2011年1月11日 (火)

行け行けタイガーマスク

本日付日経新聞朝刊1面コラム「春秋」は、「50歳前後の男性の中には、胸が熱くなった人もいるのではなかろうか」という文章で始まり、例の「伊達直人」のプレゼントについて書いている。しかし50歳前後って俺だよ、俺。ずばり指名されたみたいな感じ。その俺、別に胸が熱くはならなかったが、「伊達直人」って若い人に分かるのか、「ちびっこハウス」とかさ、ってちょっと心配した。

まあ「タイガーマスク」について印象の強かったことを少々語ると、「虎の穴」から送り込まれた悪役レスラーで「ミスター・ノー」というのがいて、これが目、鼻、口を出していない、白いノッペラボーの覆面レスラーなのだ。で、実は全身着ぐるみ状態で頭の部分は鉄の球を乗っけていて相手に頭突きをくらわすという、とんでもないヤツなのだった。これはマンガだから成り立つので、実際にこんなことやったらバレバレである。しかしそのとんでもなさゆえに記憶に残ってしまった。(笑)

そしてタイガーマスク、虎の穴とくれば、やっぱりミスターX。何であんな魔術師みたいなカッコしてプロレス会場に出入りするのだ?(笑)
しかもとっても顔色が悪い。青白~くて大丈夫かと思ってしまう。「He looks pale」という英語の例文を見ると、ミスターXを思い浮かべてしまうのだ。(苦笑)

アニメのエンディングの歌は結構哀愁漂っていた。強ければそれでいいんだ~力さえあればいいんだ~で始まり、それだからみんなの幸せ願うのさ~で終わる。(という記憶)

日本のあちこちに現れた「伊達直人」も、みんなの幸せを願っている、はず?

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2010年5月 5日 (水)

「ソラニン」マンガ&映画

たまには今のマンガを何か読まないといかんな、と思い立ち、浅野いにおの「ソラニン」を読んだ(全2巻で短いし)。読んだ後、現在上映中の映画化作品も見てみた。そしてまた、マンガをぱらぱらと見ている。

とりあえず映画のソラニン。セリフの言葉の転がし方なんかは今風なので、まあこういうもんかなとオジサンは思ったわけだが、作りそのものは割とオーソドックスな青春映画。これで男の子が暗い情念に捉われていて、女の子が脱いだりすると、70年代ATG映画になるよな~とオジサンは思った。

原作マンガでなぜだろうと感じたのは、主人公カップルが美男美女でないこと。脇役キャラにもいない。それがリアルってこと?

なので、原作の各キャラは実写の方が、かえって「美化」されてるって感じ。芽衣子は宮﨑あおいなので当然可愛いし、芽衣子のオカーサンはマンガではただのオバハンなのに、映画では美保純だし。種田君もよりシャープな印象の人物になり、マンガではデブキャラの加藤君でさえ、映画ではちょっとかっこいい。まあフィクションは、やっぱりある程度イケてる男女が出てる方が単純に楽しいので、自分的にはマンガより映画の方が好きになれた。

何より映画の方がいいと思うのは、音が出るってこと。当たり前だけど。だってバンドの話なんだもんね。いいじゃないですか、ライブ感覚。

それにしても、若者が社会(に出た後の人生)に対して抱くネガティブなイメージというやつは、今も昔もあまり変わらないのだろうか。確かにワタシも若かった頃、社会に出ると自分の可能性が全部失われる、ような気がしていたが・・・。(そんなこと無かったよ)

夢を追うことイコール社会を拒絶する、ことではないし、社会人になることイコール夢を捨てる、ことでもない。望めば、青臭く生きる大人になるとか、青臭く生きる場所を見つけることも不可能ではない。今の世の中、その程度には昔より進歩しているはずだ。

ソラニンの中に冴木というプロデューサーが出てくる。大手レコード会社でアイドルバンドを担当。もとはミュージシャンだったという設定。映画の中ではあまりセリフは無かったけど、マンガの中では終わり近くでこう語る。「あれから色々と思うところがあってね。今はこうして本当にいいバンドを探して、全国を歩きまわってるよ。本当はもっと割のいい仕事もあるんだが・・・・・・おかげで僕の会社での評判はガタ落ちだ」

冴木サン、あんた見た目は少し気取った感じだけど、いいやつだな。

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2009年10月13日 (火)

力石の死とジョーの「死」

12日に福岡・宗像市で行われたプロボクシングスーパーバンタム級10回戦で、サーカイ・ジョッキージム選手(タイ)がTKO負け後に急性硬膜下血腫のため死去した。19歳だった。(スポーツ報知)

