模擬原爆着弾の痕跡を追う
太平洋戦争末期、アメリカ軍は原爆投下の訓練として「模擬原爆」を日本各地に落としていた。昨日23日付日経新聞記事(模擬原爆の着弾どこに?)からメモする。
模擬原爆は長崎に投下された原爆「ファットマン」(重さ約4.5トン)とほぼ同じ形状。ずんぐりと丸みを帯びた形、オレンジ色の塗装から「パンプキン」と呼ばれ、通常火薬が詰め込まれていた。日本への原爆投下を見据え、担当する米軍の搭乗員らに実戦経験を積ませるため使用されたとされる。
終戦直前の1945年7月20日〜8月14日、福島県から愛媛県まで全国18都府県に計49発が落とされた。犠牲者は400人以上に上り、東京駅の八重洲口周辺に着弾したことも判明している。
極秘の訓練だったため、戦後も長らく詳細が知られていなかったが、1991年に愛知県の市民団体が国立国会図書館所蔵の米軍資料から投下場所の一覧表と地図を発見。各地の専門家らによる調査の結果、大部分の着弾地点が特定された。
だが神戸市、福島県いわき市、徳島県に投下されたとされる計3発については写真や証言が残っておらず、具体的な落下地点は不明のままだ。
「神戸のような大都市に着弾すれば被害に関する証拠が残っているはず。なぜ特定できないのか」。神戸大大学院生の西岡孔貴さん(27)は疑問を抱き、2022年から神戸に落とされた模擬原爆について調査を始めた。
神戸市には1945年7月24日に計4発の模擬原爆が投下された。このうち着弾地点が判明していないのは、同市の中心部近くにあった神戸製鋼所を狙った1発。西岡さんが神戸の空襲に関する史料を調べたところ、地元の警防団副団長だった男性の日記に気になる記述を見つけた。「製鋼所付近及び北方山中に投弾」。日付は7月24日。当時、米軍が撮影した航空写真と照合すると、確かに神戸製鋼所から約2キロの距離にある六甲山系の摩耶山中に着弾跡のようなものを確認できた。全国の模擬原爆を長年研究する「空襲・戦災を記録する会」の工藤洋三事務局長(74)=山口県周南市=に協力を求め、2023年12月に金属探知機で現地調査したところ、地表や地中から長さ約5〜22センチの金属片8個を見つけた。
西岡さんらは今年4月に「パンプキン爆弾を調査する会」を結成し、本格的な調査に乗り出した。「戦後79年となり、原爆投下につながった模擬原爆の歴史が忘れ去られないように記録を残したい」と話している。
・・・アメリカは原爆を落とす練習を実地に繰り返していたのかと思うと、やっぱり日本はもう少し早く降伏しとけば良かったのにと無念を覚えるばかりだ。
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