)が出たことに、ちょっとした感慨を抱いた。自分は旧版(1981年、日本経済新聞社)を発売当時から、本棚の片隅に置き続けてきた。戦後日本の思想家・知識人の「カタログ」として、余り類を見ない書物ではないかと思う。新版の「解説対談」の中で御厨貴・東京大学教授が述べる、「この本は、読書のブックガイドとしても非常によくできていて、こういう本があるんだったら次にこれを読んでみようという動機づけになった」という意見に全面的に同感。

しかしながら、優れたブックガイドというのは、それを読んだだけで、紹介されている人物や書物を分かった気になってしまうという欠点(?)があるのだなあ。ホントはそこから原典に当たらなければいけないのにねえ・・・。(苦笑)
この本でいうと、特に学者たちには余り馴染みがないというか興味がわかないというか、とりあえず「こういう人ね」ということでお終いになったりとか・・・。(また苦笑)

でも、かなりの数が登場する文学者の紹介は、実に興味深く読める。例えば第3章や第7章、文学史的には「第一次戦後派」や「第三の新人」と呼ばれる作家や周辺の批評家をスケッチした文章は、各人の輪郭や位置付けを非常に明瞭に描き出していて印象的。「文学の営みは、その時代の感受性の表現として、思想の営みと深く関わっている」(あとがき)という、著者の基本認識も確かに伝わってくる。

著者は、自らの視点の中心は「歴史・哲学・文学に据えられていた」(あとがき)と記しているが、歴史・哲学・文学はもとより、政治・経済・社会の分野まで目配りが利いている本書は、ジャーナリズムの現場に長く携わってきた著者だからこそ可能だった、まさに「力技」の成果(著者曰く「労働集約型の仕事」)と言えるだろう。

御厨は、この本で取り上げられている書物を「新古典」と呼び、若い世代に「新古典」を読むことを勧めたい、としている。そのこと自体はもっともなことであると思えるが、現在の時点でこの本に目を通すと、紹介されている新しい「古典」に学ぶよりは、著者自身の「古典的」な姿勢に学びたくなる。というのは、たとえば人間ではなく脳を考えるとか、歴史や社会よりも先に経済システムを議論するとか、教養ではなく情報が幅を利かせるとか、そういう今風の知的トレンドを前にすると、自分も古い人間なので、いわゆる「人文学」的な姿勢を完全に捨ててしまうことには、そこはかとなく抵抗感を覚えるからだ。それがある種ノスタルジックな感覚には違いないとしても、である。

いずれにせよ、先人のやってきたこと、考えたことを学ぶのは大事なことだ。先人がジタバタした結果、今の世の中があり、その中で自分たちもまたジタバタしているのだから。あるいは、先人について学ぶことが、今を生きる自分たちの存在の意味である、と言ってもいいくらいだ。従って今、「新古典」を読み直す価値はもちろん大いにある。

しかし一方で、この本に登場する思想家の中で、今考え直すに値するのは誰なのかということは問われても良いと感じる。いうまでもなく「戦後思潮」とは戦後、つまり冷戦下の日本の思想の流れである。戦後60年、というよりは冷戦後20年という時間が経過した今、戦後思想に対する相当乱暴な評価も許されるのではないかと思う。使える戦後思想、使えない戦後思想を、誰か専門家が独断的にでもいいから仕分けして示してくれないものか。

(蛇足ですが安岡章太郎には、レヴィ=ストロースのように100歳を迎えてもらいたい)

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2008年11月30日 (日)

『アメリカの宗教右派』

アメリカの宗教右派』(飯山雅史・著、中公新書ラクレ)は、アメリカという「宗教国家」の政治史を分かりやすく描き出している。

初めにプロテスタントの大分裂ありき。20世紀初頭のアメリカでは、進化論など近代科学を受け入れる「近代主義者」と、聖書を字句通りに解釈する「原理主義者」の大論争が起きた。その結果、前者が「主流派」となる一方、後者は少数のラディカルな「原理主義派」と、よりマイルドな「福音派」に分かれた。その違いについて以下に引用。

福音派と原理主義派は、聖書を非常に重視する点で共通点を持つけれども、前千年王国説をとる原理主義派は、人間がいかに努力しても、キリストによる救済まで世界は救われないと考え、政治や社会から背を向けてきた集団である。これに対して、福音派はこうした悲観主義ではなく、社会と積極的に関わっていくことを選択した人たちだ。キリストの救済があるまでに、人間は努力して、社会を良くしていかなくてはならないし、その努力は報われるという積極主義と楽観主義がその根底にある。

福音派や原理主義派は、文字通り宗教的な理念を実践する人々に与えられた呼び名であるのに対し、「宗教右派」は政治的集団を指すメディア用語で厳密な定義はない。それは、中絶や同性愛結婚の禁止などを主張して、共和党を支持する宗教系の団体に対する総称として使われる。1970年代以降、それまでの“リベラルの行き過ぎ”に対する反発の高まりを背景に保守主義が台頭。宗教右派運動はその流れと相互に影響しあいながら成長していく。この宗教右派に共鳴し、選挙の時には保守的な共和党候補に投票する一般市民が何千万人といる。その多くは福音派の人たちである。

保守主義の流れとともに育ってきた宗教右派運動は、2004年のブッシュ大統領再選で絶頂期を迎えた後、衰退の過程に入ったとの見方も出てきている。しかし福音派について言えば、依然として国民の4分の1を占める大きな有権者層であることに加えて、地球環境や貧困などリベラル的な問題に取り組もうとする変化の動きも見せており、今後もアメリカ政治に一定の影響を及ぼすだろう、というのが本書の見立てのようだ。

付け加えると、アメリカの有権者は、民主党、共和党の確信的な支持者が3分の1ずつで、残り3分の1は過激なリベラルも、過激な保守も敬遠する浮動票(黄金の中間地帯)と言われている、とのことであるから、この3極でバランスを取っているのがアメリカ政治の実態、と考えて良いのだろう。

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2008年11月 9日 (日)

「龍馬」像の変遷

先週、NHK大河ドラマ「篤姫」で玉木宏扮する坂本龍馬が暗殺された後、2010年大河ドラマ「龍馬伝」の主役は福山雅治に決まったことが発表された・・・坂本龍馬って、当代トップクラスのいい男が演じるもんと決まってるんでしょうか。(苦笑)

自分は坂本龍馬の何が良いのかよく分からない。それは、やっぱり司馬遼太郎の「竜馬がゆく」を読んでないからなんだろう。つまり龍馬は歴史的評価の定まった偉人というよりも、小説の中のフィクショナルな部分が多い人物と思われる。『うわさの日本史』(加来耕三・著、NHK出版生活人新書)から以下にメモ。

龍馬が、歴史上の人物として、顧みられたことは、実はきわめて少なかった。「もしもその人間がいなかったら、歴史が変わったか変わらなかったか」というのが、歴史学の判断の基本となるからである。龍馬は歴史学上ではなく、いわば文学上の人物として、まばゆいオーラを今日に放っているのだ。

同書によれば、時代と共に龍馬像は変遷してきた。明治期は海軍の守護神、大正期はデモクラシーの先駆者。そして昭和の敗戦後、「竜馬がゆく」によって高度成長期のアイドルになる。

だとすれば、なんのことはない。龍馬とは、われわれ日本人の鏡像ではないのか。
いま日本人は、輝くような未来を信じる昭和の龍馬に、居心地の悪い、なじめない何かを感じているはずだ。時代の制約を受けない小説、などというものは存在しない。日本はすでに低成長、それも夢や理想の育みにくい時代に移行している。

今後、新しい時代背景を背負った新しい龍馬が登場してくると著者は見ているが、自分はちょっと懐疑的ですね。無理矢理言えば、近代化を成し遂げると共に日本の「青年期」が終わって既に久しいと考えられる今、小説やドラマで、新しい龍馬像を提示するのは容易ではない感じがする。むしろ基本的に「竜馬がゆく」イメージのまま、ノスタルジックな存在になっていくんじゃないのかな。

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2008年11月 8日 (土)

マケインも立派な人(らしい)

アメリカ大統領選挙で敗者になったとはいえ、マケインさんもかなり立派な人物らしい。海軍のパイロットとしてベトナム戦争に従軍。戦闘で瀕死の重傷を負い、敵に勾留され拷問を受ける。釈放された後も、膝や腕に不自由が残った。しかし90年代、上院議員としてベトナムとアメリカの国交正常化に貢献。ブッシュ政権によるテロ容疑者への拷問にも激しく反対・・・。以下に『アメリカ人の半分はニューヨークの場所を知らない』(町山智浩・著、文春ペーパーバックス)からメモ。

マケインは共和党のマーヴェリック(はぐれ牛)と渾名されてきた。共和党は、ゲイ同士の結婚を違法化し、反体制市民の盗聴を合法化し、銃規制を緩和し、金持ちや大企業に減税し、福祉を削減する法案を提出してきたが、これらの大半にマケインは激しく反対してきた。

「共和党を元に戻したいのだ」とマケインは言う。黒人奴隷を解放したリンカーンは共和党だったし、共和党のアイゼンハワーはソ連と歩み寄り、軍産複合体を批判した。それが極端に右傾化したのは80年代、福音派を支持基盤に取り込んでからだ。福音派が政治を支配する現状をマケインは「政教分離というアメリカ建国の精神に反している」と批判した。それは正しいが、禁句だった。00年の大統領予備選で福音派は「マケインを絶対に大統領にするな」と信者を総動員して対立候補のブッシュ(福音派)を当選させた。

・・・福音派(キリスト教原理主義)って、傍から見ると「大丈夫か?この人たち」って感じだから、マケインはマトモな人なんだろうな。さて、雌伏の時を経て今回大統領を目指したマケインだけど、やっぱりタイミングが悪かった。イラク戦争そして経済危機というブッシュ政権の失敗の後では、次は民主党の番だという感じになるだろうし。それでなくてもクリントンVSオバマで、民主党は予備選から盛り上がっちゃったし。ペイリンちゃんの副大統領候補指名で多少巻き返したけど、これも結局ハズレだったみたいだし。

それはそれとして、オバマ次期大統領の演説に聞き入る人々の表情からは、多様な人々が一つに結束するというアメリカ合衆国の精神をあらためて確かめているような思いが伝わってきて、部外者にも感じ入るものがあった。

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2008年10月30日 (木)

「戦国ギャル」に注目!?

「今、戦国武将に萌えている20~30代の女性が急増中」とか。「SPA!」今週号(11/4)の特集記事によれば、史跡巡りや戦国イベントに若いOLさんが集まっているのだという。小生も戦国時代好きであるから、とりあえず喜ばしい傾向ではあるのだが、ホントならそれは一体どういうことなのであろうかとも怪しみつつ、記事を読む。

戦国時代に興味を持つきっかけはゲーム、という人が圧倒的多数というのはいまどきの感じだが、彼女たちが関心を向けるのは信長や秀吉、家康といった超メジャーな人物よりも、真田幸村、石田三成、伊達政宗、あるいはその家臣など、ややマイナーというかローカルというか、何とも渋い趣味であることにまた意表を突かれたりする(・・・そういえば最近、ゲームの影響で長宗我部元親が人気という話を何かで見た時はタマげたな)。で、男の戦国ファンは、武将の合戦や知略などから人生訓や経営哲学を学ぼうとするのに対し、女性はキャラ優先、一人の武将に深く入り込むタイプが多いとか。「SPA!」は、知的で一途、古風な雰囲気の漂う戦国ギャルこそ理想の花嫁、という仮説まで提示。以下に、石原壮一郎と辛酸なめ子の対談からメモしてみる。

石原:戦国武将ってみんなリーダーシップがありますよね。常に女性をぐいぐいひっぱってくれるんでしょうね、武将が現実にいれば。
辛酸:生命力も強そうだし、戦国ギャルは彼らに尽くしたいんじゃないかしら。現代は優しい男は多いけど、尽くしたくなるような男は少ないから。
石原:つまり、彼女たちは「尽くしたいエネルギー」がタマってるんですよ。エビちゃんの出来損ないみたいな女のコばっかり見てないで、彼女たちの良さを知り、発掘したほうが絶対にいい!
辛酸:彼女たちは、知的で縁の下の力持ちタイプ。経済観念がしっかりしていて、嫁・姑問題にも一歩引ける女性……なのでは。
石原:まさに理想の花嫁!……なのかな(笑)。

辛酸発言の「尽くしたい男が少ない」というのは、うーんそうかもって感じがする。女性には「尽くしたい」というか「尊敬したい」という気持ちはあるみたいだから、戦国ギャルと仲良くなりたいならば、まず自分が尽くしたいと思われる、尊敬されるオトコにならないといかんかな。

しかし戦国時代に限らず、ある分野に関して余りにマニアックな女子には「引く」ものがあったりするけど。(汗)

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2008年10月28日 (火)

ドル帝国の終焉

水野和夫・三菱UFJ証券チーフエコノミストは、グローバル化は止まらないだろうが、混沌とした時代は続く、と見る(「週刊金融財政事情」10/27・11/3合併号)。以下にメモ。

新自由主義は、マネーが国境を自由に越えて動く世界を構築するのに最適なイデオロギーだった。95年以降のアメリカにおいて「強いドル」政策が、国際資本の完全移動性を実現させることによって「ドル帝国」を実現させた。95年からパリバ・ショックの07年8月まで「世界のすべてのおカネはウォール街に通じていた」のである。この間、世界の金融資産は102兆ドル増加したことになる。

ところが、サブプライムショックは収まるどころか、08年7月になると米住宅金融公社2社の経営危機が表面化した。外国人投資家はアメリカから256億ドルの資金を引き揚げてしまった。07年8月のパリバ・ショック時の引揚げ額は過去最大の377億ドルだったが、実は今回のほうが米「ドル帝国」にとっては深刻である。現在は米銀が外銀から資金調達できなくなり、米資本は外国から資本を回収せざるをえなくなったからである。

サブプライムショックは08年7月以降、ドル帝国の資金繰り難という新しい局面に入ったのである。経常赤字額を上回る外国資本の流入を図り、その差額を投資利回りの高いアジアなど新興国や日本の不動産に投資する米「ドル帝国」の根幹が崩れているのである。

米金融システムを安定化させるには、国有化も辞さない米銀への公的資本注入と同時にドル防衛が不可欠である。
不良債権買取りに公的資金7000億ドルを投入し、新たに必要となる米銀への公的資本注入
を加えれば1兆ドルを超える国債が新たに発行されることになる。現在、アメリカの財政赤字は年間4500億ドルであり、それに1兆ドル以上の国債発行が追加されれば、外国中央銀行のドル買い介入がないとドルが急落する懸念がある。米金融システムの安定化とは、外国中央銀行のドル買いがあって初めて成功するのである。

「ドル帝国」が凋落しても、グローバル化が止まるわけではない。新自由主義にかわる新たなイデオロギーが出てくるまでは、混沌とした時代のなかで、経済の中心が先進国から新興国へ移行することが予想される。

・・・今後の世界経済は、「ドル帝国」崩壊の悪影響を最小限に留めるための措置を講じながら、調整を続けた後に新興国が中心的な位置を占める、方向性としてはそんな感じ。経済データを踏まえつつ、ひとつの思想とも呼べるような現実認識を呈示する水野氏は証券業界の宝です。

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2008年10月25日 (土)