「ボクシング試合後の急死」といえば、すぐ思い出されるのが力石徹。名作マンガ「あしたのジョー」の主人公・矢吹丈のライバルだ。フィクションの世界の人物ながら、その死が世間に与えた衝撃は大きく、「葬儀」まで執り行われた事はよく知られている。死因については、作中で「過酷な減量、ジョーが放ったテンプルへの一撃、ダウンの際ロープで後頭部を強打したことによる脳内出血」と説明されているのだが、「死体の巨匠」上野正彦先生の分析によれば、「脳内出血」ではなく、脳外の血腫による死亡である。上野先生の『死体を科学する』(アスキー新書、2008年)からメモ。

力石の死因が脳内出血とは考えがたい。一般に、脳内出血は外傷によっては引き起こされないものであり、この場合の力石の死に方には当てはまらない。
では、力石の死因はなんだったのか。
ここで浮上してくるのが、脳硬膜下血腫という症状である。力石は、脳「内」ではなく、脳「外」の出血で倒れたのではないか。
硬膜下出血の特徴は、外傷を負った後も意識状態は良好なまま、しばらくは活動できる点である。脳自体に傷がついているわけではないから、正常に活動ができるのだ。
ところが、時間が経つにつれ、硬膜と脳の間に血液がたまってくる。この血液が50mlを超えると脳が圧迫されはじめ、足もとがおぼつかなくなり、ちょうど酒に酔ったときのように千鳥足になる。
さらに時間が経過し、血液が150mlを超えると、脳は圧迫の極限に達する。脳は豆腐のような柔軟性のあるものだから、圧迫されれば死に至るのである。

・・・として上野先生は、力石の死は硬膜下出血が主因と推測する。今回起きたタイ人ボクサーの不幸は、この説を裏付けているように思われる。

ついでながら、真っ白に燃え尽きた矢吹丈は生きている、と同じ本で上野先生は書いている。以下にメモ。

人が意識を失った場合、身体のあらゆる筋肉が弛緩する。したがって、ジョーが死んでいるとするならば、この状態で椅子に座っていることができるはずはないのだ。腰は椅子からずり落ち、腕などをロープに引っかけてでもおかないかぎり、リングに倒れ伏してしまうだろう。同じように顔面の筋肉もゆるむので、このように柔和な笑顔を浮かべていることも不可能だ。ジョーは生きて、しかも意識を正常に保っているからこそ、椅子に座り、笑顔を浮かべていることができるのである。

・・・ジョーは生きている。ラストシーンのジョーは、自らの「ボクシング人生」を燃やし尽くして満足している、ということのようです。

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2009年1月24日 (土)

『殿といっしょ』(戦国4コマ)

殿といっしょ』(大羽快、メディアファクトリー発行)という、戦国武将4コマギャグマンガの存在を自分が知ったのはごく最近で、つい先頃第1巻と第2巻を読んだところに、昨日23日付日経新聞朝刊に堂々と広告を出して第3巻発売が告知されていたものだから、「な、何と」っていう感じで思わず目を瞠ってしまった。しかも「大ヒット戦国4コマ、大好評発売中! ビジネス・自己啓発にまったく役立たない!!」って、あんたねぇ~、日経新聞にそんな広告出すなんて大胆な会社だよ、メディアファクトリー。(笑)

毎回変な眼帯作りに勤しむ伊達政宗、笑いを取ることに自信満々の秀吉、やたらに火を点けたがる信長、忍耐と我慢の道を極めようとする家康、人にダメ出しするのが大好きな直江兼続等々、名だたる戦国武将がキャラ化されて登場。主要キャラのルックスは、ちょんまげ姿はむしろ少数派、政宗や兼続は少女マンガのイケメン風だったりするのも型破りな感じ。(兼続は「フッ」と前髪を軽く払い上げるのがキメの仕種)

そんな人並外れて個性的な「殿」たちの言動に、家臣たちも引き摺られて繰り広げられるお家騒動、じゃなかったドタバタの数々・・・。真田家では長男の信之が、鬼嫁の小松姫、父・昌幸と弟・幸村のイタズラ、徳川秀忠のイジワルに翻弄されっぱなし。島津家では、義久、義弘、歳久、家久4兄弟が戦隊ヒーローごっこに熱中、父・貴久やライバルの大友宗麟も巻き込まれる騒ぎに。長宗我部家では、ひ弱で「姫若子」と呼ばれた幼少の元親に、家臣たちが萌え萌えになってしまい、父・国親の頭を悩まし続ける。この他、武田、今川、上杉、北条、浅井、朝倉も、それぞれに悩みの種、というより笑いの種を抱えて、弱肉強食の乱世でドタバタに明け暮れる日々を駆け抜けていくのだった・・・?

