「交換」を生み出す「謎の力」
先頃、「バーグルエン哲学・文化賞」を受賞した柄谷行人。何でも「哲学のノーベル賞」との触れ込みで、賞金も100万ドルという破格の金額。文芸評論家から出発し、80年代には現代思想ブームの一翼を担った柄谷氏は、今や大思想家になったのだなあ。近年、柄谷氏は「交換」という視点から社会システムの歴史を分析。以下は、『文藝春秋』4月号のインタビュー記事からのメモ。
現在の世界は、貨幣による市場経済(交換様式C)によって立つ資本主義、そして国家(交換様式B)の二つが巨大な力を持っています。そのため、互酬交換(交換様式A)の力が非常に弱くなってきている。
ただ、この資本主義と国民国家が大きな力を持つ近代以降の世界(「資本=ネーション(国民)=国家」)は、そろそろ限界に近づいているのではないかと私は思っています。
一方、私が未来の社会として考える交換様式Dというのは、A(贈与と返礼)が高次元で実現される、つまり共同体的拘束はないけれども、助け合いがあるような、自由で平等な社会です。
マルクスは〈交換は共同体と共同体の「間」で始まる〉と書いています。つまり交換とは共同体の内部ではなく、本来、見知らぬ不気味な他者との交換であり、それが成立するためには相手に交換を強制するような「力」が必要なのです。
最近になって気がついたのですが、私は、文芸評論や哲学的エッセイ『探究』を書いていた若い頃から、ずっと交換の問題を考えていたんですね。たとえば、言語の問題に取り組んでいたときも、言語によるコミュニケーションを、一種の「交換」としてとらえていた。
コミュニケーションとは、お互いを見通せない中でなされる不透明なもので、それが成立するにあたって、個人の意識を超えて「人間を突き動かす謎の力」が働いている。私はこの「謎の力」を考え続けていた。そして、その鍵は常に「交換」にあった。
・・・80年代に浅田彰や岸田秀が広めたポストモダン的人間観として、「ホモ・デメンス」(狂ったサル)という考え方がある。人間は狂っている(本能が壊れている)からこそ、秩序を求める生き物である。とすれば交換を成立させる力とは、秩序への意志なのではないか。ニーチェの言うアポロとディオニソスみたいだけど。
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