2020年12月 6日 (日)

上弦の鬼「童磨」に関する雑感

大ヒット漫画『鬼滅の刃』、12月4日の単行本第23巻発売で全巻完結。当日は新聞5紙に登場キャラの全面広告が入り、まさに「鬼滅の日」の様相だった。

公開中のアニメ映画の興行収入も11月末で275億円となり、300億円を超えるのも時間の問題に。しかし「ドラえもん」ならともかく、決して万人向けの内容とは思えない「鬼滅」を観るために、老若男女が映画館に押し寄せる事態を見聞きすると、自分のようなただのおじさんは、ただただ訝しい気持ちになる。しかし、その万人向けとは言えない「鬼滅」のストーリーやキャラについては、どういうところからこういうこと(大正時代の鬼とか鬼狩り剣士とか)が考え出せるのか、作者の頭の中は一体どうなっているのかと驚き感心するほかないのだ。

そんな奇想天外な「鬼滅」に登場するキャラの中でも、「上弦」(最強クラス)の鬼である「童磨」の個性は際立つ。他の鬼の外見は当たり前のように化け物だが、童磨の見た目はほぼほぼ人間。しかもその言動は何ともチャラい鬼なのだ。人間界では新興宗教の教祖として振舞っているのも、風変りな有り様である。

他の鬼は、人間だった時の怨念や復讐心など超ネガティブな感情から鬼へと化したのに、童磨にはそういう過去は無いように見受けられる。童磨が20歳の時に鬼になることを決心した理由は作品には描かれていないが、それでも作中には童磨のこんなセリフがある。「俺は“万世極楽教”の教祖なんだ。信者の皆と幸せになるのが俺の務め。誰もが皆死ぬのを怖がるから。だから俺が喰べてあげてる。俺と共に生きていくんだ。永遠の時を。」
童磨は、鬼となった自分に食べられることによって信者は永遠に生きる、つまり救われることになる、という考え方を持っている。おそらくは、そんな歪んだ「使命感」から、童磨は鬼となる道を選んだと考えてよいのだろう。

教祖様である童磨の人間観は、ちょっと上から目線でもあるが、妙にリアルである。作中にこんなセリフがある。

「神も仏も存在しない。死んだら無になるだけ。何も感じなくなるだけ。心臓が止まり脳も止まり腐って土に還るだけ。生き物である以上須らくそうなる。(人間は)こんな単純なことも受け入れられないんだね。頭が悪いとつらいよね。気の毒な人たちを幸せにしてあげたい。助けてあげたい。その為に俺は生まれてきたんだ。」
「この世界には天国も地獄も存在しない。無いんだよそんなものは。人間による空想。作り話なんだよ。どうしてかわかる? 現実では真っ当に善良に生きてる人間でも理不尽な目に遭うし。悪人がのさばって面白おかしく生きていて甘い汁を啜っているからだよ。天罰はくだらない。だからせめて悪人は死後地獄に行くって。そうでも思わなきゃ精神の弱い人たちはやってられないでしょ? つくづく思う。人間って気の毒だよねえ。」

現実から目を背けて、しょうもない物語を作って自らを慰めるのは、弱者のルサンチマンでしかない。鬼の多くはパワーやフィジカルの強さを追求するが、童磨は現実を直視できる精神の強さを体現する鬼であり、そこが他の鬼と一線を画する(というか童磨にとって肝心なのは「強い弱い」ではなく、頭の「良い悪い」らしい)ところだろう。また童磨は人間的な感情を実感していない。なるほど人間の感情とは様々な思い込みから発するものであり、それもまた現実を直視しない人間の弱さの現われだとすれば、現実を直視する強さ(頭の良さ)を持つ童磨からすれば、人間的感情など自身と無縁のものでしかない。

一方で童磨は、自分に立ち向かってくる鬼殺隊剣士・胡蝶しのぶの健闘を称えて叫ぶ。「全部全部無駄だというのにやり抜く愚かさ!これが人間の儚さ人間の素晴らしさなんだよ!」
ここで童磨が肯定している人間の「愚かさ」とは、実は「強さ」であると言ってもいい。しのぶの思い「できるできないじゃない。やらなきゃならないことがある。」は、できなければ全部無駄になるかもしれないという現実を超えて、人間には、やると決めたことをやる意思の強さがあることの表明である。感情という「愚かさ」から自由になれる人間などいないが、現実を超えようとする人間の意思の強さは尊いものだと言えるだろう。

|

2020年11月15日 (日)

