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2024年2月26日 (月)

知覧特攻平和会館

先週23日の祝日、鹿児島県にある知覧特攻平和会館を初めて訪れた。まあホントは、もっと若い時に行かなきゃいけない(自分は既に60歳を超えている)ところなんだろうけど・・・。

なぜ今、行くことにしたのか。自分的な流れの説明。年末に「ゴジラ-1.0(マイナスワン)」を観た。映画の中に出てくる戦闘機「震電」の実物大模型が、福岡県の大刀洗平和記念館にあると聞いた。行ってみた。「震電」を見た。特攻に関する展示もあった。大刀洗には陸軍飛行学校があり、その分校が知覧にあったと知る。そうか知覧か。という流れで、とにかく一回行っておこうと決心し、実行した次第。

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鹿児島中央駅から路線バスで1時間半。思ったより、山の中にあるのだなあと感じた。休みの日でもあり、結構入場者多数である。メインの展示は特攻隊員1000名余りの写真、多数の遺書。飛行機の展示は、陸軍の「隼」が実物大模型、同じく「疾風」は復元された現存機体。ボロボロになった海軍の「零戦」もある。海中から引き揚げられた機体とのこと。実際の特攻では、九七式戦闘機など旧式機も多く使われたという。

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展示されている遺書の内容は、父上様母上様有難うございました。敵艦一撃必殺。概ねそういう感じのものが多数。まあ当然ですかね。

その中で、ちょっと他とは違う感じがするのは、上原良司の「遺書」。「自由主義者」の思想表明とでも言うべきもので、これは泣けた。いつだったか何かで、この話を聞いたなと思い出した。後で調べると、割と有名な遺書(「所感」と題されている)ということなので、上原さんの名前をちゃんと覚えておこうと思った。なぜか上原さんの遺書は、メインのフロアではなく、「戦史資料室」という別室に展示されていた。やはり他の大部分の遺書とは異質、あるいは別格ということなのだろうか。

特攻を考え出し実行した日本人。「国を守る」ためとはいえ、当時なぜそこまで極端なことができたのか、根本的に理解するのは怖ろしく困難であると感じる。

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2024年2月25日 (日)

株価最高値、バブルではない

日経新聞電子版本日発信のコラム記事「株最高値、今回はバブルにあらず 89年と違う企業と個人」(鈴木亮・編集委員)から、メモする。

日経平均株価が22日、1989年に付けた過去最高値の3万8915円を上回った。今の株高は実績に裏付けられた、堅実な上昇だ。日経平均の過去最高値到達は、まだまだ通過点とみていい。

筆者が日本経済新聞に入った1985年4月、まだ日経ダウ平均と呼ばれていた日経平均は、1万2600円台だった。そこから5年、一気に3万8915円まで駆け上がった。最高値を付けた日の大納会、「来年の日経平均は4万5000円ですね」などと明るい展望が語られていた。

今から思えば、89年末はいびつな株高だった。日経平均ベースの予想PER(株価収益率)は62.58倍と今の(22日終値ベース)16.47倍に比べ、大幅に高い。予想1株あたり利益(EPS)は622円と、今の2373円の4分の1程度、予想配当利回りは0.38%と今の1.73%に比べて大きく見劣りする。

高いPERを正当化するため、証券業界はQレシオと呼ばれる投資指標を生み出した。 株価を1株あたりの実質純資産で除したもので、帳簿上の純資産の含み益を加算して算出した。当時の含み資産といえば不動産だ。東京湾周辺に工場跡地など巨大な土地を持つ企業、例えばNKK、川崎製鉄や、東京ガスなどがウォーターフロント銘柄とはやされた。

当時は個人投資家が十分な知識もないまま、株式に資金を投じていた。外国人投資家の参戦は少なかった。買いの主力の一つが企業だった。企業の買いといえば、今なら自社株買いを連想するが、当時は違う。特定金銭信託やファンドトラストと呼ばれる資産運用に、企業は走った。本業の事業利益よりも、運用益の方が大きい企業は珍しくなかった。

