2022年4月29日 (金)

「兵馬俑」と「ポンペイ」in京都

今月21日から、京都市京セラ美術館で「ポンペイ展」が始まっている。会期は7月3日まで。同じ美術館で「兵馬俑と古代中国」展も開催中。こちらは5月22日まで。つまり5月22日までは、同じ場所で「ポンペイ」と「兵馬俑」を観れる。名古屋に巡回する予定はというと、「ポンペイ」は来ないし、「兵馬俑」は9月とまだ先。というわけで、行動規制のないゴールデンウィークの初日、雨になりましたが京都まで行ってきました。

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「ポンペイ」も「兵馬俑」も、日本で時々展覧会やってると思うけど、自分はポンペイ展は12年ぶり2回目で、兵馬俑展は初めて観た。

死者を守るため、死者と共に埋葬された人や馬の像である兵馬俑。と言えば、もちろん秦の始皇帝陵の兵馬俑となるのだが、今回の兵馬俑展では、その前後の時代、つまり前は春秋戦国、後は漢の時代の兵馬俑も紹介されている。そして前後の時代の兵馬俑の造形はミニチュア人形のレベルであり、等身大でリアルに造形している兵馬俑というのは、実は始皇帝陵のものだけだ。ということが了解できる展示になっている。このほか、春秋戦国時代を描いたマンガ「キングダム」のコーナーもありました。

ポンペイ展では今回、アレクサンドロス大王の描かれたモザイク画(レプリカ)が床面に展示されている。これは実際の当地の住居跡でも談話室の床面を飾っていたとのこと。大王の「肖像」として、世界史の教科書にも載ってるやつね。一部剥がれちゃってるわけだが、大王の顔の部分が残っていて良かったなぁという感じです。

ショップで販売してるグッズには、マンガ家のしりあがり寿のイラストを使ったTシャツや手ぬぐいなどもありました。人物の胸像を載せた柱に、パンツを履かせるというイラストが面白い。あの「柱型肖像」は確かに妙なセンスだなと思うので、これはネタにしたくなるよなぁ。

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2022年1月16日 (日)

将棋・朝日杯2022年藤井四冠敗退

今日は、「朝日杯将棋オープン戦」名古屋対局観戦のため、名古屋国際会議場に足を運んだ。前日は、午前に渡辺名人対菅井八段、豊島九段対梶浦七段の対局が行われ、勝者となった豊島九段対菅井八段の対局が午後に行われて、結果は菅井八段が勝ち上がり準決勝進出を決めた。本日は、まず午前に藤井竜王対船江六段、永瀬王座対阿久津八段の対局が行われた。写真は、午前10時の対局開始直前の四棋士。上手(右)から藤井竜王、船江六段、永瀬王座、阿久津八段。

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自分は、この朝日杯の協賛社となっている証券会社に勤めていて、昨年も招待枠で、準決勝・決勝戦を東京まで遠征して観戦。今年は準々決勝戦である名古屋対局の招待枠も設定されたので、昨年に続き生の藤井君を見ることができた次第。

午前中の対局で藤井、永瀬が勝ち上がり、午後2時から準決勝進出を賭けて対戦。相居飛車戦で後手番藤井が雁木に組み、先手番の永瀬が先攻する展開。藤井の反撃をがっちり受け止めながら、永瀬が優位を着実に拡大して勝利した。

将棋というと男の趣味のように思うが、会場内は女性観客多数。比率は、少なくとも4割程度はあると見えた。これも藤井効果なのか。その藤井君の優勝は無くなってしまったが、その一方で注目したいのは、前日に渡辺・豊島を撃破した菅井八段。今やプロ棋士の中では数少なくなった振り飛車の使い手である。オールドファンの自分には、将棋の戦法というと、矢倉と振り飛車が思い浮かぶ。昔、米長邦雄が矢倉は純文学、振り飛車は大衆文学と評していたかと思う。ところが今や両戦法は、プロ棋士の間ではメジャーな戦法では全くない。まさに今昔の感がある。それでも振り飛車は、アマチュアの人気は依然として高いであろうから、振り飛車党の菅井八段の活躍は、多くのアマチュアにワクワク感を与えるに違いない。今回の朝日杯は、菅井推しです。

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2020年11月22日 (日)

木村九段、藤井二冠撃破(NHK将棋)

本日、将棋NHK杯戦、藤井二冠対木村九段の対局が放映された。何しろ今年夏の王位戦の顔合わせが見られるのだから、とにもかくにもテレビの前に座るしかない。将棋は先手番の木村九段が135手で勝利。戦型は角換わりからの激戦となり、終盤には馬をタダで捨てる手が飛び出すなど、木村九段が攻守ともに見せ場を作る展開だった。

