2024年2月10日 (土)

旧正月とは何か、おさらいする

2024年の旧正月は今日2月10日。旧正月の日付が、毎年変わるのはなぜか。本日付日経新聞記事(日付が毎年変わる旧正月)からメモする。

旧正月とは旧暦の正月のこと。23年は1月22日、22年は2月1日が旧暦の元日だった。一見すると規則性がないように思えるが、どのような仕組みなのか。

日本はかつて旧暦を使っていたが、1873年(明治6年)から、いわゆる新暦と呼ばれるグレゴリオ暦を採用した。明治政府は1872年(明治5年)12月3日を、翌年1月1日とすることを決めた。

グレゴリオ暦では地球が太陽の周りを1回転する期間、つまり365.2422日を1年とする。太陽の動きがもととなっている太陽暦で、1年を12カ月に分けている。暦と季節が合うのが特徴だ。
一方、旧暦は月の満ち欠けをもとに、太陽の動きも考えてつくられた太陰太陽暦だ。新月が次の新月になるまでの期間を1カ月とし、12カ月で1年とする。1カ月は約29.5日で、1年にすると約354日になる。

ただ、季節は約365日の周期で変化するため、年々、暦と季節がズレる。このため2~3年に1回ほど「うるう月」を導入し、1年を13カ月とすることでズレを修正する。
この法則を理解すると、一見、不規則に見えた旧正月の日程にも規則性が見えてくる。例えば、24年2月10日の354日後は25年1月29日にあたる。旧暦における1年後だ。24年2月10日は前年の旧正月の384日後なので、23年はうるう月が導入された年だとわかる。

世界では大半の国や地域が、グレゴリオ暦を採用する。暦文化に詳しい国立民族学博物館名誉教授の中牧弘允さんは「中国、韓国、ベトナムなどでは旧暦とグレゴリオ暦を併用している」と説明する。

・・・ということで、中国も韓国もベトナムも旧正月を祝ってる。まあ新暦の正月だとまだ全然寒いので、旧暦の方が「新春」って感じがするかなぁ。日本では、行事としての正月らしさはどんどん薄れている感があるので、横浜や神戸や長崎の中華街で旧正月気分を味わうのも良いかもしれない。

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2024年2月 3日 (土)

ウルトラマン(古谷敏)の帰還

ウルトラマンのスーツアクターであり、ウルトラ警備隊のアマギ隊員役としても知られる古谷敏さん。自分の経営するイベント会社が1991年に倒産した後、清掃員の仕事で生計を立てていた。真摯な働きぶりが評価され、ビルメンテナンスの会社で大きな清掃の現場を任されるようになった。2007年秋、64歳のある日、ヒーローは再発見される。日経新聞電子版2月2日発信記事からメモする。

東京・霞が関の農林水産省に常駐し、50人ほどのチームを率いていました。そんなときたまたま新聞で、ウルトラマンをデザインした成田亨さんの原画展が開かれていることを知ったのです。東京・三鷹の会場に出向くと、僕が演じたケムール人やラゴン、そしてウルトラマンの原画が飾ってあるわけです。「ありがたいなぁ」という思いがこみ上げてきました。

成田さんはすでに亡くなっていて、奥さんの流里さんも不在でしたので、名刺を置いて帰りました。その夜、流里さんから電話がありました。「ビンさん、来てくれたんですね・・・」。涙声でした。栃木県足利市で開かれる次の展覧会でお会いする約束をして出かけていったら、会場に新聞や雑誌の記者がいました。それで見つかっちゃったんですよ。

やがて、「ウルトラセブン」でウルトラ警備隊のアンヌ隊員を演じたひし美ゆり子さんから電話がありました。「フルヤちゃん、私、20年探したのよ! やっと捕まえた」って。2008年、ひし美さんがセッティングしたサイン会が東京・北の丸公園の科学技術館で開かれ、元の世界に復帰しました。それから東京では月1回、地方にも年4、5回出かけて皆さんと交流する「巡礼の旅」を始めました。サイン会や撮影会のほか、ウルトラマン、セブンで共演した毒蝮三太夫さんを招いたトークショーなども開いています。

姿を消していた期間が20年近く。そのブランクをいま、懸命に取り戻しています。僕のためじゃありません。長い間、何もできなかったファンの方々へのお礼の気持ちとして、です。80歳になったいまも、国内はもちろん、海外のあちこちから毎年声をかけてもらえる。これからも「日本を代表して」という気持ちで、日本の総合芸術と言える特撮の素晴らしさを多くの人たちに伝えていきたいです。

