2009年10月12日 (月)

エゴン・シーレという天才

インフルエンザで死んだ著名人というと、エゴン・シーレの名前が浮かぶ。クリムトと深い交流のあった若き天才画家は、1918年に「スペイン風邪」のため28歳で夭折した。新型インフルエンザが流行する中で、「ウィーン世紀末展」が開催されるのも何かの縁?かなと思いつつ、会期終了間際の先週金曜日、会社帰りに展覧会の場所である日本橋高島屋に足を運んだ。

会場にはクリムト、シーレの作品をはじめ、様々な画家の様々な作風の作品が展示されていて、なかには現代音楽家シェーンベルクの描いた画もあったりして「へぇ~」って感じだったけど、やはりシーレの画の独創性は際立っていた。シーレの画は無理矢理言うと表現主義の流れの中にあるものなのかも知れないが、とにかく他の誰にも描けない類の作品であり、やはり天才のものであるとしか言いようがない。

ところで、天才は天才を知るというのか、ロック・スターのデビッド・ボウィが映画でエゴン・シーレを演じるという話が、かなり昔のことになるけど、あった。1983年公開の映画「エゴン・シーレ」パンフレットからメモしてみる。

デビッド・ボウィに『WALLY』なる映画が企画されたことがある。ヴァリーとは、画家の愛人名である。つまり、ボウィはエゴン・シーレを演じる予定であった。
ボウィ版シーレの企画は沙汰やみになったが、アルバム『ヒーローズ』、『ロジャー』などのジャケット写真にボウィのシーレへの思い入れを見ることができる。

・・・あのジャケット写真、手や全身のポーズの付け方って、なるほど何となくシーレっぽいのだよな。シーレ描くところの「自画像」を、ボウィが演じてみせたという感じか。

シーレの愛人兼モデルのヴァリーは、「良家の子女」エディットとの結婚を決めた画家と別れて、従軍看護婦になる(時は第一次世界大戦の最中)のだが、1917年12月に23歳で病死。それから一年も経たない1918年10月に、シーレと妻エディットは共にスペイン風邪で世を去る。シーレの死の直後、戦争は終結しハプスブルク帝国も崩壊。激動の時代に妖しい光芒を放った天才は、その生涯もドラマチックだったと言うほかない。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年6月12日 (金)

ダザイとハルキ

ブームの様相を呈する村上春樹の新作「1Q84」。その「波及効果」も広がっている。

本日付日経新聞(消費面)によれば、小説の冒頭で主人公が購入するチェコの作曲家、ヤナーチェクの「シンフォニエッタ」CDに注文が殺到。題名から連想されるジョージ・オーウェル「1984年」はもちろん、作中引用されたチェーホフ「サハリン島」も販売急増。「海辺のカフカ」など過去の村上作品も快調に売れ行きを伸ばしているとのこと。

村上春樹の人気が高いのは分かるにしても、書物の売れ方としては何かちょっと異常かなあ、と感じる。

同じ日経新聞(東京版)には、三鷹市が「生誕100年」太宰治のブームに沸いている、との記事。太宰は30歳過ぎから死ぬまで三鷹で過ごした。そのゆかりの地には、入水自殺した玉川上水や墓があるほか、昨年3月には「太宰治文学サロン」も開設されて多くの訪問者を集めている。太宰は作品だけでなく、作家の人間、生き方そのものに魅かれる熱烈なファンが多い。生誕100年を記念して、市内の各所では講演、朗読会、演劇などイベントの予定が目白押しとなっている。

もうすぐ6月19日の「桜桃忌」。しかし太宰治・・・いかにも古いな、と思う。いまの若い人は太宰をどう読むのか、少し不思議な気がする。

しかししかし、さはさりながら、文学不毛の時代の中で、スタイルも題材もまるで違う二人の作家が衰えない人気を保っているのは、それなりの理由があるのだろうなとは思う(・・・だって今は読まないけど、昔は僕もいちおう読んでたしね)。

結局、文学(小説はじめ「作品」としてもたらされた、言語による表現活動)に対して人が基本的に求めるものは、センチメンタリズムなんだろうな。二人の作家は素晴らしく上等なセンチメンタリズムを読者に提供する。村上春樹のとてもスタイリッシュなセンチメンタリズム。太宰治は(今となってはやや昔風の)青春文学の代名詞でもあった訳だから、これはもうセンチメンタリズムの王道を行ってたのは間違いない。