恐慌プライシングの是正

武者陵司・ドイツ証券副会長は、現在の恐慌価格ともいえる資産価格の下落は、合理的な妥当性があるというよりも、売りが売りを呼ぶ悪循環が生み出した心理による部分が大きいと見ている(「週刊金融財政事情」10月20日号)。つまり、この心理を反転させれば、恐慌価格も是正される、ということで以下にメモ。

ここで決定的に重要なのは恐慌プライシングの是正である。そのためには、恐慌の可能性を否定することである。現在、住宅ローン債権をはじめさまざまな資産価格が恐慌価格となっている。恐慌つまり大失業と大倒産が現実のものとなれば、平時から考えれば極端な売られすぎの資産価格も正当化される。

何が恐慌を食い止める力となるか。それはレバレッジの肯定、リスクテイクの肯定の心理を強めることである。ここでは徹底的なリレバレッジ政策、心機一転の総合的なデフレ対策が必要である。その焦点は金融機関への資本注入に加えて、より根源的な不安である住宅価格の底入れを確信させる財政政策となろう。減税や公的低利住宅融資スキームの創設は必至であろう。恐慌対策の専門家たるバーナンキFRB議長に率いられたアメリカにおいては、対デフレ政策は結局勝利するだろう。

そして首尾よく恐慌の可能性が否定されたときには、劇的な資産価格の暴騰が起こるはずだ。

・・・理屈っぽく書かれてはいますが、要するに適切な経済対策が打たれれば、株価は反転上昇するってことなんでしょう。当たり前っちゃ当たり前ですが。
(まあ現状は対策云々より、ファンドの売りが収まるのを待つしかない、って感じですが)

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2008年10月23日 (木)

レーガン主義との訣別

今週の「ニューズウィーク日本版」(10/29号)掲載の「アメリカ株式会社の没落」(フランシス・フクヤマ)からメモ。

(レーガン主義において)とくに神聖視されたのが、減税を行っても財政赤字は拡大しないという考えと、金融市場には自主抑制メカニズムがそなわっているという考えだ。

実際には、レーガン主義者の考えは誤りだった。支出を減らさずに減税すれば、結局は赤字に苦しむ羽目になる。減税に関するレーガン主義の誤りを見えにくくした要因の一つは、経済のグローバル化だ。外国人がドルを買い続けたおかげで、米政府は赤字をかかえながらもかなりのペースで経済を成長させることができた。

レーガン主義者がめざした金融業界の規制緩和は、ウォール街の金融機関の賛同の下で推進された。
規制緩和は、確かに商品開発に役立った。しかし今回の金融危機の元凶は、債務担保証券など、規制緩和で生まれた商品だ。
規制緩和はシリコンバレーのような場所ではプラスに作用するが、ウォール街ではそう簡単にはいかない。金融機関にとって最も重要な信頼を守るには、政府の監督の下で経営の透明性を維持するとともに、リスクの高い取引には手を出さない堅実路線を取る必要がある。

今回の危機から立ち直るには、根本的な変化を起こす必要がある。われわれはまず、税金と規制に関するレーガン時代の考え方を捨てなければならない。減税は必ずしも成長を刺激するわけではないし、最終的に税収増をもたらすかはわからない。
今の金融危機を見てもわかるとおり、規制緩和が生む問題や市場のスピードに監督当局が対応できないと、大混乱を招くおそれがある。

レーガン革命は50年に及ぶ民主党支配を打破し、当時のアメリカがかかえていた問題に解決策を提示した。だが、時代は変わった。

・・・フクヤマといえば、冷戦終末期に「歴史の終わり」(自由な民主主義の勝利)という概念を呈示したことで印象の強い知識人。なので、冷戦終末期以降の新自由主義やグローバル資本主義の勢いに一区切りを付けるような昨今の情勢について、何を語っているのかと気になった。けど、金融危機によってアメリカのブランド力は損なわれている、とかそんな話で、あんまり感心しなかった。

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2008年10月19日 (日)

株主資本主義の欺瞞

強欲資本主義 ウォール街の自爆』(神谷秀樹・著、文春新書)の「第五章 資産運用ゲーム」からメモ。

損益計算書は、「トップ・ライン」とも呼ばれる「売上げ」から始まる。これはお客様に支払っていただいたお金だ。次は製品を生産するコストである「製造原価」で、仕入れ先に支払わなければいけない金額を表す。以下は、たくさんの経費項目が並ぶ。従業員に支払う賃金、銀行に支払う金利もこれらの項目にある。売上げからこれらの諸経費を差し引いたものが「税引き前利益」である。この利益から税金を支払うと、「ボトム・ライン」、すなわち株主に配当できる金額および役員報酬に充てる金額が出てくる。

この損益計算書は、企業活動のあるべき姿を実によく現している。
まずは「何よりもお客様(売上げ)」である。お客様があってこそ、仕入先や従業員にきちんと支払いをすることができる。借金をしていれば金利を支払い、元本も返済しなければならない。儲かっていれば税金を納める。こうした「社会的責任」を十分に果たして、初めて配当と役員賞与に充当するお金が出てくる。

しかし、ファンド・マネージャーは、そのようにはこれっぽっちも考えない。
近年では欧米流の会社は株主のもの、株主重視という考え方が広がっている。経営の教科書的にいえば、企業が将来
どれだけのキャッシュフローを生み出すかを評価したものを「企業価値」といい、そこから負債を差し引いたものを「株主価値」という。従って「株主価値」の最大化を目指すことが優れた経営の目標であり、ファンド・マネージャーの興味もここにある。もっとも、それは歪んだ発想である。

彼らに興味があるのは、「株主の利益」と「自分の収入」だけなのだ。会社は自分たちだけのものであり、自分たちの儲けを最大化するために「トップ・ライン」と「ボトム・ライン」の間にあるすべての支払い義務をいかに圧縮するかに熱心に取り組む。給料を減らす。社員を減らす。仕入先を泣かす。最大限に借り入れてレバレッジを効かし、支払い金利を膨らませ、税金は極力圧縮する。彼らにとっては、これが「株主価値」を高める行為なのだ。通常の人であれば、これは文字通り「本末転倒」と考えるのではないか。「株主資本主義」は欺瞞に満ちている。

・・・ヘッジファンド化した投資銀行の滅亡に伴い、ファンド資本主義的な原理である株主価値経営の在り方にも、強い批判の目が向けられるだろう。冷戦後のグローバリズムを主導してきた米国型資本主義に対する全面的な見直しは避けられない。

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2008年10月18日 (土)

リスクテイクバブル

昨年夏、日経新聞紙上で「リスクテイクバブル」なる概念を唱えていた小幡績・慶應大学大学院准教授が、『すべての経済はバブルに通じる』(光文社新書)で自説を詳細に展開。リスクテイクバブルは、構造的に市場に組み込まれている21世紀型のバブルであるという。その根本にある要素として考えなければならないのは、「証券化の本質」と「投資家と運用者の分離」。まずは「証券化」についての要点。

「証券化」の本質は、資産の「商品化」である。資産は証券化により、「市場価格」の付く投資商品となる。証券化により生み出された投資商品は、その資産の特性の全てが、リスクとリターンとして標準化されている。このため多くの投資家が買い手として現れるので、流動性が飛躍的に高まる。その結果、売りたいときに売れないという流動性リスクは減少する。

次に「投資家と運用者の分離」について。

現代金融市場において、投資家と運用者は別の存在である。これを株式会社の「資本と経営の分離」に倣って、「資本と頭脳の分離」と呼ぼう。頭脳たるプロの運用者は、顧客である投資家の資金引き揚げの可能性に制約され、取るべきでないリスクを取ってしまうという罠に陥る。一方、投資家も、資金を預けた運用者の能力について、結局はパフォーマンスの結果だけで判断して、過大なリスクを取りがちなファンド運用者に資金を預けてしまうこととなる。
この結果、ファンドマネージャーたちは、取るべきでないリスクを過大に取ってしまい、これにより金融市場全体で、リスクテイクが過多になってしまう。これが、リスクテイクバブルの第一の要素である。これに、証券化による投資家の拡大と流動性の増大が価格上昇につながるという連鎖が、第二の要素として加わることにより、リスクテイクバブルは膨張する。

さらに、バブルにおける運用者の行動について。

バブルが発生しているとき、ライバルに勝つためにも運用者はバブルに乗らざるを得ない。しかも目いっぱい乗らないと意味がない。ほとんどのヘッジファンドは、いわゆるレバレッジを効かせている。借金をして投資額を膨らませているのだ。運用の利回りがプラスのときは良いのだが、バブルが崩壊した瞬間に地獄となる。マイナス幅が倍増するだけでなく、借金の担保に提供した証券も値下がりして、即座に借金返済を迫られるためだ。こうして、投資した証券の投売りが始まる。流動性がない資産は売ろうとしても売れないので、流動性のある証券など他の資産まで投売りされることになる。
この負のスパイラルにより、世界の金融市場全体が同時多発的に暴落に見舞われる。現代の金融市場は、「金融恐慌の日常化」という可能性を孕んでいる。

・・・激しい運用競争に打ち勝つために、リターンの極大化を目指す運用者たちは、バブルの中でレバレッジを目一杯効かせてリスクテイクに踏み込んでいく。そしてバブルが崩壊するや否や逆回転の動きが広がり、あらゆる資産の投売りが加速する。現在の極端に異常とも思える世界の株安も、まさにその現れと見るのが妥当なのかも知れない。

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2008年10月13日 (月)

二つのアメリカ

民主党のアメリカ 共和党のアメリカ』(冷泉彰彦・著、日経プレミアシリーズ)から、まずは民主党、共和党それぞれの「DNA」についてメモ。

過剰なまでの正義感と、自己肯定、そして「話せば分かる」という楽観性、つまり「信ずること」が民主党のDNAであるならば、共和党のDNAはその正反対である。彼等の核にある思想は「懐疑」だ。(①財政面の保守主義=小さな政府論=強大な中央政府の権力への疑念、②社会価値観における保守主義=中絶や同性愛婚、銃規制への反対=人間中心主義への疑念、③軍事面での保守主義=イラク戦争の肯定と派兵継続、一国主義=異文化への疑念)

特に「社会価値観」の問題における両党の一歩も譲らない姿勢が、「銃規制」「生命倫理」「同性愛」という、アメリカ特有の論争として表れていると本書は指摘している。

両党の価値観が、映画やスポーツ、ビジネスなどの分野でいかに現れているかを語っている第三章(民主党のカルチャー、共和党のカルチャー)はなかなか面白い。一例として女性向け人気連続ドラマによる対比について以下に。

『セックス・アンド・ザ・シティ』に登場する4人の独身女性グループの団結の固さ、とりわけお互いのことを「ソウルメイト」と呼んでいる感覚は民主党のカルチャーである。どこかに同性愛的なフレーバーを感じさせる新しさがあるのだ。このシリーズの底流にはメイン・テーマとして「自分の人生観に合う理想の男性を探したい」という思想が入っている。女性たちが「自己の尊厳」を大事にしながら「純愛」を追いかける話なのだ。「純愛」を追い求めている、正にそこが民主党的なのである。

一方、『デスパレートな妻たち』は共和党のカルチャーを代表している。登場人物たちは専業主婦という檻に閉じこめられて鬱屈し、その不満な思いが不倫を中心とした破滅的な行動に向かわせるのだ。そこに流れる人生観は、「妻たち」にとって人生はコントロール不可能という一種の諦めのような心境である。幸福になろうと思えば思うほどに、自分の人生はどんどんと思わぬ方向に行ってしまう、そんな感慨である。その核にあるのは、所詮他人の心は分からないのだから、人生というのは自分一人が「孤軍奮闘」してゆく「ほろ苦い」ものなのだ、という見事なまでにカウボーイ的な思想なのである。

もうひとつ、民主党のジョージ・ミッチェルがメジャーリーグの薬物問題を追及した事に絡めて語られる、民主党と共和党の「正義」観の違いについて以下に。

民主党のカルチャーには「究極の正義」というものがあって「その正義というものは必ず勝つし、勝たねばならない」という発想が根底にある。その一方で、共和党のカルチャーはどこまで行っても西部劇風であって「正義」というのはあくまで神のみが知るもの、人間はむしろ「正義」に翻弄される中にその存在がある、という思いが強い

・・・人間の理想と可能性を信じる民主党と、人智の及ばない領域を感覚する共和党。とっても単純に言うと、民主党は青年の政党で、共和党はオヤジ政党。現在の大統領候補者のイメージそのまま。政策的なことはともかく、社会的文化的な価値観について、自分の考え方の民主党度、あるいは共和党度を測りながら眺めてみれば、アメリカ大統領選挙への興味もより増すんじゃないかな。

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2008年10月 8日 (水)

勝間式「読書」提案

僕は勉強が嫌いだ。いわゆる「勉強法」の本など読む気にならない。だから、今時の本屋のビジネス書コーナーを席巻する「勝間和代」の何処が良いのかも分からない。でも本は好きなので、勝間サンの今度の新刊『読書進化論』にはちょっと興味を持った。そしたら、今週の「週刊ダイヤモンド」(10/11号)に、勝間サンの読書に関する提案が記事になっていたので、それを読んで済ますことにした。(苦笑)

「読書」の幅を広げるための勝間サンの提案は以下の5つ。

①リアル書店とネット書店を使い分ける
②和書と洋書を使い分ける
③本(読む)とオーディオブック(聴く)を使い分ける
④読み終えた内容を積極的にアウトプットする
⑤複数の人たちと読書の愉しみを共有する

②③は自分には実行する可能性(というか意思)が殆ど無いので、とりあえず④について、もう少し記事からメモしてみる。

読書はあくまでも著者の体験を擬似体験するプロセス。擬似体験を自分の体験に落とし込むためには、「アウトプット」の作業が欠かせない。アウトプットの究極は、自分で本を書くことだけど、まずはブログを書いて修業してみる。アウトプットの手法はほかにも、本で読み覚えたことを会話にする、人に説明する、ものを考えるときに使う、業務改善に使う。とにかく、本の内容を徹底的に使い尽くすこと。

・・・自分も本を読んでブログにメモすることは日常生活の一部になっているけど、それはアウトプットによって本の内容を活用しながら自分のものにするというよりは、アウトプットを前提にすることでインプットそのもののレベルを上げる、という意味合いが強い。つまりブログに書くことを前提に本を読むことは、読書という行為の密度を上げてくれる、ということ。ある本の中で自分のためになった部分や気に入った部分を、できるだけ短く要約して書こうとすると、頭の活動は結構テンション上がります。

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2008年10月 6日 (月)

「承認」という「問題」

例の秋葉原事件をきっかけに、ブログ界では「承認」を巡る論議が湧き上がった。『ブログ論壇の誕生』(佐々木俊尚・著、文春新書)第10章「承認という問題」からメモ。

(秋葉原連続殺傷事件の容疑者の)「彼女がいない」という叫びは、言ってみれば「自分は承認されていない」という容疑者の悩みを象徴するものだったのだ。恋人との関係というのは、無条件での全人格的承認である。

リアル社会で承認されない、接続できない人であっても、インターネットの世界であれば簡単に接続され、簡単に承認される。しかしそこで得られる承認は、限定的でしかない。

でも人は、どこかで無条件に承認されることを本能的に求めている。いまは農村も終身雇用制もなくなってしまって、承認される安息の場所としては、家族や恋人ぐらいしか残っていない。だったら家族や恋人のいない人は、どうやって自分が承認される安心感を抱くことができるのか?