母の教えを守るということ

社会現象と化したアニメ映画「鬼滅の刃」。自分のようなただのおじさんから見れば、決して万人向けとはいえない内容の作品が、大ブームを巻き起こしているのは不可解な現実。とは言っても、このブームをあえてネガティブに見るつもりもない。

物語の設定は大正時代、主人公の少年剣士である竈門炭治郎が仲間たちと共に、凶悪な鬼たちに立ち向かう。映画の後半部分で主役となる煉獄杏寿郎は、最強の鬼狩り剣士の一人であり、理想の上司、先輩としても認知されて人気が高い。

最強クラスの鬼と死闘を繰り広げる煉獄さん。しかし壮絶な闘いの果てに瀕死の重傷を負ってしまう。その目の前に死んだ母の姿が現われる。
煉獄さんは幼い日に、母から「弱き人を助けることは強く生まれた者の責務です。責任を持って果たさなければならない使命なのです」と諭されていた。煉獄さんは母の姿に向かって問いかける。「母上。俺はちゃんとやれただろうか。やるべきこと果たすべきことを全うできましたか?」
その問いかけに対し、静かに微笑み「立派にできましたよ」と答える母の姿。その言葉を聞いて満足したかのように、煉獄さんの顔にも穏やかな笑みが浮かぶ。(原作単行本第8巻)

思うに、母の教えを守って生きられたかどうかは、男にとって最大のテーマの一つではなかろうか。自分は、煉獄さんみたいに強くもないし、人から頼られる人でもないけど、この場面にはしみじみ感じるものがあった。結局、男(の子)は、いつまでも母から褒められていたいのだと思う。

|

2020年7月30日 (木)

ドクター・キリコによろしく

「回復の見込みがない事、生きているのが苦痛である事、そして何より本人の意志である事――その条件を満たすなら、安らかな最期を約束しましょう」

手塚治虫の名作『ブラック・ジャック』を読んだ者なら誰でも、ドクター・キリコの名前を憶えているだろう。安楽死処置のプロである医者、ドクター・キリコは、ストーリー中の出番こそ多くないものの、明らかに主人公の天才外科医ブラック・ジャックとコインの表裏を成すキャラクターとして、読者に強い印象を残す。上記のセリフは、そのドクター・キリコを主人公とするスピンオフ作品(『Dr.キリコ 白い死神』秋田書店)の中で、ドクター・キリコが語る安楽死の依頼を受ける三条件だ。

例の京都で起きたALS患者の「嘱託殺人」事件に関連する報道の中に、ドクター・キリコの名前がちらほら出てくるのが気になり、とりあえず検索したら表示されたのが、このスピンオフ作品。コミックス全5巻の完結は割と最近(最終巻発行2019年2月)で、アマゾンでも好意的なレビューが多かったものだから、ドクター・キリコのファンである自分も早速全巻購入して読んだという次第。

安楽死についてはいろいろ考え方があるとは思うが、自分はこの作品から、安楽死をどうこう言う前に「まずは自分の人生を全うせよ」というメッセージを受け取った。

ドクター・キリコは若い頃、軍医として戦場で働き、大けがを負いながら死ねずに苦しんでいるたくさんの兵士を見てきた。この経験から、安楽死のプロになったという経緯がある。現在のような長寿化が実現し医療技術が発達した平和な時代に、ドクター・キリコの存在感が増しているように見えるのは、皮肉な感じがしないでもない。

亡くなった京都の患者さんは、ドクター・キリコの三条件を満たしていたように見える。だからあの二人の医者は「犯行」に及んだ・・・のかどうかまでは分からないが。

それでも51歳という、人生を全うしたとは決して言えない若さで亡くなった患者さんの無念は想像を絶する。ALS、なんて酷い病がこの世にあるのか。

|

2019年8月26日 (月)

