2016年3月26日 (土)

ホッパー「ナイトホークス」

今夜の「美の巨人たち」(テレビ東京)は、アメリカの画家エドワード・ホッパーの最高傑作とも言われる「ナイトホークス」(夜更かしをする人たち)を取り上げていた。

「新説」らしき話として、ゴッホの「夜のカフェ」をテーマとした作品に触発された可能性を紹介していたが、そう聞いても「ふ~ん」程度の反応しか出てこない感じ。

Photoあと、絵の中の「ダイナー」(軽食堂)で時間を潰す人たちの中の、一人でいる男性は、画家自身の後ろ姿の自画像ではないか、という指摘もあった。それはまあそうかな、と思えるけど、それ以上は特にどうこうないって感じで、もうちょっと変わった話、感心する話が聞きたかったな。

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2014年9月23日 (火)

寺尾「家康」は語る

NHK大河ドラマ「軍師官兵衛」に徳川家康役で出演中の寺尾聰。ドラマのHPにアップされたインタビューの中で、「家康に対するみなさんのイメージや期待をある意味、裏切りながら、自分のなかにある家康像を表現していきたい」と語る。以下にメモ。

みんな、徳川家康といえば“タヌキ親父”だと言う。若いころにもぼくは家康を演じたことがあって(1973年・大河ドラマ『国盗り物語』)、家康は当時いた武将のなかで唯一、何百年も続く時代の礎をつくった男。信長や秀吉のやり方をじっくり見て、いろいろなものを自分のなかに蓄え、ここぞというときに一気に動き、新しい時代をつくった。そういうことができるのは、タヌキではなくオオカミだと。“タヌキの皮をかぶったオオカミ”だったのではないかと。 

あれから何十年もたちましたが、ぼくの家康に対するイメージは、あのころと変わっていません。信長や秀吉が有言実行の人なら、家康は寡黙でじっくり状況を見据えて、一瞬の隙をついて獲物に飛びかかるような人だと思う。そういう感じで今回の家康像をつくらせてもらっています。 

ぼくは自分のなかで、家康には表に見せる顔と、自分のなかにある裏の顔があると思っていて、それを自分で絶えず意識するために今回は、裏の顔の象徴として右目を少し閉じて、何か企んでいるように見せたいと思いました。

・・・あの右目の瞼が垂れ下がっている感じはわざとだったのか。役作りといえば、もう5年も前、「天地人」で松方弘樹が演じた家康は、頭のてっぺんに小さなコブを作っていたのが目を引いた。この松方・家康も「悪役」としては結構面白い人物像になっていた。家康は基本的に地味な感じがあるので、逆に役者さんには工夫のしがいもあるのかと。まあ個人的には家康といえば津川雅彦。あのギョロ目だけで家康だと思っちゃう。

寺尾聰が若き家康を演じた「国盗り物語」は、自分の中では戦国ドラマのスタンダード。新しいドラマを見る時も、ついつい頭の中で「国盗り物語」と比較してしまう。

大河ドラマで41年ぶりに寺尾・家康が登場した今年、「国盗り物語」に出演した林隆三、米倉斉加年が世を去った。時の流れを感じるばかりだ。

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2013年1月 3日 (木)

スペイン、「ハポン」さんの町

昨日の午前に、NHKで「サムライたちスペインへ渡る~慶長遣欧使節400年の謎」という番組をやっていたので見た。

慶長遣欧使節とは、今からちょうど400年前に、伊達政宗がスペインに派遣した使節。政宗はスペインとの直接交易を望んでいたとのことだが、実は使節出発の2年前に三陸地方が大津波に襲われて被害が出ていたことから、復興事業の一環として交易の実現を目指したのではないか、というのが番組の中で示されていた仮説。

政宗の仙台藩は自前で全長50メートルの大型船を建造。慶長18年(1613)9月15日、団長の支倉常長、宣教師ソテロ以下、日本人140人が乗り込んだ「サン・ファン・バウティスタ」号は石巻の港を出発。太平洋を横断し、3ヵ月後にメキシコに到着した。そこから半年後に30人程がスペイン艦隊の船に乗り、大西洋を渡る。スペインのセビリアに着いたのは、日本を出発してから1年後のことだった。

1614年12月、使節団一行は首都マドリードに到着。支倉常長は直接、スペイン国王フェリペ3世に交易を願い出る。その後常長はキリスト教に改宗。ローマ教皇パウロ5世にも謁見を果たすなど、交易実現のため懸命に努力したが、結局は国王からの承認を得られないまま、1620年に帰国する。

