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2024年6月30日 (日)

有報開示⇒株主総会の順序は可能か

昨日29日付日経新聞マーケット総合面コラム「大機小機」(株主総会前の有報開示を)からメモする。

3月期決算企業の株主総会がおおむね終了した。多くの会社が総会の後に、有価証券報告書を提出する。だが、欧米では総会の1カ月以上前に、有報に相当する年次報告書を開示する。

日本企業の総会招集通知にある事業報告などは、情報量が少ない。そのため、海外投資家は「総会前に有報を開示してほしい」と要望してきた。

実は総会前の有報開示に法改正は必要ない。総会は基準日から3カ月以内に開催しなくてはならない。基準日を決算日とする会社が多いが、基準日を4月に変えて7月に総会を開催すればよい。そうすれば、総会前に有報の提出が間に合う。そもそも、海外では決算日から総会開催日まで4~5カ月だが、日本は3カ月以内と短い。

現在、上場企業は金融商品取引法に基づく有報、会社法に基づく事業報告・計算書類を作成している。これらには重複が多いばかりでなく、最近は有報の非財務情報の拡充により、現場の負担が増しいている。今後はサステナビリティー(持続可能性)の情報開示が強化される流れにある。

近年、政府は開示負担の軽減や、総会前の情報開示の促進のため、両者を統合する一体的開示の普及を促してきた。だが、これまでそれを利用した企業はない。その理由として①現在のプロセスの変更への懸念②総会を7月に先送りする場合の懸念(取締役人事の確定の遅れ、第1四半期決算の作業時期の重複、投資家の反応など)③法解釈の不透明性ーーなどが指摘されている。

開示書類の見直しは長く指摘されてきた。一元化を進めて企業の負担を軽減し、同時に総会前の有報開示を求める投資家の要請に応えたい。そのために官民がぜひ知恵を絞るべきである。

・・・この件で一番分かりやすいのは、上場企業は会社法決算を省略、金商法決算のみにすることである。会社法と金商法の管轄する役所が違うので実現しないという話を聞くのだが、それが本当だとしたら、何とも馬鹿馬鹿しいとしか言いようがない。

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2024年6月29日 (土)

名古屋にウクライナ料理店ができた

会社の近くにウクライナ料理のレストランがあるのを発見して驚いた。店名は「ジート」、5月にオープンしたとのこと。知らなんだ。

名古屋駅前(東側)、「ミッドランドスクエア」ビルの裏手に当たる場所に立つ「ウインクあいち」ビル。その地下一階の一角に、お店はある。

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とにかくランチに行ってみた。ランチは2種類。自分は1000円のランチとアイスコーヒー150円を注文。おなじみボルシチと、見た目は水餃子だが中の「餡」はポテトです。食べ物の写真を撮る趣味は基本無いのだが、カウンターの両隣りに人がいなかったので、カメラを向けました。

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やっぱりこういう御時世なので、時々支援する感じで食べに行こうかという気になります。

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2024年6月28日 (金)

「債権国」日本に必要な通貨外交

1997年6月23日、当時の橋本龍太郎首相の訪米時の発言が、米国株の大幅下落を招いたことを引き合いに出して、日本は最大の米国債保有国なのだから通貨外交に自覚的であるべきだ、と説くのは経済評論家の豊島逸夫氏。「日経ビジネス」電子版6月27日発信記事から、以下にメモする。

橋本氏の「問題発言」は、米コロンビア大学での講演のあとの質疑応答で飛び出した。やりとりを振り返ろう。講演後、「日本や日本の投資家にとって、米国債を保有し続けることは損失をこうむることにならないか」と尋ねた質問者に対し、橋本氏はこう答えた。

