2018年1月14日 (日)

価格と価値の謎

資本主義社会の中で、日々当たり前のように行われる商品と貨幣の交換。しかし交換が成立する根拠はというと、実はそれほど自明なものではない。NHK-BS1「欲望の資本主義2018」(1月3日放送)、チェコの経済学者トマス・セドラチェクの語る場面では、マルクスの「商品が貨幣になる命がけの跳躍」という言葉が引用されていた。以下にセドラチェクの発言をメモ。
 
◇価格は分かりやすいが、価値というのは謎だ・・・。そもそも「取り引き」というのは不思議だよね。ペンをあなたに売るとする。当然金額の同意が必要だよね。私が10で売りたいのに、あなたが9しか出さないなら成立しない。価格には正確な同意が必要だ。だがこの時、お互いが商品に見いだす価値には差がないといけない。売り手は、ペンの価値が価格より低くないと売らないよね。一方、買い手にとっては、ペンの価値が価格より高いから買うわけだよね。
 
◇お金によって、価格を比べることができるようになる。それは、順序付けることができるということだ。でも価値は・・・例えばトマトよりリンゴが「どれぐらい」好きかを測ることはできない。リンゴの方がトマトより2倍好き?4倍好き?100倍好き?
価値は主観的、価格は客観的だ。人間は「価値と価格の関係」を理解しようと、ずっともがいてきた。このダイナミクスについて、明快に答えるのは・・・困難だ。
 
◇シュンペーターは言い当てていた。「資本主義は批判を受け入れられる唯一のシステムだ」とね。この世界はどうにか機能している。でもそれがなぜ機能しているのか、実はよく分からない。資本主義はある程度までは機能するが、完璧ではないということに、いつも注意を払うべきだ。
 
・・・マルクスは交換に神秘を発見した。現代資本主義社会では、消費と貨幣の交換という「命がけの跳躍」はもちろん、貨幣と貨幣(通貨同士、貨幣と金融商品など)の交換という「命がけの跳躍」も、いつでもどこでも大量に当たり前のように行われている。その中で、我々は儲かった損したと一喜一憂しているわけで、考えてみると不思議だな。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年1月13日 (土)

グローバル化の「反動現象」

NHK-BS1「欲望の資本主義2018」(1月3日放送)、チェコの経済学者トマス・セドラチェクとドイツの哲学者マルクス・ガブリエルの対話の場面から以下にメモ。
 
ガブリエル:皆がポピュリズムと言うが、それは無意味で的外れな診断だ。これはグローバリゼーションに対する抵抗の一種じゃないかな。グローバリゼーションは基本的に経済プロセスだから、起きていることを経済的に説明しなくてはならない。政治的にではなくね。ドイツの人口の12.6%が排外主義に目覚めて投票を決めたわけではない。そうではなく、むしろ地球のあちこちで不公平を目にするようになったためと考えた方が良い。
 
セドラチェク:この状況を表すうまい言葉が見つからないが、もう人々が「いい人」でいられなくなったのかもしれない。「なぜ私が助けなきゃいけない?」とね。「私のことは助けてくれてないのに」ってね。何というか・・・キリスト教文化の反応は、イスラム教の国々の反応よりも極端に経済的なものだった。イスラム教の国々は実際はるかに多くの数の難民を受け入れている。
 
ガブリエル:悪というものを今一度考えてみる必要がありそうだね。どんな組織もどんなシステムも時間を経て自身を維持するためには、他のシステムを排除しなければならない。外部がないシステムは、内部に「異質なもの」を作り出さなければならない。これが悪のダイナミクスだ。確かにグローバリゼーションは、新たな悪を生み出したのかもしれないね。資本主義は国家というよりも経済的な帝国だが、帝国は内部から悪を作り出すのだ。これが「ナショナリズム」などが復活している背景なのだろう。
 
・・・グローバル化の中で強まる「ポピュリズム」「右傾化」「ナショナリズム」とは結局、グローバル化の「反動現象」以上の意味は持たないように見える。グローバル経済のもたらす競争や格差の中で、一部の大金持ちを除く大部分の人々から余裕が失われて、誰もが「いい人」でいることは難しくなり、「自国ファースト」「自分ファースト」になっているということか。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年1月 7日 (日)

