戦争を語るということ
昨日の夜、NHK「日米開戦を語る」を見た。この夏場に放送した「海軍反省会」を改めて題材にして、半藤一利、澤地久枝、戸髙一成の3氏の話を聞くという内容。
昭和55年から11年間、130回以上行われた「海軍反省会」について、「生き残りエリートの会議」と評した澤地さんが、番組の終わり近くで、「せっかく反省会をやったなら、もう少し人間的痛みがあって欲しい。死んだ人たちも辛いだろうけど、残された人たちの悲しみが、この人たちには伝わっていない」と苛立ちを滲ませながら発言したのが一番印象的だった。
夏の番組を3回とも見た自分も、当事者たちの「反省会」に何となくすっきりしないものを感じていたので、その証言内容の評価とは別の角度から、澤地さんの言葉に頷けるものがあった。自分的には戦争を情緒的に語るのは基本的にバツなのだが、この「反省会」に参加した(血も涙も無い?)エリートたちに対する批判としてはアリだな、と。
この「反省会」の内容には貴重な証言も含まれているのかも知れないが、雰囲気としては何処にでもある会社のOB会の茶飲み話と、それ程異なった印象を受けるものではない。「反省会」を開くこと自体は結構な事だろうけど、それも開戦から40年近く経ってから、というのはいかにも遅い。当事者たちがそろそろこの世を去ろうという頃になって、それぞれの言い分を語り残しておこうという感じが強い(大体「反省会」という名称がユルい。小学生か)。この会合は結局は非公開のまま終わった訳だが、それでも参加者の中には保身的姿勢を崩さなかった人もいたようだ。半藤さんは「日本の組織は失敗を隠す」と指摘して、「反省会」を行った事自体は評価するが、澤地さんは「オープンな反省会をやらないと、日本人はいつまでも同じ事を繰り返すのではないか」と懸念を示す。
「事実としての戦争」を記録する仕事をしている半藤さんは、戦争を知っている人が少なくなるにつれて、「物語としての戦争」が多くなってきていることを危惧している。これは確かに、どうしようもない現実であるとは思うが、とにかく戦争の記録を見たり聞いたり読んだりする側では、これは本当にあったことなんだと自分に言い聞かせるしかない。
そうか、半藤さんも澤地さんも自分の親の世代(昭和ヒトケタ生まれ)なんだな。
自分も、子供の頃は「戦争が終わって14年も経ってから生まれたんだ」と思っていたが、年月を経て戦後60年以上過ぎた今では、「戦争が終わって14年しか経ってない時に生まれたんだ」という感じが強くなってきている。(苦笑)
思えば、自分たちの世代であれば、戦争は「一般教養」だった。子供の頃、教室で学ぶとかではなくて、マンガ、映画、プラモデルで当たり前のように戦争について知った。そんな経験から、「物語としての戦争」から何とか「事実としての戦争」に辿り着く想像力は最低限、身に付けたような気もするが、その辺は今の若い世代はどうなのかな・・・。
どっちにしろ時間は経っていくので、残された記録からどれ程リアリティを感得できるのかという問題は、これからますます大きくなっていくのだろう。
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