2009年10月19日 (月)

とうとう50年間も

生きてしまったよ。

最近の日経新聞「交遊抄」の中にあったチェスタートンの言葉によると、「たった一人の女、たった一人の友」でも、「懸命に生きなければ手に入らない」とのことで、どうも結果から見ると自分は懸命に生きてこなかったかもな、と内心忸怩たるものを感じるのであります。

少なくとも、誰かと何かを深く共有することに失敗した人生、とは言えるかな。

でもまあ結局、自分自身について確かめてきた年月だったような気がする。俺ってこういう人間だったんだ、最初から大体分かってたんだけど、やっぱりねって感じ。

それはそれとして、年を取れば男は誰でも「変なおじさん」になるのだなと、最近自覚したところ。(苦笑)

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2009年8月25日 (火)

「大原麗子」は他人事じゃない

女優・大原麗子の死(享年62)は他人事ではない、と言えば、それは一般的には、「孤独死」をどう防ぐか、という話になるのかも知れないが、自分が思うのはもう少し別の事柄だ。それは闘病あるいは病苦がもたらす孤独の深さには、普通の人間には耐え難いものがあるのではないか、つまり「孤独死」よりも「孤独」そのものが気になるのだ。

今回、ギラン・バレー症候群という病気の名前を初めて知ったのだが、神経が不調になり手足に力が入らなくなる難病とのこと。女優はこの病と闘いながら一人で暮らしていたという。

ギラン・バレーは難病といってもその程度は人によって差があるらしくて、最近、釈由美子も症状の軽いやつを一時患っていたらしい。調べてみると、ルーズベルト大統領はポリオ(小児麻痺)ではなくてギラン・バレーだったという説もあるとか。何にせよ、自分も脊髄腫瘍という病変を経験したものだから、神経や筋肉に変調をもたらす病の話には、かなり敏感になってしまう。

闘病の孤独、この病に向き合うのはこの私だけだ、という孤独を癒すのは容易ではない。健常者の感じる孤独は自由の証でもあると言えるだろうが、身体の故障や変調がもたらす孤独は、不自由と共にある他はないからだ。その病がありふれたものではない場合、なおさら孤独も深いものになる。

ほぼ一年前のことになるが、草柳文恵の自殺(享年54)も病苦が原因だった。闘病や病苦のもたらす孤独の深さは絶望につながるとしても不思議はない。

ギラン・バレーはインフルエンザの合併症の一つとか。発症する確率は低いらしいが。御時世的に、余計に怖いな。

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2009年5月11日 (月)

軍艦島、もう少し雑記

5月9日土曜日の午前中に「やまさ海運」のクルーズで軍艦島上陸を果した訳だが、当初は近畿日本ツーリストの日帰りツアーに参加する予定だった。しかし4月末時点で、ツアーで利用する船会社に対して上陸許可が下りてないという、不手際としか言いようのない状況だったものでキャンセル。近ツリのツアーはスタディツアーということで、軍艦島に近い高島の炭鉱跡なども見学するスケジュールだったが、まあとりあえず軍艦島に上陸できればいいかと思い直して、やまさ海運のクルーズに予約を入れて長崎行きを決行した。人様のブログを見ると、どうも5月に入ってすぐに近ツリの船会社にも上陸許可が出たみたいで(苦笑)、まあまた機会があればというか、行く気が起きればスタディツアーにも参加してみようかと思う。

自分が軍艦島の存在を意識したのは、たぶん映画「純」を見た時。記憶によれば、確か(今は無き)銀座の並木座で、この映画の軍艦島のシーンを見て、日本にこういう場所があるんだな~という感じだったと思う。それにしても昔の映画だ。あらためて言いたくはないけど、ワタシも結構年くってしまった。この作品は「痴漢映画」(たぶん今は成立しない話だな・・・)として、海外の一部で注目されたことから、日本公開の運びになったという覚えがある。しかし主人公の行動よりも、軍艦島のシーンと朝加真由美の肌の白さが印象に残った(苦笑)。朝加真由美は最近お酒のCM(娘を送り出した夫婦がしみじみするというやつ)に「お母さん」役で出ていたな・・・。しかしまあ、あの頃の青春映画というと鬱屈していて暗くて、何となくベトつく感もあるという、それが「70年代」的というのか「ATG」的というのかそんな感じで・・・この映画の主役である江藤潤の他に、例えば永島敏行、森下愛子と並べると、あの頃の暗い青春映画のイメージが浮かび上がるんだけど、実はそういう暗い青春映画には結構馴染みがあったりする。(苦笑)

