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2023年8月22日 (火)

ミニシアターの危機

昨日21日付日経新聞文化面「転機のミニシアター㊤」から、以下にメモする。

名古屋市千種区のミニシアター、名古屋シネマテークが7月28日に閉館した。倉本徹代表らが71年に始めた自主上映団体を発展させて、82年に開業。地方のミニシアターの先駆けとなった館だ。

閉館の理由は経営不振だけではない。倉本代表は「見たい映画を自ら上映して見る。そんな初期の精神が失われていった」と語る。「デジタル技術によって映画が容易に作れる時代になり、質が伴わない作品が増えた。上映したいと思える作品がなくなっていった」。ミニシアターの理念自体が揺らいでいるのだ。

京都市南区の京都みなみ会館も9月30日に閉館する。大阪市西区のシネ・ヌーヴォは7月15日から劇場存続のための支援と寄付を募り始めた。景山理代表によると経営の重荷は、デジタル映写機の更新に伴う数百万円のコスト負担。

10年代初めにフィルム映写機に代わって一斉に導入されたデジタル映写機は、どの劇場でも更新期を迎えている。札幌市中央区のシアターキノは900万円を借り入れたうえ、9月からクラウドファンディングで残る470万円を募る。倉本氏、景山氏と共にミニシアターの第1世代である中島洋代表は「ミニシアターの役割は変化している。映画館が選んだ1本をじっくり見てもらう時代はとうに終わった。多様な作品をできるだけ上映し、観客が自分で選ぶ時代になった」と語った。

・・・ミニシアターと聞けば、東京だとちょっとお洒落な感じだが、今池にあったシネマテークは雑居ビルの中にある試写室みたいな感じで、お世辞にもお洒落とは言えない場所ではあった。とはいえ東京でも一年前、ミニシアターの老舗である岩波ホールが閉館。図らずも、ミニシアター閉館ドミノ倒しの起点となった感がある。

確かに、もはやミニシアターが輝きを放つ時代ではないのかもしれない。今の映画は単なる娯楽作品ばかりになり、いわゆる「作家性の強い」作品は余り目に付かなくなった。隠れた傑作、埋もれた名作を見つける「目利き」の出番も無くなりつつあるのだろう。作品を自分で選ぶ時代になったのかも知れないが、「タイパ」という言葉もあるように、大量の作品がビデオや配信で流通する中で、時間を有効に使うため作品を早送りして見る=消費することを強いられるような環境の中で、一つの作品にじっくり向き合う姿勢は失われつつあるように思う。映画館で観るという、経験としての映画鑑賞は否定されつつあるようにも感じる。

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2023年8月20日 (日)

『資本とイデオロギー』邦訳刊行

今月、経済学者トマ・ピケティの著作『資本とイデオロギー』の邦訳が出る。原著の発行は2019年9月。1000ページを超える大著であり、邦訳本の税込み価格もベストセラー『21世紀の資本』の6,050円を上回る、6,930円だあ。おそらく解説本や早わかり本も出るとは思うが、とりあえず3年前のインタビュー記事(仏ロブス紙、雑誌「クーリエ・ジャポン」掲載)からメモする。

格差を作るのは、政治です。経済やテクノロジーが「自然」に格差を作りだすわけではありません。だから、どの社会にも「なぜ格差があるのか」を説明する物語が必要になってきます。

(フランス)革命後に成立した「有産者の社会」では、従来の宗教に代わって、私有財産が神聖不可侵なものとして尊重されました。ただ、私有財産の神聖化が行き過ぎると、問題が始まります。そろそろ財産権の神聖化のステージを抜け出すときです。資本主義を乗り越えていくときが来ているのです。

新著では「参加型の社会主義」の構想を描いてみました。これは労使共同決定を通して実現可能なものです。ドイツでは大企業の場合、従業員の代表が取締役会で議決権の半分を持ちます。私の提案では、この路線をさらに押し進めて、大株主が持てる議決権を、たとえば「10%まで」と上限を定めるべきだとしています。

