2020年7月30日 (木)

ドクター・キリコによろしく

「回復の見込みがない事、生きているのが苦痛である事、そして何より本人の意志である事――その条件を満たすなら、安らかな最期を約束しましょう」

手塚治虫の名作『ブラック・ジャック』を読んだ者なら誰でも、ドクター・キリコの名前を憶えているだろう。安楽死処置のプロである医者、ドクター・キリコは、ストーリー中の出番こそ多くないものの、明らかに主人公の天才外科医ブラック・ジャックとコインの表裏を成すキャラクターとして、読者に強い印象を残す。上記のセリフは、そのドクター・キリコを主人公とするスピンオフ作品(『Dr.キリコ 白い死神』秋田書店)の中で、ドクター・キリコが語る安楽死の依頼を受ける三条件だ。

例の京都で起きたALS患者の「嘱託殺人」事件に関連する報道の中に、ドクター・キリコの名前がちらほら出てくるのが気になり、とりあえず検索したら表示されたのが、このスピンオフ作品。コミックス全5巻の完結は割と最近(最終巻発行2019年2月)で、アマゾンでも好意的なレビューが多かったものだから、ドクター・キリコのファンである自分も早速全巻購入して読んだという次第。

安楽死についてはいろいろ考え方があるとは思うが、自分はこの作品から、安楽死をどうこう言う前に「まずは自分の人生を全うせよ」というメッセージを受け取った。

ドクター・キリコは若い頃、軍医として戦場で働き、大けがを負いながら死ねずに苦しんでいるたくさんの兵士を見てきた。この経験から、安楽死のプロになったという経緯がある。現在のような衛生環境が良くなり医療技術が発達し長寿化が実現した平和な時代に、ドクター・キリコの存在感が増しているように見えるのは、皮肉な感じがしないでもない。

亡くなった京都の患者さんは、ドクター・キリコの三条件を満たしていたように見える。だからあの二人の医者は「犯行」に及んだ・・・のかどうかまでは分からないが。

それでも51歳という、人生を全うしたとは決して言えない若さで亡くなった患者さんの無念は想像を絶する。ALS、なんて酷い病がこの世にあるのか。

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2019年10月22日 (火)

「即位の礼」は単なるイベント?

今日は「即位の礼」の日。本日付日経新聞社会面から、ジャーナリストの江川紹子氏の意見を以下にメモ。

日本人は結構お祭り好きですよね。お祭りの一つとして楽しんでいるところもある。
最近は感じたり思ったりすることが優先され、考えることが置き去りにされがちな「思い優先」の世の中ですから、この問題についても考える雰囲気がない。いまの憲法下で何がふさわしいかを議論したり、考えたりする機会がほとんどないですね。これは皇室というより、私たちの問題です。
「思い優先」で考えることがおろそかになっている時代だからこそ、メディアは考える材料を提供してほしい。皇室の将来と日本人を議論し、令和30年にはどういう社会になっているかを考えさせる報道であってほしい。

・・・同じ紙面では、元宮内庁長官・羽毛田信吾氏も、「今回の儀式を契機に、私たち国民も象徴天皇とは何かを考えるべきではないでしょうか」と、問いかけている。また、「不安定な皇位継承制度」は「すでに危機的状況と認識」している、とも。

いま国民が普段の生活で、皇室を意識することは殆ど無いように自分には思われる。もはや皇室は一部のファンのもので、国民大多数とはほぼ無関係の存在になっている。というのが自分の印象だ。「象徴天皇」や「皇位継承」について、我が事のように考えている人、あるいは考えたい人がどれだけいるのやら。

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2018年11月23日 (金)

日産社長は明智かブルータスか

今週初めの日産カルロス・ゴーン会長の突然の逮捕、そして解任の衝撃が広がっている。

祝日である本日、テレビで昼のワイドショー番組を眺めていたら、日産の西川(さいかわ)社長は「明智光秀」ではないか、という話になっていた。日産の提携相手であるルノーの地元フランスのメディアでは、「ブルータス」に例えられているそうだから、どっちにしても「裏切り者」という見立てで、西川社長にはあんまり嬉しくない感じだな(苦笑)。フランスでは日産の「クーデター」との批判的報道もあるということだが、革命の国にそんなこと言われてもなあと思ったり。

