2020年12月20日 (日)

関ヶ原の西軍、幻の決戦計画

昨日19日夜のNHKBSプレミアム「決戦!関ヶ原」は、最近見直しの動きが盛んな関ヶ原合戦について、いろいろ考えるネタを提供してくれる番組だった。副題に「空からのスクープ 幻の巨大山城」とあるように、航空レーザー測量という方法を使い、樹木を取り払った姿で地形そのものを写し取る「赤色立体地図」により、関ヶ原周辺にある山城の全体像を把握。その結果、西軍の幻の決戦計画が見えてきた、というのが番組内容の骨子。専門家は小和田哲男先生、千田嘉博先生、外岡慎一郎先生がスタジオ出演。

「幻の巨大山城」の名は玉城といい、関ヶ原の西に位置している。今回その全貌がCG再現されると共に、西軍総大将である毛利輝元、さらには天下人である豊臣秀頼を迎え入れるための城だったのではないか、という見方が千田先生から示されていた。

(この玉城は、自分が最近目にした出版物では『歴史REAL 関ヶ原』(洋泉社MOOK、2017年)の中で、「玉の城山」という名称で紹介されている。同誌には城の縄張り図も掲載されており、大津城攻めや丹後田辺城攻めの軍勢の合流など、西軍大集結を想定した陣城とされている)

番組では、決戦当日の西軍の布陣についても、西から順に、玉城に石田三成が入り、松尾山の麓で大谷吉継が小早川秀秋の裏切りに備え、さらに南宮山の毛利勢が関ヶ原入り口で東軍を牽制する配置を提示。しかし毛利が敵の大軍との衝突を回避したため、東軍はやすやすと中山道を西に進み、決戦当日の朝、まず最前線にいた大谷を攻め、間もなく小早川も裏切り、その後西軍は壊滅したという。

・・・のだが、もし玉城に西軍主力(石田、小西、宇喜多、島津)が入っていたとしたら、戦いが半日で終わることはなかっただろう。三成は三河尾張国境、岐阜、大垣と、いくつかの防衛ラインを想定して戦略を立てていたという。だから決戦前日に大垣城から関ヶ原方面へ移動したのも、あらかじめ防衛拠点として築いていた玉城を目指していたと考えてもおかしくはない。でも戦いが短時間で終わったことから見ると、結局のところ玉城に達する手前の山中地区で、東軍の急襲を受けて西軍は崩壊したというのが、番組を見終わった後の自分のとりあえずのイメージ。つまり玉城は築かれたものの使われなかった城、だから文献にも出てこない「幻の城」になってしまった。という「残念な城」、かな。

番組では、白峰旬先生もビデオ出演して、史料から西軍は山中地区にある玉城に上ったと解釈できるとコメントしていた。でもそうなると、白峰先生が自説の根拠としている島津家の覚書(合戦の回想録)と話が違ってくるんじゃないかなあと思ったりして、番組内容に意図的に寄せたコメントではないかと感じる。
また、小和田先生は笹尾山は石田陣と見てよいとコメント。立体地図に陣跡が見当たらないのは、急いで布陣したからだと述べていた。まあ小和田先生も新しくできた関ケ原古戦場記念館の館長だしなあ。従来ストーリーを簡単には否定できない立場からの、ポジショントークのようにも聞こえてしまう。(苦笑)

|

2020年5月11日 (月)

『国盗り物語』読書

普段、小説は読まないのだが、外出自粛のゴールデンウィークという今年の特殊事情から、この機会に長いものを読んでみるかと思い立って、選んだのは司馬遼太郎の『国盗り物語』。

この小説を原作とした1973年NHK大河ドラマ『国盗り物語』は、自分にとっては戦国ドラマの最高作。って、これ47年も前の作品なんだな。驚くなあ。とにかく自分にとっては、この作品は、その後の戦国ドラマを評価する際の規準になっている。が、結局今のところ、この作品及び同じ司馬遼太郎原作の1981年TBS大型ドラマ『関ヶ原』を超える戦国ドラマはない。と思っている。