・・・成田亨の原画展というのは、「怪獣と美術」展ですね。僕も観に行きました。あの場に古谷さんも訪れて、それがきっかけになって、世間に「見つかっちゃった」と。そうだったのかーという感じです。とにかく今でも、国内外から古谷さんに切れ目なくお呼びがかかる。それだけ偉大な作品を、僕も子供の頃に見ることができて、本当に幸運、幸福だったと思います。

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2024年1月27日 (土)

「シュルレアリスムと日本」展

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今日は京都に行き、「シュルレアリスムと日本」展を観てきた。まずは1月20日付日経新聞文化面記事(夢と幻想に戦争の足音)からメモする。

京都市の京都文化博物館で2月4日まで開催中の「シュルレアリスムと日本」展は、西欧生まれのシュルレアリスムが、昭和期の日本の芸術に与えた影響を、絵画を中心にたどっている。

西欧のシュルレアリスムが、第1次世界大戦の悲惨な現実を踏まえて、人間の自由と精神の解放を目指す運動だったとすれば、日本のシュルレアリスム絵画は、戦時体制へと向かう時代に最盛期を迎えた。画家たちに大きな影響を与えた「海外超現実主義作品展」が開催された37年は、日中戦争が勃発した年である。

「戦後、日本のシュルレアリスムの絵画は、西欧の模倣に過ぎないとして、批判された時代があった」。シュルレアリスムから影響を受けた日本の絵画の研究を主導してきた東京国立近代美術館副館長の大谷省吾氏は、そう語る。日本のシュルレアリスム美術の再評価は、ここ30~40年の研究の成果でもある。

彼らの作品に表れる幻想と憧憬は、内面の危機意識と不可分に結びついている。その切実な動機に基づく生々しい画面は、戦争と表現の統制がなおも終わらない今日の世界で、忘れられていいはずがない。

・・・日本のシュルレアリスムは再評価されている、のかも知れないが、展示作品をざっと観たところでは「シュルレアリスム風」というか、やはり「西欧の模倣に過ぎない」絵という印象で、「現実を超える」革新性と強度は、本家に数段劣る感じ。本家シュルレアリスムの絵は、見ればすぐに、例えばダリやマグリットやデルヴォーの絵だと分かるように、各人に著しい特徴があるのに対して、日本のシュルレアリスムは画家の個性に乏しい。見た時に誰の絵か見当がつくのは、古賀春江くらいか。

あとは、全体的に暗い印象の絵が多くて、それはやはり戦時体制という時代の暗さの反映ということなのだろう。時代の重さが、画家たちの個性や才能が存分に花開くことを許さなかったとしたら、とても残念なことだ。

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2023年10月20日 (金)

「コネ社会」に生きるイタリア人

日経新聞の広告によると出たのは8年前ながら、最近話題の本らしい『最後はなぜかうまくいくイタリア人』(宮嶋勲・著。日経ビジネス人文庫)から、以下にメモする。

イタリア人の家族の結束は非常に強い。イタリアの家族の強い団結は、当然、異国にずっと支配されてきた歴史と密接な関係がある。被支配民族として、頼れるものは家族だけという考え方である。支配民族に対する抵抗から生まれて発達したシチリアのマフィアが、その組織を「Famiglia(家族)」と呼んでいるのは象徴的だろう。この例からもわかるように、家族という概念はもっと広い形でもとらえられる。同じグループに所属するメンバーがお互いに融通を利かせあって、便宜をはかりあうという発想が強い。

だからイタリア人は、何をするにしてもすぐにコネを探ろうとする。同じグループのメンバー、仲間だと思われると、物事がスムーズにいくと考えるのだ。常に誰かを頼っていき、頼られたほうは便宜をはかることにより、彼らの仲間は拡大していく。恩義の貸し借りの物々交換が物事を進めていくのである。

イタリアの食事は短くても2時間、長い場合はアペリティフを入れると5時間などということも珍しくない。厳密にいえば、イタリアでは食事の時間が長いのではなく、食卓にいる時間が長いのである。イタリアのようなコネ社会では、友人の輪を広げないと仕事も発展しない。そして、そのためにはアペリティフは最高の機会なのである。