余りのくだらなさゆえに面白すぎる、このマンガ。とりあえず「史実」(最低限のね)は踏まえているので、戦国時代に少しでも興味のある人が読めば、大笑い必至だな。

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2009年1月12日 (月)

「エロイカNAVI」ゲット!

ネットを眺めていたら、「エロイカNAVI」との言葉が目に入った。「むむっ」と見れば、「プリンセスゴールド」なるマンガ雑誌の付録とのこと。青池保子の「エロイカより愛をこめて」の33年の歴史を凝縮、キャラクターおよび作品ガイドをメインとした「永久保存版」との触れ込みだ。「エロイカ」は初期の作品しか読んでないワタシも、この付録は何となく気になった。しかししかししかしだ、この雑誌(1月号)が出たのはもうひと月も前。もう売り切れてるだろうな、と思いつつ近所の本屋を回ったら4軒目で一冊残っているのを発見。中年男が少女マンガ雑誌をいそいそとレジに持っていったのだった。

雑誌本体には「エロイカ」の新作(番外編)があって、ほんとに久しぶりで作品を読んだ。キャラのモデルはいうまでもなく、最近再結成で盛り上がったレッド・ツェッペリンのメンバーだけど、今ではロバート・プラントは皺だらけ、ジミー・ペイジも髪の毛真っ白。ジョン・ボーナムはとうの昔に世を去った。でも、マンガの中の伯爵は綺麗な男のまま、ジェイムズ君も相変わらずゴミまみれ。もちろんボーナム君も健在なのだった。

「エロイカNAVI」は判型、文字共に小さい。全ページ拡大コピーしたくなる。(苦笑)
作品紹介の中で、これちょっと読んでみたいなと思ったのは、企画物である手塚治虫トリビュート作品(2004年)。ブラック・ジャックと「エロイカ」キャラが共演してるなんて楽しい。かわぐちかいじ、木原敏江など9人のマンガ家によるトリビュートイラストもある。和田慎二はタイガーⅠ型戦車を描いているが、ワタシだってタイガー戦車くらい描けるのだ、何しろタミヤのプラモデルでさんざん作ったんだから!

(ドイツ国防軍戦車隊長の息子であるエーベルバッハ少佐が「パンツァーリート」を口ずさむのは、どの話だったか確認したくなってきたな・・・)

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2008年9月 6日 (土)

劇画「信長」(池上遼一)

劇画「信長」(工藤かずや・作、池上遼一・画)が文庫版(全5巻)で登場。版元はコミックス版(全8巻)と同じメディアファクトリー。「幻のコミックス」といわれた小学館版(7巻まで発行後、未完のまま絶版)から13年を経て、メディア社が2003年に「完全版」として再刊した時は、それはもう長生きしてよかった、という位の一大事であった、ホントに。

5巻本の体裁は、やはりメディア社が廉価版というのかコンビニ・コミックの形で一度出していたので、初めてではない。個人的には小谷城攻めの話が途中で切れることなく読めるのが満足、全体的にも話の区切りの良いところで次巻に続く感じがする。

後半、やや画が粗くなった感じがするのだが、これは掲載誌の「ビッグコミックスペリオール」が、当初の月刊から月2回発行に変わった影響もあるのかなと、勝手に推測。

当時、池上は「ビッグコミックスピリッツ」で「クライング・フリーマン」を連載。「信長」の雑賀衆・陣兵衛のキャラが、「フリーマン」の敵役とかなりかぶっていたのはご愛嬌。

この劇画の信長は最後まで月代を剃ることはないのだが、これは池上・信長のダンディズムなんだろうな。

正直、この劇画で初めて知った史実もある。香木「蘭奢待」の話がそうだ。とても印象に残ったので、確か1997年の秋だったか「正倉院展」で蘭奢待が出品された時に、奈良まで見に行ったことがある。

本能寺の変の原因は、黒幕説や四国・長宗我部攻めとの関連が唱えられる現在の目から見ると、ビミョーな感じだが、いずれにしても信長の生涯を迫真力をもって描ききったといえるこの劇画は、まさに「これ以上の信長はありえない」という作品になっているのは確かだ。次は5巻本で判型を大きくして「愛蔵版」も作って欲しい!