(私有財産制の否定ではなく、)目標は、財産権の「社会化」や「時限化」を通して、私有財産制を乗り越えていくことです。私有財産制は、それが度を越さないかぎり、正当なものです。しかし政治や経済の権力が一部の人に過剰に集中したり、その権力の集中が長期化したりすることは、避けなければなりません。

私の提案は、毎年、資産に対して累進課税をすることです。フランスの場合、累進資産課税ができれば、現行の不動産税や不動産富裕税はいらなくなります。資産に対する課税では、不動産だけでなく、金融資産にも税をかけます。

ひとことで言えば、この世からビリオネアをなくす仕組みです。

・・・かつて社会主義は「資本家を打倒せよ」と訴えたが、今の社会主義は「ビリオネアの消滅」を目標とする、というところか。

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2023年8月14日 (月)

成田亨と金城哲夫

昨日13日付日経新聞別刷り(NIKKEI The STYLE)で、怪獣の話が特集されていた。タイトルは「怪獣の棲む国」。以下に内容の一部をメモする。

怪獣が愛され続けている理由の一つに、形態のユニークさ、多彩さがある。故・成田亨さんの手による初期ウルトラマンシリーズの怪獣のデザインは、近代アートとして改めて評価が高まっている。成田さんが育った青森市の青森県立美術館は、怪獣などのデザイン原画189点を所蔵する。

いまでは海外からも鑑賞者が訪れる。パブリック・コレクションになったことで異形や土俗といった様々な切り口で他の美術館からも借用依頼が相次ぎ、「美術家・成田亨」は全国に浸透しつつある。

初期ウルトラマンシリーズでは沖縄との関連も語られる。円谷プロダクションで企画部門の責任者を務め、メインライターでもあった故・金城哲夫さんは沖縄県南風原(はえばる)町の出身だった。

金城さんの脚本には正義が悪を退治する単純な勧善懲悪ではなく、怪獣が空や山に帰って行くような物語がある。弱者や異端者、倒される者への優しいまなざし。そこに、苦難の歴史を歩んできた沖縄の思いを重ねる指摘も多い。

仕事をしていた実家の書斎はいま「金城哲夫資料館」として公開されている。ハワイや香港など海外を含め、このウルトラの聖地を訪れる人は後を絶たない。

多くは60歳前後の初期ウルトラマン世代。「影響を受けました、と言って写真に手を合わせたり、涙を浮かべたりする人もいて・・・。ここに来る人たちに兄の偉大さを教えてもらっている」。弟の和夫さん(76)はそう話す。

・・・現在63歳の自分も、まさにウルトラマン「直撃」世代。昭和40年代前半、成田亨と金城哲夫、そして大伴昌司(少年マガジン「大図解」など)の三人が作り出したといえる怪獣ブーム。その熱狂の中に、僕たちはいた。今から思えば、ウルトラマン、その前作のウルトラQは、円谷英二のもとに芸術的才能溢れる人たちが集まり、寄ってたかって作り上げたもので、その内容は「子供向け」のレベルを遥かに超えて、日本の特撮テレビ映画の金字塔になった。そういう熱気と本気の溢れる作品に、子供の頃に出会った僕らは幸福だった。つくづく「怪獣の棲む国」、ニッポンの子供で本当に良かったと思う。

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2023年8月12日 (土)

「明智光秀家中軍法」の「瓦礫沈淪」

本能寺の変の丁度一年前の天正9年6月2日、明智光秀は家中の軍法(軍制)を定めた。その中で光秀は、石ころのような者であった自分は莫大な軍勢を預けられるようになったと述べて、主君織田信長への感謝を示しているとされているのだが、在野の研究者である乃至政彦はその見方を否定する。戦国武将をテーマとするコラム集『戦国大変』から、氏の考察をメモする。

(「家中軍法」の中にある)「瓦礫沈淪」の字句は、光秀研究において有名だ。通説はこれを「私光秀は石ころのような身分でいたのを(信長様に)拾われました」、「だからお前たちの活躍もしっかり報告して出世できるぞ」と言いきかせるための前置きのように説明してきたが、そうではないだろう。

