2017年1月14日 (土)

ヒロシの語る「ネガティブ哲学」

お笑い芸人ヒロシのインタビュー記事が、なぜか「東洋経済オンライン」から(笑)本日付で発信されているのでメモする。
 
僕は、まだブレークする前、1ヵ月7万円だけで東京で生活していたのです。信じられますか? 毎月いくらの家賃で生活していたんだろうという話ですよね。
一番売れていた時の月収は4000万円。今は手取りで月収60万円くらい。
これだけ金額に差があると、元に戻りたいでしょう、という方はいるかもしれませんが、そんなことは思わないんです。
考えてみれば、おカネはほどほどあれば、いいんですよね。
ただおカネが欲しい、上昇したいというのではなく、自分が大事にしたいことができるかということが、本当は大事なのではないかと思います。だから、また再ブレークという気配があったら、僕はかえって休んでしまうのではないかと思います。しんどいし、普通の生活ができなくなるし。
「頑張らないと、上にいけない」「明るくないと、人に好かれない」
世の中ではいろいろと「こうしなければ、幸せになれない」みたいな話がありますが、それについていけない人はいると思うんです。でも、それについていかなかったとしても、その人なりの幸せや生き方があるのだと思います。
僕もそうですが、ネガティブな人って、やさしかったり、自信がなかったりして、自分の意見が言えないことも多いんです。
そういう人を応援したいなと思っているんです。
やさしくてうまく動けない人が、(自分のネタのフレーズで)笑って元気になってもらえればうれしいです。

・・・小生も「ネガティブな人」なので(苦笑)、ヒロシのいわゆる「自虐ネタ」に応援してもらっている一人です。

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2016年12月30日 (金)

のんインタビュー記事

アニメ映画「この世界の片隅に」で声優として主人公「すず」役を演じた女優のん(能年玲奈)。彼女のインタビュー記事が、なぜか「週刊エコノミスト」(1/3・10合併号)に(笑)載っているので、以下に一部をメモする。
 
「すずさんと一緒に生きたような気がした」という感想を聞くことが多く、とてもうれしいです。日常が積み重なっていき、映画の中の世界を自分に引き付けて感じられると思います。素直にすずさんや風景を受け入れられるリアルさがあります。
 
(戦争や戦時下の暮らしは)自分のいる場所とはまったくの別世界だと思っていました。知りたくないという気持ちがあり、目を背けていたのですが、自分が住んでいるこの世界の中にすずさんたちの時間があって、それが続いていて、私たちの過ごす今がある。すずさんのような力強い人たちの後を継ぎ、これからも毎日をつなげていくのだと思いました。
 
(役作りで心がけたことは)すずさんのおとぼけたところとか、ぼーっとしていると言われるけど、力強いところを出せればいいなという思いがありました。すずさんのイメージからあまり想像できないようなセリフは、監督に「どういう意図があるのでしょうか」と何度も聞きました。
 
完成した作品を試写で見たときは、もっとこうすればよかったという反省、役者としての欲が出てしまって、冷静に見られなかった。でも先日プライベートで見たら、「案外いいな」って思っちゃいました(笑)。
 
・・・コメディーが大好きで渥美清を研究しているという彼女の今後の活躍を期待しよう。
 
「この世界の片隅に」について言えば、大変丁寧に作られている作品だとは思う。ただ登場人物の行動や言動にやや不可解というか違和感を抱く場面もある。それ以上に、主人公が過酷な目に遭うのは嫌な感じがした。お話の作り方として、そこまでやる必要があるのか疑問。

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2016年5月 7日 (土)

松本隆の魔術的作詞

土曜日午後5時からの小堺一機のトーク番組「かたらふ」で、先週と今週の2回、松本隆・作詞の歌について、小堺クンと齋藤孝・明治大学教授があれこれ語っていた。その齋藤先生が、雑誌「pen」(5/15号)の特集「いとしの歌謡曲。」にも寄稿しているのでメモする。

70~80年代の作詞家たちの特徴をひと言でいうなら、状況設定と描写における完成度の高さでしょう。いまのJポップが、自分の気持ちをシンプルかつストレートに伝えるのとはちょっと違う。

