市民派市長VS議会
市民の支持だけを頼りに、市民派市長は議会と闘う。泉房穂元明石市長の『さらば!忖度社会』(宝島社)から、以下にメモする。
私が市民派の市長として改革しようとした時に、市役所の職員とともに私の手を抑え、足を引っ張っていたのは議会の方々でした。彼らの最大の関心事は、サイレントマジョリティの一般市民の生活ではなく、特定の集団への利益誘導や党派の拡大。各議員が特定の集団の利益代表として、〝選択と集中〟どころか、〝継続と拡大〟を主張し続けるわけですから、当然肥大化していくしかない。その意味では、官僚政治と完全に同じ方向に向かっている。前例主義を押し通しつつ財源をできるだけ多く確保しようと動くのが官僚の習性ですから、財務省は税金を増やし、厚労省は保険制度を増設しては保険料の上乗せを繰り返して肥大化し、国民負担を増やしてきたわけです。
議会、とくに地方議会は、それ自体がまさに既得権益化していますから、改革に対する最大の抵抗勢力となっている。一部の集団への利益誘導と自己保身に走り、市民全体にとっての合理的な判断を下そうとしません。ですから、私が明石市長に就任した時も、まさに明石市議会が改革に対する激しい抵抗勢力になっていったわけです。これが、多くの市民派首長が、各地で直面している現実です。
多くの市民派の首長が、役所の職員と仲良くしようとして副市長に相談し、あらゆる改革が先送りにされるのと同様に、議会と手打ちをした結果、改革が骨抜きにされがちなのは、なんとも残念なことです。
市民が味方についていることを信じて、議会には迎合せずに政策転換をしていくべきです。政策さえきちんとしていれば、議会と手打ちしなくても、役所と仲良くしなくても、改革は進めていける。私は自分の明石市長としての12年間でそれを示すことができたと思っています。
・・・国会ならば、議員は「国民の代表」とされているが、それはタテマエで、結局は諸々の集団の利害のために働く人の寄せ集め、というのが現実なのだろう。それでもかつてのように経済成長が自明の時代ならば、成長の果実を分配するために議会は充分機能していたと思われるが、成長の果実が限られてくると、分配を減らすべきところは減らすなど、優先順位を決めなければいけないのに、既得権益を主張されて、なかなか決まらない状態、すなわち議会の機能不全状態に陥りやすいのだろう。とにかく議会も役所も、自分たちの集団の利益を守ろうと動くわけだから、市民派市長には胆力がいるなあ!とつくづく思う。今はSNSはじめネットというツールもあるのだから、サイレントマジョリティの市民も、市長を応援する声を行政に届けないといかんな。
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