それにしてもゴーン元会長は、庶民には全く実感のわかない超巨額の報酬を手にしていたうえに、さらに自宅用の高級マンションを会社に買わせたり、自分の姉を会社のコンサルタントにしたりとか、日産は公開企業だというのに、まるで未公開企業のオーナー経営者みたいな好き勝手やり放題、その常軌を逸した感覚には、ただただ呆れるばかり。

最近はコーポレートガバナンスの強化について、あれこれ取り沙汰されているけど、こんな並外れて度を超した最悪レベルの実例が現われると、結局何をどうやってもダメじゃんという感じにもなる。はあ。

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2016年12月29日 (木)

真珠湾とヒロシマ

現地時間12月27日、安倍首相がオバマ大統領と共にハワイ真珠湾・アリゾナ記念館を慰霊のために訪問。首相は演説の中で「和解の力」と「寛容の心」を強調した。

今年5月のオバマ大統領の広島訪問もあり、日米は過去の歴史に区切りを付けたという見方がされているようだ。

とはいうものの、どっちかっていうとまず日米同盟の緊密アピールありき、のような印象もあるわけで。つまり外交の必要性から、日米トップの歴史的相互訪問が実現したという感じ。

大体「和解」と言っても、お互いに謝罪なしで本当に和解したことになるのかと。

そもそも、真珠湾とヒロシマを同列に扱うのはおかしいだろう。確かに太平洋戦争は真珠湾攻撃に始まり、広島・長崎への原爆投下で終わったということはある。でも、真珠湾では軍人の戦死者2,000人以上に対し、広島・長崎は市民20万人以上が新兵器の実験で殺されたのだから、釣り合うわけがないだろうと思う。

真珠湾攻撃も「不意討ち」であることが、許しがたいとされるようだが、当時アメリカは日本側の通信の暗号解読により、真珠湾攻撃の可能性を全く意識していなかったわけではない。ということが、 映画「トラトラトラ!」に描かれている。しかしこの機会に見直したけど、この映画やっぱりよくできてる。思いっきりお金をかけて真珠湾攻撃を外交部分も含めて映画化する、そこはアメリカという国の凄いところだなと思ったりする。

まあ緊密な同盟国と言っても、対等な国同士の関係とは思えないし。オスプレイ墜落に揺れる沖縄といい、難航する北方領土返還といい、旧連合国から見れば、日本は相変わらず敗戦国であり属国の扱い。という不愉快な現実を認めざるをえない。

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2016年7月14日 (木)

今上天皇、生前退位の意向

このブログで2009年1月末にメモしたことを再掲する。
(引用始め)
昨日30日付日経新聞で目に付いた一文。
「天皇という職務に定年はない」
言われてみれば、そっかー、天皇って結構大変だよなーと思った。

件の記事は、天皇陛下の公務等の負担軽減策発表(29日、宮内庁)を受けた解説で、引用した冒頭の文に続けて、「憲法で定められた国事行為や慣例となった重要行事などは、天皇が高齢になったからといって簡単に削減することはできない」、とある。

とりあえず『天皇陛下の全仕事』(山本雅人・著、講談社現代新書)を参考にメモ。
天皇の行為は「国事行為」「公的行為」「その他の行為」に分かれる。
国事行為は憲法6条、7条、4条第2項に規定される首相任命、法律などの公布、国会召集、大臣らの任免など。
公的行為は、外国訪問、地方訪問、拝謁、一般参賀、園遊会、賓客接待など。
平成16年の行事710件を、仕事の性質で分けると、「人と会う」53%、「事務処理」14%、「儀式・式典出席など」11%。
外国関係の仕事は24%を占める。また、行事の場所としては皇居内が8割以上と。

否応無く「生涯現役」状態なのだが、逆に言うと、極端な話、介助やら介護やらを必要とする状態になっても仕事しなきゃいけないのか、という感じで、事実上の引退の道もありにしないと、何だか非人間的な扱いじゃないかなと思ったり。

一時期、「女帝」問題で皇室典範改正の動きがあったけど、「天皇の退位」も皇室典範に拠るということなので、今度はそこんとこ改正とかどうでしょう。天皇にも自分から退位する自由がないとまずいんじゃないのかねえ。
(引用終わり)

・・・ということで、今回の天皇「引退」報道、自分的にはそんなに驚くこともなく。

しかし、とうとう浩宮が天皇になるのか。浩宮と学年の同じ自分には、ついにその時が来たのかという感慨がある。

ついでにいえば、改憲するなら天皇の位置付けも再考の余地あり、だな。戦後すぐなら国民統合の「象徴」も、まだリアリティがあったのかも知れないが、浩宮が「象徴」と言われても、個人的にはよく分からんって感じだし。