人間は「承認」を求める動物である。そんな話は最近、別の本でも目に付いた。

もともと人間って、自分の存在価値を自分では証明できないから、他者にそれを認めてもらうしかないんです。どうしても他者からの承認を求めてしまうんですよ。(萱野稔人、『「生きづらさ」について』)

自我を保持していくためには、やはり他者とのつながりが必要なのです。相互承認の中でしか、人は生きられません。相互承認によってしか、自我はありえないのです。(姜尚中、『悩む力』)

全く、岸田秀的には「幻想」である自我は脆い。おそらく、無条件の承認は基本的には母子関係においてしかあり得ない。それでも人は自我という虚構を支えるため、無条件の承認を与えてくれる(擬似)共同体的な場所を求める。それは端的に言って、幸福を求めることでもある。梅田望夫が『ウェブ人間論』の中で述べているように、「心地よく生きられるコミュニティを発見して、そこで長い時間を過ごすことって、幸福という観点からとても大切」で、「自分の居場所を見つけていく人だけが幸せに生きることが出来る」のだと思われるから。

若い世代を中心に、自分の居場所を探し続ける人は増大しているという印象が強い。それは承認を求める欲求が切実なものであると同時に、今の社会の中で自分の居場所を見つけるのはそう簡単ではないことも示しているようだ。いずれにせよ、「無条件の承認」あるいは「幸福」とは、求めても得られないのではないかという恐れを抱きつつ、それでもなお求め続けるものだ。と、言うほかない気がする。

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2008年10月 5日 (日)

バブルには効用もある、のか

資本主義は嫌いですか』(竹森俊平・著)の第Ⅰ部「ゴーン・ウィズ・ア・バブル」からメモ。

アメリカの住宅バブルの発生に重要な役割を果たした「低金利」をもたらした要因としては、FRBの政策のほかに「構造要因」も考えられる。グローバル化の進展により、新興国は高い成長率を実現し所得も拡大、それに伴い貯蓄が顕著に増加する。そのことが、グローバル金融市場に潤沢な資金の状態をもたらしたのである。

1997年のアジア通貨危機以降、アジアの新興国は資本輸入に依存した経済発展を嫌い、国内投資を抑制してまでも国内貯蓄の余剰を創出して、それを海外に輸出するようになった。これにより世界経済は「貯蓄過剰」の状態となり、世界金利が下落し、世界各地における住宅バブルを生んだ。

アジア新興国が投資を抑制すると、世界経済には「需要不足」による不況圧力が生まれる。世界各地の住宅バブルによる消費の拡大は、不況圧力を打ち消した点においては世界経済にプラスだった。

ジャン・ティロールの「合理的バブル」の研究によれば、「動学的効率性の条件」(その経済における投資収益率が成長率を上回るという条件)が満たされない時(投資がすでに過剰で、投資収益率が経済成長率以下に低下している状態)には、バブルが経済効率の改善につながりうる。すなわち、バブルは真正な投資に対する代替的な選択肢になることを通じて、資本設備を適正な水準まで縮小させる。これにより真正な投資の収益率も改善されて、「動学的効率性の条件」が満たされる状態を回復することになる。バブルは経済効率を改善させ、「動学的効率性の条件」を回復させるための「必要悪」、あるいは自己調整能力といえるかもしれない。

リカルド・カバレロによれば、新興国における投資対象の不足という根本問題が、「金融資産」市場における「超過需要」(「投資対象への需要」に比べて「投資対象の供給」が不足する)の状態を生み出す。世界各地におけるバブルの頻発は、その傾向を解消する(真正な投資対象が不足するために、代替的な投資対象となるバブル資産を次々につくり出す)ための経済の自然な反応である。

・・・実物投資の対象が見当たらない時に、不況を回避するためにもバブル投資が必要になるということなのかも知れないが、かつて実物投資からバブル、バブルから実物投資へと上手くリレーされたという覚えは無いし、バブルもやがては崩壊して経済に悪影響をもたらすというのは世界経済が何度も経験したところ。それでも金融資本市場における「超過需要」の状態が続くならば、バブルは死なず、ということになるのだろうか。

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2008年9月29日 (月)

「格差」と「日本的雇用慣行」

先日の池田信夫ブログに、格差の原因は「長期不況と、若者を犠牲にして中高年の雇用を守る日本的雇用慣行」であると書かれていた。後者の要因に関連して、『この国の経済常識はウソばかり』(トラスト立木・著、洋泉社新書y)の「第4講」からメモする。

高度成長期以来、大企業の従業員や公務員の場合、中年社員が新入社員の2~3倍程度の給与をもらう日本独特の年功序列型賃金が定着しました。この賃金制度は高度成長、人口ボーナスと言った好条件がそろっていればよいのですが、低成長で人口減の時代になり、社員も高齢化が進むと、中高年社員が給与原資の大半を独占してしまい、企業は儲からなくなるという状況に陥りました。

定年に近い先輩社員から我先に給与をもっていくことになりますから、若者の給与を上げる原資も、新入社員を雇う余裕もなくなってしまいます。つまり、年長者優先の賃金制度があまりにも硬直的になり、合理的に賃金を配分する調整機能が働かなくなってしまったのです。バブル経済がはじけた90年代以降、大半の企業は年功序列により麻痺した賃金の調整機能には手を付けず、新規参入(若者)の市場を「雇用の調整弁」としてフルに活用し、これを目いっぱい活用する方向に動きだしたのです。

「年功序列型の正社員の賃金」を調整するには、企業も大変な時間と労力を要しますので、何もいわない若者という新規参入者の賃金を「激安」にすることで、トータルの労務費を圧縮する道を選んだといえます。

その結果、企業は雇用において「派遣社員制度」に目をつけました。労働者派遣制度の自由化は、過剰な設備、雇用、借金で四苦八苦していた企業側からの要請で生まれたのです。その後、日雇い派遣や二重派遣など派遣社員がどんどん酷使される状況に進んでいきました。

こうして若者が、使い捨ての労働力として必要以上に「商品化」されてしまったのです。若者だけが「調整弁」として、賃金を下げるための「調整力」を「発揮」させられている状況はあまりにも不公平なのです。

この本の「第3講」では、経済成長が望めない状況の中で、政策の合理的な優先順位をつけることが最重要課題になっているにも係らず、マスコミや政治家の関心領域は、既得権を持つ年長者の利害が絡む問題に偏っているため、若者の貧困や結婚難などの「新しい問題」に対応できていないことが指摘されている。

指導者層の世代交代、または発想の転換が無いと、日本は滅びるよ、ホントに。

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2008年9月24日 (水)

投資銀行の「バブル」経営

今週の「週刊エコノミスト」(9/30号)の特集記事は「米国金融崩壊」。倉都康行氏(『投資銀行バブルの終焉』著者)執筆コラムからメモ。

レバレッジへの寛容さや利益への飽くなき追求、格付けという偶像崇拝への傾斜、流動性への盲信などによって醸成されたバブルが、サブプライム問題で破裂した。
(同時に)投資銀行の経営に内在するバブル性が引きずり出され、そのビジネスモデルが問われている。

誤解を恐れずに言えば、バブルは金融ビジネスにとっての「怪しい友」である。収益面で楽しませてくれる一方、つきあい方を間違えるととんでもない目に遭う。投資銀行はこの友人とともに発展してきたと言えるのではないか。(その時々の市況環境に応じた金融商品、ジャンク債や資産担保証券などを販売して収益を挙げてきた)
ところが、その過程において、投資銀行の商品開発は、次第にニーズに対応するものから、ニーズを作り出すものへと怪しく変質し、サブプライム問題ではバブルを演出する側に立ってしまった。

バブルを作り出しながら生き延びる戦略は、永続しないビジネスモデルである。
当局によって金融支援を受ける投資銀行に、レバレッジ規制やディスクロージャー強化などが要請されるのは確実だ。実体経済から遊離したビジネスで利益を生み出せる環境の復活は期待できない。今後、投資銀行はM&Aのアレンジャーなど特定部門に特化する企業を除いて、商業銀行の1部門として内在する形に収斂していくのではないか。

・・・まさに投資銀行というビジネスモデルは自壊作用を起こして破綻し、投資銀行バブルは終焉を迎えることとなった。資本取引の自由化を進めて投資銀行にビジネスチャンスの拡大をもたらした、英米主導の「新自由主義」も曲がり角を迎えているとしたら、投資銀行の蹉跌は「冷戦後」という時代の終わりすら示しているような気がする。

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2008年9月22日 (月)

「上げ潮」政策の幻

財政出動でも増税でもない成長重視、いわゆる「上げ潮」の経済政策は、現状では空念仏に過ぎないようだ。『この国の経済常識はウソばかり』(トラスト立木・著、洋泉新書y)からメモ。

上げ潮政策は、もともと具体的な成長政策の提示に乏しく、世界経済の成長と軌道を合わせて日本経済も成長を果たそうという面がありました。しかし、上げ潮の前提条件になる生産性の急速な向上や国際競争力のある経済構造へ移行できる制度的な保証は何もなかったわけです。

振り返れば、この数年間の景気回復は、円安と米国市場、BRICs市場の成長に支えられて「外需依存型」でやってきました。それがサブプライム問題を発端とした原油高、資源高、食糧高による世界不況により、今や「上げ潮」の前提は総崩れに近い状況になりました。

齢化、人口減少、財政赤字など日本の成長を妨げている要因に本格的なメスを入れることを避け、自分自身の改革という自助努力を抜きにした成長策は、初めから失速することが目に見えていました。

株式ストラテジストの北野一も、「上げ潮」について意見している。雑誌「論座」10月号(この号で休刊)の鼎談「マネーは国家を超えるのか」における発言。

自民党の上げ潮派の人たちは、「成長率を上げましょう」と言っているわけですね。でも、簡単にできっこない。「生産性を上げるなんてあなた、具体的な方法を教えてください」という感じですよ(笑い)。方法論にリアリティーがないから政権内で説得力を持てないんですよ。

・・・「上げ潮」が実現できれば理想的なんだろうけど、それを具体的に政策化するのが一番難しいワケで。結局、麻生総裁もすんなりと誕生しちゃったし、「上げ潮」派も何となく消えるのかな。ていうか、経済対策か財政再建か、はたまた成長かというような従来型の経済政策の選択よりも、今の日本がやるべきことは、思い切った人口減少対策か、さもなくば道州制も含めた国家的制度改革か、って感じだけどね。

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2008年9月21日 (日)

投資銀行と新自由主義

リーマン・ブラザーズ消滅で『投資銀行バブルの終焉』(倉都康行・著、日経BP社)を読む気になった。巻末近くにある「後退する新自由主義」の章からメモ。

1970年代後半から1980年代の英米において、レーガン、サッチャーの両首脳が主導した「新自由主義時代」が生まれた。投資銀行が勢いを増した背景には、規制を排除して自由市場を中心とする経済システムを構築しようとした米国流の政治的意識も、強く働いていたと見るべきだろう。誤解を恐れずに言えば、投資銀行の隆盛やサブプライム問題はこの新自由主義の申し子である。

この米国が主導してきた新自由主義的なイデオロギーに基づく投資銀行スタイルの金融は、結果的に、その「自由」を拡大解釈し、大きく躓くことになった。住宅価格の上昇を前提としつつ証券化市場でのリスク・テイクを見込んで、信用力の低い借入れ人に対して無造作に住宅ローンを提供していった行為は、当局の視野の外側で急激に増加し、当局の監督外で急速にそのレバレッジ行為が進んだのである。
住宅ローンをアレンジするモーゲージ会社は、リスクは投資銀行が引き取るものと考えた。投資銀行は、そのリスクは投資家である保険会社やヘッジファンド、商業銀行などが引き取ると考えた。だが、投資家は、数多くのローンがパッケージされて切り分けられた証券化商品に、個別リスクを感じることはできなかった。リスクが分解され、分散される中で、責任感は雲散霧消してしまったのである。

民主社会と同じように金融市場においても「自由」は必要である。だが、それは同様に一定の社会責任能力を備えて初めて主張できるものだ。自由を武器にするなら、成熟した倫理感を持つ企業でなければならないが、利益優先哲学に溺れた投資銀行は、自らモラルを粉砕してしまったのである。

新自由主義は、強い批判を受け始めている。一時的にせよ、新自由主義が後退するのは世界の潮流であり、その中で一度破裂した「投資銀行バブル」が再び蘇るとは考えにくい。

・・・金融市場の主要プレイヤーが、過度の利益追求に走り、モラルを低下させるところにバブルが生まれる。経済主体が自律性を保てれば、規制の少ない環境でも構わないのだろうが、一方で競争も激しくなるため、どうしても利益追求への誘引が強まるのは避けられない。「規制」と「モラル」と「利益追求」のバランスを保つことは容易ではない。

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2008年9月 1日 (月)

流動性と自己循環論法

今週の「週刊エコノミスト」(9/9号)の特集は「危機の経済学」。岩井克人・東京大学経済学部教授の評論からメモ。

貨幣というのは、効率性と同時に、必然的に経済に不安定性を生み出す。なぜならば、人が貨幣を手に入れる時、誰かほかの人が受け取ってくれることを予想して手に入れるのである。すなわち、貨幣を持つことは、純粋な「投機」活動なのである。投機はもちろん不安定性をもたらす。貨幣は経済に効率性をもたらすが、その裏側で不安定性の可能性を生み出し、この2つを切り離すことはできない。

こうした意味で、サブプライム問題には貨幣の問題のエッセンスが入っている。1つはサブプライム自身が持っている不安定性だ。貨幣でも他の金融商品でも、流動性とは本質的に自己循環論法によって支えられている。多くの人が流動性があると思っている限り、いつでもどこでも簡単に手放せる流動性を持つのである。それは同時に、もし多くの人が流動性がないと思い始めたら、その流動性が消えてしまうことも意味する。そして、サブプライムローンが安全ではないことが分かり始めたとたん、関連する金融商品の流動性は一気に低下して信用収縮が生じ、世界の金融市場がパニックに陥ってしまった。

しかも、それが米国の金融市場を中心に起きたことで、さらに次の流動性の問題に発展した。ドルに対する信認が揺らぎ始めたことだ。これが2つ目の問題だ。基軸通貨としてのドルを支えているのは、もちろん貨幣をめぐる自己循環論法であり、世界の人々が基軸通貨であると思っているから、基軸通貨の地位を保っているだけにすぎない。人々のドルに対する信認が失われると、ドルの基軸通貨としての地位は低下する。

貨幣の本質的な不安定性、自己循環論法・・・。岩井節、全開!