軍艦島に対する切実な関心、その中核を成すと思われる「ノスタルジー」の正体とは何だろう。ノスタルジーを普通に考えれば、失われてしまった過去への哀惜ということになるのだろうが、何の予備知識も無いままこの巨大な廃墟に向き合う時に、自分の心の中に軍艦島の過去のイメージが浮かび上がるはずもない。それはむしろ、あらゆる人間の文明は最後はこうなるのだよという未来のイメージから生まれる哀惜のように感じる。いわば未来へのノスタルジー。エジプトのピラミッドでもイタリアのポンペイでもペルーのマチュピチュでも良い、人は巨大な遺跡を見た時に、高度な文明や技術が大昔から存在していたことに驚異を感じると共に、それも結局は滅んでしまったという無常感も抱くことだろう。つまりどんな文明もいずれは廃墟となり、時間の経過と共に遺跡となるのだと。軍艦島もいまだ生々しさを残す廃墟ではあるけれど、すでに堂々たる遺跡の風格も漂わせている。しかも軍艦島はまさに今を生きる我々の文明に属しているだけに、その姿は我々の文明の未来を暗示しているとも言える。そこに人が軍艦島に魅入られてしまう理由があるのではないだろうか。

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2009年1月 5日 (月)

神田明神に初詣

今日1月5日は証券取引所の大発会、証券会社も仕事始め。そして取引が午前中で終了する半日立会いも今日で最後。というのは、今年の大納会と来年の大発会は終日立会いとなる予定なので。つまり次の年末年始は証券会社も半日営業からフルタイムになってしまうのだ。嗚呼。・・・という訳で、最後の半ドン(死語か?)を活用するべく、午後は神田明神に初詣に出かけた。

神田明神は比較的こじんまりしたスポットなので、例えば浅草寺や明治神宮に比べれば、短時間でお参りできると記憶していたのに、神社に着いたら人がぎっしり。商売の神さまだからサラリーマンが多いとは聞いていたが、まさしく仕事始めのサラリーマンばかりで満員電車状態なのだった。神田明神の初詣は正月三が日よりも休み明けの方が混んでいるということを実感しました。

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2008年12月23日 (火)

追悼2008

今年2008年に亡くなった各界著名人の中から、例えば俳優やジャーナリストなど一般的に知られている人ではなくて、まあ知っている人は知っているだろう、って感じの人を記して哀悼の意を捧げたい。

佐々木英信
証券業界では知られたテクニカル・アナリスト(相場の値動きを示したチャートの分析を行う専門家)。6月13日にセミナーの席上で昏倒、意識の戻らないまま3ヵ月後の9月25日に他界。享年58歳。
自分が佐々木氏の株価分析の話を初めて聞いたのは1997年の8月。相場には、過去に重要な転換点となった高値から安値、安値から高値などの期間や値幅が繰り返し現れるというのが、その分析の基本。その場では11月の中頃が相場の「変化日」に当たると説かれた。しかし何しろ3ヵ月先の話である。何が起こるかも分からない。半信半疑だった。ところが、実際に北海道拓殖銀行が破綻し、銀行への公的資金投入が進むという思惑から、株価は大きく上昇。その後山一証券破綻などから、基調として下げ相場が続いたのだが、それ以来佐々木氏の分析には注目するようになった・・・あれからたった10年余りで亡くなるとは。その分析手法は若手に引き継がれたとはいえ、自らのレポートに「流転」と題するなど、哲学的思考にも裏打ちされた個性は唯一無二のものだった。まさに生々流転は世の常とはいえ、早すぎる死だと言わざるを得ない。嗚呼。

草柳文恵
9月9日、タワーマンション高層階の自宅ベランダから外側にぶら下がる格好で首吊り自殺。病苦によるものだという。享年54歳。
評論家草柳大蔵の娘にしてミス東京にも選ばれた才媛。というか、自分のような古い将棋ファンには、棋士・真部一男との結婚で記憶される女性。実は、最近棋界の事情にとんと疎くて、彼女が自殺した際の報道から、およそ一年前に真部が死去していた事を初めて知った。後に別れたとはいえ、かつての棋界に華やかな話題を提供した美男美女が、二人とも50代で相次いで世を去るとは、何とも無常感に捉われるほかない。嗚呼。

