2022年3月12日 (土)

日本発プラモ縮尺の世界標準化

プラモデルの戦車1/35スケール、戦艦1/700スケールは、日本発の世界標準である。本日付日経新聞土曜版記事からメモする。

世界最初のプラモデルが英国のブランド、フロッグから発売されたのは1936年のこと。複葉戦闘機3機種がモデル化され、スケール(縮尺)は72分の1だった。72分の1に加え、一回り大きい48分の1はプラモデルの主流だ。これらスケールの源流はヤード・ポンド法。12進法と縁が深く、英米で広まった。

一方、初の国産プラモデルは58年にマルサン商店が発売した潜水艦、ノーチラス号など4点というのが定説だ。60年代初頭には田宮模型(現タミヤ)、長谷川製作所(現ハセガワ)、エルエスなど国内メーカーが市場に参入した。60年代初めの各社製品の多くは75分の1、50分の1などメートル法準拠で設計しやすい5の倍数の国内スケールで、国際的に無力だった。

ところがあるとき、後に世界標準となる縮尺が誕生した。田宮模型が61年末に発売した戦車シリーズで採用した35分の1である。タミヤ広報担当によれば、第1作の「ドイツ パンサータンク」発売時は35分の1を明確に意識していたわけではなく「車体に単2乾電池2本を収められるサイズがたまたま35分の1になった」のだという。

田宮模型は35分の1でモーターで動く戦車に加え、動かない装甲車や大小火砲、兵士のフィギュアを「ミリタリーミニチュア」として大々的にシリーズ化。70年代にかけ米欧に輸出攻勢をかけた。海外の博物館での実車取材に基づいた正確な設計や、国内外の他メーカーを寄せ付けない金型技術による精密再現に同社は力を込め、日米各社が32分の1や30分の1で出していた戦車模型を駆逐し、70年代初めには35分の1が国内外ともデファクトスタンダードとして確立した。

もう一つ、日本が生んだ国際的スケールに艦船模型の700分の1がある。71年に静岡県内に本社を置く田宮模型、長谷川製作所、青島文化教材社、フジミ模型が共同で始めた艦船モデル「ウォーターラインシリーズ」が源流だ。海外の戦闘艦も積極的にモデル化したところ、英のマッチボックスやアジアを中心とする多数の企業が追従した。

・・・70年代前半、中学生だった自分は「ミリタリーミニチュア」も「ウォーターライン」もよく作った。「ミリタリーミニチュア」は、精密な戦車模型をキレイに作るだけでなく、写真資料等を見ながら「汚し」塗装他の工夫を施して、いかにリアルに仕上げるかに苦心し、さらに兵士フィギュアも配置した戦場ジオラマを作るという楽しみを提供した。「ウォーターライン」は、静岡4社共同で連合艦隊を再現するという企画で、船底部分を省略した洋上模型というスタイルも当時は目新しかった覚えがある。700分の1というスケールは艦船模型としては小振りな感じもするが、連合艦隊の戦艦、空母、重巡など主力艦をコレクションする楽しみに重点を置いたスケールの設定だったと思われる。

70年代は確かにプラモデルに勢いがあった時代だと思う(石油ショックの影響はモロに受けたが)。その時代にたまたま居合わせた自分も、一端の「プラモ少年」となったわけだが、今の時代、現役の「プラモ少年」の姿は目立たない。日経記事冒頭にも「今では中高年の趣味となったプラモデル」とあり、元「プラモ少年」である「プラモ中高年」が、地道に作り続けている感じだろうか。自分はと言えば、元「プラモ少年」のままである。プラモ作りを復活したいとも思ってない。それでも「プラモ少年」だった記憶は、貴重なものだと感じられる。なぜなら、それは戦争を学ぶ機会だったからだ。当時の少年である我々にとって戦争は、プラモ、映画、マンガで学ぶものだったのだ。

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2021年9月14日 (火)

将棋タイトルに関する(昔)話

将棋の藤井君が三冠達成!
13日、豊島将之叡王に藤井聡太二冠が挑戦した叡王戦最終第5局は、藤井二冠が勝ち、19歳1ヵ月の最年少三冠が誕生した。

ところで小生は古い将棋ファンである。しかもしばらく関心を失っていた。しかし、これまでの天才とはそれこそ次元の違う感じがする藤井君の登場で、将棋への関心がじわじわと復活してきたところである。しかし今の将棋の戦法を見ると、主流は角換わりとか相掛かりとか、昔の矢倉や振り飛車とは様変わりであるのもちょっと戸惑いを感じたりする(汗)。そんな出戻り将棋界ウオッチャーにとって、新しい棋戦である叡王は格下のタイトルという印象で、三冠といっても名人や竜王が含まれていないのは、ちょっと物足りない印象もあった。

