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2022年6月27日 (月)

しょうけい館

昨日、東京・九段下にある「しょうけい館」(戦傷病者史料館)を訪ねた。(気候はほぼ梅雨明け状態の猛暑日)

九段郵便局の近く、路地を入ったところにある建物。入り口には、おお、水木しげるの画が。戦争中、南方の島のジャングルの中をさまよい歩く、左腕を失いマラリアでふらふらの武良茂(本名)を描いた「自画像」。なるほど水木しげるは傷痍軍人、それも超有名な傷痍軍人なのだった。

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館内に入ると、1階にも水木しげる関係の展示が。「武良茂(水木しげる)の人生」のタイトルで、戦争中の水木しげるの従軍経験を物語る個人資料などが展示されている。
水木サンは昭和18年に21歳で召集されて、南方のニューブリテン島(ラバウル)に派遣。部隊は全滅し、爆撃で左腕を失い、マラリアに苦しめられるという悲惨な目にあいながらも、胃腸の調子はすこぶるよく、現地人トライ族から食べ物を分けてもらったりしていたという。笑ってしまう。終戦時には、島に永住のために戻ることをトライ族と約束して、水木サンは日本に帰国した。後に、土人の生活は一番楽しい生活ではないか、と語っている。やっぱり何か人間離れしているなぁ。

ついつい水木しげるの戦争体験に目が向いてしまうわけだが、2階の常設展の内容も充実している。なかでも野戦病院の情景を等身大の人形を使って再現しているジオラマコーナーは結構悲惨な感じの仕上がりで、音声も出せるようになっているのだが、聞いてみようとは思わなかったなぁ。

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2022年6月23日 (木)

「もはや昭和ではない」

昭和31年(1956)、つまり終戦から11年経って、「もはや戦後ではない」と宣言したのは経済白書。そして、昭和が終わってから30年以上が過ぎた今年、令和4年(2022)の男女共同参画白書は「もはや昭和ではない」と(あらためて?)表明した。本日付日経新聞記事(白書が示す家族像の移ろい)からメモする。

先週、政府が閣議決定した2022年版の男女共同参画白書に貫かれている考え方は「もはや昭和ではない」だ。令和になっても昭和を引きずっている人は意外に多い。

アンコンシャス・バイアス(無意識の思い込み)の代表例は「男は仕事、女は家庭。女性は閑職でいい」と思い込んでいる経営者や政治家など男性指導層だ。これが女性の働き方に悪影響をおよぼしているなら正さねばならない。

昭和時代に基礎が固まった社会保障・税制の多くが「結婚して子供をもつのが当然」「夫婦と子供2人が標準世帯」などの規範を前提に設計された。当時は多数がこの規範を共有していた。

アンコンシャス・バイアスの多くも、高度成長期を経て芽生えたとみてよかろう。高度成長期が安定の時代だったからこそ型にはまった家族像が受け入れられやすかった。

白書は客観的でユニークなデータを集め、丹念な分析に力点をおき、根拠にもとづく政策立案につなげることを提案している。昭和を引きずる指導層に対し、思いこみを排せよと呼びかけているようだ。

※データの一例、昭和60年(1985)⇒令和2年(2020)の比較
婚姻件数:73.6万⇒52.6万
離婚件数:16.7万⇒19.3万
男性の50歳未婚率:3.7%⇒25.9%
単身世帯数:789万⇒2,115万
共働き世帯数:722万⇒1,240万
専業主婦世帯:952万⇒571万

・・・記事は、「今年の白書は、とくに昭和世代にとって一読の価値がある」と結ぶ。しかし、高度成長期に完成した制度的な仕組みが、時代の急激な変化に合わなくなり、相当な修正が求められていることは、かなり以前から、それこそバブル崩壊の頃から議論されていた。にも関わらず、現実の改革の歩みは遅々としたものに止まった。21日付の日経新聞では、民主党政権下の「社会保障と税の一体改革」合意10年を経た現状について、「与野党を超えた社会保障分野の改革機運はしぼんだままだ」と伝えている。今回の参院選でも、野党の多くが消費税の減税を「公約」に掲げているのを見ると、何だかなあという感じになるのだ。

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2022年6月12日 (日)

