2022年5月 4日 (水)

アトムよりも鉄人28号

今月の日経新聞「私の履歴書」執筆者はマンガ家の里中満智子。本日第4回の内容から以下にメモ。

7歳になるころ、書店で、好きな雑誌を選んでよいと言われたので、何冊かパラパラめくっていたら、創刊されたばかりの「なかよし」に載っていた「とんから谷物語」が目に入った。手塚治虫先生の連載である。ダム建設で故郷を追われる生き物たちを描いた漫画で、環境問題を扱った先進的な作品だ。当時の私には、美しい絵と物語だけでも十分に魅力的だった。

小学2年になると、貸本屋に通い始めた。ほぼ毎日雑誌か単行本を借りていた。
「あしたのジョー」のちばてつや先生や、「仮面ライダー」「サイボーグ009」などの石森(後に石ノ森に改名)章太郎先生も、はじめは少女漫画を描いておられ、私はリアルタイムで読んでいる。

ことに熱中したのは「鉄腕アトム」だ。後年、アニメでも大ヒットする手塚作品だが、私の記憶では連載当時、同級生男子には横山光輝先生の「鉄人28号」の方が人気があった。少年の操縦で巨大ロボットが敵を倒す痛快な物語に比べて、アトムは、くよくよ悩む。敵がなぜ悪者になったかを考え、背景にある人間の黒い欲望に気づく。敵に負けたり、人間にいじめられたりすることもある。
そんな姿に感情移入して「今月のアトム、泣けたよね~」と同級生男子に言っては、けげんな顔をされていた。彼らには、アトムは暗すぎたのだ。けれど私は「こんなとき、アトムならどうするか」と考えて行動を決めるほど思い入れが強かった。

・・・当時の男の子の鉄人人気は、自分も大いに頷けるものがある。自分も、アトムより鉄人の方が好きだった。その理由を考えたことはなかったが、里中さんの文を読んで、確かにアトムは暗いというか、少々鬱陶しい印象はあったかもしれないと思う。確かアトムに「ロミオとジュリエット」を下敷きにした話があって、それを子供の頃読んだ時、結末部分で何とも得体の知れない気持ち悪さを感じたことを覚えている。その一方で、「地上最大のロボット」(プルートウ!)は、わくわくぞくぞくしながら読んでいた。実際、人気作品だったらしいので、たぶん男の子は、この話が大好きだったんじゃないだろうか。

里中さんが熱中したことを考えると、確かにアトムには少女漫画テイストが結構含まれていたのかも、と思ったりする。

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2021年9月26日 (日)

みなもと太郎「ホモホモ7」

去る8月7日に、マンガ家のみなもと太郎が死去。みなもと太郎の代表作といえば、歴史大河ギャグ「風雲児たち」なのかも知れないが、自分はやっぱり「ホモホモ7」。「風雲児たち」は何か普通のマンガという感じだが、「ホモホモ7」という実験的ギャグマンガのインパクトは大きかった。

追悼の思いで改めて「ホモホモ7」を読もうかと思ったが、今は「復刊ドットコム」による「完全版」が2600円(税抜き)で出ているのみ。購入するのにちょっと決心が必要な値段だった。(電子版が安いけど、どうも年寄りは電子版に手が出ない 苦笑)

「ホモホモ7」は1970年~71年、講談社「少年マガジン」に掲載。もう50年も前のマンガだけど、各ストーリーの様々な場面の多くは自分の記憶に残っていた。基本的な設定はスパイもので、男の組織ホモホモ・ブロックと女の組織レスレス・ブロックの戦いを描くのだが、主人公の活躍の舞台は任侠風、宇宙SF風、古代ローマ風、ラブロマンス風と、作者の好き勝手に展開。当時を思い起こさせる「大阪万博」とか「谷岡ヤスジ」とか、「家畜人ヤプー」(沼正三の小説)とか「おとっつあん、おかゆができたわよ」(当時のバラエティ番組「シャボン玉ホリデー」の定番コントのセリフ)なんて言葉やセリフも出てくる。当時のマガジン連載マンガの女性登場人物も借用されていたりして、何とも楽しい。

この本では資料として、マガジン連載初回「ホモホモ7只今参上」の、試作版ともいえる「レスレス7喜々一発」も掲載されている。2作のストーリーは基本的に同じだが、なぜか「喜々一発」の登場人物の呼び名はホモホモイレブンとレスレスセブンで、後の設定と逆になっている。「ホモホモ7」といえば、ギャグタッチと劇画タッチの混在が特長だが、「喜々一発」と比べて「只今参上」は劇画タッチの部分が増えて、全体的により丁寧に描かれている。

