市場制度、バブル期とは大違い
日経新聞電子版本日発信のコラム記事「株価4万円、80年代と違う 過熱はあってもバブルではない」(小平龍四郎・編集委員)から、以下にメモする。
「バブルの懸念はないのか」。日経平均株価が史上初の4万円台をつけるに至って、こんな質問を受けるようになった。現状では、バブルの懸念は小さい。
少し歴史をひもとこう。日経平均が初めて1万円を超えたのは1984年1月、2万円が87年1月、3万円は88年12月のことだ。大台乗せを次々にクリアしていった80年代は、日経平均株価の黄金時代といえる。
当時の株式市場は今と比べ、どのような様相だったか。よくあるPERなどの単純比較が本当に有効かどうかは、議論が分かれるところだ。当時の主流は取得原価会計に基づく単体決算、現在は公正価値を重視した連結決算。すなわち、80年代と2024年現在の1株当たり利益や1株当たり純資産(BPS)は成分が異なる。当然、それらに対する株価の倍率も単純に比べることはできない。
指標もさることながら、筆者が注目しているのは株式取引のインフラや規制など市場の制度比較だ。同じ「株式市場」とはいえ、80年代の株式市場は今とは驚くほど質が異なっている。
もう少し歴史をたどる。インサイダー取引規制をきっかけに株式市場の近代化は進み、不透明な株式の買い集めをあぶりだす「5%ルール」も90年12月に導入された。不公正な市場取引に目を光らせる「証券取引等監視委員会」の設立は92年7月。証券会社の収益の源泉だった固定手数料の自由化が加速したのは90年代後半の「金融ビッグバン」から。公正価値(時価)を重視した連結主体の企業決算は、2000年前後からの「会計ビッグバン」のもとで広まった。
インサイダー取引規制、5%ルール、監視委、手数料自由化、時価会計、連結決算・・・。今では当たり前の制度が整い始めたのは、1989年以降のことである。日経平均が1万〜3万円の大台を次々にクリアしていった時代(84〜88年)は、そうした近代的なインフラが整備されていない発展途上国のような市場で株式が取引され、株価が形成されていた。
あらためてふり返ると、バブル期の株式市場には無法地帯が少なからずあり、デタラメもかなりまかり通っていた。バブルにとどめを刺すのは、バリュエーションの高さではなく、見えないところで横行していたいかさまや、不健全な取引だ。そして、崩壊して初めて「あれはバブルだった」と人は気づき、時間の経過とともに事態の深刻さを認識する。1989年末に日経平均株価が当時の最高値3万8915円87銭をつけた時の報道は、同年12月30日付日経新聞1面左下の小さな囲み記事。なんとも象徴的である。
・・・1989年末大納会の株価のバブル高値は、それ程強く記憶に残っていない。今年も高く終わったな、来年は4万5000円だ、くらいの感じだったように思う。それが年明け以降の株価暴落で、長い間「大天井」として意識されることになった次第だ。そしてバブルが崩壊してから、市場の制度があるべき姿に向けて整えられていくという流れになった。今の日経平均4万円は、株価低迷期に整備された市場制度に支えられている。80年代のバブル株価とは違う。
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