パラリンピックについてのメモ(2)
前回の東京パラリンピックは1964年11月8日に開幕した。日経新聞8/26付記事から以下にメモする。
大会は2部構成。8~12日が国際大会の1部、13~14日の2部は国内大会。当時、障害者のスポーツ大会は下半身に障害がある人たちの競技大会とみなされていた。それゆえ、陸上種目やバスケット、アーチェリーなど、ほとんどが車いすを使う人たちの競技だった。国際大会はここまでだった。64年の東京大会が画期的だったのは2部の国内大会だ。1部に参加できなかった視覚、聴覚や四肢障害者などを加え、さらに広い範囲の障害者の大会とした。この2部がのちの「全国身障者スポーツ大会」につながる。現在は知的障害者も加えた「全国障害者スポーツ大会」になっている。
大きな支えとなったのが皇室、とくに皇太子夫妻だった上皇ご夫妻の活動だった。1、2部の開閉会式への臨席のほか、毎日各競技を見て回った。上皇さまが2部大会を発展的に継続し、毎年開催するよう大会関係者に促したことはよく知られている。
皇室が身障者に寄りそうきっかけは傷痍軍人への慰めにあるともいわれ、大会参加者にも含まれていた。なぜか昭和天皇が観戦しなかったのは、戦争との関連が注目されるのを避けるためだったのか。
・・・上皇様のご尽力には頭が下がる。ところで僕は子供の頃、傷痍軍人を見た記憶がある。時は昭和40年代半ば。浅草寺の境内の片隅で、白い服を着た人10人くらいの集団が佇んでいた。中にはアコーディオンを奏でる人もいた。何だかもの悲しい・・・というよりも、単に恐かった。そんな記憶がある。
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