ツイッターは有名人のツール
本日付日経新聞オピニオン面コラム記事(ツイッターは派手な「劇場」)から、以下にメモする。
米起業家のイーロン・マスク氏がツイッターを買収したとの発表に対する一部の反応をみると、マスク氏は世界そのものを買おうとしているかのように受け止められている。
ツイッターは世界そのものではない。一部のジャーナリストやマスク氏のような大人げない億万長者、言動が子供じみたトランプ前大統領などは取りつかれているようだが、大半の人はツイッターで起きていることをあまり気に留めていない。
ツイッターはフェイスブックやユーチューブと並ぶ、巨大ソーシャルプラットフォームだとみられているが、こうしたサイトはアクティブユーザーが数十億人いるのに対し、ツイッターは2億2900万人しかいない。その大半は投稿を閲覧するだけで発信しないユーザーだ。
マスク氏のみならず他の人も頻繁にツイッターを広場にたとえるが、これは間違いだ。
ツイッターでは地位がすべてだ。大多数の人のツイートは誰にも見られることはない。
実のところ、ツイッターは街の広場ではなく劇場だ。そこでは誰もが最大280文字の脚本を慎重にリハーサルし、見られていることを意識しながら観客に向けて演技する。これに対し観客は演技者にやじを飛ばす、あるいは直接話しかけることができる。
ツイッターで最も頻繁に発信するユーザーたちが、その未来をこれほど懸念する理由は、何年もかけて集めてきた注目を失いたくないからだ。俳優が名声を失いたくないように、ツイッターのユーザーも、注目と社会的地位を失いたくないというのが本音だ。
・・・ツイッターでは地位がすべて、という意見に同感。所詮ツイッターは有名人がやるもの、有名人が自分のファンに向けて発信するためのツールだろう。だからツイッターに関して「言論の自由」云々と言われても、それは有名人の言論の自由ということになるから、何だか付いていけない感じがするのである。
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