慶長使節は天正少年使節に続く、日本人のヨーロッパ訪問という一大プロジェクトであり、これがあるから伊達政宗は偉大だったと評価しても良いくらいなんだけど、どうも教科書的に扱いが小さいのは、時代がキリスト教の禁止、さらに鎖国に向かう中で、その後の国際交流の展開に繋がらなかったせいなんだろうか。

番組の中で、へぇ~って感じだったのは、セビリアに近いコリア・デル・リオの町。人口2万4000人のこの町には、スペイン語で「日本」を意味する「ハポン」さんが約650人いる。伝えられるところでは、常長の使節団のうち10人が帰国することなく、この町に残った。それが「ハポン」の名前の由来と考えられるという。遠い昔の遠い国との国際交流の痕跡が今も残っていることに、ちょっと不思議な思いに捉われた。

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2012年5月28日 (月)

オウム真理教の野望

先週末に見たNHKのオウム真理教特集番組で、教団の暴走について二つのことが指摘されていた。まず、1990年総選挙の敗北以後にオウムは凶暴化したのではなく、80年代から麻原彰晃は武装化を志向していたということ。もう一つは、地下鉄サリン事件を起こしたのは強制捜査阻止のためではなく、強制捜査の前にとにかく麻原の予言した「ハルマゲドン」状態を実現しようとしたということ。

結局のところ、事件の真相とは、麻原の妄想、資本主義と社会主義を倒して宗教の国を作るという妄想を実行に移した、ということになる。オウムの幹部たちは教祖の手足となって、その妄想を実現化する道を突き進んだ。

幹部たちは高学歴の人びとだった。自分の憶測では、彼らは単なる社会の歯車にはなりたくなかったのかも知れない。能力があるだけに、誰にもできないことをやりたかったのかも知れない。自己肥大化、一種のロマン主義の病。何にせよ、現実にサリンを製造し、散布する実行犯となった彼らの罪は、麻原と同等以上に重い。

番組中の再現ドラマで中心人物となった女性幹部がいる(事件の後に、彼女が「ここで一生を終えると思ったのに」と涙ながらに上九一色村を後にする場面で、信者になりきっていた冨樫真という役者さんは凄いなと思った)。彼女は社会に違和感を感じ、自分を変えたいと思ってオウムに入信した。その動機の切実さを疑う気にはならない。また、そういう気持ちを持つこと自体、人間の心の動きとしてはノーマルな範囲内にあるだろう。ところが、それぞれに切実な気持ちを抱えた人たちが、集団になると、アブノーマルな方向に足を踏み入れていくということが起こり得る。

神経症は個人には稀だが、国家、社会、集団にはごく当たり前のことだと、ニーチェは書いた。

人間の集団には、多かれ少なかれ原理主義的な性質がある。その性質は、出家信者という、社会との関わりを断った人々の集まりとなれば、なおさら強まる。他者を見失った集団が、指導者の妄想に支配されるのは当然の成り行きなのかも知れない。

個人の救済を目指した宗教集団で、やがて「救済」の名の下に殺人が正当化される。オウムを脱会しようとする、即ち「救済」を否定しようとする信者が殺されてしまうのは、「革命的でない」という理由により、仲間の命をリンチで奪った連合赤軍の論理と変わるところはない。オウムの妄想に近い「救済」も、最後は無謀な「暴力革命」と同じになってしまった。

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2012年4月 1日 (日)

「ニッポンのジレンマ」第2回

昨夜のNHK「ニッポンのジレンマ」、第2回は與那覇先生に尽きる。という感じだった。

今回のテーマは「決められないニッポン 民主主義の限界?」。討論するのは70年以降生まれの論客10人。まず各人の紹介&意見を述べる最初の一巡で、與那覇先生は「日本の民主主義の限界は、拒否権を持っている人が多すぎること」だと、いきなり明快すぎるほど明快に指摘しつつ、「日本の国会議員は〈百姓一揆〉の〈子孫〉」と歴史学者らしい例えを繰り出す。そして「国会議員の役割は、政府がまずいことをしようとしたらストップをかけること」であり、「決めさせないこと、間違った決定を下させないことに関しては、日本の民主主義は強い能力を発揮してきた」と説明。

議論の中盤には、日本の民主主義は「ダメ出しは盛り上がる。威張ってる奴の首を取る。それが日本の社会変革の場面で必ず起きるパターン。60年安保闘争も総理大臣を首にするまでは盛り上がった」という分析を披露。日本の地方自治についても、「空洞化している。オール与党体制で政党政治が機能しない、一回当選すれば知事は長期に亘り務めるなど、最も意味のない民主主義をやってきた」と一刀両断。