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2016年1月30日 (土)

「朝鮮通信使」、記憶遺産へ

本日付日経新聞から以下にメモ。

江戸時代、朝鮮王朝が日本に送った外交使節「朝鮮通信使」の関連資料を、国連教育科学文化機関(ユネスコ)の世界記憶遺産に申請することが29日、正式に決まった。日本と韓国の民間団体が国境の島・長崎県対馬市で、共同申請書に調印した。2017年の登録を目指す。
日本側の資料は、朝鮮外交に当たった儒学者・雨森芳洲の著書のほか各地に残る文書、絵など48件209点。韓国側は、朝鮮王朝がまとめた関連文書、通信使が残した日記など63件124点。

・・・昨年秋、広島県下蒲刈の朝鮮通信使再現行列を見に行ったことが思い出される。「豊臣の戦争」と「徳川の平和」、朝鮮通信使は平和の象徴。戦争の象徴である「倭城」も世界遺産になれば良い・・・けど無理かな。

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2016年1月27日 (水)

『わが闘争』ドイツで出版

ドイツで発禁本扱いだったヒトラー『わが闘争』が、70年ぶりに出版されたそうだ。ただし学術研究書として。今月8日に現代史研究所(ミュンヘン)から発行されている。「日経ビジネスオンライン」の本日付発信記事から以下にメモする。

ヒトラーが1920年代に著した『わが闘争』は、33年にヒトラーが権力を掌握して以降、全体主義と反ユダヤ主義を掲げるナチズムを推進する支柱となり、ドイツ敗戦の45年までに発行部数は実に1200万部にも達したという。

敗戦に伴い占領軍としてミュンヘンに駐留した米国軍は、ヒトラーの当時の私的住所がミュンヘンにあったことから、『わが闘争』の著作権を地元バイエルン州政府に移すことで同著出版の道を封じた。同州政府が以来、ドイツ語による出版を全て拒絶してきたのだ。

しかし、ドイツの著作権法では著者の死後70年で著作権の保護期間が切れる。『わが闘争』の著作権も2015年末で消失し、誰でも再出版できるようになることが分かっていた。そのため、ドイツでは何年も前から『わが闘争』の再出版問題にどう対応するか、様々な議論が重ねられてきた。

その結果、各連邦州政府の司法当局は、ドイツの「反扇動法」を根拠に無批判なまま同著を出版することを禁じることで合意。その一方で進められてきたのが、現代史研究所による注釈付き学術版である『わが闘争』の出版だ。

現代史研究所は、ナチズムがなぜ台頭するに至ったかを研究すべく1949年に設立された。同研究所の歴史家5人が3年の歳月をかけ、3500以上に上る学術的注釈を加えながら編集した新版は上下2巻、計約2000ページに及ぶ。

『わが闘争』の書店からの注文が予想より多かったため、現代史研究所は発行部数を当初の4000部から急遽1万6000部に拡大した。独アマゾンでは8日、数時間で完売したという。

・・・ナチズム研究はピークを過ぎた。という話を聞いたことがある。確かに、これから新たな事実や新しい視点が出てくるというのも想像しにくい。となれば、ここでナチズムの「原点」である『わが闘争』の研究書版を世に送り出すのも、充分意義のある仕事だと思われる。これはもうとにかく純然たる歴史研究の資料として扱えば良いわけだし。

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2015年5月17日 (日)

祝・松江城国宝

松江城が国宝に指定されることになった(5月15日、文化審議会が文部科学大臣に答申)。16日付日経新聞社会面の記事からメモ。

出雲・隠岐の領主だった堀尾吉晴が1607年に建設を始め、11年に完成した松江城は、山陰で唯一天守が現存する平山城で、実戦を想定した造りと優美な姿が特徴だ。
天守最上階の5階は四方を展望できる望楼。千鳥が羽を広げたように見える三角屋根の破風があり、「千鳥城」とも呼ばれる。

戦前は国宝だったが、1950年の文化財保護法の施行時には重要文化財とされた。当時、修復工事中だったことなどが影響したとみられる。

全国で天守が現存するのは12城。このうち国宝は姫路城、松本城、犬山城、彦根城で、ほかは重要文化財となっている。
国からの補助金は、国宝と重要文化財と同じだが、地元は観光資源としての価値の高まりを期待する。

