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2022年4月 2日 (土)

20世紀のロシアとウクライナ

かつての20世紀、共にソビエト連邦を構成していたロシアとウクライナは、民族的にも文化的にも近い国だと言われる。しかしソ連時代も、この「兄弟国」の関係は決して麗しいと呼べるものではなかった。以下に、「週刊東洋経済」(4/2号)掲載記事(執筆者は名越健郎・拓殖大学教授)からメモする。

1917年のロシア革命後、ウクライナはレーニン率いるボリシェビキの支配下に入り、ソ連邦第2の共和国になったが、ソビエト体制下では苦難の連続だった。スターリンは農業集団化を断行し、ウクライナの富農を粛清。外国から武器を購入するため食糧を強引に徴収した結果、「ホロドモール」と呼ばれる人工的な大飢饉が30年代初めに発生し、死者は1000万人に上ったという。30年代後半、スターリンは反体制派を弾圧する大粛清を行い、ウクライナ共産党幹部が真っ先に逮捕され処刑された。

41年6月に勃発した独ソ戦は、広大なウクライナの平原が戦場となり、ウクライナ人の死者は民間人を含めて700万人で、4人に1人が死亡したとされる。
その際、スターリンの恐怖政治におびえたウクライナ西部の住民はドイツ軍を「解放軍」として歓迎し、蜂起軍を結成。これに対し、東部のウクライナ人はソ連軍として戦い、ウクライナ人同士が戦場で衝突した。
大戦初期、ウクライナを制圧したドイツ軍は、ユダヤ系住民の大量虐殺を行った。ドイツ軍が敗走すると、伯耆軍はソ連に徹底弾圧された。こうして、ウクライナは第2次世界大戦で最も激しい戦場となり、国土は疲弊した。

スターリン後に政権を掌握したフルシチョフとブレジネフは、ウクライナたたき上げの指導者で、ウクライナを優遇し、農工業が発展した。フルシチョフにより54年、クリミア半島はロシアからウクライナ共和国に編入された。

改革派指導者ゴルバチョフが85年に登場し、ペレストロイカ(再編)を進めると、ウクライナ語復権の動きや見直し運動が高まった。

91年8月、ソ連の保守派が決起し、失敗に終わったクーデター事件の直後、ウクライナ議会はいち早くソ連からの独立を宣言した。12月1日には、独立の是非を問う国民投票が実施され、90%の支持で承認された。第2の共和国であるウクライナの独立で、連邦継続が困難とみたロシア、ウクライナ、ベラルーシ3首脳はソ連邦崩壊を宣言。ゴルバチョフは辞任し、ウクライナは史上初めて、悲願の独立を果たした。

・・・ソ連時代のロシアとウクライナの関係を見ると、「兄弟国」の戦争にも歴史的な背景はあるのだと思える。しかしそれでもやはり、21世紀の大規模戦争勃発という現実を充分に理解するのは難しい、という困惑にも似た思いは残る。

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