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2008年8月31日 (日)

日本の軍国主義

あの戦争は止められなかったのか。『若い人に語る戦争と日本人』(保阪正康・著、ちくまプリマー新書)からメモ。

当時は今と違って、国会が機能しているわけではありませんでした。確かに国会は存在していましたが、選挙権は国民すべてに与えられているわけではなく、加えて国政全般に発言権をもっているわけでもありませんでした。軍の内情については、「統帥権の独立」という名目があり、簡単にいうなら、軍の言うことや行うことには、一切口を挟めなかったというのが実情です。

議会政治は昭和7年の5.15事件のあとに崩壊し、昭和13年5月施行の国家総動員法によって、国会でどのような法律を決めようとも、政府は勅令一本で軍事主導の政策を自由に行うことができる体制になっていました。

こうした状態はいわば、軍国主義体制とかファシズム体制といわれるものですが、日本はまさにそういう体制になっていたのです。つまり、軍人がこの国のすべての機関を直接、間接に自在に動かすというシステムに変質してしまったのです。

結局、日米開戦を最終的に決定したのは主要閣僚と大本営幹部であり、国民の運命をわずか十数名が密室の中で決めてしまった、ということになる。軍部の意向に対して、議会や国民が表立って反対することもままならないうちに、国民の与り知らぬところで国の運命が決められてしまった、その背景について、別の本からも引用。

「権威主義的反動」が主導権を握ったファシズム体制の原型となる国々の共通の特徴は、大衆レベルでの民主主義的解放がきわめて低レベルにあって、国民主権を原理的に確立するところまでいっていなかったということであろう。(『ファシズム』山口定)

そもそもなぜ、軍部は戦争拡大へと暴走していったのか。

明治以来なんとかして切り開いて来た後発的帝国主義国家としての歩みが、中国革命の進展とソヴエトの発展による「満蒙の既得権益」の危機という形で壁にぶつかり始めたということと、この壁を破れなければ、やがて国内における統合も破綻するのではないかという危機意識が日本の支配層をとらえたということであろう。(同)

帝国主義の時代に急いで近代化を進めた日本は、対外戦争の継続を宿命付けられていたのかも知れないが、その代償は余りにも大きかった。

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2008年8月30日 (土)

『ファシズム』読書

「意志の勝利」DVDを観て、ソンタグの昔の評論を読んで、気分は軽く「ファシズム」モード(・・・思えば去年の夏は軽く「東京裁判」モードだったっけ)。続いて岩波現代文庫の『ファシズム』(山口定・著、2006年)を読んでメモする。

まず、世界史におけるファシズムの位置付けについて。

第一次大戦後に樹立された米英仏に代表される先進的帝国主義諸国中心の平和主義、国際協調主義を建前とする世界秩序(ベルサイユ=ワシントン体制)に対する独伊日などの後発的帝国主義諸国の実力による挑戦。

ファシズム体制の特質とは。

①一党独裁とそれを可能にするための「強制的同質化」と呼ばれる画一的で全面的な組織化の強行、②自由主義的諸権利の全面的抑圧と政治警察を中核とするテロの全面的制度化、③「新しい秩序」と「新しい人間」の形成に向けての大衆の「動員」、④軍、官僚機構、財界、教会などの既成の支配層の反動化した部分(権威主義的反動)と、広義の中間的諸階層を基盤とした急進的大衆運動の指導者層やそれに代替する「革新将校」や「革新官僚」(擬似革命)との政治的同盟。

④の基準から、「権威主義的反動」と「擬似革命」、どちらが主導するかでファシズム体制は二つのタイプに分けられる。イタリア、ドイツは「擬似革命」(民衆の願望を悪用して観念的な急進主義を扇動しようとする)主導型、日本は「権威主義的反動」(エリートによる上意下達の体制を強権的に維持し回復しようとする)主導型である。

ファシズムは世界史の一定の段階における国際的な連関のなかでの産物であって、今日からあの時代をふりかえってみる時には、明らかに、イタリア・ファシズムが、国際的ファシズムの突破口であり、ドイツ・ナチズムはその極限形態であり、日本ファシズムは軍国主義的反動が二つの国際的先例の存在ゆえにファシズム形態にまでつき進みえた事例であった。

・・・第一次大戦、ロシア革命、世界恐慌等の世界史的状況の中で成立したファシズムを考えることは、あらゆるイデオロギーについて考えることだと、この本は教えてくれる。著者は歴史概念としてのファシズムの意義を強調する一方、同時代分析における「ファシズム」概念の使用(レッテル貼り)には慎重でありたいとする。確かに「禁煙ファシズム」くらいならまだ半分シャレとして受け止められるけど、マジで現代社会は「何とかファシズム」だと言い募る向きには鼻白むものを感じるな。

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2008年8月24日 (日)

ソンタグのファシズム論

「意志の勝利」DVD鑑賞の後、本棚から『ヒトラーの呪縛』(佐藤卓己・編)を取り出して見る。そこに、「意志の勝利」についてユダヤ系の批評家スーザン・ソンタグが、「ファシズムの魅力」で優れた議論を展開している、との言及あり。
という訳で、そのエッセイが収められた『土星の徴しの下に』(富山太佳夫・訳、1982年晶文社、2007年みすず書房より再刊)を図書館で探して目を通す。

ソンタグはこのエッセイの中で、国家社会主義時代の政治と芸術の関係で興味深いのは、政治がロマン主義後期の芸術のレトリックをわがものにしてしまったことである、と指摘。ゲッベルスが語った「われわれはみずからを芸術家であると感じている」との言葉も引用している。またソンタグは、国家社会主義が残酷と恐怖のみの代名詞であると考えるのは間違いだという。以下にメモ。

国家社会主義は――広く言えばファシズムは――模様替えをして今日なお生きのびている理想の、複数の理想の代名詞でもあったのである。芸術としての生という理想、美への信仰、勇気の神格化、共同体感情にひたって疎外感を解消すること、知性の拒否、人類はみな一家(指導者は父である)という考え方などの代名詞でもあったのである。こうした理想は多くの人々にとって感動的な現実感をもっている。

リーフェンシュタールの映画が今なお効果的であるのは、ひとつにはそこにある憧憬が今も感じとれるものだからであり、またその内容となっているロマンティックな理想に対して今日でもまだ多くの人々がしがみついているからである。

このエッセイが書かれたのは1974年。第2次世界大戦終了からほぼ30年後。そこからさらに30年以上が経過した現在、ソンタグの論理における、リーフェンシュタールの映画が「効果的」である前提は失われつつあるように見える。というのは、諸々のロマンティックな「理想」が今もなお生きのびているとは思えないし、それらの理想に多くの人々が「感動的な現実感」と共に「しがみついている」と想定するのも疑わしいからだ。

どんな出来事も時代の制約や文脈から自由ではない。ファシズムがロマン主義的理想を政治において実現した20世紀前半から時代は大きく移り変わり、世界経済システムと国家の在り方の変貌は著しい。このような状況において、ファシズムに危険な程の魅力を見出す感性は既に衰退しつつあるのではないかと感じる。

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2008年8月17日 (日)

マフィア映画に学ぶこと

雑誌「サピオ」(8/20・9/3合併号)掲載の企画、「マフィア・ヤクザ映画」ベスト50の第一位は「ゴッドファーザー」。以下「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ」「アンタッチャブル」「俺たちに明日はない」「仁義なき戦い」と続くが、「ゴッドファーザー」は圧倒的支持とのことで、マフィア映画という枠を超えた名作の地位を確立しているのは疑いない。

ランキングに並ぶギャング映画が題材にしている人種や舞台は様々。ユダヤ系やアイルランド系、香港やパリ・・・。しかしマフィアといえば、やっぱり「ゴッドファーザー」の描く、ニューヨークのイタリア系ギャングが「本家」だろう。実在の大ボスで有名なのは、ラッキー・ルチアーノ。1930年代の初めに、マフィアの「近代化」を成し遂げた男である。

当時、ニューヨーク暗黒街では、マッセリアとマランツァーノの対立が激化していた。「カステラマレーゼ戦争」と呼ばれたこの争いで、ルチアーノはマッセリア側に属していた。1931年4月15日、マッセリアはレストランで射殺される。食後にトランプの相手をしていたルチアーノがトイレに立った時、何者かに襲われたのだった。ルチアーノがマランツァーノに通じて、取引したといわれる。そして半年後、「ボスの中のボス」として振る舞うマランツァーノに、自分を始末する意図があることを察知したルチアーノは、先手を打つ。1931年9月10日、マランツァーノは事務所で殺害される。警察官を装った殺し屋たちの仕業だった。古い世代の代表者を葬ったルチアーノは、有力なボスたちの集団指導制で動く組織として、マフィアを近代化した。(参考:「マフィア経由アメリカ行」常盤新平)

この辺の経緯を描いた映画としては、「ゴッドファーザー」と同時期に作られた実録物の「バラキ」、「コーザ・ノストラ」がある。また、若き日のルチアーノを主人公とした「モブスターズ/青春の群像」(1991年公開)も、二人の大物ボスの間で立ち回りのし上がる男の物語。今月発売の廉価版DVDを見ると、実録物というよりはもう少し軽い、かなりフィクションを織り交ぜたTVドラマ的な作り方。銃撃とか流血とかは結構派手だったりする。

「ゴッドファーザー」を大人になってから観ると、人間社会の様々な場面に現れる「政治」の映画なのだと思える。(・・・最近は繰り返し観たくなる映画が少なくなりました。映画そのものをあんまり見なくなっているし・・・)
マフィアという組織は、暴力という手段を積極的に採用して自らの目的を達成しようとする極端な集団ではあるけれど、その極端さゆえにかえって、人間の集団や組織の本質をストレートに示しているような気がする。マフィア映画に学ぶところがある所以だ。

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2008年8月10日 (日)

『凡人として生きるということ』

押井守の映画で見たことがあるのは「アヴァロン」(2001年公開)。独特の映像美、そして音楽が実に印象的。サントラ盤も買ったし、この映画を見た後、自分もロケ地であるポーランドを訪ねたりした。で、その押井守が新作アニメ「スカイ・クロラ」公開に合わせて本を出した。タイトルは『凡人として生きるということ』(幻冬舎新書)。凡人はどう生きればいいのか、以下に自分なりに要約。

誰からも必要とされない人生は寂しい。社会の中で定位置を得る、それが人間の生きる喜びにつながる。そして人生とは常に何かを選択し続けることだ。問題とすべきは、「人生の選択を留保していないか」、「社会と関わりを保っているか」、この二点だけだ。オヤジは仕事を通じて社会と結びついているし、人生の選択肢の判断基準も自分の中に持っている。オヤジになれば、自由(自在)に生きられる。自分勝手なものではない理に適った美学を持つことが大事だ。今やオタクも、一つの価値観、一つの生き方として認められる。オタクとは「特定の分野に著しい情熱を持ち続けている人」だ。天才の身でない我々が、この世を渡っていく術とは、情熱を持ち続けることしかない。自分の美学と情熱があれば、富と名声に煩わされることなく生きていける。

・・・ということで、美学を持ったオタクとしてオヤジになれ、つまりみんな「押井守」になれってことか、結局?

この押井流の「成熟」を「凡人」が目指すのは、結構ハードル高いかも。ま、それはそれとして、恋愛論的な部分が意外と面白い(第二章 勝敗論)。以下自分なりの要約。

仕事の場合は客観的に評価される仕組みがあるが、恋愛の場合は、当事者同士で自己評価しあうしかない。仕事は社会性の中で成立するが、恋愛はそうはいかない。当事者間の関係性の中で不条理な成立の仕方をする。恋愛は、努力だけではどうしようもないことがある。仕事はこなしていくうちにスキルが向上していくが、「恋愛はいつでも誰でもが初心者」、つまり経験値が生かされない。そこが恋愛の面白くも、難しいところだ。顔がよくても、恋愛は一対一の関係でしか成立しないので、肝心の相手にとって好みの顔でなければ終わりである。だから、恋愛に有利不利などない、と言ってもいい。
仕事であれ、恋愛であれ、どんどん失敗するべきだ。何連敗、何十連敗してもいい。何度負けても、勝負を続ける限り、いつかきっと一勝できる日はやってくる。

・・・モテる才能に恵まれなかった「凡人」は、恋愛という不条理の中でトライ&エラーを続けなきゃならない、ってことね。これも結構根性要るなあ。

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2008年8月 3日 (日)

『「生きづらさ」について』

今どきの若い世代が直面している困難とはいかなるものか。
雨宮処凛と萱野稔人の対談本『「生きづらさ」について』(光文社新書)を読んでみる。以下の引用はすべて萱野の発言。

萱野は今の「生きづらさ」の根元には、「コミュニケーションのあり方」の問題があると見る。それは「アイデンティティ」のレベルにおける「生きづらさ」と深く関わっている。

出発点は、人は他者からの承認を必要とするということ。
「やっぱり、人から認められることが、自分の存在価値を証明する一番の回路だと思いますよ。もともと人間って、自分の存在価値を自分では証明できないから、他者にそれを認めてもらうしかないんです。どうしても他者からの承認を求めてしまうんですよ」。

他者からの承認を得るために人は仕事をする。そして、居場所を得る。即ち所属する。
「ひとりの人間が社会のなかで認められるための、もっとも大きなファクターはやはり『仕事』です。仕事をつうじて、ひとは社会のなかで居場所を獲得し、所属をあたえられ、認められる」。「『所属』というのは、一方で、いざというときに頼りになって生活を保障してくれるものであると同時に、他方で、『私はここに所属している』というかたちでアイデンティティを保障するものでもあると思うんですよ」。

この「所属」または「承認」概念を巡って、共同体と「高いコミュニケーション能力が要求される」今の社会とが対比される。
「何らかの共同体に所属し、そのなかで認められたり必要とされたりするというのは、いまのコミュニケーション重視型の社会のなかでは一種のアジール(避難所)としての役割をもっていますよね。共同体というのは、『無条件に認めてくれる居場所』を、所属によって与えてくれるものなんです。これと対極にあるのが、いまのコミュニケーション重視型の社会です。そこでは、流動化した人間関係のなかでそのつど他人から認められるよう努力しなくてはいけない。こうしたコミュニケーション重視型の社会と、共同体的な承認のあり方を比べたとき、どっちがいいのかというのはたしかに難しい問題です。ただ、確実にいえるのは、まったく共同体的な承認なしにコミュニケーション重視型の社会を生きていくのは相当キツイということです」。

「社会が流動化すると、人はそのつどのコミュニケーションのなかで競争的に承認を獲得しなければならなくなる。過酷な承認のゲームが社会全体に広がっているんですね」。「いまの流動化した社会のなかで、無条件に存在が承認されるような居場所をどのようにつくっていくか、というのはとても難しい課題です」。

・・・承認または所属を得るために、競争的なコミュニケーションを強いられることで「生きづらさ」を感じる社会。それは若者だけの問題ではない。

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2008年7月26日 (土)

戦艦山城の最期

夏だ。夏は戦争を語る季節だ。(無理矢理)

近所の本屋で『悲劇の軍艦』(吉田俊雄・著、光人社NF文庫)という本が目に付いた。新刊ではなく「新装版」、更に元の単行本発行は昭和41年と相当古い。まあ、いわゆる「戦記もの」の最盛期はその辺りか。戦艦や空母など軍艦8隻の戦いが取り上げられているが、その中に戦艦「山城」の名前を見つけて、何となく読むことに。

自分の場合、「戦争」の入口は映画やプラモデル。連合艦隊といえば、もちろん700分の1スケールモデルのウォーターラインシリーズ。模型等の資料から軍艦の生涯を知るのだが、山城(と姉妹艦「扶桑」)の最期は、余りにも悲惨なものとして記憶に残った。

旧式戦艦の山城と扶桑は、日米開戦後も概ね内地に留め置かれていたが、戦局の悪化に伴い昭和19年10月、フィリピンにおける乾坤一擲の反撃作戦に駆り出される。しかしスリガオ海峡の夜戦で魚雷攻撃を受け、さらに敵戦艦6隻の集中砲火を浴びて、殆ど為す術も無く海底に消える。両艦とも生存者はほぼ皆無という無惨な最期だった。