翻って、今の株式相場は89年当時とは、何から何まで違う。62倍台のPERは16倍台と大幅に低下した。配当利回りは4.6倍になり、時価総額は606兆円から932兆円に増えた。当時の株高要因の一つが、株式の持ち合いだった。お互いに安定株主として保有し、決して売却しない。銀行は取引先企業と株式を持ち合い、大手生保は保険の大口法人顧客となる企業の株式を保有した。今は持ち合い構造がどんどん見直されている。

企業は今、自社株買いなどの株主還元や、大型M&A(合併・買収)などの成長戦略に資金を使い始めた。大幅な賃上げは続きそうだし、企業業績は3期連続で過去最高益を更新する。こうした改革を評価する外国人投資家が日本株を買っている。

今年に入って、新たな少額投資非課税制度(NISA)を通じ、6000億円もの新規資金が日本株市場に流れ始めた。コツコツと積み立てNISAで将来に備える今の個人は、何の知識もないまま、儲かりそうだからと、株を買っていたバブル時代の個人とは大違いだ。89年当時のバブルに比べたら、今はバブルとは呼べない、地に足がついた堅実な株高だ。これが日経平均3万8915円は通過点だと考える最大の根拠だ。

・・・鈴木編集委員は「株屋さん?」という感じの記者で、いつも強気の人です(笑)。バブル期は野村證券の存在感が圧倒的で、「ウォーターフロント」のほか「トリプルメリット」(円高・低金利・原油安)「債権大国」「内需拡大」などの言葉も使って、壮大なシナリオ相場を展開していた。企業や個人もそれに乗って、こぞって「財テク」に励んでいたわけです。その一方で、高PERを説明するのには四苦八苦していて、「Qレシオ」のほか、持ち合い株数を除いて(分母を小さくする)PERを試算するとか、また当時は単体決算で見ていたので、一株利益が小さかったことも、高いPERの理由だったような。今は225銘柄ベースで純利益が4倍に、PERは4分の1になったわけだから、とにかく指標からはバブルではないと言えるだろうと。

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2024年2月21日 (水)

株価最高値へ、日本企業の変貌

本日付日経新聞オピニオン面コラム記事「株価最高値は変革の出発点」(小平龍四郎・上級論説委員)からメモする。

「経営者自身がROI(投資収益率)や資本コストに対する認識を高めるとともに、(中略)ROE(自己資本利益率)やDOE(株主資本配当率)の向上を第一義的に考え、経営の根幹に据えていくことが重要であると考えられる」
93年7月、証券団体協議会という証券業界のシンクタンクが発表した「コーポレート・ガバナンスのあるべき姿」。だれの目にも株価低迷が明らかになっていた時期に、資本市場の活性化を提言した。昨年来、東京証券取引所が企業に「資本コストや株価を意識した経営」を求めている内容と驚くほど似ている。

30余年の歳月を経て二重写しになる提言・要請は、この国の企業と市場に求められてきた課題が、ずっと変わっていなかったことを雄弁に語る。すなわち、株主と向き合い対話する経営だ。

この30余年、日本の株式市場で劇的に変わったのは株主構成だ。90年度に計31%だった銀行や生損保の比率が2022年度には6%に急減。事業法人も30%から19%に減った。持ち合いの解消が進んだ結果だ。一方、外国人は4%から30%に急増した。

「ニッポン株式会社」の大株主の顔ぶれの変化は、含み益経営や単体決算、生え抜き男性だけで構成する取締役会など、日本固有の会計・ガバナンスに見直しを迫った。連結ベースの時価会計や、外部の視点を取り入れる経営改革を企業が積み上げた結果が、株価の最高値更新だ。しかし、企業価値の向上に向けた変革の競争はここから始まる。現状はスタートラインにすぎない。

・・・思えば、バブルが崩壊した90年代は、日本経済システムや日本的経営の見直しが盛んに議論された時代だった。日本経済の基本的課題は、当時議論し尽くされたと言ってよい。しかし90年代は政策的には、不良債権処理と財政出動に明け暮れて終わり、官民が実際に日本経済を改革する施策を進め始めたのは21世紀に入ってから、小泉構造改革以降のことになる。その辺りから数えても、20年余りかけて、日本の経済と企業は課題解決に向けて自らを改造してきており、その結果が最高値目前の株価ということになるのだろう。