実は「喜々一発」は1969年、小学館「ビッグコミック」に採用された作品。しかし掲載する機会がないまま一年ほど経過。作者がたまたま少年マガジンの副編集長に会う機会があり、作品コピーを見せたら、書き直しのうえ掲載することになった、という。この辺の経緯は、自分は知らなかったので、非常に興味深く感じた。当時の少年マガジンは内田勝編集長ー宮原照夫副編集長の布陣。まさに目利きの副編集長のおかげで、最初は青年向けマンガだったものが少年誌掲載に変わり、1970年当時小学5年生だった自分も読めることになったと思うと、感慨深い。

それにしても、自分の子供の頃に楽しみを与えてくれた人々が世を去っていくのは、しみじみ寂しい。

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2021年6月 9日 (水)

サスケ、お前を斬る!

現在NHKEテレの番組『趣味どきっ!』では、昨秋放送の「本の道しるべ」シリーズ全8回を再放送中。出演している文化人は知らない人ばかり(タレントの渡辺満里奈だけ知ってる 苦笑)なのだが、本と本屋さんをテーマにした番組ということで、先日とりあえず第2回(歌人の穂村弘が出演)を流し見していた・・・ら、穂村さんが突如TVアニメ「サスケ」冒頭ナレーションの部分を朗読したのに意表を突かれた。TVアニメの中にも「詩」がある、その事例として読み上げられたのは以下のナレーション。

光あるところに影がある。まこと栄光の影に数知れぬ忍者の姿があった。命をかけて歴史を作った影の男たち。だが人よ、名を問うなかれ。闇に生まれ、闇に消える。それが忍者の定めなのだ。――サスケ、お前を斬る!

何で?と思って穂村さんは何年生まれか見ると1962年。若く見えるけど自分の3つ下、概ね同年代。自分もなぜか「サスケ」が好きで、白土三平の原作コミックスは全15巻持ってたし、TVアニメ(昭和43年~44年放送、もう50年も前なのか)も毎週欠かさず見ていた。今も記憶に残る、哀愁感漂うBGMをバックに流れる名調子の語り。それを全く予期せぬ形で耳にしたものだから、滅茶滅茶意外感があった。正直自分は、短歌というジャンルには全く関心がないので、穂村さんのことも全く知らなかったけど、これで一方的に親近感がわいてしまった。

実は最近、たまたま思い立って、サスケの原作とTVアニメ両方の全巻を見直したところだった。昔、原作を読んだ時は、物語の後半3分の1は、子供心にも随分と暗い印象を受けたものだった。理由や都合は分からないが、TVアニメも原作の途中で終了し、物語の最後まではアニメ化されていない。原作は後半になると、サスケが敵と戦うよりも、人間同士の争いに巻き込まれるようになり、主人公としての印象もボヤける感がある。ので、少年忍者サスケの成長物語としては、TVアニメは程よいところで「完結」したと思う。

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2020年12月 6日 (日)

上弦の鬼「童磨」に関する雑感

大ヒット漫画『鬼滅の刃』、12月4日の単行本第23巻発売で全巻完結。当日は新聞5紙に登場キャラの全面広告が入り、まさに「鬼滅の日」の様相だった。

公開中のアニメ映画の興行収入も11月末で275億円となり、300億円超えも時間の問題に。しかし「ドラえもん」ならともかく、決して万人向けの内容とは思えない「鬼滅」を観るために、老若男女が映画館に押し寄せる事態を見聞きすると、自分のようなただのおじさんは、ただただ訝しい気持ちになる。しかし、その万人向けとは言えない「鬼滅」のストーリーやキャラについては、どういうところからこういうこと(大正時代の鬼とか鬼狩り剣士とか)が考え出せるのか、作者の頭の中は一体どうなっているのかと、ただただ驚き感心するほかない。

そんな奇想天外な「鬼滅」に登場するキャラの中でも、「上弦」と呼ばれる最強クラスの鬼のひとり、「童磨」の個性は際立っている。他の鬼の外見は当たり前のように化け物だが、童磨の見た目はほぼほぼ人間。しかもその言動は何ともチャラい鬼なのだ。人間界では新興宗教の教祖として振舞っているのも、風変りな有り様である。