山城と扶桑を中心とする西村艦隊は、主力である栗田艦隊のレイテ湾突入を支援する、いわば「捨て石」の覚悟を持って前進を続け、ほぼ全滅した。しかもその犠牲は、栗田艦隊のレイテ湾突入中止により、報われることは無かった。いわゆる「謎の反転」である。思えば、この最終目標達成の意志の不徹底、目標の優先順位の不明確は、戦争の初期から日本海軍がその行動パターンの中に「病理」として抱えていた。真珠湾では戦艦を破壊したものの空母を打ち漏らし、ミッドウェーでは敵基地と敵空母の「二兎」を追った挙句に大敗。連合艦隊が最後の力を振り絞ったレイテ沖海戦でも、栗田艦隊の反転で所期の目的は達成されることなく、戦艦「武蔵」や空母「瑞鶴」を失うなど壊滅的な打撃を受けた。日本海軍の戦いの跡を辿る事には、何とも気が滅入るものがある。

世界最強の戦艦「大和」、その最期は悲劇として語られることも多いが、本質的には山城の運命と大きく違わないような気がする。大鑑巨砲主義から航空兵力へと時代の主役が移り変わる中で、過去の遺物となってしまった大和は、最後は沖縄の米軍に向けた「特攻」という無謀な作戦で沈んでしまった。『悲劇の軍艦』の「あとがき」には、その大和の最後の出撃の際、ある下士官が語ったという言葉が記されている。

「日本は、俺たちの国だ。俺たちの手でどうあっても守らにゃならん。それが俺たちの責任だ。生きる、死ぬとクヨクヨするな。戦場で戦うのも、いま、この世に生をうけているものの務めじゃないか」

人は自分の生きる時代を選べない。そんな当たり前のことが、ひどく不条理で残酷なことに思えてくる。

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2008年7月14日 (月)

『日本に古代はあったのか』

日本に古代はあったのか』(井上章一・著、角川選書)で語られる日本の歴史学に対する批判には、大きな柱が2つある。一つは時代区分、特に古代と中世の区分の妥当性であり、もう一つは著者が呼ぶところの「関東史観」批判である。

マルクス主義史学では、奴隷制(古代)と農奴制(中世)で時代を区分するのだが、実のところ概念に曖昧な部分があるため、定義の仕方によって時代区分が相当動いてしまう。そもそもなぜ鎌倉時代から中世なのか。あるいは江戸時代から近世なのか。なぜ関東から新しい時代が始まるのか。ここには明治維新のイデオロギーがあると著者はみる。東京=関東から新時代が始まるという観念が歴史にも投影されて、関東の武家政治の新しさが強調される一方、畿内の公家社会は古臭いものとして貶められる。これを著者は「関東史観」と呼び、司馬遼太郎や梅棹忠夫のような関西出身の歴史家さえ、関東史観に毒されていると見る。

さらにこの鎌倉時代から中世とする関東史観のために、日本の古代という時代区分は世界史的に見て整合性のとれないものになっている。ユーラシアの東と西に現れた漢とローマという2つの帝国が衰えた5世紀頃までに古代は終わるとすれば、日本史ではさらに700年も古代が続いてしまうのだ。著者は漢の時代が終わる3世紀に合わせて、日本史でも邪馬台国から中世を始めてもいいのではないか、さらには古代は無くてもいい、原始時代からいきなり中世でもいいのではないか、とまで提言している。

自分は東京出身だが、戦国時代好きなので、当然のように日本史の中心は西にあると感じる。そもそも関東は基本的にローカルなのだと思う。源頼朝も徳川家康も生まれは今の愛知(頼朝が熱田、家康が岡崎)なので、たまたま関東で新しく政権を作ったというだけの話だろう。その新時代の始まりだが、今はとりあえず近世は織豊政権から、中世は院政の時代から、という見方が多くなっているらしいので、少し時間的に早まったというか空間的に西に移ったというか、何にせよ関東史観の力は弱まりつつあるようだ。それはそれでリーズナブルな変化で結構な事だなと思う。

正直、個人的には時代区分って、あんまりこだわりがない。著者が提案するように、ユーラシアの歴史と整合性をとる方が良いと思えるなら、そうすればいいじゃん、グローバルで考える御時世だし、という感じ。

戦国時代好きには、この本でより肝心なのは応仁の乱を取り上げた章。ここで著者は歴史家・内藤湖南の考えを追認する形で、応仁の乱を日本史の分岐点とする。乱の前は中世で、乱の後は近代に向かうと。内藤湖南は「大体今日の日本を知るために日本の歴史を研究するには」、「応仁の乱以後の歴史を知っておったらそれでたくさん」だとする。なぜならば、「応仁の乱以後はわれわれの真に身体骨肉に直接触れた歴史」であるからだ(1921年の講演)。すなわち、やはり戦国時代に、今に至るまでのこの国のかたちが作られたんだよ、という話である。戦国ファンは一層研鑽に励んで、この国のことを考え続けたらええねん。

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2008年7月13日 (日)

『日本近世の起源』

信長・秀吉・家康の天下統一の時期は、今に至るまでのこの国のかたちが作られた画期的な時代だった。そのことは名古屋経験で実感した。例えば尾張や三河といった旧国名は今でも日常生活の中で使われているし、日本の主要都市は殆どが城下町である。(なんてことは東京にずっと居たらおそらく意識しなかっただろうなと思う)

この素朴な実感は、最近の歴史学の学説でも支援してもらえるようだ。『日本近世の起源』(渡辺京二・著、洋泉社MC新書)はその序章の中で、日本の時代区分において最も重要なのは戦国後期、要するに全国統一政権の成立であり、徳川期と近代は連続している、との考え方(尾藤正英)を紹介している。ただし、著者の立場は、尾藤説の意義を認めつつも、徳川期の独自性を強調するものであり、徳川期文明の正当な評価のためには、その形成期の意味づけを根本的に再考することが必要だとしてまとめたのがこの本だ。以下に徳川期、幕藩制の成立について(乱暴に)要約してみる。

幕藩制は、大名が対立する農民を強権的に押さえつけて作り上げたというものではない。むしろ大名と農民の間には、お互いの理解を可能にする共通の社会的基盤が成立していた。荘園制が形骸化していく戦国期に、新たな社会的基礎集団として実質を整え始めたのが、主権的団体として自立した村、いわゆる惣村である。山林や用水を巡る村同士の争いはしばしば実力行使に発展したため、惣村は武装しているのが常だった。やがて惣村の中で有力農民が侍衆となっていくのだが、この「百姓」から「侍」へ成り上がる運動こそが、日本近世を出現させた原動力だった(何しろ天下人である豊臣秀吉その人が百姓出身なのだ)。

惣村内で侍衆という階層に結集した有力農民が、戦国大名の家臣団に組み込まれ、さらには織豊家臣団・幕藩制家臣団の中核を成していく、それが戦国後期という時代だった。そして最終的には秀吉が専制支配を打ち立てることにより、国内の大名から百姓まであらゆる争いが停止されて、それが「徳川の平和」へとつながっていく。

幕藩制の支配者は、もともとが農村から生まれた武家であり、惣村自治の中で生まれた秩序や仕組みが幕藩体制の中に組み込まれていったのである。つまり、幕藩制は、惣村を土台として生まれてきた百姓と、同じく惣村から出現した新たな領主階級との共同で作り上げられた社会体制なのだ。

・・・この本では随所に、反権力的な左翼史観や網野史観への批判が織り込まれるのだが、その辺はワタシのような素人、ただの戦国好きには評価不能なのでスルー。でも、子供の頃読んだ白土三平の劇画では百姓がやたらに一揆を起こしていたという、そういう「刷り込み」は自分にもあるんですけどね。

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2008年7月 7日 (月)

高齢化するアジア

世界経済にとって重大な問題は「オイル」よりも「老いる」ことだ・・・すべったか。

今週の「週刊エコノミスト」(7/15号)の特集は「老いる世界」。人口減少や少子高齢化は日本や先進国だけの問題ではない。新興国も急速に高齢化への道を歩み、世界は確実に老いる。「高齢化がもたらす『アジアの時代』の終焉」(小峰隆夫)からメモ。

今後50年間のアジアの人口の変化は、一言で言えば「雁行形態型の人口変動」が起きるということである。アジアでは日本→NIES→ASEAN→中国という順番で産業構造の高付加価値が進展してきた。これが「雁行形態型の経済発展」で、これからはその人口バージョンが発生するのである。

先頭はここでも日本である。日本ではアジア諸国に先駆け、少子化の進展→65歳以上の高齢者の比率が人口の14%以上となる高齢社会への移行→労働力人口の減少→総人口の減少――という順序で人口が変化してきた。今後は後続のアジアの国々でも同じことが、ほとんど同じ順番で起きる。
日本に続く第2グループは韓国、シンガポール、タイ、中国など。これにやや遅れて、第3グループといえるタイ以外のASEAN諸国、インドが続く。

人口の変化は、2つのルートを通じて成長に影響する。1つは労働力人口の減少だ。もう1つは、貯蓄率の低下による資本蓄積の鈍化だ。
こうした要素を考慮して長期的な成長率を展望してみると、まず日本は、40年代にはほぼゼロ成長となる。これに続く第2グループの国々は、20年頃までは3~5%台の成長を続けるものの、韓国の成長率は30年以降1%を割り込み、中国も40年代には1%程度の成長まで鈍化する。第3グループの国々も、成長率が鈍化するが、第2グループよりは高水準を維持する。例えば、インドは40年代に入っても3%弱の成長率を維持する。

ということで、今後は日本が高齢化の中で経済社会の活力を維持することができれば、それが21世紀におけるアジアの新たな成長モデルとなる、と指摘している・・・んだけど、そんなに簡単に解決できる課題とも思えないな。

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2008年7月 5日 (土)

翻訳の力

7月3日付日経新聞1面コラム「春秋」で紹介されていた、国際交流基金の雑誌『をちこち』(6,7月号、隔月刊)掲載の鼎談「日本語は翻訳によっていかに鍛えられたか」(鹿島茂、亀山郁夫、鴻巣友季子)を読んでみた。とりあえず鹿島先生の発言からメモ。

一般的に言って、考え方も何から何まで違う外国の言語に衝突することは、絶対的にいいことだと思います。今は「英語が話せればいいんだ」と、若い人が外国語に衝突しなくなっている。それは、日本語を鍛える上でもよくないことじゃないでしょうか。考え方も体系も違う外国語をいったん入れないと、日本語をつくる上でも、豊穣にならないと思います。

要するに、翻訳は他者を自分の中に育てることですね。他者がないと自己肥大になってしまう。

それは外国語に限らず、本を読むということ自体がそうだと思います。T・S・エリオットが『読書論』で言っています。本を読んで、その中に没入することは、作者に自我を占領されてしまうことである。違う読書体験をすると、また占領される。この繰り返しによって、いろんな他者を育てていく。それが読書だということですね。
今の人は読書をしない。外国語を学ばない。これでは占領されることがない。他人の思考法と格闘して苦しむことがないのですね。そうした経験がないから、ますます自己中心的になってしまう。

・・・本当に、自己を構築し展開していくためには、他者と衝突し他者を自己の内に取り込みつつ自己も変容していくという過程が欠かせないと考える。翻訳にしても読書にしてもまさしくそういう行為なのだ。それが外国語であれ、自国語であれ、人は「他者の言葉」と衝突しながら生きていく。たとえ同じ言葉を話す人間同士でも、人は他者の言葉を常に自分に理解可能なものへと「翻訳」しているはずである。翻訳とは解釈であるとはしばしば言われることだ。人間は世界の内で他者と関わりながら、常に理解困難な言葉を理解可能な言葉に転化する翻訳=解釈を行っているのだ。言語の動物である人間にとって翻訳=解釈は本源的行為であると考えられるだろう。

周囲を見渡してみれば、今どき外来語はカタカナにしてそのまま流通させてしまう事が多いようだ。振り返れば明治の文明開化の時代、先人たちは外来語を一旦は漢語の伝統の中に消化しようと試みた。彼らにとって翻訳とは、単に外国の考え方を輸入するだけでなく、自国の歴史を背負いつつ新たな文化を創造する行為でもあっただろう。その業績に改めて敬意を払いつつ、その労苦と意欲と気概に学ぶことができればとも思う。

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2008年7月 4日 (金)

『遺品整理屋は見た!!』

日本初の遺品整理業者である「キーパーズ」、その創業者である吉田太一社長の書いた本が『遺品整理屋は見た!!』(扶桑社)。2年前に第一弾が出ていたそうだが、今回の第二弾では、死体の巨匠?上野正彦氏との対談も収録されていたので購入。

とりあえず経験談の中心は孤独死や自殺。死後何日も経って発見される死体からは死臭が漂い、暑い時期は蛆がわき蝿が飛び、血や体液やらが部屋の中に広がる。その凄惨な現場に飛び込んで、清掃作業を行う吉田社長ほかキーパーズの社員たち。仕事を進める中で、故人の人柄や故人を巡る人間関係の一端を垣間見るような経験もする。

いやあ人間って死んだらホントに速やかに片付けなきゃいけないもんなんですね、とか思う。とにかく放置してたら腐っちゃうわけだから。独り者のワタシも今んところ現役なので、急死したら会社の人に発見されるのかな、とか思うが、引退後はどこにも所属してなければ、孤独死した場合発見が遅れることになるのだろう。できれば冬場に死んだ方が腐敗を抑えられるんだろうけど、人間、死ぬ時、所、死に方は選べないしなあ。

上野先生と吉田社長の対談は量が少なくて「おまけ」っぽい感じ。とりあえず死生観を聞かれて、上野先生は「死というものはナッシングだと思ってますよ。つまり、ナッシングというのは自分が生まれる前の状態になることですね。自分がいないだけで世の中はそのまま存在し続けていく。だからそういう意味で自分はいないんだからナッシングだというふうに思っているわけですよ」と答えつつ、しかし「あの世」という概念も持っているので、人間の死というものは矛盾なしには表現できない、と言う。
一方、吉田社長は「(仕事で)これだけ日常的に(死に)接するようになると、人間にとって死ぬということはほんとに当たり前のことなんだなあと思えるようになりましたね。長く生きることよりどう生きるかのほうが大事なことに思えるようになってきましたね。かっこよく言うといまを一生懸命生きるという感じでしょうかね」と答えている。

何はともあれ、普段から部屋の中は整理整頓してなきゃいけないような気持ちになりました・・・そういう問題か。まあ、将来はとりあえず入れるもんなら老人ホームに行くのが無難ですかね。

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2008年6月22日 (日)

『座右のニーチェ』

座右のニーチェ』(光文社新書)の著者は、齋藤孝・明治大学教授。自分的には齋藤(健康)とニーチェ(病者)という取り合わせに意外感があったので、読んでみることに。

この本で取り上げられるのは、齋藤先生が愛読しているという『ツァラトゥストラ』からの言葉だ。各節の見出しには「瞬間を生きよ」「肉体は本来のおのれ」「大地に忠実であれ」「運命を欲するか」等々、他の誰でもないニーチェ的な言葉が並ぶ。しかし、この本で言及されるのはニーチェだけではない。例えば夏目漱石、カミュ、坂口安吾、ドストエフスキー、ブッダ、孔子、ユトリロ、ゴッホ、イチロー選手、室伏選手、本田宗一郎、小倉昌男他、作家や芸術家はもちろん、運動選手、経営者など、多彩な分野の人名を散りばめながら文章が展開されていく。なので、この本はニーチェの言葉の解説書というよりは、齋藤孝の「ニーチェ活用法」とでも呼べるエッセイと思ったほうが良いみたいだな。