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2024年2月20日 (火)

「モラトリアム」志向は過去のもの

1980年代から最近まで、高校生像はどう変化してきたか。本日付日経新聞教育面コラム記事「高校生像、40年間の変化」(執筆者は尾嶋史章・同志社大学教授)から、メモする。

みえてきたのは進学動機の変化だ。大学進学希望者に限ってみてみると「学生生活を楽しむ」や「自分の進路や生活を考えるための時間」を選択する生徒が減少し、「希望する職業に必要」や「進学する方が就職に有利」を選択する生徒が増えている。女子では「教養を身につける」が減少している。モラトリアム志向や教養志向が強くなっているのだ。高校生たちの思考は職業や就職に傾き、教養を身につけ社会に出る前の猶予期間を過ごすという意識が後退している。

このところ所得は上向きとはいえ私立大学の授業料は上昇を続けている。このような状況下では大学進学も明確な目的を求められがちだ。2000年ごろを境に貸与奨学金枠が拡大し、受給者が急増した。それは進学機会を保障したと同時に、経済面での心理的な圧力を高校生に与えることになった。

かつて発達心理学者のE・H・エリクソンは、アイデンティティーの確立のために試行錯誤を行う青年期をモラトリアム(役割猶予期)と位置づけた。高校から大学などで学ぶ時期はまさにモラトリアムであり、試行錯誤を繰り返して自分の道を定めるための猶予期間という意義も持つ。モラトリアム志向の低下は早期に自己が確立された結果と喜ぶこともできる。だが、家庭の厳しい経済状況や高校卒業前に奨学金の借り入れが決まる環境下では、早期に目標を定めてまじめに勉強すべきである、という義務感の反映のようにもみえる。

目標を早くに決めて目的合理的に進学するだけだと大学教育の意義は半減するのではないだろうか。目的を持つと同時に進学後に多様な経験をして自分を見つめ直す機会だと本人が意識すること、また教師や親がそうした「ゆとり」を持たせてやることも今の時代には重要になってきているように感じる。

・・・昔ありました、「モラトリアム人間」。小此木啓吾先生の言ってたやつです。自分も、モラトリアム傾向があったのは確かで、大学卒業後も社会に出ないで、ぐだぐだしてるうちに行き詰って、25歳で何とか就職しました。

なので、早めに人生の針路を決めて進んでいくのも、人生設計において有利な面があるのかもしれない、とモラトリアム人間だった自分は思うところもある。とはいえ情報過多の時代の中で、自分の目標をなかなか決められない場合もあるだろうし、あるいはひとまず目標に向けて進んでも、途中で軌道修正を迫られる場合もあるだろう。そんな時は、寄り道する「ゆとり」がある方がいいのかな、と思ったりします。

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2024年2月17日 (土)

投資を通じて現実を知る

転換の時代を生き抜く投資の教科書』(日経BP社)は、売出し中の経済ジャーナリスト後藤達也氏の新刊。投資の意義について述べている部分からメモする。

私は、投資は誰にとっても意義のあることだと思います。投資の世界を知ることは、これからの社会を生きていくうえで欠かせない教養・センスだといっても過言ではありません。

投資を通じて得られるのは「おカネを増やす」ということだけではありません。
いざ投資を始めると、経済や企業ニュースはもとより、政治、社会、テクノロジー、海外、自然災害・・・あらゆるものへの関心が飛躍的に高まります。
少額であれ、「なぜ株価は上がったり下がったりするのか」という意識が少しでもあれば、あらゆるニュースが自分事として頭に入ってくるようになります。

建前のないガチンコの世界で、株価は日々動いています。その動きを見て、ときにおカネを投じることで、経済のダイナミズムの理解が急速に進みます。その知識やセンスは、ビジネスパーソンとしての日々の働く姿勢にも役に立ちます