何しろ二日前には、藤井二冠が王将戦リーグで木村九段相手に通算200勝達成とのニュースもあっただけに、本日放映の勝負の結果には、木村ファンも留飲を下げたというか安堵したことだろう。

周知のように王位戦は藤井の4連勝、タイトル奪取で終了。8月20日、福岡市で行われた第4局終了後、藤井新王位が記者会見に向かう時の様子を「将棋世界」誌が伝えている。記事によれば、対局場の外には100人以上の将棋ファンが集まり、「出待ち」していた。藤井新王位が現われる。拍手と歓声の中でタクシーに乗り込み、記者会見場へ。そして・・・以下は記事から引用。

藤井が去っても、多くのファンは動かない。8割はその場から離れなかった。敗者を待っているのだ。
5分が過ぎ、王位を失ったばかりの木村が現れた。藤井に負けないくらい、いやそれ以上の拍手が沸き起こった。「木村さん、頑張って!」という声援も飛んだ。木村は少し驚いた様子だったが、歩みを止めた。そして深々と一礼をした。
拍手は、いつまでもやまなかった。

・・・将棋ファンはいい人ばかりだ。ちょっと泣ける。

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2020年10月22日 (木)

「三島由紀夫」は今でも有効か

このところの日経新聞文化面にコラム記事「三島由紀夫50年後の問い」が連載されている。本日の紙面では、三島の「美しい星」を映画化した映画監督の吉田大八が寄稿。吉田氏が語る、三島の作品が「現在にびしびし刺さってくる」理由を以下にメモする。

「それは三島が、人間の生の無意味から目をそらさず、無意味に懸けるからでしょう」。
「意味を見いだせないから委縮するのではなく、無意味だからこそ行動する。その一瞬に美が立ち上がる。現代社会では意味のあるなしがまず問題になり、効率優先で切って捨てようとするが、それを突き詰めていけば人間を疎外することを、三島は分かっていた。無意味に懸けるしかないという姿勢は、今、改めて迫ってくる」

・・・無意味に懸けるという姿勢は、いくばくかヒロイズムの混じったある種のロマン主義に見える。そして現代社会においては、いかなるスタイルのロマン主義も成立しないと思われる。それこそ何の得にもならないと言われて、ポイ捨てされてしまうだろうから。そんな風に我々は余りにも計算高いのであるが、その一方で実のところ、無意味というものに慣れ切ってしまってもいる。もはや無意味に懸けようという姿勢に美を感じることなどありそうもない。

同じ連載記事からもう一つ、昨日21日付紙面掲載の宮台真司・東京都立大学教授の寄稿から以下にメモする。

〈このまま行ったら「日本」はなくなってしまうのではないかという感を日ましに深くする。日本はなくなって、その代わりに、無機的な、からっぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜目がない、或る経済的大国が極東の一角に残るのであろう〉

三島由紀夫は1970年11月25日に自裁する約4カ月前、「果たし得ていない約束」と題する文章を新聞に寄せた。社会学者で東京都立大学教授の宮台真司氏(61)は作家の死に強い衝撃を受け、その意味を問い続けてきた一人だ。「三島が捉えた日本の本質と彼が主張する天皇主義を理解する上でこの文章はとても重要」と考えている。
日本人にとって天皇の存在は必要不可欠であると三島が考えたのは、さもなくば日本社会が空虚なものになるという危機感があったからだ。

日和見的な日本人の「空っぽ」を埋める存在が天皇であるという三島の思想に宮台氏は強く共感するという。「状況が変わろうとも一貫できるかどうかを考えたとき、よりどころとなる不動点が必要になる」

宮台氏は「50年前に三島が予言した通りの状況が今の日本にある」とみる。「(三島は)私たちが生きるための不動点を見いだせるように扉を開いてくれた。日本が『空っぽ』な限り、三島の問いは有効であり続ける」

・・・宮台先生と同い年の自分にも、三島の死の記憶はハッキリと残っている。しかし50年も前の出来事を難なく思い出すことができるのだから、年を取るというのも不思議な感覚がするものだな。

かつて三島が嘆いたのは、日本が独自の精神を失い、物質的な価値観しか持たない国になることだったのだと思う。その予感は十分に当たったと言える。しかしその一方で、今や物質的に豊かな生活に満足している日本あるいは日本人が、自らの精神が「空っぽ」であることに怯えているようにも見えない。日本人は精神的「よりどころ」を不要とするほど強くなった・・・というよりは単に鈍感になった、ということなのかも知れない。いずれにせよ、そういう状況の中では、三島の問いの有効性は既に失われているように見える。

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2019年12月30日 (月)

じゃこうねずみの哲学

ただ今「ムーミン展」が名古屋で開催中。(松坂屋美術館、2020年1月19日まで)

