2022年7月28日 (木)

丸山ワクチンは効く。のか。

今月の日経新聞「私の履歴書」は、ソニー・ミュージックエンタテインメント元社長の丸山茂雄氏。本日語られているのは氏のがん経験。以下にメモする。

がん治療のため私は静岡がんセンターに入院した。2007年のクリスマスの夜、治療は始まった。きつい治療で1カ月、2カ月と苦しむのではなく、気分よく人生を終わりたい。副作用が強い抗がん剤をあまりたくさんは使わず、標準的な治療の7割くらいに抑えた。(がんセンターに)付属するホスピスもとても感じがよく、最末期になったらそこに入りたいと思った。
やがて食事ができるようになった。点滴を外せれば、散歩や外出も可能だ。
08年2月に退院し、翌3月に検査すると食道のがんがきれいになくなっていた。

実は病院での治療の傍ら、父(丸山千里氏)が開発した「丸山ワクチン」を注射していた。医師には内緒だ。がんの治療法として正式には認められていないからだ。あくまでも私個人の責任に基づく勝手な行為だ。あるとき、私は医師に尋ねた。「先生、丸山ワクチンって知ってます? 私が開発者の息子だということは?」。答えは「噂では聞いています」。私は父が書いた論文を手渡した。「お時間のあるときに読んでください」

その後も私の体調は安定し、余命とされた3カ月もとうに過ぎた。08年の秋、医師に聞かれた。「ここまで来ました。丸山ワクチンをおやりになっているのでしょう?」。私は答えた。「ノーコメント」。医師はニヤリと笑った。それでおしまい。

・・・丸山氏は今も丸山ワクチンを打ち続けている、とのことだ。

丸山ワクチンが一時話題になったのは随分昔のような気がする。ので、「私の履歴書」でこの言葉を見た時、「今もあるんだ」と思ったのが最初の感想。そして内容を読んで、「効くんだ」と思ったのが次の感想。

薬というものは、効く人には効く、としか言えない感じがする。だから患者としては、できるだけいろいろな薬や治療法を試せる方がいいと思う。丸山ワクチンが今でもお役所に認められていない理由は知らないが、患者の選択肢を増やすためにも、認めてくれてもいいんじゃないかなあと思う。

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2022年7月22日 (金)

成長戦略は恐ろしく困難

本日付日経新聞オピニオン面エコノミスト360°視点「成長戦略を巡る不都合な真実」(筆者は門間一夫氏、日銀出身)から、以下にメモする。

持続可能な経済成長率のことを潜在成長率という。中長期的な経済の「実力」と言ってもよい。それが日銀の最新の推計ではわずか0.2%である。

潜在成長率を高めるには構造改革が必須である。別の言葉では成長戦略とも言う。だから有識者やメディアから「成長戦略を強化せよ」との批判が聞かれるが、いくつか認識しておくべき現実もある。

第一に、他の先進国より日本の潜在成長率が低いのは、人口減少・少子高齢化による面が大きい。
第二に人口動態を前提とするなら、経済成長には生産性の上昇が必要である。ただ、頑張ればできるというほど簡単なことではない。
第三に、日本はこれまでも不断に改革努力を行ってきた。日本は四半世紀以上もその時々の英知を集め、可能な改革には取り組んできたのである。

こうすれば必ず経済成長が起きるという実行可能な政策は簡単に見つかるものではない。ただ、どのみち取り組まねばならない課題は多い。全世代型の社会保障の充実、教育の質とアクセスの向上、脱炭素化の推進、科学技術や文化の振興、災害への強靭な対応力などである。
共感できるテーマに向けて国が腰を据えて動き出せば、民間はそこに必ずビジネスチャンスを発見する。関連分野での投資、人材育成、雇用が誘発される可能性は高まるだろう。

・・・90年代後半橋本政権の行財政改革に続き、2001年から小泉政権「構造改革」が始まり、2008年リーマン・ショック以降の「成長戦略」への取り組みの流れから第二次安倍政権の「アベノミクス」と続いたものの、いずれの改革も充分な成果を出す前に終了となった感が強い。そもそも構造改革や成長戦略とは、規制緩和など制度改革を伴うものであるから、実行を決めるまでに既得権層に対する説得など時間がかかり、実行できても効果が出るのにまた時間がかかる、という感じ。こんな調子だから、たくさんの頭の良い人がたくさんの提案を行っているのに、世の中はなかなか良くならないのだろうな。

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2022年7月20日 (水)