センチメンタリズムとは単なる感傷ではない。「この世は訳の分からないことばかりだけど、それでも僕は生きていく」という決意なのである。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年11月 4日 (日)

カミュ「カリギュラ」

カミュの「カリギュラ」が蜷川幸雄演出で上演される(7日から渋谷・シアターコクーン)ことを知った時、今なぜカリギュラ?しかも「世界のニナガワ」で?と正直感じた。その昔、清水綋治企画・主演の舞台を観た人間としては、ちょっと興味を持ったのも事実だけど、主演男優がいかにも若い(ただ今売り出し中のイケメンらしいけど、余り興味無いっす)ものだから、さてどこまでやれるのかと・・・。で、とりあえず昔話をしておきますか。

P1020278 清水綋治が企画・主演した「カリギュラ」は1984年2月、下北沢の本多劇場で上演された。写真はその時のパンフレット。・・・しかし正直パンフを買っていたとは忘れてた。本棚の引き出しには意外な物が入ってるもんだ。(苦笑)
共演は秋川リサ、塩島昭彦ほか。演出・岡村春彦、上演台本・小澤僥謳。何しろ20年以上も前なので、細かいことは覚えていないが、清水綋治の思い入れの強さは伝わってくる舞台だった。清水演じるカリギュラが吐き出すように語る「男が泣くのは物事があるべき姿にないからだ」というセリフが妙に記憶に残っている。

話としては、愛人の死によって、「人間は死ぬ。だから人間は不幸だ」という「真理」を心に深く刻まれた若き皇帝カリギュラが、この「真理」を人々に教え込むために自らの権力を行使する暴君となるものの、最後は「生きて、幸せになる」ことを望む親衛隊長のケレアを中心とした反乱者たちに殺害されるという、いかにもカミュ的なテーマが盛り込まれた芝居。(「シーシュポスの神話」には、「幸福と不条理とは同じひとつの大地から生まれたふたりの息子である」と記されている)

1945年初演のカリギュラ役はジェラール・フィリップ。後の伝説的映画スターだ。
フィリップがガンのため36歳の若さで世を去った1ヶ月余り後、1960年1月4日にカミュは46歳で自動車事故死・・・嗚呼、何といふことでせうか。

若い頃に「カミュ全集」全10巻を古本屋で買ったけど、どうも自分はカミュの作品に凄く感動したとか、そういう覚えは実は余り無く、なぜか作品よりも「カイエ」と呼ばれた創作ノートが好きだったりする。そこに綴られた文章が醸し出す、切実なセンチメンタリズムの雰囲気に浸っていたのだな。「カイエ」は昔、新潮文庫に「カミュの手帖」として「太陽の賛歌」「反抗の論理」の2冊が入っていた。未刊部分を含めた合本も1992年に刊行されたが、活字二段組の書籍の形よりは、適当に開いたページから拾い読みできる文庫本の方が「手帖」らしい感じ。文庫復活を望んでも可能性は低いとは思うけど。

結局自分は、カミュについては作品を読むというよりも、もっと直截的な作家の声を求める、いささか不真面目な読者だったと言うほかない。全集の中でも主に目を通したのは、短い時評やインタビューなど「発言」の類だったし。でも、カミュが今テレビのキャスターとかコメンテーターをやってたら、結構人気あるんじゃないかなあ。(何だそれ)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年10月 7日 (日)

「怪獣と美術」展

あっ、これチェックしてなかった!
10月21日までか。見に行かなきゃ。

という訳で昨日行ってまいりました、「怪獣と美術」展。場所は三鷹駅前、南口を出た正面のビル内にある三鷹市美術ギャラリー。

サブタイトルとして「成田亨の造形芸術とその後の怪獣美術」とあるように、成田亨をはじめ、高山良策、池谷仙克、原口智生の作品も展示。各氏の彫刻や絵画など非怪獣作品も並べられているが、どうしても見入ってしまうのは、会場に入ってすぐに迎えてくれる成田の怪獣デザイン画の数々。その多くは青森県立美術館に収められているもので、ガラモン、カネゴン、レッドキング、バルタン星人、ギャンゴ、ドドンゴ、ジャミラ、エレキング、メトロン星人など、独特のタッチで描かれた怪獣や宇宙人を見ていると、この世に存在しない「生き物」が誕生した瞬間に立ち会っているような気がしてくる。