他の鬼は、人間だった時の怨念や復讐心など超ネガティブな感情から鬼へと化したのに、童磨にはそういう過去は無いように見受けられる。童磨が20歳の時に鬼になることを決心した理由は作品には描かれていないが、それでも作中には童磨のこんなセリフがある。「俺は“万世極楽教”の教祖なんだ。信者の皆と幸せになるのが俺の務め。誰もが皆死ぬのを怖がるから。だから俺が喰べてあげてる。俺と共に生きていくんだ。永遠の時を。」
童磨は、鬼となった自分に食べられることによって信者は永遠に生きる、つまり救われることになる、という考え方を持っている。おそらくは、そんな歪んだ「使命感」から、童磨は鬼となる道を選んだと考えてよいのだろう。

教祖様である童磨の人間観は、ちょっと上から目線でもあるが、妙にリアルである。作中にこんなセリフがある。
「神も仏も存在しない。死んだら無になるだけ。何も感じなくなるだけ。心臓が止まり脳も止まり腐って土に還るだけ。生き物である以上須らくそうなる。(人間は)こんな単純なことも受け入れられないんだね。頭が悪いとつらいよね。」
「この世界には天国も地獄も存在しない。無いんだよそんなものは。人間による空想。作り話なんだよ。どうしてかわかる? 現実では真っ当に善良に生きてる人間でも理不尽な目に遭うし。悪人がのさばって面白おかしく生きていて甘い汁を啜っているからだよ。天罰はくだらない。だからせめて悪人は死後地獄に行くって。そうでも思わなきゃ精神の弱い人たちはやってられないでしょ? つくづく思う。人間って気の毒だよねえ。」

理不尽極まりない現実から目を背けて、しょうもない物語を作って自らを慰めるのは、弱者のルサンチマンの現われでしかない。鬼の多くはパワーやフィジカルの強さを追求するが、童磨は現実を直視できる精神の強さを体現する鬼であり、そこが他の鬼と一線を画する(というか童磨にとって肝心なのは「強い弱い」ではなく、頭の「良い悪い」らしい)ところだろう。また童磨は人間的な感情を実感していない。なるほど人間の感情とは様々な思い込みから発するものであり、それもまた現実を受け入れない人間の愚かさの現われであるとすれば、現実を直視する強さを持つ童磨が、人間的感情と無縁であるのも道理なのである。

一方で童磨が、自分に立ち向かってくる鬼殺隊剣士・胡蝶しのぶの健闘を称えて放つ言葉には、やや意外感もある。「全部全部無駄だというのにやり抜く愚かさ!  これが人間の儚さ人間の素晴らしさなんだよ!」
ここで童磨が肯定している人間の「愚かさ」とは、実は「強さ」であると言ってもいい。しのぶの思い「できるできないじゃない。やらなきゃならないことがある。」は、できなければ全部無駄になるかもしれないという現実を超えて、人間には、やると決めたことをやる意思の強さがあることの表明である。感情という「愚かさ」から自由になれる人間などいないが、現実を超えようとする人間の意思の強さは尊いものだと言えるだろう。

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2020年11月15日 (日)

母の教えを守るということ

社会現象と化したアニメ映画「鬼滅の刃」。自分のようなただのおじさんから見れば、決して万人向けとはいえない内容の作品が、大ブームを巻き起こしているのは不可解な現実。とは言っても、このブームをあえてネガティブに見るつもりもない。

物語の設定は大正時代、主人公の少年剣士である竈門炭治郎が仲間たちと共に、凶悪な鬼たちに立ち向かう。映画の後半部分で主役となる煉獄杏寿郎は、最強の鬼狩り剣士の一人であり、理想の上司、先輩としても認知されて人気が高い。

最強クラスの鬼と死闘を繰り広げる煉獄さん。しかし壮絶な闘いの果てに瀕死の重傷を負ってしまう。その目の前に死んだ母の姿が現われる。
煉獄さんは幼い日に、母から「弱き人を助けることは強く生まれた者の責務です。責任を持って果たさなければならない使命なのです」と諭されていた。煉獄さんは母の姿に向かって問いかける。「母上。俺はちゃんとやれただろうか。やるべきこと果たすべきことを全うできましたか?」
その問いかけに対し、静かに微笑み「立派にできましたよ」と答える母の姿。その言葉を聞いて満足したかのように、煉獄さんの顔にも穏やかな笑みが浮かぶ。(原作単行本第8巻)

思うに、母の教えを守って生きられたかどうかは、男にとって最大のテーマの一つではなかろうか。自分は、煉獄さんみたいに強くもないし、人から頼られる人でもないけど、この場面にはしみじみ感じるものがあった。結局、男(の子)は、いつまでも母から褒められていたいのだと思う。