アラン・ロブグリエ
フランスの作家。2月18日病没。享年85歳。
ヌーヴォー・ロマンとかアンチ・ロマンと呼ばれた実験的な小説の旗手。サロート、シモン、ビュトールと並ぶ四天王、だったか。読もうとしたけど、読めなかった覚えあり。もう20年以上も前、文学者主催の反核運動の集会に招かれて来日した時、講演の模様がNHKで放送されたのを見たことがある。確か「現実とは何か」という話で、結論は「現実とは解らないものです」と言われて、何だか実に「らしい」なあという感じだった。死をきっかけに、作品を何か読もうかと思ったが、やっぱり読んでない。嗚呼。

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2008年11月 7日 (金)

入院経験の記録(手術篇)

(承前)脊髄腫瘍の摘出手術を受けることを3月上旬には決心したが、手術時の大量出血に備えるため、輸血用として先に自分の血を取っておく(自己血とか貯血とか言ってた)段取りが入るなどして、結局4月14日に再入院、3日後の17日に手術を行った。手術直前は若い看護婦さんに浣腸はされるわ、腰回りには十字帯というエグい感じの下着を付けるわ、いろいろ辱め(汗)を受ける。朝の9時には手術室に入り、全身麻酔ってもう仮死状態だよな~怖いな~と思いつつ、麻酔の点滴を受け始めるとすぐに意識を失った。次に目が覚めた時は、人のざわめきと器具を片す金属音が聞こえてきて、(あれ、もう終わったの)と思う位、10分程度しか経っていないような感覚。実際にはその時点で夜の11時頃、14時間が過ぎていたのだった。目が覚めた直後に身体が大きく震え続けたのだが、しばらくして止まる(理由不明)。すぐにICU(集中治療室)に移されて、痛み止めを打たれながら、そこで一夜を明かした。照明を落とした部屋で冷たい機械に取り囲まれて、ベッドの上に生身の人間がいる図は何だか不気味だなと感じる。

翌朝、病室に戻る。声がかすれて良く出ない。長時間の麻酔の影響らしい。手術後二日目に妹夫婦が見舞いに来たが、話す気力も余り出なかった。食事を残してしまうのは、食欲が無いというより、食べるだけで疲れちゃう感じ。手術後一週間は安静のため寝たきり状態で過ごす。点滴を何回も受ける。尿道には管が入りバッグに尿を取る。血栓が出来るのを防ぐため、両脚にクッションが巻かれて、そこに機械で四六時中空気を入れたり出したりする。寝返りをするたびに背中に激痛が走る。どうしても声が出ちゃう。入院期間の前半は個室に入っていたのだが、余計にお金がかかっても、手術直後は個室の方が周囲に気兼ねしなくて良いと思った。痛い痛い痛い~っていつも言ってるし。寝たきり状態のため、ベッドの上で容器にウンコしなきゃいけない時もあるし。

手術から一週間後の24日に歩行のリハビリ開始。既に前日、胸から腰までのコルセットも装着。ベッドに腰掛けた状態から立ち上がる時に激痛。こんな痛み、本当に取れるんだろうかと思う。リハビリ室への移動に最初2日間車椅子を使う。気分はすっかり老人。つくづく、将来介護状態になってはいかんなと実感する。リハビリはまず平行棒を使っての歩行。文字通り地に足が着いていない感じ。腰が左右に揺れて不安定。25日、若い看護婦さんに尿道から管を抜かれる。(汗) その日の夜は尿意があるのに、なかなか出せなくて結構辛かった。手術から二週間後の30日に抜糸。背中の下半分に20㎝以上の大きな傷跡。腫瘍が長く広がっていたということ、2ヵ所にあった(だから最初、転移を疑われた)ことで、大きく切られてしまったあ。

5月初めにシャワーで身体を洗うようになる。空きが出たので大部屋(4人部屋)に移動。リハビリは1日40分程度。あと食事、シャワーの他に毎日決まった予定は無し。自分でU字型の押し車(サークルと言ってた)を使って病院内を歩いたり、階段の上り下りをしながら入院生活の後半が過ぎた。階段の上り下りが辛いのは、ちょっとショック。階段だらけの都会の生活に復帰できるのか?と不安を感じたりした。

そんなこんなで、手術から1ヵ月後の5月16日に退院。現状では左足先の麻痺は残っていて、歩く時は意識せざるを得ない。腫瘍が脊髄を圧迫していた期間が長かった(確実に一年以上)し、腫瘍を取ってもすぐ元通りになるとは思っていないが、良くなるとしても時間はかかるのだろうと観念している。