「実は、何回か、米財務省証券を大幅に売りたいという誘惑に駆られたことがある。」
「(米国債保有は)たしかに資金の面では得な選択ではない。むしろ、証券を売却し、金による外貨準備をする選択肢もあった。しかし、仮に日本政府が一度に放出したら米国経済への影響を大きなものにならないか。」
「財務省証券で外貨を準備している国がいくつもある。それらの国々が、相対的にドルが下落しても保有し続けているので、米国経済は支えられている部分があった。これが意外に認められていない。我々が財務省証券を売って金に切り替える誘惑に負けないよう、米国からも為替の安定を保つための協力をしていただきたい。」

現在でも日本は世界一の米国債保有国で、2位が中国だ。米財務省のデータによれば、2024年3月時点で米国債の保有残高は日本が1兆1878億ドル。中国が7674億ドル。日本の残高の大きさが突出している。

筆者は、日本が最大の米国債保有国であることを、対米通貨外交において、明確に主張すべきだと考える。米国側は日本を為替操作していないか緊密に注視する「監視リスト」に入れることもあるのだから、日本側も忖度せず、論じるべきだ。

・・・自分の記憶でも、この30年くらいの間に、日本の要人発言が米国株相場に影響を与えたのは、この橋本発言の時しかなかったように思う。豊島氏は「橋本氏の見方は正論」であると言う。おそらく正論だからこそ、米国株も反応したのだろう。

為替介入だけが通貨政策ではあるまい。もっと踏み込んだ通貨外交が求められている。忖度して米国債を自由に売れないのであれば、日本は金融経済面でもアメリカの「属国」なのだと思わざるをえない。

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2024年6月27日 (木)

森永卓郎、山崎元を「追悼」

原発不明がんと闘うエコノミスト、森永卓郎が著作の中で、今年元日に食道がんで死去した経済評論家の山崎元を「追悼」している。『がん闘病日記 お金よりずっと大切なこと』の「あとがき」からメモする。

2024年の元日に亡くなった山崎元氏が、『経済評論家の父から息子への手紙』(Gakken)という書籍を出版した。山崎氏は私と大学の同窓生で、三和総研や獨協大学では同僚だったので、よく話をした。ただ、私は彼のことを「合理的経済人」だと思っていた。一流企業ばかり12回も転職を繰り返して、つねにより高い処遇を目指していると考えていたからだ。

ところが、書籍のなかで彼は息子に「金持ちを目指すのではなく、面白いと思える仕事を通じて、必要な程度のお金を稼ぐことができればそれでいい」と言っている。お金がたくさんあっても、幸せにはなれない。それよりずっと大切なことは自分が面白いと思える仕事を続けることだと言うのだ。

山崎元氏の12回の転職も、いまから考えると、その終盤では、彼の自由な活動を認めてくれる会社へと転職先が変化している。つまり、山崎氏は高報酬を求めて転職をしたのではなく、自由を求めて転職をしたのだ。

・・・高収入を求める「合理的経済人」であるかのように見えた山崎氏も、最終的には自由を求めていた。つまりは自分の同志であったと、森永氏は「追悼」しているように思う。そして森永氏自身も、今は自由を獲得しているようで、「お金を稼ぐことに気をとられずに、自由な論説を展開している」から「とても幸福だ」と、言い切っている。

森永氏と山崎氏、どちらも金融業界の有名人、年齢も自分と1~2歳しか違わない同世代であり、二人の闘病にはいやでも関心を持たざるを得ない。山崎氏がこの世を去った今、森永氏がどこまで踏ん張れるか、じっと見守るしかない。

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2024年6月23日 (日)

労働と読書は両立するか

なぜ働いていると本が読めなくなるのか』(三宅香帆・著、集英社新書)が売れているらしい。日経新聞の読書欄にも取り上げられていた。一度読んではいたが、もう一度目を通してみた。

最初に書名を見ると、そりゃあ働いてれば自由時間は減るし疲れるからだろう、と思っちゃうわけだが、文芸評論家である著者は、明治以降の労働と読書の歴史を辿ることによって、いま労働と読書の両立が困難になっている原因を探ろうとする。今どき、人文科学的な正攻法のやり方であるのが、むしろ新鮮に見えた。