今回、原作小説を読んでおくかという気になった理由は、もちろん今年の大河ドラマ『麒麟がくる』の内容と話がダブるということもある。しかし明智光秀が主人公だなんて、昔だったら考えられないな。でも『国盗り』も、明智光秀は準主役の扱いだったけどね。『麒麟』は今のところ、主人公は誰?みたいな感じだし、やっぱり光秀は『国盗り』くらいのポジションが良いのかな、と思ったりする。

小説『国盗り物語』では、明智光秀は室町幕府再興のために奔走する「志士」的人物として、また自らの能力は織田信長に劣らないと自負する、それゆえに信長に対する批評的視線も持つ人物として描かれている。そして本能寺の変に至る間接的要因として、信長の何事にも容赦のない性格、特に家臣を道具として使い切るという苛酷な態度が示され、さらに信長からの国替えの命令を直接的な要因として、光秀は謀反を決意することになる。

当初は斎藤道三の一代記を想定していた司馬だったが、道三の「弟子」である信長と光秀が本能寺で激突するところまで書けば、小説の主題が完結すると考えて、信長の話も書き継いだという。なるほど。とは思うのだが、個人的には道三というのは評価の難しい人物だなという感じ。最近では、美濃の国盗りも道三とその父、親子二代の仕事と見られているので、「油屋から一代で国主」という物語も、当時の研究レベルを前提に書かれたものと承知しておきたい。

昨日放送の『麒麟』では、斎藤道三が戦死した。本木雅弘の道三は割と評判が良いみたいだが、道三はやっぱり『国盗り』の平幹二朗だな。しかしヒラミキも故人かあ。『国盗り』の出演者で故人は宍戸錠(柴田勝家)、米倉斉加年(竹中半兵衛)、林隆三(雑賀孫市)、東野英心(山内一豊)などなど。林の孫市はカッコ良かった。原作の小説『国盗り』には出てこない人物で、同じ司馬作品『尻啖え孫市』の主人公。大河『国盗り』は、司馬の他の戦国時代作品もストーリーに取り入れて、ドラマを厚みのあるものにしていた。

小説『国盗り』の「あとがき」で司馬は、本能寺の変で光秀と袂を分かった細川幽斎について語り足している。「幽斎は、その一代で、足利、織田、豊臣、徳川の四時代に生き」た、「もはや至芸といっていい生き方の名人」であろう、と。そうか。大河ドラマも明智光秀じゃなくって、細川幽斎を主人公にして作る方が良かったんじゃないか。と思ってしまいました。

|

2020年1月 3日 (金)

大和、武蔵、信濃

大晦日12月31日の午後、NHKBSでは、いずれも再放送で「巨大戦艦・大和」(2012年8月)、「戦艦武蔵の最期」(2017年1月)、「幻の巨大空母信濃」(2019年8月)の3本、合計7時間を一挙放送。しかし何で大晦日に、大和、武蔵、信濃なんだろ・・・と思いつつ、雑感を少々。

存命の元乗組員の年齢は80代後半から90歳台の超高齢者。でも元気な人はすごい元気。大和は沈没時乗組員3,300名超のうち生存者は1割以下の276名。武蔵は同じく2,400名のうち戦死が1,000名以上。生存者のうち640名はその後、地上戦に投入された。だから、存命の方の証言はとにかく貴重。(しかし大和と武蔵は同型艦なのに、沈没時の乗組員数にかなり差があるのはなんでだろう)

大和も武蔵も戦闘時、手足の千切れた死体が山となり甲板は血の海と化していた、という証言には身が震える思いがする。そんな話を聞いてしまったら、もう大和や武蔵のプラモデルは作れないな。

フィリピンのシブヤン海に沈む武蔵発見時(2015年3月)の映像記録の分析により、このドキュメンタリーが作られたわけだけど、あの武蔵を発見するプロジェクトって、金持ちの道楽にしてもケタはずれというか、よくやるな~と思う。何でやったのか、ちょっと不思議。