それにしてもニッポンの看護婦さんは本当によく働いている。ヨシコさん、ハタノさん、ミチヨさん、その他の皆様、有り難うございました。ああ、でも、看護婦さんって、男の下半身たくさん見てるんだろうなあ。(汗)

病院にいると普段の生活よりテレビを見ることが多くなる。2月の検査入院時の主なニュースは、イージス艦と漁船の衝突、三浦和義再逮捕(後に自殺するとは!)。手術入院時ゴールデンウィーク前後の主なニュースは、ガソリン価格、米民主党予備選挙、北京聖火リレー。半年後の現在、ガソリン価格は下落、オバマさんはめでたく大統領に。

北京パラリンピック車椅子テニスの金メダリスト国枝選手は、子供の頃脊髄腫瘍で下半身不随になったという。詳しいことは分からないが、やっぱりそういう可能性がある病なのかと思う。正直に言えば、たとえ金メダルを貰っても、下半身不随は御免だ。

40代の終わりに手術を経験して、改めて人間50年、その後は余生と思い定めるのがよろしかろうと。人生80年時代といっても、おそらくはジジイの期間が延びただけの話だろうし。ならばなおさら身体は何とか動くようにしておかないとなあ、そんな感じである。

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2008年11月 6日 (木)

入院経験の記録(検査篇)

手術を受けてから半年以上が過ぎた。病名は脊髄腫瘍。詳しく書くと硬膜内髄外腫瘍(神経鞘腫)。もちろん全く知らない病だった。脊髄腫瘍自体、どマイナーな病変。何でも発症率10万人に一人とか。脳腫瘍よりもはるかに少ないらしい。で、とりあえず良性。悪性だったら多分もうブログの更新は止まってますね。(汗)

ネット上の「脊髄腫瘍」関連サイトを見ると、結構詳しく作っている方がいるので感心。自分も入院記録を付けようと思っていたけど、実際入院してみると事細かに記録する根性無かった。なので、このエントリは、検索して来られた方の参考には多分ならないというか、読み応え(?)無いだろうなあ。

「脊髄腫瘍」という病名に至るまでには結構時間がかかった。自分の場合、歩き方が少し変になったな、というのが自覚症状の最初。しばらくほっておいて、はっきり異変を認識したのが昨年07年の夏。左足親指に力が入らないことを自覚して驚いた。ところが痛みがまるで無いものだから、よく分からないまま、またほっておいた。正直言うと何科の医者に行けば良いのか分からなかった。やがて冬場になって何度か転ぶということが起きたので、まず行ってみたのが整体医院。(苦笑) そこで症状を訴えると、整形外科に診てもらった方がいいですねとのこと。ここでやっと医者に行くことを決心して、まずは町医者に。それが今年08年の2月中旬。「神経麻痺ですけど原因が分からないので、大きな病院を紹介します」と言われ、ちょっと不安に。言われたとおり、地元の大きな病院に行くと、若い医者が応対して、「よく分からないけどMRIでも撮っときますか」みたいな感じで、MRIを初めて経験(うんざりした)。二日後に再び病院に足を運び診察を待っていると、看護婦から「先生が十分説明したいので順番が後回しになります」と言われて、げげっという感じ。さすがにかなり不安になった。そして診察。医者から「脊髄付近に腫瘍があります。悪性とは限りませんがすぐ入院してください」と告げられて、その日のうちに検査入院となる。(医者というのは最悪を想定するものらしい)

はじめての入院経験。ひとりもんだし、どーしたらいいんだろ、という感じだったが、取りあえず軽い旅行支度のような荷物をまとめて病院へ。母は悪性腫瘍で亡くなっているので、自分も2~3割位は可能性あるのかな。最近、自分の同年代つまり40代で死んだ糸瀬茂、中尊寺ゆつこ、杉浦日向子、池田晶子は皆がん死だったなあ・・・てなことを思う。再度のMRI、CTほか各種画像診断を実施、造影剤やら採血やら注射は一生分されたような感じ。最後には脊髄注射までされた。この2月下旬の検査入院の結果、悪性ではないようだとの診断。しかし治療としては手術になるという。げげっ。手術なんて受けたことない。しかも脊髄付近。下手すりゃ下半身不随。医者から手術についていろいろな話。合併症、大量出血、脊髄を傷つける、麻酔による後遺症等々の可能性があることを聞かされる。どーする。しかしまだ少なくとも後20年位は活動するんだろうから、やるんだったらすぐやるしかないなあ、と諦めにも似た心境で手術を渋々決心する。(続く)