議論の殆ど最終場面でも、「日本人には民主主義は向いていない」と言い放ち、最初から最後まで、要所要所で鋭い存在感を発揮していた。(日本人は共感の幅を広げることが極めて不得手、というのが民主主義に向いていない理由)

テーマからすると哲学系の論者二人が議論をリードしてもおかしくないが、概ねオーソドックスな意見だったので、與那覇先生の鋭さの前には霞みがちだった。

議論の中で出てきたテーマでは、中間集団の解体がポイントかと個人的には思う。論者の言葉を使えば、今後は中間集団を再強化するよりは、中間集団なしでやっていく社会を目指す方向なんだろう。ネットワークによる「ウィークタイ」の形成とか、「見えない結社」の組織化とか。

「ノマド」って言葉も出てきたけど、これは自分の世代だと、懐かしの80年代ポストモダン、ドゥルーズかって感じ。今頃なぜとか思っちゃうが、まあいいか。

オーディエンスの「きもの」君のコメントが数回取り上げられていたけど、彼って討論に先立って放映された「ゼミ編」に出てた人だよな。

自分なりに思うことは、議論の中に「専門家に対する不信感」という言葉もあったけど、個人的にはそんな感じはなくて、この番組もそうだし、世の中にはいろんな人のいろんな意見が溢れているのに、どうして世の中は良くならないのか、不思議だったりする。専門家の意見を集約して活用すればいいんじゃないの?・・・と素朴に思うのだけど、でもそうなっていない。

今もめてる消費増税も、社会保障と税の一体改革の一環であるとしても、社会保障制度改革に向けた専門家の様々な提言が取り入れられている気配は無いまま、政府は増税に突っ走る。不可解。

日本もイタリアのように、いっぺん政治家抜きで専門家主体の内閣を期間限定で作ってみたらどうですかね。

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2012年3月17日 (土)

ドラマ「お荷物小荷物」の記憶

昨日16日付日経新聞コラム「春秋」には、冒頭からいささか面食らった。まず引用。

その昔、「お荷物小荷物」という挑発的なテレビドラマがあった。社会風刺とブラックユーモアにあふれ、登場人物のひとりなどは革命思想にかぶれている。なにかというと毛沢東語録を振りかざして「毛主席いわく・・・・・・」とやるのだ。1970年ごろの作品だから中国の文化大革命が全盛のころ。

・・・「お荷物小荷物」といえばコシャマイン様、というのが当時小学校高学年だった自分の断片的な記憶。「才女」中山千夏が持て囃されていた時代というのも、うっすらと覚えがある。

でも、コシャマイン様は「続編」(カムイ編)の登場ということなんだね、調べてみると。その前の「本編」の記憶は、自分には全くない。現在残っている映像は本編の最終回のみとのことで、横浜の放送ライブラリーへ出かけて視聴しました。ここでドラマを見るのは2回目です(前回は3時間ドラマ「海は甦る」)。

しかし最終回(1971.2.13放送)だけ見ると「何コレ?」だな。中山演じるお手伝いさんをモノにしようと男5人兄弟(河原崎長一郎、林隆三、渡辺篤史ら)がドタバタした挙句、最後は突如憲法第9条廃止、徴兵制復活で男どもは兵隊に行って全員戦死するという、ややふざけすぎ?の展開。

戦後25年以上過ぎた、考えようによっては微妙な時期(1970年には三島由紀夫が自決)のドラマだけど、そこからさらに40年以上が過ぎてるということで、時の流れをあらためて感じるばかりです。

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2012年1月 7日 (土)

NHK「ニッポンのジレンマ」

元日夜のNHK教育、じゃなかったEテレ「ニッポンのジレンマ」、1970年以降生まれの若手論客12人が討論する番組が好評だったらしくて、今日7日の深夜に再放送される。何でも月内にNHK総合でも再放送される、らしい。

3時間の番組を、自分は元日の夜11時から録画しながら1時間見て就寝、翌日午前中に残り2時間を見た。全体的な印象は割と良くて、民放でやるオジサンたちががなり合う討論番組に比べると、若い世代の人たちは議論の作法を心得ているなあ、という感じだった。