「ルパン三世」の記憶

先日、「ルパン三世」誕生秘話という感じのテレビ番組を見た(NHKBSプレミアム「そして、ルパン三世が生まれた」)。内容は、主に関係者へのインタビュー(原作者モンキー・パンチと同期デビューのマンガ家・バロン吉元、テレビアニメの初代監督おおすみ正秋、作画監督の大塚康生など)で構成されていた。

自分がルパン三世を見た時は小学6年生。全く予備知識なし、ギャグマンガかな程度の感じでテレビを見たら、これが全然違うアクション映画のようなマンガだったんだけど、何と言うか・・・峰不二子! もうとにかく少年の下半身はムズムズしたのだ(笑)。こんなマンガ、日曜の夜7時30分にやるなよ~。

番組で当時の新聞のテレビ欄が映し出されていたが、日曜日の夜の番組はアニメ「いなかっぺ大将」「サザエさん」「アタックNo.1」、歌謡バラエティ「シャボン玉ホリデー」という具合で、なるほど「ルパン三世」は異色路線のアニメ番組だったのだと改めて了解する。

もともとは青年マンガ誌に連載されていたルパン三世だが、みんなが知っているのはアニメのルパン三世。実は自分も、ルパン三世のマンガは読んだことがない。画は見たことあるけどね。アニメ化以降、宮崎駿や高畑勲、鈴木清順など様々な才能が作品を手掛けることになり、ルパン、次元大介、石川五エ門、峰不二子、そして銭形警部というキャラの設定は、作家が自由にスト―リーを展開できる最高の入れ物としてワークし続けている。モンキー・パンチは、やはり天才と呼べるマンガ家だろう。

番組でも紹介されていたように、ルパンの第1シリーズは低視聴率で終わったが、4年後夕方の再放送が視聴率20%を超えるなど人気が盛り上がり、以降映画も含めて新作がコンスタントに作られるようになった(夕方の再放送は結構、アニメ作品復活の足場になっている。宇宙戦艦ヤマト、あしたのジョーとか)。でもやっぱりルパンは第1シリーズだよなと、少年の日の下半身ムズムズと共に自分は思い出すのだ。(苦笑)

| | コメント (0)

2019年5月21日 (火)

マンガ「イサック」

先の十連休では、何かまとまったことをしておかないといかんな、と考えて、だいぶ前に買ったけど本棚に入れたままだった『ドイツ三十年戦争』(刀水書房)を手に取り、570ページの本をとにかく読んだというか目を通した。で、何となく検索したら、三十年戦争の頃の神聖ローマ帝国を舞台にした「イサック」というマンガがあることを知った。読んでみると、舞台がドイツで主人公が日本人の「鉄砲足軽」という、何とも奇抜なストーリーに感嘆していたところに、ネットニュースで「イサック」の紹介記事が目に付いたのでメモする。(ダイヤモンド・オンライン、5/19発信記事「おとなの漫画評」)

『イサック』(原作・真刈信二、作画・DOUBLE-S)は、大陸欧州を二分して起きた17世紀前半の「三十年戦争」(1618~1648年)に傭兵として参戦した日本の鉄砲鍛冶職人、猪左久(いさく=イサック)の物語である。「月刊アフタヌーン」(講談社)で2017年から連載されている。

原作者の真刈信二はハードボイルドなミステリー作品を数多く生み出しているが、本作は西洋史に題材を得て、そこに同時代の日本人鉄砲鍛冶で狙撃手でもある青年を放り込むというユニークなストーリーを展開している。

プロテスタントとカトリックが神聖ローマ帝国、すなわちドイツ・オーストリア圏を南北に二分して戦った「三十年戦争」の発端の年は、プロテスタントのプファルツ選帝侯フリードリヒ5世がボヘミア王に選出された1618年である。プロテスタントのボヘミアの貴族たちが神聖ローマ帝国のおひざ元で反旗を掲げたことになる。カトリックのオーストリア大公にして神聖ローマ帝国皇帝のフェルディナント2世はボヘミアの鎮圧を指示する。戦乱はボヘミアから西方のプファルツに広がる。これが『イサック』第1巻の冒頭、1620年の様相だ。
作者は空想の都市、城塞、人物を織り交ぜ、史実を左右に動かしながら、この宗教戦争を精密に描いていくのである。