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2008年7月18日 (金)

MRI検査

手術から3ヶ月が過ぎ、今日は退院後初めてMRI検査を受けた。

身体内部の画像を撮るため、狭いトンネルの様な装置の中に身体ごと入れられて、ビーとかブーとかドドドドとかの騒音に晒されながら、計40分程じっとしたまま過ごす。初めて経験した時はウンザリした。これで3、4回目になるけど、やっぱり嬉しくない検査。

1時間後に画像を確認しながら診察を受ける。

自分が手術した病気は脊髄腫瘍。字面が物々しいし、響きも何だかデンジャラス。診断されるまで全く知らない病気だった。年間10万人に1~2人程度の発症率で、脳腫瘍よりもはるかに少ないのだという。いやはや。脊髄腫瘍と呼ばれる病気は、さらに硬膜外腫瘍、硬膜内髄外腫瘍、髄内腫瘍に分けられて、自分の病気は硬膜内髄外腫瘍の神経鞘腫というもので、とりあえず良性の腫瘍・・・なんだけど、具体的には未だに何がどうなっていたのかよく分からない。ていうかあんまり知りたいとも思わないけど。(特に手術の具体的な様子なんて、ちょっと想像するだけでも超スプラッターだし・・・)

左足先に充分力が入らないのが自分の症状で、手術で腫瘍を取り除いた後も、それまで圧迫されていた神経が回復するのに時間がかかる見込み。次回の診察は3ヵ月後。

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2008年5月18日 (日)

入院してました

4月14日から手術のため入院、術後のリハビリに時間がかかり、1ヵ月過ぎた5月16日にようやく退院。

自分が手術を受けるような病気になるとは夢にも思わなかった。生きているとそれなりにいろんなことを経験するものなのだな。はあ。

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2008年2月 3日 (日)

賞品マグカップ到着

JR東海さわやかウォーキング賞品の一つ、オリジナルマグカップが到着。

P1020297_3 このマグカップは、去年から賞品リストに加わったものだが、自分は春に転勤で名古屋から東京に戻ってしまったというのに、新賞品欲しさに静岡地区、名古屋地区開催のウォーキング参加を続けて、このマグカップ獲得のため膨大な交通費をつぎ込んでしまった。(←ただのアホ)

ま、JR東海のおかげで、あちこち知らなかった所を歩くことができました。見聞が広がって良かったです。

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2007年12月 1日 (土)

人生の意味とか

珍しくもカミュの芝居が上演されたことを機会に、「シーシュポスの神話」をざ~っと読んでみたせいか、最近何となく人生の意味についてゆる~く思いを巡らせている。

もちろん、誰にでも当てはまる普遍的な人生の意味など無いのであって、あなたにはあなたの人生の意味がある(だろう)し、私には私の人生の意味がある(だろう)としか言いようがない、のではあるけれど。つまり人生の意味とは個別的なものであるほかはない、おそらく。であるならば、自分の人生の意味は自分で見つけなさい、というか、はたまた無理矢理でっち上げなさいというか、そういうことになる、のだろう。

それでも一般的な言い方をしようとするならば、多少の限定が必要になると思われるので、さしあたり職業生活ほぼ人生として言えば、人生の意味というのは、とりあえず「これが私の生きる道」(パフィーの昔の歌の題名だ)ということを感じられる時間なのではないかなあ、と思ったりする。

しかしとりあえずそうだとしても、サラリーマンという生存様式を前提とすれば、職業生活において常に「これが私の生きる道」と感じられるということなどあり得ないのであって、実際のところ、見つけたと信じた自分の生きる道をいつの間にか見失ったりすることは往々にしてある。つまり、人生の意味はあったり無かったりする、のが常態なのではないかとも思える。

無論、人生の意味など無くても人は生きられる。
人生の意味に対する欲求は、食欲や睡眠のような直接的に生存に不可欠なものではないとしても、性欲には近いかも知れない。それが満たされないと死んでしまうという訳ではないけれど、ついつい求めてしまう・・・とか。

まあそんな事はともかく、意味があったり無かったりする人生において、できれば「これが私の生きる道」と感じられる時間の比率を高めたいのはやまやまなのだが、世の中で生きていると自分だけで物事を決められる場合は多くはないし、そもそも自分のできることにも限界はあるしで、現実には人生には「意味の無い」時間帯の方が多いのではないかと思ったりする。しかしそんな時間をそれなりにやり過ごせる「強さ」(鈍感力?)もまた、生きていくには必要なのだろうな。