ところが改めて将棋のタイトルの序列(賞金によるランキング)を見直してみると、叡王は去年までは竜王、名人の次の3番目にあったとか。今年はスポンサーが変わって、序列は下がった(要するに賞金が減った)とのことだ。最新の序列は竜王、名人、王位、王座、棋王、叡王、王将、棋聖である。竜王は賞金額を公表していて4,400万円、以下は推定で名人3,000万円、王位1,000万円、王座800万円、棋王600万円、王将と棋聖は各300万円で、叡王の金額は棋王と王将(600万円と300万円)の間、らしい。(賞金額は、サイト「普及指導員きゃべ夫の将棋畑」による)

古い将棋ファンである自分は、タイトルの序列と言われて思い浮かぶのは、名人、王将、十段、王位、棋聖の5大タイトル、という感じになる。竜王戦は、主催の読売新聞が十段戦から発展させて賞金額一番のタイトル戦に仕立てたものだが、賞金額だけでタイトルの格を決めていいのだろうか、やっぱり将棋の最高位は名人でしょう、と思っちゃう・・・のは、古い将棋ファンの証ですかね。名人戦も昔、主催が朝日新聞から毎日新聞に移ったり、いろいろゴタゴタしてた時期がありました。結局今は朝日と毎日の共同主催になっている。まあ新聞社の経営も楽じゃないだろうし、よく今もスポンサーやってるなという感じもする。

それから今の序列で、あれっとか思うのは、王将位と棋聖位が下位にあること。いずれも伝統ある棋戦なのに。棋聖戦は、昔は夏と冬の2回やってた。「棋聖戦に名局多し」が、作家の山口瞳の持論だった。(一年1回の7番勝負と比較して)一年に2回、5番勝負というのは緊張感がある、と。また棋聖戦というと、新鋭棋士の登竜門というイメージがある。古くは中原誠や、屋敷伸之(藤井君に記録を破られるまでの連勝記録保持者)、そして藤井君の初タイトルも棋聖位。

さて、藤井君は竜王戦挑戦も決まっており、10月から豊島竜王と7番勝負を戦う。これで藤井VS豊島のタイトル戦は、王位戦(藤井4-1で終了)、叡王戦(藤井3-2で終了)、そして竜王戦と立て続けに3回実現。2021年の将棋界は、藤井VS豊島の頂上決戦の年として記憶されるだろう。

しかし今の藤井君の強さを見ていると、今年の竜王奪取、来年のA級順位戦昇格、再来年の名人挑戦そして獲得も、既に決まっているように見えてくるから恐ろしい・・・もう無敵としか思えないぞ。

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2021年2月12日 (金)

将棋・朝日杯2021年藤井二冠優勝

本日付朝日新聞記事から以下に引用。

第14回朝日杯将棋オープン戦(朝日新聞社主催)の準決勝と決勝が11日、東京都千代田区の有楽町朝日ホールで行われ、藤井聡太二冠(18)=王位・棋聖=が2年ぶり3度目の優勝を果たした。
朝日杯は持ち時間が各40分で、使い切ると1手1分未満で指す早指し戦。藤井二冠は午前の準決勝で渡辺明名人(36)=棋王・王将と合わせ三冠=と対戦し、終盤に敗勢から粘り強く指し続け、逆転勝ち。午後の決勝では三浦弘行九段(46)との激戦を制した。
準決勝・決勝は例年、ファンが観戦する公開対局として行われるが、今年は新型コロナウイルスの感染拡大のため無観客となった。

・・・ということなのだが、協賛社に勤めている小生はなんとなんと、招待枠に参加希望して無観客の会場に出入りすることができたのだ。いやあ、定年後もこの会社にいて良かったなあと心の底から思った。(笑)

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当日は午前10時から、ホールのステージ上で準決勝2局が同時に対局開始。渡辺名人対藤井二冠と、三浦九段対西田拓也四段だが、やはり渡辺・藤井戦(写真は対局開始直後の様子)が事実上の決勝戦かなあと思っていた。戦型は渡辺・藤井が相掛かり、三浦・西田が居飛車穴熊対三間飛車。12時前、まず三浦が125手で勝利。渡辺・藤井戦は両者持ち時間を使い切った後、1分将棋が1時間以上も続く緊迫の展開。ほぼ無人のホールに、記録係の秒読みの声だけが流れる中、12時半頃、138手で藤井勝利の決着。