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2008年5月24日 (土)

『孤独のグルメ』(新装版)

P1020366_2 マンガ『孤独のグルメ』(扶桑社)が新装版としてお目見え。旧版の発行は1997年10月なので、単行本としては10年ぶりの復活となる(写真の左が旧版、右が新装版)。このほか文庫版は約9万部のロングセラーとか。

タイトルに「グルメ」とはあるけれど、主人公の独身らしき中年男、井之頭五郎が仕事の合間に向かうのは別に高級店でもなんでもなくて、食堂や定食屋の類が中心だったりする。そこで語られることも、食べ物そのものよりは、独りで食事をするというその行為にまつわる心情に重点が置かれていて、いわば「B級グルメの独白」という趣。一話8ページという短さの中で、日常的な食事に対するささやかな期待や満足感、あるいは微かな逡巡や戸惑い、見込み違い等々、独りで何かを食べる際に自ずと生じるさざ波の様な心理の綾が淡々と綴られていく。一見地味な作品ながらロングセラーになっているのは、このマンガの持つ優れた短編小説の様な味わい深さを多くの人が認めている証だろう。

主人公が語るこの作品の哲学ともいえるセリフ。

モノを食べる時はね 誰にも邪魔されず
自由で 
なんというか救われてなきゃあダメなんだ
独りで静かで豊かで……

以下のセリフもワタシの様な中年単独者の心の琴線に触れたりする。

輸入雑貨の貿易商を個人でやっている俺だが自分の店はもっていない
結婚同様 店なんかヘタにもつと守るものが増えそうで人生が重たくなる
男は基本的に体ひとつでいたい

あるいは、回転寿司の店で座ったのが注文の通りにくい席で何か切ない気分になるとか、新幹線の中で発車前に弁当を広げる乗客が目に付いて「どうしてああせっかちなんだろう」と思うとか、それあるよなあと色々共感する場面に事欠かないマンガである。

この作品で描かれる食べ物(とシチュエーション)の中では、秋葉原でカツサンドと缶コーヒーを買って戸外(広場の片隅)で食べるというのが、ちょっとさみしいけれど解放されてもいるというか、しみじみ感もあっていいな、と思った。あと、渋谷で主人公が「並んで食べるのは嫌だな」と入らなかったけれど、「喜楽」のラーメンは好きだな。

今回の新装版では新作(特別篇)が追加されているが、そのテーマは病院食。自分も最近入院を経験したので、個人的には結構リアルだった。作中に登場するカレイの煮付けではなかったが、魚とご飯そしてジャガイモの味噌汁の組み合わせは自分も頂いたし、朝食はコッペパンではなく食パンだったが、紙パック牛乳とバナナの組み合わせも出てきた。確かに最近の病院食というのも、まずくはないですね。

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2008年3月23日 (日)

あすなひろしの名作

書店で、あすなひろしの『青い空を、白い雲がかけてった』(ビームコミックス文庫、エンターブレイン社)が目に入った時は「へぇ~」って感じだった。帯には、きらきらと輝く「昭和」の青春、とある。今は「昭和」(おそらく30年代~40年代のことなんだろうけど)が商売になるらしい・・・。しかし、あすなひろしって、もう亡くなっていたとは知らなかった。2001年に60歳で世を去ったという。考えてみれば、このマンガももう30年も前の作品なのだ。オドロキ。いくばくかの懐かしさを感じながら、上下巻を購入。

最初の3回は、主人公ツトムの通う中学校に「リョウ」(諒、亮、凌と毎回違う男子あるいは女子)というワケありの転校生がやってきては、クラスに波紋を巻き起こして去っていくというパターンのお話。メインキャラクターはツトムのほか、幼なじみのヨシベエ、英語教師の夏子先生(必殺技は「抜き打ちテスト」!)そして(学園ものには欠かせない?)番長。さらに5回目にツトムの両親が登場(割烹着姿の母というのも「昭和」だな)。以降はそれぞれのキャラを生かしたお約束のギャグを飛ばしながらのドタバタ的な展開が中心になるが、時にシリアスで叙情的な気配も漂わせているのが、ただの青春コメディに終わらないところ。実に多彩な表情や動きが、人物の心理を効果的に描き出す。

当時のコミックスのカバー見返しにあった「著者近影」を見たら、凄くごっつい感じの人だったので、これがホントにあの繊細な画を描く人なのかと、それはそれは意外に思ったことを覚えている。エピソードとして、タクシーに乗っていて「久しぶりの東京はいいなあ」とか言ったら、運転手がビビッた、というようなことが書いてあったので、実に納得してしまったのだった。

みなもと太郎の考えでは、あすなひろしは「マンガ家である以上に詩人」である。その評価に同意しつつも、しかしあすなは本質的にマイナーポエットだなという感じがする。そのマイナーポエットの作品の中で、「青い空を~」は傑作とまでは言い切れないにしても、多くの人に記憶される名作として比較的メジャーな地位にあることは確かなようだ。しかしそれもまた、掲載先が当時(70年代後半)最もパワフルだった「少年チャンピオン」だったことが、サポート要因として大きく作用したのではないか、とも思えるのである。

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