「ミッション、パッション、ハイテンション」が齋藤先生の口癖とか。この本もそんな「齋藤節」で溢れているが、やはり「第三章 肉体の声を聞け」が身体論、「第四章 過剰を贈れ」が教育論という格好で、齋藤孝らしいなという印象。とりあえず第四章から少しメモ。

『ツァラトゥストラ』は、ニーチェの教育の書ではないかと私は秘かに思っている。ニーチェは人類の教師になりたかったのかもしれない。そのくらい、学ぶということの根本的な祝祭性について語っているのだ。

私たちの周囲には、参考書も問題集も溢れている。テレビの情報もただ、インターネットの情報もただだ。
知識や知恵ということに関して、私たちはあまりにもそれが手軽に得られるようになってしまったために、感度を失っている。

私は、知識を他者への贈り物として捉えることは、すばらしいと思っている。過剰に溢れ出てくるものを分かち合うことは祝祭なのだ。そんな関係が本当に成立する場は盛り上がる。教育再生を掲げるなら、そういう祝祭的空間、雰囲気を目指すべきである。

・・・とにかく齋藤流ニーチェは、この上なくポジティブだ。それはそれで良いとして、一般的に主著的な扱いを受ける『ツァラトゥストラ』は、ニーチェの著作全体から見るとむしろ特異な位置にある作品だろう。彼のチャレンジは、ニヒリズムを極限まで押し進めて突き抜けることにより、「大いなる肯定」に至ることだった。彼は自らの思考そのものを観念的実験台としたのだ。「万人のための、誰のためでもない書物」である『ツァラトゥストラ』は、結局はニーチェが自己セラピーとして書いた本ではないか、そんな気がする。

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2008年6月21日 (土)

『鬱の力』を読む

うつ病と鬱を区別せよ、と五木寛之は言う。そうだよな、と同意しつつ五木と香山リカの対談『鬱の力』(幻冬舎新書)を読む。「はじめに」(時代は「鬱」に向かう)から引用。

香山:五木さんのおっしゃる「鬱の時代」というのは、すべての人が鬱の治療を必要とする時代、という意味ではないですよね。
五木:僕はむしろ、「鬱の時代には、鬱で生きる」という主張をしているんです。「鬱」という言葉を広辞苑で引くと、第一義には、「草木の茂るさま。物事の盛んなさま」と書いてある。そしてエネルギーと生命力に溢れているにもかかわらず、時代閉塞のなかでそのエネルギーと生命力が発揮できない。そのうちに中でなんとなくモヤモヤとしてくる、「気のふさぐこと」というのは、あくまでも第二義なんですね。エネルギーと生命力がありながら、出口を塞がれていることで中で発酵するものが鬱なんですよ。

ということで、「無気力な人は鬱にならない」と五木は主張する。なるほど。
自分も、「鬱」というと、「世紀末の憂鬱」とか、過剰なエネルギーが表現の形を見出せないままテンションを高めて、何かのきっかけがあれば創造的なものに転化する、そんな心の状態のイメージがある。多分に「文学的」な感覚だろうけど。

抑圧された生命力ともいえる「鬱」が、「うつ病」に取り込まれてしまう背景には、精神医学の「基準化」があった。第一部(鬱は「治す」ものなのか)から引用。

香山:1980年に発表された「DSM-Ⅲ」というアメリカ式の診断基準は、ある意味で斬新でした。このときから、鬱の背景を、一切問わないことになったんです。失業して鬱になった人も、脳に問題があって鬱になった人も、貧困などの社会的要因で鬱になった人も、その症状が二週間以上続いていればうつ病ということにするという、非常にシンプルな話になった。
五木:建前としては、うつ病に関してはこれまであまりにも曖昧だったから、一応、基準をつくろうということなんでしょう。でも、僕は気質的な問題と脳の働きの問題をきちんと分け、鬱とうつ病をきっちり区別する必要がある気がするんです。

うつ病の現状は、これもうつ、あれもうつ、たぶんうつ、きっとうつ・・・という感じ?(苦笑)
変な言い方をすれば、うつ病は一種の流行りなのかな、と思ったりする。犯罪や自殺も報道が類似行動を誘う面があるが、うつ病もメディアにやたらに取り上げられた結果、世の中に「うつ病かも知れない」症候群が広く蔓延しているような気がしないでもない。

鬱状態になったら病気と見て「治す」のではなく、とことん悩んでみる?(悩む力だよ)

(とはいえ昨年の自殺者3万人超、うち2割の6000人はうつ病が原因というニュースを聞くと、「むむむ」と気分的にたじろぐものはあるなあ)

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2008年6月15日 (日)

『悩む力』を読む

熱心なファンがいるらしい政治学者、姜尚中(カンサンジュン)の新著『悩む力』(集英社新書)。「なぜ死んではいけないか」と題された第八章、その冒頭で著者は池田小学校の事件(2001年)のような「無差別殺人」を取り上げて、「何の恨みもない、自分とはまったく無関係な他者を殺す」とは、いったいどういうことなのかと問いかけながら、その「不条理」な死の意味を見出すことは絶対にできないがゆえに、被害者や遺族は救われないとしている。つまり、「人生に起こる出来事の意味を理解すること」が人の生きる「力」なのであり、「意味を確信できないと、人は絶望的に」なってしまうのである。
さらに、人の生きる力とは最終的には自我、心の問題に帰結すると著者はいう。

「人は一人では生きられない」とよく言います。それは経済的、物理的に支えあわなければならないという意味だけではなく、哲学的な意味でも、やはりそうなのです。自我を保持していくためには、やはり他者とのつながりが必要なのです。相互承認の中でしか、人は生きられません。相互承認によってしか、自我はありえないのです。

つまり、私が私として生きていく意味の確信は、社会における相互承認の中から生まれるということ。働くことの意味もまた以下のように述べられる。(第六章)

社会というのは、基本的には見知らぬ者同士が集まっている集合体であり、だから、そこで生きるためには、他者から何らかの形で仲間として承認される必要があります。そのための手段が、働くということなのです。働くことによって初めて「そこにいていい」という承認が与えられる。

さらに相互承認以上の関係性として、愛が定義される。(第七章)

愛とは、そのときどきの相互の問いかけに応えていこうとする意欲のことです。

シンプルでなかなか良い定義と思われるが、とにかく著者が強調するのは、人とのつながり方を考えてほしいということ。悩むこと大いにけっこうで、私が私として生きていく意味を確信できるまで大いに悩んだらいいのです、と静かに言い切っている。

(人を殺す程のエネルギーがあるのなら、とことん自分について悩め!)

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2008年6月 7日 (土)

「社会的実体」と「共同幻想」

日経新聞「やさしい経済学」、ただ今、岩井克人・東京大学教授が連載中(言語・法・貨幣と「人文科学」)。5月30日掲載の第1回に、言語・法・貨幣は「社会的実体」であると述べられている。社会的実体・・・うーん。どうしても吉本隆明または岸田秀用語の「共同幻想」の方が馴染みがあるので、ちと違和感。ということで2年前に出ていた『資本主義から市民主義へ』(岩井先生への三浦雅士によるインタビュー、新書館)を読むことに。本の中で、「共同幻想」という言葉について岩井先生が語っている箇所がある。

ただ、ぼくは幻想という言葉は使いたくないんです。幻想じゃないんです、これは。実体なんです。真理なんです。根拠がないということと、幻想であるというのは違うと思うんですよ。だから吉本さんの共同幻想という言葉も、あれは誤解を招きます。やっぱり国家は実体です。権利も実体です。社会的実体。ただその社会的実体は社会との相関関係のうちにしかないということです。そういう意味では、物理的な実体ほどの確実さはありませんけれども、しかしあくまでも実体です。

・・・確かに自分も、「幻想」という言葉に少し語弊があるとは感じるのだが、「共同幻想」でも「社会的実体」でも、それ程違った事態を指しているとは思わない。だって「社会的実体は社会との相関関係のうちにしかない」んだから。つまり相対的な「実体」であり、絶対的あるいは普遍的な根拠であると認められるような根拠がある訳じゃないよ、という話。なので、別に三浦の言う「(建設的)虚構」でも構わないし、とにかく約束事の膨大な集積が社会の秩序を形成している、それが人間的な「現実」なのだと思う。つまり人間は日常的に強く意識していなくても、実は相当観念的な世界に生きている。

人間社会の秩序を形成している約束事は約束事でしかないとも言えるのだが、それらがいったんルールとして社会に共有されると、人間の心理や意識に「物理的」に作用して、人間の行動を決定していく摩訶不思議な事態が起きる。このように共有されたルールに則って、例えば商品や為替のデリバティブで毎日儲かったとか損したとか騒いでいる訳だから、それらのルールにもともと大した根拠は無いのだと考えると、何だか空恐ろしいことをやっているのだなと思えてくる。

実際、人間の生活においては、他人に言葉が通じるだとか、他人がお金を受け取ってくれるだとか、実は不思議なことが毎日当たり前のように起き続けている。たぶん、これらの約束事が社会の中でなぜか機能していくという、その事態の根底に倫理の兆しを認めても良いのかなとは思う。もっとも、それこそポストモダンの人間観に従えば、それは倫理というよりも「ホモ・デメンス(狂ったサル)」の持つ秩序への欲求、社会的生存に必要な最低限の合理性とでも見るべきかも知れないが。

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2008年5月26日 (月)

『クアトロ・ラガッツィ』(下巻)

1582(天正10)年2月、伊東マンショ、千々石ミゲル、中浦ジュリアン、原マルティーノの4人の少年使節一行は長崎を出発。2年半後の1584年8月リスボン到着、11月フェリペ2世に謁見。1585年3月、ローマ到着、教皇グレゴリオ13世に謁見。少年使節はローマ市民の間に熱狂的な感動を巻き起こした。教皇庁にとっても、はるかな東方からの使節の来訪は、宗教改革という危機の最中にあったカトリック教会の勝利を意味したのである。

さて、少年使節らがローマに来て18日目、1585年4月10日にグレゴリオ13世は死去。すぐに次の教皇選出が始まる(第五章 ローマの栄光)。例のコンクラーベというやつである。ここで面白い(と言って良いのかな)のは、本命と思われている人は選ばれない、ということ。ローマ市民に絶大な人気があったのはファルネーゼ枢機卿という人。にも関わらず、実際に教会内の政治力学で選ばれたのはモンタルト枢機卿という人だった。新教皇はシスト5世を名乗り、その即位式に少年使節も出席することになる。

1586年4月、少年使節はリスボンを出発、帰途に着く。途中、マカオに一年以上滞在。1590(天正18)年7月、ようやく長崎に戻った。だが、信長は既に亡く、天下人となった秀吉は伴天連追放令を発布。キリスト教を巡る状況は容認から迫害へと暗転していた。ローマで栄光に包まれた少年たちは、やがて追放、殉教、棄教など苦難の道を辿る。

エピローグで著者は書いている。「少年たちが日本に帰ってきたときに、時代は戦国時代から統一的な国家権力のもとに集中され、他の文明や宗教を排除する鎖国体制に向かっていた。4人の悲劇はすなわち日本人の悲劇であった。日本は世界に背を向けて国を閉鎖し、個人の尊厳と思想の自由、そして信条の自由を戦いとった西欧近代世界に致命的な遅れをとったからである」。

この大部な書物のディテールには感服するとしても、この結論的部分にはさてどうだろうと感じる。明治100年、昭和の時代までならば、この「遅れ」を「致命的」と受け止めて西欧に追いつくのが日本の近代化の流れだったのだろうが、とりあえず追いついた?平成のニッポンから振り返ると、果たして「致命的な遅れ」だったのかどうか。近代化に進む時期に差はあったとしても、個人の思想や信条の自由を勝ち取るために、結局は多くの血が流され多大な犠牲を払ったのは西欧も日本も同様ではないかとも思うし。

入院中に自分は、世界史の参考書(詳説世界史研究・山川出版社)も通読して、良くも悪くもヨーロッパ人の掠奪と征服が世界史展開の原動力だとあらためて感じた。スペインとポルトガルが世界の分割支配を決めたトルデシリャス条約(1494年)以降、ヨーロッパ人主導のグローバル化が始まり、その大波は戦国時代の日本にも押し寄せた。ヨーロッパと向き合った日本は結局、「鎖国」という道を選ぶことになったのだが、この態度決定をネガティブにのみ捉えるのは、最早余り有意義な評価とはいえない気がしている。つまり、グローバル化と鎖国、それぞれの功罪を推し量らなきゃいけないってこと。

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2008年5月25日 (日)

『クアトロ・ラガッツィ』(上巻)

入院中に『クアトロ・ラガッツィ』(若桑みどり・著)を読んだ。何しろ病院では時間があるだろうから、何か長いものを読もうと思ってあれこれ迷ったが、結局その時新刊で出ていた本書(集英社文庫、親本は2003年発行)を選んだ。上下巻で1000ページを超える。

副題に「天正少年使節と世界帝国」とあるように、ヨーロッパに派遣された4人の少年(クアトロ・ラガッツィ)を中心に、イエズス会宣教師ヴァリニャーノやフロイス、キリシタン大名大友宗麟、織田信長、豊臣秀吉、ローマ教皇グレゴリオ13世などの人物について、膨大な資料を駆使して語りながら、当時の日本とヨーロッパの関わりを描き出していく。

少年使節の派遣を決めたヴァリニャーノ(イタリア人、「日本史」で知られるフロイスはポルトガル人)は、当時のヨーロッパ人には珍しく開明的な人物だった(第二章 われわれは彼らの国に住んでいる)。ルネッサンスの人文主義的教養人である彼は、異なる文明である日本、中国の文化に敬意を払い、西洋人のやり方を押しつけることなく、キリスト教の精神を育てようとした。

戦国時代好きには、やはり信長の話、特に馬揃え(軍事パレード)の話が面白く感じられる(第三章 信長と世界帝国)。フロイスが伝える馬揃え。「装飾された競技場には飾り具をつけた馬にまたがり、できうるかぎり華美ないでたちの700人の武将と、諸国から見物に来た20万人に近い群集が集まった」。

柴田勝家が緋色の衣装を選んだら、信長に「待った」をかけられたらしい。「権六、その色はわしのものじゃ。控えい!」「は、ははーっ!」てな感じか?