・・・イサックは、師匠の仇である練蔵を追ってヨーロッパへやってくる。「ロレンツォ」の名前でカトリックのスペイン軍に参加している練蔵を討つため、イサックはプロテスタント側のハインリッヒ王子(架空の人物、フリードリヒ5世の弟という設定)と行動を共にしながら、戦いに身を投じていく・・・。
先頃、古代中国の歴史マンガを原作とする映画「キングダム」が公開されたが、「イサック」も映画向きな感じのするマンガではある。でも舞台がヨーロッパだと、映画化のハードルは高いかな。しかしとにかく、マンガで三十年戦争とは、実に意欲的な設定だと感じるばかりだ。

| | コメント (0)

2011年1月11日 (火)

行け行けタイガーマスク

本日付日経新聞朝刊1面コラム「春秋」は、「50歳前後の男性の中には、胸が熱くなった人もいるのではなかろうか」という文章で始まり、例の「伊達直人」のプレゼントについて書いている。しかし50歳前後って俺だよ、俺。ずばり指名されたみたいな感じ。その俺、別に胸が熱くはならなかったが、「伊達直人」って若い人に分かるのか、「ちびっこハウス」とかさ、ってちょっと心配した。

まあ「タイガーマスク」について印象の強かったことを少々語ると、「虎の穴」から送り込まれた悪役レスラーで「ミスター・ノー」というのがいて、これが目、鼻、口を出していない、白いノッペラボーの覆面レスラーなのだ。で、実は全身着ぐるみ状態で頭の部分は鉄の球を乗っけていて相手に頭突きをくらわすという、とんでもないヤツなのだった。これはマンガだから成り立つので、実際にこんなことやったらバレバレである。しかしそのとんでもなさゆえに記憶に残ってしまった。(笑)

そしてタイガーマスク、虎の穴とくれば、やっぱりミスターX。何であんな魔術師みたいなカッコしてプロレス会場に出入りするのだ?(笑)
しかもとっても顔色が悪い。青白~くて大丈夫かと思ってしまう。「He looks pale」という英語の例文を見ると、ミスターXを思い浮かべてしまうのだ。(苦笑)

アニメのエンディングの歌は結構哀愁漂っていた。強ければそれでいいんだ~力さえあればいいんだ~で始まり、それだからみんなの幸せ願うのさ~で終わる。(という記憶)

日本のあちこちに現れた「伊達直人」も、みんなの幸せを願っている、はず?

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年5月 5日 (水)

「ソラニン」マンガ&映画

たまには今のマンガを何か読まないといかんな、と思い立ち、浅野いにおの「ソラニン」を読んだ(全2巻で短いし)。読んだ後、現在上映中の映画化作品も見てみた。そしてまた、マンガをぱらぱらと見ている。

とりあえず映画のソラニン。セリフの言葉の転がし方なんかは今風なので、まあこういうもんかなとオジサンは思ったわけだが、作りそのものは割とオーソドックスな青春映画。これで男の子が暗い情念に捉われていて、女の子が脱いだりすると、70年代ATG映画になるよな~とオジサンは思った。

原作マンガでなぜだろうと感じたのは、主人公カップルが美男美女でないこと。脇役キャラにもいない。それがリアルってこと?

なので、原作の各キャラは実写の方が、かえって「美化」されてるって感じ。芽衣子は宮﨑あおいなので当然可愛いし、芽衣子のオカーサンはマンガではただのオバハンなのに、映画では美保純だし。種田君もよりシャープな印象の人物になり、マンガではデブキャラの加藤君でさえ、映画ではちょっとかっこいい。まあフィクションは、やっぱりある程度イケてる男女が出てる方が単純に楽しいので、自分的にはマンガより映画の方が好きになれた。

何より映画の方がいいと思うのは、音が出るってこと。当たり前だけど。だってバンドの話なんだもんね。いいじゃないですか、ライブ感覚。

それにしても、若者が社会(に出た後の人生)に対して抱くネガティブなイメージというやつは、今も昔もあまり変わらないのだろうか。確かにワタシも若かった頃、社会に出ると自分の可能性が全部失われる、ような気がしていたが・・・。(そんなこと無かったよ)