ムーミン谷の住人の中で、自分のアイドルは「じゃこうねずみ」。しかし残念ながら、じゃこうねずみのグッズは非常に少ない。フィギュアが欲しいと思っているのだが、見たことがない。やっぱりあんまり需要が見込めないのかな。今回の展覧会では、「たのしいムーミン一家」挿絵を使ったポスターカードがあったので購入した。

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「へんくつな哲学者」であるじゃこうねずみは、『すべてがむだであることについて』という本を愛読している。おそらくじゃこうねずみは、ニーチェとかショーペンハウアー系の哲学者なのだろう。

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2019年11月 6日 (水)

「新版画展」in 恵那

先日、恵那駅から程近い中山道広重美術館で開催中の「新版画展」を見に行った。(12月8日まで開催)

展覧会の副題に「巴水・古邨・深水を中心に」とある。それぞれ川瀬巴水(風景画)、小原古邨(花鳥画)、伊東深水(美人画)なのだが、やはり新版画といえば川瀬巴水、という感じがする・・・と言っても、自分が巴水を知ったのはごく最近(苦笑)。展覧会で巴水の作品を自分が見るのは、4年半ぶりになる。今回の展覧会では期間中、「日本橋 夜明け」や「芝 増上寺」など巴水の16作品が展示される。パンフレットから新版画の解説部分を、以下にメモしてみる。

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新版画とは、大正初期から昭和にかけて描かれた木版画を指します。江戸時代の浮世絵と同じように、版元を置き、絵師、彫師、摺師による分業によって制作されていました。
新版画を生み出し、発展させたのが、美術商で浮世絵の輸出に携わっていた渡邊庄三郎(1885-1962)という人物です。

明治中期頃から、浮世絵の生命は脅かされていきます。江戸時代、マスメディアとしての役割も担っていた浮世絵は、情報を伝えるという面では新聞や写真に太刀打ちできなくなっていきます。加えて、当時は西洋文化への賛美や江戸文化への蔑視もあり、浮世絵の衰退は著しいものでした。この状況を案じた庄三郎は、同時代作家の下絵を彫師と摺師の手を経て、純粋な絵画として木版画を完成させるという新事業に乗り出しました。これが新版画の始まりです。

明治期には彫りや摺の技術は最高潮に達しており、新版画は江戸時代の浮世絵と異なる芸術性を獲得します。
そして川瀬巴水や伊東深水などの画家が登場し、大いに活躍しました。

・・・光と闇、雪や雨、水面、そしてグラデーション・・・巴水の作る色鮮やかなイラストのような版画作品の美しさは、いわば現在を直ちに追憶化するかのような感受性の力が生み出したものではないかと思う。

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2018年10月28日 (日)

フェルメール展、人気

東京・上野の森美術館で「フェルメール展」を開催中。フェルメールの現存作品35点のうち9点が集結、同時代のオランダ絵画も約40点を展示。10月5日の初日から3週間で入場者数10万人を突破する盛況となっている。

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自分も東京に用事を作って上野に足を運んでみた。チケットは日時指定の予約という販売方法ではあるけれど、日曜日の午後でもあり、入場開始時間には行列が出来てるし、館内に入ってみれば「混んでる」のひとこと。入場者数そのものを制限しているわけでもない感じ。

ちょうど一年前、自分はここで「怖い絵展」を見たなあ。あれもすごい人気で、連日入場待ちの長い行列ができていたらしい。
絵を見る日本人はとにかく熱心だなあと感心する。

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2017年11月 4日 (土)

「怖い絵」展大人気の謎

現在、東京・上野の森美術館で開催中の「怖い絵」展が大人気となっている。10月7日から開館時間10:00~17:00でスタートしたが、早くも一週間後には土9:00~20:00、日9:00~18:00に時間拡大。三週間で来場者数10万人突破。人気上昇も加速し、直近では入場待ち最大3時間という凄まじいことに。来週以降は土曜に加えて、金曜と祝日も9:00~20:00開館で対応する。(12月17日終了予定)

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自分も先日、東京に行く機会があったので、とにかく入場したのだが、なるほど大混雑。まさに絵を見るより人を見るという感じでありました。

この展覧会が気になったのは、たまたま展覧会準備の苦労話を雑誌で読んだ(『芸術新潮』8月号・「怖い絵」展ができるまでの本当にあった怖い話)ことによる。確かに世界のあっちこっちから、絵をかき集めてくるというのは、大変なことだよなあと思う。苦労して開催に漕ぎ着けた展覧会に、これだけたくさんの人が見に来てホントに良かったねと、関係者を讃えたい気持ちにもなる。