P1020245 ウルトラマン怪獣の中でドラコは好きな怪獣。左は成田デザインの初案、右は最終的な姿だが、最初はホントにもろ昆虫というかバッタ形だったものが、決定案では昆虫的な部分は透明な羽だけになり、体の表面はタイルが貼られたような、何ともユニークな怪獣に仕上がっている。

ドラコは空を飛べるし、手は鎌になっていて強そうに見えるけど、でも強くない。レッドキングに羽をむしり取られてあっさりダウン。しかし後にジェロニモンの力で生き返った怪獣の一匹として登場。その時は羽なし、頭の角は1本が5本に増えて、手は普通の指の手に変わりマイナーチェンジ。復活はしたもののウルトラマンと戦うこともなく、結局科学特捜隊の新兵器であえなく消されてしまうとか、映像の中の活躍度はいまいち冴えない。まあウルトラマンシリーズに2回登場した怪獣はレッドキング、バルタン星人など数少ないので、その点ではステイタス?があると思うことにしよう。

昨年の「ウルトラマン伝説展」を見た時も感じたことですが、やはり「怪獣はアート」なのです。天才たちがよってたかって作り上げたウルトラQ、ウルトラマンを、子供の頃に見れたのは幸せ。日本の子供に生まれて良かった。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年6月10日 (日)

「3びきのくま」展

えっ、「3びきのくま」展って今やってるのか。
ネットで発見した時は驚いた。なぜ驚いたかっていうのを順番に書くと、まず「ゴルディロックス」経済という言葉の意味(理想的な経済状態)を知った時に、その言葉が「(ゴルディロックスと)3匹の熊」という民話に由来することも知り、それなら自分も小さい頃絵本で読んだ話だな、と思い出しながら少しネットで調べていたら、その絵本(トルストイ作、バスネツォフ絵、福音館書店)について、あのジブリ美術館が企画展示を行うという話を見たもんだから驚いた、のであった。
先月から始まった企画展は一年間、来年5月まで行われる予定だ。

ということで昨日行って参りました、三鷹の森ジブリ美術館。ここって入館日時が予約制なので、土日に行く場合、かなり前に入場券を買わないといけない。正直ジブリにはあんまり興味が無いので、ここに入ってみるなんてことは夢にも思わなかった。中年男が一人で来るような場所でも無いし。(苦笑)

自分の入場時間は午後4時。閉館が午後6時なので、一日のうち最終回の入場。それでも家族連れや若いカップルなどで結構賑わっている。差し当たり自分はジブリ関係の常設展示は流して、企画展の「3びきのくま」をじっくり見た。まあじっくりと言うほど展示物が多い訳ではなかったが。

メインは熊の家である丸太小屋内部の再現。部屋には大きなテーブルとイスが置かれ、テーブルの上には熊一家のそれぞれの食器。大きいの、中くらいの、小さいの、というやつだ。それから熊たちのでっかいヌイグルミも置いてある。後はストーリーと解説などの展示。

口承民話「3匹の熊」は最初にイギリスで作品化された後、いくつか文章化された物語が作られていて、会場には別バージョンの絵本も数点展示されていたが、熊の絵はリアルすぎたりマンガチックすぎたりという具合で、やはりバスネツォフの熊の絵の印象が際立って強い。展示の解説にも、バスネツォフの絵は、大きくて怖い熊、暗くて深い森、ロシア人の生活様式を映した熊の家を描くことなどにより、トルストイのお話に現実感をもたらしている、とある。以下はバスネツォフについての展示紹介文。

