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2023年4月15日 (土)

人生に効くカミュの本

『文藝春秋』5月号で「私の人生を決めた本」を開陳する56人のうち、カミュの『シーシュポスの神話』を挙げている方を2名発見。山根基世氏(フリーアナウンサー)と庄司紗矢香氏(ヴァイオリニスト)。最近の日経新聞(2/4付)の読書欄でも、藤野英人氏(レオス・キャピタルワークス会長兼社長)が同書について語っていた。お三方のカミュ評を、以下にメモする。

神々の怒りをかったシジフォスは、間断なく岩を山頂に運び上げるという刑罰を科せられる。山頂に達すると、岩はその重みで又転がり落ちる。再び運び上げる。永劫に続くその繰り返し。全身全霊で運び上げても決して達成することのない労働。だが、それを承知でなお、自分の意志で一歩一歩岩を運び上げるシジフォス。無駄に思えるその一歩にこそ意味があると、私は受けとめ深く頷いた。(山根氏、書名は『シジフォスの神話』表記)

自分の頭で考えて理解できない事に同調はできない。『シーシュポスの神話』は、何も日本に限らず、同調を重んじる「社会」で生きていくことの困難に対し、逃避せず、真実を熟考し、疑問を凝視する勇気をくれた本だ。(庄司氏)

カミュの『シーシュポスの神話』が示す通り、賽の河原で石を積み上げているのが人生です。目標に達したと思った瞬間、スタートに戻る。無限の罰を生きることこそが無限の命であり、徒労の中に輝きがあるのだと思います。(藤野氏)

・・・今年はカミュ生誕110年。最近はコロナ禍で小説『ペスト』が読まれた、なんてことも思い出される。カミュの文学のキーワードは「不条理」とされるが、哲学的エッセイである『シーシュポスの神話』で語られるのは、不条理な世界と無意味な人生に立ち向かう覚悟、というところか。

カミュやサルトルの「実存主義」文学の流行は遠い昔のことではあるが、最近世の中で、何かにつけて「自分らしく」生きるとか言われるのを見聞きすると、何となく今はライトな実存主義の時代なのかな、と思ったりする。

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