藤井対三浦の決勝は午後2時開始、後手番三浦の注文から横歩取りの激戦に。午後4時過ぎ、101手で藤井勝ち。朝日杯3度目の優勝を決めた。

会場内の大盤解説室ではアベマTVが中継する中、木村一基九段、杉本昌隆八段の解説や、大盤の前で各対局者を交えた感想戦なども直接見ることができたし、何だか夢みたいとしか言いようがない。とにかく将棋漬けの一日でした。

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2019年11月16日 (土)

囲碁棋士の小川誠子さん死亡

今朝、新聞の死亡欄で小川誠子さんの名前が目に入り驚いた。僕は将棋は分かるが囲碁は分からない。それでも女流棋士の草分けといえば、将棋は蛸島彰子さん、囲碁は小川誠子さんと承知はしていたわけで、女流棋士の活躍という点では、囲碁は将棋よりも先行していた印象がある。

先年、蛸島さんが棋士を引退された時は、オールド将棋ファンの僕も感慨めいた気持ちを抱いたのだが、まさか小川さんが引退を通り越していきなり亡くなるとは思いもよらないことで、囲碁が分からない自分の心の中にも寂しさが静かに広がっていった。

小川さんに限らず、自分が若年の時に各分野の第一線で活躍していた方々が亡くなるのを見るのは、やはり哀しいとしか言いようがない。

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2018年5月19日 (土)

藤井七段誕生、高速の昇段

高校生の天才将棋棋士、藤井聡太六段が18日の竜王戦の対局で勝利し、規定により七段に昇段した。そもそもデビューが昨年春だったから、一年余りで四段から七段になっちゃったわけで、まさに天才だから可能な驚異的スピード昇段というほかない。

しかし自分のような将棋のオールドファンから見ると、昔は順位戦で昇級昇段、どんなに早くても一年ごとに一段上がるイメージしか無かったのに、最近は昇段の条件も、何だかんだといろいろあるのだな、という感じではある。まあいろいろあっても、実際に適用されるケースはそんなには出てこないんだろうけど。

とはいえ、さすがに八段昇段の条件となると、竜王位獲得、順位戦A級昇級、七段昇段後公式戦190勝、の3つしかないとのこと。

オールドファンはどうしても、順位戦で勝って昇段するのが本当の昇段だよな、と思ってしまうので、天才の藤井君には毎年昇級でA級八段になることを期待します。

しかし藤井と言えば聡太七段となると、藤井猛九段の影が薄くなるのではないかと心配してしまいますね。

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2017年6月28日 (水)

将棋オールドファンの独り言

プロデビューから連戦連勝の将棋棋士藤井聡太四段。今週月曜日の対局で29連勝の新記録を達成。本日付日経新聞コラム春秋も、天才中学生棋士の活躍に寄せて書かれている。その一部を以下にメモする。

新星への期待は膨らむが、元神童が居並ぶ棋界である。作家、山口瞳さんが畏怖の念を込め「お化け屋敷」と称した天才、鬼才の集団は新参者にそう優しくなかろう。そこにまた伝説が生まれる。目が離せぬゆえんだ。

振り返れば、酒に溺れた棋士や病で早世した棋士、演歌を大ヒットさせた棋士など人生行路も棋風なみに様々である。それがまたファンを引き付ける。さて藤井四段。どんな勝負師に育ってくれるか。


・・・将棋名人といえば中原誠をイメージする自分、つまりオールドファンから見ると、山口瞳(故人)の言葉も引用されてるし、たぶんコラム氏は自分と年齢が近い人かな、と思う。だとしたら、文中の演歌棋士はもちろん内藤先生(國雄九段)だし、酒に溺れたのは多芸多才の芹沢博文(故人)、早世したのは打倒大山を掲げた山田道美(36歳で病死)、という感じがする。(若いファンならば、夭折棋士というと村山聖になるんだろうな)