ユーリー・バスネツォフ
(1900~1973)
ロシア中東部ヴャートカ市(現キーロフ市)生まれ

ロシアの口承文芸をもとにした動物絵本や昔話絵本の挿絵を数多く手がけた画家。
バスネツォフの描く絵には、物の質感と色の質感、となりあう色同士が放つ力強い調和が感じられ、新鮮な驚きを覚えます。これは、生まれ故郷の民芸品ヴャートカ人形の素朴で楽しげな色彩に心躍らせた子供時代の感覚を大人になっても失わずに持ち続け、その美しさに魅せられた時の気持ちを挿絵の世界に描いているからなのでしょう。
文化
の西欧化や近代化の影響を受けずに、伝統的な民衆芸術を、独自の作風に作り上げたことは彼の大きな特徴といえます。

P1020058_1 やはり絵本は絵の力が大きい。当たり前っちゃ当たり前だが。ていうかバスネツォフの絵は、絵本の挿絵というレベルを大きく超えて、アートの香りすら漂うわけで。とりあえずポストカードを数枚買って帰りました。 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年3月 7日 (水)

編集という方法(松岡正剛)

17歳のための世界と日本の見方』(松岡正剛・著、春秋社)が3万部、人文書部門のベストセラー(今日の日経新聞1面下の書籍広告)と。博覧強記で知られる著者だけに、本の内容を要約するのは不可能だけど、取りあえず「編集」の考え方に絞ってメモ。

ふつう編集というと、本や雑誌や映画やテレビの編集のことかなと思うでしょう。でも私は、編集というのはもっと広い意味をもっている言葉だろう、もっと深い作用をあらわしているだろう、と思っています。たとえば何かを思い出すこと、スピーチをすること、手紙を書くこと、スケッチをすること、みんな編集です。それだけではなく、料理をすることも、研究開発することも、作曲したり踊ったりすることも編集なんです。これらのことを一言でいうと、「新しい関係性を発見していく」ということなんですね。私はそういうことを「編集する」というふうにとらえて、さらにそこに工学的な、すなわち技術的で方法的なスキルやセンスを加えたくて、編集工学という用語をつくりました。

そのままではいっしょにしにくいものや、それまで誰も関係があるとは思っていなかった現象や情報に、新しい関係性を発見したり、もう一つ別な情報を加えることによって関係線を結んでいく。新たな対角線や折れ線を見つけていく。このときに、編集工学が大事にしているのが「方法の自由」ということなんですね。方法を自由自在に使うことで、どんな大胆な編集をすることもできる。

私は宗教も国のしくみも、建築をつくることも哲学をすることも、すべて「編集」であると考えているのです。関係をどう編集するかということが、国にも宗教にも、建築にも音楽にも、たいていの仕事にも必要なんですね。

日本は外国から「コード」、いわゆる文化や技術の基本要素を取り入れて、それを日本なりの「モード」にしていく、様式にしていくということが、古代からたいへん得意な国だったんですね。よく日本のことを、オリジナルをつくってこなかったとか、独創性がないとかいって批判する人たちもありますが、私はこういう日本の「編集方法」にこそ、日本文化の重要な独創的な特質がひそんでいると思っています。

・・・文化は編集の産物であり、人間の活動とはすなわち編集である、か。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年12月15日 (金)

映画「クリムト」

自分が若い頃好きだった画家はムンク、デ・キリコ、エゴン・シーレ。中年になった今では、正直見るのがややしんどい絵が多いけど、見ているこちらがノイローゼになりそうな絵を好きになるのも若さのなせる技かなと思う。

映画「クリムト」(新栄の名演小劇場で上映中)を見に行ったのも、クリムトその人に対して興味があるというより、クリムトの弟子であるエゴン・シーレがどんな感じで出てくるのかな、というのがその理由。

昔、「エゴン・シーレ」という映画(1983年公開)を見たことがあるのだが、主役である画家は、ニヒルな美青年という感じで描かれていた。それに対して「クリムト」に登場するシーレは、美青年と言えなくもないが、何かエキセントリックなものを内に秘めた、ちょっとストレンジな印象を与える人物。むしろこっちの方が「らしい」かも知れない。

