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2022年12月30日 (金)

歴史の「終焉」ではなく「反復」

「週刊文春」新年特大号に、柄谷行人と池上彰の対談記事が載っている。近年、柄谷は「戦争が起こるだろう」と、たびたび指摘していたとのこと。以下は柄谷発言のメモ。

今世紀に入ってから、遠からず戦争になるだろうと思っていました。ソ連が崩壊したとき、「歴史の終わり」だと言われたけど、僕が考えたのは、歴史は繰り返すということ。資本、ネーション(国民)、国家が残っている以上、歴史に終焉はなく、反復があるだけです。実際1990年代以後の世界史は別に新しいものではなく、二度の世界大戦までの帝国主義の時代の反復でしかありません。

・・・歴史は繰り返す。あるいは韻を踏む。現在起きていることは、帝国主義の時代の単なる「反復」なのか。あるいは一つの時代の終わりなのか。

多く目にする意見は、グローバル化の「終焉」である。冷戦終結以降30年続いた経済のグローバル化の流れが終わったという認識だ。もちろんそれが完全な終わりなのか、大きな流れは変わらずに続く中の、一時的な休止あるいは巻き戻しなのかは、現時点では判然としない。

冷戦の終結は、自由な民主主義の勝利を示している、というのが「歴史の終わり」という言葉の含意だった。しかし30年後の今、民主主義はポピュリズムの波に洗われ、権威主義の挑戦を受けている。

グローバル経済は格差を生み、それが社会を分断し、民主主義国を弱体化させていると言われる。その一方で権威主義国はグローバル経済の中で力を伸ばし、エネルギー供給国の地位を確立したロシアは戦争を始め、世界第2位の経済大国となった中国は台湾併合を虎視眈々と狙っている。民主主義国の国家のかたちが揺れ動く一方、権威主義国のまさしく国家主義的な振る舞いが、世界的な激動を招いている。

グローバル化が終わったのかどうかはさておき、過去30年続いた経済優位の時代が大きな曲がり角を迎え、あらためて国家について考えなきゃいけなくなってるように思う。

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