安倍政権の企業統治改革

本日付日経新聞オピニオン面コラム記事「安倍ガバナンス改革の功績」から、以下にメモする。

安倍元首相は、日本市場の歴史に残るブレークスルーを成し遂げた。企業統治(コーポレートガバナンス)改革だ。
安倍元首相は、具体的に何をしたのか。
まず、14年に年金基金や資産運用会社が株主としてなすべき規範を記す「スチュワードシップ・コード」を策定。これにより、株主に企業との対話を促した。翌年には企業の責任を示す「コーポレートガバナンス・コード」をつくり、株主との対話に前向きに応じるよう求めた。この項目の一つに入ったのが「社外取締役の選任」だ。

改革はなぜ成功したのか。第1に、ガバナンスを成長戦略として位置づけたことだ。それまで企業統治や社外取締役が議論されるのは、企業不祥事がきっかけになることが多かった。コンプライアンス(法令順守)としての統治論であり、不祥事を起こさない企業には無関係と見なされがちだった。
発想を切り替え、社外取締役の役割は経営者に成長投資を促すことと再定義したのが、安倍改革だった。「攻めのガバナンス」という標語も、企業にとり取締役会改革を促すうえで有効だった。

安倍流ガバナンス改革が成功した第2の理由は、法律ではなく規範(コード)に訴えた点だ。伝統的な統治論は、社外取締役の設置を会社法で義務づける点にこだわった。これだと、社外取締役が手当てできない企業は法を犯すことになり、処罰されかねない。保守的な大企業が反対した大きな理由だ。
そこで安倍政権は金融庁や証券取引所がコードを策定し、「原則として内容に従うべきだが、できない場合は理由を説明してほしい」という方針を打ち出した。

安倍政権は財政・金融政策に比べ、構造改革が物足りないとも批判された。そんななかで企業統治は数少ない改革の成功例だ。

・・・攻めのガバナンスは、どこまで企業価値の向上に寄与したのか、実証的分析はなかなか難しい。しかし、上場会社には社外取締役がいるのが当たり前、という空気感を作りだしたのは、やはり安倍改革の大きな功績だろう。

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2022年7月18日 (月)

元総理の不条理すぎる死

昨日17日朝、新幹線に乗って京都へ。山鉾巡行には目もくれず、近鉄に乗り換える。目指すは大和西大寺駅。自分には、安倍元総理の暗殺は不条理すぎる事件というか、何だか現実感に乏しいこともあって、「現場検証」に出かけた次第。

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現地に立ってみた最初の感想は、「近いな」ということだった。画像でよく見た暗殺者が待機していたであろう場所の辺りから、例のガードレールに囲まれたスペースを眺めると、想像以上に近い。車道は二車線、この中央付近まで歩み出て手作り銃を撃ったのか。近い。弾丸の一部は、写真の奥にある立体駐車場のビル(90メートル先)まで届いていたそうだから、銃弾の速度と威力の凄まじかったことが窺い知れる。

この場所で、暗殺者はおそらく自分の胆力の全てを込めて、まさしく「全集中」で標的に向かって弾丸を発射した。1発目で振り返った元総理が最後に見たのは、暗殺者の姿だったのか。2発目の発砲まで3秒弱。しかし警護はほぼ機能しなかった。最初の発砲音が爆発音のようでもあり銃撃とは認識していなかったのか。白煙が立ちこめたため何が起きているか把握できなかったのか。しかしこの距離と時間で、有効な動きが出来なかったのは、明らかに警護の失態だった。結果、暗殺者は目的を達成した。

手作り銃は「火縄銃」の様な原始的な仕組みらしい。銃よりも小さな鉄砲という感じか。一年程かけて作製、今年の春には完成させていたようだ。マンションの一室でひたすら銃器作りに勤しむ男のイメージは、まさに孤独なテロリストそのものである。

しかし様々な報道が伝える暗殺者の人生を概観すると、彼が暗殺者になったのは必然のように思えてくる。確かに元総理を狙うのは飛躍している印象もある。しかしそれは他人から見た話であって、彼からすれば、より達成しやすい目標に変更しただけのことであり、それがたまたま元総理だったという、それだけの話なのかもしれない。そして元総理が地元に来る千載一遇の機会に、彼は人生の唯一最大の目標となっていたであろうプロジェクトを決行。ワンチャンスを見事にものにしたことに、驚くばかりだ。

幸福な家庭は似たりよったりだが、不幸な家庭はそれぞれに違う。トルストイの有名な言葉だ。暗殺者の壮絶な人生に、自分も暗澹たる思いを抱く。共感や同情が全くないと言うつもりはない。もちろん「暴力は許されない」と、建て前的に前置きすることはできる。しかし起きてしまったことについて考えると、誰が悪いのか、よく分からなくなってくる。今回の事件は、せめて暗殺未遂で終わって欲しかった、という思いが強く残る。