「メフィラス構文」

公開中の映画「シン・ウルトラマン」観客動員200万人突破を記念して、ただ今入場者に「メフィラス構文ポストカード」配布中(全国合計50万枚限定)。3種類あるとのことだが、とりあえず自分の貰ったカードには、「千客万来。私の好きな言葉です。」とあります(笑)。既にヤフオクには3種セットなるものが出品されていて、あと2つは「ポップコーンは割り勘でいいか?ウルトラマン。」「そうか。映画を観に来たのか。賢しい選択だ。」というもの。3種いずれもメフィラスのセリフをベースに、映画興行の宣伝フレーズとしている。

「メフィラス構文」とは、映画に登場する山本耕史演じる外星人メフィラスが、格言などを引用した後に「私の好きな言葉です」、または「私の苦手な言葉です」を付け加える言い回しを指している。今や特に格言に限らず、「好きな言葉です」を付け加える「用法」として、SNSやネットで認知されている感じだ。

メフィラスが「私の好きな言葉です」として挙げるのは4つ。
・郷に入っては郷に従う
・善は急げ
・備えあれば憂いなし
・呉越同舟
同じく「私の苦手な言葉です」として挙げるのは2つ。
・目的のためには手段を選ばず
・捲土重来

「郷に入っては郷に従う」「呉越同舟」が好きというのは、物事を進める際のメフィラスの現実主義的な姿勢を示しているように思う。「備えあれば憂いなし」が好きというのは、物事を進める際のメフィラスの用意周到な姿勢を示しているように思う。「善は急げ」が好きで「捲土重来」が苦手というのは、メフィラスが物事を進める際には、タイミングを捉えて一発必中で決めたいという意思を表しているように思う。そして「目的のためには手段を選ばず」が苦手というのは、なりふり構わず物事を進めることはしたくないという、メフィラスの美意識を示しているように思う。

好きな言葉と苦手な言葉で、自分のポリシーを示すメフィラス。さすがウルトラマンの強敵という感じ。

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2022年6月 5日 (日)

映画「ドンバス」

ウクライナ東部のルハンシク州とドネツク州、合わせてドンバス地方でのロシア軍とウクライナ軍の戦闘激化が伝えられる中、その地名をタイトルとした映画「ドンバス」が公開中。ウクライナのセルゲイ・ロズニツァ監督、2018年の作品である。

舞台は分離派(親ロシア派)の支配する2014年以降のドンバス地方。主人公がいてストーリーがある、という映画ではなく、戦時下の日常生活で起きる人々の英雄的でも何でもない行動の数々を、13のエピソードでオムニバス的に描いていく作品。ロズニツァ監督は、ドキュメンタリーを多く手掛けている映像作家ということで、この映画も手持ちカメラによる長回し撮影を中心とする、ドキュメンタリーチックな作り方である。見ていると、本当に現地で撮影しているような錯覚に陥るが、実際の撮影地はドネツク州の西の隣にある州とのこと。

13のエピソードは実際の出来事を元にしており、「どんなに信じがたくても全て実際に起きた出来事」(ロズニツァ監督)だという。確かに登場人物の行動は、戦時下という混沌の中で生きる人間としては、「普通」の行動なのだろうという感じがする。要するにリアルなのだ。例えば、戦場に取材に来たドイツ人ジャーナリストを見て、分離派兵士が「ファシストだ」とワーワー騒いだり、カメラに向かって楽し気にポーズを取る場面とか。あるいは、街角で見世物にされた捕虜の兵士に対して、市民がリンチを仕掛ける場面。抵抗できない「敵」に対する、人々の情け容赦ない有り様が、酷く生々しいのである。

戦争は、戦場で戦う兵士を恐怖と憎悪の中に叩き込むだけでなく、戦場以外の場所で何とか生活を続けている人々の間にも、分断と対立を生む。そして暴力性を孕んだ日常生活の中で、人々は正常なメンタルを維持できなくなっていく。戦時下で露になる人間の姿こそが人間の本性だとは思いたくないが、人間の卑小で愚かな本性を見せつけられるとすれば、やはり戦争は忌まわしいものだと思う。

この映画で起こることはほぼ「事実」なのだろうが、最後の出来事だけは本当にあったこととは思いたくない。ここは全くのフィクションであることを願いたいのだが、淡々と映し出され続けるラストシーンにエンドロールが被せられていくのを眺めながら、暗澹たる思いに気分が沈み込んでいくのを止めようもない。

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