はたして、(個別の)人生の意味を見出したり見失ったりしながら生きていく、それが(一般的な)人生の意味である・・・と考えて良いのかどうか。

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2007年11月19日 (月)

何となく3周年、また改題

ブログを始めて3年が経とうとしている。
何となく続いてはいるな、というのがとりあえずの感想。

ブログブームは終わっているし、個人的にもこの先積極的な活用ができるのかどうか不明ではあるが、当面は何となく続けていくのだろうな、というのがとりあえずの気持ち。

で、また改題することにしました。
タイトルは短い方が良い。余り捻ることもなく、割と在り来たりの名称の方が自分で飽きないということもある。
そう考えると、「千種通信」というタイトルは簡潔で良かった。でも今は東京住まいだ。
ということで、ひらがな表記にしてみました。千種というのが名古屋の地名であることは、どれだけの人に認知されてるのか分からないけど、漢字でなければ多少は地名イメージが薄まるかなという考え。「donaldのメモランダム」は再び副題に格下げ。

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2006年12月18日 (月)

今日から名駅サラリーマン

P1010687 名古屋に転勤になって3年余り、これまで栄で乗り降りするサラリーマンだったけど、今日から勤務先の場所が名古屋駅近くの高層ビルに変わって、栄サラリーマンから名駅サラリーマンになりました。まあ今後も転勤する可能性はあるし、いつまでここに来られるかも分からないので、新しい職場からひとまず記念に?窓外の風景を写してみました。名古屋城方向です。

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2006年1月 3日 (火)

豊川稲荷に行く

P1000750 名古屋で正月を迎えるのは3度目。最初のお正月は熱田神宮、2度目は伊勢神宮に行った。まあ、ウチでずーっとのんべんだらりんとしてるのも何だし、中年単独者も少しは正月気分を味わいたいということで出かけているのだが、今年の初詣は豊川稲荷にしてみました。まずは豊橋まで行くということで、名古屋~豊橋新幹線往復切符(3が日は休日扱いで2,500円)を使う。こだま自由席ならとりあえず座れるのがいいところ。豊橋からはそのまま往復切符で飯田線に乗り換え、約15分で豊川駅へ。目指す豊川稲荷は駅から歩いて5分ほど。

知らなかったとはいえ、行ってみたら結構大きなお寺なのがちょっと意外で、初詣の人もたくさん来ていた。信心深いわけでもない自分の趣味としては、素っ気無い感じの神社よりも、お寺の方がまだしもお参りする気分になれるな。

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2005年12月26日 (月)

「千種通信」の2005年

「千種通信」で今年取り上げた主な話題など。まずアクセス数が多かった記事から。

第1位 半井小絵・・・NHKのお天気お姉さんだが、この人ネット界隈での人気は非常に高い。大したこと書いてない当ブログの記事にも、目立ってアクセスが多かったのだよな。

第2位 カーチス・ルメイ・・・60年前の東京大空襲を指揮した男。当ブログの記事は(極東ブログの)finalvent氏の日記で言及されてアクセスが急増、その後もコンスタントに訪問があった。

第3位 『希望格差社会』と『下流社会』・・・今年は「格差社会」という問題がはっきり認識された年だった。その一方で今年2005年は、20年前の1985年に類似している、すなわち「バブル前夜」という見方も出された。この「バブル」と「格差社会」の同居が今の社会の「気分」なのか?

入賞 愛知万博・国際赤十字館・・・口コミで人気の出た国際赤十字赤新月館。自分も行って話題の映像(ミスチルの歌も流れる)を見たが、あまり感動できなかったなあ。

入賞 ゲバゲバ90分・・・キリン「のどごし生」コマーシャルのテーマに。CD「ゲバゲバ90分!ミュージックファイル」の解説文をメモした当ブログの記事にも、ちょこちょこアクセスあり。

入賞 トミー・ボーリン・・・30年近く前に25歳で死んだロック・ギタリスト。再評価されているというのか、今の若い人で聴いているファンもいるというのが意外な発見だった。

おまけ 隅田浩氏・・・日本株売りポジションを組んで失敗、運用するファンド撤退のニュースは「兜町」に驚きを与えた。株式相場の上昇持続は想定外の展開だったことを示す出来事。