信長は招待した宣教師たちのために高台の特等席を用意した。馬揃えに先立って宣教師からは、金の飾りを施した濃紅色のビロードの椅子が贈呈されていた。「信長はこの椅子をことのほか喜び、自分の入場に勢威と華麗さとを加えるために、それを4人の男に肩の高さに持ち上げさせてみずからの前を歩かせた。信長は行事の最中、彼の身分を誇り、その偉大さを誇示するために、一度馬から降りて椅子に座ってみせ、ほかの人間とは異なった人間であることを示した」。

著者は書く。信長の行った「この一大デモンストレーションは、内裏、公家、諸侯、民衆に向けて自分の偉大さを示すものであったと同時に、世界に向けて、日本の国王が彼であることと、その偉容とを知らせようとしたものである」。

信長は我らのことを世界に伝えよとばかりに、宣教師たちをスポークスマンに仕立て上げたのだろう。例の「安土城図」屏風もヴァリニャーノに与えて、実際にこの屏風は天正少年使節と共にローマまで運ばれた。世界に張り合おうとする気概を持つ信長と、日本を文明国と認めたヴァリニャーノの邂逅が、少年使節派遣というアイデアを生んだのだ。

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2008年5月24日 (土)

『孤独のグルメ』(新装版)

P1020366_2 マンガ『孤独のグルメ』(扶桑社)が新装版としてお目見え。旧版の発行は97年10月ということで、単行本としては10年ぶりの復活。2000年発行の文庫本は8万8000部のロングセラーという。(写真の左が旧版、右が新装版)
タイトルに「グルメ」とはあるけれど、主人公の独身らしき中年男、井之頭五郎が仕事の合間に向かうのは別に高級店でもなんでもなくて、食堂や定食屋の類が中心だったりする。そこで語られることも、食べ物そのものよりは、独りで食事をするというその行為にまつわる心情に重点が置かれていて、いわば「B級グルメの独白」という趣。一話8ページという短さの中で、日常的な食事に対するささやかな期待や満足感、あるいは微かな逡巡や戸惑い、見込み違い等々、独りで何かを食べる際に自ずと生じるさざ波の様な心理の綾が淡々と綴られていく。一見地味な作品ながらロングセラーになっているのは、このマンガの持つ優れた短編小説の様な味わい深さを多くの人が認めている証だろう。

主人公が語るこの作品の哲学ともいえるセリフ。

モノを食べる時はね 誰にも邪魔されず
自由で 
なんというか救われてなきゃあダメなんだ
独りで静かで豊かで……

以下のセリフもワタシの様な中年単独者の心の琴線に触れたりする。

輸入雑貨の貿易商を個人でやっている俺だが自分の店はもっていない
結婚同様 店なんかヘタにもつと守るものが増えそうで人生が重たくなる
男は基本的に体ひとつでいたい

あるいは、回転寿司の店で座ったのが注文の通りにくい席で何か切ない気分になるとか、新幹線の中で発車前に弁当を広げる乗客が目に付いて「どうしてああせっかちなんだろう」と思うとか、それあるよなあと色々共感する場面に事欠かないマンガである。

この作品で描かれる食べ物(とシチュエーション)の中では、秋葉原でカツサンドと缶コーヒーを買って戸外(広場の片隅)で食べるというのが、ちょっとさみしいけれど解放されてもいるというか、しみじみ感もあっていいな、と思った。あと、渋谷で主人公が「並んで食べるのは嫌だな」と入らなかったけれど、「喜楽」のラーメンは好きだな。

今回の新装版では新作(特別篇)が追加されているが、そのテーマは病院食。自分も最近入院を経験したので、個人的には結構リアルだった。作中に登場するカレイの煮付けではなかったが、魚とご飯そしてジャガイモの味噌汁の組み合わせは自分も頂いたし、朝食はコッペパンではなく食パンだったが、紙パック牛乳とバナナの組み合わせも出てきた。確かに最近の病院食というのも、まずくはないですね。

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2008年4月 8日 (火)

マーティの「Jポップ愛」

日本語ぺらぺらのロック・ギタリスト、マーティ・フリードマン。彼が雑誌等に連載したJポップ批評(ていうか賛歌?)を中心にまとめた本が『いーじゃん!J-POP』(日経BP社)だ。Jポップというと90年代、小室ファミリーとカラオケブームが一体になっていた時がピークという印象が個人的には強くて、この本に取り上げられている今時のミュージシャンやアーティストの半分以上は聞いたことも見たことも無いというごくありきたりの中年男であるワタシだが、かつてはメガデスのギタリストだったマーティが、Jポップのどこにそんなに惹きつけられるのか知りたくて読んでみた。

で、結論的には、「いろんな音楽のおいしいところを、絶妙のバランスで取り入れるのがJ-POPのよさ」ってことらしい。そこには「昔の歌謡曲の味」「ヘタウマの味」「ギターの存在」「ポップソングのハッピーさ」「メタルの激しい味」「テクノのレイブミュージックの味」、もう何でも入ってる、そのことにマーティは心から感動したそうだ。このJポップのよさは、日本文化に共通するセンスのよさでもあるという。以下に引用してみる。

日本の音楽って、洋楽のテイストを取り入れるときに、もろにマネするんじゃなくて、一番おいしいところだけを選んで、それを絶妙なバランスで歌謡曲のメロディーに取り入れるのが得意じゃん。音楽以外のことにも共通するけど、そういうセンスのよさって日本の文化の特徴だと思うし、すっごく尊敬しちゃいます。

確かに、いろんなものを外から取り込んで洗練された文化を生み出すのが日本という国であり、こと音楽に関しては、ヘビメタでもテクノでもR&Bでも、あらゆるジャンルを飲み込んで「歌謡曲」化してしまうのが日本だ、とは言えるような気がする。まあとにかく、マーティのJポップへの愛は尽きることを知らない。彼の夢を聞いてみよう。

僕にとって究極の夢は、この素晴らしいJ-POPの世界をアメリカの音楽シーンに教えてあげて、そのよさを世界中の人に発信することです。どんな形になるかは分からないけど、その「架け橋」の役目を果たすために、これから絶対に何かをすると思います。

日本語や日本文化に関心を持つ外国人って、やっぱヘンな外人じゃん、とか思ったりするけど、同時にそういう人ってとっても有難い存在だよね~とも思う。だけど、Jポップを本気でやりたいと思ったことが、メガデス脱退のきっかけにもなったと聞くと、個人的にはちと複雑な気分。まあ結局メガデス=デイブ・ムステインなんだし、マーティは自分のキャリアの新展開を求めた訳だから、それはそれでいいんだけどさ。確かに、Jポップはレベルの高い、というか洗練されたジャンルである、それは認めてもいい。でもねマーティ、俺はJポップよりメガデスの方が好きだぜ!

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2008年4月 7日 (月)

「セイゴオ世界史」第2弾

誰も知らない世界と日本のまちがい』(松岡正剛・著、春秋社)を読んだ。『17歳のための世界と日本の見方』の続編として昨年末に出ていた本である。例によって思想や文化も含めた「セイゴオ世界史」の講義が縦横無尽に展開されるのだが、今回中心となるテーマは「ネーション・ステート」(国民国家)だ。

最初の方で、ネーション・ステートとは「戦争ができる国民国家」であると端的に定義される。そしてまずはイギリスを理解することの重要性が強調される。なぜならば「イギリスがわからないと『植民地主義』のことがわからないし、それがわからないと『資本主義』の確立がわからないし、ひいてはアメリカのこともわからない」からである。つまり、「近代史と現代史の原点にイギリスはいる」のだ。

さらに決定的だったのはナポレオンの登場だ。ヨーロッパは1800年の時点で大きな変化を迎えていた。フランス革命、アメリカ独立、イギリスの産業革命。そしてナポレオンが、大陸全土を戦争に巻き込んだ結果、ヨーロッパに次々と「ネーション・ステート」すなわち「国民国家」が誕生する。それらの国々はさらに「列強」へと変貌し、植民地を求めてアジアやアフリカの支配に乗り出していくことになる。

列強の世界支配の大波を被ったのが徳川時代の日本である。日本は、「列強が用意したグローバル・スタンダード」を自ら進んで受け入れることにより、この危機を乗り切ったが、それはまた、近代国家として戦争を繰り返す道に入ることであり、昭和の悲劇につながることになった。

帝国主義の全面展開から第1次世界大戦、そして株価大暴落と金融恐慌を経て、世界は第2次世界大戦へとなだれ込む。セイゴオ先生の嘆きは深い。

5000万人以上が死にました。生物兵器も毒ガスも原爆も使用され、どんな戦場でも無差別の殺戮がまかりとおった。いったいなぜこんなことになったのでしょうか。みんな、おかしいんですよ。敗けたほうもおかしいし、勝ったほうもおかしい。ネーション・ステートは断乎として戦争をし、そして断乎として勝たなければならない。それが近代史がつくったロジックで、ただそれだけが現代史が証明したことだったのか、そんなふうに言いたくなります。まことに大きな「まちがい」です。

新世紀に入った現代。セイゴオ先生は、「グローバル資本主義」や「新自由主義」が人間の文化や社会を危うくしているのではないかと強く疑う。

世界が、たった一つの強力な原理や制度で動いていくなどということは、はなはだおかしなことなんです。それが世界の多文明に、また多文化にあてはまるような、ふさわしいものとはかぎらないのです。これはあきらかに「まちがい」です。

・・・かつて国民国家と資本主義は、帝国主義の両輪だった。いまや資本主義は国家の枠を大きく超えたグローバル資本主義として活動し、国家の役割はかつてと比べて良くも悪くも縮小している。国家を超えたグローバル秩序に対して「帝国」という呼び名が与えられたりもしているが、資本主義、国民国家、帝国主義についてあらためて考えることは大いに必要なことだと考える。

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2008年3月30日 (日)

織豊期の城(歴史読本)

雑誌「歴史読本」5月号の特集は「織田・豊臣の城を歩く」。本文記事では、研究者が「織豊系城郭」と呼ぶ城として国内65、韓国の倭城7を紹介。さらに巻頭カラー、鼎談、付録も含め、これでもかこれでもかという感じの大特集になっている。

特に但馬竹田城(兵庫県)は、「織豊期城郭の傑作」として、カラーページと鼎談(中井均、加藤理文、木戸雅寿の各氏)で念入りに取り上げられている。写真で見ると、山の上に大きな石垣がずらりと並び、現地に立てば圧倒されそうな雰囲気が伝わってくる。織田・豊臣の城といえば、まずは安土城や大阪城などが思い浮かぶわけだが、それらの巨大城郭は為政者が支配力を誇示するシンボル的な性格を強めていたのであり、織豊期が戦国期の最終段階でもあることを考えれば、むしろ竹田城のような高い石垣を備えた山城こそが、軍事的拠点としての城郭の完成形を示していることになる。戦乱が終結し平和な時代が到来すると共に、織豊期の山城の多くは廃城となったのだが、打ち捨てられたが故に当時のまま石垣等が残されていることも、歴史を感じる探訪の興趣を大いに高めるものだろう。

また、朝鮮に侵攻した秀吉軍が半島沿岸部の拠点として作った倭城を、カラーページで紹介しているのも興味深い。自分も去年、肥前名護屋城に行ってみただけに、やはり次は海を越えて石垣を見に行かなきゃいかんかな~とか思ったりする。

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2008年3月10日 (月)

「未婚化」克服は「婚活」で

今週の「週刊東洋経済」(3/15号)に掲載されている山田昌弘・東京学芸大学教授のコラム記事(少子化を防ぐには「婚活」支援が必要)からメモ。

日本で少子化が進んだ要因は、結婚する人が少なくなったことにある。
私は未婚化の主因は、若者の経済状況の悪化にあると判断している。

ただ、今の若者を観察していると、結婚に至るプロセスが20年前とまったく変わったことも、大きな要因として挙げられる。80年ごろまでは、就職と同じように「流れに乗っていれば」、ほぼ全員が自動的に結婚に至るシステムが用意されていた。

しかし、男女交際が活発化し、自由になる。そして、結婚後のライフスタイルの選択肢が増える。すると、かえって、結婚がしにくくなってきたのだ。
それは、①出会いに格差が生じ、②未婚男女が出会っても、お互いが好きになる確率は低下する。相手に対する選択肢が多くなればなるほど、自分が選択されない機会が増えるからだ。
また、たとえ恋人になったからといって、結婚するとは限らなくなった。結婚後の生活の選択肢が
増えただけ、2人のすり合わせが必要になってくる。そうしている間に、破綻して別れることも多くなる。

つまり、黙っていたら、①結婚にふさわしい異性に自動的に出会えない、②異性と出会っても、相手から選ばれない、③恋人になっても結婚に至らない――。かくして、日本社会では未婚化が進行することになる。

つまり、「就活」しなければよい就職ができないように、主体的に努力しなければ結婚ができない時代に突入したのだ。①を防ぐためには、積極的に異性と出会う場に行く。②を防ぐためには、自分の魅力を高める。③を防ぐためには、将来の結婚生活に関するすり合わせを積極的に行う。

これらの活動を山田先生は「婚活」(結婚活動の略)と呼び、「婚活」を公的私的にサポートすることが少子化対策になると説く。

・・・「自然な出会い」を待つだけでは、おそらく何事も起こらないまま時が過ぎていく。結婚したいのならば、常に意識的に努力することが必要。シビアな時代だと思う。

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2008年3月 2日 (日)

ウイルスは遺伝子の断片

雑誌「サピオ」(3/12号)が「新型感染症」について特集。ベストセラー『生物と無生物のあいだ』の著者である福岡伸一・青山学院大学教授の書いたレポートからメモ。

細菌などの微生物は言うまでもなく生物だが、ウイルスが何物であるかについては、生物学者のなかでも「生物か、無生物か」で定義が分かれている。

生物とは「自己複製するもの」との定義に立てば、確かにウイルスは生物だと言える。私の考えでは、生物とは絶え間なく分子の入れ替わりやエネルギーの入れ替わりのある「動的な状態」を持つものである。この視点に立てば、栄養を摂取することもなければ、呼吸もなく、一切の代謝を行なわないウイルスは無生物である。

もう一つ、ウイルスが無生物だと言える根拠は、ウイルスは、元をたどると、我々高等生物のDNAの一部が外に飛び出していったものなのである。
生物が細胞分裂する際、DNAも正確に2倍量コピーされて分かれるが、そこでは常に少しずつのDNA断片をつくり、つなげていくという作業が行なわれている。その過程は不安定で、DNAの一部がくるっとまとまって、どこかにひゅるひゅると行ってしまうことは、よくあることだ。その場合、DNAの一部は、体液に紛れ込み、唾液や呼気、尿、糞などとともに排泄されていく。
こうして、さまよえる遺伝子となったウイルスは常に我々の元に戻りたがる。再び生物の体に組み込まれれば、増えることができるからだ。

もちろん、大半の遺伝子断片は戻れないまま壊れていく。しかし、ごくまれに新しい宿主に移って断片が保たれたり、増殖できる状態にたどりつくケースがある。そして、さらにそこを飛び出して、別の宿主の元で増殖する。つまり、複製可能な遺伝子断片をウイルスと見ることができる。

細菌は殺すことができるが、ウイルスは生物ではないので殺すことはできない。ウイルスが我々自身の一部である以上、我々はウイルスとなんとか共存していくしか道はないのである。

・・・それにしても、DNAとは不思議なものよ、とあらためて思う。

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2008年3月 1日 (土)

黄長燁の語る対北朝鮮外交

雑誌「サピオ」(3/12号)のブックレビューで、『北朝鮮を告発する 黄長燁の語る朝鮮半島の実相』(久保田るり子・著)が取り上げられている(評者は作家の鈴木洋史)。その中から対北朝鮮外交の部分についてメモ。

〈結果を見たら明白なのに、なぜ皆が騙されるのか。いままで南朝鮮がこれまで発展してきたのはアメリカとの同盟関係、日本との親善関係があったからだ。北朝鮮が戦争を仕掛けられないよう、米軍が駐屯して、(韓国は)それを利用して経済発展した。特別な戦略戦術などは必要ない。原則的なもの(米韓、日韓関係)を守っていればいい(中略)なぜ、金大中のように金正日を訪れ、カネをやりながらアメリカに反対し、民族同士で協調する必要があるのか〉
黄はこう分析し、太陽政策を進めてきた韓国を〈最大のばかものたちだ。彼ら(注・北朝鮮)からすれば、ここの人たちはまるで子供だ。本当に何も(北朝鮮について)知らない〉と最大級の言葉で批判し、〈金大中の政策はすべて失敗だ〉と切って捨てる。