明治時代、「立身出世」の掛け声と共に「修養」の概念を打ち出した『西国立志論』が多くの人に読まれる。いわば自己啓発書ジャンル初のベストセラーだ。そして大正時代、「サラリーマン」の誕生と共に教養主義が勃興する。戦前の「円本」(文学全集)ブームを経て、戦後はサラリーマン向けの小説(源氏鶏太)、ハウツー本(カッパブックス)、さらには1970年代の司馬遼太郎、1980年代の雑誌ブーム(「BIG tomorrow」など)と、サラリーマンの読書トレンドは変遷する。

おそらく1990年代が労働環境と読書の転換期である。1995年、『脳内革命』が爆発的にヒット。累計350万部が売れた。同書は、自分の行動を変えることで、自分を巡る状況を好転させるという世界観を提示した。ここから、自己啓発書は「内面」から「行動」の時代に移る。90年代、バブル経済の崩壊から続く長い不況の中で、自分のキャリアは自己責任で自分が作る、という価値観が広がっていく。つまり、「バブル経済以前の一億総中流時代が終わりを迎え、新自由主義的な価値観を内面化した社会が生まれつつあったのが、90年代だった」。経済の波にうまく乗るために取るべき行動は何か、無駄(ノイズ)を省いて説く自己啓発書として、『脳内革命』はベストセラーとなった。

政治と内面の時代から、経済と行動の時代へ。自分自身をコントロールして行動することにより、市場に適合することが肝心となる。社会を知ろうとする読書は、労働にとって余計なもの、ノイズになる。そして2000年代、経済と行動に加わるのは、インターネットと共に台頭した「情報」である。情報とはピンポイントで「知りたいこと」であり、当然ノイズは排除される。そこでインターネット的情報と自己啓発書の足並みが揃う。読書そのものも変質する。「速読本」の人気に示されるように、「読書を『娯楽』ではなく処理すべき『情報』として捉えている人の存在感が増してきているのだ」。

しかし、「私たちはノイズ性を完全に除去した情報だけで生きるなんてーー無理なのではないだろうか」。「今の自分には関係のない、ノイズに、世界は溢れている」。「自分に関係のあるものばかりを求めてしまう。それは、余裕のなさゆえである」。

仕事で自己実現しようとすると、自己実現=仕事の奴隷になってしまう。もう全身全霊で働くのはやめよう。「仕事は、男女ともに半身で働くものになるべきだ」。「半身で『仕事の文脈』を持ち、もう半身は『別の文脈』を取り入れる余裕ができるはずだ。そう、私が提案している『半身で働く社会』とは、働いても本が読める社会なのである」。

・・・冷戦終結、世界経済のグローバル化、国内経済のバブル崩壊、以降の成長しない経済の中で、新自由主義が広がり、企業も個人も効率追求に走らざるを得ない、この余裕の無い社会。教養は無駄なものとして切り捨てられ、役に立つ情報だけが求められる。「本が読めない」とは、単に時間がないから、疲れてるからだけではなく、常に情報を求めるよう強いられる社会の有り様の反映かもしれない。

著者の提案(半身で働く)については、「文芸評論家」の言うことなので、それこそ話半分で聞くとしても、まだ30歳そこそこの著者が過去のサラリーマンのベストセラーの歴史を振り返りながら、その背景を批判・分析(60代の自分にも、司馬遼太郎や『脳内革命』の話は頷けるものだった。勝間和代も分析対象に入れてほしかったな)しつつ、適確なストーリーを作り上げる能力には舌を巻いた、ということを付け加えておきたい。

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2024年6月22日 (土)

「豊後の王」大友宗麟

先日のNHK番組「歴史探偵」で、戦国大名大友宗麟が取り上げられていた。当時日本に来ていたキリスト教宣教師は、「豊後の王」として記録を残していた。豊後の国は、九州全土であると考えられていたらしい。