ムンクはニーチェを絵の題材にしているし、デ・キリコもニーチェからインスピレーションを得ているが、シーレには哲学者の影響は無いようだ。けれども、同じウィーンで時代の空気を吸っていた哲学者にウィトゲンシュタイン(シーレの一つ年上)がいる。この映画でも、クリムトとシーレがデッサンを描いているカフェの中で、議論に熱くなった青年たちがつかみ合いになり、「やめろ、ウィットゲンシュタイン!」(字幕)という声が飛んでくる。登場人物というより背景の一部という扱いだけど、シーレとウィトゲンシュタインという二人の奇才がどこかですれ違っていたかも知れない、という想像はちょっと楽しい。そして世紀末ウィーンの有名人といえば、フロイトを忘れてはいけない。この映画全体も、クリムトの夢に現れた潜在意識を写し出したような、フロイト的な作品と言えるかも知れない。

主役のクリムトの話が後回しになってしまった。この映画のクリムト(ジョン・マルコヴィッチ)は外見こそオッサンだが、その行動は権威に反抗し、社会通念に挑戦し、多くの女たちと交わるという、それこそニヒルな若者のスタイルなので、何か妙にシブいオッサンに見える。その一方で、理想の女というか幻の女を追っかけるというのが、ストーリーの軸になっていて、男から見ると主人公にはかなり共感できるものがあると思った。少なくとも「ちょいワル」オヤジなんて軽々しいタイプよりは好ましい。

クリムトは1918年2月に55歳で死去。同じ年の10月、後を追うようにシーレも28歳の若さで亡くなる。シーレの命を奪ったスペイン風邪は、当時猛威を振るったインフルエンザ。全世界で死者数は2000万人とも4000万人とも言われ、画家の死んだ同じ年に終結した第1次世界大戦の戦死者数1000万人を遥かに上回るというから想像を絶する。

画家を扱った映画では、「ムンク 愛のレクイエム」(1991年公開)も見た覚えがあるが、いずれにせよ、19世紀終わりから20世紀初めの時代、要するに世紀末のヨーロッパを舞台にした画家の生涯は、映画の題材としては大いに魅力的なのだと思う。何しろ「愛と性と死」である。映画的主題としてこれに敵うものはないという気がする。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2006年11月11日 (土)

「国宝百選」講座(伝源頼朝像)

恵那にある中山道広重美術館で、今年5月から月1回のペースで開催中(全10回)の連続講座「国宝百選」。本日のテーマは「伝源頼朝像」、講師は米倉迪夫(よねくらみちお)・上智大学教授。今年の夏に『源頼朝像』(平凡社ライブラリー)を読み、京都国立博物館「美のかけはし」展で頼朝像の現物を見たワタクシとしては、著者本人の講演ということでこれは聴講しておくってもんだろうなと思って出かけました。

既にかなり知られているとは思うけど、米倉先生は、京都・神護寺蔵「源頼朝像」に描かれているのは頼朝ではなく、足利直義(尊氏の弟)であるとの説を出した人。根拠となる文書は、足利直義願文(東山文庫蔵)で、そこには尊氏像と直義像が神護寺に奉納された(1345年)ことが記されている。神護寺は足利氏ゆかりのお寺であり、「伝平重盛像」は足利尊氏像(浄土寺)に、「伝藤原光能像」は足利義詮・彫像(等持院)によく似ている。直義像は現存していないが、頼朝像が直義であると推測される。画像の制作年代もかつては12世紀末とされていたが、夢窓疎石像との描き方の類似、あるいは冠の形や太刀の装飾から見て13世紀後半~14世紀前半まで下ることができるという。

「源頼朝像」の制作年代、像主の変更は、それだけに止まらない謎を生む。それまで日本の肖像画は死者の姿を描くことが一般的だったのに、足利家は願いを成就させるために生きている間に自分たちの像を描かせた。それはなぜか。足利3代将軍の義満は、神護寺に対してどういう態度を取っていたのか。神護寺の室町時代の歴史は不明である。もし足利直義が像主ならば、なぜそれが「頼朝像」と呼ばれるようになったのか。江戸時代元禄の頃の「源頼朝」人気とつながりがあるのかどうか・・・等々。

問題の画像や関連史料をスライドで見ながら、著者の話を聞けたので、『源頼朝像』に書かれていた事柄について、理解を深めることのできた良い機会だった。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年11月 4日 (土)

