2016年5月22日 (日)

「団地」を巡る雑感

サラリーマン引退後は、古ーい安ーい公団住宅にでも住もうかと思い始めた。公団住宅ようするに団地、今でいうUR賃貸住宅である。昔は「空き家募集」というのが年4回行われていたが、今はどこでも空き部屋があれば、いつでも入れる。一人で申し込めるのは1DKとか1LDKという制限も今は無い。保証人も不要だから自分のような一人もんには好都合だし、更新料がないのも有り難い。

ということで、今年初めから物色をぼちぼち始めたところ。今は会社に比較的近い場所、東京都区部の東の端っこに住んでいるが、引退すれば通勤時間とか関係ないので、東京都内の西の方に移ろうと思い、パンフレットやサイトで主に西武線沿線の団地の情報を眺めている。

改めて思い出すと、自分も団地に結構長いこと住んでいた。高校生の頃の江東区南砂住宅を振り出しに、数か所の公営住宅に結局、通算18年余りの居住経験がある。南砂に5年間のほか、西葛西駅近くの江戸川区清新町住宅の居住も9年間と長かった。

そんな感じで団地のことを考え始めたら、雑誌「東京人」6月号の特集が「東京なつかしの団地」ときたので購入。特集の中の、是枝裕和(映画監督)、重松清(小説家)、原武史(政治学者)の鼎談記事を読み、そこから重松と原、両氏の対談本『団地の時代』(新潮選書、2010)も読み、今日は是枝監督の最新作「海よりもまだ深く」も観てきた。

映画の舞台は西武線沿線の団地。阿部寛演じる主人公は、別れた妻子との関係やら仕事やらギャンブル癖やら、いろいろこじらせている中年男。そのお母さん役の樹木希林が面白い。自然で味わい深い演技、何気なさが凄すぎる。主人公と掛け合い漫才風に語らいつつも、それとなく諭します。失われたものや叶わぬ夢を追いかけるのは諦めないと、幸せにはなれないよ。みたいな感じで。

『団地の時代』については、西武と東急の戦略の違い、というか西武の戦略不在?と東急のブランド化推進により、沿線イメージに大きな差が開いた、というような感じの話が面白かった。

自分の団地経験は高校生以後、町中の工場跡地や埋立地に建てられた団地に住んでいたというもので、新しいライフスタイルとして2DKが持て囃されたという郊外団地に子供の頃住んでいた人との経験とはかなり違うこともあり、団地に対して懐かしいという感覚はない。でも、確かに団地は日本の社会を映す鏡の一つであるとは思える。国土交通省は、URの大型団地の医療福祉拠点化を進める(今年1/19付日経新聞)とのことだが、これからの団地がどのように変わっていくのか、注目しておきたい。

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2016年1月21日 (木)

障害と闘う勇気に教わる

僕は身体障害者の端くれである。障害者等級は5級。左足に麻痺部分があり、充分に力が入らないので歩行は少し不安定である。原因は脊髄腫瘍(硬膜内髄外腫瘍)。手術はしたが症状は改善しなかった。

そんなこともあって、最近は障害に関わる話に何となく関心が向くのだが、NHK・EテレでハートネットTVという障害者福祉系の番組がある。この番組では去年、ナチスの障害者抹殺政策の話をやっていた。何となく見たのだが、障害者抹殺はユダヤ人虐殺よりもナチスの恐ろしさを示しているようにも感じた。つまり、ユダヤ人排除にはヨーロッパの歴史的背景も無視できないのに対して、障害者抹殺は健康至上主義というナチス独特の思想から来ているということ。

そのハートネットTVで、昨日今日と神足裕司氏が出演していた。神足氏は現在58歳。80年代、マルキン・マルビを流行語にしたコラムニストである。2011年くも膜下出血に襲われて奇跡的に一命を取りとめたが、左半身マヒ、高次脳機能障害など重い後遺症が残った。それでも奥さんの助けを得ながら著述活動に取り組む姿が伝えられた。

このほか最近、たまたまテレビで見たのは、外食企業ダイヤモンドダイニングの松村厚久社長。現在48歳でパーキンソン病、身体の動きが不自由な状態であるが、昨年東証1部上場を果たし、さらなる事業拡大に向けて走り続ける。これは10日の日曜日夜「ミスターサンデー」で紹介されていた。それから17日の日曜日夕方「夢の扉」で見たのは、24歳で重度の身体障害者でありながら会社を経営する佐藤仙務氏。佐藤氏は脊髄性筋委縮症という難病で身体が殆ど動かせない、自称「寝たきり社長」。同じ障害を持つ仲間と会社「仙拓」を作り、IT系の事業を営んでいる。