同様に、6か国協議についても〈惨敗だ。疑いない〉、国際的な包囲網や制裁で北朝鮮に核を放棄させることについても〈不可能だ。おしゃべり屋たちが集まって話をするだけ無駄だ〉と、容赦ない批判を浴びせる。

黄によれば、北朝鮮の核問題を解決するためには金正日政権を除去しなければならない。唯一の解決策は〈北朝鮮に中国式の改革開放を実行する政権が立つ〉ことをアメリカが中国に保証することだ。その場合にのみ中国は金正日政権の除去に同意する。

・・・黄氏の失望と苦悩は深い。金大中政権以降、監視体制の下に置かれてきたという黄氏。韓国新政権の誕生を契機に、自由な活動のできる状況に置かれることを願う。

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2008年2月29日 (金)

鮎川・吉本対談、再読

容疑者が再逮捕された、いわゆる「ロス疑惑」。激しい報道合戦が繰り広げられたのはもう20年以上も昔のことだが、この事件を巡るお互いの意見の対立が、鮎川信夫と吉本隆明という二人の文学者の「訣別」につながった(らしい)ことを思い出してしまうワタシは、やっぱりオールドな文学青年なのだな。事件を巡る両者の意見が読める「全否定の原理と倫理」という対談が収められた同名書籍(1985年)を図書館から借り出して、あらためて目を通してみた。(この対談本が出てから一年後に鮎川信夫は死去)

この対談のメインの話題は、当時の「埴谷-吉本論争」や「反核運動」だったりする訳だが(ありましたねえ、そういうの)、とりあえず事件についての部分では、まず吉本が鮎川の著述に対する異論を示す形で語る。

「それこそぼくが戦争体験から原則的に学んだところではね、つまり、本当に鮎川さんが目で確かめ、手触りで確かめ、書類で確かめた上で、これは確実だということがない限りは、人は人を犯罪者として否定してはいけないんだというのがぼくの原則の中にあるんですよ。仮りにその人が非常に確からしく犯罪者であったとしても、犯罪者であることはその人の死命を制することですから、これはもう本当に確かめてでなければそれを断定してもいけないし、また疑念を持ってもいけないと思うのですよ」

これに対して鮎川は、

「変な言い方かもしれないけれど、確証よりは、ぼくは人ってものを見なけりゃいけないと思うの」。「ぼくはつまらない事件だったら問題にしないよ。しかしちゃんと二人の人間が殺されて死んでいるわけだしね」。「彼がおかしいってことを追及することはまったく、ぼくは自由だと思う」。

と述べるのだが、吉本も、

「この人は限りなく黒に近い人だなあと思いましたが、そのこととそれを犯罪者と決めてそれを追及することが正当かどうかということとは別のような気がするんですね」。

と基本線は譲らない。その後も水掛け論のようなやり取りが続き、最後は鮎川が「まあ、でも答えというのはいずれ出るからね。五年かかるか十年かかるか知らないけれども、答えは必ず出るからね。二人がいくら議論したって片付くわけじゃないしね」と引き取っている。

吉本は原理原則から、鮎川はごく常識的な見地から互いの意見を述べていて、これだけだと「対立」というよりは単に話が噛み合っていない、という感じではあるけれど。事件の話題の後で、鮎川の以下のような発言もある。

「話を聞いていて、やっぱりきみは原理主義者なんだよ。ぼくはあんまり原理的な見方はしなくて、それこそケース・バイ・ケースなんだよ。ただその場合の唯一の見分け方は一種の人間性の判断だね」

こういう認識を持ちながらも、なぜこの「対立」が二人の「訣別」にまで至ったのか、第三者にはよく理解できない。あるいはもっと別の要因があったのかも知れないが、結局それは当人たちにしか分からないことだな、と至極当たり前の感想を持つしかなかった。

ま、事件については、とにかくいずれあらためて「答えは出る」のだろう。

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2008年2月11日 (月)

『人間・この劇的なるもの』

2月9日付日経新聞文化面「名作・古典に脚光 復刊や新訳続々」との記事を読んで、俺はあんまり関心無いけどなあ~とか思っていたら、福田恆存の『人間・この劇的なるもの』(新潮文庫名作復刊シリーズ)があたかも新刊のように書店に置いてあるのを発見して驚いた。やっぱ若い頃に読んで影響された本(当時は中公文庫版)なので、ついつい手に取ってしまうんだな~。で、結局購入、何十年か振りに再読(ざーっとですが)してみました。復刊商売ってどうやら成り立つみたいです。(苦笑)
ハムレットの分析を中心に、様々な論点が提出されているが、やはり昔読んだ時と同様、自由と必然性の考察が自分には印象深い。以下に関連箇所を引用。

私たちが真に求めているものは自由ではない。私たちが欲するのは、事が起るべくして起っているということだ。そして、そのなかに登場して一定の役割をつとめ、なさねばならぬことをしているという実感だ。なにをしてもよく、なんでもできる状態など、私たちは欲してはいない。

生きがいとは、必然性のうちに生きているという実感から生じる。その必然性を味わうこと、それが生きがいだ。

私たちは、自分の生が必然のうちにあることを欲している。

失敗者は失敗の必然を、成功者は成功の必然を欲する。だが、ひとびとは、なぜそうまで必然性を身につけたがるか。いうまでもなく、それは自己確認のためである。私たちは、自己がそこに在ることの実感がほしいのだ。

純粋な意識の真の緊張感を呼び起すもの、それが私のいう演戯である。

自分を他人に見せるための演技ではない。自分が自他を明確に見るための演戯である。

自我は自分と他人という相対的平面のほかに、その両者を含めて、自他を超えた絶対の世界とかかわりをもっているのである。

のいう演戯とは、絶対的なものに迫って、自我の枠を見いだすことだ。

真の意味における自由とは、全体のなかにあって、適切な位置を占める能力のことである。

・・・福田はこの本で、人間的意識においては、自由と個性という近代的原理よりも、必然性と全体という演劇的枠組みが優位であることを説いている。少々理解しづらい部分もあるけれど、自分にとっての「古典」、マイ古典と呼べる本であることを再認識した。

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2008年1月31日 (木)

『ローカル線ガールズ』

東京駅構内の栄松堂書店で『ローカル線ガールズ』を見つけた時は、「あのえちぜん鉄道の本が出たのか!」とちょっと感動した。えちぜん鉄道、福井のローカル線である。

名古屋にいた時、えちぜん鉄道には2回乗った。最初は05年夏、勝山まで(恐竜博物館)、2度目は06年春先、三国まで(東尋坊)、つまりほぼ全線に乗ったことになる。

で、車両の中に制服姿の女性がいるのを初めて見た時は、「なんでデパートガールが乗ってるんだろ」と思ってしまった。ローカル線の車内に立つ制服女性は何だか妙に場違い的な感じがしたが、これがアテンダントと呼ばれる女性添乗員なのだった。

最初は違和感というのか、何か不思議なものでも見るような気持ちにさせられたのだが、2度目の時は今日はどんな人が乗っているのかなという期待も抱いていた。その辺はワタシも男だから、制服姿の女性に少し、いやかなりヨワイところもあったりする訳で。しかも2度目の時は違う制服。(夏服と冬服があるのだ。夏はつばの広い帽子付き)

で、この本はそのアテンダントの仕事について、当のアテンダントさんが綴ったものである。彼女たちの仕事は、無人駅での切符販売、高齢者等の乗降補助、観光案内の3つをメインとしてその他よろず請負というところか。最初は地元の人たちの一部からも、その必要性に疑いの目が向けられていたアテンダントという存在が、試行錯誤しながら自分たちのサービスを作り出していくことで、次第に認知されていく様子が記されている。

しかしどこの世界でも、客というのは我がままなものだなと思う。あの山の名前は?あの花の名前は?早く切符をくれ、早くおつりをくれ、窓を開けるな、窓を閉めるな、年寄り扱いするな等々、様々な質問、要求、苦情が寄せられて、しまいには「何のためにアテンダントがいるのか」と言われた日にゃあ、やってられっか!という気持ちになってもおかしくないけどなあ。しかし彼女たちはそんな「お客様のお叱り」を受けて、日々勉強の気持ちで、自分たちのサービスをよりよくしていくために努力する。健気である。

山や花の名前にも興味は無く、ただ目的地へと急ぐありきたりの観光客として乗車していた自分は、この本を読んで、アテンダントという仕事は想像以上に大変なのだと感じるばかりだった。しかしとにかく今や、えちぜん鉄道といえばアテンダントなのである(・・・多分。だからこそ本が出たんだろうし、ワタシも買ってしまった訳で)。彼女たちには元気で頑張ってほしい。単純にそう思った。

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2008年1月28日 (月)

フリードリヒ2世VS教皇

シチリア出身の神聖ローマ帝国皇帝フリードリヒ2世のことは、数年前NHK「文明の道」で初めて知った。雑誌「歴史群像」2月号の記事(破門皇帝フリードリヒ2世)からメモ。

1226年、世俗権力に妥協してきた教皇ホノリウスが逝去、新たに教皇となったグレゴリウス9世は、宗教的権威主義の塊のような男だった。
1227年8月、フリードリヒはブリンディシ港に遠征のための大船団を集結させた。ところがここで4万といわれた軍勢内に伝染病が蔓延し、皇帝自身も病を得てしまう。やむなく遠征は中止となったが、教皇グレゴリウスはこれを詐病であると断罪し、ついにフリードリヒに対し破門を宣告するに至った。
破門を解くには十字軍遠征を成功させるしかないと判断したフリードリヒは、再び遠征準備に取りかかり、1228年6月、聖地へと軍を進めた。第6回に数えられることになる十字軍遠征である。

(既に親交のあったイスラム・アイユーブ朝のアル・カーミルとの交渉の結果、1229年2月、10年間の休戦条約が成立。フリードリヒは聖地エルサレムに無血入城を果たす)

様々な文化が交錯し、多様な価値観が形成されたシチリアで育ったフリードリヒは、柔軟かつ合理的な、政治的統一の基での多様な価値の共存こそが、世界帝国の礎であると信じていた。

しかし、このようなフリードリヒの態度、そしてイスラムと手を結んだかのような和平条約は、ローマ教皇としてみれば許されざるものだった。教皇は反皇帝派を取り込み、皇帝の不在を狙ってシチリアへと攻め込んだ。
これを知った皇帝は、ただちにイタリアへと帰還して諸侯を糾合し、瞬く間に教皇の軍を打ち破るのだった。
両者はドイツ騎士団総長の仲立ちで1230年6月、サン・ジェルマノ和平条約を結んだ。この条約によってフリードリヒは、ようやく破門を撤回されたのであった。

・・・その後も皇帝と教皇の対立は続くのだが、破門といえば条件反射的に思い浮かぶのが「カノッサの屈辱」(1077年)。この事件から150年を経て、イスラムとの共存を目指す特異な個性の皇帝が出現、自らに宣告された破門を実力行使によって撤回させた。フリードリヒは当時「世界の驚異」と呼ばれ、後世からは「王座についた最初の近代人」と評された。歴史は時に時代を超越したかのような人物を生み出す。何だか凄い。

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2008年1月27日 (日)

桶狭間、正面+背後攻撃か

桶狭間の戦いで、織田方は別働隊を今川義元本陣の背後から襲撃させた可能性がある――雑誌「歴史群像」2月号の記事(再考 桶狭間合戦)からメモ。

「善照寺の城より二手になり、一手は御先衆へ押来、一手は本陣のしかも油断したる所へ押来り、鉄炮を打掛」(『松平記』)
『松平記』によれば、信長は善照寺で兵を二手に分け、今川前軍と本陣にそれぞれ攻撃を開始したとする。
『松平記』のいう前軍を攻めている部隊は、信長の本隊になるだろう。そして本陣に鉄炮を放ちかけた織田別働隊というのは善照寺で分派したもの、ということになる。

「服部小平太上之山より突懸り」(『譜牒餘録』)。
「上の山」から攻撃を受けたというのは今川側の共通認識であったらしく、『松平記』にも「上の山よりも百余人程突て下り」と書かれている。

「上の山」が「上ノ山」(という地名)であり、今川軍の背後から服部小平太他100人ほどの部隊がこれを襲ったとすると、今川軍敗北の情景が鮮やかに見えてくる。
信長が善照寺砦から分派して東進させた部隊は、途中今川の分遣隊を撃破して沓掛城周辺に至る。暴風雨が吹きはじめる中、この部隊は大高道を南下して上ノ山に到達する。上ノ山に
到着した際には風雨も止み、東から西に向かって攻め掛かる障害は無くなっていた。

服部小平太は攻撃を開始し、同時に鉄炮も打ちかける。
一方、義元本陣の正面山際に位置した信長は、敵の背後で銃声が起こり戦闘が発生したのを見届けて突撃命令を発する。
敵の前面に攻撃をしかけて行動を制し、その間に別の部隊が側背へ機動する。その機動部隊が、敵の行動を制して、正面からの攻撃を有利に導く、というのは戦闘の基本である。

・・・かつては桶狭間といえば「奇襲」だったが、いまや「正面攻撃」説が優勢。だが今川兵は全軍2万5000、本隊だけでも5000と織田方2000の倍以上、しかも「おけはざま山」という小高い場所に陣を置いていたというだけに、単純な正面攻撃だけで信長が敵を打ち破ったとは考えにくい。桶狭間合戦、その謎の実像に迫る余地はまだまだ大きい。

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2007年12月29日 (土)

『反哲学入門』

哲学者・木田元の新刊『反哲学入門』(新潮社)は、著者がこの10年程の間に繰り返し取り上げている「反哲学」というテーマについて、あらためて分かりやすく呈示することを目指した本。まずは第一章「哲学は欧米人だけの思考法である」からメモ。

「存在するものの全体」を「自然」と呼ぶとすると、自分がそうした自然を超えた「超自然的な存在」だと思うか、少なくともそうした「超自然的存在」と関わりをもちうる特別な存在だと思わなければ、存在するものの全体がなんであるかなどという問いは立てられないでしょう。自分が自然のなかにすっぽり包まれて生きていると信じ切っていた日本人には、そんな問いは立てられないし、立てる必要もありませんでした。

プラトン以来、西洋という文化圏では、超自然的な原理(イデア、神、理性、精神、等々)を参照にして自然を見るという特異な思考様式が伝統になりました。その発想法が哲学と呼ばれ、西洋における文化形成の軸になってきたわけです。
19世紀後半、ニーチェがこのことに気づきました。ニーチェは、西欧文化形成の根底に据
えられたそうした思考法が無効になったということを「神は死せり」という言葉で宣言しました。ここでは、「神」とは「超自然的原理」を意味しています。

超自然的思考としての「哲学」には決定的に分からないところがあるが、ニーチェ以降の「哲学批判」「反哲学」ならわれわれ日本人にもよく分かる。といっても、いわゆる表現の問題ではなく、考え方の根本に関してなのですが。

・・・この本では後半に語られている、近代哲学における超自然的原理としての「理性」という概念の展開、すなわちデカルトに始まりイギリス経験論の批判を受けて、さらにカントからヘーゲルに至る辺りの話は、まあ日本人には決定的に分からない点があるにしても(汗)、とても興味深いものがあるし、この「理性」を中心とした流れを押さえておけば、たぶん一般人としては、近代哲学は分かったつもりになれるんじゃないかなー、と思ったりする。

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