大和型戦艦3番艦から計画変更されて、空母として誕生した信濃。完成直後に、母港横須賀から呉に移動する処女航海の途中、米潜水艦の魚雷攻撃を受けてあえなく沈没してしまった「幻の巨大空母」だ。番組内では、横須賀で信濃について人に尋ねても、「知らない」という答えが返ってきていたが、確かにプラモデルを作る人くらいしか知らない船だろうと思う。(苦笑)

番組を見ると、とにかく信濃は突貫工事で「完成」させて、船体構造に不安を抱えたまま出港したことが語られていた。とはいえ、無事だったとしても、信濃が活躍する機会があったとは思えない。信濃が沈没したのは1944年11月。そのひと月前に武蔵が撃沈されたレイテ海戦では、神風特攻隊が初出撃していた。既に日本には、まともな航空兵力は残っていなかった。ハード(空母)を一生懸命作っても、ソフト(航空兵)が揃えられない状況だった。

沖縄を目指した大和が沈んだのは1945年4月。この時点で日本は降伏すれば良かったのに。と言ってもしょうがないけど。

|

2019年11月26日 (火)

大河ドラマ踏んだり蹴ったり

来年のNHK大河ドラマ「麒麟がくる」の、帰蝶(濃姫)役の交代に絡んで、今回とは起因となる事情は異なるが、過去の交代事例もネットニュースで紹介されている。特に1974年「勝海舟」は主役の交代だったので、自分もちょっとびっくりした記憶がある。当初主役の渡哲也が病気のため、放映途中から松方弘樹に変わったのだ。自分は「勝海舟」はあんまり見てなかったけど、江戸っ子勝海舟役は、何となく松方の方が「べらんめえ」感があって良かったような気がする。やはり病気による途中交代では、1991年「太平記」の新田義貞の配役が萩原健一から根津甚八に変わったのも、かなりのイメチェンだった。主役ではないけれど、重要人物ではあったし、これも自分には結構強い印象を残した。

今回は放映前の交代だし、「代役」の女優さんは最初からのキャスティングのつもりで、がんばってほしいと思う。

「麒麟がくる」は撮り直しが必要になったため、年初からの通常通りの放映開始は断念されたようだが、見る方は誰も困らない(と思う)し、遅れること自体は別に構わないような気がする。だいたい、今どき一年間のドラマなんて長すぎるだろうと。現在放映中の「いだてん」は低視聴率に喘いでいるが、中身は一生懸命作られているし(阿部サダヲのハイテンションの演技も結構好き)、たぶん半年間の長さにしてテンポよく進めたら、ドラマの魅力がより増したのではないのかな。要するに長すぎるんだと思う。来年も、明智光秀という前半生は殆ど分からない人物を主人公にして、ドラマを一年間持たせるのは結構大変な感じがする。過去、坂本龍馬が主人公の時も、短い生涯なので同じようなことを思ったわけだが、とにかくこれを機会に、大河ドラマは一年間やることに拘る必要があるのか、そんなことも考えていいような気がする。

|

2019年10月 5日 (土)

「関ヶ原」3つの「もしも」

先日、NHKBS番組「関ヶ原3つの"IF"」を見た。「ザ・プロファイラー」2時間スペシャルということで、MCは岡田准一。ゲストは鈴木ちなみ、歴史家の小和田泰経。加えて関ヶ原等現地の研究者など。

徳川家康率いる東軍と、石田三成率いる西軍が激突した関ヶ原合戦。その天下分け目の戦いにおける3つのIF(もしも)とは、①石田三成が大垣城で戦っていたら、②小早川秀秋が裏切らなかったら、③黒田官兵衛が戦い続けていたら。結論的には①②は西軍の大勝利、③官兵衛は九州から上方に攻め上り大坂城入城を果たす・・・ということで、まあそういうもんかなという感想。

