フリーレンとクラフトの対話
現在アニメ放映中のファンタジー『葬送のフリーレン』。その原作マンガ第3巻「第24話エルフの願望」から、主人公の魔法使いフリーレンと、武道僧(モンク)であるクラフトの対話。二人は、人間より遥かに長命なエルフという種族である。
フリーレン:クラフトはどうして女神様を信じているの?
クラフト:フリーレンは信じていないんだな。
フリーレン:天地創造の女神様は、神話の時代を除いて、この世界の長い歴史の中で実際に姿を現したことは一度もない。
クラフト:若いな。俺も昔はそうだった。だが今は心の底から女神様を信じている。いや、いてくれなきゃ困るんだよ。俺の成してきた偉業も正義も、知っている奴は皆死に絶えた。だから俺は死んだら天国で女神様に褒めて貰うんだ。よく頑張ったクラフト。お前の人生は素晴らしいものだったってな。わかるだろう。フリーレン。自分の生きてきた軌跡が誰にも覚えられちゃいないってのはあまりにも酷だ。俺達は長い人生を歩んでここにいるんだぜ。
フリーレン:クラフト。それはただのわたしたちエルフの願望だ。
クラフト:そうだな。
・・・確かに、自分だけ長生きしていると、自分を知っている人はどんどん死んでいなくなってしまう。だろうから、自分のやってきたことを知っている人がいないというのは、それはそれは寂しいものになるというのも想像できる。他者に自分の存在を認めてもらわずには生きていけない人間は、根本的に社会的存在であるのだろうが、エルフも基本的には人間と同じらしい。
クラフトの切実な思いについて、フリーレンは冷静に、それはただの願望だと告げる。つまり、いるかいないか分からない女神様に褒められることは期待していない。潔いと言うべきか。
ただ考えてみると、これは別に長命のエルフだけの思いではなく、短い生の人間でも同じような感覚はあるはずだ。自分の人生には、自分しか知らない、経験してない、味わっていない苦楽が、うんざりする程あって、それらはどう説明してみても、他人には共感できない、理解できないものであるだろう。自分の人生の行程の細部まで、誰かが認めて褒めてくれることは、現実には殆ど期待できない。仮に親だけが褒めてくれる人だとしても、通常は先に死んでしまうので、褒めてくれる人がいなくなった後も、生き続けていくしかない。それこそただの願望として言うなら、死んでからあの世で親に褒めてもらいたいと望むほかない。
これまで地球上に人類が何百億人生きていたのか知らないが、ほぼ100%に近い人々は忘れ去られているわけで、結局覚えている人はいない、いなくなるという前提で、誰もが自分の人生を生きなければならないのだろうと思う。
ところで、フリーレンの物語に出てくる、創造主が女神様であるというのは、当然キリスト教とは違うし、どっから来た話なのかなあと思う。それから、物語の中に結構ドイツ語が散りばめられているのだが、中世風ファンタジーというのは、やっぱりドイツっぽい雰囲気を纏うものなのかなあとも思ったりする。
| 固定リンク