とはいえ、「怖い絵」展がこれ程の人気を集めている理由はというと、正直よく分からない。この展覧会のコンセプトの基礎にあるのはもちろん、ドイツ文学者中野京子の人気著作「怖い絵」シリーズなのだが、今回の出展作品約80点のうち、「怖い絵」の本で紹介された西洋名画の実物は10点ほどだという。なので、よく知らない画家や作品も多いし、そもそも「怖い」と言っても直接的視覚的にとても怖いという程でもない。本のコンセプトに基づいて、文化的歴史的背景を理解した上で、じわじわ怖くなるという絵が大半なのである。

まあ、こうしたお勉強的要素のある展覧会にわんさか人が来るのだから、それはそれで大したことだなあと思う。今夜はテレビ番組「美の巨人たち」で、今回の展覧会の目玉である「レディ・ジェーン・グレイの処刑」が紹介されたし、さらにわんさか人が来るんだろうな。

(11/10追記)開館時間は11月16日以降、連日9:00~20:00に!

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2017年8月10日 (木)

名古屋城、石垣保全も大事と

名古屋城天守の木造復元に向けて邁進する河村たかし・名古屋市長の前に、「天守復元より石垣修繕の優先」を訴える有識者が立ちはだかる――本日付日経新聞記事からメモ。

名古屋市は9日、名古屋城天守閣の木造復元に絡む石垣整備を議論する有識者委員会(石垣部会)を開いた。

これまでの部会では、委員から市の石垣調査計画に対し、「石垣保全より木造復元を優先している」と批判が相次ぎ、2022年12月の天守閣竣工の工程を見直すべきだとの結論になった。

河村たかし市長が掲げる木造復元で目下最大のハードルになっている石垣部会。この日、市側は天守閣の周辺15ヵ所で発掘調査を、10ヵ所でボーリング調査をする計画を説明した。大きな異論は出なかったが、奈良大の千田嘉博教授が、現在進んでいる石垣の史実調査の主体を尋ね、市が「竹中工務店と一緒にやっている」と答えたところ、会議の雰囲気が一変した。

千田教授は「特別史跡の名古屋城は国民共通の財産だ。名古屋市が責任を持ってやる以外にない」と強調。佐賀大の宮武正登教授も「手が足りないから外注というのはだめだ」と苦言を呈した。市は名古屋城担当として考古学が専門の学芸員を専任1人、併任1人充てているが、日常業務も多く、木造復元に向けた調査や資料の作成は竹中工務店が多くを受け持つ。

竹中の担当者が示した資料の内容にも委員から批判が相次ぐなどし、この日は用意していた議題を全部こなせずに時間切れ。今後の議論になお火種を残す格好となった。

・・・千田教授といえば、お城好きにはお馴染みの先生。そのお方の意見を、あだやおろそかにはできますまい。

しかし、お城は基本的に戦いのためのものであり、天守など建物の内部は殺風景そのもの。現在進行中の本丸御殿の復元は、建築物として見所があるから良いと思うけど、天守はわざわざ木造復元する程の価値があるのかどうか疑問。

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2016年7月10日 (日)

ウルトラマン放送開始50年

今から50年前の昭和41年(1966)7月10日、TBSで「ウルトラマン前夜祭」として、第1話の放送に先立ち杉並公会堂で行われた番組PRイベントの模様が放映された。ということで、50周年記念イベント「ウルトラマンの日 in 杉並公会堂」が昨日今日と二日間の開催。どんな感じになっているのかなあと、現地に足を運んでみた。

有料イベントに参加する程の熱意もないので(苦笑)、とりあえずグッズ販売のスペースを覗いてみたのだが、まあ盛況のひとこと。老いも若きも男も女も相集う状況を目のあたりにして、本当にウルトラマンは国民的ヒーローなのだなという認識を新たにした。

Photo_2会場には歴代ウルトラマンが勢ぞろい。しかしウルトラマンって、こんなにいたんだなあ。真ん中の空いたスペースに、希望者が入って記念写真を取るサービスをやっていたのだが、順番待ちの人たちの列が出来て、途切れることなく写真撮影が続いていた。

50年前の小学1年生である自分は、いわばウルトラの「第1期生」。そんな自分にとってのウルトラマンとは、マンとセブン、それと帰ってきたウルトラマンまでかなあ。という感じなので、こんなに大量のウルトラマンを見せられても途方に暮れるしかない。(苦笑)

それに正直言えば、俺はウルトラマンより怪獣が好きなんだ! そして怪獣と呼べるものは、成田亨デザイン、高山良策造形の怪獣だけだ! という思いに凝り固まってしまっている。(苦笑)

それにしても50年か・・・。一口に50年と言っても、長い長い年月であることは間違いない。何年か前にNHK「歴史秘話ヒストリア」で、ウルトラマンに深く関わった伝説的脚本家、金城哲夫が取り上げられた時も感じたが、ウルトラマンももはや「歴史的」な存在になりつつあるなと。そして自分も、その歴史を生きていたのだと思うと何とも不思議な心持ちになる。

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