イタリアの食卓はコネを広げる出会いの場だ。男女の区別なくくり返される、合コンのようなものであるともいえる。食卓でフィーリングが合う相手とは、ビジネスもきっとうまくいくだろうし、男女の場合なら結婚してもうまくいく可能性が高い。一方どこかしっくりこない相手とは、職業的にも、プライベートでもあまり好ましい発展はないだろう。重要なのは、自分と波長の合う相手を見つけることで、そのためには食卓が理想的な場であるということだ。

・・・「家族主義」の「コネ社会」に生きるイタリア人。何となく「ゴッドファーザー」の「ファミリー」を思い出すわけですが、まあ日本人にも「お家」大事の意識が今でも多少はあるでしょうから、そこは分からないでもないです。

一方で、被支配民族の意識というのは、半島住民のメンタリティ(朝鮮半島も似てる気がする)と言えるかも知れないので、島国根性の日本人とはまた違う感じもあります。まあイタリアという国もフランク王国の大昔から見れば、半島の根元の部分が元祖イタリアなのだろうし、北と南、ヨーロッパと地中海でもメンタリティ結構違うだろうと。

勝手なイメージでしかないけど、イタリア人は男も女もナンパする、される前提で生きてる感じがする。そこは羨ましいです。生まれ変われるならイタリア人が良いなと思う。

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2023年8月22日 (火)

ミニシアターの危機

昨日21日付日経新聞文化面「転機のミニシアター㊤」から、以下にメモする。

名古屋市千種区のミニシアター、名古屋シネマテークが7月28日に閉館した。倉本徹代表らが71年に始めた自主上映団体を発展させて、82年に開業。地方のミニシアターの先駆けとなった館だ。

閉館の理由は経営不振だけではない。倉本代表は「見たい映画を自ら上映して見る。そんな初期の精神が失われていった」と語る。「デジタル技術によって映画が容易に作れる時代になり、質が伴わない作品が増えた。上映したいと思える作品がなくなっていった」。ミニシアターの理念自体が揺らいでいるのだ。

京都市南区の京都みなみ会館も9月30日に閉館する。大阪市西区のシネ・ヌーヴォは7月15日から劇場存続のための支援と寄付を募り始めた。景山理代表によると経営の重荷は、デジタル映写機の更新に伴う数百万円のコスト負担。

10年代初めにフィルム映写機に代わって一斉に導入されたデジタル映写機は、どの劇場でも更新期を迎えている。札幌市中央区のシアターキノは900万円を借り入れたうえ、9月からクラウドファンディングで残る470万円を募る。倉本氏、景山氏と共にミニシアターの第1世代である中島洋代表は「ミニシアターの役割は変化している。映画館が選んだ1本をじっくり見てもらう時代はとうに終わった。多様な作品をできるだけ上映し、観客が自分で選ぶ時代になった」と語った。

・・・ミニシアターと聞けば、東京だとちょっとお洒落な感じだが、今池にあったシネマテークは雑居ビルの中にある試写室みたいな感じで、お世辞にもお洒落とは言えない場所ではあった。とはいえ東京でも一年前、ミニシアターの老舗である岩波ホールが閉館。図らずも、ミニシアター閉館ドミノ倒しの起点となった感がある。

確かに、もはやミニシアターが輝きを放つ時代ではないのかもしれない。今の映画は単なる娯楽作品ばかりになり、いわゆる「作家性の強い」作品は余り目に付かなくなった。隠れた傑作、埋もれた名作を見つける「目利き」の出番も無くなりつつあるのだろう。作品を自分で選ぶ時代になったのかも知れないが、「タイパ」という言葉もあるように、大量の作品がビデオや配信で流通する中で、時間を有効に使うため作品を早送りして見る=消費することを強いられるような環境の中で、一つの作品にじっくり向き合う姿勢は失われつつあるように思う。映画館で観るという、経験としての映画鑑賞は否定されつつあるようにも感じる。

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2023年8月14日 (月)

成田亨と金城哲夫

昨日13日付日経新聞別刷り(NIKKEI The STYLE)で、怪獣の話が特集されていた。タイトルは「怪獣の棲む国」。以下に内容の一部をメモする。

怪獣が愛され続けている理由の一つに、形態のユニークさ、多彩さがある。故・成田亨さんの手による初期ウルトラマンシリーズの怪獣のデザインは、近代アートとして改めて評価が高まっている。成田さんが育った青森市の青森県立美術館は、怪獣などのデザイン原画189点を所蔵する。

いまでは海外からも鑑賞者が訪れる。パブリック・コレクションになったことで異形や土俗といった様々な切り口で他の美術館からも借用依頼が相次ぎ、「美術家・成田亨」は全国に浸透しつつある。