彼らの示す勇気に教わった。病や障害は関係ない。生きている限り、自分のできることをやる。それが一番大事なのだと。

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2014年12月21日 (日)

ALS患者に教えられること

今日の午後、難病ALSの番組(テレビ朝日)を見た。患者の富川さんという女性は、この8月に46歳で死去。テレビ朝日の富川悠太アナウンサーの従姉であるとのこと。

ALSは発症すると神経が侵されて全身の筋力が低下。身体が動かなくなり、最後は呼吸困難になって死亡する。原因は不明、現在のところ治療法もない難病である。

呼吸困難に陥った時、人工呼吸器を喉に付ければ延命できるが、発話能力を失い、コミュニケーションは容易ではなくなる。富川さんは、自分を介護する両親の負担も考えて、人工呼吸器を拒否したという。

今年はNHKの番組でも、ヒロさんという30代男性の患者を見た。人工呼吸器を付けたヒロさんは、文字盤を使ってコミュニケーションする。ブログや本を書くなどの活動も行っている。まだ若いので、闘病する意志や気力があるのだろうと推測する。

夏場にちょっと話題になった「アイスバケツチャレンジ」も、ALSの治療・研究を支援するための寄付を求めるイベントだった。

ALSとは別の話だが今年、安楽死の意志をネット上で公表して、11月に予告通り死去した若い米国人女性がいた。脳腫瘍を発症して余命宣告も受けていたのだが、論議を呼んだのは記憶に新しい。これはいわば「病苦による自殺」だろうから、周囲の人が自殺幇助罪に問われなければ、選択肢として認められてもいいような気がする。

富川さんの場合は、無理に延命しない尊厳死ともいえるのだろうが、結局自分の身体のことは自分ひとりで引き受けるほかないのが現実なので、当人の意志を尊重するしかないと思われる。このような不治の病に冒された患者の辞世の覚悟の在り方は、当然ながらいずれは死すべき我々にも無縁のものではない。

いずれにせよ患者さんたちは、動かなくなっていく身体を抱えながら、自分にできること、自分のやるべきことを見定めて、人生を全うしようとしている。そのような患者さんたちのことを想うと、左足に軽い障害のある自分も、もっと根性出して生きなければ、と思う。

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2013年11月10日 (日)

父親の死というもの

作家の村上龍が、父親の死について書いた文章からメモしてみる(「父の葬儀の夜に」、『賢者は幸福ではなく信頼を選ぶ。』所収)。

88歳という高齢だったし、ある程度覚悟はしていた。それに、まさに眠るように、突然に息を引き取ったわけで、大往生だなと思えたのだが、さすがに喪失感にとらわれた。

何だかんだ言って大したものだと父のことを思った。亡くなる直前まで、自分で車を運転して買い物などに行っていた。亡くなった当日も、朝食と昼食はちゃんと食べた。杖もつかず、自力で行動し、絵を描き続けた。両親とも教師だったので、二人合わせると年金はかなりの額になり、経済的な依存もゼロだった。亡くなるまで、介護も受けず、誰の世話にもならず、誰にも迷惑をかけなかった。

・・・父親の葬儀が終わった夜に、作家はひとりウイスキーを飲みながら、「自分なりの供養」として、小学生の頃父親と一緒に見た映画をDVDで見直すのだが、何というのか父親への確かな敬愛が静かに伝わってくる文章だった。

私事ながら9月に、自分の父も82歳で死んだ。しかし自分の場合は、殆ど何の感慨も湧かなかった。

たぶん母親の死は、男の9割以上にとって非常に悲しい出来事だろう。しかし父親の死を男がどう感じるかは、相当個人差があるんじゃないかと思う。それは当然の事ながら、生前の父親との関係性に依るわけで。

とにかくもう自分の両親はこの世にいない。こうなると、後は自分の残りの人生を全うするだけだな、という感じになる。

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2013年8月31日 (土)

四苦八苦

まず『仏教の真実』(田上太秀・著、講談社現代新書)から以下にメモする。

「苦」とは「思うようにならないこと」という意味である。あるいは欲するようにならないこと、願うようにならないことでもある。要するに己の思うように、欲するように、願うようにならないことを仏教では「苦」と言う。 