個人的に目を引いたのは、南宮山の毛利陣地が現地紹介されていたこと。何しろ自分も最近ひと月程前に行ったばかりだから、おお、岡田君とちなみちゃんも上ってるよ、と感心した。結構きつい上りだし、特にカメラを担いで上る人は大変だろう。山上の毛利陣地では、若い二人は疲れも見せずコメントしていた。現地では中井均先生も登場して、毛利陣地について後詰戦法(西軍石田本隊の立て籠もる大垣城を攻める東軍の背後を突く)を想定した山城であると説明していた。

出演者は笹尾山の石田三成陣地、松尾山の小早川陣地も訪れていたが、ちなみちゃんは平地と山歩きで靴を代えていた。用意がよろしい。

黒田官兵衛、石田三成を演じた岡田君は60歳頃に徳川家康を演じて「関ヶ原コンプリート」を目指したい、と語っていた。三成と家康と両方演じた役者はたぶんいないだろうから、見てみたいね。

|

2018年1月14日 (日)

価格と価値の謎

資本主義社会の中で、日々当たり前のように行われる商品と貨幣の交換。しかし交換が成立する根拠はというと、実はそれほど自明なものではない。NHK-BS1「欲望の資本主義2018」(1月3日放送)、チェコの経済学者トマス・セドラチェクの語る場面では、マルクスの「商品が貨幣になる命がけの跳躍」という言葉が引用されていた。以下にセドラチェクの発言をメモ。

◇価格は分かりやすいが、価値というのは謎だ・・・。そもそも「取り引き」というのは不思議だよね。ペンをあなたに売るとする。当然金額の同意が必要だよね。私が10で売りたいのに、あなたが9しか出さないなら成立しない。価格には正確な同意が必要だ。だがこの時、お互いが商品に見いだす価値には差がないといけない。売り手は、ペンの価値が価格より低くないと売らないよね。一方、買い手にとっては、ペンの価値が価格より高いから買うわけだよね。

◇お金によって、価格を比べることができるようになる。それは、順序付けることができるということだ。でも価値は・・・例えばトマトよりリンゴが「どれぐらい」好きかを測ることはできない。リンゴの方がトマトより2倍好き?4倍好き?100倍好き?
価値は主観的、価格は客観的だ。人間は「価値と価格の関係」を理解しようと、ずっともがいてきた。このダイナミクスについて、明快に答えるのは・・・困難だ。

◇シュンペーターは言い当てていた。「資本主義は批判を受け入れられる唯一のシステムだ」とね。この世界はどうにか機能している。でもそれがなぜ機能しているのか、実はよく分からない。資本主義はある程度までは機能するが、完璧ではないということに、いつも注意を払うべきだ。

・・・マルクスは交換に神秘を発見した。現代資本主義社会では、消費と貨幣の交換という「命がけの跳躍」はもちろん、貨幣と貨幣(通貨同士、貨幣と金融商品など)の交換という「命がけの跳躍」も、いつでもどこでも大量に当たり前のように行われている。その中で、我々は儲かった損したと一喜一憂しているわけで、考えてみると不思議だな。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年1月13日 (土)

グローバル化の「反動現象」

NHK-BS1「欲望の資本主義2018」(1月3日放送)、チェコの経済学者トマス・セドラチェクとドイツの哲学者マルクス・ガブリエルの対話の場面から以下にメモ。

ガブリエル:皆がポピュリズムと言うが、それは無意味で的外れな診断だ。これはグローバリゼーションに対する抵抗の一種じゃないかな。グローバリゼーションは基本的に経済プロセスだから、起きていることを経済的に説明しなくてはならない。政治的にではなくね。ドイツの人口の12.6%が排外主義に目覚めて投票を決めたわけではない。そうではなく、むしろ地球のあちこちで不公平を目にするようになったためと考えた方が良い。

セドラチェク:この状況を表すうまい言葉が見つからないが、もう人々が「いい人」でいられなくなったのかもしれない。「なぜ私が助けなきゃいけない?」とね。「私のことは助けてくれてないのに」ってね。何というか・・・キリスト教文化の反応は、イスラム教の国々の反応よりも極端に経済的なものだった。イスラム教の国々は実際はるかに多くの数の難民を受け入れている。