株式市場は「森羅万象を映す」といわれます。このため、「株価はなぜ動くのか」という説明も非常に複雑で難しいものです。
大切なことは基本的な視座を持ちつつ、さまざまな角度から柔軟に経済ニュースに接していくことです。

・・・自分も株投資を始めた頃は、いわゆるバブルの活況相場だったこともあり、日々のあらゆるニュースが「株価材料」に見えてきて、ひどく刺激的だったことを思い出す。まさに株相場は「森羅万象を映す」のだと。さすがに今は、そこまでは言わないけれど、それでも実際に投資をすることで、学んだことや見えてきたことはとても多かった。

振り返ればバブルの頃から、経済、特に金融資本市場を通して現実を認識することが、何事にも肝心になったと思う。当時、石ノ森章太郎の『マンガ日本経済入門』という本が出たのを見て、そうか今は、マンガでも何でもいいから、とにかく経済を知らなければいけない時代なんだと、強く感じたことを覚えている。あの頃から、経済学的に、とまでは言わないが、経済的に物事を見ることが、世界認識の基本的な方法になったのだ。

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2024年2月16日 (金)

「歯車」になれる人はすごい

今週の「週刊ダイヤモンド」(2/17号)の特集は「識学大全」。「識学」とは、人間の意識構造に着目したマネジメント論なのだそうな。識学3部作の一冊『とにかく仕組み化』の紹介記事から、以下にメモする。

組織の中で「替えの利かない人」は今の位置にとどまり、「歯車として機能する人」は人の上に立てる。一見、逆のようですが、これが真理です。後者の人は「仕組み化」の考えが備わっています。

「仕組み化」とは、「ルールを決めて、ちゃんと運営する」ということです。

ここで、あなたに確かめてほしいのは「歯車」として生きる覚悟について。おそらく「歯車なんて嫌だ」と反発するのではないでしょうか。ですが、人は大人になる過程で、「世の中は自分中心で動いていない」ことを学び、社会と折り合いをつけて大人になります。「歯車になること」の力に気づき、いったん受け入れた人から成長は始まります。組織の中で求められている役割を理解し、自分自身も仕組みの一部に組み込まれる。そのスキルさえあれば、どこに行っても活躍できる人材になれるのです。

組織の中で替えが利くようにする。その最終形が経営者。「自分がいなくなってもうまくいってほしい」というのが、経営者の最終目的でしょう。その目的のため、考え方の根底に「仕組み化」の思考が必要です。

・・・「歯車」になる覚悟は確かに大事。自分も若い時は、社会の中で歯車になるなんてまっぴらゴメンだ!とか思ってましたが、年取った今は、歯車になるのだって大変だ、ちゃんとした歯車になれる人は大したもんだ、と認識しております。

全体の仕組み化を考えて、その仕組みの中の歯車の機能を完璧に果たす。どんな場所に置かれても、歯車にしっかりなれる人は、万能の人ではないだろうか。

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2024年2月12日 (月)

坂本城跡現地説明会に行く

滋賀県大津市の坂本城跡で石垣が新たに発見されて、去る10日11日、土日の2日間、現地説明会が開かれた。ニュースを見てしまった以上、行かねばならぬと心に決めて、自分も10日朝、名古屋から出陣した。

説明会参加には入場整理券が必要で、当日はJR比叡山坂本駅前の公園で午前11時から配布開始。こういうのって、どれくらい人が来るのか見当も付かなくて、30分前位でいいかな、1時間前に行って待つのもキツイかなとか思いつつ、10時15分位に現地に着いたら、さほど大きくもない公園は既に人でいっぱい。行列の長さは公園を二周して、さらに公園の外にはみ出して伸びる事態に。11時の配布開始から、配るだけでさらに時間がかかり、ようやく12時頃に整理券ゲット。当日の説明会は12時30分、13時45分、15時丁度の3回で、自分は2回目に入れた。一回の定員はその場で増員された模様だが、自分の到着時には、既に150~200人以上が並んでいたことになる。恐るべし、お城ファン、戦国ファン。

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上の写真は、坂本石積みの郷公園で整理券配布を待つ人たちの行列。
下の写真は発掘現場。石垣と堀、遺構の一部。