初期ウルトラマンシリーズでは沖縄との関連も語られる。円谷プロダクションで企画部門の責任者を務め、メインライターでもあった故・金城哲夫さんは沖縄県南風原(はえばる)町の出身だった。

金城さんの脚本には正義が悪を退治する単純な勧善懲悪ではなく、怪獣が空や山に帰って行くような物語がある。弱者や異端者、倒される者への優しいまなざし。そこに、苦難の歴史を歩んできた沖縄の思いを重ねる指摘も多い。

仕事をしていた実家の書斎はいま「金城哲夫資料館」として公開されている。ハワイや香港など海外を含め、このウルトラの聖地を訪れる人は後を絶たない。

多くは60歳前後の初期ウルトラマン世代。「影響を受けました、と言って写真に手を合わせたり、涙を浮かべたりする人もいて・・・。ここに来る人たちに兄の偉大さを教えてもらっている」。弟の和夫さん(76)はそう話す。

・・・現在63歳の自分も、まさにウルトラマン「直撃」世代。昭和40年代前半、成田亨と金城哲夫、そして大伴昌司(少年マガジン「大図解」など)の三人が作り出したといえる怪獣ブーム。その熱狂の中に、僕たちはいた。今から思えば、ウルトラマン、その前作のウルトラQは、円谷英二のもとに芸術的才能溢れる人たちが集まり、寄ってたかって作り上げたもので、その内容は「子供向け」のレベルを遥かに超えて、日本の特撮テレビ映画の金字塔になった。そういう熱気と本気の溢れる作品に、子供の頃に出会った僕らは幸福だった。つくづく「怪獣の棲む国」、ニッポンの子供で本当に良かったと思う。

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2023年7月23日 (日)

『恐竜図鑑』展

昨日、恐竜画の展覧会『恐竜図鑑』(東京・上野の森美術館)を観た。

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やってるの知ったのがごく最近で、え、今週で終わり?とか思って、慌ただしく最終日の鑑賞となりました。館内の展示作品の大部分は写真撮影OK。

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上はティラノサウルスとトリケラトプス(ナイト作)、下はアロサウルスとステゴサウルス(ブリアン作)。恐竜復元画は、パレオアート(古生物美術)と呼ばれている。購入した図録の解説文「20世紀のパレオアート」(エリック・ビュフトー)から、以下にメモする。

20世紀初頭のパレオアーティストのなかでも特筆すべきは、アメリカのチャールズ・R・ナイトだろう。1890年代に描かれた彼の最初期の復元画は、すぐに一般大衆からも、古生物学の専門家たちからも注目を集めた。恐竜や絶滅した生物を生き生きとしたポーズで写実的な風景のなかに配置した彼の絵は、解剖学的にも、自然環境の描写においても、リアリズムを欠いた前時代のパレオアートとは一線を画すものだった。ナイトは、最も影響力を持ったパレオアーティストとして、古生物復元画における新たなスタンダードを確立したと言えるだろう。

20世紀の代表的なパレオアーティストのひとりとして、チェコのズデニェク・ブリアンが挙げられる。プラハのカレル大学で古生物学教授だったヨゼフ・アウグスタと組んで、先史時代の人類や化石動物について多くの本を出版した。ブリアンの挿絵をふんだんに掲載したこれらの書籍は、いくつもの言語に翻訳された。美しく質の高い挿絵は世界中で人気となり、頻繁に複製が行われた。彼の絵は広く普及し、チェコ国内にとどまらず、各国の後進のパレオアーティストに大きな影響を与えた。

20世紀のパレオアート作品の多くは、今日においては古びたものに見えるかもしれない。しかし、芸術的価値のある作品として注目に値するものであるし、現在では否定された学説を基に描かれた絵であっても、古生物学の発展を辿るうえで重要な、当時の解釈をうかがい知ることのできる、貴重な史料である。

・・・子供の頃、なぜだか家にブリタニカ百科事典(英文)が置いてあって、ティラノサウルス対トリケラトプスの小さな白黒の図版が載っていた微かな記憶があるのだが、おそらくあれはナイトの画だったのだと思う。

周知のように恐竜復元の姿は、研究の深化と共に相当変遷してきている。最近の復元画は描写も緻密になり、恐竜自身がカラフルになっていたりする。昔の「恐竜図鑑」の画はタッチが粗いとか、今から見ると間違いがあったりとかするのだが、それでも自分が子供の頃熱心に見ていた記憶と共に、ノスタルジーに近い愛着の気持ちを呼び起こされるのだなあ。そういう意味では、昔の「恐竜図鑑」の記憶のある大人向けの展覧会でありました。