ガブリエル:悪というものを今一度考えてみる必要がありそうだね。どんな組織もどんなシステムも時間を経て自身を維持するためには、他のシステムを排除しなければならない。外部がないシステムは、内部に「異質なもの」を作り出さなければならない。これが悪のダイナミクスだ。確かにグローバリゼーションは、新たな悪を生み出したのかもしれないね。資本主義は国家というよりも経済的な帝国だが、帝国は内部から悪を作り出すのだ。これが「ナショナリズム」などが復活している背景なのだろう。

・・・グローバル化の中で強まる「ポピュリズム」「右傾化」「ナショナリズム」とは結局、グローバル化の「反動現象」以上の意味は持たないように見える。グローバル経済のもたらす競争や格差の中で、一部の大金持ちを除く大部分の人々から余裕が失われて、誰もが「いい人」でいることは難しくなり、「自国ファースト」「自分ファースト」になっているということか。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2014年9月23日 (火)

寺尾「家康」は語る

NHK大河ドラマ「軍師官兵衛」に徳川家康役で出演中の寺尾聰。ドラマのHPにアップされたインタビューの中で、「家康に対するみなさんのイメージや期待をある意味、裏切りながら、自分のなかにある家康像を表現していきたい」と語る。以下にメモ。

みんな、徳川家康といえば“タヌキ親父”だと言う。若いころにもぼくは家康を演じたことがあって(1973年・大河ドラマ『国盗り物語』)、家康は当時いた武将のなかで唯一、何百年も続く時代の礎をつくった男。信長や秀吉のやり方をじっくり見て、いろいろなものを自分のなかに蓄え、ここぞというときに一気に動き、新しい時代をつくった。そういうことができるのは、タヌキではなくオオカミだと。“タヌキの皮をかぶったオオカミ”だったのではないかと。

あれから何十年もたちましたが、ぼくの家康に対するイメージは、あのころと変わっていません。信長や秀吉が有言実行の人なら、家康は寡黙でじっくり状況を見据えて、一瞬の隙をついて獲物に飛びかかるような人だと思う。そういう感じで今回の家康像をつくらせてもらっています。

ぼくは自分のなかで、家康には表に見せる顔と、自分のなかにある裏の顔があると思っていて、それを自分で絶えず意識するために今回は、裏の顔の象徴として右目を少し閉じて、何か企んでいるように見せたいと思いました。

・・・あの右目の瞼が垂れ下がっている感じはわざとだったのか。役作りといえば、もう5年も前、「天地人」で松方弘樹が演じた家康は、頭のてっぺんに小さなコブを作っていたのが目を引いた。この松方・家康も「敵役」としては結構面白い人物像になっていた。家康は基本的に地味な感じがあるので、逆に役者さんには工夫のしがいもあるのかと。まあ個人的には家康といえば津川雅彦。あのギョロ目だけで家康だと思っちゃう。

寺尾聰が若き家康を演じた「国盗り物語」は、自分の中では戦国ドラマのスタンダード。新しいドラマを見る時も、ついつい頭の中で「国盗り物語」と比較してしまう。

大河ドラマで41年ぶりに寺尾・家康が登場した今年、「国盗り物語」に出演した林隆三、米倉斉加年が世を去った。時の流れを感じるばかりだ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2013年1月 3日 (木)

スペイン、「ハポン」さんの町

昨日の午前に、NHKで「サムライたちスペインへ渡る~慶長遣欧使節400年の謎」という番組をやっていたので見た。

慶長遣欧使節とは、今からちょうど400年前に、伊達政宗がスペインに派遣した使節。政宗はスペインとの直接交易を望んでいたとのことだが、実は使節出発の2年前に三陸地方が大津波に襲われて被害が出ていたことから、復興事業の一環として交易の実現を目指したのではないか、というのが番組の中で示されていた仮説。