ただし、やっぱり討論参加者12人というのは多くて、この半分で十分だろうなあ。参加メンバーの中では、自分の感じでいえば飯田、城、萱野、宇野の各氏がいれば良くって、起業家や女性論客は不要。それから古市君もビデオ出演じゃなくて、討論に入って欲しかったと思う。あと他に加えたくなるのは、やっぱり東浩紀(思想家、1971年生)とか、鈴木亘(経済学者、1970年生)だろうか。それと今回は年齢基準に引っかかるけど、「格差」をテーマにするなら湯浅誠(活動家、1969年生)が出ないと物足りないというのはある。

討論の最後には宇野氏から「徒労感」という言葉も出たけど、しかし決して空しい感じはしなくて、大体の問題点の認識と解決の方向としては討論者、そして視聴者の間でも共有されたんじゃないか、という感触はありました。今後も議論が継続されると良いと思います。

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2011年10月 5日 (水)

関ヶ原の華は大谷と福島

今夜のNHK「歴史秘話ヒストリア」は、関ヶ原の戦いにおける3人の武将の決断と運命を取り上げていた。大谷吉継、福島正則、吉川広家である。

個人的には関ヶ原といえば、大谷吉継と福島正則が一番のポイント。もう30年も前、TBS正月ドラマ「関ヶ原」で、大谷を高橋幸治、福島を丹波哲郎が素晴らしく印象的に演じているのを見て以来、その思いはずーっと変わらない。ついでにいうと、このドラマでは石田三成が加藤剛、徳川家康は森繁久弥という配役だけど、あんまりピンとこない。この両者の組み合わせとしては、NHK大河ドラマ「葵徳川三代」の津川雅彦・家康、江守徹・三成の方が良いぞ。

ということで、吉川広家はいらないんだけど、大谷と福島ということで少し期待して番組を見たら、大谷は豊臣への恩義を忘れず、福島は出世目指して徳川に付いた、みたいな作りだったから、う~ん・・・。自分はどうしても、吉継は三成との友情第一で西軍、正則は三成憎しの思いで東軍、という両者の三成絡みの心情と行動、その対照的な在り方に、歴史の中の人間ドラマを見る思いなので、ちょっとズレてる感じがした。それから、あれっと思ったのは、茶席での吉継の失態をフォローしたのは豊臣秀吉という話になっていたこと。これはもっぱら三成と吉継の話だと聞いていたのにな。どっちがホントなんや。

いらない吉川さんだけど、なぜか「空弁当」の話が無かったな。出陣しない言い訳が、いま弁当食べてます、ってやつ。ドラマでは、なべおさみがやってた記憶がある。何のドラマか改めて確認したら、これも「葵」だった。結構笑える雰囲気出してたと思う。

番組の最後にも語られていたけど、日本人は敗者である西軍に思い入れする傾向があるようだ。まあ分からないでもないけど、しかし当時既に、次の天下人は家康というのが現実的な流れだったわけだから、はっきり言って西軍はアホだと思う。しかし、そんなワタシも大谷吉継は別。やっぱり男の行動として、心打たれるものがある。関ヶ原の墓にも、米原の首塚にも行ったことあるし。思い返すと、福島正則ゆかりの広島城小布施も行ったんだよな。結構俺って熱心だなあと思ったりする。

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2011年6月27日 (月)

素晴らしきウルトラQの世界

雑誌「FJ」(フィナンシャルジャパン)8月号の特集は「ウルトラQ」。先ごろカラー化プロジェクトが完了。「総天然色ウルトラQ」として、8月にブルーレイ及びDVD商品の第1弾が発売の運びとなっている。

ウルトラQ、これはもう特撮の、というか日本のテレビ映画の金字塔といえる作品。自分もウルトラQは手元に置きたくてDVD持ってる。ウルトラマンも良いけど、そこまでの気持ちにはならない。素晴らしき哉、ウルトラQの世界。

怪獣はもう、ペギラやガラモンがフツーに好き。成田亨、高山良策バンザーイ!
ラゴンは白黒だと怖い。こんなの夜に出てきたら、やだあ~って叫んじゃうよ。カネゴンも意外と怖く感じたのは、変身するっていうのが、子供心に不安な気持ちを呼び起こしたんだと思う。ラストでお父さんお母さんもカネゴンになっちゃう、それも何だか怖かった。

好きな話はバルンガ、トドラ、ゴーガ。バルンガはラストがいい。明日の朝、空を見上げるとそこにあるのは太陽ではなくバルンガかも知れない、ってもう、ぞくぞくした。トドラの話は時代を感じさせる。飛行機や船が異次元空間に迷い込んで遭難する、バミューダ・トライアングルに代表されるミステリー・ゾーンが少年雑誌を賑わせていた時代だ。ゴーガ、これもウルトラ・シリーズで度々出てくる古代文明もので、ロマンと恐怖を感じさせる話。

