2019年5月31日 (金)

アルカトラス名古屋公演

昨日30日夜、アルカトラスの名古屋公演(今池ボトムライン)に行った。グラハム・ボネットは近年、ちょくちょく来日しているみたいだが、自分がグラハムを見るのは12年ぶり。2007年のジョー・リン・ターナーとのジョイントライブ(東京・渋谷)だった。さらに昔話をすれば、84年10月のアルカトラスのライブを東京・新宿で見た。ギタリストはスティーブ・ヴァイだった。そこから数えると35年かあ。いやあ~何か不思議な感じです。

今回のライブは、ファーストアルバム「ノーパロールフロムロックンロール」の曲と、グラハムの参加したレインボー、マイケル・シェンカー・グループ等の有名曲が中心。グラハムは「ナイト・ゲームス」を歌った後、西城秀樹に言及。彼が亡くなって非常に悲しいと言ってた。と思う。グラハム・ボネット・バンド名義で昨年出した最新アルバム「ミーンホワイル、バックインザガレージ」からも、自分が分かった曲では「ロング・アイランド・ティー」が演奏された。なんとかかんとかアウトサイド!ってガナる歌である。思えば新アルバムは全体的に出来がよかったと思う。結構現役感出てたし。

大昔そのルックスは「横山やすし」と呼ばれていたグラハム(本人はジェームス・ディーンのつもりなのに)だが、最近は髪のボリュームも減って「タモリ」化している。でも絶叫型のボーカルは健在。そのパワーの源はおそらく、バンドメンバーでありパートナーである巨乳女性ベーシストのベス・エイミーなのだろうなあ・・・。

4年前、再結成UKのライブを東京・中野で見た後、おそらくロックのライブに行くことはもう無いような気がしていたのだが、今回行ってしまいました。この後、来たら見る気になるバンドが何かあるかなあ・・・。

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2019年5月 4日 (土)

歌謡曲は偉大なのです

4月30日のNHKBS「桑田佳祐大衆音楽史ひとり紅白歌合戦」を見た。先の地上波放映時も見た番組だけど、面白いなあと思っていたので、この「再放送」も見た。

何しろ桑田さんの「ひとり紅白歌合戦」という企画が驚異的。人間ワザとは思えません。平成20年、25年と行われて、昨年平成30年の3回目でひとまず完結したという。番組は「ひとり紅白」で歌われた170曲以上の一部を紹介しつつ、歌謡曲、フォーク、ニューミュージック、Jポップの歴史の記憶をたどっていく。桑田さんとほぼ同年代の自分には、「シャボン玉ホリデー」の魅力や、クレイジー・キャッツやドリフターズの影響を語る部分も面白かった。以下に番組中の桑田発言から一部をメモします。

洋楽を聴くにつれて一周回ると、どうしても歌謡曲にたどり着くというか・・・洋楽並みの事をちゃんとやっているし、洋楽を聴いた耳だと理解できるし、歌謡曲は偉大じゃないか。自分の体の中ににしみこんでいる、血肉となっているんじゃないかと気づいて唖然とする。っていうか感動すらあるんですけども。それで「これを自分が表現したい」という風になりまして、「ひとり紅白」に行き着いたんだと思います。

「ひとり紅白」をやっていて、すごくいい体験になるな、勉強になるなっていうのは、ぼくら洋楽を経験して自分で楽器を覚えてアレンジをしたりっていう経験値の中で、はじめて50年近く前のグループサウンズの曲を歌うとね、「こんな宝物か」って思うぐらい、音楽の素晴らしい重要なエキスがすごいつまっている。単にいい曲っていうだけじゃなくて驚きもあるんですよね。

(フォークの流行について)あの当時、何か揶揄するような意見もあったじゃないですか。「四畳半フォーク」って言い方があって。そういう了見の狭い時代でもあったの。今思うと大きな勘違いでね。

(ユーミンの曲を歌ってみて)名曲っていうのは、もちろん聴いて良しだけど、歌ってもっていかれるっていうかね。歌という入れ物をお借りして、入れ物の中を自分の心が自由奔放に動き回れるっていうかね。大きな何か大事な器を与えてもらうような感じでね。

(昨年末の紅白歌合戦出演で)何かものすごく今後頑張れる気持ちにもなりましてね。ぼくらもよく悩むんですよ、いろいろ。「ホントにこれでいいんだろうか」とか。生きてるとクヨクヨするんだけど、「頑張ればなるようになるんじゃないかな」っていうのを、みなさんに以心伝心教えていただいたような気がしましてね・・・夢のような紅白でしたね。

・・・歌ってみて分かる歌謡曲の偉大さ。なるほどね。しかし桑田さんもクヨクヨ悩むのかと妙に安心する。と感じるのも我ながらヘンですが。

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2019年3月24日 (日)