次に、いろいろ行ってみました、ということで記事にしたものは・・・

(コンサート)メガデス、相川七瀬、平原綾香、イングヴェイ・マルムスティーン

(映画)オープン・ウォーター、ヒトラー最期の12日間

(展覧会)デ・キリコ展

(博物館系)呉の「大和ミュージアム」(尾道の大和映画ロケセットも)、恐竜スーの化石

(城、城跡、古戦場)長久手、賤ヶ岳、小谷城、岡崎城、山崎・天王山、長浜城、岩村城、丹波篠山、田辺城、備中高松城、岡山城、関ヶ原・松尾山、大和郡山、大阪城・・・並べてみると多いなあ~と自分で感心する。まさしく戦国時代病。来年のNHK大河ドラマは「山内一豊」、内容はともかく、桶狭間から大坂夏の陣までカバーするらしいので、来年も病はさらに重くなる見通し。

(訪問していただいた方々、特にブックマークしていただいた方に御礼申し上げます)

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2005年10月25日 (火)

40代で死ぬということ

私事ですが、先週誕生日を通過した。既に40代後半に入っているので、特に何がどうということはない。・・・けど、40代半ばという年代は44歳でニーチェが発狂し、45歳で三島由紀夫が割腹自殺し、46歳でカミュが自動車事故死ということで、いちおう「文学青年くずれ」の自分には多少の感慨もある。

今年の始めにマンガ家の中尊寺ゆつこが42歳でガン死、夏に江戸研究家の杉浦日向子が46歳でやはりガンで亡くなった。自分ももういつ死んでもおかしくない年令かな、とも思う。死去した二人共に、やり残したことがたくさんあっただろうな。

40代の死ということで思い出されるのは、金融マンから大学教授に転じた糸瀬茂。2001年の6月にガンで死去、享年47歳。村上龍のメールマガジンやテレビでも活躍して、まさにこれからという時の急死で、それこそやり残したことが山ほどあっただろうに、運命とは残酷なものだと思った。特に金融を中心とした政策への批判・提言を行っていただけに、不良債権問題にケリがついたと見える現状について、生きていれば何を語っただろうかと思うと、やはり残念な気がする。

それに比べると小生は特にやり残したこともなく、後は一人でだらだら生きるだけ(それって「下流」?)、なんかこのまま時々ブログ書きながら生きてりゃいいかな、みたいな感じになりつつあるのが、ちとコワい。・・・でもブログに書くにはいろいろなコトやんなきゃいけないので、それで良いということなのかな?

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2005年7月12日 (火)

クールビズの雑感あれこれ

本日付日経新聞が、夏物紳士衣料の好調を伝えている。7月1日から始まった百貨店各社のバーゲンは軒並み好調、主役はクールビズだ。シャツは前年比2ケタ増、高島屋新宿店でワイシャツは3割増、伊勢丹本店もシャツは25%増で特にボタンダウンが5割増。関連して肌着や小物なども堅調ということだ。

クールビズ、まだ自分は試していない。自分の勤め先は証券会社、ただし仕事は客と接することの少ない内勤。とはいえ、自分の周囲を見回してみても、ノーネクタイは皆無、半そでシャツすら少数派で、いちおう金融機関の端くれということなのかなあ。一部の銀行さんでもクールビズしているとは思うが。

とはいえ今年はお国が勧めるノーネクタイ、梅雨明けくらいが試すきっかけに良いかなと思って、自分も夏のバーゲンには出向いて、それ用のものをいくつか買い込んで準備はしているのだった。いちおうボタンダウンを買ってみましたが、ものを選ぶのに意外と考えましたね。色・柄ともにあんまりくだけてしまうとカジュアルになってしまうし、ボタンダウンそのものが既にかなり出てしまって、バーゲンには意外と種類がなかったりしたもので。

日経の同じ記事に、Vネックのアンダーシャツが売れていると出ていた。自分も平日は丸首シャツなんですが、やっぱり首元が開くのだからと思って買い足しましたよ、Vネック。夏のバーゲンに出かけて、ボタンダウンやVネックを買う自分って、結構普通の消費者だったのだなあ、と妙に納得した。

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2004年11月23日 (火)

名古屋雑感

東京から名古屋に来て一年、とりあえず名古屋の印象について。少し前から万博、国際空港、そして名古屋嬢?と話題の多い名古屋は景気も良いという話でしたが、実際に来てみると、大変に活気があるという感じでもなくて、全体的な印象は図体のデカい地方都市というところです。やっぱり余り垢抜けない・・・。名古屋駅前にはJRのツインタワーがありますが、ああいう高層ビルがもう10本くらい建つと、名古屋も都会だなー、と思えるのではないか。駅前には現在、トヨタ・毎日ビルが建設中ですが、景気の良さというのも、結局はトヨタのおかげ、トヨタ様さまという感じです。