「関ヶ原」新説、BS番組で特集

6日のBS-TBS番組「諸説あり!」は「関ヶ原の戦いスペシャル」と題して、関ヶ原合戦(慶長5年9月15日)の新説を特集。戦国軍事史の専門家・乃至政彦氏をスタジオに迎えて、一次史料に基づく新研究をリードする白峰旬(別府大学教授)、高橋陽介(東海古城研究会)の両氏がビデオ出演。要点を以下に。
 
(1)主戦場は関ヶ原ではなかった。戦いは2時間で終わった。
関ヶ原の西、地名「山中」が主戦場。午前10時頃戦闘開始、正午には終了。
根拠①《合戦当時の書状》
慶長五年九月十五日付伊達政宗宛徳川家康書状、慶長五年九月十七日付毛利輝元宛吉川広家書状案などに「山中」の記載がある。
根拠②《古戦場の発掘調査》
昭和50年代に「開戦地」付近を調査。陣地などの遺構は見つからなかった。
根拠③《布陣図(「日本戦史」明治26年参謀本部作成)の信憑性は低い》
 
白峰氏は、「島津家家臣史料(神戸五兵衛覚書)」を中心に合戦を再構成している。当日の早朝、西軍の大谷吉継の兵は関ヶ原の最前線に進出していたが、東軍と小早川秀秋軍に挟撃されて全滅。続いて10時頃から山中地区の西軍と、東軍の戦闘が始まる。東軍の猛攻を受けて、西軍は短時間で総崩れとなった。
 
(2)石田三成陣は笹尾山ではなかった。
根拠①《笹尾山である信憑性は低い》
一次史料に記載がない。笹尾山に陣地の遺構は見つからない。
根拠②《東軍武将・生駒利豊の書状(戦況報告)》
戦いの場は「たうげ」(とうげ)との記載。関ヶ原の西に「藤下」(とうげ)の地名がある。「山中」の東に隣接する地区である。
根拠③《東軍武将・戸田氏鉄の回想録》
石田三成は「自害が岡」に布陣したとの記述がある。これは現在の藤下地区にある自害峰という場所であると推定される(壬申の乱で自害した大友皇子の首が埋められた場所だという)。現地に赴いた高橋氏は、陣地の遺構(削平、切岸、土塁、堀切など)を確認。なお高橋氏は、西軍が大垣城から山中・藤下に陣替えした理由は、松尾山の小早川軍を攻撃するためだと主張している。
Photo_2
(3)徳川家康陣は桃配山ではなかった。
一次史料に記載された、関ヶ原に進出した東軍勢の中に、徳川軍武将の名前は見当たらない。上記吉川広家書状案には、「南宮山に備えたのは井伊直政・本多忠勝・家康馬廻り」、「東軍の先陣が出陣しその場所に家康が入った」との記述がある。この「家康が入った」場所とは美濃赤坂。西軍の籠もる大垣城の北に位置する。白峰氏によれば、家康の狙いは大垣城攻略だった。一方、大垣城の西にある南宮山には、西軍の毛利勢1万5千が布陣。しかし家康本隊3万の大軍が美濃赤坂に入ると、毛利軍の吉川広家は急遽、東軍と不戦の密約を結んだ。実質的に降参したものと見られる。関ヶ原合戦の前日のことだった。
 
・・・白峰氏と高橋氏の考える合戦の姿に違いはあるものの、いずれにしても従来の通説的ストーリーとは全く異なる姿が提示されている。一次史料中心にどこまで合戦の真の姿に迫れるか、さらなる研究の進展を期待したい。
 
関連するブログ内過去記事
 
(後記)自害峰に行ってみました。〔2018.3.25記事〕
 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016年3月26日 (土)

ホッパー「ナイトホークス」

今夜の「美の巨人たち」(テレビ東京)は、アメリカの画家エドワード・ホッパーの最高傑作とも言われる「ナイトホークス」(夜更かしをする人たち)を取り上げていた。

「新説」らしき話として、ゴッホの「夜のカフェ」をテーマとした作品に触発された可能性を紹介していたが、そう聞いても「ふ~ん」程度の反応しか出てこない感じ。

Photoあと、絵の中の「ダイナー」(軽食堂)で時間を潰す人たちの中の、一人でいる男性は、画家自身の後ろ姿の自画像ではないか、という指摘もあった。それはまあそうかな、と思えるけど、それ以上は特にどうこうないって感じで、もうちょっと変わった話、感心する話が聞きたかったな。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2014年9月23日 (火)