『メタル脳』

脳科学者中野信子が愛する音楽は何とヘヴィメタル。「社会的な存在である人間のネガティブな部分に向き合う」メタルは、「愛とか恋を叫ぶ歌よりも」「音楽として本源的でまっとうだと感じた」とのこと。ここでいう「ネガティブな部分」は、「非社会的な部分」と言い換えても良い。人間(ホモ・サピエンス)は自らの生存戦略として、社会を作ること、社会性を獲得することを選んだ。しかし個人レベルでは、社会性を発揮するのが上手な人とそうでない人がいる。そしてメタルファンの多くは後者ではないか、という。彼女が愛を込めてメタルを分析する『メタル脳 天才は残酷な音楽を好む』(KADOKAWA発行)からメモする。

一般的にメタルは「反社会的」なものとして認知されていると思われますが、わたしは「非社会的」という言葉のほうが合っていると見ています。「社会的であること」は生存競争において長らく人間の最強の武器でした。しかし、じつは近年その傾向が変わってきています。それは現代では、それまで必要なはずだった人間関係を持てば持つほど、そのことがリスクになる世の中になりつつあるということです。わたしたちにはまったく新しい戦略が求められていると感じます。そのひとつになり得るのが、社会から抜け出そうとする「非社会的」というアプローチだと考えています。

外向性の高さとは、要するにまわりを日和見る能力です。逆に言えば、「非社会的」な人は日和見の能力が低いわけで、「日和らない」基準を持った人と言うこともできます。外からの視線が判断基準にならず、自分の感情や経験に忠実であり、ていねいに思考を積み重ねることもできます。「ここだけは譲れない」という、自分だけの基準をつくりやすい人たちなのです。繰り返しになりますが、内向性の高さが、同時に社会からの影響の受けにくさであるなら、それはこれからの社会を生きるうえで強力な武器となるでしょう。なぜなら、いまの時代というのは社会そのものがリスクだからです。

メタルは、社会通念を打ち破ってくれそうな期待感を抱くに足る音楽です。一般的な人たち、「社会的」な人たちが信じているきれいごとの世界のことを社会と呼ぶならば、それに対して「ちがう」という意思表示をすることがメタルです。欺瞞に満ちた社会に対して、暴力によらずに音楽の力で強烈な一撃をくらわすこと、それこそがメタルの存在意義なのです。

・・・中野信子が論じると、メタルが知的な音楽に思えてくる。(苦笑)

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2018年7月22日 (日)

グラハム・ボネット、健在だあ。

グラハム・ボネット・バンドの新作「ミーンホワイル、バック・イン・ザ・ガレージ」を購入した。CDプラスDVDの「デラックス盤」である。DVDは今年1月にニューヨークで収められたライブ盤。まあ新曲に期待する気持ちがあるとは言えないので、グラハムが有名曲を歌うライブDVD目当てに買ってしまうわけではある。

場所はホールではなく、こじんまりした感じのライブハウス。オーディエンスは着席して飲食している前で、グラハムの熱唱が続く。アルカトラス、レインボー、マイケル・シェンカー・グループ・・・いずれもハード・ロックの名曲といってよい楽曲のオンパレードだ。グラハムの声量、シャウトの迫力、歌の安定感は、とても70歳の人のものとは思えない。でも、足下に何枚か紙が並べられているのは例の?歌詞カンペなんだろうか。それもまあご愛敬ですけど。

しかしグラハムさん、本人はヘヴィメタルは嫌いだと言いつつ、結局ハードロックで商売している不思議な人だ。まあ結局、グラハムさんに求められるのはハードロックということなんだろう。人から求められることで商売するのはノープロブレムだし。実際自分も30年以上前に聴いていた曲を、今でも好んで聴いてしまうわけだし。ということは、何だかんだ言っても、リッチー・ブラックモアやイングヴェイ・マルムスティーンは大したもんだ、ということにもなるんだろうね。

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2018年5月 6日 (日)

「パープル・ファミリー」の活躍

正直、グレン・ヒューズが「クラシック・ディープパープル・ライブ」ツアーなるものを去年の9月からやっているというのを全く知らなくて、久しぶりにプライベート盤ストアのサイトを眺めた時に、ライブ盤が商品リストにアップされているのを見て「へぇ~」となった次第。何しろ今年になってから、1月にホワイトスネイクの「パープル・ツアー」ライブ盤、4月はリッチーブラックモアズ・レインボーの2017年イギリス公演のライブ盤(いずれも公式盤)が相次いで出て、さらにグレンのライブということで、パープル・ファミリー(死語)が活躍してるな~という感じになったものだから、グレンのチリ・サンティアゴ公演(今年4月)のプライベート盤も購入して聴いてみた。紫の炎や嵐の使者など第3期と第4期の曲はもちろん、ハイウェイスター、スモークオンザウォーターもセットリストに入れる大サービスぶり。グレン健在を示し、バンドメンバーもどういう人か知らないけど、かなりの凄腕という感じ。おそらくいずれは公式盤も出るのでしょう。
 
