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2023年1月 6日 (金)

川崎大師は「初詣」のパイオニア

今夜の「チコちゃんに叱られる」で「お題」の一つだった「初詣」。大分以前から一部メディアで取り上げられていたネタではあるが、NHKの力で、今後さらに「常識」として広がるのかな。自分が以前メモしたことを改めて記してみる。

◆2006年12月30日付日経新聞記事からのメモ
 研究者によると、いまのような初詣は明治時代以降の習慣だという。国立歴史民俗博物館教授の新谷尚紀さんは、日本古来の正月について「元日は家族そろって家にこもり、年神(歳徳神)がやって来るのを静かに待つのが習わしだった」と説明する。年神とは一年の幸福を年初にもたらす福の神だ。こうした正月の習わしが初詣に変化する過程で、三つのポイントがあった。
 最初は江戸時代後期の19世紀。年神のいる方角を「恵方」といい、毎年変わる。その年の恵方にある寺社に参拝する「恵方参り」が、町の庶民の間で流行し始めた。
 第二のポイントは明治時代に鉄道ができたことだ。郊外の寺社に足を伸ばせるようになった。川崎市の川崎大師は1872年、新橋―横浜間に鉄道が開通したことで、東京からの参拝者が増えた。初詣という言葉が新聞で確認できるのも、明治中期から。川崎大師関連の記事がほとんどという。明治中期以降は、各地で民間鉄道が相次ぎ誕生。
 そして第三のポイントは、この鉄道が沿線の寺社への初詣を広告に使い、集客に利用し始めたことだ。関西では1907年12月に南海鉄道が、1908年1月には阪神電気鉄道が新聞広告で初詣を活用。関東では1909年12月に成田鉄道が新聞広告を出している。

◆「明治期東京における『初詣』の形成過程」論文
(平山昇、雑誌「日本歴史」2005年12月号)の要旨
 明治期を通じて東京の市街地における正月参詣は、初縁日参詣と元日の恵方詣が中心だった。ところが、東京南郊にある川崎大師平間寺では、縁日・恵方にこだわらない元日参詣、後に「初詣」と呼ばれる新しい参詣が盛んになる。
 明治5年6月、我が国最初の鉄道路線(品川―横浜間)の途中に川崎停車場が設けられてから、川崎大師も次第に東京の人々の恵方詣の対象となっていった。しかし、川崎大師が東京市内の諸寺社と異なっていたのは、恵方に当たっている年もそうでない年も(要するに毎年)、元日に大勢の参詣客で賑わうようになった事である。
 川崎大師はいちはやく鉄道によるアクセスを得たことによって、汽車に乗って手軽に郊外散策ができるという、東京市内の諸寺社にはない行楽的な魅力を持つ仏閣となった。そして、特に明治20年代に、縁起よりも行楽を重視する参詣客が増えるなかで、この行楽的魅力に惹かれて川崎大師に参詣する者が増え、毎年恵方に関わらず元日に参詣客で賑わうという「初詣」が定着したと考えられる。

・・・「チコちゃん」では、「初詣」は「京急電鉄」が強力推進したものと強調されていた。まあとにかく、江戸時代の寺社参拝は既に行楽的性格を帯びており、明治に入ると鉄道の発達が寺社参拝の行楽化を加速させた。ということで、「初詣」は近代的習慣なのだなあ。

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