寺尾「家康」は語る

NHK大河ドラマ「軍師官兵衛」に徳川家康役で出演中の寺尾聰。ドラマのHPにアップされたインタビューの中で、「家康に対するみなさんのイメージや期待をある意味、裏切りながら、自分のなかにある家康像を表現していきたい」と語る。以下にメモ。

みんな、徳川家康といえば“タヌキ親父”だと言う。若いころにもぼくは家康を演じたことがあって(1973年・大河ドラマ『国盗り物語』)、家康は当時いた武将のなかで唯一、何百年も続く時代の礎をつくった男。信長や秀吉のやり方をじっくり見て、いろいろなものを自分のなかに蓄え、ここぞというときに一気に動き、新しい時代をつくった。そういうことができるのは、タヌキではなくオオカミだと。“タヌキの皮をかぶったオオカミ”だったのではないかと。 

あれから何十年もたちましたが、ぼくの家康に対するイメージは、あのころと変わっていません。信長や秀吉が有言実行の人なら、家康は寡黙でじっくり状況を見据えて、一瞬の隙をついて獲物に飛びかかるような人だと思う。そういう感じで今回の家康像をつくらせてもらっています。 

ぼくは自分のなかで、家康には表に見せる顔と、自分のなかにある裏の顔があると思っていて、それを自分で絶えず意識するために今回は、裏の顔の象徴として右目を少し閉じて、何か企んでいるように見せたいと思いました。

・・・あの右目の瞼が垂れ下がっている感じはわざとだったのか。役作りといえば、もう5年も前、「天地人」で松方弘樹が演じた家康は、頭のてっぺんに小さなコブを作っていたのが目を引いた。この松方・家康も「悪役」としては結構面白い人物像になっていた。家康は基本的に地味な感じがあるので、逆に役者さんには工夫のしがいもあるのかと。まあ個人的には家康といえば津川雅彦。あのギョロ目だけで家康だと思っちゃう。

寺尾聰が若き家康を演じた「国盗り物語」は、自分の中では戦国ドラマのスタンダード。新しいドラマを見る時も、ついつい頭の中で「国盗り物語」と比較してしまう。

大河ドラマで41年ぶりに寺尾・家康が登場した今年、「国盗り物語」に出演した林隆三、米倉斉加年が世を去った。時の流れを感じるばかりだ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2013年1月 3日 (木)

スペイン、「ハポン」さんの町

昨日の午前に、NHKで「サムライたちスペインへ渡る~慶長遣欧使節400年の謎」という番組をやっていたので見た。

慶長遣欧使節とは、今からちょうど400年前に、伊達政宗がスペインに派遣した使節。政宗はスペインとの直接交易を望んでいたとのことだが、実は使節出発の2年前に三陸地方が大津波に襲われて被害が出ていたことから、復興事業の一環として交易の実現を目指したのではないか、というのが番組の中で示されていた仮説。

政宗の仙台藩は自前で全長50メートルの大型船を建造。慶長18年(1613)9月15日、団長の支倉常長、宣教師ソテロ以下、日本人140人が乗り込んだ「サン・ファン・バウティスタ」号は石巻の港を出発。太平洋を横断し、3ヵ月後にメキシコに到着した。そこから半年後に30人程がスペイン艦隊の船に乗り、大西洋を渡る。スペインのセビリアに着いたのは、日本を出発してから1年後のことだった。

1614年12月、使節団一行は首都マドリードに到着。支倉常長は直接、スペイン国王フェリペ3世に交易を願い出る。その後常長はキリスト教に改宗。ローマ教皇パウロ5世にも謁見を果たすなど、交易実現のため懸命に努力したが、結局は国王からの承認を得られないまま、1620年に帰国する。

慶長使節は天正少年使節に続く、日本人のヨーロッパ訪問という一大プロジェクトであり、これがあるから伊達政宗は偉大だったと評価しても良いくらいなんだけど、どうも教科書的に扱いが小さいのは、時代がキリスト教の禁止、さらに鎖国に向かう中で、その後の国際交流の展開に繋がらなかったせいなんだろうか。

番組の中で、へぇ~って感じだったのは、セビリアに近いコリア・デル・リオの町。人口2万4000人のこの町には、スペイン語で「日本」を意味する「ハポン」さんが約650人いる。伝えられるところでは、常長の使節団のうち10人が帰国することなく、この町に残った。それが「ハポン」の名前の由来と考えられるという。遠い昔の遠い国との国際交流の痕跡が今も残っていることに、ちょっと不思議な思いに捉われた。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012年5月28日 (月)