既に出ている話だけど、現在活動しているリッチーのレインボーに、グレンも参加する予定だったらしい。しかし連絡に人を介していたものだから話の行き違いがあったらしくて、結局実現しなかったと。何しろメインボーカリスト(ロニー・ロメロ)がいるという一番肝心な話が伝わってなかったのだから、それを分かっていれば、シンガーとしての自負心も人一倍強いであろうグレンが、最初からバンド参加の誘いを受け入れるはずもなかっただろう。(苦笑)
とはいえ、もしグレンが参加していれば、それはそれでレインボーという名前のバンドとしてはちょっと微妙な感じもあったと思われるので、まあこれで良かったんじゃないの、と思ってしまう。(苦笑)
 
リッチーは飛行機に長時間乗るのは嫌だということで来日は期待薄だが、グレンの来日は期待してもいいのかも。来たら見てみたいという気持ちはある。
 
今ではさすがに本家ディープパープルの新作を買うということはないのだが、それにしてもディープパープルの音楽に40年以上も付き合うとは思っていなかったな。何しろ70~80年代のロックをやってた当人たちが、今も現役でやってるわけだから、何だかすごいことだと思うよ。

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2017年2月 1日 (水)

ジョン・ウェットン死去

訃報が飛び込んできた。常にプログレッシブ・ロック界の第一線で活動してきた男、ジョン・ウェットン。1月31日、がんにより急死。享年67歳。
 
2015年春、中野サンプラザで行われた再結成UKのラストコンサートを自分も目撃。まさかあれからたった2年で、ジョン・ウェットンがこの世を去るとは夢にも思わなかった・・・哀しくも残念としか言いようがない。
 
ジョン・ウェットンのキャリアにおいて、代表的なバンドとして名前が挙がるのはキング・クリムゾンであり、エイジアであるかも知れない。しかし70年代ティーンエイジャーである自分にとって、クリムゾンというカリスマ・バンドに比べたら、エイジアの音楽はとてもじゃないがプログレとは呼べないのが正直なところ。
自分が実際にジョン・ウェットンのステージに接したのは1979年のUK来日(日本青年館)、そして30年の時を経た2011年、2012年の再結成UKの来日(川崎クラブチッタ)ということもあり、自分にとってはジョン・ウェットンと言えば、エイジアよりもUK、という印象は強い。
今となっては、UK復活はジョン・ウェットンがこの世を去る直前に我々に遺してくれた奇跡のような置き土産だったと改めて感じるばかりである。合掌。

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2016年11月20日 (日)

リッチーとグラハムの2016年

自分のようなクラシックロックのファン(要するにオールド・ロックファン)にとって、今年2016年はリッチー・ブラックモアとグラハム・ボネットの年だったなあと思う。
リッチーとグラハムのレインボーが出演した一大イベントと言えば、1980年「モンスターズ・オブ・ロック」。36年後の今年、そのライブの公式盤が春に出て、6月にはリッチーがレインボー名義のハードロック公演をドイツとイギリスで行った。そしてこの秋にはグラハムのニューアルバム(グラハム・ボネット・バンド名義、過去の代表曲のセルフカバー盤付き)が届いた。
 
安価な輸入盤を購入してグラハムの新作を聴いたのだが、ロックのボーカルとしては十分にパワーを保ちつつ、曲によっては軽快感が増している印象もあり、これが70歳も間近の人の声とはとても思えない。
話が横道に逸れるけど、グラハムのアルバムと前後してニュー・イングランドの新しいライブ盤も登場。このバンドのメンバーはかつて、グラハムのアルカトラスにも参加していたなと思いながら聴いてみると、なるほど80年代的というか、ハードポップ・プログレ風味という感じの個性的なサウンド。
 
今月はリッチーのドイツ公演の公式盤(ブルーレイ、DVD、CD)も出たけど、数種類のセット売りのパターンで結構なお値段でもあり購入は見送り。
というか、自分のフェイバリット曲であるBurnを演奏したイギリス公演のブート盤を買っていたので、それで十分という感じ。確かに注目の若手ボーカリスト、ロニー・ロメロの評価は高い(特にスターゲイザーの力強い熱唱には引き込まれる)と思われるけど、リズム隊も含めて全体的に迫力不足の感は否めないかなあと。しかし地球の裏側のライブの模様が、2日後にはユーチューブの画像で見られるのだから、昔の人間には考えられない時代になったよなあ。
 