夢を追うことイコール社会を拒絶する、ことではないし、社会人になることイコール夢を捨てる、ことでもない。望めば、青臭く生きる大人になるとか、青臭く生きる場所を見つけることも不可能ではない。今の世の中、その程度には昔より進歩しているはずだ。

ソラニンの中に冴木というプロデューサーが出てくる。大手レコード会社でアイドルバンドを担当。もとはミュージシャンだったという設定。映画の中ではあまりセリフは無かったけど、マンガの中では終わり近くでこう語る。「あれから色々と思うところがあってね。今はこうして本当にいいバンドを探して、全国を歩きまわってるよ。本当はもっと割のいい仕事もあるんだが・・・・・・おかげで僕の会社での評判はガタ落ちだ」

冴木サン、あんた見た目は少し気取った感じだけど、いいやつだな。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年10月13日 (火)

力石の死とジョーの「死」

12日に福岡・宗像市で行われたプロボクシングスーパーバンタム級10回戦で、サーカイ・ジョッキージム選手(タイ)がTKO負け後に急性硬膜下血腫のため死去した。19歳だった。(スポーツ報知)

「ボクシング試合後の急死」といえば、すぐ思い出されるのが力石徹。名作マンガ「あしたのジョー」の主人公・矢吹丈のライバルだ。フィクションの世界の人物ながら、その死が世間に与えた衝撃は大きく、「葬儀」まで執り行われた事はよく知られている。死因については、作中で「過酷な減量、ジョーが放ったテンプルへの一撃、ダウンの際ロープで後頭部を強打したことによる脳内出血」と説明されているのだが、「死体の巨匠」上野正彦先生の分析によれば、「脳内出血」ではなく、脳外の血腫による死亡である。上野先生の『死体を科学する』(アスキー新書、2008年)からメモ。

力石の死因が脳内出血とは考えがたい。一般に、脳内出血は外傷によっては引き起こされないものであり、この場合の力石の死に方には当てはまらない。
では、力石の死因はなんだったのか。
ここで浮上してくるのが、脳硬膜下血腫という症状である。力石は、脳「内」ではなく、脳「外」の出血で倒れたのではないか。
硬膜下出血の特徴は、外傷を負った後も意識状態は良好なまま、しばらくは活動できる点である。脳自体に傷がついているわけではないから、正常に活動ができるのだ。
ところが、時間が経つにつれ、硬膜と脳の間に血液がたまってくる。この血液が50mlを超えると脳が圧迫されはじめ、足もとがおぼつかなくなり、ちょうど酒に酔ったときのように千鳥足になる。
さらに時間が経過し、血液が150mlを超えると、脳は圧迫の極限に達する。脳は豆腐のような柔軟性のあるものだから、圧迫されれば死に至るのである。

・・・として上野先生は、力石の死は硬膜下出血が主因と推測する。今回起きたタイ人ボクサーの不幸は、この説を裏付けているように思われる。

ついでながら、真っ白に燃え尽きた矢吹丈は生きている、と同じ本で上野先生は書いている。以下にメモ。

人が意識を失った場合、身体のあらゆる筋肉が弛緩する。したがって、ジョーが死んでいるとするならば、この状態で椅子に座っていることができるはずはないのだ。腰は椅子からずり落ち、腕などをロープに引っかけてでもおかないかぎり、リングに倒れ伏してしまうだろう。同じように顔面の筋肉もゆるむので、このように柔和な笑顔を浮かべていることも不可能だ。ジョーは生きて、しかも意識を正常に保っているからこそ、椅子に座り、笑顔を浮かべていることができるのである。

・・・ジョーは生きている。ラストシーンのジョーは、自らの「ボクシング人生」を燃やし尽くして満足している、ということのようです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年1月24日 (土)

『殿といっしょ』(戦国4コマ)