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2022年6月23日 (木)

「もはや昭和ではない」

昭和31年(1956)、つまり終戦から11年経って、「もはや戦後ではない」と宣言したのは経済白書。そして、昭和が終わってから30年以上が過ぎた今年、令和4年(2022)の男女共同参画白書は「もはや昭和ではない」と(あらためて?)表明した。本日付日経新聞記事(白書が示す家族像の移ろい)からメモする。

先週、政府が閣議決定した2022年版の男女共同参画白書に貫かれている考え方は「もはや昭和ではない」だ。令和になっても昭和を引きずっている人は意外に多い。

アンコンシャス・バイアス(無意識の思い込み)の代表例は「男は仕事、女は家庭。女性は閑職でいい」と思い込んでいる経営者や政治家など男性指導層だ。これが女性の働き方に悪影響をおよぼしているなら正さねばならない。

昭和時代に基礎が固まった社会保障・税制の多くが「結婚して子供をもつのが当然」「夫婦と子供2人が標準世帯」などの規範を前提に設計された。当時は多数がこの規範を共有していた。

アンコンシャス・バイアスの多くも、高度成長期を経て芽生えたとみてよかろう。高度成長期が安定の時代だったからこそ型にはまった家族像が受け入れられやすかった。

白書は客観的でユニークなデータを集め、丹念な分析に力点をおき、根拠にもとづく政策立案につなげることを提案している。昭和を引きずる指導層に対し、思いこみを排せよと呼びかけているようだ。

※データの一例、昭和60年(1985)⇒令和2年(2020)の比較
婚姻件数:73.6万⇒52.6万
離婚件数:16.7万⇒19.3万
男性の50歳未婚率:3.7%⇒25.9%
単身世帯数:789万⇒2,115万
共働き世帯数:722万⇒1,240万
専業主婦世帯:952万⇒571万

・・・記事は、「今年の白書は、とくに昭和世代にとって一読の価値がある」と結ぶ。しかし、高度成長期に完成した制度的な仕組みが、時代の急激な変化に合わなくなり、相当な修正が求められていることは、かなり以前から、それこそバブル崩壊の頃から議論されていた。にも関わらず、現実の改革の歩みは遅々としたものに止まった。21日付の日経新聞では、民主党政権下の「社会保障と税の一体改革」合意10年を経た現状について、「与野党を超えた社会保障分野の改革機運はしぼんだままだ」と伝えている。今回の参院選でも、野党の多くが消費税の減税を「公約」に掲げているのを見ると、何だかなあという感じになるのだ。

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2022年5月31日 (火)

「決算書が読める」とは

今週の「週刊東洋経済」(6/4号)の特集は「決算書大解剖」。著書である『世界一楽しい決算書の読み方』は20万部のベストセラー、ツイッター「#会計クイズ」のフォロワーも10万人超という、「大手町のランダムウォーカー」氏(Funda代表、公認会計士)のインタビュー記事からメモする。

会計は英語で「accounting」だが、もともとの語源は「account=報告する」。つまり企業の財政状態を利害関係者に対して報告するのが、会計の本質的な役割だ。その報告の仕方を学ぶのが会計学。

一生懸命簿記の勉強をして公認会計士試験に合格し、監査法人に就職して初めて企業の決算書を見た。「会計の知識があれば決算書も読めるだろう」と高をくくっていたが、ふたを開けてみるとまったく読めない。これが決算書を勉強するきっかけとなった。

私の中での決算書が読めるということの定義は、決算数値から何らかのメッセージをつくれることだ。例えば、「トヨタの売上高30兆円」という決算数値を見ても、ビジネスの知識や経験が豊富な人ほどそこから多くの情報を得て、メッセージをつくることができる。

そのことを痛感してから、ビジネスの知識を猛勉強した。新聞や雑誌などからの情報収集に加え、「◯◯業界がよくわかる本」などを片っ端から読みあさった。だが、今振り返ると、だいぶ遠回りをしてしまったと思う(笑)。

情報収集の前に、まず自分の中に基準値を持つことが重要だ。例えば、「コメダ珈琲店の原価率は約60%」というニュースを見たときに、「上場企業の飲食業における原価率の平均値は40%前後」という基準値を持っていれば、「飲食業なのに原価率が高いな」という違和感が発動し、決算書から原因を探す行動につながる。そういう基準値を複数用意してニュースを読むことで、インプット効率は断然高まる。まずは情報にアクセスしやすい自社の業界から調べてみるのがよいだろう。

