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2022年8月15日 (月)

問題は二項対立か相対主義か

新著『現代思想入門』が好評の哲学者・千葉雅也と、80年代に『構造と力』で現代思想ブームを巻き起こした浅田彰。両者の対談記事(今なぜ現代思想か)が『文藝春秋』9月号に掲載。以下にメモする。

千葉:今度の拙著の中でも資本主義が発展していく中で、価値観が多様化し、共通の理想が失われた時代、それがポストモダンの時代だと説明しています。そんな時代に生まれた現代思想は、「目指すべき正しいもの」がもたらす抑圧に注意を向け、多様な観点を認める相対主義の傾向がある。しかし現在、世間を見渡すと、相対主義を斥けて、何でも二項対立で考える風潮が高まっている。白か黒か、善か悪か。だからこの本では、そもそも、なぜ二項対立が生じているのか、状況を俯瞰して冷静に考える知性こそが重要だと書いています。
浅田:多文化主義という表層の背後のグローバル資本主義がすべてを支配する状況になり、儲かるかどうか、役に立つかどうかのプラグマティックな〇✕式思考が広まってしまった。80年代初頭に僕が考えていたのは、旧左翼や新左翼の失敗を清算することで、かえってマルクスを初めとする左翼思想を自由に読み替える可能性が出てきたということだった。ところが実際には、左翼はすべて✕、資本主義が〇という方向に動いてしまったんですね。だからこそ、ドゥルーズとガタリの共著『アンチ・オイディプス』などにヒントを得ながら、資本主義から逃走するための地図を描きたかった。それが『構造と力』や『逃走論』に結実しました。旧左翼・新左翼のように資本主義を批判するより、資本主義の大波に乗りながら、微妙に方向をずらして新しい空間に向かうこともできるんじゃないか、と。
千葉:ただ、『構造と力』が出た時代は資本主義や左翼思想など、打ち破るべき強固なドグマや権威があったわけですよね。今の時代は戦うべき強固な相手がいなくなってしまったのが実情です。
浅田:1980年代初頭には、「右手に朝日ジャーナル、左手に平凡パンチ(左手に少年マガジンでもいい)」という形で教養主義が辛うじて生き残っていた。それがなければ『構造と力』もブームにならなかったかもしれない。
千葉:権威的な知と、ポップカルチャーの融合ですね。ところが、時代を経て権威的な知が批判され尽くすと、もはやぶつかるべき相手もいなくなり、すべての教養やカルチャーがフラット化してしまう。
浅田:相対主義的多文化主義の背後には、価格だけが唯一の尺度というグローバル資本主義があるわけですね。
千葉:多様性とは言っても、資本主義のもとで消費される商品として展開しているだけなんですね。
浅田:その種の相対主義が蔓延して、教養が衰退していったんだと思います。

・・・千葉先生の本を読んで、浅田先生から40年、現代思想もずいぶんこなれた感じになったものだなーという感慨を抱いた。さて、相対主義の別名はリベラル化、と言えるかもしれない。しかし、人は自分の自由は認めても、他者の自由は簡単には認めない傾向があるように思う。なので寛容であること、その余裕を持つこともなかなか難しいようであるし、逆に言うと、そういう余裕の無さから二項対立というか、「分断」が発生するという面もあるのかも、と思ったりする。

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2022年8月14日 (日)

アメリカ・サブカルチャーの歴史

最近、NHKBS番組『世界サブカルチャー史 欲望の系譜』アメリカ篇の1950年代から2010年代まで通して観た。70年代から90年代までの部分が本になって出ていた(祥伝社発行)ので、以下に90年代について語られる部分からメモする。

90年代のアメリカを表現する用語のほとんどには「ポスト」という接頭辞が使われていました。ポスト・産業(工業)社会、ポスト・フェミニズムの男女関係、ポスト・モダンの文化・・・すべてのことがポスト、ポスト、ポストだったわけです。ただし、それが何かの「あと」であることは分かっても、それが何であるのかを人々が分かっていたわけではありませんでした。(ブルース・シュルマン、歴史家)

