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2022年2月25日 (金)

哲学史で「思考の鋳型」を学ぶ

哲学思想史』(淡野安太郎・著、角川ソフィア文庫)は、西洋哲学史の本。親本は1949年刊行(新版62年)で、新しい本というわけではないが、作家の佐藤優が評価するなど「発掘」して、今回文庫本による復刊が実現したようだ。以下に、同文庫末尾の解説文(佐藤氏が執筆)からメモする。

中世の黄金時代とは、ヘブライズム(ユダヤ・キリスト教)、ヘレニズム(ギリシア古典哲学)、ラティズム(ローマ法体系)が融合した文化総合の時代である。「コルプス・クリスティアヌム」(キリスト教共同体)と呼ばれた文化総合が世俗化していく過程が近代なのだ。中世の文化総合が解体する過程で、学問、国家(政治)、宗教がそれぞれ分化してくるのである。

理性を用いて、学問は断片的な知識ではなく、知を総合化する方向に向かった。そこで、19世紀後半から20世紀初頭にかけて難問が生じた。実験が可能で法則を見出すことができる科学と、実験ができず、思考に依存することの多い人文・社会科学を同じ科学という範疇で括ることが妥当かという問題だ。

この二つの科学(自然科学と人文・社会科学)をどう統合するか。その際に重要になるのが共通の言語だ。
私は、その共通の言語になるのが哲学だと考える。特に、哲学史を学ぶことによって、過去にあった思考の鋳型を知ることができる。この思考の鋳型と類比しながら、現在、自分が行っている専門的研究について語ることは可能である。

・・・自然科学と人文・社会科学をつなげる云々はともかく、何となくだけど小生も、たまに西洋哲学史を通覧してみることは、思考の基礎トレーニングとして大事だなという気がしている。佐藤氏の「思考の鋳型を知る」というのは、思考の組み立てのパターンを学ぶということかと思うのだが、例えば哲学史では「プラトン・カント的」思考と「アリストテレス・ヘーゲル的」思考つまり、「普遍的理念重視」と「個別的現実重視」のパターンが交互に現われるとか、中世哲学がキリスト教哲学ならば、古代哲学は非キリスト教的、近代哲学は脱キリスト教的、現代哲学は反キリスト教的とか・・・デカルトの大陸合理論とイギリス経験論、その二つがカント哲学において総合される、という基本的な流れもしっかり押さえておきたい。(と、最近思うようになりました。)

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