・・・会計の知識があることと決算書が読めることは異なる、というところが面白い。会計の知識があるとは、決算書の作り方を知っているということであり、決算書の読み方はまた別、なのだろう。とりあえず、決算書を読むということは企業分析(時系列)や業界分析(同業他社比較)とほぼイコールと考えてよい。

最近の「週刊経営財務」記事によると、「大手町のランダムウォーカー」氏は、高校卒業後は進学も就職もせず、「レールから外れた人生」を送っていたが、一念発起して公認会計士試験に合格。監査法人でコンサル業務を経験後、起業したという異色の経歴の持ち主。氏の人生の「履歴書」も読んでみたい気がする。

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2022年5月22日 (日)

傷痍軍人の記憶

「傷痍軍人」についての展示資料館が、東京・九段下にあるというのは知らなかった。サイト『現代ビジネス』の本日付配信記事から以下にメモする。

戦闘で傷ついた兵士たちは、名誉の負傷として戦中は下にもおかない対応を世間から受けたが、戦後、一転した。軍部憎しの感情から、彼らも犠牲者であったにもかかわらず、白い目で見られた人がいかに多かったか。実際、GHQは旧軍人へ厳しく対し、軍人恩給は廃止され、働くこともままならない人々は困窮した。

大きな駅の前には、義足をつけ、白い着流しの病院服に軍帽姿の元兵士たちが姿をあらわし、アコーディオンやギターを奏でて道行く人から寄付を募った。目撃した人のなかには、彼らが奏でる物悲しい旋律に、なにか恐ろしさを感じたと回想する人もいる。やり場のない怒りと悲しみが響いていたのだろう。

いまこの瞬間も、世界では取返しのつかない傷を負っている人がいる。この国でかつて、若い人々がどんな傷を追い、どんな戦後を生きていったかを今知ることには、きっと、意味がある。

じつはそれをよく知ることができる施設が九段下にある。戦傷病者を知るための施設、「しょうけい館」だ。正直、あまり知られていないだろう。展示内容はおどろくほど充実している。元兵士たちからの寄贈品など視覚的な資料とともに、190人超から聞き取りした証言ビデオも。国会図書館にも所蔵のない、ここにしかない資料もあった。

そもそも、どうして傷痍軍人に特化した国営施設があるのだろう。歴史的経緯がある。昭和27年、サンフランシスコ講和条約発効により日本が主権を回復したころ、元兵士たちの様々な動きが活発化。 いくつかの旧軍人団体もでき、翌年には、軍人恩給が復活している。
その時期生まれた団体のひとつに、日本傷痍軍人会(日傷)があった(昭和27年設立)。この会も、不遇だった傷痍軍人たちへの補償を求め続け、昭和38年にはついに戦傷病者特別援護法が成立。会は、1960年代初頭で35万人ほどの会員がいたという。
この人々が遺した次世代への置き土産が、この施設だったといっていい。厚生労働省が所管する国営の施設として、平成18年に開館した。

・・・自分も、子供の頃に傷痍軍人を見たという遠い記憶がある。時は昭和40年代前半だろうか、場所はおそらく浅草寺の境内の片隅。白い服を着た手や足のない人たち10人くらいの集団が、アコーディオンの物悲しい響きを奏でながら佇んでいた。やはり何だか怖かったという記憶が、自分にもある。

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2022年5月18日 (水)

「脱マスク」とナッシュ均衡

経済学のゲーム理論から見ると、「脱マスク」への移行はそう簡単ではないようだ。本日付日経新聞記事(「脱マスク」実現 経済学で考える)からメモする。

「同調圧力が強い日本では『みんなが着けている』から『みんなが外す』状態に移るのが難しい」。慶応大学でマーケットデザインを研究する粟野盛光教授は指摘する。現状は経済学のゲーム理論で「2つのナッシュ均衡が存在する状態」として説明できるという。

自分だけがマスクを外すことは風当たりが強い。他人がマスクを外しているのに自分だけマスクを着けても意味がない。こうした「自分だけが行動を変えても得しない状況」がナッシュ均衡だ。
新型コロナウイルス感染拡大期は「みんながマスクを着けている」状態が最適となって均衡した。それとは別に「みんながマスクを外している」状態での均衡もある。ゲーム理論では2つの近郊の移行が困難とされる。元に戻るには強いきっかけが必要というわけだ。

