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2023年6月24日 (土)

人生は楽しまなければ損?

無敵の老後』(勢古浩爾・著、大和書房)から、以下にメモする。

なぜ生きているのか。楽しい人生をおくるために、という答えをわたしは否定しない。けれどこの答えは、口に出した途端、じつに愚劣極まる答えにしか思えないのである。なぜ生きるのか、という問いがそもそも愚劣である。「さあ?」というしかない。

人生は楽しいか楽しくないか、で測る以外に、損か得かを基準にする考えも執拗に存在する。楽しいと損得を合体させて、「人生は楽しまなければ損だ」という人がいる。大概、枕詞としてその前に「人生は一回限りなんだから」というのがつく。わたしが最も嫌いな考え方である。

楽しまなければ「損」? なにを「損」したのというのか。人生は損得勘定ではない。

・・・確かに「楽しく生きたい」とか言われても、全面的に賛成するのは躊躇いがある。楽しむことに文句は言わないが、それだけだとちょっとどうかなという感じ。「幸せになるために生きる」という人もいる。これも分かるけど、それでも何というか単純明快すぎると感じる。幸せとは、おそらく人生の目標とするべき或る状態ではなく、誰かと何かを共有できたという実感、それを日々の中で感じる時間が少しでもあれば幸せ、という程度の話ではなかろうか。

人生は損得ではない。これも、もっともだと思う。しかし、人生は楽しまなければ損だ、という言い方は半分シャレみたいなもので、目の敵のようにして噛みつく程のものでもないような。たぶん、もう少し正確に言い直せば、人生は楽しまなければ勿体ない、ということではなかろうか。そう考えれば「人生は一回限り」という「枕詞」も、より切実に響いてくる。

まさに人生は一回限りの機会である。おそらく人は心の奥底で、人生は稀なる機会であることを、よくよく了解しているのではないか。だからこそ人生に意味が無いとしても、ただ生きるよりは、やはり意味のある人生を送りたい、よく生きたいと、ジタバタするのだろう。

ところで私にとって、勢古さんは「毎日21世紀賞」受賞者の「先輩」である(お会いしたことはないけれど)。受賞後の勢古さんは、この30年間に次々本を出して大活躍である(よくそんなに言いたいことがあるなあ)。年齢は丁度一回り上の亥年なので、秘かに人生の「先行指標」にさせてもらってます。

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2023年6月18日 (日)

子を持つ=人生の意味?

子供を持たない人に、人生の意味はあるか。日経新聞電子版6/16発信、生命哲学を研究する森岡正博・早稲田大学教授のインタビュー記事からメモする。

人類は古代から世界中でそれ(人生の意味)を考えてきた。最近では20世紀中ごろにフランスのサルトルらが「実存主義」という観点から、社会の中で生きる意味を問いかけ、学生運動などに大きな影響を与えた。その後やや下火になっていたが、この10年ほどまた、「人生の意味の哲学」が活発になってきた。

人は大きな流れの中に位置づけられると意味を感じやすいというのは、共感する人も多いのではないか。祖父母、親、自分、子供、孫というような血筋の流れに組み込まれることは人生の意味になるという考えだ。ただ、それに反対する考えもたくさんある。

哲学というのは結構極端なことも含め、理詰めで考える学問だ。哲学の次元で話をすれば、本来は「なぜ少子化を解決しなくてはいけないのか」という問いがあってもいいはずだ。日本人が減っても、他の国が栄えれば人類としてはそれで構わないのではないか。また人類はそもそも存在すべきなのか。急な変化は困るかもしれないが、ゆっくりとなら人類は消滅してもいいのでは。そう考えることもできる。人類は消滅しても構わないという話に比べれば、個人の(産む産まないといった)実存的な悩みは目の前が真っ暗になるほどの話じゃないな、とも思える。

人生の意味の考え方は多種多様であり、哲学者たちも人生の意味の哲学という分野をいま作っているところだ。

・・・人間に、これだという本質は無い。人間は、自分で自分を作る実存だ。「実存主義」の流行は遥か昔のことだけど、たぶん現代人は自分で意識するしないに関わらず、「実存主義者」なのだと思う。最近は「自分らしく」生きる、などと割と簡単に言うのだが、要するに自分の人生の意味は自分で作るしかないと、今では誰もが了解しているのではないか。であれば、子供を持つことを自分の人生の意味とするのもしないのも、当人の考え方次第ということになる。

もちろん意味が無くても、生きていくことはできる。しかし、なぜかそれでは満足できない、つまらない、空しいと感じる自分がいる。けれども、空しいと思うことを前向きに理由付けすれば、人間はただ生きるのではなく、よく生きることを求めているからだ、と考えてもいい。よく生きる。何だか古代ギリシャ哲学に戻る感じだが、結局そういうことなのかな、と思う。