オウム真理教の野望

先週末に見たNHKのオウム真理教特集番組で、教団の暴走について二つのことが指摘されていた。まず、1990年総選挙の敗北以後にオウムは凶暴化したのではなく、80年代から麻原彰晃は武装化を志向していたということ。もう一つは、地下鉄サリン事件を起こしたのは強制捜査阻止のためではなく、強制捜査の前にとにかく麻原の予言した「ハルマゲドン」状態を実現しようとしたということ。

結局のところ、事件の真相とは、麻原の妄想、資本主義と社会主義を倒して宗教の国を作るという妄想を実行に移した、ということになる。オウムの幹部たちは教祖の手足となって、その妄想を実現化する道を突き進んだ。

幹部たちは高学歴の人びとだった。自分の憶測では、彼らは単なる社会の歯車にはなりたくなかったのかも知れない。能力があるだけに、誰にもできないことをやりたかったのかも知れない。自己肥大化、一種のロマン主義の病。何にせよ、現実にサリンを製造し、散布する実行犯となった彼らの罪は、麻原と同等以上に重い。

番組中の再現ドラマで中心人物となった女性幹部がいる(事件の後に、彼女が「ここで一生を終えると思ったのに」と涙ながらに上九一色村を後にする場面で、信者になりきっていた冨樫真という役者さんは凄いなと思った)。彼女は社会に違和感を感じ、自分を変えたいと思ってオウムに入信した。その動機の切実さを疑う気にはならない。また、そういう気持ちを持つこと自体、人間の心の動きとしてはノーマルな範囲内にあるだろう。ところが、それぞれに切実な気持ちを抱えた人たちが、集団になると、アブノーマルな方向に足を踏み入れていくということが起こり得る。

神経症は個人には稀だが、国家、社会、集団にはごく当たり前のことだと、ニーチェは書いた。

人間の集団には、多かれ少なかれ原理主義的な性質がある。その性質は、出家信者という、社会との関わりを断った人々の集まりとなれば、なおさら強まる。他者を見失った集団が、指導者の妄想に支配されるのは当然の成り行きなのかも知れない。

個人の救済を目指した宗教集団で、やがて「救済」の名の下に殺人が正当化される。オウムを脱会しようとする、即ち「救済」を否定しようとする信者が殺されてしまうのは、「革命的でない」という理由により、仲間の命をリンチで奪った連合赤軍の論理と変わるところはない。オウムの妄想に近い「救済」も、最後は無謀な「暴力革命」と同じになってしまった。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012年4月 1日 (日)

「ニッポンのジレンマ」第2回

昨夜のNHK「ニッポンのジレンマ」、第2回は與那覇先生に尽きる。という感じだった。

今回のテーマは「決められないニッポン 民主主義の限界?」。討論するのは70年以降生まれの論客10人。まず各人の紹介&意見を述べる最初の一巡で、與那覇先生は「日本の民主主義の限界は、拒否権を持っている人が多すぎること」だと、いきなり明快すぎるほど明快に指摘しつつ、「日本の国会議員は〈百姓一揆〉の〈子孫〉」と歴史学者らしい例えを繰り出す。そして「国会議員の役割は、政府がまずいことをしようとしたらストップをかけること」であり、「決めさせないこと、間違った決定を下させないことに関しては、日本の民主主義は強い能力を発揮してきた」と説明。

議論の中盤には、日本の民主主義は「ダメ出しは盛り上がる。威張ってる奴の首を取る。それが日本の社会変革の場面で必ず起きるパターン。60年安保闘争も総理大臣を首にするまでは盛り上がった」という分析を披露。日本の地方自治についても、「空洞化している。オール与党体制で政党政治が機能しない、一回当選すれば知事は長期に亘り務めるなど、最も意味のない民主主義をやってきた」と一刀両断。

議論の殆ど最終場面でも、「日本人には民主主義は向いていない」と言い放ち、最初から最後まで、要所要所で鋭い存在感を発揮していた。(日本人は共感の幅を広げることが極めて不得手、というのが民主主義に向いていない理由)

テーマからすると哲学系の論者二人が議論をリードしてもおかしくないが、概ねオーソドックスな意見だったので、與那覇先生の鋭さの前には霞みがちだった。

議論の中で出てきたテーマでは、中間集団の解体がポイントかと個人的には思う。論者の言葉を使えば、今後は中間集団を再強化するよりは、中間集団なしでやっていく社会を目指す方向なんだろう。ネットワークによる「ウィークタイ」の形成とか、「見えない結社」の組織化とか。

