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2024年8月15日 (木)

終戦という「ガラガラポン」

世間とズレちゃうのはしょうがない』(PHP文庫)は、養老孟司と伊集院静、親子ほど年の違う二人の対談本。「戦争経験」について語る部分をメモする。

養老:僕は小学生のときに、ガラガラポンをやらされたから。
伊集院:え? それはどういう・・・。
養老:終戦ですよ。それまでは「一億玉砕」「本土決戦」と言われていたのが、戦争が終わったらとたんに「ポン」となくなってしまって、「平和憲法」「マッカーサー万歳」の世の中になってしまった。
伊集院:僕、そのことを前から思っていたんです。自分の親たちの世代にちょっと敵わないなと思うのは、彼らが戦争を経験しているからなんです。親父に「戦争が終わったとき、うれしかったの?」と聞いたら「うれしくなかったことはないんだけど、うれしいとかいう感情じゃなくて、もっとすごいことなんだ」と言うんです。そのとき言われたのは、「おまえ、今まで習ってきた教科書が全部ウソだと言われたらどう思う?」。
養老:そうです。ウソだと言われる以上に、自分で墨をすって、教科書の戦争に関係あるところを全部黒く塗らされたわけだからね。みんなで声を揃えて何度も読んだところですよ。だから理屈じゃないんだよね。感覚ですよ。肉体感覚。
伊集院:そのガラガラポン体験が生きているから、先生には「何かしらそういうことは起こるよ」という覚悟があるんですね。

養老:僕の同世代でも、終戦を迎えた年度にちょっとしたズレがあるだけで感覚はかなり違いますけどね。
伊集院:戦争のガラガラポンの話、もっと聞きたいですね。なんだろう、すごく興味があって、戦争が悲惨だったことは分かるんです。でも「悲惨だった」だけだと、全然実感が湧かない。僕らは「みんなは反対だった戦争を一部の間違った人が始めて、罪のない人が死にました」とか「愚かな大人が起こした戦争が終わって、子どもたちは全員喜びました」とか聞かされるんです。それだと、正しいことが変わった戸惑いとか、微妙なニュアンスとかがよく分からないんですよ。
養老:当時は子どもだから、あまり言葉に出してはしゃべらないよ。でも大人の世界を見ていると、竹やり訓練をやったりバケツリレーをやったりしていた。いくらなんでも若干疑うよ、子ども心にも「これ本気かな」と。頭の上を飛ぶB29が落とした焼夷弾を見ていて、「あれをバケツで消せるのかよ」と思うよね。

・・・昭和ひと桁世代を親に持つ小生も、伊集院氏と同じ感覚を持っている。養老先生は昭和12年生まれなので、戦争の記憶がある世代としては、ほぼ下限という感じがするが、とにかく戦争の終わった後で、世の中の価値観ががらっと変わったという経験を持っている世代であるのは間違いない。自分は、親から戦争の話をあれこれされたという記憶はないが、その経験を前提とした価値観は自分に伝わっていたかも知れないと思う。とにかく20世紀前半を生きた人々に対しては、よくぞあの狂気の時代を生き延びましたという感じで、とても敵わないという思いがあるのは確かだ。

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