「ブラッディ・メアリー」
日経新聞毎週土曜日掲載「王の綽名」、執筆者は作家の佐藤賢一。本日分はイングランド女王メアリー1世、「ブラッディ・メアリー」。以下にメモする。
どうして「血塗れ女王」かといえば、283人ものプロテスタントを処刑したからである。西欧の16世紀、それは宗教改革の時代だった。キリスト教の教団組織は、従来ローマ教皇に従うカトリックだけだったが、そこからプロテスタントが分かれた。
メアリー1世の父はイングランド王ヘンリー8世である。母がカタリーナ王妃で、こちらはスペインの「カトリック両王」の末娘だ。父王には男子に後を継がせたい思いもあった。あるいは若い愛人、アン・ブーリンに結婚をせがまれたのが先か、とにかくローマ教皇クレメンス7世に王妃との結婚の無効取消を申し立てた。それが認められないとなると、イングランドはプロテスタントの国になると宣言、1534年に国教会なる新たな教団を設立したのだ。
アン・ブーリンはといえば、王の期待通りに妊娠したが、生まれたのが女子のエリザベスだった。最後まで男子は生めず、あっさり処刑されてしまう。次の王妃がジェーン・シーモアで、ようやく男子が生まれた。が、そのエドワード王子が病弱だった。47年にエドワード6世として即位したが、やはり身体が弱く、僅か15歳で死没した。53年の話だが、このとき陰謀家ノーサンバランド公が、ジェーン・グレイという王家の親族を女王にせんと試みたが、うまくいくはずがない。メアリーが即位したが、新女王にすれば、今こそ復讐のときである。
メアリーはイングランドにローマ教皇の教会を復活させたのだ。従わないプロテスタントの指導者らを処刑したのも一環である。それで綽名が「血塗れ女王」だが、ちょっと待て。
殺した283人を少ないとはいわないが、それをいうならヘンリー8世やエドワード6世もカトリックを弾圧した。なかんずく多くを処罰したのが次のエリザベス1世だった。58年、メアリーの没後に即位すると、この妹はイングランドを再びプロテスタントの国にしたのだ。メアリーが恐ろしげにも「血塗れ女王」と呼ばれるのは、実はエリザベスの時代からなのだ。
・・・「宗教改革」が西欧社会の中に生み出した激しい対立は、殺し合いにまで至る。日本人にはどうにも不可解である。妻を処刑するヘンリー8世の残酷、「怖い絵」で知られているであろうジェーン・グレイの最期(処刑)も悲惨。16世紀イギリスは、いろいろ怖い。
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