粟野氏は「まずはデータを科学的に示すことだ」、「もし『みんながマスクを外す』状態がデータで望ましいとなれば、人々の行動変容は進むだろう」と語る。
もう一つ、経済学者が口をそろえるのがメッセージの重要性だ。確立した習慣や同調圧力を覆すのは容易ではない。著名人や専門家が「マスクを外してもよい」とメッセージを発することで、人々の行動を変える。

「脱マスク」がいつ実現するのかは、まだ見通せない。科学的知見に基づく議論に加え、メッセージの発し方にも工夫がいる。

・・・ある行動が定着すると、そこから真逆の行動に転換するためには、納得できるデータや強いメッセージが必要になるのだろう。

「脱マスク」に似ているなと思われるのが、エスカレーターの「片側空け」。最近、各地の鉄道の駅ではエスカレーターの利用法について、「立ち止まって」とか「歩かないで」とか「手すりにつかまって」とか、標示やら自動音声やらで呼びかけているが、「片側空け」になっている場合がまだまだ多い。はっきりと「片側空け禁止」を言わない理由はよく分からないが、定着してしまった習慣を変えるためには、やはり強いメッセージを発する必要があるように思われる。

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2022年5月11日 (水)

ツイッターは有名人のツール

本日付日経新聞オピニオン面コラム記事(ツイッターは派手な「劇場」)から、以下にメモする。

米起業家のイーロン・マスク氏がツイッターを買収したとの発表に対する一部の反応をみると、マスク氏は世界そのものを買おうとしているかのように受け止められている。

ツイッターは世界そのものではない。一部のジャーナリストやマスク氏のような大人げない億万長者、言動が子供じみたトランプ前大統領などは取りつかれているようだが、大半の人はツイッターで起きていることをあまり気に留めていない。
ツイッターはフェイスブックやユーチューブと並ぶ、巨大ソーシャルプラットフォームだとみられているが、こうしたサイトはアクティブユーザーが数十億人いるのに対し、ツイッターは2億2900万人しかいない。その大半は投稿を閲覧するだけで発信しないユーザーだ。

マスク氏のみならず他の人も頻繁にツイッターを広場にたとえるが、これは間違いだ。
ツイッターでは地位がすべてだ。大多数の人のツイートは誰にも見られることはない。
実のところ、ツイッターは街の広場ではなく劇場だ。そこでは誰もが最大280文字の脚本を慎重にリハーサルし、見られていることを意識しながら観客に向けて演技する。これに対し観客は演技者にやじを飛ばす、あるいは直接話しかけることができる。

ツイッターで最も頻繁に発信するユーザーたちが、その未来をこれほど懸念する理由は、何年もかけて集めてきた注目を失いたくないからだ。俳優が名声を失いたくないように、ツイッターのユーザーも、注目と社会的地位を失いたくないというのが本音だ。

・・・ツイッターでは地位がすべて、という意見に同感。所詮ツイッターは有名人がやるもの、有名人が自分のファンに向けて発信するためのツールだろう。だからツイッターに関して「言論の自由」云々と言われても、それは有名人の言論の自由ということになるから、何だか付いていけない感じがするのである。

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2022年4月30日 (土)

株主第一主義は要修正としても

本日付日経新聞読書面の記事「活字の海で」(企業のあり方を問い直す 持続可能な社会実現に役割)から、以下にメモする。

持続可能な社会を実現するために、企業が担う役割は大きい。「パーパス」と呼ばれる存在意義を自らに問い、打ち出す。株主第一主義から、幅広いステークホルダーのための経営への移行が企業に求められている。

企業のあり方に関する議論は、19年に米国の経営者団体「ビジネス・ラウンドテーブル」が、株主第一主義からの転換を掲げたことが大きな節目となった。近年は日本企業の間にも、自社のあり方を見直す動きが相次ぐ。21年6月に改訂された、東京証券取引所のコーポレートガバナンス・コード(企業統治指針)が、サステナビリティーを巡る課題への取り組み強化など、ESG(環境・社会・企業統治)を重視する姿勢を打ち出したことも追い風だ。

ただ、欧米企業が行き過ぎた株主第一主義への反省から、会社の本質論の転換を迎えているのに対し、日本企業はそもそも資本効率を高めて株主に対する責任を果たすという目標すら、達成道半ばだ。今後は、経営の効率化を図りつつ成長を促進し、さらに環境や人権問題などの社会的課題解決にも貢献するという、高いハードルをクリアしなければならない。

・・・近年、株主第一主義の修正が唱えられてはいる。が、日本企業については、株主主義による資本効率向上が十分な成果を挙げたとは言えないだけに、株主第一主義の弊害を十分に意識しつつも、今しばらくは株主主義による資本効率向上に向けた取り組みを続行する必要があるように思われる。

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