政宗の仙台藩は自前で全長50メートルの大型船を建造。慶長18年(1613)9月15日、団長の支倉常長、宣教師ソテロ以下、日本人140人が乗り込んだ「サン・ファン・バウティスタ」号は石巻の港を出発。太平洋を横断し、3ヵ月後にメキシコに到着した。そこから半年後に30人程がスペイン艦隊の船に乗り、大西洋を渡る。スペインのセビリアに着いたのは、日本を出発してから1年後のことだった。

1614年12月、使節団一行は首都マドリードに到着。支倉常長は直接、スペイン国王フェリペ3世に交易を願い出る。その後常長はキリスト教に改宗。ローマ教皇パウロ5世にも謁見を果たすなど、交易実現のため懸命に努力したが、結局は国王からの承認を得られないまま、1620年に帰国する。

慶長使節は天正少年使節に続く、日本人のヨーロッパ訪問という一大プロジェクトであり、これがあるから伊達政宗は偉大だったと評価しても良いくらいなんだけど、どうも教科書的に扱いが小さいのは、時代がキリスト教の禁止、さらに鎖国に向かう中で、その後の国際交流の展開に繋がらなかったせいなんだろうか。

番組の中で、へぇ~って感じだったのは、セビリアに近いコリア・デル・リオの町。人口2万4000人のこの町には、スペイン語で「日本」を意味する「ハポン」さんが約650人いる。伝えられるところでは、常長の使節団のうち10人が帰国することなく、この町に残った。それが「ハポン」の名前の由来と考えられるという。遠い昔の遠い国との国際交流の痕跡が今も残っていることに、ちょっと不思議な思いに捉われた。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012年5月28日 (月)

オウム真理教の野望

先週末に見たNHKのオウム真理教特集番組で、教団の暴走について二つのことが指摘されていた。まず、1990年総選挙の敗北以後にオウムは凶暴化したのではなく、80年代から麻原彰晃は武装化を志向していたということ。もう一つは、地下鉄サリン事件を起こしたのは強制捜査阻止のためではなく、強制捜査の前にとにかく麻原の予言した「ハルマゲドン」状態を実現しようとしたということ。

結局のところ、事件の真相とは、麻原の妄想、資本主義と社会主義を倒して宗教の国を作るという妄想を実行に移した、ということになる。オウムの幹部たちは教祖の手足となって、その妄想を実現化する道を突き進んだ。

幹部たちは高学歴の人びとだった。自分の憶測では、彼らは単なる社会の歯車にはなりたくなかったのかも知れない。能力があるだけに、誰にもできないことをやりたかったのかも知れない。自己肥大化、一種のロマン主義の病。何にせよ、現実にサリンを製造し、散布する実行犯となった彼らの罪は、麻原と同等以上に重い。

番組中の再現ドラマで中心人物となった女性幹部がいる(事件の後に、彼女が「ここで一生を終えると思ったのに」と涙ながらに上九一色村を後にする場面で、信者になりきっていた冨樫真という役者さんは凄いなと思った)。彼女は社会に違和感を感じ、自分を変えたいと思ってオウムに入信した。その動機の切実さを疑う気にはならない。また、そういう気持ちを持つこと自体、人間の心の動きとしてはノーマルな範囲内にあるだろう。ところが、それぞれに切実な気持ちを抱えた人たちが、集団になると、アブノーマルな方向に足を踏み入れていくということが起こり得る。

神経症は個人には稀だが、国家、社会、集団にはごく当たり前のことだと、ニーチェは書いた。

人間の集団には、多かれ少なかれ原理主義的な性質がある。その性質は、出家信者という、社会との関わりを断った人々の集まりとなれば、なおさら強まる。他者を見失った集団が、指導者の妄想に支配されるのは当然の成り行きなのかも知れない。

個人の救済を目指した宗教集団で、やがて「救済」の名の下に殺人が正当化される。オウムを脱会しようとする、即ち「救済」を否定しようとする信者が殺されてしまうのは、「革命的でない」という理由により、仲間の命をリンチで奪った連合赤軍の論理と変わるところはない。オウムの妄想に近い「救済」も、最後は無謀な「暴力革命」と変わらないものになってしまった。

| | コメント (0) | トラックバック (0)