今週初め、藤井四段の話題の影に隠れて?オールドファンには寂しいニュース、大内延介九段の死去が伝えられた。振り飛車穴熊を一つの戦法として完成させた棋士で、今や穴熊は居飛車振り飛車を問わず常に意識される戦法となっていることを思えば、その功績は非常に大なるものがあると思う。そして大内といえば、昭和50年中原名人に挑戦した名人戦の激闘が記憶に残る。最終第7局の終盤、先手大内の7一角が緩手。4五歩と指していれば必勝だったところ、後手中原の入玉から持将棋引き分けに終わり、指し直し局で大内はいいところなく敗れた。勝負の残酷さを感じさせる結末ではあったけれど、その一方で正直、名人は選ばれし人しかなれない、ということも感じたものだ。

ところで、今週本屋に行ってびっくりしたのは、雑誌「ユリイカ」の最新号の特集が「加藤一二三」だったことだ。ユリイカって詩とか文学の雑誌やろ?それがまた何で「ひふみん」なんやねん。しかしタレント「ひふみん」というのも、見てると何か居心地の悪い気分になるね、かつてその著書「振り飛車破り」で勉強させてもらったオールドファンとしては。

まあとにかく、思えば昔の棋士はキャラが立っていたということか。それでも当時(およそ40年前)から、棋士の「サラリーマン」化は言われていたと思う。今では学者タイプやオタクタイプの棋士も珍しくなくなった。棋士が勝負師だった時代は遠くなりにけり、だ。今を生きる棋士である藤井君も勝負師というよりは、AI機能を取り込んだ新人類のように見えるしね。

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2015年3月13日 (金)

内藤九段、引退

まず本日付日経新聞記事を引用する。

「将棋の現役最年長の内藤国雄九段(75)は12日、大阪市の関西将棋会館で行われた竜王戦ランキング戦で敗れ、50年を超える現役生活にピリオドを打った。3月31日付で引退となる。最後の対局となったこの日の敗戦で、公式戦通算千敗を記録。千敗したのは加藤一二三・九段(1136敗)、有吉道夫九段(1002敗)に続き、史上3人目」

「文藝春秋」4月号にも内藤九段のエッセイがあるので以下にメモする。

「思い返してみると、昭和42年に27歳でAクラス、つまり棋士のベスト10になったときから、ひたすらに勝ちを追求する勝負師には向いてないなと思いながら盤に向き合ってきました。NHK杯に向かうために新幹線に乗っていたのですが、東京に〝勝ち〟に行くことが楽しいとは思えなかった。将棋をすることはこんなに楽しいのに勝負になるとなぜ、こんなにつまらなくなるのだろう。将棋は面白いゲームだから、勝敗が無かったらいいのに・・・、そう思っていました」

・・・昔、内藤先生が「おゆき」を歌っていた頃、「将棋と歌とどっちが好きですか」と問われて、「勝ち負けが無ければ将棋の方が好きですね」と答えていたのが印象的だった。先生、だから名人になれないんですよ・・・でもそこが先生の良いところ。才能も華もあるのに頂点には立たない。それも魅力ですね。

エッセイには、「私にとって将棋指しほど楽な商売は他にはありませんでした」とも。そりゃ先生ほど才能があればそうでしょう。(笑)

また、平成12年に一千勝を達成した時に、ファンから「今度は一千敗するまで頑張ってください」という手紙をもらったというけど、最後の対局で一千敗達成というのも、変に義理堅い結果ですね。(苦笑)

しかしとにかく内藤先生、お疲れ様でございました。あと加藤九段が引退すると、昔の将棋ファンとしては、馴染みのある棋士はいなくなるのだなぁ・・・。

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2014年12月27日 (土)

読書会がキテる。らしい。

「週刊エコノミスト」(12/30・1/6合併号)に「読書会ブームが来た!」との記事。ここ数年、全国各地で様々な読書会が開催されているという。紹介されているのは、「猫町倶楽部」(日本最大級の読書会コミュニティ)、「読んでから来い!」(書評家の杉江松恋さん主催)、「まちなか読書会」(山梨県甲府市の春光堂書店主催)など。

記事によれば、「かつては同好の士や研究仲間など、クローズドな知識集積の場だった読書会がよりオープンになり、参加者はその時に選ばれた一冊の本やテーマによって自由に参加したりしなかったりする。敷居の低さが好まれている印象だ」とのことで、今どきは自由参加型の読書会が盛んになっている模様。

最近の日経新聞も、「読書会の魅力」を取り上げていた(10/4付土曜日の別刷り)。記事によれば、各自が持ち寄った本を紹介し合い、その内容についてフリートーキングを楽しむ、そんな読書会が増えている、とのこと。