松本隆さんは、一つひとつの歌詞の世界が奥深くイメージが豊かなので、私たちをいろんな世界へ連れていってくれました。

松本さんの歌詞は、風景と心情が常に混じり合っている。「天地有情」という言葉がありますが、風景にも情があって、人の心は天地の情と分けることができないのです。そして松本さんの詞は、風景自体が情をもっているのです。だから、ちょっとした描写で私たちはすっとその世界に入っていける。

松本さんは男女の気持ちのズレを描くのも上手です。太田裕美の「木綿のハンカチーフ」や斉藤由貴の「卒業」、薬師丸ひろ子の「メインテーマ」はすべて男女の心のすれ違いを描いていますが、女の子のほうが不安を先取りしているのが興味深い。

一方で松本さんは、松田聖子とともにファンタジーの世界をつくり上げました。「渚のバルコニー」なんてまるで外国の映画の世界のようで、外国に行ったことのない我々は憧憬をもって聴いていた。

・・・先週の「かたらふ」では、松田聖子や斉藤由貴、今週は太田裕美や薬師丸ひろ子を取り上げていたが、番組でも紹介された太田裕美「木綿のハンカチーフ」はホントに良い歌だよな~。都会に出てきた男の子と故郷に残された女の子、次第にすれ違う心の動き。東京生まれ・育ちの自分もなぜかひどく切なくなる歌。むしろこういうシチュエーションに憧れを感じたりする。あと太田裕美で思い出すのは「九月の雨」。これも胸を締め付けられるような気持ちになる歌。

ところで「いとしの歌謡曲。」では、松田聖子、中森明菜、小泉今日子など80年代アイドルにかなりのページが割かれている。けど、個人的にはアイドル歌謡は歌謡曲ではあるけれど、ちょっと違う感じ。自分の歌謡曲ど真ん中は「また逢う日まで」「喝采」「危険なふたり」など、要するに70年代のイメージ。70年代歌謡曲、80年代ニューミュージック、90年代Jポップと変遷してきたニッポンの歌。で、今はどうなってるの?というと正直自分にはよく分からない。(苦笑)

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2014年12月19日 (金)

コント55号「野球拳」の頃

日経新聞「私の履歴書」。といえば著名な経営者の書くものという感じだが、今月はなぜか(笑)萩本欽一氏。言わずと知れたコメディアン「欽ちゃん」である。本日付の第19回では、「野球拳」のことが語られていた。あったなあそんなの、と思い出しつつメモ。

69年4月、日本テレビで「コント55号の裏番組をぶっとばせ!」がスタートした。日曜夜8時。裏番組とは民放各局があの手この手で挑んでは跳ね返されてきた厚い壁、NHKの大河ドラマだ。

いろんなコーナーで構成する番組の呼び物は野球拳。でも子どもを持つ親御さんや学校の先生たちに「低俗番組」とさんざんたたかれた。それもそのはず。僕と(坂上)二郎さんが若い女優さんや女性のタレントさんとじゃんけんをして、負けた方が着ている物を1枚ずつ脱いでいく。

野球拳は松山市に伝わる伝統芸。それをお色気たっぷりのショーに仕立てた。じゃんけんは主に二郎さんがやったけど、強かったなあ。

7月6日に視聴率29.3%を記録。大河ドラマ「天と地と」をわずかに上回ったものの、世論にぶっとばされる形で、番組は1年で打ち切られた。

・・・「や~きゅうす~るなら~こういうぐあいにしやさんせ、アウト!セーフ!ヨヨイノヨイ!」――確かに当時、「低俗番組」として槍玉に挙げられてたな。公開番組で、脱いだ物(服のほかアクセサリーや靴なども)は会場で競りにかけられた。代金は寄付されていたと思う。ステージにはカーテン付きの簡単な更衣室が置かれて、相手がその中に入っている時に、二郎さんが「想像しましょう」と言うのがお約束。
しかし昔は大河ドラマの存在感は大きかったんだな。今では考えられないが。何にせよ、45年も前、大昔の番組の記憶があるんだから、自分も長生きしてるよな。

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2013年11月 4日 (月)

