「原爆の母」と呼ばれた女性科学者
オッペンハイマーは「原爆の父」と呼ばれたが、「原爆の母」もいたのだな。本日付の日経新聞記事(ノーベル賞に嫌われた「原爆の母」)から、メモする。
「原爆の母」と呼ばれた女性科学者がいた。オーストリア生まれのリーゼ・マイトナーは核分裂の発見者の一人で、物理学と化学で計31回ノーベル賞候補に推薦されながら、受賞できなかった。女性でユダヤ系という差別に加え、スウェーデン科学界の派閥争いで不当に除外された。ノーベル賞の黒歴史でもある。
「原爆の父」と呼ばれた米科学者を描いた伝記映画「オッペンハイマー」で、若い科学者が新聞を手に理髪店を飛び出す場面がある。当時、強固な原子核は分割できないと考えられており、核分裂発見のニュースに興奮していた。映画では、オットー・ハーンとフリッツ・シュトラスマンのドイツ人科学者の名前が出る。史実としては正しくない。
1938年、ハーンらはウランに中性子を照射して重い元素をつくろうとした際、軽いバリウムが出てくることに気づいた。だが化学者なので、原子核で何が起きているのか見当がつかなかった。そこで、ナチスによる迫害を逃れるためにスウェーデンへ亡命したマイトナーに頼った。2人は元同僚で、長年の共同研究者だ。手紙をやりとりしながら研究を続けていた。
マイトナーはウランがバリウムとクリプトンに分裂するのなら説明可能と気づき、おいのオットー・フリッシュと論文をまとめた。バリウムとクリプトンを足してもウランより軽いが、分裂時に放出されるエネルギーが質量の減少分に相当することも突き止めた。核分裂という言葉を使ったのはマイトナーだ。開発には関与しなかったが戦後、米メディアから「原爆の母」と呼ばれるようになる。
ハーンは優れた実験家で、マイトナーは鋭い洞察力を持つ理論物理学者だ。二人三脚だったからこそ様々な成果を出し、何回もノーベル賞の候補に推薦されている。核分裂については39~45年の7年間に、2人は物理学と化学でそれぞれ3回、ノーベル賞の候補に一緒に推薦された。しかし、受賞したのはハーンだけ。
ノーベル財団は2020年、公式X(旧ツイッター)で、核分裂の発見者をハーンとマイトナーの2人と認めた。しかし、ハーンの背後にマイトナーが立つイラストを添えていたため、批判の声が多数あがった。
・・・ノーベル賞の黒歴史。科学技術の発展に大きく貢献したにも関わらず、不当に扱われて歴史の中に名前が埋もれてしまった人の数は少なくないのだろう。
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