« 「脱マスク」とナッシュ均衡 | トップページ | 「ネオナチ」批判、空回り »

2022年5月22日 (日)

傷痍軍人の記憶

「傷痍軍人」についての展示資料館が、東京・九段下にあるというのは知らなかった。サイト『現代ビジネス』の本日付配信記事から以下にメモする。

戦闘で傷ついた兵士たちは、名誉の負傷として戦中は下にもおかない対応を世間から受けたが、戦後、一転した。軍部憎しの感情から、彼らも犠牲者であったにもかかわらず、白い目で見られた人がいかに多かったか。実際、GHQは旧軍人へ厳しく対し、軍人恩給は廃止され、働くこともままならない人々は困窮した。

大きな駅の前には、義足をつけ、白い着流しの病院服に軍帽姿の元兵士たちが姿をあらわし、アコーディオンやギターを奏でて道行く人から寄付を募った。目撃した人のなかには、彼らが奏でる物悲しい旋律に、なにか恐ろしさを感じたと回想する人もいる。やり場のない怒りと悲しみが響いていたのだろう。

いまこの瞬間も、世界では取返しのつかない傷を負っている人がいる。この国でかつて、若い人々がどんな傷を追い、どんな戦後を生きていったかを今知ることには、きっと、意味がある。

じつはそれをよく知ることができる施設が九段下にある。戦傷病者を知るための施設、「しょうけい館」だ。正直、あまり知られていないだろう。展示内容はおどろくほど充実している。元兵士たちからの寄贈品など視覚的な資料とともに、190人超から聞き取りした証言ビデオも。国会図書館にも所蔵のない、ここにしかない資料もあった。

そもそも、どうして傷痍軍人に特化した国営施設があるのだろう。歴史的経緯がある。昭和27年、サンフランシスコ講和条約発効により日本が主権を回復したころ、元兵士たちの様々な動きが活発化。 いくつかの旧軍人団体もでき、翌年には、軍人恩給が復活している。
その時期生まれた団体のひとつに、日本傷痍軍人会(日傷)があった(昭和27年設立)。この会も、不遇だった傷痍軍人たちへの補償を求め続け、昭和38年にはついに戦傷病者特別援護法が成立。会は、1960年代初頭で35万人ほどの会員がいたという。
この人々が遺した次世代への置き土産が、この施設だったといっていい。厚生労働省が所管する国営の施設として、平成18年に開館した。

・・・自分も、子供の頃に傷痍軍人を見たという遠い記憶がある。時は昭和40年代前半だろうか、場所はおそらく浅草寺の境内の片隅。白い服を着た手や足のない人たち10人くらいの集団が、アコーディオンの物悲しい響きを奏でながら佇んでいた。やはり何だか怖かったという記憶が、自分にもある。

|

« 「脱マスク」とナッシュ均衡 | トップページ | 「ネオナチ」批判、空回り »