確かに、かつて読書会の参加者は友人や知人、そのまた知り合い程度の範囲で広がりは限定的だったと思うけど、今はネット、SNSの時代。昔よりも、人を集めるのは容易になっているので、読書会も自由参加型交流イベントのコンテンツとして見直されている面もあるのかも知れない。とはいえ、「単なる感想大会にせず、プラスアルファのディスカッションを深めてこそ、意義ある読書会になる」(日経記事)というのが理想ではあるだろうから、参加スタイルは自由で気楽な感じでもいいけど、内容は課題図書を読んで、できれば誰かがレジュメを作って、それを元に、みんなで意見をかわす、という従来型が基本というのは動かしがたいと思う。

読書会の大きな効用、それは「一人で読むより、多角的で広い視野を得られる」(日経記事)ことであるのは間違いない。自分も何か興味の持てる会が見つかれば、参加してみたい気もするけどね。

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2012年12月19日 (水)

5七銀とか5二銀とか

昨日、将棋棋士の米長邦雄死去のニュースが伝えられた。享年69歳。本日付日経新聞文化面に掲載された中原誠の書いた哀悼の文を読むと、なぜか名人戦で米長相手に自分の指した妙手「先手5七銀」について述べているのだった。(苦笑)

僕は将棋についてはオールドファン。何しろ一番熱心だった頃はもう30年以上も前のことで、まさに当時の将棋のタイトル戦は、中原―米長の対戦が繰り返されていた時代だった。

「先手5七銀」は歴史的な妙手。第何期の名人戦か調べる気も無いので記憶だけで書くと、たしか自陣の銀を4八から5七に動かして、相手の馬に取らせる手だった。狙いは馬の効き筋を変えるというものだったが、何しろわざわざ一手をかけてタダ取りさせる手である。記憶に残らないわけがない。

しかし駒をタダで取らせる手と言えば、NHKのテレビ将棋で、羽生善治が加藤一二三相手に放った「先手5二銀」の印象が強烈だ。盤上の駒を進めるのでなくて、持ち駒を敵陣に打ち込む、タダで捨てる手。取れば、相手の王様は即詰みという、まさに必殺の決め手。しかも録画のテレビ番組とはいえ、その「瞬間」を見ることができたのだから、それはもう目が覚めるような「体験」とも言える見ものだった。

そうそう、この羽生―加藤戦の解説者は米長だったな。「奇しくも」と言っていいのか、よく分かりませんが。

分野が全然違うんだけど、今年の夏に元ディープパープルのジョン・ロード(71歳)の死去を知った時と同じように、米長邦雄の死についても、自分のティーンエイジャーの頃の憧れの才人が鬼籍に入る時期がやってきたんだなという感慨がある。

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2011年4月21日 (木)

上田毅八郎画伯

昨日4月20日付日経新聞文化面に、上田毅八郎氏の文章が載っている。かつてのプラモデル少年にとって上田毅八郎といえば軍艦の画家。その絵は、そのまま第1級の資料になるほど緻密に描きこまれて、しかも美しい。ついでに書くと、戦車だったら高荷義之の絵が好きだ。一方、小松崎茂の絵は好きになれなかった。美しくないと思う。

上田画伯は、戦争中に従軍して利き腕の右腕を負傷し、戦後は左手で絵を描き続けた(と聞くと、やっぱり水木しげるを思い出す)。有名なのはもちろん、日本連合艦隊の艦船プラモデル「ウォーターライン」シリーズの箱絵だ。2000枚以上を手がけたという。日経掲載の上田画伯の文章から以下にメモ。

何よりもこだわるのは正確さだ。資料を徹底的に調べる。たとえば同型艦でも装備の違いがある。どんな装備をとっても、その機能を理解していないと描けない。砲座の形など、時期によって異なるものも再現する。
写真がないものは、図面から絵を起こす。国会図書館には昔の軍艦の設計図が残っていて、それを見れば構造がわかる。
ところによって海の色も空の色も違う。速度によってはき出す煙のたなびき方も違う。すべて経験しているから情景が再現できるのだ。

個人的に描き続けてきたのは私も乗船していた輸送船だ。民間の商船や客船を軍部が徴用したもので、あまり話題にはならないが、ろくな護衛も受けられず、多くの若い命が散った。

亡き戦友たちの慰霊と鎮魂のため、思い出を描きとめることが使命だと考えてきた。

・・・今年91歳の画伯は、今でも描きかけの作品が300~400点あり、健康を維持して、使命を全うしたい、と意欲を示している。ただただ敬服するのみ。

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