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2020年7月30日 (木)

ドクター・キリコによろしく

「回復の見込みがない事、生きているのが苦痛である事、そして何より本人の意志である事――その条件を満たすなら、安らかな最期を約束しましょう」

手塚治虫の名作『ブラック・ジャック』を読んだ者なら誰でも、ドクター・キリコの名前を憶えているだろう。安楽死処置のプロである医者、ドクター・キリコは、ストーリー中の出番こそ多くないものの、明らかに主人公の天才外科医ブラック・ジャックとコインの表裏を成すキャラクターとして、読者に強い印象を残す。上記のセリフは、そのドクター・キリコを主人公とするスピンオフ作品(『Dr.キリコ 白い死神』秋田書店)の中で、ドクター・キリコが語る安楽死の依頼を受ける三条件だ。

例の京都で起きたALS患者の「嘱託殺人」事件に関連する報道の中に、ドクター・キリコの名前がちらほら出てくるのが気になり、とりあえず検索したら表示されたのが、このスピンオフ作品。コミックス全5巻の完結は割と最近(最終巻発行2019年2月)で、アマゾンでも好意的なレビューが多かったものだから、ドクター・キリコのファンである自分も早速全巻購入して読んだという次第。

安楽死についてはいろいろ考え方があるとは思うが、自分はこの作品から、安楽死をどうこう言う前に「まずは自分の人生を全うせよ」というメッセージを受け取った。

ドクター・キリコは若い頃、軍医として戦場で働き、大けがを負いながら死ねずに苦しんでいるたくさんの兵士を見てきた。この経験から、安楽死のプロになったという経緯がある。現在のような衛生環境が良くなり医療技術が発達し長寿化が実現した平和な時代に、ドクター・キリコの存在感が増しているように見えるのは、皮肉な感じがしないでもない。

亡くなった京都の患者さんは、ドクター・キリコの三条件を満たしていたように見える。だからあの二人の医者は「犯行」に及んだ・・・のかどうかまでは分からないが。

それでも51歳という、人生を全うしたとは決して言えない若さで亡くなった患者さんの無念は想像を絶する。ALS、なんて酷い病がこの世にあるのか。

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2019年8月26日 (月)

「ルパン三世」の記憶

先日、「ルパン三世」誕生秘話という感じのテレビ番組を見た(NHKBSプレミアム「そして、ルパン三世が生まれた」)。内容は、主に関係者へのインタビュー(原作者モンキー・パンチと同期デビューのマンガ家・バロン吉元、テレビアニメの初代監督おおすみ正秋、作画監督の大塚康生など)で構成されていた。

自分がルパン三世を見た時は小学6年生。全く予備知識なし、ギャグマンガかな程度の感じでテレビを見たら、これが全然違うアクション映画のようなマンガだったんだけど、何と言うか・・・峰不二子! もうとにかく少年の下半身はムズムズしたのだ(笑)。こんなマンガ、日曜の夜7時30分にやるなよ~。

番組で当時の新聞のテレビ欄が映し出されていたが、日曜日の夜の番組はアニメ「いなかっぺ大将」「サザエさん」「アタックNo.1」、歌謡バラエティ「シャボン玉ホリデー」という具合で、なるほど「ルパン三世」は異色路線のアニメ番組だったのだと改めて了解する。

もともとは青年マンガ誌に連載されていたルパン三世だが、みんなが知っているのはアニメのルパン三世。実は自分も、ルパン三世のマンガは読んだことがない。画は見たことあるけどね。アニメ化以降、宮崎駿や高畑勲、鈴木清順など様々な才能が作品を手掛けることになり、ルパン、次元大介、石川五エ門、峰不二子、そして銭形警部というキャラの設定は、作家が自由にスト―リーを展開できる最高の入れ物としてワークし続けている。モンキー・パンチは、やはり天才と呼べるマンガ家だろう。

番組でも紹介されていたように、ルパンの第1シリーズは低視聴率で終わったが、4年後夕方の再放送が視聴率20%を超えるなど人気が盛り上がり、以降映画も含めて新作がコンスタントに作られるようになった(夕方の再放送は結構、アニメ作品復活の足場になっている。宇宙戦艦ヤマト、あしたのジョーとか)。でもやっぱりルパンは第1シリーズだよなと、少年の日の下半身ムズムズと共に自分は思い出すのだ。(苦笑)

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2019年5月21日 (火)