・・・自分が現存12天守巡りをしたのは2009年。もう6年も前になるのだな。その時、松江城も訪ねた(過去記事)わけだが、こんな立派な城がなんで国宝でないのかと感じただけに、今回の国宝指定は喜ばしいことだなあと思う。

これで国宝は5城。どうせなら現存天守は12城全部国宝にしちゃったら?と感じつつも、しかし弘前城と丸亀城は実は櫓を「天守」と称しているのが難点かもなぁと思い直したり。それに櫓だったら、何より熊本城宇土櫓が国宝になるといいなあと思ったり。

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2015年3月 5日 (木)

戦艦武蔵、発見

本日付日経新聞コラム「春秋」からメモする。

捷一号作戦――。昭和19年7月、日本海軍はフィリピンに迫る米軍を迎え撃つ覚悟を決め、その戦いをこう名づけた。戦勝を意味する「捷」の文字に悲壮な決意をこめての立案である。しかし3ヵ月後、レイテ島沖での実戦は戦艦3隻、空母4隻を失う大敗に終わった。

「大和」と並ぶ巨艦「武蔵」が最期を迎えたのはこのときである。その悲劇の戦艦が比中部シブヤン海の水深1千メートル地点で見つかったそうだ。
米マイクロソフトの共同創業者で、海洋探査にかかわる資産家の発見だという。

あの戦争ではおびただしい数の艦艇や徴用船が沈み、いまもそのままだ。太平洋海域には過ちと無念の記憶が満ちている。

捷号作戦には本土周辺での戦いを想定した二号、三号、四号も用意されていた。さらにはずばり本土決戦を指す「決号作戦」も大本営は考えていたという。武蔵発見の報に接して胸をよぎる、歴史の痛苦である。

・・・レイテ沖海戦で戦艦では武蔵のほかに、山城、扶桑が撃沈された。大和、武蔵を擁する栗田艦隊とは別行動だった2隻は、スリガオ海峡の夜戦で米戦艦6隻から集中砲火を浴びて、生存者は皆無に近い悲惨な最期を遂げた。空母では、真珠湾以来の歴戦の強者である瑞鶴が小型空母3隻を従えて、小沢艦隊の中核を形成。栗田艦隊のレイテ湾突入を側面支援するべく、敵の攻撃を引きつけた空母4隻はエンガノ岬沖に消えた。小沢艦隊所属の航空戦艦、伊勢と日向の奮戦も、戦史好きには忘れられない。

レイテ沖海戦では、神風特別攻撃隊も初めて出撃した。昭和20年の初めには、「一億総特攻」の方針が立てられていたらしい。敗戦の責任を問われたくないエリート層が、国民すべてを地獄への道に引きずり込もうとしていた。恐ろしすぎる。

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2013年3月28日 (木)

竹田城の訪問、有料に

竹田城といえば、雲海に浮かぶ巨大石垣群の画像で知られる山城。近年、その人気は高まっており、この秋以降は訪問者から「入場料」を取ることが決まったそうだ。本日付日経新聞の記事からメモする。

「天空の城」とも呼ばれ、ここ数年で訪れる人が急増している兵庫県朝来市の国史跡・竹田城跡の観覧料を徴収する条例が27日、市議会で可決、成立した。

市によると、今年10月以降、高校生以上から300円を徴収する。中学生以下は無料。閑散期の12月11日から3月19日までは対象外。

竹田城は1400年代中ごろに築かれたとされ、今は標高約350メートルの山頂に造られた石垣が残る。来場者は2010年度に5万2千人だったが、11年度は9万8千人、12年度は21万5千人に急増。朝来市はトイレの維持管理費や警備費の捻出を迫られていた。

・・・しかし5万、10万、20万と倍々で訪問者が増加しているのは驚く。何でかな~と思って検索してみると、特に去年は映画(「あなたへ」高倉健主演)の中に竹田城が出てきたらしくて、それも理由の一つかもしれない。もともと竹田城は山城ファンの「聖地」であったが、とにかく一般人の認知度も高まっているのは結構なことだ。

誰が決めたか知らないが、いちおう「三大山城」というと、備中松山城(現存天守)、岩村城(標高最大)、高取城(比高最大)が挙げられる。しかし竹田城はそれらとは別格扱いというか、専門家も「織豊期城郭の傑作」と認めるこの城を、「日本一の山城」と呼ぶことに躊躇いはない。訪問者増が一時的なものに終わらないことを願います。

(自分が竹田城に行ったのは4年前のこと)

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