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2023年2月13日 (月)

江戸時代の銅版画家、亜欧堂田善

昨日、「亜欧堂田善」展(千葉市美術館)を観た。Eテレ番組「日曜美術館」で紹介されていたのを見て、こんな人がいたんだーと感心して、とにかく名古屋から遠征した次第。(展覧会は今月26日まで)

亜欧堂田善(1748~1822)、本名・永田善吉は、現在の福岡県須賀川市に生まれた。絵を学びながらも長い間家業に携わっていて、画業に専念したのは47歳の時からというのが、まず驚き。当時の白川藩主、松平定信に才能を見出された田善は、定信から銅版画技術の習得を命じられて、数多くの西洋銅版画を製作。その作品は、アジアとヨーロッパを眼前に見るようであると、定信は賞賛し、田善に「亜欧堂」の号を与えた。西洋の書籍や版画から着想を得ながら、田善の画業は世界地図や人体解剖図、江戸の風物などのジャンルに展開。晩年には山水画、人物画なども描き、死ぬまで旺盛な創作活動を続けた。下の写真は、ミュージアムショップで購入したポストカード(浅草寺風景)。

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久々に、あーこんな人がいたんだー、知らなかったーという気分になった。同時代の似たような「洋風画」の人に司馬江漢がいるが、とにかくこの時代にこういうことをやってる人がいた、ということを知ると、驚きを通り越して、摩訶不思議な気分になる。

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2022年12月11日 (日)

怪獣カード(成田亨作画)

先月、ヤフオクで「怪獣カード」と「ウルトラマンカード」の2点を落札した。1966年発行で、自分も子供の頃持っていた。50年ぶりに「買い直した」ことになる。持っておきたいなと思ったのは、成田亨作画のカードが含まれているから。写真は成田画伯作品の一部。上は「ウルトラマンカード」からアボラス、バルタン星人、ジャミラ、ドラコ。下は「怪獣カード」からチャンドラー(対レッドキング)、ドドンゴ、ギャンゴ、ケムール人。

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「怪獣カード」の成田作品12枚、「ウルトラマンカード」の成田作品13枚を大事に保存しておこうと思います。

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2022年9月18日 (日)

堀内誠一の「ぐるんぱ」

先日、「堀内誠一 絵の世界」展(神奈川近代文学館、25日まで)を観た。名作絵本として知られる『ぐるんぱのようちえん』の絵を描いた人である。

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『ぐるんぱのようちえん』は1965年発行。1959年生まれの自分は、まさに幼稚園児の時に読んで強く記憶に残った。現在まで240万部を発行しているという。
ひとりぼっちでぶらぶら、めそめそしていた象の「ぐるんぱ」は、仲間の象に送り出されて、人間の世界に働きに出る。行く先々の仕事場で超特大のビスケット、皿、靴、ピアノ、スポーツカーを作っては次々にクビになってしまう(今から思うと何でも作れるのが凄い 笑)が、最後はそれらを使って子供たちの遊び場となる幼稚園を作る、というお話。失敗ばかりしていたぐるんぱだけど、最後には自分の居場所を見つけることができて本当に良かったなあと(子供の頃そこまで考えてないけど)思える、とても好きな絵本だった。ロングセラーになっているのも分かるなあ。

さらに私事につなげると、堀内氏は1932年(昭和7年)、東京・向島生まれ。生まれ年は自分の母親と同じ、出生地は自分が卒業した小学校のある地域。

展示作品の大部分は絵本や挿絵などの作品。そのほかエディトリアル・デザイナーとしての仕事もあり、雑誌「アンアン」「ポパイ」「ブルータス」のタイトルロゴ・デザインの作者でもある。

幼少の頃、自分はそれとは知らず堀内氏の描いた象の「ぐるんぱ」が深く心に残り、10代後半以降も、それとは知らず堀内氏がロゴ・デザインした「ポパイ」や「ブルータス」に親しんでいたのであった。

堀内氏は、詩人の谷川俊太郎や文学者の澁澤龍彦とも交流していた。谷川とのコラボには『マザー・グースのうた』の挿絵がある。

絵本を中心に多方面に才能を発揮した堀内氏は1987年、54歳で急逝。早すぎる死であったとしか言いようがない。

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