90年代というのはまったく新しいものが生まれた最後の時代だったように思います。音楽も映画も文学も、すべてのカルチャーにおいて、世代を通して影響を与えうる大きなスケールと芸術性が同居するような作品は、どんどん少なくなってきているのが現実です。もはや、マイケル・ジャクソンは現れそうにない。90年代とは、みんなが同じものを見ていたと回顧できる最後の時代なのかもしれません。(カート・アンダーセン、作家)

・・・番組シリーズを通覧して了解したのは60年代末以降、カウンターカルチャーとして発展したサブカルチャー(番組では主に映画と音楽)は、やがてその熱気や勢いやエネルギーを失い、「産業化」「商品化」していくプロセスを辿ったということだ。おそらく、カウンターカルチャーとしてのサブカルチャーが終わりを迎え、多くの人々に影響を与えるようなパワーのある作品も出てこなくなったのが90年代、ということになるのではないか。

シュルマン教授は、1970年代のアメリカは多くの歴史学者から「空白」の時代と評価されているが、実はアメリカと世界が今日に至る種がまかれた、非常に重要な時期であると考えている。またサブカルチャーの観点から見れば、68年から84年までが「70年代」である、とも語っている。自分と同じ1959年生まれの教授の話は、どれもこれも腑に落ちる。

番組で紹介された70年代の映画、ゴッドファーザー、ジョーズ、未知との遭遇、ロッキー、ディアハンター、サタデーナイトフィーバー、クレイマークレイマー、タクシードライバー、地獄の黙示録、スターウォーズ等々は、いずれも時代を代表する作品と言えるし、娯楽作品といえども骨太な印象がある。今にして思えば、映画がとにかくパワフルだった時代に、自分は多感な(笑)ティーンエイジャーとして生きていたということだ。密かに感謝しよう。

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2022年8月12日 (金)

若者への不平不満は万国共通

洋の東西を問わず、若い世代に対する不平不満は万国共通のようである。本日付日経新聞掲載のフィナンシャル・タイムズ紙コラム記事(執筆者はコラムニストのピリタ・クラーク)から、以下にメモする。

働き方がコロナ禍前の通常の形に戻るに従い、筆者は甘やかされて育ち、責任感が薄く、何事にも無関心になりがちな20代の部下について、数えきれないほどの不平不満を多くの管理職の人から聞いてきた。その多くは30代後半から40代のマネジャーだ。どんな不満なのか、いくつか紹介しよう。

ある投資会社の幹部は若い従業員に、顧客が来社する時は出社しているべきだと伝えたところ、指摘はありがたいが自分はこのまま在宅勤務を続ける方がよい、という返答が返ってきて困惑したという。
別のテレビ局の幹部は若いスタッフに、本社から離れて長時間の撮影をしなければならない場合は、勤務時間を短縮してほしいと言われたという。
また、あるコンサルタントは若い部下に、顧客との会議や打ち合わせのために、海外出張をするのはもう嫌だと言われたという。そんな打ち合わせはオンラインでできると言うのだ。あるフィナンシャルアドバイザーは、重要なオンラインで開かれた社内会議に参加はしたが、自分の顔を映し出すカメラをオフにしたまま、一言も発言しない若い世代に腹を立てていた。

これらは単に聞いた話にすぎない。世の中には「若い世代は甘い連中が多い」という根拠のない思い込みが結構ある。ただ、最近、若者に対する不満があまりにも多く、かつその不満には共通点があることから、何か新たな要因が浮上しているのではないかと考えたりもする。

世代についての研究者であるエリザ・フィルビー博士は筆者の取材に対し、コロナ禍によって20代と30代や40代との考え方やものの見方の違いが一段と顕著になった、と指摘した。特に働き過ぎだったり、働き過ぎて燃え尽き症候群みたいになっていたりする30代、40代を見て、若い世代が上司に対し「なぜそんなに一生懸命働くのか。それだけ働いて、一体何を手に入れることができたのか」という疑問を持っても不思議ではない、ともフィルビー氏は指摘した。

では、若者にどう対応すべきなのか。フィルビー氏はこう助言する。まず20代の若者の言い分をよく聞いて、質の高い訓練を与えよ。しかし、いかなる状況でも、彼らの気まぐれな要求をいちいち聞き入れてはならない。なぜなら「彼らの生活まで支援するのが会社の役割ではないからだ」。

・・・質の高い訓練には、社会性の訓練も含めた方が良いのではなかろうか。

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