FJ誌(しかしこの雑誌、ビジネス誌からカルチャー誌に、コンセプトがガラリと変わったな)の特集の中で、社会学者の宮台真司(自分と同い年だ)が、「あえて言うと、津波や原発の映像見ていると、すごく『ウルトラQ』や初期円谷作品の記憶がフラッシュバックするんですよ」と述べている。実は、自分もねえ、町が津波に飲み込まれる映像を見た時に、ウルトラQの緊迫した場面に流れる音楽が頭の中に鳴り響いていた。こりゃあ申し訳ないって気持ちもあるけど、こうなっちゃうのはもう、良い悪いじゃないな、自分にとっては。円谷の圧倒的なチカラだよ。自然界のバランスが崩れた!

「総天然色ウルトラQ」について、アマゾンのレビューを見ると、カラー化そのものの是非もあるけど、カラー版とモノクロ版のセット販売の評判が悪い。それは無理もない。モノクロ版を持ってる自分も、カラーだけなら買うだろうけど、セット売りは敬遠というか、買わない理由を探してしまう。カラーと言っても所詮着色、「第二次世界大戦カラー版」程度かなとか、怪獣がカラーなのはいいけど、怪獣の出ない話のカラーってどうなんだろう(「悪魔ッ子」はかえってよくないかも)とか、思い始めるよ。

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2011年5月23日 (月)

クジラのことで考える

反捕鯨団体との軋轢と緊張が続く和歌山県の太地町。その様子を記録した昨夜のNHK番組「クジラと生きる」を見た。とにかく反捕鯨団体の狂信的で悪意に満ちた振る舞いは、不快かつ不可解だという印象を受けた。

白人はイルカを食べてもOKで日本人はNGの本当の理由』(吉岡逸夫・著、講談社+α新書)もざっと読んでみた。第四章の大隅清治博士の科学的な意見がためになるし、第五章のデンマーク領フェロー諸島のクジラ漁に関する取材も興味深い。

吉岡氏は、反捕鯨団体の言動に日本人差別の気配を感じている。そして何より、自己主張の文化に対抗するには、こちらも自分の正当性を主張していかなければならないし、それは「太地町」と「尖閣諸島」の問題のこじれ方に共通した原因だ、と考えているようだ。

反捕鯨団体の「頭の良いクジラやイルカを屠殺するな」という主張に対しては、誰でも「じゃあ牛や豚はいいのか」と言いたくなるし、クジラやイルカを特別視する根拠も薄弱である。太地町の人々にとって、自分たちの生業が突如悪であると決めつける形でクローズアップされたのは、実に不本意なことだろう。

とはいえ、正直イルカ漁を文化や伝統という言い方で擁護する気にもなれない。映画「ザ・コーブ」は未見だけど、この映画が話題になったことで初めてイルカ漁のことを知って驚いた。野蛮だと素朴に思った。しかし時間が経ってみると、見せるべきでないものを見世物にしたこの映画のやり方には、嫌な感じもする。

感情的には、自分はイルカは食べないので殺すなよ、って感じ。クジラは食べたことあるから(例によって給食で)、殺すのを認めるしかないけど。しかしイルカとクジラは基本的におんなじ生き物なので、クジラは殺してイルカは殺すな、って思うのも変なんだけど。

だからといって狂信的な反捕鯨団体の主張は受け入れ難いし、漁民への妨害行為も許されるものではない。飛んでくる火の粉は、振り払わなければならない。事態は、もはや太地町が矢面に立つ形で対応する、というか、ひたすら耐える問題ではない、という感じがする。つまり捕鯨国との連携も強化しながら、政府レベルで踏み込んで介入していくべきじゃないかと。

太地町と尖閣諸島、確かに共通している印象はあって、それは自己主張の問題というか、何か右翼っぽくなっちゃうんだけど、国家の意思を明確に示せ、という話なんだろう。もちろん論理的には、国家の意思の行き着くところは戦争をする意思になる、ということはあるから、戦争に負けた日本は戦争する意思を封印して「反戦平和」ムードで長らくやってきたけど、どうもそれを長くやりすぎて、国家の意思のリーズナブルな示し方が上手くできなくなっちゃってるよな・・・とか、クジラのことで、とりとめなく考えました。

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