マンガ「イサック」

先の十連休では、何かまとまったことをしておかないといかんな、と考えて、だいぶ前に買ったけど本棚に入れたままだった『ドイツ三十年戦争』(刀水書房)を手に取り、570ページの本をとにかく読んだというか目を通した。で、何となく検索したら、三十年戦争の頃の神聖ローマ帝国を舞台にした「イサック」というマンガがあることを知った。読んでみると、舞台がドイツで主人公が日本人の「鉄砲足軽」という、何とも奇抜なストーリーに感嘆していたところに、ネットニュースで「イサック」の紹介記事が目に付いたのでメモする。(ダイヤモンド・オンライン、5/19発信記事「おとなの漫画評」)

『イサック』(原作・真刈信二、作画・DOUBLE-S)は、大陸欧州を二分して起きた17世紀前半の「三十年戦争」(1618~1648年)に傭兵として参戦した日本の鉄砲鍛冶職人、猪左久(いさく=イサック)の物語である。「月刊アフタヌーン」(講談社)で2017年から連載されている。

原作者の真刈信二はハードボイルドなミステリー作品を数多く生み出しているが、本作は西洋史に題材を得て、そこに同時代の日本人鉄砲鍛冶で狙撃手でもある青年を放り込むというユニークなストーリーを展開している。

プロテスタントとカトリックが神聖ローマ帝国、すなわちドイツ・オーストリア圏を南北に二分して戦った「三十年戦争」の発端の年は、プロテスタントのプファルツ選帝侯フリードリヒ5世がボヘミア王に選出された1618年である。プロテスタントのボヘミアの貴族たちが神聖ローマ帝国のおひざ元で反旗を掲げたことになる。カトリックのオーストリア大公にして神聖ローマ帝国皇帝のフェルディナント2世はボヘミアの鎮圧を指示する。戦乱はボヘミアから西方のプファルツに広がる。これが『イサック』第1巻の冒頭、1620年の様相だ。
作者は空想の都市、城塞、人物を織り交ぜ、史実を左右に動かしながら、この宗教戦争を精密に描いていくのである。

・・・イサックは、師匠の仇である練蔵を追ってヨーロッパへやってくる。「ロレンツォ」の名前でカトリックのスペイン軍に参加している練蔵を討つため、イサックはプロテスタント側のハインリッヒ王子(架空の人物、フリードリヒ5世の弟という設定)と行動を共にしながら、戦いに身を投じていく・・・。
先頃、古代中国の歴史マンガを原作とする映画「キングダム」が公開されたが、「イサック」も映画向きな感じのするマンガではある。でも舞台がヨーロッパだと、映画化のハードルは高いかな。しかしとにかく、マンガで三十年戦争とは、実に意欲的な設定だと感じるばかりだ。

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2011年1月11日 (火)

行け行けタイガーマスク

本日付日経新聞朝刊1面コラム「春秋」は、「50歳前後の男性の中には、胸が熱くなった人もいるのではなかろうか」という文章で始まり、例の「伊達直人」のプレゼントについて書いている。しかし50歳前後って俺だよ、俺。ずばり指名されたみたいな感じ。その俺、別に胸が熱くはならなかったが、「伊達直人」って若い人に分かるのか、「ちびっこハウス」とかさ、ってちょっと心配した。

まあ「タイガーマスク」について印象の強かったことを少々語ると、「虎の穴」から送り込まれた悪役レスラーで「ミスター・ノー」というのがいて、これが目、鼻、口を出していない、白いノッペラボーの覆面レスラーなのだ。で、実は全身着ぐるみ状態で頭の部分は鉄の球を乗っけていて相手に頭突きをくらわすという、とんでもないヤツなのだった。これはマンガだから成り立つので、実際にこんなことやったらバレバレである。しかしそのとんでもなさゆえに記憶に残ってしまった。(笑)

そしてタイガーマスク、虎の穴とくれば、やっぱりミスターX。何であんな魔術師みたいなカッコしてプロレス会場に出入りするのだ?(笑)
しかもとっても顔色が悪い。青白~くて大丈夫かと思ってしまう。「He looks pale」という英語の例文を見ると、ミスターXを思い浮かべてしまうのだ。(苦笑)

アニメのエンディングの歌は結構哀愁漂っていた。強ければそれでいいんだ~力さえあればいいんだ~で始まり、それだからみんなの幸せ願うのさ~で終わる。(という記憶)

日本のあちこちに現れた「伊達直人」も、みんなの幸せを願っている、はず?

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