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2022年1月15日 (土)

玉城、関ヶ原合戦とは無関係

今日は、先日の雪が残る関ヶ原まで出かけた。お目当ては、当地で行われる中井均・滋賀大学名誉教授の講演会である。演題は「関ヶ原合戦と岐阜県の山城」。小早川秀秋が陣取ったことで有名な松尾山城を中心に、関ヶ原周辺の城跡について、中井先生お得意の縄張図を用いて解説してくれた。先生は、最近NHK番組で取り上げられていた「玉城」についても言及。NHK番組では、関ヶ原の西方に位置する新発見の巨大山城として、CGによる復元画像も使って紹介されていた玉城。西軍の最後の砦となるはずの城であり、豊臣秀頼を迎え入れる可能性もあった、などと千田嘉博先生が熱く語っていた。

しかし実のところ、玉城は以前から存在が知られていた城跡で、「新発見」ではない。そして中井先生によれば、「豊臣秀頼の本陣として築かれたなどあり得ない」。そもそも縄張り(城の構造)から見ると、西側に巨大な堀切があり、関ヶ原のある東側を防御する作りではない。また、山の頂上部には土塁や虎口が認められない。これは、関ヶ原合戦当時よりも古い縄張り構造であることを示している。また、城の規模も、松尾山城(これはもともと西軍総大将である毛利輝元が入る予定の城だったと考えられる)より小さいし、そもそも関ヶ原合戦自体が、豊臣秀頼と徳川家康の戦いではないのだから、大坂から秀頼が出陣して玉城に入ることはありえないのだ。結論的に言えば、玉城は「元亀元年(1570)以後に近江と美濃の国境を監視するため、織田信長によって築かれた山城である可能性が大きい」とのことである。

玉城についてはNHKと千田先生、ちょっと話を盛りすぎちゃったよなあ。

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