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2023年6月12日 (月)

石川数正が歴史を作った(かも)

徳川家の重臣として外交を担った石川数正。羽柴秀吉の下に走った謎の出奔により、豊臣政権から江戸時代に続く歴史が作られた、と評するのは作家の加来耕三。日経ビジネス電子版6月9日発信記事からメモする。

天正12(1584)年「小牧・長久手の戦い」後の羽柴秀吉と徳川家康との和睦交渉では、秀吉はその条件として、家康に「息子を人質に出せ」と言ってきました。家中は全員大反対です。これに数正は、周りから疑念の目で見られながらも、正論を吐きます。「ぶつかれば最終的には、徳川家は潰される。ここは妥協すべきだ。於義伊(おぎい、のちの結城秀康)様は人質に出すのではない。養子に出すのだ」と、家中が納得できる案を絞り出して、なんとか事を納めたのでした。

秀吉は今度は、家康を自分のもとに呼び寄せて、臣下であることを承諾させようと画策します。家康が出てこなければ、秀吉は今度こそ、実力で家康を潰す気でいました。ところが家康は、いつまでたっても、いっこうに現われません。間に挟まれていたのが数正です。そして天正13(1585)年の11月13日、52歳、あるいは53歳になっていた石川数正は、突然、家族と数百人の家来を連れて、秀吉のもとに走りました。

秀吉が討つ気になれば、もう徳川家はお手上げです。どうすればこの局面を脱して、家康を助けられるのか。数正が出した結論が、自分が秀吉のもとに出奔すること、だったのではないでしょうか。徳川家の内情を熟知している数正が秀吉側に走れば、徳川はもう秀吉と戦うことができません。

こののち天正14(1586)年5月、秀吉は、実の妹・朝日姫を正室として家康に差し出し、さらに10月、秀吉は生母の大政所(おおまんどころ)を朝日姫の見舞いとして岡崎に送りました。家康も、ここまでされては秀吉の臣従要求を拒みきれず、ようやく大坂城へ出向きました。

これにより、豊臣政権が成立しました。豊臣政権下で家康が潰されることもなく、のちに265年間の徳川時代にもつながりました。出奔という数正の苦渋の決断があって、現代に続く日本の歴史がつくられた、と言っても過言ではありません。

・・・石川数正の捨て身の決断により、秀吉と家康の全面衝突は回避された。秀吉の死後、日本が戦国時代に逆戻りしなかったのは、家康が生き残っていたからこそである。数正の出奔は、結果的に「徳川の平和」を招き寄せた。そう考えると、数正の行動がその後の日本史の展開を決定づけたと見ても、おかしくはない。

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2023年6月 2日 (金)

藤井聡太、20歳の将棋名人誕生!

将棋の藤井聡太棋士が最年少の20歳で名人となったことを受けて、21歳名人の記録保持者である谷川浩司17世名人は、次のように述べた。「40年前の言葉をもう一度使わせていただくと、中原誠16世名人からお預かりした最年少名人の記録を、無事、藤井新名人にお渡しできた、という心境です」。

40年前の1983年、谷川が名人を奪取した相手は加藤一二三(現「ひふみん」笑)。その前年、加藤は中原誠を破って悲願の名人位に就いていたが、結果的には一年でその座を明け渡した。谷川は名人位が初タイトルで、まさに「光速」というか、名人一直線の道のりだった。中原の24歳名人の記録を更新した21歳の谷川名人は、「一年間、名人位を預からせてもらいます」と語った。この辺りが、今回のコメントに反映されているのかと。

谷川は翌年、名人位の防衛に成功。この時は「弱い名人から並みの名人になれました」というセリフを残している。そして次の年は、中原が名人戦の舞台に3年ぶり登場。谷川が敗北して中原の名人復位が実現した、という流れ。なので、もし中原が加藤に敗れていなかったら、つまり谷川の相手が中原だったら、21歳名人は生まれていただろうか、などとちょっと思ったりする。

でもとにかく40年間も破られなかった記録なので、それはそれで凄い。当時の名人位の重みは格別だった。今は竜王と名人は同格らしい(賞金の額という身も蓋もない話)ので、名人戦の方はとりあえず「伝統のある」とか形容されているが、オールドファンから見ればやっぱり将棋は名人だよな、竜王は十段(前身の棋戦)なんだから、とか思ったりする。

とにかく最年少名人、そして七冠を達成して、次は八冠というのは、もはや無敵の藤井君の既定路線としか思えない。まさに異次元の天才。全くもって「異次元」という言葉は、藤井君のためにある。

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