「一発屋」という「自意識」

11月3日夜、お笑い芸人ヒロシのライブを観た(新宿シアターモリエール)。何でも単独ライブは8年ぶりとか。タイトルが「泥水」というのも、自虐ネタで一世を風靡したヒロシらしい。内容は若手芸人数人を従えたコント、独り芝居のコント、ヒロシの生い立ちからホスト時代~芸人時代の映像、ヒロシの家族(両親、弟)のコメント紹介等々で構成された、およそ一時間半のステージ。もちろん「ヒロシです」も最後にキメた。

今回のライブでは「一発屋」という言葉を核にネタが作られていた感じだが、ヒロシに「一発屋」という「自意識」は持ってもらいたくない気がする。これも、単に業界的に「一発屋」というレッテルを貼られて、それを自虐ネタよろしく受け入れているだけなのかも知れないが。

「一発屋」という言葉から自分が思い浮かべるのは、例えば「ゲッツ!」「フォ~!」「グー!」「間違いない」「そんなのカンケーねぇ」「ワイルドだろぉ」等々、いわゆる「一発ギャグ」的フレーズで売れた芸人たちのイメージ。

それに比べると「ヒロシです」は、一つの芸として成立しているよな、と思う。

「ヒロシです。鶴は千年、亀は万年、ヒロシは2年」(笑)

「ヒロシです」のスタイルはシンプルかつ完成されていて、しかもヒロシ的感性抜きには成立しない芸だろうから、これはこのままヒロシの看板芸として、ず~っとやり続けていけばいいのだと思われる。

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2008年11月 2日 (日)

昔、「ハーフの時代」ありけり

「週刊ポスト」(11/14号)になぜか、アグネス・ラムのミニ・グラビアと記事が。新作パチンコ機にアグネス登場という宣伝も兼ねているらしい。ならばメーカーに、「なぜ今アグネス・ラム?」と尋ねたいのだが、まあいいか。記事では、テリー伊藤、泉麻人、中谷彰宏、二宮清純など各界10人の男たちが、アグネス・ラム・メモリーを語る。中心年齢は50歳前後。やっぱり、その辺なんですよねえ、衝撃ともいえる影響受けたのは。

記事の中に、当時の若者の間では「ハーフ信仰」が根強い時代だった、とある。当時というのは、70年代後半に当たるが、そうだったよなあ。ハーフもそうだし、外人というか金髪への憧れも強かったように思う。おそらく今はハーフ信仰も外人崇拝も、かつて程では無いだろう。次第に「国産品」が力を付けてきて、「舶来品」崇拝の気持ちが弱くなってきたという感じか。75年に鳴り物入りで創刊された日本版「プレイボーイ」誌が今年で終刊というのも、外人プレイメイトの神通力が薄れたのか、はたまた雑誌低迷やら総合誌の凋落と捉えるべきなのか、いずれにしても自分のような中年男には、ある時代の終わりが明確になったと感じられる出来事ではある。(個人的に記憶に残るプレイメイトはパティ・マクガイア。後にこの人を奥さんにしたのがジミー・コナーズ。言わずと知れた当時の世界的テニス・プレイヤー。いいよなコナーズ、とか思ったりしたもんだ)

アグネス・ラムは日本人的なイメージで多くの若者を虜にしたのだが、しかし自分はそれ程魅力を感じなかったんだな、これが(・・・自分は、同じ頃のハーフのモデルさんでは、より外人的な樹れい子のファンだった。人気はアグネスに遠く及ばなかったが)。自分の好みの理由を説明するのって意外と難しいもんだけど、とりあえず表情っていうのはあるかも知れない。アグネス・ラムといえば「笑顔」なんだろうけど、表情の変化が豊かだったという覚えはない。様々な表情を見せてくれる女性は男にとって魅惑的だ。女性の表情の豊かさは、考えようによってはエロの重要な要素でもある。(考えすぎか)

今、当時のアグネス・ラムが出てくれば凄い人気だろう、とテリー伊藤は語る。どうだろう。ファンではなかった自分には何とも言えない。とにかく思うのは、ハーフの時代は遠くなりにけり、ってことだ。(いっさいは過ぎていく)

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