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2024年2月20日 (火)

「モラトリアム」志向は過去のもの

1980年代から最近まで、高校生像はどう変化してきたか。本日付日経新聞教育面コラム記事「高校生像、40年間の変化」(執筆者は尾嶋史章・同志社大学教授)から、メモする。

みえてきたのは進学動機の変化だ。大学進学希望者に限ってみてみると「学生生活を楽しむ」や「自分の進路や生活を考えるための時間」を選択する生徒が減少し、「希望する職業に必要」や「進学する方が就職に有利」を選択する生徒が増えている。女子では「教養を身につける」が減少している。モラトリアム志向や教養志向が強くなっているのだ。高校生たちの思考は職業や就職に傾き、教養を身につけ社会に出る前の猶予期間を過ごすという意識が後退している。

このところ所得は上向きとはいえ私立大学の授業料は上昇を続けている。このような状況下では大学進学も明確な目的を求められがちだ。2000年ごろを境に貸与奨学金枠が拡大し、受給者が急増した。それは進学機会を保障したと同時に、経済面での心理的な圧力を高校生に与えることになった。

かつて発達心理学者のE・H・エリクソンは、アイデンティティーの確立のために試行錯誤を行う青年期をモラトリアム(役割猶予期)と位置づけた。高校から大学などで学ぶ時期はまさにモラトリアムであり、試行錯誤を繰り返して自分の道を定めるための猶予期間という意義も持つ。モラトリアム志向の低下は早期に自己が確立された結果と喜ぶこともできる。だが、家庭の厳しい経済状況や高校卒業前に奨学金の借り入れが決まる環境下では、早期に目標を定めてまじめに勉強すべきである、という義務感の反映のようにもみえる。

目標を早くに決めて目的合理的に進学するだけだと大学教育の意義は半減するのではないだろうか。目的を持つと同時に進学後に多様な経験をして自分を見つめ直す機会だと本人が意識すること、また教師や親がそうした「ゆとり」を持たせてやることも今の時代には重要になってきているように感じる。

・・・昔ありました、「モラトリアム人間」。小此木啓吾先生の言ってたやつです。自分も、モラトリアム傾向があったのは確かで、大学卒業後も社会に出ないで、ぐだぐだしてるうちに行き詰って、25歳で何とか就職しました。

なので、早めに人生の針路を決めて進んでいくのも、人生設計において有利な面があるのかもしれない、とモラトリアム人間だった自分は思うところもある。とはいえ情報過多の時代の中で、自分の目標をなかなか決められない場合もあるだろうし、あるいはひとまず目標に向けて進んでも、途中で軌道修正を迫られる場合もあるだろう。そんな時は、寄り道する「ゆとり」がある方がいいのかな、と思ったりします。

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