大友宗麟は、来日したイエズス会の宣教師フランシスコ・ザビエルと対面し、キリスト教の布教を認め、教会を建てる土地まで与えた。ザビエル、感激である。宗麟の名はヨーロッパまで伝わり、後にはザビエルと宗麟の出会いの場面の想像画がいくつか描かれて、現在も残っている。何しろ想像画なので、宗麟の姿はヨーロッパの王様風なのだが。

宣教師は、スポンサーであるポルトガルの国に対して布教の成果を誇るため、大友宗麟を「豊後の王」であると喧伝したようだ。当時の若きポルトガル王セバスティアン1世も宗麟に大いに興味を持ち、キリシタンへの改宗を強く促す手紙を宗麟宛てに送った。

当時はポルトガルとスペインが勝手に世界を2分割して、それぞれの支配地と見なそうとしていた時代。ポルトガル国王にも、日本の支配や日本との貿易をやりやすくしたいとの思惑があったようだ。

宗麟は宗麟で、改宗を匂わせながら、南蛮貿易を盛んにして大砲や鉛(鉄砲の玉を作る)を入手することに腐心していた。

最終的に1578年、宗麟はキリシタンとなる(洗礼名はザビエル由来のフランシスコ)が、家臣団の動揺を招き、島津氏との戦いに大敗。宗麟は現実には九州の「王」にはなれなかった。(写真はJR大分駅前の大友宗麟像。2024年3月撮影)

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「歴史探偵」では、今回「戦国ご当地大名シリーズ」第一弾として大友宗麟を取り上げたが、今後三好長慶や長宗我部元親などが予定されているという。「ご当地」に含まれる意味は「限定」というか、知っている人は知っているくらいの感じだろうか。確かに信長、秀吉、家康の「天下人」は大メジャーだし、武田信玄や上杉謙信、伊達政宗、毛利元就も知名度は全国区だろう。でも、「天下人」以外は、戦国大名というのは基本的に「ご当地」のものだと思う。つまり、地方が地方として相対的に独立したのが戦国時代であり、その地方がその地方である礎を築いたのが戦国大名であるということだ。そういう意味で、それぞれの地方における戦国大名の重要性は計り知れない。

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2024年6月10日 (月)

宇土櫓解体修理現場

現在、解体修理中の熊本城・宇土櫓。工事作業の広いスペースを確保するため、素屋根と呼ばれる大きな囲いで櫓全体が覆われている。その素屋根内部の見学が、今年4月から出来るようになっている(自分もつい最近知りました)。4月は14日日曜日、5月は祝日の3、4、5日が公開日だった。基本は毎月一回、第2日曜日の設定なので、6月は9日日曜日。今後も公開を続ける予定とのことなのだが、何しろ解体である。建物がいったんは消えてしまうわけだから、まずは早めに行かなきゃいかんと思って、6月9日の見学を決めて昨日実行した。

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巨大な素屋根内部に入り、宇土櫓の屋根瓦や白壁を目の前にすると、瓦は割れたり崩れたり、壁は所々剥がれ落ちたりひび割れたり、という具合。地震後の宇土櫓は、遠目に見ても傷んだ感じではあったけど、間近に見るともうボロボロと言える状態。いったん解体も止む無しというのは納得する。櫓最上階は既に瓦が降ろされ壁が外され、骨組みだけになっているらしい。

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写真は、上から宇土櫓の南東側、南西側、西側、北西側。考えてみれば、巨大石垣の上にある建物だから、ホントは自分がドローンにでもならないと、こんな間近で見ることはできないのだよなあ。下の写真は宇土櫓のシャチホコ。雄の口が「あ」、雌の口が「うん」で阿吽の呼吸というやつ。

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素屋根の中から熊本城天守閣を見る。

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工事終了は2032年度の予定。年度だから2033年3月として、ざっと9年かかる。長いとは思うが、じっくりと取り組んで頂く方が良いと思って、待つしかない。(自分は現在64歳、宇土櫓再建まで生きてるとは思うんだけど、自信という程のものもないなあ)

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