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発掘現場は、駅から南に20分程歩いた、住宅地の只中にある。何でも、宅地造成に係る調査で発見されたとか。今回石垣と堀が見つかったほか、礎石建物、瓦も出土していることから、城郭の一部と考えてよいとのこと。すなわち、坂本城の遺構であり、「三の丸」の一部ではないかという。

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説明する大津市文化財保護課担当者(右端の人)。石垣発見を伝えるテレビニュースの中で「(今回の発見は)正直やべえなと思いました」との発言が流れて、後で言葉使いを上司に叱られたらしいです。(笑)

(追記)2月20日に、大津市長が史跡として保存する方針を明らかにした。なんと迅速な決定であろうか。開発業者も保存のため工事中止を決めたという。みんなで残そう大事な石垣。

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2024年2月10日 (土)

旧正月とは何か、おさらいする

2024年の旧正月は今日2月10日。旧正月の日付が、毎年変わるのはなぜか。本日付日経新聞記事(日付が毎年変わる旧正月)からメモする。

旧正月とは旧暦の正月のこと。23年は1月22日、22年は2月1日が旧暦の元日だった。一見すると規則性がないように思えるが、どのような仕組みなのか。

日本はかつて旧暦を使っていたが、1873年(明治6年)から、いわゆる新暦と呼ばれるグレゴリオ暦を採用した。明治政府は1872年(明治5年)12月3日を、翌年1月1日とすることを決めた。

グレゴリオ暦では地球が太陽の周りを1回転する期間、つまり365.2422日を1年とする。太陽の動きがもととなっている太陽暦で、1年を12カ月に分けている。暦と季節が合うのが特徴だ。
一方、旧暦は月の満ち欠けをもとに、太陽の動きも考えてつくられた太陰太陽暦だ。新月が次の新月になるまでの期間を1カ月とし、12カ月で1年とする。1カ月は約29.5日で、1年にすると約354日になる。

ただ、季節は約365日の周期で変化するため、年々、暦と季節がズレる。このため2~3年に1回ほど「うるう月」を導入し、1年を13カ月とすることでズレを修正する。
この法則を理解すると、一見、不規則に見えた旧正月の日程にも規則性が見えてくる。例えば、24年2月10日の354日後は25年1月29日にあたる。旧暦における1年後だ。24年2月10日は前年の旧正月の384日後なので、23年はうるう月が導入された年だとわかる。

世界では大半の国や地域が、グレゴリオ暦を採用する。暦文化に詳しい国立民族学博物館名誉教授の中牧弘允さんは「中国、韓国、ベトナムなどでは旧暦とグレゴリオ暦を併用している」と説明する。

・・・ということで、中国も韓国もベトナムも旧正月を祝ってる。まあ新暦の正月だとまだ全然寒いので、旧暦の方が「新春」って感じがするかなぁ。日本では、行事としての正月らしさはどんどん薄れている感があるので、横浜や神戸や長崎の中華街で旧正月気分を味わうのも良いかもしれない。

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2024年2月 4日 (日)

黒田日銀の10年

ドキュメント異次元緩和』(西野智彦・著、岩波新書)は、副題「10年間の全記録」の通り、黒田東彦総裁時代の日銀(2013年~2023年)が実行した「異次元緩和」と呼ばれる金融政策の動きを振り返った本。綿密な取材を基に、異次元緩和の舞台裏を、ドラマのように浮かび上がらせる。

黒田日銀は、2012年末の総選挙で勝利した自民党の政権復帰に始まる。大規模金融緩和実行を掲げて総理大臣となった安倍晋三は翌年2月、日銀の新総裁に財務省出身の黒田東彦を指名。この本によると、安倍総理は野党時代に経済学者の岩田規久男の本で勉強したらしい。振り返れば、第1次政権の時は「美しい国、ニッポン」とか何かズレてること言ってた安倍総理が、第2次政権では経済政策を前面に打ち出したのは、かなり意外な感じがした。そして岩田先生という日銀に対する徹底的な批判者が、黒田日銀の副総裁となったのも驚きだった。