食べ物はしばしば言われるように、ちょっと独特。みそかつ、ひつまぶし、味噌煮込みうどん、きしめん、あんかけスバゲティ、台湾ラーメン、手羽先等々ありますが、まあそんなに驚くほど美味であるという程でもなくて、大体は予想の範囲内の味でしょう。ひつまぶしのお値段は安いとはいえないし、みそかつ、味噌煮込みうどんも有名店に行くと結構高い。あんかけスパゲティは元祖とされるヨコイ、そしてチャオ、チェスティーノなどお店によって味の違いがありますが、名古屋テレビ塔(今年50周年)の近くにあるママカラのあんかけスパゲッティは割りと上品な味です。台湾ラーメンは、元祖とされる今池の味仙は本当に辛い。チェーン店の藤一番の台湾ラーメンが比較的食べやすいと思います。カレーはココイチが地元ですが、チェーンならば個人的にはマサーラの味の方が好み。喫茶店の代表はコメダコーヒー、あとカフェ・ド・クリエをよく見かけるのですが、これは地元企業であるポッカコーポレーション系ということです。名古屋というとモーニングサービスが凄い、という話を聞いていたのですが、自分はまだそれらしいものにお目にかかっていない。豪華モーニングは、どうも都心部より郊外の店にありそうです。それから、名古屋は水道の水をそのまま飲める。これは素晴らしい。いうまでもなく東京の水はまずいので、さすが木曽川ってところですか。

言葉ですが、よく冗談半分にいわれる「みゃー」とか「にゃー」とかは殆ど聞かれないので、そんなに違和感はありませんが、基本的には西日本系の言葉(言っとる、知っとる、とか)という感じで、少し大きい声でしゃべっていると何か「名古屋っぽい」です。はじめて聞いたのは「ほかっとく」という言い方で、「ほっとく」の意味ですが、ちょっとインパクトありましたね。それから名古屋の人は、人をよけて歩くことをしないような気がする。あんまり人の動きを読んで歩いてないというか。先日、名古屋の広報紙に地元出身の竹下景子が「名古屋ではマイペースで歩けます」などと語っていたので、どうもそういうことらしい。逆に言うと東京は人が多すぎるのかもしれないが、人の間を縫うように歩くのが都会人だ、と言いたくなるような気もする。あと、名古屋の人は歩行中の他人への「一瞥」の時間が、東京の人より長いような気がする。東京人の他人への視線が0.5秒で移るならば、名古屋人は少なくとも3倍の1.5~2秒はあるような。東京的な感覚からすると、割と人のことを「じろじろ」見るような。気のせいかもしれませんが、そんな感じ。

とりあえず名古屋そのものは、そんなに大したものとも思えないのですが、その周辺は自然あり史跡ありと、なかなか良い所が多いです。京都にも在来線で2時間で行けるし。そういうところも含めると割と楽しめるんじゃないかと思います。

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ブログなるものを我もしてみんとてするなり

東京から名古屋に来て一年が過ぎた。40年以上も生きてきて、転職や会社合併は経験していたのに、転勤は初めての出来事だった。単身赴任ですかと問われて、あのーもともと「単身」なんです、と答える自分であった。名古屋に移った当初は「(東京を離れて)さびしいですか」などと聞いてくる知り合いもいたが、もともと友達も少ないので、「別に」という感じだった。というか一人暮らしも長くなると、さびしさというのも余り感じなくなってくる(気分はすでに独居老人?)。実際、東京から名古屋に物理的に住む環境が変わっても、一人者の生活パターンが変わるというものでもない。

しかし一人者というのは会社に行く平日はともかく、休日は会話がないのだなあ。しゃべらないとボケが早く来るのではないかと結構まじめに恐かったりする。どこへ行くにも概ね一人、そのことを余り人に話す機会もないということもあって、「文庫手帳」なるものに、その日自分のしたことをメモしたりしている。

というようなことで、人と雑談する機会に乏しいならば、少なくとも書くことぐらいはしようかなというのが、このブログなるものを、ITに決して強いとはいえないワタシ(自分の年代、40代はITにやたら詳しい人とそうでない人が極端に分かれるような印象がある。自分は後者)がやってみるという、そのきっかけになっています。

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