ここにあるテキストは「軍役(動員の制度)」に関する内容である。自分の部下たちに読んで従わせる公式の軍制に、私的な情緒や体験を述べるのは不自然だ。ここは「わが軍が、バラバラになった瓦礫みたいになってみっともないのはよろしくない」という文意で読み、あくまで軍制に関する内容を記しているとするのがよいのではないだろうか。

そもそも「瓦礫沈淪」を説かれているのは誰であろう、光秀の家中に入ったばかりの新参者たちである。光秀は天正8年(1580)に信長から丹波一国を与えられた。光秀の兵員はここで爆増した。光秀が苦楽を共にした古参の者たちに「俺は若い頃から苦労したけれど、信長さまのおかげでここまで大きくなったよ」というなら感涙されるかもしれないが、征服されてその麾下に入ることになったばかりの丹波の侍たちにすれば、「あー、そうですか、よかったですねー」と呆れる思いがするだけだ。甘い昔話をして情緒に訴えるより、「お前たちが石ころみたいにバラバラでいたら、恥ずかしいことになるんだぞ」と厳しく言い聞かせる方が現実的である。

・・・通説的解釈だと、「家中軍法」の中で光秀は信長への感謝を述べていたことになり、一年後の本能寺の変に至る光秀の心変わりが余計に謎めいたものに思えたわけだが、そうではないという話なら、「そっかあ」という感じになる。本能寺の変について、乃至先生は「(光秀は)何の理想もなく、ただ勝算の有無だけによって挙兵した」と見ている。結局、そんなもんかもしれないなあ。

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2023年8月11日 (金)

「天下布武」印判の謎

織田信長の「天下布武」印判は、天下統一の意思を示したものとして知られている。でも本当にそうなの?と疑問を示すのは在野の研究者、乃至政彦。戦国武将をテーマとするコラム集『戦国大変』から、氏の考察をメモする。

織田信長の印判《天下布武》の解釈が揺れている。これまでこの印判は「天下に武を布く」と読まれ、「日本を武力で統一する意思表示だ」と評価されてきた。

だが、従来説だとおかしいことがある。信長はこの《天下布武》の印判を、上杉輝虎や小早川隆景など、ほかの群雄への書状にも使っているのだ。これだと受け取った大名が警戒する恐れがある。多くの識者が頭を悩ませてきた。そこからひとつ有力な説が生まれた。「《天下布武》とは、信長が五畿内(天下)に幕府を再興する(布武)という表明だ」という新解釈である。

そもそもの話をしよう。「みんな信長の印判の意味を、そこまで深刻に考えてどうするの?」と思っている。まず信長時代における戦国大名の印判をよく見渡してほしい。そこに自分の政治目的または公約をはっきりと言葉にして書き記した大名が、ひとりでもいるだろうか? 私は思い浮かばない。(武田信玄の「龍のイラスト」、上杉謙信の「軍神の名前」等々)

政治理念を明確に主張するものは見当たらない。戦国大名には、印判をそんなことに使う発想自体がなかったといっていいだろう。それなのになぜ信長の印判だけ、そのように解釈するのだろうか。

信長の《天下布武》は、信玄の龍朱印と同じく、カッコいいから選んだのだろう。印判にスローガンが刻まれることはない。原則、デザインが優先である。たしかに当時の信長には幕府再興の志があった。しかしそんなものがなくてもこの印判を使っただろう。

・・・印判を使い始めた後の信長の行動から見て、「天下布武」もスローガンであると捉えられてきただけで、実はたまたまデザイン的に採用しただけだった、ということかと思う。この観点から考えると、歴史博物館等で販売されている「天下布武」Tシャツも、信長の意図に適ったアイテムなんだろうな。

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2023年8月 5日 (土)

ちくさ正文館書店の閉店

7月末で、ちくさ正文館が閉店してしまった。人文・芸術書に重点を置いた棚(品揃え)で知られていた書店だ。何というか悲しみとも悔しさともつかない気持ちになる。でもその感情が強いとも言えないのは、やはり「書店」も「人文学」も困難な状況の中にある、そういう時代の流れには逆らえなかったか、という諦めに近い気持ちもあるからだろう。とはいえ個人的には、何かもう名古屋にいる意味もあんまり無くなったかな、くらいには思っている。

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