四苦八苦とは、生・老・病・死の四苦と怨憎会苦・愛別離苦・求不得苦・五蘊盛苦の四苦をいう。八苦のなかでも生老病死は思うようにならないと言うより、避けられないものと言った方が正しい。 

生まれたものは生活しなければならない。生活のなかでさまざまな思うようにならないことが発生する。それが八苦のなかのつぎの四苦である。
その四苦とは「恨み憎み合うものが会わなければならない苦しみ」(怨憎会苦)、「愛するものと生き別れ、死に別れる苦しみ」(愛別離苦)、「求めても願いどおりに取得できない苦しみ」(求不得苦)、そして「身心の悩みを処理する苦しみ」(五蘊盛苦)である。

・・・生老病死の四苦は避けられない。と言えばそれまでだけど、「苦」すなわち「思うようにならない」という観点から捉え直せば、生老病死は自分の意志の力の及ばないところで起きる出来事。いわば生老病死は徹頭徹尾フィジカルな事柄である。だから自分の心ではどうにも動かしようがない、ということになる。

しかしフィジカルというと、もっと端的には自分の身体的条件は自分ではどうにもならない。自分の容姿は自分では選べない。はあ。

そんな具合に考えてみれば、現実は「思うようにならないこと」だらけだ。そういう意味では「人生は苦」である。人生は思うようにならないのが当たり前、なんだろう。それでも人間は物事を自分の思い通りに運ぼうとする・・・なぜか。結局「全能の幻想」(岸田秀)に捉われているから?

さらに思う。誕生から死まで、人生のほぼ最初からほぼ最後までの間じゅう、「思うようにならないこと」があるとすれば、自分が自分であること、ではないか。

子供は子供の頃
いつも不思議だった
なぜ僕は僕で君ではない?
(映画「ベルリン天使の詩」より)

自分はどこまで行っても自分である。自分とは別のものになりたいと思っても、それはかなわぬ願い。

結局生きるとは、自分が自分として今ここに生きている不可思議を味わいながら、自分が自分でしかないことをただ経験する・・・ということだろうか。

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2013年7月16日 (火)

母の命日

20年前の今日、母が死んだ。

昔々僕が子供だった頃、母に尋ねたことがある。
「神様っているの?」
やや間があって、母は静かに諭すように答えた。
「いると思えばいるし、いないと思えばいないのよ」

(じゃ、いないんじゃない)と子供心に思ったが、それは口には出さなかった。

今から思うと、幼い子の質問に随分まじめに答えてくれたものだと思う。

やはり子供の頃、母が半分冗談のように、ということは半ば本気で、
「千年も万年も生きるのよ」と僕に語りかけたことがある。

かなり難しいことではあるが(苦笑)、とにかく生き続けることが、
母の与えてくれた愛情に応えることなんだろうと思う。

魂というものがあるのなら、母の魂が安らかであることをひたすら願うほかない。

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2013年2月27日 (水)

単なる「歴史好き」が楽しい

日本人のための世界史入門』(新潮新書)の中で、小谷野敦先生がこんなことを書いているのが目に付いた。

講談社現代新書『神聖ローマ帝国』の著者・菊池良生も、同『ハプスブルク家』以下のハプスブルク・シリーズを書いた江村洋も、歴史学者ではなくドイツ文学者である。なぜかというと、現在の歴史学者は、普通は皇帝や王の研究などしないからである。日本史でも同じことだが、いわゆる歴史に関心を持って歴史学科へ行っても、古文書を読まされるのはもちろん、基本的には民衆史的な、裁判記録などから見る無名の人々の生活の研究をさせられるのだ。

・・・歴史の専門家、研究者のやることは、主に史料の読解である。仕事としては辛気臭い感じだし、職業として取り組める人は限られていると思う。歴史が好きでも、専門家や研究者を目指すのは止めておいた方が無難と言うか、歴史ファンのままでいる方が楽しいんじゃないかな。

例えば、自分の場合は、十字軍の時代に神聖ローマ皇帝フリードリヒ2世という人がいたということを、10年前にNHKの番組で教えられてから、世界史というか主に西洋史への関心が盛り上がっていった。つまり「こんな凄い人がいたんだ」という驚きが、歴史を学ぶ始まりで、これは割とありがちなパターンじゃないかと思う。歴史ファンならば、専門家の書いた本をいろいろ読みながら、自分が凄いと思った歴史上の人物の「追っかけ」をしてればいいので、それは単純に楽しい。