新・豊田の文化財展

P1010645_1 豊田市郷土資料館で10月28日から開かれている「新・豊田の文化財展」を見に出かけた。名鉄線梅坪駅から南に徒歩10分程のところ。とりあえず目当ては織田信長像(長興寺蔵)。教科書をはじめとする書籍やテレビ番組などで、たぶん一番よく使われている画像である。今年の夏、徳川美術館の企画展(「天下人たちの時代」)に複製というか模写が展示されていたのを見たので、原本まで見る必要はないかなとも思ったが、折角の機会ですからいちおう見ておきますかという感じ。・・・もしもしそこの人、館内の写真撮影は御遠慮くださーい。(^^; ・・・以下は資料館の解説文から。

「紙本著色織田信長像」(長興寺蔵・縦70㎝、横31.2㎝)現在、信長画像の中で最もよく知られた画像です。信長は永禄2年(1559)に尾張一国をほぼ支配下におさめ、三河方面への進出を試みます。何度もこの地域へ攻め入り、金谷城主の中條氏を滅ぼし長興寺に火を放ちます。後に金谷城は信長の家臣佐久間信盛が城主となり、余語久三郎正勝が城代となりました。余語久三郎正勝は信長の死を悲しみ一周忌に当たる天正11年(1583)6月2日にこの絵を長興寺に納めて法要を行ったのでしょう。制作年が、信長の死後すぐである事、信長に直接会ったと考えられる京都の絵師がこの絵を描いている事から、今日残されている信長の画像としては最も真に近い一つと考えられています。

「新・豊田の文化財展」は11月26日まで。信長像は期間中の土・日・祝のみの展示。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年10月 7日 (土)

ベケット生誕100年

本日付日経新聞文化面は「サミュエル・ベケット生誕100年」と題して、9月29日から10月1日まで早稲田大学国際会議場で開かれたシンポジウム「ボーダレス・ベケット」の様子を伝えている。シンポジウムの総合ディレクターを務めた岡室美奈子・早大教授によれば、ベケットは「常に現在形の作家」であり、「ベケットが提示した世界に我々が今、追いついた」ことになる。記事では、日本におけるベケット作品の受容や現状の取り組みなども紹介されている。以下に少しメモ。

日本では代表作『ゴドーを待ちながら』が紹介されて50年目の節目となる。仏文学者の安堂信也が留学中、1953年の初演を見て帰国後、56年に邦訳を出版、60年に文学座で自ら演出した。不条理な人間状況を描くベケットの作品は、言葉への不信感を抱いていた別役実、佐藤信らの劇作家を刺激し、日本のアングラ(小劇場運動)演劇を開花させる原動力となった。

佐藤信は先月、ベケットの『エンドゲーム(勝負の終わり)』を演出した。特にこの作品を選んだのは、未来がない主人公ハムの孤独感が「団塊の世代の後の若い人々にものすごく、リアルだと思った」からだった。

日本ではこの後、10月下旬に作品のリーディング(朗読劇)、11月能形式の上演、ワークショップと講演などが続く。しかしベケットは依然、難解という印象が残る。佐藤は「ベケット受容の流れが途切れ、若い演劇人にとってベケットは存在しない作家になってしまった。それが日本の現代演劇の閉塞状況の一要因にもなっている」と憂慮。

・・・ということなんだけど、とりあえず自分が『ゴドーを待ちながら』を観たのは2000年の年末(演出:佐藤信、出演:柄本明、石橋蓮司ほか)で、これはもう素直に良い芝居だ、もはや古典だと思っちゃいました。素朴な観客である自分が考える良い芝居の基準の一つに、「あの役やってみたいなー」と思う、ということがありまして、『ゴドー』なら柄本明の演じたエストラゴンだし、他の芝居では(特に若い頃は)やはりハムレットだなという感じです。

『ゴドーを待ちながら』(安堂信也・高橋康也訳、白水社)の解題では、いまだに新たな解釈を生成しては吸収してしまう傑作/問題作であるこの芝居に匹敵するのは、唯一『ハムレット』あるのみかもしれない、と述べられていて、かっこよく言えばそういうことなのかな、と。

ベケットが現在形の作家でその作品は今もリアルなのかどうか、自分には何とも判断できないけれど、とりあえず『ゴドー』については輝かしき古典の地位にある作品だと確実にいえると思う。(明日8日夜10時からのNHK教育「芸術劇場」でも、ベケットが取り上げられるということです)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

より以前の記事一覧