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2024年8月16日 (金)

「さきの大戦」

本日付日経新聞社説(「さきの大戦」と呼ぶ意味を考えよう)から、以下にメモする。

私たちは79年前に終わった戦争を「さきの大戦」と呼んでいる。一般には「太平洋戦争」が定着しているが、政府が公式の呼称として定めたものはない。なぜ「さきの大戦」と呼ぶのか、そこから見えるものを考えたい。

大東亜戦争は真珠湾攻撃の数日後に閣議決定された呼称だ。軍部は大東亜新秩序の建設という戦争目的の意味もあると解説した。大東亜新秩序はアジアの植民地解放というより日本の権益確保が実質であり、つまりは侵略だ。実際、大東亜戦争は軍国主義と深く結びついてきたとしてGHQ(連合国軍総司令部)が公文書での使用を禁じた経緯がある。日本の独立でGHQ指令は失効し、使用可能になったが、その後も政府は公文書に使っていない。

代わりに定着したのが「太平洋戦争」だ。太平洋での米国との戦争は本土空襲や沖縄戦、原爆投下の悲劇を生み、多大な犠牲を払った教訓から二度と戦争を繰り返さないという国民感情に結びついた。
ただ太平洋戦争というくくりではこぼれ落ちてしまう戦争がある。中国や東南アジアなどを侵略した加害の歴史がその一つだ。

多面的な戦争をどうみたらよいか。歴史学者で国立公文書館アジア歴史資料センター長の波多野澄雄氏は、さきの大戦は4つの戦争が重なった複合戦争であり、分けて考えるべきだという。

まず1937年に始まった日中戦争である。最も長く戦った戦争だが、日米開戦後の実態はあまり知られていない。次が日米戦争で太平洋戦争として日本人にとってさきの大戦の象徴である。3つめに東南アジアを植民地にしていた英仏蘭との戦争がある。これは結果として東南アジア諸国に独立の道を開いた。最後がソ連との戦争だ。先の3つの戦争が日本による侵略だったのに対し、ソ連から攻め込まれたという点で様相を異にする。

日本人は激戦の太平洋や東南アジアの戦争には詳しいが、ソ連との戦いや日米開戦後の中国戦線の実相はどこまで知っているだろう。戦争をより多面的にみることができれば、それを防ぐ道筋もさまざまな角度から考えられるはずだ。大切なのは、あの戦争をいつまでも「さきの大戦」にしておくことである。

・・・やはり戦争(というか敗戦)の経験というのは、被害の大きさで記憶されるように思う。4つの戦争のうち、人的物的に莫大な損害を被った対米戦(太平洋戦争)の記憶が、一番重くなるのは当然だろう。2番目は戦闘期間は短いながら、現在も残る北方領土問題の起源であるソ連との戦争か。日中戦争は期間が長いにも関わらず、正直よく知らないのは、攻め込んだ側であるから、という理由も大きいのは否めない。戦争を充分に理解するためには、被害だけでなく加害の記憶も掘り起こす必要がある。

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