この本の最初の部分で小谷野先生は、歴史の勉強は「役に立つから」やるというより、「面白いから勉強する、でいいではないか」と言う。そして本の最後に、「一般読書人の歴史の知識はだいたいでいいのである」と述べている。自分も、そういうことだと思う。

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2013年2月26日 (火)

夜寝る前に考えると怖いこと

日本人のための世界史入門』(新潮新書)の中で、小谷野敦先生がこんなことを書いているのが目に付いた。

人類の、有史というものは、どうやら地球という惑星の、ほぼ終末期に近いところに位置するらしく、つまり知的生命体が生まれたこと自体、かなり低い確率の偶然であって、宇宙にはほかにそういうものは存在しないようである。

こういうことは、誰しも子供の頃、夜寝る前に考えると、怖くて涙ぐんだりしたものだが、私ももちろんそうである。特に、宇宙が発生する前は、時間も空間も存在しなかった、と思うと実にぞっとしたものである。

・・・そうそうそう、全くそう。自分も子供の頃、宇宙には始まりがあって終わりもあるというのも、宇宙には始まりも終わりも無いというのも、どっちも怖い、と思った。

しかし子供心に、もっと端的に怖かったのは、死ぬこと。夜、寝る前に布団の中で考える。死ぬってどういうこと? こうして眠ってそのまま目が覚めないのと同じ?・・・怖い! やっぱり涙ぐんじゃうのである。

最近、全身麻酔の手術を経験した。眠りから覚めたのは14時間後だったが、自分には15分程度しか時間が経ってない感覚だった。なるほど人は目覚めるから、今まで眠っていたのだと分かるのだな。目覚めなければ、何も分からない。やはり子供心に抱いた死のイメージは、おそらくそんなに外れているものでもないなと感じた。

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2013年2月25日 (月)

「パットン将軍」の記憶

日本人のための世界史入門』(新潮新書)の中で、小谷野敦先生がこんなことを書いているのが目に付いた。

『パットン大戦車軍団』という映画で、ヨーロッパ方面の米軍司令官パットンは、最後に「われわれは戦う相手を間違えた」と叫ぶのだが、実際そうで、本当に戦うべきなのはソ連だったのである。

・・・この映画は自分も少年の頃に見た。まあその時は、戦車がたくさん登場するのを期待して、父親と共に映画館に出向いたのだが、実際にはパットン将軍の人物を描いた人間ドラマだったから、少々当てが外れたわけなんだけど。そして映画を見た帰り道、父親が「ソ連なんかやっつけちゃえば良かったんだよなぁ」と言ったのを聞いて、自分も(そうか、ソ連という国が残っちゃったのが、いけなかったのか)と、子供心にも漠然とした怖れを感じた覚えがある。

当時、1970年頃はまだ、第三次世界大戦はアメリカとソ連が核ミサイルを撃ち合って決着を付ける、みたいな話が当たり前のようにあったから、子供だった自分でもソ連は恐い国、そんな風に感じる時代だった。

しかし人間、50年以上も生きると、歴史を生きてきたような感じになってくるもんだね。(苦笑)

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2012年11月30日 (金)

障害者手帳を取得

先日、身体障害者手帳を取得した。下肢機能障害、等級は5級。

4年前に脊髄腫瘍(硬膜内髄外腫瘍)の切除手術を受けたのだが、症状の改善は殆ど見られず、左足先の麻痺は残り、左脚の筋力低下が続いた。結局、病変を認識して手術をするのが遅かったということらしく、手術をした整形外科医からは「受け入れ難いでしょうが(もうこれ以上良くなりません)」と宣告された。しかし患者としては簡単に「はいそうですか」という気分になれるわけもなく、とりあえず別の医者に相談してみたところ、ある医者から障害者手帳の取得を勧められた。言われるまで全然考えなかったことだが、どうやらそれが現実かなあと思って、アドバイスに従った。

ということで、残りの人生は障害者の端くれとして送ります。障害者手帳と共に都営交通のフリーパスをもらいました。年末調整の書類は「一般障害者」で申告しました。映画は1000円で見ました。携帯電話料金も割り引きしてもらうつもりです。

それにしても、自分の経験では医者というのは変な奴ばかりだ。なるべく医者とは関わりを持たない方が良いというのが実感だが、なかなかそうもいかないし。

そういえば、あのiPS細胞研究の山中伸弥教授は、はじめ整形外科医を志した後、研究者に転じたという話だけど、ノーベル賞も取ったし、山中先生は切った張ったの外科医なんてヤクザな道に入り込まなくて、本当に良かったと思う。

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