こうしてデフレ脱却を目指す黒田日銀の下で、2013年の春から、桁外れの量的緩和により2年で2%の物価上昇を掲げる異次元緩和が開始されたわけだが、確かに開始当初のインパクトは誠に大きかった。しかし時間の経過と共に「神通力」が薄れて、2年で2%の物価目標も達成できず、開始から3年後の2016年にはマイナス金利、さらに長短金利操作(YCC)を導入。政策的にはここで弾が尽きて、異次元緩和は「持久戦」に入った。

この本を読んで認識したのは、異次元緩和の具体的な戦術を考えた政策立案者は、企画担当の雨宮正佳理事(後に副総裁)であるということ。黒田総裁はむしろ国際金融の場で存在感を発揮していたようだ。

2018年に黒田総裁は再任されたが、黒田日銀の後半戦は異次元緩和の調整、微修正に止まり、金融政策の大きな方向転換はないまま終わった。任期終了直前には、物価は上がらないという「ノルム」(社会規範)が強かった云々と、言い訳じみた説明をしてるようにも聞こえたな。

異次元緩和は、2%物価上昇という一番の政策目標が達成できず失敗だった、と言えるのかもしれないが、証券会社に勤める者としては、黒田日銀10年の株価は大勢上昇相場だったため、基本的に成功だったと思います。(笑)

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2024年2月 3日 (土)

ウルトラマン(古谷敏)の帰還

ウルトラマンのスーツアクターであり、ウルトラ警備隊のアマギ隊員役としても知られる古谷敏さん。自分の経営するイベント会社が1991年に倒産した後、清掃員の仕事で生計を立てていた。真摯な働きぶりが評価され、ビルメンテナンスの会社で大きな清掃の現場を任されるようになった。2007年秋、64歳のある日、ヒーローは再発見される。日経新聞電子版2月2日発信記事からメモする。

東京・霞が関の農林水産省に常駐し、50人ほどのチームを率いていました。そんなときたまたま新聞で、ウルトラマンをデザインした成田亨さんの原画展が開かれていることを知ったのです。東京・三鷹の会場に出向くと、僕が演じたケムール人やラゴン、そしてウルトラマンの原画が飾ってあるわけです。「ありがたいなぁ」という思いがこみ上げてきました。

成田さんはすでに亡くなっていて、奥さんの流里さんも不在でしたので、名刺を置いて帰りました。その夜、流里さんから電話がありました。「ビンさん、来てくれたんですね・・・」。涙声でした。栃木県足利市で開かれる次の展覧会でお会いする約束をして出かけていったら、会場に新聞や雑誌の記者がいました。それで見つかっちゃったんですよ。

やがて、「ウルトラセブン」でウルトラ警備隊のアンヌ隊員を演じたひし美ゆり子さんから電話がありました。「フルヤちゃん、私、20年探したのよ! やっと捕まえた」って。2008年、ひし美さんがセッティングしたサイン会が東京・北の丸公園の科学技術館で開かれ、元の世界に復帰しました。それから東京では月1回、地方にも年4、5回出かけて皆さんと交流する「巡礼の旅」を始めました。サイン会や撮影会のほか、ウルトラマン、セブンで共演した毒蝮三太夫さんを招いたトークショーなども開いています。

姿を消していた期間が20年近く。そのブランクをいま、懸命に取り戻しています。僕のためじゃありません。長い間、何もできなかったファンの方々へのお礼の気持ちとして、です。80歳になったいまも、国内はもちろん、海外のあちこちから毎年声をかけてもらえる。これからも「日本を代表して」という気持ちで、日本の総合芸術と言える特撮の素晴らしさを多くの人たちに伝えていきたいです。

・・・成田亨の原画展というのは、「怪獣と美術」展ですね。僕も観に行きました。あの場に古谷さんも訪れて、それがきっかけになって、世間に「見つかっちゃった」と。そうだったのかーという感じです。とにかく今でも、国内外から古谷さんに切れ目なくお呼びがかかる。それだけ偉大な作品を、僕も子供の頃に見ることができて、本当に幸運、幸福だったと思います。

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