「ノマド」って言葉も出てきたけど、これは自分の世代だと、懐かしの80年代ポストモダン、ドゥルーズかって感じ。今頃なぜとか思っちゃうが、まあいいか。

オーディエンスの「きもの」君のコメントが数回取り上げられていたけど、彼って討論に先立って放映された「ゼミ編」に出てた人だよな。

自分なりに思うことは、議論の中に「専門家に対する不信感」という言葉もあったけど、個人的にはそんな感じはなくて、この番組もそうだし、世の中にはいろんな人のいろんな意見が溢れているのに、どうして世の中は良くならないのか、不思議だったりする。専門家の意見を集約して活用すればいいんじゃないの?・・・と素朴に思うのだけど、でもそうなっていない。

今もめてる消費増税も、社会保障と税の一体改革の一環であるとしても、社会保障制度改革に向けた専門家の様々な提言が取り入れられている気配は無いまま、政府は増税に突っ走る。不可解。

日本もイタリアのように、いっぺん政治家抜きで専門家主体の内閣を期間限定で作ってみたらどうですかね。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012年3月17日 (土)

ドラマ「お荷物小荷物」の記憶

昨日16日付日経新聞コラム「春秋」には、冒頭からいささか面食らった。まず引用。

その昔、「お荷物小荷物」という挑発的なテレビドラマがあった。社会風刺とブラックユーモアにあふれ、登場人物のひとりなどは革命思想にかぶれている。なにかというと毛沢東語録を振りかざして「毛主席いわく・・・・・・」とやるのだ。1970年ごろの作品だから中国の文化大革命が全盛のころ。

・・・「お荷物小荷物」といえばコシャマイン様、というのが当時小学校高学年だった自分の断片的な記憶。「才女」中山千夏が持て囃されていた時代というのも、うっすらと覚えがある。

でも、コシャマイン様は「続編」(カムイ編)の登場ということなんだね、調べてみると。その前の「本編」の記憶は、自分には全くない。現在残っている映像は本編の最終回のみとのことで、横浜の放送ライブラリーへ出かけて視聴しました。ここでドラマを見るのは2回目です(前回は3時間ドラマ「海は甦る」)。

しかし最終回(1971.2.13放送)だけ見ると「何コレ?」だな。中山演じるお手伝いさんをモノにしようと男5人兄弟(河原崎長一郎、林隆三、渡辺篤史ら)がドタバタした挙句、最後は突如憲法第9条廃止、徴兵制復活で男どもは兵隊に行って全員戦死するという、ややふざけすぎ?の展開。

戦後25年以上過ぎた、考えようによっては微妙な時期(1970年には三島由紀夫が自決)のドラマだけど、そこからさらに40年以上が過ぎてるということで、時の流れをあらためて感じるばかりです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012年1月 7日 (土)

NHK「ニッポンのジレンマ」

元日夜のNHK教育、じゃなかったEテレ「ニッポンのジレンマ」、1970年以降生まれの若手論客12人が討論する番組が好評だったらしくて、今日7日の深夜に再放送される。何でも月内にNHK総合でも再放送される、らしい。

3時間の番組を、自分は元日の夜11時から録画しながら1時間見て就寝、翌日午前中に残り2時間を見た。全体的な印象は割と良くて、民放でやるオジサンたちががなり合う討論番組に比べると、若い世代の人たちは議論の作法を心得ているなあ、という感じだった。

ただし、やっぱり討論参加者12人というのは多くて、この半分で十分だろうなあ。参加メンバーの中では、自分の感じでいえば飯田、城、萱野、宇野の各氏がいれば良くって、起業家や女性論客は不要。それから古市君もビデオ出演じゃなくて、討論に入って欲しかったと思う。あと他に加えたくなるのは、やっぱり東浩紀(思想家、1971年生)とか、鈴木亘(経済学者、1970年生)だろうか。それと今回は年齢基準に引っかかるけど、「格差」をテーマにするなら湯浅誠(活動家、1969年生)が出ないと物足りないというのはある。

討論の最後には宇野氏から「徒労感」という言葉も出たけど、しかし決して空しい感じはしなくて、大体の問題点の認識と解決の方向としては討論者、そして視聴者の間でも共有されたんじゃないか、という感触はありました。今後も議論が継続されると良いと思います。

| | コメント (0) | トラックバック (0)