(追記)リッチーのレインボーは2017年も、6月にイギリス公演(4回)を行うことが明らかになった。まあ普通に考えればリッチーは高齢者だし、わざわざ地球の裏側の日本までやって来る可能性は小さいだろうなあ。

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2016年4月24日 (日)

ドニントンのレインボー

往年のハードロックバンド、レインボー。昨年CD5枚+DVD1枚のボックスセットが出たと思ったら、今年は1980年のイギリス・ドニントンで開催されたモンスターズ・オブ・ロックのライブがCD2枚組、ほぼ完全版で出た。DVD付きの商品もあるが、この内容はボックスセットに収められたものと同じ30分の短縮版映像。画質はさらに向上しているとの触れ込みだが、まあこれはもういいやとCDのみの商品を購入。

「スターゲイザー」は昨年のボックスセットでCD化されていたので、今回のライブ盤での聞きものは、「ロストインハリウッド」になるだろうか。ギターソロ(ベートーベン「歓びの歌」など)、キーボードソロ(映画「未知との遭遇」など)、ドラムソロ(チャイコフスキー「1812」など)を盛り込んで、何だかんだで30分近いロングバージョンの楽曲演奏は、いかにも当時のブリティッシュ・ハードロックのお家芸を見せつけるようなライブの展開。

御大リッチー・ブラックモアは今年6月にドイツとイギリスで計3回、ロックギタリストとしてステージに立つ予定で、「モンスターズ~」の発売は限定復活ライブに向けた商売の一環という印象もあるが、何はともあれリッチーのキャリアにおいて「カリフォルニア・ジャム」と並ぶ伝説のライブの商品化を喜ばしく思う。何しろライブ自体が36年も前のこと、もう公式盤は出ないような気がしていた。長生きしてると、思いもよらないことが起きるもんだ。(苦笑)

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2016年1月19日 (火)

ロックの70年代が消えていく

デヴィッド・ボウイに続きグレン・フライ(イーグルス)の訃報が届いた。
自分はどちらもそれ程熱心なファンではないけれど、今年に入って立て続けのロック・スター死去となると、やはり感慨めいたものが生まれる。

4年前の夏、ジョン・ロード(ディープ・パープル)が亡くなった時、自分はブログにこう記した。
「自分がティーン・エイジャーの頃のヒーローが、この世を去っていく時期に入ってきたようだ。向こう10年位は、さびしいニュースを聞く機会が増えるんだろうか」
そうなってきたよなあ・・・かつて若くして世を去ったトミー・ボーリン(ディープ・パープル)、ジョン・ボーナム(レッド・ツェッペリン)、フレディ・マーキュリー(クイーン)の死はかなりのショックだった。最近亡くなったロック・スターは短命というわけではないから、ショックという程でもないが、やはりさびしいと感じるニュースではある。

昔は良かった、みたいなジジくさい言い方はあんまりしたくないのだが、ロックについては昔、70年代は良かったとしか言いようがない。
あの頃、一世を風靡したロック・スターが世を去る。70年代は遠くなりにけり、どころか消えていく、という感じがする。

70年代ロック・・・そうだ今年2016年はリッチー・ブラックモア・イヤーなのだった。6月予定のハードロック復帰ライブ、71歳になるリッチー御大が無事にステージに立っていることを願う、ぞ。

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2015年11月20日 (金)

リッチーのレインボー、3たび輝く

来年2016年6月に予定されているリッチー・ブラックモアのロック公演。ドイツ2回、イギリス1回。ボーカルはロニー・ロメロという若い人。
しかしリッチーのハード・ロック復帰というニュースに心躍るものがあるかといえば、自分はそうでもないわけで。
リッチーはロックを引退した人。要するに過去の人。自分はそのように見做していた。大体リッチー本人が今回のロック・ライブをやる理由について「ノスタルジア」と語っているようだから、とりあえずそういうことなんだろうと。過去の人が過去の曲をやると。
それでも公演メンバーに元ディープ・パープルや元レインボーの人が入っていないのは、むしろポジティブに受け止められる。もし入ってたら、まるっきりノスタルジアになってしまうからね。
やっぱりロック・ボーカリストは若い人でないと。かなりのシニアが声を張り上げて歌うハード・ロックというのは、聴いていて辛いものがあるし。その点、ギタリストは指が動けば大丈夫だから、有利だな。
それにしても、40年前の高校生である自分には、やはり感慨はある。40年前、リッチーはディープ・パープルを脱退してレインボーを作った。そして20年前、リッチーの2度目のレインボー結成。そして今年、3たびレインボーが現われるという知らせが届いた。
ブラックモアズナイトは全く聴いてない自分は、この20年の間は御無沙汰ではあったけれど、あらためてリッチーと共に生きてきた?年月の長さを思えば、やはりリッチー・ブラックモアの「最終章」は見届けなければ、という義理を感じるような気持ちもある。

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