殿といっしょ』(大羽快、メディアファクトリー発行)という、戦国武将4コマギャグマンガの存在を自分が知ったのはごく最近で、つい先頃第1巻と第2巻を読んだところに、昨日23日付日経新聞朝刊に堂々と広告を出して第3巻発売が告知されていたものだから、「な、何と」っていう感じで思わず目を瞠ってしまった。しかも「大ヒット戦国4コマ、大好評発売中! ビジネス・自己啓発にまったく役立たない!!」って、あんたねぇ~、日経新聞にそんな広告出すなんて大胆な会社だよ、メディアファクトリー。(笑)

毎回変な眼帯作りに勤しむ伊達政宗、笑いを取ることに自信満々の秀吉、やたらに火を点けたがる信長、忍耐と我慢の道を極めようとする家康、人にダメ出しするのが大好きな直江兼続等々、名だたる戦国武将がキャラ化されて登場。主要キャラのルックスは、ちょんまげ姿はむしろ少数派、政宗や兼続は少女マンガのイケメン風だったりするのも型破りな感じ。(兼続は「フッ」と前髪を軽く払い上げるのがキメの仕種)

そんな人並外れて個性的な「殿」たちの言動に、家臣たちも引き摺られて繰り広げられるお家騒動、じゃなかったドタバタの数々・・・。真田家では長男の信之が、鬼嫁の小松姫、父・昌幸と弟・幸村のイタズラ、徳川秀忠のイジワルに翻弄されっぱなし。島津家では、義久、義弘、歳久、家久4兄弟が戦隊ヒーローごっこに熱中、父・貴久やライバルの大友宗麟も巻き込まれる騒ぎに。長宗我部家では、ひ弱で「姫若子」と呼ばれた幼少の元親に、家臣たちが萌え萌えになってしまい、父・国親の頭を悩まし続ける。この他、武田、今川、上杉、北条、浅井、朝倉も、それぞれに悩みの種、というより笑いの種を抱えて、弱肉強食の乱世でドタバタに明け暮れる日々を駆け抜けていくのだった・・・?

余りのくだらなさゆえに面白すぎる、このマンガ。とりあえず「史実」(最低限のね)は踏まえているので、戦国時代に少しでも興味のある人が読めば、大笑い必至だな。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年1月12日 (月)

「エロイカNAVI」ゲット!

ネットを眺めていたら、「エロイカNAVI」との言葉が目に入った。「むむっ」と見れば、「プリンセスゴールド」なるマンガ雑誌の付録とのこと。青池保子の「エロイカより愛をこめて」の33年の歴史を凝縮、キャラクターおよび作品ガイドをメインとした「永久保存版」との触れ込みだ。「エロイカ」は初期の作品しか読んでないワタシも、この付録は何となく気になった。しかししかししかしだ、この雑誌(1月号)が出たのはもうひと月も前。もう売り切れてるだろうな、と思いつつ近所の本屋を回ったら4軒目で一冊残っているのを発見。中年男が少女マンガ雑誌をいそいそとレジに持っていったのだった。

雑誌本体には「エロイカ」の新作(番外編)があって、ほんとに久しぶりで作品を読んだ。キャラのモデルはいうまでもなく、最近再結成で盛り上がったレッド・ツェッペリンのメンバーだけど、今ではロバート・プラントは皺だらけ、ジミー・ペイジも髪の毛真っ白。ジョン・ボーナムはとうの昔に世を去った。でも、マンガの中の伯爵は綺麗な男のまま、ジェイムズ君も相変わらずゴミまみれ。もちろんボーナム君も健在なのだった。

「エロイカNAVI」は判型、文字共に小さい。全ページ拡大コピーしたくなる。(苦笑)
作品紹介の中で、これちょっと読んでみたいなと思ったのは、企画物である手塚治虫トリビュート作品(2004年)。ブラック・ジャックと「エロイカ」キャラが共演してるなんて楽しい。かわぐちかいじ、木原敏江など9人のマンガ家によるトリビュートイラストもある。和田慎二はタイガーⅠ型戦車を描いているが、ワタシだってタイガー戦車くらい描けるのだ、何しろタミヤのプラモデルでさんざん作ったんだから!

(ドイツ国防軍戦車隊長の息子であるエーベルバッハ少佐が「パンツァーリート」を口ずさむのは、どの話だったか確認したくなってきたな・・・)

| | コメント (0) | トラックバック (0)