「帝国」と「帝国主義」
1990年頃から、世界戦争は不可避的であると柄谷行人は考えていたという。『文藝春秋』4月号掲載のインタビュー記事からメモする。
その時期、ソ連の崩壊によって冷戦が終結し、世界は民主化するという「歴史の終焉」という説が話題になりましたけど、私はそれに反対でした。終ったのは、先ず、二十世紀後半に成立したアメリカの覇権です。要するに、この時期に終ったのは、第二次世界大戦のあとの均衡状態であり、その後に生じるのは、世界大戦の反復です。
私は以前に、『帝国の構造』という本で、帝国主義とは異なる「帝国」について書きました。たとえば、ペルシア帝国、ローマ帝国、モンゴル帝国ほかの帝国では、異なる民族が、お互いのアイデンティティーを保ったまま、平和的に共存できた。
私は、帝国と帝国主義を区別したい。帝国は古代と中世にあったものであり、帝国主義は、資本主義以後に生じたものにすぎないのです。そして、帝国主義は、帝国を否定するものです。
帝国は、遊牧社会にあった、国家や部族による差異・区分を超えて生きる思想を受け継ぎ、多数の民族・国家を統合する原理を持つにいたった。それに対して、近世以後の国民国家には、このような原理がない。したがって、自国中心主義、そして、民族紛争に傾きやすく、国家間の戦争が避けられないのです。
私は『世界史の構造』でも、旧帝国は近代以降の帝国主義とは異なると書いています。その意味で、今のアメリカやロシア、中国は帝国的ではないが、帝国主義的なのです。
・・・もうだいぶ前になるが、国家という枠組みを超えて運動するグローバル経済が生み出す秩序を「帝国」と呼ぶ議論があった。そして、その秩序の中心にあるのは、アメリカという国家であると言って良かった。しかしグローバル経済は、アメリカ国内にも格差と分断を生み出し、トランプ前政権は自国優先主義的な動きを強めた。その一方で、グローバル経済の恩恵を受けて世界第2位の経済大国となった中国も、自国中心主義的な振る舞いを拡大させている。アメリカと中国、そしてロシアの「帝国主義」的な動きが、グローバル経済=「帝国」秩序の危機を招いていると言ってよいだろう。
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